2024-07-08

山形市と台南市との交流、「八田技師の回想」

今年も「夏の東北絆まつり」の一つ「山形花笠」の準備が、山形駅コンコース等で進んでいます。

毎年、「台南市とのちょうちんを通しての交流」の「ちょうちん」がコンコースに展示。それを見ると「台湾の人に愛された日本人、八田與一技師」を思い出します。本日は、一部再掲も含めて少し紹介します。

私は、2019年12月中旬、八田與一技師に会いたくて、冬の庄内から羽田経由で南国、台北に飛びました。

そして、台北から新幹線で台南に向かい八田技師がいる嘉南の烏山頭(うざんとう)ダムと珊瑚潭(さんごたん)を訪問。

八田さんが主導して建設した烏山頭ダムと灌漑水路の偉業は、台湾の中学校の教科書に載り、多くの台湾の方は氏とその偉業をよく知っています。

氏は、34歳の1920年から1930年の10年間、嘉南の原生林を開墾し、東京ドーム120個分の保水量があり、コンクリートを使わない烏山頭ダム造りを主導。

さらに、嘉南平原に全長1万6000キロ(東京・ロス往復の距離)の灌漑水路を作り、それにより嘉南平原では、安定した米作りが可能となる。そして、60万人の人々が、その恩恵を受けたとのこと。

かつて、我が国には凄い日本人が多くいて、世界の人々から尊敬されたことは、同じ日本人として誇りに思います。

今でも5月8日の命日には、嘉南地区の方々がお墓の前に集まり慰霊祭。烏山頭ダムがある珊瑚潭の小高い丘に八田さんの銅像があり、その後ろにご夫妻の小さなお墓があります。

お墓にお参りしたら、何故か涙が止めどもなく溢れました。年のせいですね。私は、八田さんのミニチュア銅像を購入し、机の上に置き、毎日、氏と一緒にいます。

古川勝三著『台湾を愛した日本人 土木技師八田與一の生涯』との書があります。古川さんは、1980年から3年間、高雄日本人学校に勤務。

その「あとがき」によると、ある日、台湾の方から「あなたは日本人だから、日本精神を持っていますよね」と聞かれたそうです。

そして、「日本精神?それはどういうことですか」と聞き返すと、「日本精神はね、『嘘をつかない』、『不正なお金は受け取らない』、『失敗をしても他人のせいにしない』、『与えられた仕事に最善を尽くす』、この四つです」。

「日本は良い教育をしてくれました。今日の台湾の発展は、この日本精神のおかげです」と言われたとのことです。

私が台湾訪問中、台湾のレストランで上品なご年配の台湾女性が流暢な日本語で私に話しかける。戦前に東京女子大を卒業し、日本の良さとそこでの教育が忘れられないと懐かしむ。

何となく嬉しくなる。台南市の烏山頭ダムを再訪し、また八田技師に会いたく思う。

「台南市とのちょうちんを通しての交流」、約5年前に訪問した台南の八田さんを思い出す。凄い人です。

『夢と情熱』(平澤 興:一日一言)

「残念ながら私は、生涯を通じて自信というものはついに持つことのできなかった人間であります。しかし夢をみながら、それにひたむきな情熱を注いで進むということはできました」。

「それが今日までの私の生涯です。もっとも自信を持てばそれに越したことはないかもしれませんが、しかし自信はなくとも燃える情熱と実行さえあれば必ず事は成るのであります」。

「自信はなくとも燃える情熱と実行さえあれば必ず事は成る」、私もそう思います。しかし、これは簡単ではありません。