2022-06-29

広報活動、「人集め」について考える

本日は、広報活動、「人集め」について少し記します。これは、放送大学の広報活動を通じた入学志願者の増加等とも関連します。

2021年度の私立大学・短期大学等入学志願動向によると、入学定員充足率が初めて100%を下回り、未充足校の割合は、約半数とのこと。

18歳人口が、直線的に減少している今、主として18歳人口を入学志願者の対象としている大学等では、さらに入学定員未充足校が増加すると予測されます。

我が放送大学、通信制の私立大学、大学経営における入学志願者数は重要です。中間管理職の学習センター所長業務の一つは、志願者増加に向けた広報活動。

放送大学の学生さんの年齢は、10代から100歳代と巾が広く、18歳人口が主たる対象の通学制大学とは、入学志願者の対象が異なります。

私が28年間お世話になった山形大では、放送大学の授業を活用した自己研修制度があるという話を聞いていました。

詳細を調べてもらうと「山形大学事務系職員放送大学活用研修」との制度で、各学期最大18名まで大学の支援により研修が可能とのこと。

早速、厳選した資料を持参して工学部と農学部を訪問し、学部長及び事務長にその話を紹介。そして、事務職員の研修推薦を依頼。この研修に5回参加した職員もいて、広報活動の重要性を再認識しました。


「人集め」の難しさは、これまでに色々と経験。約15年前の農学部長の時は、大学入試前期倍率3倍以上を数値目標に「入試倍率3倍委員会」を立ち上げ、優秀な若手の教員に対応を依頼。

依頼した優秀な教員の尽力で、私が農学部長の時は、平均倍率3倍を維持。懐かしく思い出します。

さらに、大学院修了時からほぼ毎年30年間、学会で友人と小集会やシンポジウムを企画。ここでも「人集め」について多面的に学びました。

このような企画で人が集まるには、1)テーマが多くの研究者の興味を引く、2)講演者が興味深いテーマで活発に研究している、3)多面的な広報活動を行う、この3つが少なくても重要に感じました。

このような集会を企画して、会場一杯の参加者となり、熱い議論が繰り広げられると思わず頬が緩み、企画者冥利を感じます。

放送大学広報活動、これから「夏の陣」、色々と戦略を考えながら多面的な活動を実施し、楽しい出会いも期待しています。本日は、「広報活動、「人集め」について考える」を紹介しました。

『えがお』(平澤 興:一日一言)

「顔は心の窓というが、えがおであいさつするには少なくとも三つのものが要(い)る。即ち美しい心と、正しい心と、強い心である」。

「心がにごっていたりまちがっていたり、自分の気持ちに勝てないようでは、美しいえがおは持てない」。

広報活動でも「えがお」、重要に思います。「えがおであいさつする」、肝に銘じます。

2022-06-27

天風会行修会講話:『生存と生活の真意』

昨日、「天風会」の対面とZoomを使ったハイブリッドの「行修会」が鶴岡で開催されました。本日は、天風会と昨日の行修会での講話、『生存と生活の真意』について少し記します。

「人生は、心一つの置きどころ」、「天風会」創設者、中村天風先生の教えの一つです。

「人間の心で行う思い方、考え方が、人生の一切を良くもし、悪くもする、というのが人生支配の根本原則である」。

「思い方や考え方が積極的であれば、積極的なものが出来、消極的なら消極的なものが出来る。何事においても、そのときの心の状態が、成功を生み、また失敗に追いやる」。

天風先生は、1876年(明治9年)に生まれ、43歳の1919年(大正8年)、独自の心身統一法を編み出し「天風会」を創設。

ヒマラヤ山中で8年間ヨガ哲学を修行し、「人間は誰でも、この世の進化と向上とを実現するために生まれてきたのだ。積極的な精神が人生を変え、運命を変える」との真理を導き出す。

