2022-07-30

『山形SC所長の山桜庵』、3年目に突入

2020年7月28日に始めた『山形SC所長の山桜庵』、一昨日で2年経過。3年目に入りました。

松下電器産業に入社し、松下幸之助社長から「生き方」を学ばれた上甲晃さんは、30年一日も休まず、1400字程度のデイリーメッセージを発信しているとか。

上甲さんイワク「漫然と生きているだけでは、メッセージに書くネタがないので、人の話を聞いても電車に乗っても、朝起きて夜寝るまで、普段の生活が全てネタ探し。おかげで真剣に生きられるようになった」。

上甲さんの話、よく分かります。

「ブログ書き」、色々と勉強と刺激になり、私の「ブログ書き「心得」」もあります。少し紹介します。

「文章は、簡潔で分かりやすく、話題は、読者が関心を持つようなもの」を心がけていますが、簡単ではありません。

書き出しの「つかみ」と最後の「しめ」も重要と思い、色々と考えます。

「つかみ」と「しめ」が、それなりに書け、安岡先生又は平澤先生の「箴言」が、本文と上手く関連づけば少し嬉しくなります。そして1回の文字数は、A4用紙1枚に収まるよう1800字以内。

ブログでは、できるだけ個別の話題から一般化できるような話に展開したいと考えていますが、これも簡単ではないです。

そして、堅い話ばかりでは肩も凝りますから、たまには「クニオ」や我が家の「住人」も少し登場し、柔らかな話も交えバランス(?)を保ちたいとも思っています。

目で語る「クニオ」は、読者に人気だと知りました。

また、ブログ作成のため色々と調べます。これは学びです。今まで写真撮影の経験は、ほとんどなしでしたが今、スマホは常に携帯し、何時でも撮影します。「ブログ書き」で日常生活が少し変わりました。

「頬が緩む」ユーモアも入れたいのですが、これもなかなか難しい。

読者の皆さんのアクセスを励みに、もう1年、「ブログ書き」を続ける予定です。

「ブログ書き」、経験がないことへの挑戦です。ブログを立ち上げてくれた、「友人」に感謝です。今後もよろしくお願いします。

『ユーモア』(平澤 興 一日一言)

「ユーモアは、人生を明るくし、広くし、かつ多彩なものにする。たしかにユーモアはひからびた世の中に何かしっとりしたものを与え、生きる喜びを与えてくれる」。

「世の中には、ユーモアにさえ不真面目なものを感じるような人もないではないようだが、ユーモアは我々に働くエネルギーを与えこそすれ、少しも不真面目なものではなく、きしむ世の中の油のようなものである」。

「ユーモアは心のゆとりなくしては出るものではなく、またかりに心のゆとりがあっても、よいユーモアは、鍛えられた人生の深さがなくては出るものではない」。

『ユーモア』、好きです。ユーモアのある「ブログ」にしたいのですが、「鍛えられた人生の深さがない」ので、ユーモアが出せないのでは、と思います。

2022-07-28

土用の丑の日、少年時代のウナギ捕りを回想

7月23日は、「土曜の丑」。近年、ウナギの量が少なく、高値とのこと。ウナギも高級魚となり高根の花です。日本で12番目に長い「江の川」の川沿いで生まれ育った私、小学生の夏休みの楽しみはウナギ捕り。

本日は、少年時代のウナギ捕りを回想し、それを少し紹介します。

ウナギ捕りには、いくつかの方法があります。しかし、最も効率的に捕獲するのは、ウナギ籠です。

これは直径5センチ、長さ60センチの竹で作った籠。竹の先端の節を残し1センチ巾で竹を割り、皮だけにします。そして、その皮だけにした竹筒を巾1センチの竹の皮で籠に編みます。

さらに、ウナギ籠の入り口は、漏斗(じょうご)状に竹を編んで作り、それを籠に入れ込んでウナギ籠の出来上がり。

この籠にヨモギを詰め、ミミズを20匹程度入れ、さらにヨモギを詰めて仕掛けは完了。これを夕方の6時頃に川に設置。

川には、瀬とよばれる浅くて、流れの速い所と、淵とよばれる深くて、流れのゆるやかな所があります。ウナギ籠は、籠の口を川下にして瀬に設置します。まず、ウナギ籠が置けるように手で少し瀬の川底を掘り、籠を置き、その上に石を置きます。これで完了。

