2021-10-31

『敵の敵は友?』、「第6回学びのサロン」

大学生活では色々な学びがあります。その中で重要な学びの一つは、研究室の専門ゼミ。本日は、大学でのゼミについて少し紹介します。

私が大学院生の時は、教員4名を含め、学部及び大学院生等、総勢30名近いメンバーでの研究室ゼミ。毎回、3名が論文紹介。

この研究室ゼミ、多面的に学びました。あるテーマに関して5~10編の論文を読んで総説する先輩や、200頁の英語の専門書を手に持ち、ポイントを板書しながら講義した修士の後輩もいました。多くの猛者(もさ)と遭遇。

紹介論文の質により紹介者のゼミへの意気込みや研究者としての資質も学習。私が修士1年の時には、先輩が紹介するゼミの内容に全くついて行けず、みんな凄いなと痛感。

私は、生態学の主要課題の解明を試みた論文を紹介し、研究室のメンバーが関心を持つ内容の論文を選ぶよう心がけました。

論文紹介及び質疑応答を含めて1人1時間弱の持ち時間、とても鍛えられました。理解力が遅い私の頭は考えるのに時間がかかり、厳しい指導教員から「おまえ、良く理解してないな」と言われたことも数回。

そのような状況は、今でも鮮明に記憶。研究室で共に学んだ先輩や後輩は、在学中に複数論文を国際誌に公表し、大学院を修了すると大学の教員や国の試験場で活躍。研究室の研究レベルの高さ重要に思います。

昨年4月に放送大学山形学習センター(山形SC)に赴任し、色々と考える事がありました。その一つは、ゼミがないこと。

早速、6名の客員教員にお願いし、私も含め7名で昨年10月からゼミ、「学びのサロン」を開始。

これは通学制大学の「ゼミ」とは異なり、「サロン」の味が出る楽しい多面的な学び。

私が所長に就任以来「結縁のセンター」、「多文化交流のセンター」、「人間学の学びのセンター」の3つの目標を掲げ山形SCの運営を行っています。

今年4月からも「結縁のセンター」の活動の一つとして「地域の文化や高等教育の中心として多彩な皆さんが集い学ぶ「学びのサロン」」のさらなる発展に挑戦中です。

先週末、私のサロン第6回「ジミな昆虫の生き方を通じ、研究の面白さを学ぶ」を開催。今回は、第3章の1、龍谷大学の准教授による「敵の敵は友?寄生蜂と植物の関係:化学物質を介した相互作用」を担当者が紹介。

キャベツとそれを餌とする害虫のコナガ、さらにコナガに寄生して捕食する天敵のサムライコバチの「三者系」の研究。

この「三者系」の研究概要は、キャベツをコナガ幼虫が摂食すると、そこからの匂い物質がコナガの天敵のコマユバチを誘引し、幼虫はコマユバチに寄生され、その後、捕食される。天敵による害虫の生物的防除の一つ。

しかし、コナガ幼虫とモンシロチョウ幼虫が同一のキャベツ上で摂食し、2種からの匂い物質が放出されると、コナガの天敵、コマユバチは誘引されない。「複雑な関係」です。

今回は、私を含め7名の参加者。50歳代から70歳代の人生経験の豊富な方々。「サロン」での質問や意見の一部を紹介します。

「野外でキャベツとその害虫は、見かけるがこのような現象が起こっているのはとても驚きだ。本当にこのような事が起こっているのだろうか」。

「キャベツは、コナガ幼虫が摂食。そして、その天敵のコマユバチが誘引される。さらにはモンシロチョウ幼虫も摂食するが、キャベツの最も良い戦略は何なんだろう」。

「コナガ幼虫の摂食、機械的なキャベツの損傷、モンシロ幼虫の摂食でキャベツから匂い物質が出る。この匂い物質の種類は同じだが、成分のブレンド比の相違でコマユバチの誘因が決定。ブレンド比とは何か」。

「コナガは、キャベツのどの部位から摂食を始めるのか。また、キャベツは日本の在来種ではないと思われるが、何処からいつ頃、日本に入ったのか」。

「サロン」に相応しく、紹介論文の主題とは少し異なる質問や意見も出て、「サロン」が盛り上がり、楽しいひと時でした。皆で楽しむ学びが重要に思いました。「サロン」と昔の大学院研究室ゼミの雰囲気も少し紹介。参加者の皆さんに感謝です。

