2021-02-27

庄内の歌人、和歌の学び

「うらやまし 春をみやこの旅の空 立ちも添はばや 霞なりせば」

これは江戸時代後期、庄内に初めて歌壇を形づくった女流歌人、杉山廉の「都へ行く人に」の歌です。「みやこ」は、「見る」と「都」の掛詞とのこと。

2月21日(日)午後、山形学習センター客員教授、藤田先生の特別講演「近世後期庄内歌壇と和歌注釈について」が山形学習センターで開催。それに出席しました。杉山廉などに関し、13名の皆さんとの学び。和歌は、中学以来。約半世紀ぶりの学びでした。


日本人の情緒の奥深さと味わい深さを再認識した、非日常の貴重なひと時。楽しかったです。

杉山廉は、幼いころ庄内藩士の父が江戸勤務となり、家族と一緒に江戸で生活。その時、江戸の歌人から歌道を学ぶ。

その後、鶴岡に帰る。17歳で武士の妻となり1男1女の母。廉は、源氏物語などの文学にいそしみ、それを理解しない夫に離縁される。

「ことの葉の 道をもさらに しらいとの いひとくほどを 人やわくらむ」これは「友どちあつまりて、源氏物語をよみ侍(はべ)りて」の歌。「しら」は、「白」と「知る」の掛詞。「源氏物語」を同士と楽しんだことでしょう。

その後、廉は、鶴岡で和歌の道に励み、多くの歌人を育てたそうです。人生いろいろ。

講師の藤田先生のご専門は、日本古典文学。平安和歌を中心に研究され、特に、私家(しか)集の本文研究が中心とのことでした。

また、山形大に赴任されてからは、未研究の和歌資料を発掘して研究。例えば、江戸時代の書籍が、鶴岡や米沢などに沢山あり、それらを発掘して、地元の文化の継承にもご尽力。発掘の秘話も披露。

「江戸時代後期頃から、鶴岡では多くの歌人が活躍を始める。それは、杉山廉を中心とした歌人たち。和歌も多く残っているが、この庄内歌壇の大きな特徴は、和歌の注釈作業にも着手している点である」との説明。

鶴岡市立図書館前に「杉山廉の歌碑」があることを知り、早速訪問して撮影しました。


「あすもまた 狩り行くみねと しら雲の 月に妻恋ふ 小牡鹿(さおしか)の声」

これは廉の師匠の一人、久米景山が、「狩りの事をつかさどり、ひと日狩りくらし、由良の山里に宿りけるに、夜ふけて鹿の音を聞てよめる歌」とのこと。「しら」は、「白」と「知る」の掛詞。

和歌も含めた文学、なんとなく心豊かな気になります。大事にしたいと思います。

藤田先生との縁で庄内の歌人と和歌を学び、歌碑を知りました。とても貴重な学び。藤田先生に感謝です。

『縁尋機妙、多逢聖因』(安岡正篤 一日一言)

「良い縁がさらに良い縁を尋ねて発展してゆく様は誠に妙(たえ)なるものがある―これを縁尋機妙(えんじんきみょう)という」。

「いい人に交わっていると良い結果に恵まれる―これを多逢聖因(たほうしょういん)という」。

「人間はできるだけいい機会、いい場所、いい人、いい書物に会うことを考えなければならない」。

「縁尋機妙、多逢聖因」、重要です。大事にしたいと思います。

2021-02-25

川上正光先生、人物と考え

川上正光先生、ほとんどの人は、名前を知らないと思います。私も20年前までは、全く知りませんでした。

佐藤一斎先生の『言志四録』を学びたく、色々と探したら『川上正光全訳注、言志四録全四巻』に遭遇。

早速購入して学ぶとともに、先生の経歴と人物に興味を持ち、「教養」の深さに驚愕しました。

先生は、1912年(明治45年)栃木県生まれ。実家は裕福でなく、ご両親に頼み込んで浜松高等工業学校(現静岡大学工学部)に入学。それから東京工業大学に進学。

そして、東京電気(現東芝)に入社。12年後に東工大助教授として母校で教鞭。定年退官の翌年、東工大第10代学長に就任。4年間の学長後、1977年から5年間、長岡技術科学大学初代学長。

