2020-09-30

岩波ジュニア新書、お世話になっています

「博士の愛したジミな昆虫」を完読しました。ジュニア新書とは思えない内容の充実さに驚き、引き込まれるように読みました。これは掛け値なしに良書です。研究は情熱が必要条件ですね。稲盛先生の仕事は、能力×情熱×ベクトルというのが好きなのですが、情熱は必要ですね」。


「安田さんを含めて10人の先生の情熱がひしひしと伝わってきました。この本を読んで、仮説を立てることの重要性を改めて感じました。こんな面白さが高校生に伝われば、農学を志す人が多くなるように思います。入試倍率をあげるためには、こういう地道な努力が必要なんですよね」。

これは、先週届いた友人からの「ジミ」に関する嬉しいメールです。4年前に「農学は世界を救う」が、岩波ジュニアとして出版されました。2017年10月に出版された「農学」は、毎年、増刷され、これまで約1万部が購読。


そして、毎年、この本の一部は、複数の私立中学校の国語入試問題となっています。「農学」出版祝いの宴で担当編集者のSさんから、「先生方は、高校生が興味を持ち、理解出来る内容を書こうとしていましたか」との厳しい指導が、思い出です。出版の専門家から分かりやすい文章を書くことの難しさを多面的に学びました。Sさんに感謝です。

農学は世界を救うの出版を岩波ジュニア新書の編集者Mさんに話した処、「入れ食い」で出版がまとまりました。「岩波ジュニア」での出版は、簡単だと思いました。これに味を占め第二弾も簡単に出版されると思い、友人に企画書を書いてもらい、退職されたMさんの後任者Sさんに送りました。「是非、一度お会いして話しましょう」との返信。

友人と岩波本社でSさんに会いました。彼女は、開口一番「岩波ジュニア、これまで何冊か昆虫関係の本を出版しましたが、売れません。上層部は、昆虫関係の本は売れないとの印象を強く持っています」。

そして、「企画書の出版は、とても厳しいと思います。編集会議で出版に至らなかったら、他の出版社を紹介します」とのことでした。再度、Sさんと面会し、さらにメールで意見交換。その後、編集会議を通過し出版になりました。「ジミ」は出版まで厳しい道のりを経ての誕生でした。辛抱強く一緒に交渉してくれた有能な友人に感謝です。持つべきは、良き友かな。

岩波ジュニアは、これまで約1000冊が出版されています。そして、既刊1000冊の「売れ筋ランキング」上位100、トップ10%の書名が、1時間毎に更新され、公表されます。「ジミ」は、出版されてしばらくは、ランキング1位でした。

そして、今でもトップ5%、時々トップ1%に入る「売れ筋」です。6月下旬には、養老孟司先生が、毎日新聞朝刊に「ジミ」の書評を書いてくれました。出版された書籍が売れ、多くの方々から読まれるのは、とても嬉しいことです。

岩波上層部の方々も「岩波ジュニアでは、昆虫の本は売れない」との先入観をなくしたと期待しています。ジュニア第三弾、単著の企画書をSさんに送り、編集会議に諮るとの返事が届きました。出版の可能性は五分五分ですが、万が一、出版となれば、執筆を楽しみたいと思います。岩波ジュニア新書、お世話になっています。

放送大学山形学習センター図書として、私の著書の一部、5冊を寄贈し学生控え室に置いています。先日、学習センターで学生の皆さんと所長の「お話会」を行いました。寄贈図書の一冊「ジミ」を読まれた出席者の一人から、「是非、昆虫関係の面接授業もやってください」との要望が出ました。嬉しい「縁」を感じます。

『縁尋機妙、多逢聖因』(安岡正篤:一日 一言)

「良い縁がさらに良い縁を尋ねて発展していく様(さま)は、誠に妙(たえ)なるものがある。これを「縁尋機妙(えんじんきみょう)」という。

また、いい人に交わっていると良い結果に恵まれる。これを「多逢聖因(たほうしょういん)」という。人間はできるだけいい機会、いい場所、いい人、いい書物に会うことを考えなければならない」。

「縁尋機妙 多逢聖因」、本当だと思います。今までも、今も、これからも縁を大事にしたいです。そして、いい機会、いい場所、いい人、いい書物に会うことを考えます。

2020-09-28

人生の節目、学位授与式

 多くの人は、長い人生で幾つかの節目を経験し、人生を歩んでいます。その節目の中でも大きな一つが、大学卒業でしょう。目的を持ち大学に進学し、学生時代に、喜びや、悲しみ、苦労も経験します。そして、人間的に成長し社会人として巣立ちます。大学卒業、人生の大きな節目です。

9月27日(日)は、放送大学山形学習センター(山形SC)の学位授与式があり、11名の方がご卒業されました。卒業までのご努力と向学心に敬意を表し、心からお祝い申し上げます。放送大学は教養学部一学部で、6つのコースがあります。今回の卒業者、11名の内2名は、3コース目を卒業されました。凄いです。写真は、学長からのメーセージの一葉。

学位授与式では、三つのことをお話し、式辞としました。一つ目は、卒業は、新たな挑戦に向かっての出発であること。「米国では、卒業のことを、Commencementと言うそうです。これは、新たな生活の始まり、出発とのことです。私も卒業は、新たな出発に思います。大学卒業は、新たな生活の始まりとして、とても重要な節目の一つに思います。卒業生の皆さん、是非、卒業を機会にさらなる挑戦をして頂きたいと思います」。

二つ目は、二度ない人生で教養を身に着けることの重要性を述べました。「教養の学びが特徴の放送大学が、他の大学と異なる点は、卒業までに多面的な教養を学び、それを身につけ卒業することです」。

「これから人生百年時代に向かい、教養はとても重要で、それは、二度ない人生を豊かにします。他大学にない、多様で深い教養を身につけ放送大学をご卒業されることに、誇りと自信を持って頂ければ嬉しく思います」。