『三学戒』(安岡正篤 一日一言)

「少(わか)くして学べば、壮にして為すあり。壮にして学べば、老いて衰えず。老いて学べば、死して朽ちず」。

「若い者の怠けて勉学せぬ者を見る程不快なものはない。ろくな者にならぬことは言うまでもないが、まあまあよほどのろくでなしでなければ、それ相応の志くらいはあるものである」。

「壮年になると、もう学ばぬ、学ぼうとせぬ者が随分多い。生活に逐(お)われてだんだん志まで失ってしまうのである。そうすると案外老衰が早く来る。いわゆる若朽である」。

「能(よ)く学ぶ人は老来ますます妙である。ただし学は心性の学を肝腎とする。雑学では駄目である」。

「細井平洲も敬重した川越在の郷長老、奥貫友山の歌に「道を聞く夕に死すも可なりとの言葉にすがる老の日暮し』」と。

「心性の学」の学びの習慣、重要に思います。『三学戒』、心に銘じたい箴言です。

2021-10-29

『生態学入門』、第8刷決定通知

大学教員には、色々な業務があります。まず、学生さんへの講義や実験・実習等を通じた教育。そして、自分の専門及び研究室での卒業論文・修士論文・博士論文の指導を通じた研究。

さらに、社会貢献としての国際交流や地域連携事業。これら以外に学会活動等による学会の活性化や論文校閲及び、専門分野の研究成果を一般の方々に分かり易く紹介する教科書や専門書の執筆等々。

また、ほとんどの大学教員は、自分や指導学生の研究を発表するために学会に所属しています。私が所属した学会の一つに会員数約4000人の「日本生態学会」があります。

その日本生態学会が設立50周年記念として、2004年に『生態学入門』を刊行し、60周年を迎えた2013年に第1版を大幅に改訂した第2版を発行しました。

先日、『生態学入門(第2版)』の第8刷を刊行する知らせが届きました。

本日は、この『生態学入門(第2版)』と私が編集執筆に関わった『第8章 生物群集とその分布』について少し紹介します。

出版社である東京化学同人の『生態学入門(第2版)』内容説明の抜粋を記し、紹介に代えます。

「本書は、生態学の基礎から生物多様性保全や地球環境の応用的問題も含めた現代生態学の総合的入門書です。40名もの日本生態学会会員が編集・執筆・査読に関わって完成しました」。

「コンパクトながらも(304ページ)、生態学の全体像をこの本1冊で体系立てて示しました」。

「生態学に興味のある学部学生、異分野の研究者、高校生物教師、スーパーサイエンス・ハイスクールの高校生、異分野出身の行政職員、環境NPO職員などに向けた必読書です」。

「進化と生物多様性、生物種間のネットワーク、生態系の構造と動態の三つの視点を基に、わかりやすく説いています」。

「特に、平成24年度から施行の高校生物の新学習指導要領にも沿った内容になっているので、高校生物教師の格好の参考書としても役に立ちます」。

「21世紀の地球人として生活していくときに最低限必要な知識が体系立てられて解説されています」。

『目次』は、「第1章 生態学とはどんな学問か?-遺伝子から地球環境まで。第2章 生物界の共通性と多様性。第3章 進化からみた生態、第4章 生活史の適応進化。第5章 生理生態的特性の適応戦略」。

「第6章 動物の行動と社会。第7章 個体間の相互作用と同種・異種の個体群。第8章 生物群集とその分布。第9章 生態系の構造と機能。第10章生態系の保全と地球環境」。

私は、『第8章 生物群集とその分布』を4名で執筆。私の分担は、「種間相互作用ネットワーク」の小見出しで、「種間相互作用」及び「栄養段階と食物連鎖」の2項目でした。

このような教科書の一部を分担するに当たり、何をどのように書くべきか考え学びになりました。また、分担者の選考についても一考したように思います。懐かしく楽しい思い出です。

専門書の出版に関しては、出版される前に複数の専門家に原稿を送り意見を求め、必要に応じた加筆修正が求められます。

これまで編集した5冊の書籍を含め12冊の本の執筆に関わりましたが、私の原稿に関する若手研究者の厳しい意見を思い出します。若い研究者に内容や日本語を色々と鍛えられ「育ち」ました。感謝です。