そして、設置した籠の目印として河原に石を3個程度積み上げます。

翌朝5時頃、ウナギ籠を上げるためワクワクして川に直行し、川から籠を上げます。次に、川原の石を除去して平らにした場所を作り、籠を逆さまにしてウナギを落下。

ウナギは元気がよいので、このような場所を作らないとニョロニョロ逃げ、石の下に入り見逃すことがあります。

ウナギ籠を設置した夜は、明朝の大量が頭をよぎり寝付かれません。時々、急な大雨で川の水かさが増し、翌朝、籠が取れないこともありました。

ある朝、水かさが増し籠を取れず、3日間川に放置。その後、籠を川から上げると籠がとても重く、その中で「ギュウ、ギュウ」とウナギが鳴いています。

これは大量と思い、川原の直径1メートル程の石を取り除いてウナギ場を作成。そして、籠の口を下にすると「ドッ」と言う地響きとともにウナギの塊が落ちました。

数えると大きなウナギが20匹。その体験は、今でも忘れません。

捕獲したウナギは、故郷で一番大きな街に通勤する母が、料亭に運び売ります。少年時代の貴重な小遣い稼ぎでした。

また、捕れたウナギを三枚におろした「かば焼き」もよく作りました。まず、まな板の上に生きたウナギを置き、千枚通しを頭にさし、ウナギを固定。

次に、イチジクの葉で体を拭くとウナギのヌメリが除去され、三枚おろしが簡単に作れます。

天然のウナギは腹部が薄黄色で頭に包丁を入れ一気に身を裂くと、身がカマボコのように盛り上がります。タレをつけて焼くと脂がのったとても美味しい「かば焼き」ができます。夏は、「かば焼き」をよく食べました。

少年時代、自然の中で楽しく遊んでいました。懐かしい思い出です。

『元気』(安岡正篤 一日一言)

「われわれは「気」を養うということが、一番根本の大事だ。いわば生のエネルギーを養うということ、いい換えれば「元気」ということが一番である」。

「元気がないというのは問題にならぬ。しょぼしょぼして、よたよたして、一向に反応がないなんていうのは、論ずる価値がない」。

「とかく人間は有形無形を論ぜず、元気というものがなければならない」。

「元気というものは、つまり生気である。生のエネルギー、生々しておるということである」。

『元気』、重要に思います。昭和30年代、物はありませんでしたが、子供達は皆、元気でエネルギーにあふれていました。

2022-07-26

ホテルの連泊で感じた「生活リズム」の重要性

この1週間、山形市内のホテルで2連泊が2回ありました。山形市での連泊は初めてです。このホテル住まいは、何時もの生活と多少異なり「生活リズム」が欠如し、その重要性を感じました。

本日は、「ホテルの連泊で感じた「生活リズム」の重要性」を少し記します。

「生活リズム」が何であるのか、今一つ把握してはいません。感覚的には「生活リズム」があり、それは日常生活で重要に思います。

おそらく「リズム」は、起床してから就寝するまでの各時間帯での習慣的な活動や行動、言い換えるなら毎日の「何時もの生活」により醸し出されるものかと考えます。

我が家での私の「何時もの生活」、朝4時過ぎに起床し、少し書を読み、朝食として番茶を呑み梅干を食す。そして、畑に出て農作業や「忠犬クニオ」と散歩し、良い汗をかく。

この朝の平凡で習慣的な行動の有無が、朝の「生活リズム」形成に重要と感じます。また、夕方も軽い夕食を食し、早く寝る。この規則正しい生活が良い「リズム」を作るように思います。

このような「リズム」は、今から約50年前、商船高専での全寮制での4年半の共同生活で身についたのかもしれません。

商船高専の寮では、毎朝6時に「総員起こし」の放送で起床し、その後、分刻みの決まった行動でした。そして、午後10時30分の「消灯」の放送で一日が終わる。

この10代の規則正しい寮生活、私の「生活リズム」形成に影響しています。

「リズム」が日常生活に及ぼす影響は、「生活リズム」があると、一日の生活、体が爽やかで集中力が出るように感じます。

「リズム」は、生活だけではなくスポーツや文章にもあるように思います。

私の好きなテニスでも「リズム」があるとフットワークも軽やかになりテニスが楽しくなります。

また、日本語の文章でもリズムのある文章は、読み易く頭に入り易いように感じます。

これは英語にも共通するように思います。私が書く「日本人英語」を米国や英国の友人が書き換えてくれると英語に「リズム」を感じます。仕事でも「リズム」がありそうです。

習慣になった日常の生活から少し離れたホテルでの連泊、「生活リズム」の重要性を感じました。

『よい習慣をつくる』(平澤 興 一日一言)

「習慣になるまでは、たえず自分をいましめて自分を矯正、直さねばならんのであります。一日や二日や三日やって習慣にはならんのであります」。

「何年かやって、何年やってでも習慣のある部分はちょっと気を許すと元の木阿弥になりますが、たえず毎日がよい習慣をつくるその場だと思います」。

『よい習慣をつくる』、重要に思います。

2022-07-23

昔懐かしい小学校の夏休み、セミの思い出

鶴岡市内の多くの小学校は昨日から夏休みとのこと。今から60年前、小学生の頃の夏休みを思い出しました。本日は、「昔懐かしい小学校の夏休み、セミの思い出」を少し記します。