「東洋哲学の泰斗、安岡正篤先生は、学問し、教養を身に着ける意義を荀子の箴言を用い簡潔に述べられています。夫(そ)れ学は通の為に非ざるなり。窮して苦しまず、憂えて意(こころ)衰えず、禍福終始を知って惑わざるが為なり」。

「学問するのは、立身出世等のためではなく、どんな心配ごとがあってもへこたれず、何が禍いで何が幸福かを知り、人生の複雑な問題に直面しても、惑わないためである。学問は知識を獲得するだけでなく、人間を作ることであるとの教えです。学問をし、教養を身につけ人間を作る。重要に思います」。

最後に、生涯、学び続ける習慣の必要性に触れました。「幕末の儒学者、昌平黌の総長、佐藤一斎先生の著書に言志四録があります。これは、西郷隆盛(南洲翁)の座右の書です。その中に、三学戒という箴言があります。二度ない人生には、生涯学びの習慣を持つことが、必要であると言うのが核心です。私もそう思います」。

「少(わか)くにして学べば、壮にしてなすあり。壮にして学べば、老いて衰えず。老いて学べば死して朽ちず」。

放送大学の学生の皆さんは、すでに学びの習慣を持っています。是非、それを継続して下さい。継続は力です」。

『苦悩は成長の条件』(安岡正篤 一日一言)

「人間は苦悩によって練られてゆくのでありまして、肉体的にも精神的にも人間が成長してゆくために苦悩は欠くことのできない条件であります。そこで苦悩に敗れたらおしまいですから、過失や失敗のために取り乱されないように心がける必要がある。

自分の過失を知るということは、自己教育の最も重要な方法の一つであるとともに、人を教育する者の常に注意すべきことであります。物心は相まって自己を完成する。人格も亦、境遇と相作用して進歩するものである。随(したが)って困難な境遇は常に人格の試練を意味し、又能く人格の価値を表明する」。

『苦悩は成長の条件』、心に響く箴言です。苦悩に敗れず、過失や失敗に取り乱されないよう心がけたいと思います。

2020-09-26

お百姓仕事と庭師の楽しい日々

13年前に移住した武士の開墾地、松ヶ岡、我が家の前庭及び後庭には、それぞれ約20種類、30本の庭木が茂り、緑の景観を提供しています。さらに裏庭に続いて1反歩の畑と9反歩の果樹園があり、休日及び出勤前は、楽しい百姓仕事と庭師の日々です。

シルバーウイークは天気にも恵まれ、気になっていた垣根の散髪。「トゲオ」だった垣根は、「高倉健さん」の角刈り頭のように仕上がり、さっぱりした垣根に満足度100% でした。汗を流して新陳代謝を図ることは、気分転換だけでなく、健康維持にも重要に思います。

昨年までは数年に一度、庭師さんに樹木の剪定をお願いしていました。しかし、今年からは庭木の剪定は庭師の「やっさん」の仕事。樹木の剪定は、味わいと奥深さがあります。それなりに庭木の形が作れたら良い気持ちです。芸術的な処もあります。ノンビリと剪定を楽しむ日々、良いです。

今年4月に始まった第二の人生、安田農園の9反歩の果樹園の管理や1反歩の畑仕事を楽しんでいます。写真は、果樹園の機械除草の一葉。9反歩の果樹園の機械除草は、午前中の除草で3日間、1回の除草で体重が1.5 キロ減、気持ちの良い重労働です。汗を流し、体も鍛えられます。


今年は、果樹園の多様性を高めるためビワとポポーを植えました。実がなるのが楽しみです。できるだけ虫や病気に罹りにくい果樹を植え、無農薬栽培を維持しています。

大学院でお世話になり農薬学がご専門の教授から「安田君、生物防除のような役に立たない研究は止めて、農薬を使いなさい、農薬が一番だ」と助言されたことが脳裏をよぎります。しかし、我が家の果樹園や畑は、無農薬、その栽培を楽しんでいます。毎朝、新鮮な野菜を収穫し食します。美味しさ格別です。

これまで共同研究を行った東南アジアの畑では、混作を見かけました。今年は、サツマイモとオクラの混作に挑戦し、良い感じでした。知り合いから、キャベツとニンジンを混作すると、キャベツにモンシロチョウが来ないと聞きました。来年は、混作にも挑戦したいと思います。

今年の畑作は、何時もの年にはない新たな作物にも挑戦しました。その作物は、夕顔(カンピョウ)と四角豆、さらにトマトが10種類。タネを購入し、苗を作るのは長女の仕事、私は育った苗を畑に移植し、その後の管理一式を担当する「小作人」です。日々生育する作物から元気と感激を貰えます。生き物っていいですね。


ある日、「大ヒョウタンの苗が出来たので植えて」と、「苗屋」の長女が、「小作人」の私に依頼。「大ヒョウタンか。ブドウの棚が使えるので、そこを使おう」と話して、ブドウ棚の下に「大ヒョウタン」の苗を移植。苗は、「ジャックと豆の木」の豆のように、ズンズンズンと伸びて、アッという間に棚まで到達し、そこで暴れました。

さあて、大ヒョウタン、どんなヒョウタンが出来るか楽しみだ、と思っていたら綺麗な白い小さな花が咲きました。その後、結実し大ヒョウタンに育つのを期待していたら、オタフクのような巨大な緑の顔が出現。ありゃ、ヒョウタンと違うな、何だろうと思ったら、「夕顔」。この「夕顔」、生食と実を削って干したカンピョウにし、美味しく食しました。

明日、9月27日(日)は、放送大学山形学習センターの学位授与式(卒業式)と入学者の集い(入学式)です。学生の皆さんとの出会い、結縁を楽しみにしています。

『感激の生活』(安岡正篤 一日一言)

「吾々の一番悪いこと、不健康、早く老いることの原因は、肉体より精神にあります。精神に感激性のなくなることにあります。物に感じなくなる、身辺の雑事、日常の俗務以外に感じなくなる、向上の大事に感激性を有(も)たなくなる、これが一番いけません。無心無欲は、そういう感激性の生活から来るもので、低俗な雑駁(ざっぱく)から解脱(げだつ)することに外(ほか)なりません」。