先生は、東工大学長の時に『川上正光全訳注、言志録』を執筆。この言志録、訳文はもとより、語義や付記が凄い。先生の専門は電気工学。専門分野でも全五巻の素晴らしい教科書など多数執筆。

例えば、『言志録』、1から5までの箴言は、「その数皆な前に定れり」、「天を師とす」、「天に事(つか)うる心」、「天道は漸をもって運(めぐ)る」、「憤の一字」。

それぞれの箴言に語義や付記が記されています。それを見ると、その博学多才さが窺え、驚愕。

その5つの箴言の語義や付記には、江戸時代の偉大な禅僧、白隠禅師の『施行の歌』、1000年以上前、唐の宗密禅師著『原人論』の『会通本末第四』、福沢諭吉や中江藤樹の言葉、西郷南洲遺訓、吉田松陰の師、村田清風が富士山を歌った短歌、数多くの論語の引用等々。これは先生の博識、氷山の一角。

『言志四録』は、幕末、昌平黌の儒者、佐藤一斎先生が42歳から82歳までに記された四巻の箴言集。『言志録、246条』、『言志後録、255条』、『言志晩録、292条』、『言志耋録340条』より構成。

1,133の箴言、全てに詳細な語義と付記が記されています。川上先生、本当に凄い人。感動です。

先生は、「門外漢が何故「言志四録」をいじりだしたか」の理由を以下のように述べています。

「一般的に社会人として大切なものは何か。第一は健康、第二は人物、第三は独創で、第四は奉仕、第五、第六がなくて、第七が学業と考えている」。

「ということは、私自身がまことに不完全な人間であることを常時気にしているからである。それなのに、こんなに大切な人物の養成ということを、特に戦後は全くといってよい位、表だっていう人もいないのはどうしたわけか。これは国家にとって由々しき事といわざるを得ない」。

「一般に修養書といわれるものは、昭和初期にはかなり出版されていた。その代表的なものは、「菜根譚」と「言志四録」。「菜根譚」は、出版されているが、「言志四録」は一冊も出版されていない」。

「とにかく「言志四録」を世に出したいと思い、門外漢が本書を出版するにいたった」。

先生は、『日本に大学らしい大学はあるか』との書も出版され、大学教育に関しても指摘。川上先生語録。

「日本では、教えて覚えさせる、つまりTeaching-Learning 型が主力である。私は望ましいのは、Education-Study 型、つまり能力を引き出し、物事を基本から理解するよう自分で考えさせることだと思う」。

今から24年位前、英国に約10ヶ月留学していた時、4歳の娘が小学校に入学。そこでの教育は、「自ら考えさせること」を重視するものでした。

「人間にとって大切なことは、学校で習うこと以外にもある。例えば、見識・胆識・気骨など。もう一つ大切なものは、“人徳”だろう」。

「誰でも人生において、二つの道を探らなければならないと考える。一つは自分の専門、もう一つは自分を磨く道。科学者には人間修養も必要」。

「私は大学の目的の第一は“教授たちが new idea を考え出して社会に貢献し、この能力を学生に伝えること”であり、これを遂行するためにAcademic FreedomとAutonomyが保証されていると考える」。

「大学に学ぶ者の価値は物知りになることではなく、アイデアを作り出し世界の文化に貢献すること」。

「大学で勉強する場合の心構え。色々の事柄には、①essentialなものと、②trivialなものとがある。①はよく根源を理解し記憶する必要があるが、②はその必要はない。だからできるだけ早い時期にこの二つを峻別する力を養うことが重要」。

「知識そのものを学ぶのではなく①mental attitude学びとるやり方、つまり学び方、②way of thinking考える方法、つまり考え方を身につけることが大切である。これが大学で勉強して得られる宝」

川上先生、偉大な人です。先生のお陰で『言志四録』を学ぶことができました。先生に感謝。

今回のブログは、「言志四録(一)言志録」(佐藤一斎著/川上正光全訳注)と『日本に大学らしい大学はあるか』(川上正光著)を参考にしました。

『偉大な愛情と努力』(平澤 興 一日一言)