我が故郷は、島根の中央、山間部の田舎です。そこには、江の川という日本で12番目に長く中国地方で最大の川が流れています。

7月下旬からの夏休み、宿題は「棚上げ」し、少年は朝からセミ捕りです。

鳴き声で種名が分かるのは、出現順にニイニイゼミ、アブラゼミ、クマゼミ、ツクツクホウシ、ヒグラシ。

写真は、我が家の庭木にやって来たニイニイゼミ。幹の白い綿状物質の右斜め下にいます。

まず少年は、セミ捕り道具を作ります。昭和30年代、今のような捕虫網はなく、手製の捕虫袋です。

直径約15センチで長さ30センチのビニール袋の口を二重にし、そこを細い針金で縫い、丸い口のある筒状の袋を作成します。この袋を篠竹に差し、捕虫袋のできあがり。

この捕虫袋の口の直径が大きいと小さい木に止まるセミは、捕虫袋をセミにかぶせても、木と捕虫袋の口の間隙から脱出。一方、口が小さいと袋を上手くセミにかぶせにくい。最適な口径を経験で学びました。

「少年のセミ取り心得」。ニイニイゼミやアブラゼミは、たくさんいて誰でも捕獲できる普通種。少年は捕獲しません。

少年が狙うのは翅が透明な、ツクツクホウシやヒグラシ。最も貴重種は、大型のクマゼミ。しかし、クマゼミは、少年が捕獲できる高さには、ほとんど止まりません。

何時も木の高い処から「さあ、少年、捕まえてみな」と言わんばかりに「ジージー」と鳴いています。そんなクマゼミが捕れた時、少年は、嬉しくて「テング」になります。

少年の夏休みは、セミ取りと江の川での水泳で体は真っ黒。そして、お寺の境内で8月中旬に開催される盆踊りが終わると、最後のセミ、ヒグラシが夕暮れに「カナカナカナカナカナ」ともの悲しそうに鳴きます。

このヒグラシの鳴き声を聞くと、毎年、少年は「今年の夏休みも終わりだな」と寂しくなりました。そして、「棚上げ」した夏休みの宿題を取り出します。

一方、私が約30年前に移住した庄内地方では、ニイニイゼミが鳴くと次はヒグラシです。夏休みが始まる盛夏にヒグラシが、「カナカナカナカナカナ」と鳴いています。

子供の頃からヒグラシの鳴き声は、「夏休みの終りを告げ、もの悲しくなる」ことが条件反射の私には、夏休みの始まりを告げる庄内のヒグラシの鳴き声には、少し違和感を覚えます。

私は、16歳以降は島根以外の地域で生活。ヒグラシの鳴き声に夏の終わりを感じたのは、島根で過ごした小学生の6歳から16歳までの10年間だけ。

一方、庄内に移住したのは、37歳の時。それから30年、庄内で夏休みの初めを知らせるヒグラシの声を聞いています。

ヒグラシの鳴き声を聞いた期間は、島根で10年間、庄内で30年間です。庄内では、島根の3倍長い期間、ヒグラシの声を夏休みの初めに聞いています。

しかし、ヒグラシの鳴き声は、今でも「夏休みが始まるワクワク感」ではなく、「夏休みが終わるもの悲しさ」を感じさせます。不思議です。

この感覚は、セミ捕りに夢中になった小学生の体験が体に「刷り込まれて」生じるのかと思います。よくは分かりません。

本日は、60年前の小学生の頃を思い出し、「昔懐かしい小学校の夏休み、セミの思い出」を少し記しました。

『清新溌剌(せいしんはつらつ)』(安岡正篤 一日一言)

「人間の徳性の根本は、清新溌剌である。人間の徳性の中でも根本のものは、活々している、清新溌剌ということだ。いかなる場合にも、特に逆境・有事の時ほど活々していることが必要である」。

「その人に接すると自分までも気が爽やかになるという、これが人物の最も大きな要素だ。そしてかくのごとき人であれば必ず役に立つ」。

『清新溌剌』、何回読んでも身にしみます。

2022-07-21

松ヶ岡、朝の散歩と論語の学び

最近は、朝から温度が高くなり毛皮を着ている散歩好きの「忠犬クニオ」1時間の散歩は暑そうです。

散歩から帰ると、まず水を飲み、ベビーバスでの「水浴び」。これは、大変気持ちよさそう。

クニオとの松ヶ岡周回コースの散歩、何時も楽しみにしているのが「菅原兵治記念館」前の「箴言コーナー」。ここには、論語や言志四録等からの箴言が2週間に一度程度更新されて紹介。