感激する心、いいですね。

2020-09-24

庄内のシルバーウィークと実りの秋

敬老の日と秋分の日を含んだシルバーウィークが終わりました。米どころ庄内のシルバーウィークは、秋の実りの季節、お米の収穫時期です。庄内平野に広がる水田で今、稲刈りが行われています。


庄内に住んで、約30年、食べ物が本当に美味しく、地元料理の多様さに驚きます。また、旬を感じる季節の食材が、季節の食を豊かにします。さらに、お寿司屋さんが多く、魚介類が新鮮で安いのも魅力です。

美味しいお酒を作るには、「良質のお米、旨い水、心温かい人」の三拍子が必要とのことです。この三拍子が揃っている庄内、「日本酒を愛する者」には、嬉しい処です。庄内には、大きくない蔵元から味わい深い数多くの地酒が作られ、「愛飲家」の生活を豊かにします。

庄内のお米やお酒が美味しいと感じたのは、今から40年前に遡ります。大学を卒業して1年間、群集生態学を学ぶため山形大学農学部、小林教授に研究生としてお世話になりました。先生は、1980年に「生物科学」という学術雑誌に「生物群集の多様性と安定性」との題名で独創的な論文を発表されました。

その論文には、「生物群集の複雑性と安定性の関係を問うことが問題の設定として適切かどうかが、先ず検討されなければならない。このような点からすれば、群集の安定機構と不安定機構とを具体的に追求することが不可欠と言えるであろう」と結論されていました。

私は、この魅力的な論文に刺激を受け「生物群集の安定機構」に関する研究を生涯の研究テーマにしました。

毎週一回、先生と一緒にGoodoman 博士が公表した総説 「Stability and Complexity」を読み、生態学と英語を鍛えて頂きました。先生は、常に批判的に論文を読まれ、学問や研究に対してとても厳しい方でした。今では、めったに会うことが出来ない数少ない学者の一人に思います。

学問や研究の楽しみだけでなく、研究者としての生き方や考え方等も多面的に学びました。先生は、研究だけでなく日本酒もこよなく愛され、一緒に過ごした日々は、私に多くのワクワク感を与え、それは、生涯忘れることのない貴重な思い出です。

研究や学問を楽しみつつ、農学部の啓明寮で寮生として一年間、お世話になりました。寮では、寮母さんが三食を準備。島根出身の私には、ご飯がとても美味しく、おかずがなくてもご飯だけで食せることに感動しました。また、寮生と一緒に美味しいお酒も楽しみました。

寮では「ストーム」と称し、一升瓶とドンブリを持った学生が、真夜中、部屋にやってきて寝ている寮生を起こし、ドンブリ酒を呑ませる「儀式」もありました。さらに、寮祭や真夜中の湯野浜往復歩行等々、これらは、鶴岡で過ごした青春の楽しい一コマ。

その中でも圧巻は、追い出しコンパ。3月中旬の卒業時期に、食堂に全寮生が集まり、追い出す側、追い出される側、差しつ差されつの大宴会で別れを惜しみます。宴もたけなわとなり、「大トリ」が、直径50センチはある朱色の大盃に一升の酒を注ぎ飲み干す、「一升呑み」。

呑んでも呑んでも大盃の酒が減らなかったことを、今でも鮮明に覚えています。「庄内のシルバーウィークと秋の実り」から庄内の美味しいお米を思い出し、「研究事始め」と昭和の寮生時代の一端が蘇りました。啓明寮、今は、男女混住で留学生も生活、時代の変化を感じます。

『初一念を貫く』(平澤 興:一日一言)

「初一念を貫くということは、人生のどの方面でも絶対望ましく、これさえあれば人生は必ず成るように成ると思う。私は神経学者として、人間は生まれながらにして、自ら知らぬ無限の可能性が与えられていることを知るが故に、特にそう信じている」。

小林先生の「生物群集の多様性と安定性」の論文に刺激を受け、「生物群集の安定機構」を生涯の研究テーマとした研究生活。『初一念を貫く』、心に残る箴言です。

2020-09-22

フランク安田とフェアーバンクス

「フランク安田は、それを見まいとした。眼を氷原の上に落としてひたすら歩き続けようとした。だがそうすることはすこぶる危険なことであった。方向を失ったときは死であり、彼の死は同時にペアー号の死でもあった」。

これは、新田次郎著「アラスカ物語」「第一章 北極光(オーロラ)」、第一段落の抜粋です。今から40年前の学生時代に、「アラスカ物語」を読み、「フランク安田」に会いたくなりました。1989年7月、カナダのバンクーバーでの国際会議出席後、「フランク」に会うためアラスカのフェアーバンクスを訪問。

「明治元年、宮城県石巻町に生まれた安田恭輔は、15歳で両親を失う。外国航路の船員となり、アラスカに留まった彼は、エスキモーの女性と結婚し食糧不足等で滅亡に瀕したエスキモーの一族を救出する。そして、アラスカのモーゼと仰がれ、90歳で生涯を閉じた」。フランク安田の波乱の生涯探訪の旅、アラスカ。

旅行会社から渡された旅程表には、バンクーバー出発日時とフェアーバンクス到着日時が記されていました。バンクーバー離陸後、北米最高峰マッキンリー(6194m)にさしかかり、飛行機は、その上空を一周旋回。粋なパイロットに感謝。

しばらく飛行して「まもなく着陸する」との機内放送が流れました。いよいよフェアーバンクスかと感慨にふけり、手荷物を準備し機外に出る順番待ち。

機外に出て、さあ入国審査で入国だとワクワクしながら通路を歩くと、何か妙だと第六感がピクピクと反応。周囲をよく見渡すと、フェアーバンクスではなくアンカレッジ、ウウウ。

こりゃ大変だと慌てて機内に逆戻りし、旅程表をチェック。しかし、旅程表には、アンカレッジが記されてなく危ない処でした。先入観、要注意、その1。

フェアーバンクス空港から民宿を予約し、一路市街地へ。まずは、フェアーバンクスの雰囲気を楽しみながら、民宿で就寝前の濃いウイスキーを「グビッ」と一杯やり熟睡。

次の日は、アラスカ大学フェアーバンクス校に行き、「フランク安田記念館」を訪問。「フランク」に会え、関連資料などを閲覧し、満足度100%。写真は、フェアーバンクスの民宿と「安田記念館」の一葉。