この「天風会」、日本海海戦の東郷平八郎元帥や真珠湾攻撃の山本五十六元帥、さらには元西武ライオンズの広岡達郎監督等々、多くの著名人も門下生として学んでいます。

私も8年前に庄内に創設された「天風哲学研究会」に5年間お世話になり、「天風哲学」を学習。この「研究会」は、3年前に「天風会仙台の会」へと発展的に解散。

昨年度から「仙台の会」に入会し、毎月1回の「オンライン行修会&講習会」で「天風哲学」の学びを再開。

昨日は、御年90歳の先生が講師。ある研究会での下述の話をもとに「生存の尊さ」を紹介。

「ある夫婦が娘を授かった。その娘は重度の脳障害者。母親は、授かった娘を大事に育てていた。3年後に息子を授かり夫婦と子供2人で生活」。

「娘の同級生が小学校に入学する時期になったが娘は、脳障害のために小学校に入学できない。この娘の将来を考えた時、一人で生きて行くのは不可能と思え、母親と子供2人で電車への飛び込み自殺を考える」。

「2年間、自殺を考えつつ日々を暮らし、鉄橋から飛び込もうとすると長男が「寒いから帰ろうよ」、と言い自殺の機会を逸する日々」。

「そんな長男が、あるとき「お姉ちゃんは、家の宝物だね。それは母さんが、何時もお姉ちゃんを大事にしているからだよ」と一言。母親は、それを聞いて親子3人で生き抜くことを決意した」、とのお話し。

このケースストーリーをもとに「生存の尊さ」を紹介。

私も10代の頃、「生きることの意味」について悩み考え続けた時期がありました。その時、シュバイツアー博士の「生命の畏敬」に遭遇。それは、「生きること、生き続けることそれ自体が素晴らしい」との教え。

シュバイツアー博士もアフリカのジャングルの中で「生きることの意味」を考え続け、夜明け前にふと「生命の畏敬」が浮かんで来たとのことでした。

日々忙しく生活している今、「生存の尊さ」を再認識した講話に色々と感じました。

「生存の尊さ」、大事にしたいと思います。講師の先生に感謝です。

『心一つで』(平澤 興 一日一言)

「心一つで、見るもの聞くものが美しくなり、心の曇りの被害者が、誰よりもまず自分だということを思うと、自分の幸福のためにも、また、周囲の幸福のためにも、何とか自分の心の鏡はいつも美しくしておきたいものである」。

『心一つで』、「心の鏡」は、美しくしておきたいと思います。「天風哲学の学び」、楽しみます。

2022-06-25

居酒屋放浪記:『信州松本編』

「私は、男は、いやもちろん女もそうだけれど、時々一人になる時を持つことは大切と思う。会社も友人も家族も、すべてのしがらみから離れ、一人でぼんやりする。何か考えても良いが、考えなくても良い」。

「男が一人になって何をするかといえば、それは酒を呑むのが一番ふさわしい。居酒屋の片隅で、何も考えず一人、盃を傾けぼんやりする。人嫌いで山に登るのとは違い、あくまで市井の、他人のうず巻く町の中にあって孤独を愉しむのである」。

「男が会社の帰りに一杯やるのは、会社の集団的時間の熱気をそのまま家庭へ持ち帰らないための、クールダウンであり、また次に家庭という集団へ入るための、束の間の自己解放なのだ」。

これは、太田和彦さんの『超・居酒屋入門』の一部抜粋。

全く同感です。しかし、今の私の生活では、「男が会社の帰りに一杯やる」は、ほぼ現実的でなく、「クールダウン」や「束の間の自己解放」は夢物語。

「居酒屋放浪記」に憧れていますが、コロナ禍の今、それが実行できる機会はありませんでした。そんな中、先日、所用で信州松本を訪問。午後1時30分から3時間の所用を終えホテルでチェックイン。

早速、フロントで「信州松本居酒屋マップ」を入手し、少しウキウキして「居酒屋放浪」のお店を探索。

「味ごころ やっちゃん」とのお店が目に留まる。私はかつて「やっちゃん」と呼ばれた時もあり、まずは、「やっちゃん」訪問に決定。「やっちゃん」では、冷や奴とお造りを注文して、地酒をグッと一杯。


「一人でぼんやりする」雰囲気でもなく、美味しい地酒を一杯飲み干して出港。「居酒屋放浪記」、「放浪」も必要。次の居酒屋を求めて「放浪の旅」。「松本 つなぐ橫丁」を発見。いくつかの居酒屋が一階のフロアにある「屋台村」。

