庄内藩の武士を先祖とする住民で構成されている集落、松ヶ岡に移住して16年目。
集落では、毎月常会が開催されます。山形市勤務が始まって以来、長期欠席が続いていた常会。先日、約12年ぶりに出席し、「松ヶ岡の将来構想プロジェクト」が紹介されました。
本日は、松ヶ岡に移住した動機等も含め松ヶ岡について少し記します。
写真は、常会や新年会及び春・秋祭りの直会等が行われる松ヶ岡の本陣。
「プロジェクト」は、「松ヶ岡開墾場も創業以来150年を迎え、集落運営で諸課題が発生している。これらの課題を明らかにし、松ヶ岡が住みやすく住んで楽しい集落になるための方策を考える」ことが目的。
少子高齢化は、松ヶ岡でも例外ではありません。このような状況の中で如何に集落を維持し、活性化するかは、喫緊の課題の一つに思います。
全戸に農地がある松ヶ岡、最近では、高齢化が進み特産物の柿の木を切る農家も増えています。この「プロジェクト」により松ヶ岡がさらに住みやすく、元気になることと思います。楽しみです。
この「プロジェクト」の紹介を聞きながら、「光陰矢の如し」、過ぎ去った移住後の16年間が思い出されました。
鶴岡市内に住んでいた16年前、5人の子育てに良い環境で、趣味の農業を楽しみ、古き良き伝統を学べる地域を探し松ヶ岡に白羽の矢を立てました。
白羽の矢を立てても相応しい空き家がなければ移住は不可能です。早速、情報を収集し、2軒が該当。2軒を視察に行き、そのうちの1軒が素晴らしくて即決。
その家の裏には、1ha弱の果樹園と畑があり、趣味の農業を楽しむのにも最適。こんなにとんとん拍子に話が進むとは、想定外。「神の御導き」、「縁」を感じました。
そして、移住して4年目くらいに松ヶ岡を活性化する会議立ち上げを相談され、松ヶ岡の有志の方々と「松ヶ岡地域振興会議」を設立。
この会議は「松ヶ岡開墾の歴史や文化を、生きた文化財とし、先人の思いを次代に伝え残していくことを使命とし、四季折々の自然景観や文化財、開墾文化の保全、継承、そして利活用を目的に、松ヶ岡開墾場、松ヶ岡地域内の組織・団体等と協力し、松ヶ岡地域を総合的に振興する」ことが目的。
この活動の一環として講演会やイベント及びニュースレター等も発行。毎月、運営会議を開催し、企画や事業及びニュースレターの編集等に対応したことを昨日のように思い出します。
3年間、振興会議会長に従事しましたが、農学部長就任と農学部改革等の為に会長職は3年間で辞退。新たな会長を中心に振興会議が運営されていましたが、その後、短期間で解散されたようでした。残念です。
松ヶ岡に移住して16年目、毎日、楽しく生活しています。お世話になっている松ヶ岡の皆さんや松ヶ岡を開墾された開墾士の方々に感謝です。
『縁尋機妙 多逢聖因 』(安岡正篤 一日一言)
「良い縁がさらに良い縁を尋ねて発展してゆく様は誠に妙(たえ)なるものがある。いい人に交わっていると良い結果に恵まれる」。
「人間はできるだけいい機会、いい場所、いい人、いい書物に会うことを考えなければならない」。
「縁」、重要に思います。