吉川英治さんが使われた「我以外、皆、我が師」を思い出します。

『生態学入門(第2版)』の第8刷の知らせから、かつての書籍執筆が浮かんできました。

『自然の不思議』(平澤 興 一日一言)

「何でも分かるなどという事はあり得ないことで、自分で研究しないで本だけで覚えたというような人には、そう思う人もおるようでありますけれども、決してそうではないのです」。

「真の研究者は、結局は自然の不思議に頭を下げるより他はないのであります」。

生態学に関しても、分からないことがとても多くあります。『自然の不思議』、そう思います。 

2021-10-27

「本能って何」、出会った2、3歳児に思う

放送大学の業務を終え、山形駅コンコースを歩くと親子連れに出会うことがあります。特に、よちよち歩きでニコニコ顔の2歳から3歳児の親子連れは、実に、微笑ましい。こちらも思わず頬が緩みます。

この2、3歳児に出会うと何時も我が家の子供達の2、3歳の頃を思い出します。

我が家には、5人の子供がいます。小学生や中学生及び高校生に街で出会っても、我が家の子供達が小、中、高校生の時を思い出しません。不思議です。

「何故かな」、と鶴岡行きの帰宅バスに乗りボンヤリと考えました。私の記憶が正しければ、我が家の子供達は3歳まで、私が帰宅すると何時もニコニコしながら玄関に迎えに来たように思います。

そして、会話に否定形を使わず、私が頼むことを何でもよく聞いて行った記憶があります。

そのようなイメージが強く私の脳裏に記憶され、2歳から3歳までの子供を見ると、我が家の子供達が小さかった時が浮かぶのかと思います。

かつて「乳幼児は、自分一人では生きて行けないので本能的に親に好かれる行動をとる」と『育児の本』で読んだ記憶があります。その時は「なるほど」と思いましたが、「本能って何だろう」と今、思います。

分かったようで少し考えると本質的にはよく分からないことも多そうに思いました。

2、3歳児を連れた親子に会うと何故かホッとし、頬が緩みホノボノとした気持ちになります。「これは、何故なのだろう」とふと思いました。「これも本能なのかな?」。「本能って何」、色々と不思議です。

『家庭の力』(安岡正篤 一日一言)

「家庭というものは全く人間生活の基礎であり民族興亡の依所(よりどころ)でありますから、これを出来るだけ正しくし、美しく、力強くしてゆかねばなりません」。

「その為には、なるべく家族水入らずの気安さ、小じんまりとした手入れの届く住宅、決して贅沢でない衣食、静かで、考える余裕のある生活、濫(みだ)りにならぬ社交が必要であります」。

「家庭を失いますと、人は群集の中にさまよわねばなりません。群集の世界は、非人間的世界です」。

「人は群集の中で却(かえ)って孤独に襲われ、癒やされることのない疲労を得るのです。これに反して良い家庭ほど人を落ち着かせ、人を救うものはありません」。

『家庭の力』、重要に思います。

2021-10-25

敬愛塾「我づくり」研修会、『一灯破闇』

「私たちは、修養を通して己を一層高め、もって一燈を点して、国家の一隅を照らし、各々の分に随って、それぞれの家を斉え、郷土を興し、祖国の繁栄に寄与するよう努めます」。

これは「敬愛塾」の「綱領」です。「敬愛塾」は、約20年前、現職の小中学校教員が、自己研修することを主たる目的に設立されました。

3年前から教員以外にも門戸を開き今、15名程度で2ヶ月に一回、『月刊誌、致知』の記事を資料に研修。

今年度はコロナ禍で研修会を控えていました。10月26日、今年度第1回目の研修会を実施。資料は、『致知2021年7月号、一灯破闇』。『一灯破闇:一灯、闇を破る』は、陶芸家の河井寛次郎氏の言葉とか。資料は、何時も「巻頭の言葉」、「藤尾編集長の特集リード文」、「特集記事」の3部作。