とても賑やかで「一人でぼんやりする」雰囲気はなし。信州の名物を食すことに目的を変更して入港。お店の評判料理を食し、ハイボールを一杯クッと飲み干し満足して出港。さらなる放浪の旅をどうするか一瞬躊躇しましたが、長旅の疲れによりホテルに直行。

「居酒屋の片隅で、何も考えず一人、盃を傾けぼんやりする」。「居酒屋放浪の難しさ」を実感。

鶴岡の行きつけの割烹は、カウンターで「一人でぼんやりする」雰囲気があり、そこを思い出しました。この雰囲気、重要です。マスターの人柄とお客の相互作用が、この雰囲気を醸し出すのかも知れません。

鶴岡に帰ったら、その割烹を訪問し、マスターと少し言葉を交わしながら「一人でぼんやりする時間」を楽しみたいと思います。

前述の太田さんは、『居酒屋放浪記 立志編・疾風編・望郷編』の著者でもあります。

『居酒屋放浪記』は、太田さんが全国の居酒屋を訪れ、美味しい郷土料理や地酒を楽しみ、その「ウンチク」を記した書。そこには、良い居酒屋の見つけ方が記されていました。

「居酒屋放浪」初心者の私、帰宅後は再度、『居酒屋放浪記』を読み直し、次回「放浪」の準備をしたいと思います。

「孤独を愉しむ居酒屋放浪」、簡単ではないですね。楽しみは、次回に持ち越しです。松本の夜、それなりに楽しみました。

『笑いと成長』(平澤 興 一日一言)

「ある人が申しました。どこまで笑って暮らせるかということで、その人の人間としての成長がわかると」。

「ある人は80のところでもう怒ってしまう、ある人は70のところでへこたれてしまう、ある人は95くらいのところまでは我慢できる等々です」。

「どこまで我慢できるか、どこまで心の平和を保つことができるかというような高さが、その度盛りが、人間の成長度を示す」。

「どこまで我慢できるか、どこまで心の平和を保つことができるか」、簡単なようでそうでもないと思います。『笑いと成長』、胆に銘じます。

2022-06-23

元気な小学生と大けやき

先日、村山地域の小学校を訪問して、校長先生に面会し、放送大学を紹介。その小学校は、お城の中にあり、校舎の前に大きなケヤキの木がありました。本日は、「元気な小学生と大ケヤキ」について少し記します。

校長先生から校長室で『仰ぎ見るものがある幸せ』の下述メッセージが記してあるカードと、児童が描いた「大けやき」の絵葉書6枚をいただきました。

「大けやきは圧倒的です。一粒の種が大地に落ちてから現在まで、いったい何を見、何を経験してきたのか。やわな想像を跳ね返すほど、大けやきは絶対的な存在として静かに見下ろしてきます」。

「人間は、人間以外のものを跪(ひざまず)かせるように発展を遂げてきました。おかげでとても便利で安全でわかりやすい社会になりました」。

「なのに、大けやきが見てきた中でも、最も恵まれた生活を送っているはずの私達が、文明の発展ほどには「幸福」を実感できないのはなぜでしょう」。

「本校に大けやきがあることの教育的意義は、子供の心に「仰ぎ見る存在」を作ってあげられることだと考えます」。

「大いなる存在に畏敬の念を持ち、自分のちっぽけさを思うと同時に、ちっぽけな「生」の持つ可能性や、ちっぽけな「生」を輝かせて生きることの素晴らしさを、子供達に伝えられたらと思っています」。

「大いなる存在に畏敬の念を持つ」、「ちっぽけな「生」を輝かせて生きることの素晴らしさ」、いいですね。

この大きなケヤキについて少し調べました。

これは「東根の大ケヤキ」と呼ばれ、樹齢1500年以上の大木だそうです。南北朝時代(1347年)に小田島長義が築いた東根城内に植栽されたものと伝えられ、現在は、樹高28m、根回り24m、目通り周囲16m。

とてつもなく大きい木です。小学校では、元気な子供達が楽しく遊んでいました。元気いっぱいの小学生、いいですね。

この小学校では、児童が登校時は、「大ケヤキ」に「おはよう」、下校時は、「さようなら」と挨拶しているとのことでした。何となくわかる気がします。樹木もこれだけ大きくなると神々しさを感じます。