先日の箴言は、論語『学んで思わざれば則(すなわ)ち罔(くら)く、思うて学ばざれば則ち殆(あやう)し』。

「広い知識を身につけても、自分でそれについてよく考えなければ、本当に理解することはできない。ひとりで考えるばかりで、広い知識を身につけようとしなければ、独断に陥る危険がある」。

なるほどと思います。朝の学びです。

評論家故伊藤肇氏は、著書『人間学』の中で「日本の経営者達が、最後の最後まで読み続ける本というと、『論語』が圧倒的である」と述べています。

そして、「「財界総理」と呼ばれた経団連会長の石坂泰三なども、夏、軽井沢へこもる時には、必ず『論語』を持って行ったし、よく、こんなことも言っていた」。

「50歳過ぎてから新しく読み直してみると味わいが深い。しかも平生の考え方、生き方にもぴたりと役に立つ。僕は齢80を超して初めて孔子とじっくり膝をまじえて話し合った」と紹介。

約2600年前に記された「論語」、今までも、今も、これからも、私達の生き方の指針として学ぶべき書に思います。

「松ヶ岡、朝の散歩と論語の学び」、いいです。継続したいと思います。

『三日書を読まざれば』(安岡正篤 一日一言)

「黄山谷(こうざんこく)に次のような名高い語があります。「士大夫三日書を読まざれば則(すなわち)理義胸中に交わらず。便(すなわち)覚ゆ、面目・憎むべく語言・味なきを」」。

「書は聖賢の書。理義は義理も同じで、理は事物の法則、義は行為を決定する道徳的法則であります」。

「大丈夫たるものは三日聖賢の書を読まないと、本当の人間的意味における哲理・哲学が身体に血となり肉となって循環しないから、面相が下品になって嫌になる、物を言っても言動が卑しくなったような気がする、というのであります」。

「本当の学問というものは、血となって身体中を循環し、人体・人格をつくる。したがって、それを怠れば自ら面相・言動も卑しくなってくる」。

「それが本当の学問であり、東洋哲学の醍醐味もまた、そうゆうところにあるわけであります」。

『三日書を読まざれば』、何となく分かる気がします。「聖賢の書」の学び、重要に思います。

2022-07-19

松ヶ岡、夏に群飛のアカトンボ

「アカトンボ」の群飛は、秋の風物詩の一つに思います。しかし今、我が家の周辺では、アカトンボが群飛しています。水田等で羽化したアカトンボが、山で越夏する僅かな時間を里で過ごしているようです。

♪夕焼小焼の、赤とんぼ♪ 負われて見たのは、いつの日か♪

『童謡 赤とんぼ』、懐かしい、良い歌です。

緑の棒の上にアカトンボがとまっています。

朝取り野菜を収穫していると、多くのアカトンボが私の周囲を気持ちよさそうに飛び交っています。何となく良い感じ、爽やかです。

子供の頃、島根の山間にある我が故郷、毎年秋には、我が家の畑にもの凄い数の「アカトンボ」が飛んでいたのを思い出します。昔を思い出すと子供の頃がすぐに蘇ります、不思議です。

さらに、アカトンボの群飛を見ると酒田で30年以上も無農薬・無肥料・無除草剤による「自然共生田んぼ」でお米を作っている知り合いの顔が浮かびます。

氏は、ある時、「何故トンボをDragonfly と呼ぶのか分かった」と教えてくれました。

「Dragon」は龍で、「Fly 」は、飛ぶ昆虫。「Dragonfly」は、龍のように飛翔する昆虫。

「6月早朝、イネに付いた何百ものトンボの蛹が一斉に羽化し、それが大空に飛んで行く。その姿は、まさに大空を飛翔する龍であり、トンボの一斉羽化は、飛翔する龍の姿だ」。

「「Dragonfly」、それは、トンボの一斉羽化を意味している」、と説明。「なるほど」と思いました。

「自然共生田んぼ」では、除草剤を使わないので、6月から7月、毎週1回合計8回除草機で除草

朝6時前から除草機を押す除草中に、「アカトンボ」の蛹が羽化する場面に遭遇します。命を感じるひと時、忘れられません。

「夏に群飛のアカトンボ」、一瞬でいなくなります。秋には赤くなって里にやってくると思います。季節の移り変わりを知らせてくれる虫たち、大事にしたい。豊かな自然、大切にしたいです。

♪夕焼小焼の、赤とんぼ♪ とまっているよ、竿の先♪ アカトンボに感謝。

『自然に還れ、根本に還れ、精神に還れ』(安岡正篤 一日一言)