「大きな仕事をなし遂げるのに最も必要なのは必ずしも才ではなく、むしろ多くの場合、物に対する愛情と努力であります。偉大な仕事には必ず偉大な愛情と努力とがあります」。

川上先生、「言志四録」に限りなき愛情があったと思います。「偉大な愛情と努力」、心に留めます。

2021-02-23

『運命をひらく』、敬愛塾での学び

「我が道は至誠と実行のみ。故に才智、弁舌を尊ばず。至誠と実行を尊ぶなり。凡(およ)そ世の中は智あるも学あるも、至誠と実行とにあらざれば、事は成らぬものと知るべし」。

これは、『致知』編集長、藤尾氏が『致知』1月号「特集、運命をひらく」のリード文で紹介した二宮尊徳の言葉。運命をひらく上での根幹となる言葉だという。尊徳の箴言、今までも、今も、これからも重要に思います。


敬愛塾、「我づくり」2月の研修会に参加。同志と「我づくり」の人間学を学ぶ「敬愛塾」。今回の研修資料は、『致知1月号』、特集『運命をひらく』。

記事から学び、さらに同志の意見や生き方から学ぶ、実り多く充実した2時間。

この塾では、まず綱領「私たちは、修養を通して己を一層高め、もって一燈を点して、国家の一隅を照らし、各々の分に随ってそれぞれの家を斉え、郷土を興し、祖国の繁栄に寄与するよう努めます」を唱和。

藤尾氏は、「出会いには二つの原理」があり、「成長にも二つの原理」があるという。そして、この二つの原理通りの人生を生きたのが二宮尊徳であったと、氏の生き方を紹介。

「出会いの二つの原理」。その一つは、「背中を叩かれる(挑戦する)ことで、人の器や度量が大きくなり、運命も大きくなる」。その二つは、「困難な運命に出会うと能力の波頭が高くなる。力量は、困難な運命に出会って高まる」。

「成長の二つの原理」。その一つは、「人間は本物に出会わなければ本物になれない」。その二つは、「何に対してシビれるのか。本物にシビれなければならない」。本物に出会い、本物にシビれることで成長するという。

この「二つの原理」、運命をひらく上での本質的な処が含まれていると感じます。心に留めたい「原理」です。

尊徳は、4歳、13歳、36歳の三回の試練を経験。第三の試練により日本の尊徳となり、歴史に名を残すことになったと紹介。

それは、小田原藩の荒廃した桜町の復興に命懸けで取り組んだ10年間の事業。さらに荒廃した全国600余村の再建に尽力。

尊徳の教えは、「至誠を本とし、勤労を主とし、分度を体とし、推譲を用とする」。尊徳の教えの根本はこの四つ。

「真心の限りを尽くし、勤勉に働き、自分の分度を弁(わきま)え、今日得たものの一部を来年に譲る、子供に社会にその分限に応じて譲る」。

「至誠をベースに、勤、倹、譲の三つを繰り返し、運命をひらき発展する」。報徳思想。現代にも通じる教えに思います。

参加者が「昭和の時代、小学校に薪を背負って『大学』を読む二宮尊徳の銅像がありました」と紹介。私が育った島根の小学校にも「銅像」がありました。日本全国の小学校に「銅像」があったのかもしれません。

尊徳は、日本人が生き方の見本とした一人に思います。1908年、内村鑑三が英語で紹介した『Representative Men of Japan(代表的日本人)』にも、氏は、5人の代表的日本人の一人として紹介されています。

尊徳の生き方を記した『報徳記』、勉強しようと思います。

写真は、高速バスで毎日通勤している月山道。快晴の気持ちよい景色です。

『道をひらくもの』(平澤 興 一日一言)