大けやきと元気いっぱいの子供達からエネルギーをもらいました。感謝です。

『最も伸びる人』(平澤 興 一日一言)

「私は人間が真に事をするにはただ秀才、鈍才というような能力だけではなくて、むしろそれよりも大事なものがあるのではないかと思います」。

「それは人柄です。その人柄のうちでも、なにが一番大事かというと、どうも誠実ということかと思います」。

「「誠実ということだけではいかんよ。そう簡単ではないよ」といわれる方もいますが、大局的に長い目でみますと、やはり、誠実な人柄が最も伸びるんではないかと思います」。

『最も伸びる人』、誠実な人柄、なるほどと思います。誠実、重要です。

2022-06-21

2022年6月19日、「父の日」の思い出

「今日は「父の日」です。特攻隊員の中には幼い子どもを残して出撃した「父」もいました。家族の絆・感謝の気持ちについて改めて考えたい」と、「知覧特攻平和会館」HPに記してありました。

これまでに大東亜戦争時の陸軍特別攻撃隊基地、鹿児島県知覧を2回訪問しました。

そこには今、「知覧特攻平和会館」があります。そして、戦争末期の沖縄戦で飛行機もろとも敵艦に体当たり攻撃し、散華された陸軍特別攻撃隊員の遺品や関係資料が展示。遺書を読むと涙が流れます。

訪問時に館長の講話を聞きました。特攻隊員の中には、「お母さーん」と叫んで、敵艦に体当たりした隊員はいたが、「お父さーん」と叫んで体当たりした隊員は皆無とのことでした。何となく理解できます。

本日、6月19日は、「父の日」。「父の日」の思い出について少し記します。

我が家の父の日、まずは「父の日、特別夕食」を楽しみました。そして、5人の子供達と家内からの「父の日プレゼントとメッセージが記された手紙」をもらいました。

大学教員時代の私は、家庭や家族を顧みず、土日も大学に出かけ、我が家は、母親と子供達の「母子家庭」。長男が小学生の時、友人が「お父さん、いるの?」と聞いたとか。

2022年6月19日、「父の日」、「私へのメッセージが記された手紙」を読み涙腺が緩みました。

「元生態学の研究者」、生態学は、野外で見られるパターンを発見し、それが生じる機構を解明します。

例えば、ある生物の数の変動を10年間調べると高密度で変動が激しい生物もいれば、低密度で変動が少ない生物もいます。このようなパターンを発見すると、次はその機構の解明です。

「元研究者」として、5人の子供達の手紙の類似点、パターンの発見に興味を持ちました。娘3名、息子2名。年齢も性別も違いますが、概ね「簡潔に今まで、今、これからの事」を記しているのが共通項。面白い。

そして、私との思い出、私への期待、私への感謝。例えば、「新しいことに果敢に挑戦する父のようになりたい」、「何時までも熱い男でいて下さい」。

「父さんから遺伝した「ええ加減」、周囲の評価が高いです。子供は、「ええ加減」で伸び伸びした子供に育てたい」、「日々、「幸せだな~」と口にする父を見て、そんな家庭作りを目標にしています」、「あと8年は学生なので父上には、もう一頑張りお願いします」等々。

子供達の成長を感じながら、これからの我が人生を考え、渋沢栄一氏の「天意夕陽を重んじ、人間晩晴を貴ぶ」を思いだしました。氏は、この言葉を晩年に好んで揮毫したそうです。

これは、「太陽は一日中働き、沈む瞬間に鮮やかな光を放つ。夕陽があんなに美しいのは、天がそういう生き方を賞賛しているからである。人間もまた夕陽のように、晩年になればなるほど晴れ渡り、残照で周囲を照らすような生き方がよい」との教え。

「天意夕陽を重んじ、人間晩晴を貴ぶ」を目指し、「世のため人のために生き、魂を磨き人格を高め、人間性を豊かにする」ことを胸に、これからの人生を楽しみたいと思います。

「2022年6月19日、「父の日」の思い出」。「父の日」、いいですね。家族に感謝です。

『人間の成長・家庭の力』(安岡正篤 一日一言)