「生き方を考える上で、特に取り上げたいことは三つの点(三原則)です。その第一は自然に還れ、第二は根本に還れ、第三は精神に還れということです」。

「自然に還れ。産業でも人工的なものほど発達した産業と考えてきたが、これからはもっと自然を尊重すべきである。人工の都市の中に住むと人間がだめになる」。

「人間が発達し本当の文明を作り上げようとするならば、自然の理法に従わなければならない」。

「その次が根本に還れである。人間が発達させてきた文明が、現代になって、おそろしく枝葉末節に走ってきた。一つの花を咲かせ一つの実を成らせるようなことばかりに馳せてしまった。いわゆる抹消化である」。

「根本からだんだん離れてきた。抹消化が、移ろい易く滅び易いことはいうまでもない。花や実を本当に栄えさせるものは、実は根本を養うことである」。

「自然に還れ、根本に還れとなると、人間にとって何が一番自然であり根本であるか。それは結局精神である。心である。心の学問、精神の修養ということである」。

「近代文明をこのままにすると人間は心を失う、魂を失う。人工的になると本に還ることは難しい。どのように癒すかといえば、生活や飲食物そういう日常生活を自然に還らせる以外にない」。

「生命を根本に還らせる。最近、社会的犯罪などが多発している。これらを本当に解決しようとしたら文明、人間生活、民族、個人の生活を、少なくとも三原則に戻すことに努力するほかない」。

『自然に還れ、根本に還れ、精神に還れ』、何回読んでも身にしみます。群飛する「アカトンボ」を見ると『自然に還れ、根本に還れ、精神に還れ』が浮かんできました。心にとどめたい箴言です。 

2022-07-17

放送大学授業、『生物環境の科学』

今年6月下旬、所用で信州松本を訪問。朝ホテルのテレビで放送大学番組『生物環境の科学:13.生物多様性と進化』に遭遇。私のかつての専門、「生物群集」も紹介していたので、45分間の授業を楽しみました。

本日は、その講義の一部及び、聴講しながら思い出した私の研究の発端等を少し紹介します。

教科書に記された「講義の目標とポイント」には、以下のような記述がありました。

「現在の生物種数は、約175万とされるが、未発見種が数多く存在する。このような多種の存在にどんな意味があるのか。何故、このように多種が存在するのか」。

「生物多様性は今、人間による活動の結果として全地球的に危機にさらされている。生物多様性の危機は、いずれ人間にも不利益をもたらすであろうという懸念が、広く受け入れられつつある」。

面白く講義を聴講し、山形学習センターで教科書の該当部分を一読。しかし、教科書からは、放送授業で聞いた感動や面白みをあまり感じませんでした。

これは、放送授業では最先端の研究や群集研究の面白さ及び難しさ等、教科書には記されていない話が紹介されたことに起因していると感じます。

私の研究の発端等を少し記します。私は、学部学生の頃から「自然の調和」に漠然と関心がありました。そんな時、『生物群集の多様性と安定性』との論文に出会い、これが私の運命を決定。今から約40年前です。

その論文では「生物群集の複雑性と安定性の関係を問うことが、問題の設定として適切かどうかが、先ず検討されなければならない」。

「このような点からすれば、群集の安定機構と不安定機構とを具体的に追求することが不可欠と言えるであろう」と述べられていました。

「生物群集は、調和が保たれているのか。もしそうなら安定機構は、何か」。このテーマを研究したいと思いましたが、何を対象に研究するかが、課題でした。

大学院に入学して、指導教員に相談し「何が何でも生物群集が研究したいなら、動物の死体に集まるシデムシの群集か、イスノキに集まるアブラムシの群集又は、糞に集まる糞虫群集を考えろ」と助言。

深く考えずに糞虫群集を選択。これは動物の糞を餌とする甲虫の仲間です。大型の糞虫は糞直下の地中に穴を掘り、そこに糞を埋めて産卵。孵化した幼虫は、親が作った糞玉を餌として地中で成虫まで生活。

この糞虫を材料に選定したのが、難しい生物群集の研究が進展した一因に思います。

調査地では、15種の糞虫が共存していました。まずは、種ごとの個体数が安定し、数の変化が少ないのか、不安定で変化が激しいのかを解明。

さらに、それが安定していたら、その機構は何で、それをどのように解明するのかが課題。しかし、研究の方法に関して知恵がなく、研究は座礁。暗中模索、苦悶の日々。

この時期に研究は、自力で切り拓く以外に道はなしを学びました。

研究を開始して4年目、全くの偶然で暗中模索の闇から抜け出せ、今後の研究展望が見え始めました。これは、本当に嬉しかった。

そんな時、優秀な後輩が「安田さんは凄い」と独り言のように言いました。

「何が凄いの」と聞くと、「群集をやる奴は、馬鹿だと言い続けた先生が、あるときから言わなくなった。それは、安田さんが、データで群集研究を示したからです」と説明。この一言、嬉しかった。