「若人よ、諸君が覚悟をして燃える時、諸君には自らもわからぬような無限の可能性が展開されるのだ」。

「この可能性の展開は、いわゆる頭のよしあしの問題ではなく、実に諸君の火と燃える意志と何ものにも負けない不屈の努力にあるのである」。

「情熱、実行、努力―これこそが諸君を生かし、諸君を伸ばす力である。諸君はその目的に向かって全情熱を傾けることだ。不屈の意志のあるところ、道は開ける」。

「全情熱を傾け、不屈の意志のあるところ、道は開ける」、心に留めたいと思います。

2021-02-21

山形大海外日本語教室、留学生からの学び

昨年3月までお世話になっていた山形大、私は教育・国際交流の担当。国際交流活性化のため、大学院の大先輩に国際交流担当教授として山形大に赴任してもらいました。

そして、その先輩が約9年前に「学生大使プログラム」を考案し、このプログラムは今、山形大国際交流の看板の一つです。

このプログラムは、「1.山形大の学生が、海外オフィスのあるベトナム、中国、インドネシア、ケニア、ラトビア、モンゴル、ペルーの各大学に一定期間、「学生大使」として滞在し、日本語を教えながら日本文化や山形大を紹介する」。

「さらに、2.相手国文化や実情を学びつつ、現地学生との交流を通して「グローバル人材」に必要な能力を習得する」ことが目的。

このプログラムが立ち上がり、私も海外オフィスのある国を訪問し、現地の学生さんや「大使」として派遣された山形大の学生諸君と情報及び意見交換しました。

ベトナムでは、首都ハノイにあるベトナム国家農業大学(VNUA)にオフィスがあり、学生大使はVNUAに派遣。このプロブラムが始まりVNUAから山形大へ留学する学生が増加しました。


その留学生の一人が、今月博士の学位審査を無事終了。お祝いの夕食会をしました。私が、8年前にVNUAを訪問して現地の学生さんと交流会を企画した時、彼は、私の所に留学したいと思ったとのこと。

4年前、私の学生として博士号を取得したいと聞いて嬉しく思いました。しかし、私は当時、副学長、2年後には定年。私の友人に彼の指導をお願いし、3年間の博士課程を終え、今月、博士審査が終了。

彼との夕食会、色々な話をしました。彼は、福沢諭吉の『学問のすすめ』に大変感銘を受けたとのこと。『学問のすすめ』で盛り上がりました。

福沢先生は、『学問のすすめ』、「第三編「個人の独立があってこそ国家の独立がある」で、「独立不羈(ふき)の精神の必要性」を強調しています。

「わが日本国民も、ただちに学問に志し、気力を確かに持って、まず個人としての独立をはかり、国家の富を高めていけば、西洋人の力など恐れるには足らない」。

「道理ある国家とは国交を結び、道理なき国家とは勇気を持って絶交する」。

「「一身独立して、一国独立す」とは、要するにこのことをいうのである。国家と国家は対等である。だが、その国の国民が独立しようとの気力に欠けるときは、独立国家としての権利を世界に広めることなど、できるものではない」。

「その理由は、第一に、独立の気力がない国民は、国を愛する精神も希薄である。第二に、自分に独立の自覚がない者は、外国人と交わっても自分の権利を主張できない。第三に、独立の気迫がない者は、他人の権力に頼って悪事をすることがある」。

明治5年に書かれた『学問のすすめ』、今でも全く色あせていません。福沢先生、本当に偉い人です。

ベトナムからの留学生は、鶴岡滞在3年半で、益々、日本の大ファンになったとのこと。嬉しい限りです。

彼から善い「縁」をもらいました。感謝です。

写真は、VNUAの山形大日本語教室の学生さん達です。


『勝縁を結ぶ』(安岡正篤:一日一言)

「平生(へいぜい)からおよそ善い物・善い人・真理・善い教・善い書物、何でも善いもの・勝れているもの・尊いものには、できるだけ縁を結んでおくことです。これを勝縁といい、善縁といいます」。

「とにかく、折角善い人に会い、善い書を見、善い話の席につらなりながら、キョトンとしたり、欠伸をしたり、そっぽを向いたりしている人間はだめであります。うつけ者です」。

「大体そういう人間なら、諸君は決して事を共にしてはいけない。そういう人間を友にしてはいけない」。「むしろ何でもないようなことでも、耳を傾けたり、眼を光らせたりする人であったら、何か見どころのある人間なのです」。

「もちろん形骸は眠っておるようでも魂が輝いておる人もおりまして、凡眼ではなかなか見わけがつきません」。

「勝縁」、重要です。今までも、今も、これからも「縁」を大事にしたいと思います。

2021-02-19

『山形SC所長山桜庵』、100回公開記念

 「ブログを立ち上げたいのだけど、作ってくれないかね」。「了解です。どんな感じのブログがいいですか」。「○○さんのブログの感じでお願いしたいのだけど」。「分かりました。作ります」