「人間は、妻子を持ち、友を知り、多くの人と交わり、ある程度の年齢に達して、ようやく本当の意味での学問・求道ということがわかり始めます」。

「家庭というものは全く人間生活の基礎であり民族興亡の依所でありますから、これを出来るだけ正しく、美しく、力強くしてゆかねばなりません」。

「その為には、なるべく家族水入らずの気安さ、子ぢんまりとした手入れのとどく住宅、決して贅沢ではない衣食、静かで、考える余裕のある生活、濫(みだり)にならぬ社交が必要であります」。

「家庭を失いますと、人は群衆の中にさまよわねばなりません。群衆の世界は、非人間的世界です。人は群衆の中で却って孤独に襲われ、癒やされることのない疲労を得るのです」。

「これに反して良い家庭ほど人を落ち着かせ、人を救うものはありません」。

今までも、今も、これからも『家庭の力』、重要に思います。

2022-06-19

第3回人間学を学ぶ、「熱い講演に感動」

「人生を如何に生きるか」との命題は、私たちにとり重要な問題の一つです。私たちの多くは、忙しい生活に追われ、人生について考える時間が少ない。

『市民講座:シリーズ人間学を学ぶ』の趣旨は、講演者が歩んできた人生等を紹介し、その学びを通じ、参加者の皆さんが自らの人生を考える一助にすることです。

本講座では、多くの皆さんが、忙しい中で生活している今、ちょっと立ち止まり、少しの間、生涯の学びの一つ「生きること」を一緒に思索できれば嬉しい。

このような背景と趣旨で始めた『シリーズ人間学を学ぶ』、第3回が終了。「熱い講演に感動」、その一端を紹介します。

演題は、「最大の危機こそ最良のチャンス ~人、しごと、マインドで今と未来を生きる~」。下述のような講演概要です。

「人生には様々な困難が待ち受けていますが、それが飛躍のチャンスです。その機会をどのように捉えて、解決すべき課題を明確にして何をなすべきかを考え抜き、継続して実行していく事が大切です」。

「組織内部で解決できない場合は、外部に解を求めて他機関と連携して迅速に解決するべきです。信頼できる人を見つけ出し、正直に熱意をもって話し、共創体制を作る事が肝心です」。

「ビジョン、熱意、行動力が現状を変え、ゴールは事業によって人々を幸せにすること」。

「同時に事業を継続するための組織形成も大切です。次世代を担う多様な人材を登用して柔軟な組織を作り上げる事です。大学の研究拠点創りを題材に、あるべき姿は何かを考えます」。

「どんな人と人生を共有したかが重要である」として、「人生を変えた人物」10名紹介し、10名の方々から学び実践した教え等に言及。

例えば、ある社長からの学びとして、「自ら「元気」を奮い立たせば1年かけてもできなかったことが半年でできる!」、「逃げずに「勇気」をもって立ち向かえば半年かけても出来なかったことが一日でできる!」、「その繰り返しが皆さんそれぞれの「夢」に繋がる!」。

「人生の結果=考え方×能力×熱意。この3つの要素の中で一番大切なものは正しい考え方。人の為。熱意を持って行動することがなければ結果は出ない。能力は日々地道に考え抜き、必要に応じて素直に学ぶ」。

また、「幸せとは7育の充実に基づいた人生プランの結晶」であるとして、「ライフマネジメント式」を紹介。

7育とは、知育、徳育、体育、家育、遊育、美育、財育の7つ。

知育:知識を習得するための取組。徳育:道徳と自律を習得する取組。体育:心と体の健康のための取組。家育:家族のあるべき姿を考え、思いやり、感謝し、尊重し、支え合う取組。

遊育:リフレッシュ力の醸成や集団行動及び仲間つくりの取組。美育:美しいものに感動する力の醸成、感性の育み、考えや行動の美学向上。

財育:人生のマネジメントに必要な財に関する計画力、管理力、自己制御力。

そして、7育の「例」も紹介

出席者から次のような感想。「私は経営者でもあるが、経営者は正しい心を持てという言葉が、自分にも自信を持てる気持ちになりました。良いサークルを持つ(友人から学ぶ)との言葉に動かされた」。