人生の年輪を重ねた今、指導教員の先生の厳しい指導に心から感謝しています。あの厳しい時期がなければ、今の私はないように思います。

苦悩の日々には分からなくても、長い人生、「歳と共に色々な経験を通じて理解できることがある」を知りました。先生に感謝です。

『シンプル』(平澤 興 一日一言)

「偉大な先人はみな、学者であれ、芸術家であれ、事業家であれ、私はやはりシンプルだと思うのであります。シンプルというのは、心が濁っておらないという意味であります」。

お世話になった指導教員の先生、とてもシンプルで純粋でした。シンプルで純粋、重要に思います。

2022-07-15

昭和の思い出、懐かしい「ハエ取りリボン」

「ハエ取りリボン」と聞いてもピンとこない人が多いと思います。

私が小学生の昭和30年代、魚屋さんや八百屋さんのお店の中には、必ず「ハエ取りリボン」がぶら下がっていました。

我が家の台所にも今、昔懐かしい「ハエ取りリボン」がぶら下がっています。台所で五月蠅(うるさ)かったハエが激減し、ふと「リボン」を見ると10匹は取れていました。

本日は、昔講義した『応用昆虫学』の害虫防除等について少し紹介します。

害虫の防除方法は、大きく分けて化学的防除、生物的防除、耕種的防除、物理的防除の4つがあります。

化学農薬を使い害虫を防除するのが化学的防除。アブラムシをテントウムシで防除する天敵利用が生物的防除。

稲の移植時期を遅らせ害虫の発生を抑えて防除すること等が耕種的防除。「ハエ取りリボン」等で害虫を防除するのが物理的防除です。

日本の害虫防除の歴史を振り返ると、化学的防除万能時代がありました。

しかし、この方法により、4Rと言われる殺虫剤抵抗性(resistance)、殺虫剤による害虫の誘導多発性(resurgence)、食品への農薬残留(residue)、野生生物への悪影響(razing of wild life)等の問題が生じました。

これらの反省を踏まえ、化学的防除のみで害虫を防除するのではなく、天敵利用等も含めて害虫を防除する「総合的害虫防除」の考えが出されました。

ナス等の害虫であるキイロアザミウマの防除には、農薬の散布回数を減少させ天敵のハナカメムシ等を利用する総合的害虫防除の研究が行われ、この方法が化学的防除のみより収入が増加。

しかし、総合的害虫防除を利用するには害虫数や天敵数の把握及び、それらをもとに農薬の散布時期や回数を決定する必要があり、農家がこの方法を実施するのは簡単ではありません。

かつて、アブラムシの生物的防除のためその捕食者や寄生者の研究をしました。

テントウムシ等の捕食者は、お腹が一杯になると捕食せず、さらに天敵は害虫の個体数が増加後に多くなる等、生物的防除の難しさも学びました。

昔懐かしい「ハエ取りリボン」から、かつての講義や研究の一端を思い出しました。「ハエ取りリボン」、役に立つことを再認識。

『多岐亡羊』(安岡正篤 一日一言)

「多岐亡羊(たきぼうよう)ということがある。これは羊を飼っておった人が羊を逃がした。そこで慌てて追いかけた。隣り近所の人も一緒になって追っかけたが、あんまりに枝道が多い。いわゆる多岐である」。

「多岐が多くって、あっちへ行ったこっちへ行ったと言っているうちに、どこかに行っちまって分からなくなった」。

「人間もそういうもので、あんまり仕事が多くなると、肝腎なものがどこに行ってしまったか分からないようになる」。

「人間というものの本質、人間の使命、人間の幸福、そういったものが分からなくなってしまうのである」。

『多岐亡羊』をふと思い出しました。これは、特に、忙しい日々を過ごす時に重要に思います。

2022-07-13

サロン第2回、『田んぼの生きもの調査』

5月から山形学習センターの「学びのサロン(ゼミ)」が始まっています。今年度は、客員教員を2名増員し、6名から8名。それにより昨年度の7サロンが、9サロンに増加。

私の「サロン」は、岩波ジュニア新書『農は過去と未来をつなぐー田んぼから考えたことー』(宇根豊著)を輪読し、環境稲作提唱の著者が、「農」が本来持っている価値を拾い上げて行くのを学ぶのが目的です。