「巻頭の言葉」は、JFEホールディングス名誉顧問數土文夫氏の「四維(しい)張らざれば、国すなわち滅亡す」。

「国に四維あり。一維絶ゆれば則ち傾き、二維絶ゆれば則ち危うく、三維絶ゆれば則ち覆り、四維絶ゆれば則ち滅ぶ」。

「何を四維と謂う。一に曰く礼、二に曰く義、三に曰く廉、四に曰く恥」。これは『管子』に記された箴言。

「第一の礼は、節度を守ること。第二の義は、自己宣伝をしないこと。第三の廉は、自己の過ちを隠さないこと。第四の恥は、他人の悪事に引きずられないこと」。

「国家ばかりではなく、地域も企業も個人も、四維の有無が盛衰を決めることを心に刻むべき」と紹介。

そして、「今こそ、私たちは礼・義・廉・恥に代表される人間の倫理・道徳に立ち返ることが重要である」と「巻頭の言葉」を終わる。

「人間の倫理・道徳に立ち返ることが重要である」、同感です。

「特集記事」は、国家基本問題研究所理事長の櫻井よしこ氏と京都大学名誉教授中西輝政氏の対談「日本を照らす光はあるか - この闇を破る筋道 - 」。

対談では、まず、「1)コロナ禍は、我が国の脆さ、危機管理力の欠如を浮き彫りにした、2)国際社会では、欧米を中心に中国包囲網が形成され自由民主主義社会の結束が高まる」を示す。

そして、「3)この激変の中での日本の役目、世界や日本の闇を破る一灯」についてお二人が持論を展開。

この対談は、「1.日本は真っ当な自立国ではなかった、2.瓦礫の車を処分できなかった理由、3.医療に求められるインテリジェンス(情報収集)、4.パンデミック(世界的流行)は軍事問題そのもの」。

「5.特筆すべき首脳の台湾問題への言及、6.戦後レジューム(体制)からの脱却をいまこそ、7.対中国で問われる企業経営者の意識、8.グローバリズムは終焉を迎えつつある」の8項目に触れる。

そして、対談は、「9.よき価値観こそが社会の一灯となる」で終わる。 

締めくくりでは、「世界情勢の闇を破るためには日本が一灯になるべきである。これから日本は、自由と民主主義、法の支配、人権という価値観を共有する国としての貢献を打ち出す。それが一灯になる」と述べる。

「日本の素晴らしさを知り、公の精神の取り戻しも闇を破る一灯になる。公の精神を生かせば、社会の闇を破れる」と提言する。

その後、多面的な意見交換。その意見の一部を紹介します。

「最近では、「公」が益々小さくなっている。言うべき時に、言うべきことは、はっきりと言うべきである」。「民主主義という、価値観を共有できる国家と連携を持たざるを得ない」。

「公の精神を活かし、一致協力して難事に対応する。これに当たっては、胆識が重要である」。「国際社会に対応するには、自分の価値観をしっかりと持つ必要がある」。

「自分は、国際社会の動きに疎かったが、世界がどのよう状況にあり、今後、どのように動くかは、常に認識している必要があると思う」。

『致知の記事』から学び、参加者の方々の意見から学んだ2時間でした。

「日本を照らす光はあるか」の対談記事を読んで、安岡正篤先生の提言が浮かんできました。

「明治時代に教育を学校教育専門にし、精神教育・人間教育・道徳教育を軽視し、知識技術一点張りで、人間もできていない秀才を輩出させたことが、現在の日本の混迷の一因である」。

「日本人は、明治以降の教育でおろそかにされている道徳教育・人格教育、それと良い躾を与えるべきだ」。

参加者の皆さんに感謝です。

『知識・見識・胆識』(安岡正篤一日一言)

「いつも申しますように、識にもいろいろあって、単なる大脳皮質の作用に過ぎぬ薄っぺらな識は「知識」と言って、これは本を読むだけでも、学校へのらりくらり行っておるだけでも、出来る」。

「しかしこの人生、人間生活とはどういうものであるか、或はどういう風に生くべきであるか、というような思慮・分別・判断というようなものは、単なる知識では出て来ない」。

「そういう識を「見識」という。しかし如何に見識があっても、実行力、断行力がなければ何にもならない」。

「その見識を具体化させる識のことを「胆識」と申します。見識というものは、本当に学問、先哲・先賢の学問をしないと、出て来ない。更にそれを実際生活の場に於いて練らなければ、胆識になりません」。

「今、名士と言われる人達は、みな知識人なのだけれども、どうも見識を持った人が少ない。まだ見識を持った人は時折りあるが、胆識の士に至ってはまことに寥々たるものです。これが現代日本の大きな悩みの一つであります」。