その夜は、民宿近くのパブに行き、アラスカの地酒で「フランク」に会えたことを思い出しながら祝杯。そして、お客さんとフェアーバンクス談義。お客さんの話だと昨夜は、オーロラが見えたとのこと。オーロラは冬の風物詩と思っていただけに見逃しました。先入観、要注意、その2。

写真は、フェアーバンクスでのクルージングの一葉。


本棚の本を整理していたら、「アラスカ物語」を発見し、34年前に「フランク安田」に会いに行ったフェアーバンクスへの旅を思い出しました。

『気力旺盛』(安岡正篤:一日一言)

「気力が旺盛であるということが個人的にも民族的にも最も大事なことで、気力を弱くしてしまったら、教養が多少あろうが、頭脳・知性が優れていようが、技能が発達していようが問題でない。気力というものが一番大事で根本的なものである。

日本民族もこの気力を失わなければ、気力が旺盛になれば、いろいろの欠陥は少しも苦にする必要はない。反対にどんな長所があっても、例えば知性だ、技能だ、その他教養があるといっても、気力が旺盛でなければ個人も国家も発展しない」。

「フランク安田」も「気力旺盛」だったと思います。気力旺盛でありたいものです。

2020-09-20

楽しい山辺

 利発そうな小学生の女子から「少し、お時間ありますか」と聞かれました。「少しって、どのくらい」と質問すると、「ちょっとだけです」と応えました。「いいよ」と言うと、「楽しい山辺」と書かれた手製の小冊子をくれました。よく見ると連絡通路に小学生の一群。9月16日の朝、山形駅、連絡通路での出来事。

早速、所長室で「楽しい山辺」を一読。安国寺とその庭を造った夢窓国師の紹介及び、2つのクイズとインタビュー、最後が「まとめ」の6頁もの。山辺小学校6年生女子4人組の制作です。

小冊子、良く出来ています。安国寺が山辺にあるのを初めて知りました。山辺の魅力が伝わり、紹介してある山辺のスポットに行きたくなりました。4人組に感謝です。

「楽しい山辺」を読み、9月上旬、放送大学を紹介に伺った山辺町の元気な町長さんの顔が浮かびました。「これからは、放送大学の時代だと思う。生涯教育だけでなく、高卒の職員が大卒の資格を取れるように、放送大学を職員に勧めたい」とは、町長さんの嬉しい一言。

放送大学を簡単に紹介し、四方山話が弾んだ後、「ところで、安田さんは、どんな研究をしていたの」と町長さんから聞かれました。「ライフワークとしては、自然のバランスがどのように維持されているのか、その機構に関心があり、それに関係する研究をやってきました」。

「ここ10年以上は、田んぼのタニシ等、多様な湛水生物が排出する養分を活かして、無肥料・無農薬・無除草剤の自然共生水田でイネを栽培し、美味しいお米を作る研究を行いました。お米を食した方々からは、とても美味しくて、一杯余分にお代わりをします、と言われています」。

「タニシ等が作る養分の地中へのすき込みと、除草剤を使わないので除草機での除草です」と紹介。写真は、タニシの有無が田んぼの生き物とイネに与える影響の野外実験及び、機械除草の一葉。


そして、「これは、日本だけでなく、ベトナム、インドネシア、スリランカ等、東南アジアの大学との国際共同研究としても実施しています」と補足しました。

この国際研究は、4ヵ国の研究者が毎年一堂に会し、ワークショップ(WS)を開催して研究討論を行いました。写真は、2012年のバリWSの一葉。

「それは面白い研究だね。山辺町で話してくれない」と、町長さん。「いいですよ。何時でも声をかけてください。飛んできます」と私。

町長さんは、山形大「知の拠点事業」等のアドバイザーとして、何時も大所高所から貴重な意見をもらった知り合いです。以前お会いした時、東京等への出張には、山辺町の特産品、絨毯(じゅうたん)等を持参し、トップセールスもすると聞きました。久しぶりにお会いし、いつも元気な町長さんから、刺激と爽やかさをもらいました。

朝、山形駅で山辺町を紹介した自作の小冊子を配布していた小学校6年生。山辺町の発展を真剣に考え行動される町長さんにしてこの子供達ありの感じがしました。9月16日、朝のひと時、元気の良い小学生から爽やかさをもらい、良い一日のスタート。「楽しい山辺」から、かつての「アジア4か国の共同研究」を思い出しました。

『清新溌剌(せいしんはつらつ)』(安岡正篤:一日一言)

「人間の徳性の根本は、清新溌剌である。人間の徳性の中でも根本のものは、活々している、清新溌剌ということだ。いかなる場合にも、特に逆境・有事の時ほど活々していることが必要である。

その人に接すると自分までも気が爽やかになるという、これが人物の最も大きな要素だ。そして、かくのごとき人であれば必ず役に立つ」。

『清新溌剌』、簡潔で、本質が詰まっている箴言に思います。元気が出る好きな箴言です。

2020-09-18

夢を食う

「物理学には、ニュートンの運動の法則があります。生物の数の決定法則は不明です。生物の数を決定する「安田の法則」を解明する基礎研究を理化学研究所(理研)で行いたい」と、面接審査で夢を熱く語りました。そして、理研での基礎科学特別研究員(基礎特研員)に採用。今から34年前のことです。

生物の数は、捕食、競争、環境要因等で決まります。蚊の幼虫には、他の蚊の幼虫を捕食するオオカやカクイカがいます。そして、それらが生息する環境の水たまりは、時々刻々変化します。「安田の法則」解明の室内実験システムとして、2種の捕食者と餌5種の幼虫群集を考えました。その写真です。