これは昨年7月中旬、ブログを立ち上げようとして、米国で活躍している元指導学生にお願いしたメール。

依頼して1日後には、ブログが上がってきました。凄い。メールや国際電話で少し遣り取りし、完成。

完成後、ネットにブログタイトルを入れると直ぐに「ブログに訪問可能」と思いました。ブログを公開して、234日後、ネットに「山形SC所長」と入力。ブログが出ず、ブログを読むことができません、ウウウ。

作成者の元学生さんに「ネットでブログが出てこないのだけど、どうしてなのかね」と質問。

「先生、そりゃ、新参者のブログなんて直ぐには、上がってきませんよ。公開頻度やアクセス件数などにより上がりやすくなります」とのこと。

ブログ公開1ヶ月後から「出てくる」ようになりました。昨日、「山形SC所長」をネットに入力、142万件がヒット。その1頁目、1番目と2番目が、我がブログ。

本日は、「ブログ公開100回記念(?)」として、今までのブログ作成「裏話」なども含めツブヤキます。

昨年7月28日、第1回目のブログに「ブログの主な読者は、山形学習センターの学生の皆さん」とし、下述のような「ブログの概要」を記して、ブログを開始。

「ブログでは、1)放送大学及び山形学習センターの動きや企画などを発信しての情報共有、2)私の周辺の出来事や私が考えていることの紹介、3)私が生き方や考え方を学んでいる東洋思想の泰斗、安岡正篤先生及び、京都大学16代総長で医学者、平澤興先生の箴言なども紹介します」。

ブログをよく読んでくれる友人と昨年再会。「ブログの作成時間は、どのくらいですか」と質問されました。「話題により色々ですが、大枠を書くのは、約1時間。それから加筆修正、推敲に1時間程度です」と解答。

ブログの話題は色々ありますが、感動したことは、ブログに書きやすいです。

さらに、知り合いから「2日に1回のブログ更新、ブログの話題が、次々とよくありますね」と言われました。確かに、2日に1回の公開は頻度が高く、話題が欠乏するようにも思われます。

しかし、話題は色々な処からきます。最近では、何気なく見ている「Youtube」、色々と乱入してくる番組に感動し、ツブヤクこともあります。

また、私なりにブログ作成の要点も考えて書きます。書き出しの「つかみ」と最後の「しめ」が重要で、それなりに書け、安岡先生又は平澤先生の「箴言」が、本文と上手く関連づけば少し嬉しいです。

ブログでは、できるだけ簡潔で分かりやすく、面白そうな話題を紹介したいのですが、これは簡単ではありません。

そして、ブログをアップすると、まず家内に感想を聞き、必要に応じ加筆修正。さらにアップ後30分は、ブログを何回も読み、分かりやすさや誤字脱字を再度チェック。それゆえ、公開後30分以内は、多少変更もあります。

文字量は、A4用紙1枚に収まるよう1800字以内。

昨日まで6ヶ月間のアクセス総数は、5713件、1日平均32件。日本が80%、米国8%、以下オランダ、香港、シンガポールの順です。1日当たりアクセス数は、1週間に1250前後があり、1ヶ月に1回程度100近くがあります。過去最高の1日当たりアクセス数は、170件。驚きました。

どんな人に読まれているか、少しは気になる時もあります。

ブログでは、できるだけ個別の話題から一般化できるような話に展開したいと考えています。これも、簡単ではないです。

そして、堅い話ばかりでは肩も凝りますから、たまには「クニオ」や我が家の「住人」にも参加してもらい、柔らかな話も交えバランス(?)を保ちたいとも思っています。目で語る「クニオ」は、読者に人気だと知りました。


「頬が緩む」ようなユーモアも入れたいのですが、なかなか難しい。読者の方を励みに、今日もブログ書きを楽しんでいます。3年間は続ける予定です。今後もよろしくお願いします。

 『ユーモア』(平澤 興 一日一言)