「胆識」、重要に思います。

2021-10-23

面接授業の特色、「地域性」と「体験型」授業

放送大学の授業は、放送、オンライン、面接の3つがあります。全国に50ヶ所の学習センター(SC)があり、各SCでは、所長を中心に客員教員の皆さん等と一緒に面接授業の計画を立案します。面接授業は、土日の2日間で行う対面授業です。

学習センターの特色を出すには、面接授業に工夫を凝らすのも一つです。所長2年目になり、少し余裕もでき、来年度以降の山形SCの面接授業の特色を考えています。

山形SCの面接授業の特色として、「地域性」と「体験型」の授業を思案中。これは、昨年度から始めた「所長と話す会」等に出席された学生さんの意見も含めて考えました。

これまでの山形SC面接授業は、ほとんどが山形SCでの座学が中心。

来年度以降は、山形市、鶴岡市、米沢市でも面接授業を少し実施し、「体験型学習」を含め3地域の特色も紹介する「地域性」ある授業を講師にお願いしたいと考えています。

その一環として、先日、加茂水族館を訪問し、館長と打ち合わせをしました。

加茂水族館でのクラゲに関する「体験型授業」も含め、クラゲに関して多面的に学習し、クラゲを中心にした加茂水族館の歴史と海辺の生き物の生理や生態及び進化についての学びを予定しています。

さらに、クラゲの飼育等の裏方業務に関しても、現場を体験しての紹介を依頼しました。全国区の「クラゲの加茂水族館」での面接授業、多くの学生さんが出席されるのを期待しています。


平日の午後、爆弾低気圧来襲で暴風雨の加茂水族館訪問。さすがにお客さんは少ないと予想しました。外れです。中部、関東、北陸、東北と東日本の県外ナンバーの車が数多く駐車。


さすが、日本一のクラゲの加茂水族館と思いました。今年8月、館長の講義を聴講。「日本一のクラゲの水族館」、さらには「世界一のクラゲの水族館」を目指した夢を描き、それを実現したとのこと。素晴らしい!!

吉田松陰先生の「夢なき者に成功なし」を思い出しました。

「夢なき者に理想なし、理想なき者に計画なし、計画なき者に実行なし、実行なき者に成功なし。故に、夢なき者に成功なし」。

来年度の面接授業を快諾していただいた夢を描き続ける館長に感謝です。

『夢と希望のある人生』(平澤 興 一日一言)

「夢を持て。希望を持て。夢を持たぬ人生は、動物的には生きていても人間的には死んでいる人生」。

『夢と希望のある人生』、なるほど・・・。夢を持ち、希望を持って人生を生き切りたいと思います。

2021-10-21

趣味の農業、「ギンナン収穫」編

鳥海山と月山が初冠雪。3日前の夕方、「今日は寒いね」と言って起きた翌朝でした。いよいよ北国に冬到来です。10日位前からハクチョウが庄内に飛来し始めています。冬の風物詩。


冬が来る前に、我が家の果樹園で最も高い木、銀杏(イチョウ)、ギンナンの収穫です。

我が家の果樹園には、銀杏の木が8本あり、一番高い木は20m位の高さ。大きな木が、敷地内にあるのは、贅沢で嬉しいことです。本日は、先日一日かけたギンナンの収穫について少し紹介します。

ギンナンの収穫、まずは、銀杏の木の下に落ちているギンナンを拾い、次に、脚立に載って高い処の枝を振るいギンナンを落とします。

山形大農学部に勤務していた頃、「振動式サクランボ収穫機」の卒論発表があり、それを思い出しました。

鉄のアームが木を掴み、「ブルブルブル」とサクランボの木を振るわせビニールシートにサクランボが落下し、それを拾う。

その時、この機械の実用は無理だと感じました。サクランボはともかく、この「収穫機」ギンナンには効果的な気がします。

落としたギンナンは、3日間水につけ実を柔らかくし、実を手で揉み実から種子のギンナンを分離。そして、種子を綺麗に水洗いし、「香しい匂い」がなくなった処で、天日乾燥。最後は、袋詰め




この「手揉み作業」、何か良い方法がないかと考えています。

ギンナンの収穫を通じ、ギンナンの大きさは、木により差異があり、同じ木でも枝により差異があることを発見。また、大きな実からは大きなギンナンが採れます。木及び枝によるギンナンの大きさは何に起因するのか今、研究中。