審査は、書類と面接、面接審査委員長が佐田副理事長。「安田さんは、理研にいないタイプ、楽しみなので、よろしくお願いします」と、配属研究室の主任に話されたことを理研赴任後に聞きました。基礎特研員は、物理、化学、生物、工学の4分野で、各5名合計20名採用。生物の採用は、5倍の厳しい倍率。

この基礎特研員制度は、「科学技術のさらなる発展のために、創造的・基礎的な研究の推進を期待される、発想の自由な若手研究者に活躍の場を提供する」ことが目的で、1990年に創設されました。私は2期生、月給50万円、年間研究費150万円、3年間の研究期間、若手研究者には「天国」でした。

「理研の三太郎」とは、鈴木梅太郎、本多光太郎、長岡半太郎の3大先生です。何れもノーベル賞に値する研究をされました。理研は、1917年に創設され、「研究者の楽園」と言われた時期があり、数多くの著名な研究者が、世界的な研究業績を多数発表しています。

理研では、「安田の法則」に関する基礎研究も楽しみながら、走友会、水泳部、硬式テニス部に所属し、トライアスロンな(?)日々も過ごしました。

理事長の小田先生は、天文学が専門で、この分野ではノーベル賞に最も近い研究者とのことでした。また、先生は、個展が開ける絵の腕前、夏は構内のプールで水泳を楽しまれていました。副理事長の佐田先生は、工学のノーベル賞、シュレジンガー賞を授与され、凄いパワーテニスプレイヤー。

ある日、佐田先生に構内でお会いしました。「安田さん、ちょっと話を聞いて下さい」とおっしゃり、「どうされたのですか」と聞くと、「実は、これまで長い間、気にかけていた若手研究者が、やっと素晴らしい研究成果を出しました。今日は、本当に嬉しい日です」と自分のことのように喜んでおられました。 

理研では、毎週金曜日、午後5時から食堂が「金曜酒場」に変わり、多くの研究員が研究室の枠を超えて多面的な情報及び意見交換を楽しんでいました。そこに小田先生や佐田先生も加わり、異質な出会いのある楽しい「花金」、自由闊達な雰囲気が醸し出されていました。

小田先生や佐田先生は、人間的にも研究者としても素晴らしい方です。「研究者の楽園」、理研での生活、多様な出会いがあり、色々と学んだ青春の貴重な一時期でした。昔の写真を整理していたら、理研時代の写真を見つけ、昔を懐かしく思い出しました。写真は、理研と年末恒例の餅つき大会の一葉です。


『夢を食う』(平澤 興:一日一言)

「夢を食うとは、ただ大言壮語したり、夢に酔ったりすることではなく、日々の現実に対し、夢を食うにふさわしいだけの燃える情熱とたくましい努力とがなければならない。

真に夢をもてば、そうした情熱とか努力とかは、第三者が見れば苦しそうでも、本人にはむしろ毎日の楽しみで、それは快い疲労と安眠をもたらす。おそらく、この人生では、夢を食って生きるほど楽しいことはないのではなかろうか」。

大学時代に、ある先生から「君は夢を食って生きるバクのようだな」と言われました。これからも「夢を食って」生きたいと思います。

2020-09-16

大学合格と入学式の訓辞

「あなたは、2020年度第2学期入学者選考の結果、下記のとおり合格しましたので通知します」。数日前、放送大学、来生 新 学長名で「合格通知書」が届き、嬉しくなりました。楽しく学びたいと思います。

放送大学には、学部と修士及び博士課程があります。学部は教養学部一学部で、生活と福祉、心理と教育、社会と産業、人間と文化、情報、自然と環境の6コースです。卒業には、基盤、導入、専門、総合の4科目群から124単位の修得が必要。これが全科履修生です。

一方、特定の科目のみ学習したい人には、1年在学の選科と半年在学の科目履修生があります。私は、選科履修生として入学し、約300科目の授業から「文学・芸術・武道にみる日本文化」を選択しました。

また、放送大学は、1年に2回4月と10月に入学式が、9月と3月に卒業式があります。山形学習センター(SC)では、9月27日に学位授与式(卒業式)と入学者の集い(入学式)を予定しています。山形SCは、山形駅西口、24階建て霞城セントラルの10階にあります。

これまで、小・中・高専・大学の入学式で、校長先生や学長等の訓辞を聞きました。唯一、記憶にあるのが16歳で入学した大島商船高専の鮫島校長の訓辞。「初心忘るべからず」です。海運国日本の商船士官を夢見て受験勉強し、希望に胸を膨らませて入学した商船高専。「初心忘るべからず」が、身にしみました。

大島商船は、明治30年に創設され、今年で123年の歴史があり、数多くの商船士官を輩出しています。16歳から21歳まで多感な青春時代を過ごした商船高専。魅力ある教官、先輩、友人、後輩との出会い。良い学校でした。

3年生までは、縦割りで全員が寮生活の全寮制。3年生は天皇、2年生は人間、1年生は奴隷の寮生活で、とても厳しく鍛えられました。厳しい寮生活も、今となれば懐かしい思い出です。

中学3年の担任の先生が、大島商船では「良師、良友、良先輩を得て、遊びも覚えろ」と送ってくれました。4年半の座学と1年の航海実習、体を鍛えよく遊び、良い出会いがありました。昭和の良い時代。

写真は、練習船青雲丸での運動会と太平洋上での救命ボート帆走訓練の一葉です。


『荒木総長の訓辞』(平澤 興:一日一言)

「大正9年(1920年)9月10日、それは私にとって生涯忘れえない、京都大学への入学式の日である。忘れえないのは、大学の大きさでも、講堂のすばらしさでもなく、総長荒木寅三郎先生の熱と誠に満ちた新入生に対する訓示であった。総長の口から出る一語一語は、まさに燃えていた。

それは、別に大声をはりあげたり、節をつけたりするような演説ではなく、ただ静かに奉書の巻紙に書かれた原稿を読まれるだけのことでしかなかったのだが、しかし、それは世界的学者としての先生の実績と自信にあふれ、おのずから聴く者の襟を正さしめ、嵐のごとき感動を与えた。