「熱い熱意を感じました。EQ:人間力を向上させる、大変重要なこと思いました」。

「自分の目標をしっかり考えたことがなかった。それは当然、戦略も何も生まれるわけがないので、まずは自分の目標を考えたい。まずは、行動ということで、今日から行動を少しでも変えて行きたい」。

「多くの人に聴いて欲しい、聞いてもらうべき内容である」。

私は、「高齢者は、若者に養ってもらうのでなく後期納税者として生涯働くことも重要である」との言葉も心に残りました。元気と刺激を受けた1時間、「熱い講演に感動」。人間学、学びました。感謝です。

『成功は苦辛(くしん)の日に』(安岡正篤 一日一言)

「先賢が教えてくれている──愚はよく他の欠点を挙げるが、自己の欠点を知らない。話はうまいが、行いはつまらぬ」。

「若い時はうかうかして過ぎ、壮時(そうじ)にはせかせか動き廻り、老年には愚痴ばかりになり易い」。

「正に、敗事は多く得意の時に因(よ)り成功はつねに苦辛の日に在る。やはり平生能(よ)く道を聞くことだ」。

『成功は苦辛の日に』、なるほどと思います。肝に銘じます。

2022-06-17

二宮尊徳翁からの学び

先日、小学校を訪問しての広報活動の時、正門横に二宮尊徳翁の銅像を発見しました。私が卒業した島根の田舎の小学校、校門横に尊徳翁の銅像がありました。本日は、尊徳翁について少し記します。

内村鑑三は、英文著作、Representative Men of Japan(代表的日本人)の一人として西郷隆盛や上杉鷹山等と一緒に二宮尊徳翁を紹介しています。尊徳翁は、代表的日本人の一人です。

寺田一清さんの『二宮尊徳一日一言』に尊徳翁について下述のような記述がありました。

「尊徳は、1787年に神奈川県小田原市に生まれ1856年69歳で逝去。名は金次郎」。

「生家は豊かな農家だったが、14歳で父を、16歳で母を亡くし、親戚の家に預けられる」。

「諸家の農事を手伝いながら、24歳までに一家を再興した」。

「その後、小田原藩家老服部家の家政再建に成功。藩主大久保忠真から分家宇津家の桜町領の財政再建を命じられると、開墾を奨励、水利事業等を行い、税収を倍増させた」。

「その評判が広まり、600以上の大名旗本家の財政再建及び農村の復興事業に携わる」。

「天保13年(1844年)には水野忠邦に抜擢されて士分になった」。

「尊徳の唱えた「勤倹、分度、推譲」の思想は戦前日本の模範的な倫理観とされた」。

薪を背負って書を読む尊徳翁の銅像、その書は『大学』。「一家仁なれば一国仁に興り、一家譲なれば一国譲に興り、一人貪戻なれば一国乱を作す。その機かくのごとし」の頁とのこと。

富田高慶氏が『超訳報徳記』との書を記しています。その一部を紹介します。

「尊徳翁は、仕法という再建計画によって、衰退した地域の再生に心力を尽くしました。人命を救うとともに財政の改革や村々の復興を指導し、その数は六百を超えています」。

「活動の中で、リーダーの果たすべき役割と困難に直面した人びとに対して、どのように生きるべきかの教えも残しています」。

「尊徳翁は、地域復興に当たって「至誠」「勤労」「分度」「推譲」を改革の柱として、人びとに自立を奨励し、相互扶助を求めていました。こうした業績と尊徳翁の教えを記した伝記が、富田高慶の『報徳記』」。

また、多くの経営者が尊徳翁から影響を受けたとのこと。

例えば、渋沢栄一は、「私は、あくまでも尊徳先生の遺されたる四ヶ条の美徳(至誠、勤労、分度、推譲)の励行を期せんことを希(ねが)うのである。まず至誠は実に大きな力で、至誠を以て事に当たるときは単に智力、武力をもってするよりも幾倍効果があるものである」。

尊徳翁の箴言の一つに「積小為大(せきしょういだい)」があります。意味は「小さい事が積み重なって大きな事になる。だから、大きな事を成し遂げよう思うなら、小さい事をおろそかにしてはいけない」。