袋詰めにしたギンナンは、我が家で食すると共に、お土産にも使います。割と好評で、冬までには、もう一度、ギンナンの収穫に汗を流す予定です。

収穫の秋、良いです。秋の清々しい一日、穏やかな気持ちでのギンナン収穫、いい汗流しました。「穏やかな気持ち」、重要に思います。「趣味の農業」、楽しんでいます。

『いつも明るい顔で』(平澤 興 一日一言)

「実際のところ、嬉しいときに嬉しい顔をしておるのは、これはもう誰にでもできるのでありますが、色々嬉しくないことがあります」。

「そういう場合にでも決して慌てず騒がず、他の人が見ると全く平和な日と同じように見えるような顔、そういう顔を実際に私の周囲でも知っております」。

「これは平凡ではありますが、ある意味では人間の修練の最後の段階かもしれません」。

「したがってそれは、ぼけてそういう顔は駄目なのであります。同時に安らかな顔ではありますが、絶えず求めている、絶えず人間としての向上を目指さないところには、そういう明るい顔は出ないのであります」。

「退屈をするような人間にはやはり退屈の表情しか出ないわけであります」。

なるほどと思います。『いつも明るい顔で』、重要です。肝に銘じます。

2021-10-19

思索の秋、「情緒」と「教育」について考える

放送大学では、大学の学部に相当するのがコースです。「生活と福祉コース」を含め6つのコースがあります。山形学習センターには、このコース卒業者を対象にした同窓会があり、年に2回会報を発行。

今年度から毎回、この会報の「巻頭言」を執筆することになり、10月発行の会報に「思索の秋、「情緒」と「教育」について考える」を記しました。「巻頭言」の内容、色々と悩みましたが、その駄文を掲載します。

今年は、秋の夜空、中秋の名月を堪能しました。これから秋本番。秋は、味覚の秋、スポーツの秋、読書や思索の秋です。

前職の山形大学では、国際交流も担当し、諸外国の大学との国際交流のため海外出張。さらに、海外の友人達との協同研究も含め、これまで約30ヶ国を訪問。

そして、海外出張では、何時でも、明日、帰国すると思うと嬉しくワクワクしました。日本に生まれたことを嬉しく思い、祖国が日本であることを誇りに思います。

今まで日本と日本人のことを心配した多くの日本人がいました。秋の夜長、最近、再読した書籍で日本と日本人の今を心配した人とその意見を少し紹介します。

世界的数学者、明治34年(1901年)生まれの岡潔先生もその一人です。先生は、「情緒は日本人固有なものであり、それは、小学校の時期に形成される」。

「情緒の中心の調和がそこなわれると人の心は腐敗する。社会も文化もあっという間にとめどもなく悪くなってしまう」、と「情緒」の重要性を指摘する。

そして「人の欠点しか見えないのが小人であり、人の長所しか見ないのが君子です。明治維新までは君子を作り小人を作るな、というのが教育の要諦であった」、と明治以降の近代化教育のあり方に疑問を呈する。

また、お茶の水女子大学で数学教育に従事された藤原正彦さんも日本と日本人の今、さらには世界の現状を憂う一人。

著書『国家の品格』で「「現代世界の当面する苦境」の一つの解決策として、日本人が古来から持つ「情緒」、あるいは伝統に由来する「形」を見直そう」、と提言する。

そして、「「情緒」を育む精神の形として「武士道精神」を復活すべきと考えている。この武士道精神の中には慈愛、誠実、忍耐、正義、勇気、惻隠などが盛り込まれる。惻隠とは、他人の不幸への敏感さ。そして「名誉」と「恥」の意識もある」、と「情緒」を育む上で「武士道精神」の復活を強調する。

さらに、「情緒と形」は、「1.普遍的価値である」、「2.文化と学問の創造である」、「3.国際人を育てる」、「4.人間のスケールを大きくする」、「5.人間中心主義を抑制する」、「6.戦争をなくす手段になる」、と「情緒と形」を大事にする理由を述べる。

また、東洋哲学の泰斗、明治31年(1898年)生まれの安岡正篤先生は、「明治時代に教育を学校教育専門にし、精神教育・人間教育・道徳教育を軽視し、知識技術一点張りで、人間もできていない秀才を輩出させたことが、現在の日本の混迷の一因である」 と述べる。