先生は、学徒にとり最も重要なものとして、誠実、情熱、努力、謙虚などを挙げられ、これらについて、それぞれ自らの体験と史上の実例などをもってくわしく説明され、われわれは催眠術にでもかかったように、全身全霊でこれを受けとめた。

60年以上も前の入学式の荒木総長の訓辞が、なぜ私にこれほど強い感激と興奮を与えたかは私にもよくわからぬが、おそらくこれは、この訓辞が口から出た単なる言葉ではなく、その後ろに先生ご自身の不動のご信念と、燃える実行とがあったからであろう」。

「不動の信念と、燃える実行」、言葉がありません。「・・・・・」。

2020-09-14

いつも明るい顔で

これまでの人生では、多くの人と接しました。そして、「仕事が出来る人は、対応が早い」を感じます。これは国内外を問わず当てはまるように思います。さらに、仕事が出来る人は、明るい顔の人が多い。今から23年前、英国に留学した時、イーストアングリア大学のDixon 教授に約10ヶ月お世話になりました。

大学があるノーリッジに到着したその日、滞在期間10ヶ月の研究計画の議論をしました。必要な実験道具がないと担当施設に連れて行って、すぐ入手できるよう迅速な手配。お陰で研究は、とても順調に進みました。

生物の中には、雄と雌の大きさが異なる生き物がいます。例えば、カブトムシは雄が雌より大きい傾向がありますが、テントウムシは雌が雄より大きいです。英国では、何故、テントウムシの雌は雄より大きいのかを解明するため、この現象に関する仮説を検証しました。色々な初経験が、良い勉強になりました。

日本人は、「おもてなし」の心も含め気配りの国民のように思われています。英国では、英国人の気配りにも感心しました。何回か教授の自宅に招待されましたが、これまで日本から贈った物が、全て陳列され、「大先生」は、娘と一緒に遊んでくれました。写真は、教授夫妻、娘達と遊んでくれた「大先生」及びノーリッジと大学です。



また、2001年から4年間日米共同研究を行ったユタ州立大学のEvans 教授も、大学があるローガンに到着したその日、米国人学生5名も含めて研究討論の場を設定しました。さらに研究材料のテントウムシが沢山準備してあり、大学に到着した数日後から実験が開始できました。写真は、教授夫妻と調査地の一葉です。

欧米では、東洋原産のナミテントウが侵入し、在来のテントウムシが激減していました。Evans 教授との共同研究では、この原因として、ナミテントウが餌の減少により在来種を捕食するのが重要であることを解明しました。全ての実験は、滞在期間40日の3日前に終わり、とても緊張感のある楽しい日々でした。

この2人の友人は、電子メールで相談やお願いをすると、どんな案件でも、その日のうちに必ず返信が来ます。二人とも昆虫生態学では、世界の著名人で超多忙ですが、何時も迅速な対応です。「仕事が出来る人は、対応が早い」を実感します。また、彼らは、いつも明るい顔で、常に元気をもらいました。

先週及び先々週の3日間、山形県村山地区にある大学の学長や市町村長を訪問して、放送大学の紹介等をしました。とても楽しく良い出会いのあった、貴重な一時でした。

訪問した市長さんや町長さんは、すぐに担当者を呼んで同席させ、対応を指示されていました。迅速な対応に感謝です。ここでも「仕事が出来る人は、対応が早い」を感じました。また、お会いしたほとんどの方々は明るい顔で、爽やかさをいただきました。皆さんに感謝です。

『いつも明るい顔で』(平澤 興:一日一言)

「実際のところ、嬉しい時に嬉しい顔をしておるのは、これはもう誰にでもできるのでありますが、色々嬉しくないことがあります。そういう場合にでも決して慌てず騒がず、他の人が見ると全く平和な日と同じように見える顔、そういう顔を実際に私の周囲でも知っております。

これは平凡ではありますが、ある意味では人間の修練の最後の段階かもしれません。したがってそれは、ぼけてそういう顔は駄目なのであります。同時にやすらかな顔ではありますが、たえず求めている、たえず人間としての向上を目指さないところには、そういう明るい顔は出ないのであります。

退屈をするような人間にはやはり退屈の表情しか出ないわけであります」。

『いつも明るい顔で』、簡単なようで、簡単ではありません。しかし、「明るい顔」に出会うと爽やかになるのも事実に思います。「いつも明るい顔で」を心がけたいと思います。

2020-09-12

山形SCの皆さんとの「お話会」と国際化

「我以外、皆我が師」、これは吉川英治さんの言葉に思います。私の人生を今振り返っても、自分自身の経験や考えには限りがあり、多くの人から学びや知恵をもらい、今があるように思います。他者からの学び重要に思います。

9月10日、山形学習センター(SC)で13名の学生の皆さんと初めての「お話会」を実施しました。「お話会」の目的は、皆さんの満足度の高いセンターを目指すために、学習内容や環境に関する多面的な希望や意見を聞き、さらにお知恵を拝借して、必要に応じたセンターの改善や改革をすることです。

意見等としては、他大学との単位互換、コロナに関する講演会、気楽に参加できる「学びのサロン」の創設、フィールドワークや研修旅行の実施、山形県に関する多面的な講義、博物館実習の実施、同窓会と山形SCの合同で卒業生が参加できるイベントの実施、面接授業の6コースへの対応等々でした。

個人的な希望から学習センター及び放送大学全体に関する意見等、多面的な情報を収集し、貴重で有意義な「お話会」でした。対応可能な案件から迅速に実施し、その結果を皆さんにお知らせする予定です。参加して頂いた皆さん、「お話会」を準備してくれた事務長初め職員の方々に感謝です。


「お話会」後は、来年度の客員教員予定者との面談でした。山形SCでは、「多文化共生センター」も目指しています。来年度は、外国人客員教員の採用や留学生が参加する授業も開講予定です。山形SC、少しずつ国際色も出したいと思います。

今は、テレビやインターネットの普及で世界の情報等がすぐに収集できます。しかし、これから国際化やグローバル化が益々進む中、文化や習慣及び考え方が異なる外国人と直接的な交流も重要に思います。