「ユーモアは、人生を明るくし、広くし、かつ多彩なものにする。たしかにユーモアはひからびた世の中に何かしっとりしたものを与え、生きる喜びを与えてくれる」。

「世の中には、ユーモアにさえ不真面目なものを感じるような人もないではないようだが、ユーモアは我々に働くエネルギーを与えこそすれ、少しも不真面目なものではなく、きしむ世の中の油のようなものである」。

「ユーモアは心のゆとりなくしては出るものではなく、またかりに心のゆとりがあっても、よいユーモアは、鍛えられた人生の深さがなくては出るものではない」。

「ユーモア」、好きです。ユーモアのある「ブログ」にしたいのですが、「鍛えられた人生の深さがない」ので、ユーモアが出せないのでは、と思います。

2021-02-17

佐藤一斎先生と『言志四録』

「少(わかく)にして学べば、壮にして成すあり。壮にして学べば、老いて衰えず。老いて学べば、死して朽ちず」。

これは、佐藤一斎先生『言志四録』、『言志晩録』の『三学戒(さんがくかい)』です。


『言志四録』は、『言志録:1813年42歳から11年間、246条』、『言志後録:1828年57歳から10年間、255条』、『言志晩録:1838年67歳から10年間、292条』、『言志耋録(てつろく):1851年80歳から2年間、340条』の4つより構成。

昨年3月まで山形大教育学生支援部で業務に従事。毎月曜日、朝11時から「朝ミーティング」。『言志四録』や、安岡正篤先生の箴言を紹介し、「意見交換」していました。

「朝ミーティング」の実施を部長に相談。「本当にやりますか」との反応。9年前のことでした。

9年前に始めた「朝ミーティング」は好評で、「4月から異動で朝ミーティングに参加できないのが残念です」と話して他の部局に異動した職員もいました。

また、先日、会った職員は、「放送大学で朝ミーティングやっていますか。あれは、とっても良かったです。是非、やってください」との感想。

「朝ミーティング」の「箴言」をどのように感じるかに、その人の生き方の一端が表れ、「意見交換」は、色々と勉強になりました。

お世話になった一斎先生。先生は、美濃の巌邑藩(いわむらはん)の藩士として1772年に誕生。1841年60歳の時、昌平黌(東大の前身)の儒官(総長)になり、数千人の門人を育成。明治が始まる9年前、1859年に88歳で没。

門人の中の有名な人物には、佐久間象山、横井小楠、安積艮斎、中村正直など。

さらに、象山先生の門下からは、勝海舟、坂本龍馬、吉田松陰、小林虎三郎などの志士が輩出。そして、松陰先生の門下からは、高杉晋作、久坂玄瑞、木戸孝允、伊藤博文、山県有朋などが輩出、明治維新を形成。

一斎先生は、幕末から明治の日本形成に大きな影響力を及ぼした人と言っても過言ではないでしょう。

また、西郷隆盛(南洲)が、この『言志四録』を愛誦し、その中から、会心の101条を抄録し、金科玉条として座右の箴(いましめ)としていたとのこと。

『言志録88』の『眼を高くつけよ』。「著(ちゃく)眼(がん)高ければ、則ち理を見て岐(き)せず」。訳は「出来るだけ大所高所に目をつければ、道理が見えて、迷うことがない」とのこと。生き方の本質が、片言隻句(短い言葉)に凝縮。『言志四録』、味わい深い書です。

昔のファイルの中から「朝ミーティング」の資料を発見し、一斎先生を懐かしく思い出しました。

今回のブログは、『言志四録(一)』(佐藤一斎著、川上正光全訳注、講談社学術文庫)を参考にしました。

写真は、良い天気の月山道

『六然(りくぜん)』(安岡 正篤 一日一言)

「自處超然(じしょちょうぜん):人間は自分の問題となると、物にとらわれて執着したり、拘泥するものである。事に臨んで自分に関する問題から解脱し、抜け出せるように勉めることだ」。