本日は、私担当のサロン第2回、『田んぼの生きもの調査』を少し紹介します。

「田んぼの「生きもの調査」の目的は、かつては生きものどうしのつながりが深かったが、今ではそれが浅く、そのつながり感を取り戻すことである」と著者は述べます。

また、「「生きもの調査」を通じ村や家や自分の「財産目録」ができることも大きな目的の一つ」と指摘。

そして、「90歳以上の百姓は、600種位の生きものを知っていたが、60歳以下の百姓は150種程度しか知らず、自然へのまなざしは確実に衰えてきた」と危惧。

「「生きもの調査」の面白さは、多様な生き物の生き方や行動等に感動し、その世界に没頭できることである」と紹介。

これは共感。私は、無肥料・無農薬・無除草剤で稲を育てお米を作る「自然共生田んぼ」での「生きもの調査」を10年以上行い、多様な生き物の世界に楽しく没頭しました。多様な生き物、面白いです。

友人の親子の会話が面白い。「お父さん、朝も昼も、田んぼの稲を見に行ったろう。また、夕方行く必要はないだろう。何の変化もないよ」と息子。

父親は、「変化はないかもしれないが、稲の顔を見ておきたいんだ。お前だって夕食の時に見ているのに、寝るときには、また娘の顔を見て寝床につくではないか」。

これ同感です。「自然共生田んぼ」で稲を育てているときは、朝と夕方は、毎日、田んぼの水を見て稲の顔を観察しました。

「私の経験です。その日は他の仕事が忙しくて、夕方田んぼを見に行きませんでした。翌朝田んぼに行くと田んぼが干上がっていました。畦にモグラの穴が開いて水漏れし、田んぼが干上がったのです」。

私も「モグラの穴での水漏れ」を経験。朝は水が一杯あった田んぼの水が、夕方には干上がっていました。妙だなと思って畦を見回り「モグラの穴」を発見。朝夕の田んぼの見回りの重要性を体験。

今回の『田んぼの生きもの調査』、かつての「自然共生田んぼ」での「生きもの調査」を思い出します。著者の宇根さんの体験や、参加者の意見等から色々と学びました。皆さんに感謝です。

『陶冶(とうや)する』(安岡正篤 一日一言)

「最高の教育を受けた人間も、その後の自己陶冶を缺(か)いては、立派な人間には成り得ない。ごく劣悪な教育も、自己陶冶によっては、なお改善され得るものである。いかにも人間は陶冶次第です」。

「「陶」というのは、焼き物を造る、「冶」というのは、冶金の冶で、金属を精錬することであります」。

土を粘(ね)り、焼いて、陶器を造る。鉄を鍛えて鉄器を造るようなもので、人間もやはり、焼きを入れ、鍛えるということをやらなければ、ものになりません。いくつになってもそうであります」。

『陶冶する』、「いくつになっても焼きを入れ、鍛える」、重要に思います。

2022-07-11

研究の面白さ、「卒業研究・修論課程紹介」

「山形大で28年間の教員生活、その間に約100名の学生の卒業研究指導に携わりました。この指導を通じ、卒業研究の重要性を感じます。卒研を通じ学生諸君は、驚くように成長します」。

「成長する理由は、自分でテーマを考える、教員との議論、実験や調査の実施、そして結果を論文にまとめ、発表する。この一連の過程で学生諸君は悩み、考え、多面的に学ぶ。これが成長に繋がると思います」。

「是非、卒業研究を履修し、研究の面白さを味わってください」。

これは先日、山形学習センターで行われた『卒業研究・大学院修士課程合同ガイダンス』での所長挨拶の一部抜粋です。

放送大学では、卒業研究が選択科目としてあり、これは教員による唯一の直接指導科目です。

当日は、卒業研究指導を経験された客員教員から「卒業研究の進め方等について」との講演があり、放送大学の学生さんが卒業研究をする上での要点等が紹介されました。

さらに、今年3月末に修士を修了された方の体験発表では、「修士研究に取り組む上でのポイント」、「修士論文に挑戦しての魅力」、「これから挑戦するみなさんへ」等が話されました。

2つの講演、ともに卒業研究や修士課程に進学を希望する学生さんに有益なお話でした。

放送大学は、文化科学研究科の下に7つのプログラムがあります。その中で臨床心理学は、入学定員30名で昨年度の倍率7.8倍、狭き門です。3つのプログラムが、2倍以上の倍率。

学びの多い合同ガイダンス。講演して頂いた皆さんに感謝です。是非、多くの方々が卒研を経験し、修士課程に進学して「研究の楽しさ」を味わって頂ければと思います。

40年以上前、がむしゃらに行った卒論や苦しみの中にもワクワク感を体験した修士研究を思い出しました。

『大努力』(安岡正篤一日一言)

「修養のしかたによっては、人間にはいかなる能力があるかわからぬほど貴い。研究すればするほど、人間の美質は発見せられ能力が発揮せられるのである」。

「学校の成績は平均点が30点でも40点でも、それで己は駄目だと考えてはいけない。大いに有為有能の人材となる大理想を持ち大努力をせねばならぬ」。

「大努力をなすには、当然自ら苦しまねばならぬ。苦しんで開拓したものでなければ本物ではない。人並みの努力をしたのでは秀れた者にはなれない」。

「秀れた者となるためには、人の数倍の努力と苦労をしなければならない。人の寝るところは半分にし、人の食うところは半分くらいにしても、努力するところは人の10倍も20倍もやるだけの元気がなければならぬ」。