私は、2005年に鶴岡市で国際シンポジウムを主催しました。次期開催地は、立候補者が誘致演説し、それを元に総会で議論し、参加者の投票で決定されます。2002年ポルトガルで開催されたシンポで、私は誘致演説を行い、総会の議論となりました。

立候補は、日本を含め2カ国。ドイツ人研究者が「国際シンポは、欧米での開催で十分、何故日本でやる必要がある」と発言したのには驚きました。そのシンポでは、私を含め5名の招待講演があり、英国人とチェコ人は、私の研究室の研究結果での講演でした。さらに私の指導学生が最優秀講演者賞に選ばれました。

会長が、「安田教授の研究室は、世界に通じる素晴らしい研究をしている。そのような日本での開催になんら問題はない」と主張し、欧米の友人達も日本開催の賛成意見を述べ、日本に決まりました。総会後、ドイツ人研究者が私の所に「申し訳なかった」と言いに来ました。

世界には色々な考えの人がいます。日本人でも考えの温度差はありますが、目を世界に向ければその温度差はさらに広がります。そして、素晴らしい出会いもあります。外国の人との出会い、国際化に必要と思います。私も米国、英国、チェコ、ポルトガルの友人達と家族で楽しく付き合っています。

『前進と反省』(平澤 興:一日一言)

「人間がその人生の目標に向かって積極的情熱的に前進する限り、反省は、若人にも老人にも絶対に必要であろう。しかしこの反省は、後ろ向きの暗い反省ではなく、前向きの明るい努力と実行のある反省である。

世の中を見ると、どうも失敗でだめになる人のほうが多いようだが、真に大成した人は、むしろ失敗を機としてたくましく立ち上がった人であって、こういう例は内外ともに少なくない」。

飽くなき前進と反省、重要に思います。帰宅するとき山形駅で、「お話会」に出席された方にお会いし出席のお礼を述べました。その方は、「所長は、一所懸命だの」とおっしゃりました。色々な方とお会いし、情報や意見を交換し、知恵を頂いた9月10日、楽しい一日でした。

写真は、鶴岡で開催した国際シンポの一葉です。


2020-09-10

稲盛塾長と盛和塾

兎追いし かの山 小鮒釣りし かの川 夢は今も めぐりて 忘れがたき 故郷

27歳、8名で京セラを設立され、52歳で第二電電(KDDI)、さらに78歳で日本航空(JAL)を再生された稲盛和夫さん。1983年51歳の時に、若手中小企業の経営者の経営塾、「盛和塾」を作られ、塾長として生き方や経営を指南されました。盛和塾は国内に56、海外に48あり、塾生数は15,000人。

全国各地で塾長講演会があり講演会後は、稲盛塾長と塾生の懇親会。何時も、懇親会の最後の締めは、塾長も含んだ参加者全員が、肩を組んで塾長の好きな「故郷」の合唱です。

放送大学山形学習センターには、学生控室があり、そこに、雑誌や新聞が置いてあります。雑誌の一つに「プレジデント」があり、2020.9.18.号は、「稲盛和夫名言録:ラストメッセージ」との特集号。その表紙を稲盛塾長が飾っていました。

約15年前に盛和塾庄内が結成され、私も塾生として盛和塾に参加させてもらい、塾長や塾生から多面的に学びました。盛和塾は、ほとんど全ての塾生が、若手経営者。毎月の例会は元気がみなぎり、それに出席するだけで元気をもらえます。この盛和塾は、塾長の強い希望により、昨年の12月末で終わりになりました。

稲盛語録の一部を紹介します。「世のため、人のために生きる」。「動機善なりや、私心なかりしや」。「人生・仕事の結果=考え方×熱意×能力」。「ど真剣に生きる」。「人生の目的とは、心の純化、浄化に努め、心を立派にしていくこと」。「心を高める努力と反省をくり返す」。

「日本の再生に必要なのは、「燃える闘魂」と「徳」、さらには「高付加価値」の獲得を目指した経済のあり方である。まず、困難な目標を自ら高く掲げ、その実現に果敢に向かう激しい闘志、「燃える闘魂」を持つこと。

また、我々日本民族は古来、人間の「徳」を大切にしてきた民族だ。燃える闘魂を持ち、高品質の製品・サービスを提供し、「徳」をベースにした国作りで日本の再生は可能である」。

『三学戒』(安岡正篤:一日一言)

「少(わかく)にして学べば、則ち壮にして為すこと有り。壮にして学べば、則ち老いて衰えず。老いて学べば、則ち死して朽ちず(佐藤一斎 言志晩録)。

若い者の怠けて勉学せぬ者を見る程不快なものはない。ろくな者にならぬことは言うまでもないが、まあまあよほどのろくでなしでもなければ、それ相応の志くらいはあるものである。

壮年になると、もう学ばぬ、学ぼうとせぬ者が随分多い。生活に逐(お)われてだんだん志まで失ってしまうのである。そうすると案外老衰が早く来る。いわゆる若朽である。

よく学ぶ者は老来ますます妙である。ただし学は心性の学を肝腎とする。雑学では駄目である。細井平洲も敬重した川越在の郷長老、奥貫友山の歌に「道を聞く夕に死すとも可なりとの言葉にすがる老いの日暮し」と」。

塾長は、安岡正篤先生や中村天風先生を初め、多くの方から学ばれたそうです。

如何に在ます 父母 恙なしや 友がき 雨に風に つけても 思い出ずる 故郷

志を はたして いつの日にか 帰らん 山は青き 故郷 水は清き 故郷

「故郷」、良い歌です。写真は、私の故郷、島根の田舎の一葉。

プレジデントの表紙を見て、久しぶりに稲盛塾長と盛和塾を思い出しました。塾長今88歳、凄い人です。

2020-09-08

ジャレッド・ダイアモンド教授との思い出

「Hello, This is Yasuda, speaking. I want to stay your hotel from tonight for three days. Is it available?」「Yes, it is available」「How much does it cost for three nights」「20 Dollars per night」「OK, it sounds good. I would like to book your hotel. By the way, now, I am in Los International Airport. How long does it take from here to your hotel」「It takes 30 minutes」「OK, Thanks . See you soon, By」