心に留めたい箴言です。『報徳記』を再読し、尊徳翁の生き方を再度、学びたいと思います。

『陶冶する』(安岡正篤 一日一言)

「最高の教育を受けた人間も、その後の自己陶冶(とうや)を缺(かい)いては、立派な人間には成り得ない。ごく劣悪な教育も、自己陶冶によっては、なお改善され得るものである」。

「いかにも人間は陶冶次第です。「陶」というのは、焼物を造る、「冶」というのは、冶金(やきん)の冶で、金属を精錬することであります」。

「土を粘り、焼いて、陶器を造る。鉄を鍛えて鉄器を造るようなもので、人間もやはり、焼きを入れ、鍛えるということをやらなければ、ものになりません。いくつになってもそうであります」。

『陶冶する』、肝に銘じたいと思います。

2022-06-15

「放送大学紹介の旅」、6月中旬置賜編

放送大学は今、2022年度2学期10月入学の学生募集中です。出願期間は、6月10日から9月13日まで。6、7、8月の業務は、「放送大学紹介の旅」です。県内の関係機関を訪問し、情報を交換しています。本日は、広報活動「6月中旬置賜編」を少し紹介します。

まず、訪問前に放送大学広報課が取りまとめた『広報・学生募集活動、「虎の巻」』を再読し、広報活動の要点を再確認。この「虎の巻」、参考になることが多々あります。

「虎の巻」イワク、「最終的に、直接の対面による相談や、本学の優れた教育内容・方法・環境・学費等の丁寧な紹介が出願に繋がる」、なるほど。「直接の対面による相談」、重要ですね。

「広報する情報としては、学習センターの魅力、ユニークな面接授業科目、在学生や卒業生の入学前から現在、将来を展望したストーリーや活躍の紹介」、なるほど。「学習センターの魅力」、必要ですね。

『ミニ知識!広報活動のノウハウ』には、「訪問の前にアイスブレイクのネタを収集!:訪問前に、訪問先のHPをチェックし新しいネタに関する話を本題に入る前に触れると、好感を得られやすい」、なるほど。「新しいネタ」、重要ですね。

『カメレオン営業でいきましょう!』には、「優秀な営業マンは、相手を不快な思いにさせません。相手の話だけでなく、態度や表情を読み取り柔軟に対応しましょう」、なるほど。相手も楽しく、こちらも楽しい、ウイン・ウインの関係、必要です。

「虎の巻」を復習後は、最小限の資料を厳選し、この資料を市長、教育長、校長先生等に簡潔に説明して、関係者への回覧を依頼。そして、多面的な情報や意見を交換し、次の訪問先に向かいます。

この資料は、訪問相手により変更。


中学校の校長先生から教育現場の現状の一端を紹介してもらいました。タブレットを用いた授業が中学校で進みつつあるとのこと。

タブレットの活用があまり進んでいないと思われる校長先生は、「コロナ禍以降、タブレットを用いた授業が奨励されているが、教員は忙しくて対応が難しい。放送大学でタブレットを用いた授業のやり方等の講座があればすぐにでも聴講したい」。

一方、タブレットを用いた授業を積極的に実施されている校長先生は、タブレット授業の良さも紹介。

「タブレット授業では、欠席した生徒が自宅で受講することも可能で、それは利点に思う」。

「また、AIを活用したタブレット授業では、採点と解答へのコメントが瞬時に行われ、かつての紙ベースでの授業より効率的である」。

教育現場、時々刻々と進化(?)しているようです。それらの現状の一端、学びになりました。校長先生に感謝です。

『対応の妙』(安岡正篤 一日一言)