「處人藹然(しょじんあいぜん):人に対しては好意に満ち、温かい気分を持って対するのである。藹は草木の青々とした雰囲気をあらわす文字である」。

「有事斬然(ざんぜん):何か問題があるとき、うろうろしたり、うじうじせず、活気に満ちきびきびしている」。

「無事澄然(ちょうぜん):何もない時は、氷のように澄み切っている」。

「得意澹然(たんぜん):得意の時は威張ったり驕ったりし易いものであるが、人間はその時あっさりしていることが肝腎である。まだまだ足りないという謙虚さを抱くことだ」。

「失意泰然(たいぜん):失意の時は、ばたばたせずにゆったりと落ち着いている」。 

『六然』は、勝海舟の座右の銘。生き方の本質が、片言隻句に凝縮された好きな箴言。心に留めたく思います。

2021-02-15

我が最終講義の回想、楽しき思い出

『自然の調和と生物の共存について -調和法則の発見を夢見て-』。これは最終講義のタイトル。

最終講義は、2020年2月15日。今から丁度、1年前。講義準備は、相変わらずのドタバタ。最終講義、当日の朝まで講演パワポを修正。情けないことです。

講義の構成は、「研究に関する第一部」と、「山形での出会いに関する第二部」。本日は、最終講義1周年記念(?)として、少しツブヤキます。

最終講義、第一部は、「自然の調和と生物の共存について ―調和法則の発見を夢見て―」。泥臭い生態学の一端と、七転び八起き、愚直な我が人生の一端を紹介。

第一部は、「1.多様な生物とその役割、2.糞虫群集の調和と共存について、3.蚊の幼虫群集の共存について、4.アブラムシ捕食者群集の共存について、5.熱帯の土壌微生物が植物・植食者・捕食者へ及ぼす影響について、6.水田生態系の多様性と調和について」でした。

山形大農学部教員に採用された29年前、3つの異なる研究システムで、それぞれ10年以上の研究を続け、その後「調和法則」を考えようと思いました。

3つのシステムで10年以上の研究は行いましたが、肝心な「調和法則」を考えるは、未だ宿題です。

人生には、「ノボリザカ、クダリザカ、マサカ」があります。農学部長2期3年半、理事・副学長5期8年半、12年間の管理職は、想定外。「マサカ」です。山形大在職28年、その約半分弱は、教育や研究現場から離れた管理職。

第二部は、「山形大での28年の生活を振り返って、山形での出会いと学び」。動物生態学研究室での生活の一端を紹介。「1.学会での企画や国際共同研究などでの思い出、2.山形での出会いと学び、3.動物生態学研究室での学生のみなさんからの学びと遊び」でした。元文科大臣の有馬先生を含め多くの貴重な出会い。縁の重要性、「結縁」を感じます。

学生諸君には、在職28年間、本当によく遊んでもらいました。酒を呑み研究と関係ない関心事を紹介する「花金ゼミ」、毎水曜日のソフトボール練習、毎金曜日の英語ミーティング、国内外での学会発表、等等々。


また、ベルギーと鶴岡での国際シンポジウムで、2名の学生が最優秀講演者賞を受賞。感動でした。

学生諸君は、「独裁者」、私の提案を何時も快諾。忘れえぬ、とても楽しい教員生活。心から感謝です。

最終講義後、「あつみ温泉萬國屋」で祝賀会。米国を初め遠くからの数多くの卒業生と再会。近況報告や学生時代の話に花が咲きました。また、動物生態学研究室で「自然の調和の解明を夢見て」の研究室冊子を作製。

卒業生が、その冊子の「研究生活回想」に、私の「言動」を記述。全く記憶にないことばかり。多くの「学び」がありました。私の言った一言が、学生諸君には、強く心に残っているのを発見。

教員は、一言ひとことに注意すべきと痛感。いくつか紹介します。

A君「40にして惑わず、と先生は良く言われた。もう50手前なのにやりたいこと煩悩に満ち溢れ惑う私も、学生の尻は迷わず叩く。尻といえば、叩かれてあんなに元気をもらえるのは先生だけである」。

B君「先生は、飲むことが好きで酒が強く、底がなかったことも印象的でした。・・・。花金に行う鍋をつつき、酒を呑みながらの自主セミナーは、楽しい思い出でもあります」。