これは、32年前カナダ、バンクーバーのブリティッシュコロンビア大学(UBC)で開催された国際昆虫学会議出席後、カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)のダイアモンド教授に会うため、ロサンゼルス国際空港からUCLA近くのホテルに電話したときの会話です。

UBCでの発表は、生まれて初めての海外出張と国際会議出席でした。

博士課程2年の時、3年間の野外データをまとめ、その結果等を海外の著名人20名と日本の著名人20名に送りました。海外の著名人からは、Nature や Science 等の著名雑誌の別刷と丁寧な手紙の返信がありました。一方、日本の全ての研究者から返信はありませんでした。この違いに大変驚きました。

返信をもらった一人に生態学の大御所UCLAのダイヤモンド教授がいました。UBCでの国際会議の後、教授の研究室を訪問したいと手紙を送ったら、「会いましょう」との返事がすぐに来ました。

教授は、ニューギニアで鳥類群集の素晴らしい研究をされ、Ecology and Evolution of Communities や Community Ecology の編著者です。

バンクーバーからロスに飛び、UCLA近くのホテルに宿泊し、教授と会うことになりました。教授は、ホテルまで迎えに来てくれ、ロスの高級レストランに一緒に行きました。そして、美味しい海鮮料理のフルコースを頼んでくれました。

教授とは、専門の生態学の話や、これまでの人生について等、多面的な話をして、とても楽しく貴重な一時を過ごしました。教授の研究室を訪問しましたが、その時初めてUCLA医学部生理学教室教授であることを知りました。生態学が専門だと思っていたのでびっくりしました。写真は、教授とUCLAです。


教授は、専門書以外にも注目される書を刊行され「銃・病原菌・鉄(Guns, Germs, and Steel: The Fates of Human Societies)」は、ピュリッツァー賞を受賞し、ミリオンセラー、115万部以上の購読です。

一昨日の産経新聞三面下に大きく「文春新書」広告、「コロナ後の世界:世界を代表する6名の知性が示す「未来」とは?」の真っ先に「ジャレッド・ダイアモンド」の名前を発見し、32年前のダイアモンド教授との面会を思い出しました。

教授が、全く業績もない無名の日本人大学院生に会い、高級レストランに招待してくれたことは「謎」です。

教授からは、余裕とユトリ、知的好奇心、鋭い洞察力を感じました。

『燃える心』(平澤 興:一日一言)

「生きるとは、情熱を持って燃えることだと思います。燃える心を忘れているような生き方は、気の毒な生き方ではないでしょうか」

ダイヤモンド教授は、とても物静かな方でした。しかし、静かさの中に「燃える心」を感じました。「燃える心」、重要に思います。

2020-09-06

大家族の我が家と「家庭の力」

前職の山形大では、今年3月末まで8年半、国際交流も担当していました。国際交流担当教授が、学生の国際交流を促進するため「学生大使事業」を創設。これは、ベトナム等6カ国の山形大との協定大学に学生を2週間派遣し、英語で日本語や日本文化、山形大、山形、日本を紹介する教育プログラムです。

派遣前後に半日研修会を行います。研修会の挨拶では、「派遣の前後では、多くの皆さんの目の力強さが変わります。派遣前は、自信がなく目に力強さは感じません。しかし、帰国後は、2週間現地で生活し困難を克服した自信が目に現れ、目が輝き、力強くなります」と紹介します。経験を通じた目の輝きと力強さ、良いです。

山形学習センターでは、「多文化共生センター」も目指しています。「学生大使」等も考えたいですね。

山形県の3世代同居率は、日本一。我が家も3世代同居で子供は5人。さらにラブラドール・レトリバー、犬の「クク」、インコの「テンゾウ」、ウサギの「ユウタ」の大家族。頑固なインコの「テンゾウ」は、言葉を教えても覚えようとせず、台所で我が物顔の「鳥語」をシャベリ、存在感を示します。

「ユウタ」は大人しいウサギで、何時もカゴの中で静かに物思いに耽っています。「目が輝き、目で物を言う」のが、「クニオ」こと犬の「クク」。誰かが食卓に座ると必ずその横に座り、目で物を言います。

目で物を言うクニオを見ると「京都三条の糸屋の娘、姉は十六、妹は十四、諸国諸大名は弓矢で殺す、糸屋の娘は目で殺す」を思い出します。目の力、不思議で面白いです。

我が家の5人の子供達、それぞれ個性があるように、我が家の動物「3人」も個性を示し、家族の一員として欠かせぬ存在です。多様性の高い我が家の大家族、賑やかで話題に事欠きません。大家族、良いです。

『家庭の力』(安岡正篤:活学一日一言)

「家庭というものは全く人間生活の基礎であり民族興亡の拠所(よりどころ)でありますから、これを出来るだけ正しく、美しく、力強くしてゆかねばなりません。

その為には、なるべく家族水入らずの気安さ、小ぢんまりとした手入れのとどく住宅、決して贅沢でない衣食、静かで、考える余裕のある生活、濫(みだ)りにならぬ社交が必要であります。

家庭を失いますと、人は群衆の中にさまよわねばなりません。群衆の世界は、非人間的世界です。人は群衆の中で却(かえ)って孤独に襲われ、癒(いや)されることのない疲労を得るのです。

これに反して良い家庭ほど人を落着かせ、人を救うものはありません。人間は、妻子を持ち、友を知り、多くの人と交わり、ある程度の年齢に達して、ようやく本当の意味での学問・求道ということがわかり始めます」。

幕末の歌人、橘曙覧に「獨樂吟」と言う「たのしみは」で始まる歌集があります。

「たのしみは 妻子(めこ)むつまじくうちつどひ 頭(かしら)ならべて物をくふ時」

この歌は、単純ですが、ほのぼのとした「たのしみ」の本質を突いているように感じます。好きな歌です。「家庭の力」、今までも、今も、これからも重要に思います。