「20歳前後や30歳前後は、いくら力(つと)めても疲労などするものではない。心身ともに旺盛な時である」。

「まかり間違って病気になったり死んだりすれば、その時は天命と諦めるのである。学徒が学問のために死ぬのは本望ではないか」。

『大努力』、凄い箴言です。博士課程の苦しんだ研究生活をフト思い出しました。「大理想を持ち大努力をせねばならぬ」、心に留めたいと思います。

2022-07-09

『人間学を学ぶ』、味わい深い講演に感動

「人生を如何に生きるか」との命題は、私たちにとり重要な問題の一つです。しかし、私たちの多くは、忙しい生活に追われ、「人生を如何に生きるか」について考える時間が少ないのも事実に思います。

『市民講座:シリーズ人間学を学ぶ』の開催趣旨は、講演者が歩んできた人生等を紹介し、その学びを通じ、参加者の皆さんが自らの人生を考える一助にすることです。

本講座では、多くの皆さんが、忙しい中で生活している今、ちょっと立ち止まり、少しの間、生涯の学びの一つ「人生を如何に生きるか」を一緒に思索できれば嬉しく思います。

このような背景と趣旨で始めた『シリーズ人間学を学ぶ』、第4回が終了。「味わい深い講演に感動」しました。その一端を紹介します。

今回の講演者は、世界初のノートパソコン作成に成功した先生。演題は、「チャレンジングの自己実現への旅」。下述のような講演概要です。

「現在まで、人生を振り返ればいつも大きな障害が待ち受けていました。この障害に果敢に立ち向かい、のり越えるたびによき人、よき本との出会があり新たな視野を得てきました」。

「また、人生のターニングポイントになった世界初ノートパソコンの開発を通し「不可能なことはない」、「一人ひとりのもつ能力は無限大」、「行動することの大切さ」など、人の本質に関わることも学びました」。

「挑戦し続けることは、ポジティブな優しい生き方や成長型マインドセット、リーダーシップの形成にも役にたったと思います」。

講演は、これまで75年の「挫折と成功の人生」を振り返り、そこから学んだことを分かり易く紹介。

下述は、出席者からの感想の一部です。

中学生の参加者は、「講演会というものに、人生で初めて参加しました。想像していたよりずっと面白くて、楽しい時間でした。先生の人生の道のりを聞いて、学んだことがたくさんあります」。

「僕はまだ中学生ですが、辛い経験をしたことがあります。先生がおっしゃっていた、「先のことはあまり考えずにチャレンジ」、「結果は後からついてくる」という言葉に強く共感しました」。

「本日は、貴重なお話をお聞きすることが出来ました。有難うございました。共感できるところ、学んだことがありすぎて全て盛り込むのは難しいほどです」。

「特に印象に残った言葉は、「自己実現とはプロセスである」です。確かに結果は後からついてきますよね。また、「景色が変わる」は、息子の野球部の活動から景色が変わった実感を得ましたので、納得です」。

私は、講演者の最後の言葉、「全ては夢に向かって行動する力、身体的能力が重要です。それが大きくなれば知能指数、精神的知能、感情指数も成長する。行動が伴わなければ宝の持ち腐れ」が心に残りました。

吉田松陰の「夢なき者に成功なし」の箴言を思い出しました。「夢なき者に理想なし、理想なき者に計画なし、計画なき者に実行なし、実行なき者に成功なし。故に、夢なき者に成功なし」。

講師の先生は、今年75歳、毎朝3時間の散歩を欠かさないとのこと。心身ともに健康であること重要に思います。

これまで4回の市民講座を聴いて共通部分があります。それは、私の講演も含め「良い人生とは、佳い人との出会い、良い書物との出会いである」とのこと。

元気と刺激を受けた1時間、「味わい深い講演に感動」。人間学、学びました。感謝です。

『成功は苦辛(くしん)の日に』(安岡正篤 一日一言)

「先賢が教えてくれている──愚はよく他の欠点を挙げるが、自己の欠点を知らない。話はうまいが、行いはつまらぬ」。

「若い時はうかうかして過ぎ、壮時(そうじ)にはせかせか動き廻り、老年には愚痴ばかりになり易い」。

「正に、敗事は多く得意の時に因(よ)り成功はつねに苦辛の日に在る。やはり平生能(よ)く道を聞くことだ」。

『成功は苦辛の日に』、なるほどと思います。肝に銘じます。