そして、「日本人は、明治以降の教育でおろそかにされている道徳教育・人格教育、それと良い躾を与えるべきだ」、と今後の教育について提言する。

先生は、学問し、教養を身に着ける意義を「荀子」の箴言から紹介する。「学問するのは、立身出世等のためではなく、どんな心配ごとがあってもへこたれず、何が禍いで何が幸福かを知り、人生の複雑な問題に直面しても、惑わないためである」。

学問は知識を修得するだけでなく、人物を作ることだとの教え。学問をし、教養を身につけ人物を作る、重要に思います。

ベトナムで会った女子学生が、「山形大学で学びたい」と言った理由を思い出します。それは「日本人は、誠実で勤勉、正直で努力する。そのような日本精神を学びたい」。「日本精神を学びたい」、この一言、心に残っています。

「教育」は国の礎。日本が他国から尊敬される国であって欲しい。教育、重要に思います。秋の夜長、上述の助言をゆっくりかみしめ、卒業生の皆さんと「情緒」と「教育」の重要性について一緒に思索したいと思います。

「情緒」と「教育」、今までも、今も、これからも重要に思います。

『高邁な人』(安岡正篤 一日一言)

「粗忽(そこつ)・がさつは最も人格の低劣を表す。高邁(こうまい)な人格は、いかに剛健・活発にみえても、その人のどこかに必ずしっとりした落着きや静けさを湛(たた)えているものだ」。

「しっとりした落着きや静けさを湛えている高邁な人格」、『高邁な人』、いいですね。

2021-10-17

荘内大祭、「荘内藩伝承大名行列」に参加

鶴岡は、旧庄内藩、藩主は酒井家。信濃松代藩より酒井忠勝侯が、約14万石で庄内に入部し、庄内藩を立藩したのは、今から399年前の1622年。来年は、入部400年の記念すべき年です。

現在、旧庄内藩酒井家第18代当主は、酒井忠久氏。

例年、荘内大祭「荘内藩伝承大名行列」は、8月15日に開催されていました。この「大名行列」、最近の猛暑により、今年度から秋、10月6日に日程を変更して開催。

これは、明治10年、荘内神社の創建を記念し、旧藩主を慕う庄内一円の人々の創意により始められたお祭り。以来百数十年に渡り、市民が一丸となり奉仕する祭りとして、鶴岡を代表する伝統行事とのこと。

これまでは、約400名の大名行列でしたが、今年度は、コロナ禍により、80名の行列に縮小。

我が家族が、14年前からお世話になっている松ヶ岡、明治初めに3000人の武士が、約300haの荒野を開墾して作られた集落。荘内大祭には、毎年、「藩主の警護侍」として、「大名行列」に奉仕参加。

松ヶ岡には、春と秋にお祭りがあります。その当番が当家と当家組。大名行列に奉仕参加する松ヶ岡の人は、この当屋組。今年度は、当屋組が我が家にも回ってきて、私も「大名行列」の侍として行列に参加。

12時30分に松ヶ岡を出陣し、荘内神社の参集殿衣装を着ける。そして記念撮影。


従来の「行列」は、荘内神社から鶴岡市内を回って、荘内神社に戻る長距離コースでしたが、今年は、荘内神社の参道を歩く短距離コース。

荘内神社の宮司さんから「大名行列」、侍の歩き方を教授。左手は刀の鞘に置き、右手は右腿に着け、腕を振らずに歩く。新たな学び、新鮮でした。

「荘内藩伝承大名行列」、衣装の準備等も含めた裏方さんの大変さの一端が、分かった気がしました。

今年度は、youtube配信。「大名行列」は、『youtube庄内大祭』で見られます。藩主を護衛している藩主左の「凛々(りり)しい侍(?)」が私。当家組は、9組あり、次回は、9年後です。

伝統行事は、歴史の学びにもつながり、良いです。関係各位に感謝。

『縁尋機妙 多逢聖因』(安岡正篤 一日 一言)

「良い縁がさらに良い縁を尋ねて発展してゆく様は誠に妙(たえ)なるものがある(えんじんきみょう)」。

「いい人に交わっていると良い結果に恵まれる(たほうしょういん)。人間はできるだけいい機会、いい場所、いい人、いい書物に会うことを考えなければならない」。

 「縁」、重要に思います。「縁尋機妙 多逢聖因」、大切にしたいと思います。