「人は対応によって、まず決まってしまう。武道などをやると、なおさらよく分かるのでありますが、構えた時に本当は勝負がついている」。

「やってみなければわからない、などというのは未熟な証拠であります」。

「放送大学紹介の旅」、訪問者に会って2~3分話すと相手の関心等が推測可能な時もあります。『対応の妙』、なるほどと思います。

2022-06-13

海を生命の腱男児、『大島商船船歌集』

「歌は世につれ、世は歌につれ」、これは昭和の歌謡番組、司会者の口上。ふと思い出しました。

歌謡曲、いいなと思います。多くの人は、長い人生で歌に励まされ、歌に元気づけられた経験もあるでしょう。

戦後復興期、多くの日本国民は、「リンゴの唄」に励まされて生活したと『懐かしの昭和歌謡曲』で司会者が紹介していました。

♪赤いリンゴに 口びるよせて だまってみている 青い空♪

♪リンゴはなんにも いわないけれど♪

♪リンゴの気持は よくわかる リンゴ可愛いや可愛いやリンゴ♪

私も農作業の時、時々、この「リンゴの唄」を口ずさみます。良い歌です。

先日、母校の大島商船高専同窓会ホームページを覗いたら『大島商船船歌集』のDVDとCDを発売中との広告を発見。早速、注文し届きました。本日は、昔を懐かしみ『大島商船船歌集』等を少し紹介します。

今から50年以上前、外国航路の商船士官を夢見た島根の中学生が、山口県周防大島にある商船高専に入学。

入学式の鮫島校長先生の祝辞「初心忘るべからず」は、今でも記憶に残り、在校生約300人の大合唱による校歌斉唱に度肝を抜かれました。広い体育館の壁が落ちるかと思われる程の大きな声で校歌斉唱。

♪朝日飯野(いいの)の山を出(いい)で♪ 

♪黄金(こがね)の征矢(そうや)の一斉に♪

♪入道松にそそぐ時 瀬戸の朝汐高鳴りて♪ 

♪胸の若血もたぎるなる 海を生命(いのち)の腱男児♪

入学すると1、2,3年生が一室4名の縦割り部屋で共同生活。入学後3日間で5つ程度の歌を覚えるのが必須事項。その中の一つ『商船学校十ヶ条』の歌が、寮生活の一端を物語っています。

1.ねじり鉢巻き猛勉強 やった甲斐あり今日ここに 皆の憧れ商船校 

   商船士官の卵です

2.入って三日目に驚いた 何もせんのに殴られて 鏡に映った俺の顔 

     あまりの奇形に驚いた

3.甘気たっぷり故郷の ぼた餅食わんと口あけりゃ 起床ラッパに起こされて 

    極楽地獄の早変わり

4.たたむ毛布は20秒 下りる階段二段とび 顔を洗って空見れば 

     感慨無量の朝ぼらけ

7.いやじゃありませんか商船は 金の茶碗に竹のはし 仏様でもあるまいし 

     一膳めしとは情けなや

8.ボート訓練しぼられて 腕は骨折れ肉離れ 山のお猿じゃあるまいし 

    むけたお尻に赤チンキ

教官の中には大東亜戦争の元海軍士官もいて、色々と鍛えられ勉強になりました。

私の所属していた機関科の学生は、商船高専で4年半の座学を修了すると9ヶ月の練習船実習と3ヶ月の造船所実習を経て9月末に卒業。

乗船した練習船は、タービンエンジンの北斗丸とディーゼルエンジンの青雲丸。青雲丸では、遠洋航海としてオーストラリアとパプアニューギニアに寄港。

全国5つの商船高専からの学生が練習船に乗船し、一室6人の共同生活。熱い機関室での4時間の当直が終われば、部屋に戻り冷たいビールを呑んで『練習船の歌』の合唱。

1.波の蒼さに幼い夢に 何時も描いた練習船だ 若い命はコンパスまかせ 

      伊達にゃつけない三つ釦

5.海の日本その名を継いで 勇む男の練習船だ 潮路果てない七つの海を 

      しばし夢見るゆりかごだ

『大島商船船歌集』、50年前の紅顔可憐(?)な10代が蘇りました。「光陰矢のごとし」です。

『習慣の力』(平澤 興 一日一言)

「世界的に偉い人というのは生涯人間として鍛え上げた人であります。生まれつきが違っておったわけではない」。

「つまり習慣が身体につけば自然にそうなりますから、だんだん歳をとるにしたがって、若い時に心がけておったものが、しまいにはもはや、そう骨を折らずにできるようになります」。

「しかし、それは長い長い人生の努力と言いますか、練習であります」。

10代半ばから20代前半の若い時期に全寮制集団生活で規則正しい生活や躾けを通じて学んだ習慣は、今の私を形作っています。『習慣の力』、重要に思います。