C君「先生ほど、指導力のある方を、私は知らない。その指導は、手取り足取り行われるものでなく、学生にとり適切な目的を設定することで行われる。・・・」。

「指導効果は絶大で「昆虫に強い興味のない学生を半年間テントウムシの飼育に没頭させ」、「be動詞もろくに知らない学生を数年後に米国に送り出し」、「秀でた能力もない人間を大学教員に仕立て上げ」ている」。

「先生ほど、私の人生を変えてくださった方を、私は知らない」。

D君「在学中、一度だけ厳しく叱られたことも忘れられない思い出です。それは4年生1回目のゼミ。一夜漬けで準備をしたためか、案の定グダグダでひどい内容でした」。

「先生は「これは本気で取り組んだものなのか。君にはがっかりした」と指摘。自業自得でしたが、すごくショックでした。優しいだけでなく、必要な時には激しく叱ってくださる先生に、本当に感謝しています」。

E君「研究を全く知らない私は、失敗に失敗を繰り返していました。先生はそんな私を責めるどころか、私に「人間は間違えるもの。間違いを減らす工夫が大切だ」と、優しく励ましてくださいました」。

F君「今でも私の本棚には、先生が開かれた「読書会」の本があります。先生は、私達が生き方を考える機会や、生きるのに大切なことを伝えようと、「読書会」を開催されたのでしょう。多くのことを学びました」。

大学教員生活28年。学生諸君から学び、刺激と元気をもらった、アッと言う間の28年。教員冥利に尽きる楽しい28年間でした。学生諸君との縁があったから、今の私があります。心から皆に感謝です。有り難う。

最終講義や祝賀会の企画者、佐藤先生初め実行委員、忙しいところ出席してくれた卒業生、参加された多くの教職員や市民の方々に感謝。有り難うございました。また、無事、定年を迎えられたのは、素晴らしい山形大教職員のお陰。感謝です。

家庭を顧みず好き勝手な人生を過ごした「母子家庭」の我が家。子育ての家内と元気をくれた5人の子供達にも感謝。

定年退職になり、第二の人生が始まりました。定年退職がこんなに嬉しいとは、想定外。第二の人生も夢を描き、ロマンを求めて色々と挑戦します。

 『50、60 花盛り』(平澤 興 一日一言)

「50、60 花が咲き、70、80 実が成って、90、100 歳熟れ盛り」。

人生これから。楽しみます。

2021-02-13

吉野 弘 さん、祝婚歌

「二人が睦まじくいるためには 愚かでいるほうがいい 立派すぎないほうがいい」

「立派すぎることは 長持ちしないことだと 気づいているほうがいい」

「完璧をめざさないほうがいい 完璧なんて不自然なことだと うそぶいているほうがいい」

「二人のうちどちらかが ふざけているほうがいい ずっこけているほうがいい」

「互いに非難することがあっても 非難できる資格が 自分にあったかどうか あとで疑わしくなるほうがいい」

これは、山形県酒田市出身の詩人、吉野弘さんの『祝婚歌』です。

先日、長女が知り合いから『二人が睦まじくいるためには』の詩集を贈られました。『祝婚歌』は、その中に入っています。懐かしく再読しました。

「正しいことを言うときは 少しひかえめにするほうがいい」

「正しいことを言うときは 相手を傷つけやすいものだと 気づいているほうがいい」

結婚披露宴で祝辞を頼まれた時には、『祝婚歌』の上述の処をよく紹介しました。

そして、「幸せな新郎新婦は今、この『祝婚歌』の意味は、分かりにくいと思います。しかし、結婚生活を続けると、この詩の味わい深さが分かります。結婚歴の長い方は、理解されるでしょう」と、補足します。

『祝婚歌』には、夫婦が睦ましく生きるための要点が含まれているように思います。

この詩集を贈ってくれた方は今、70歳。「『祝婚歌』のように生きられたらいいけど、難しいよのー」とおっしゃっていました。

私もそう思います。夫婦、旦那と奥さん、男性と女性は、異質な生き物です。お互いが分かりあえない処も多々あります。それが、よい処にも思います。異質だから面白く、夫婦は奥深いのかもしれません。

そして、『祝婚歌』は下述の文章で終わります。

「立派でありたいとか 正しくありたいとかいう 無理な緊張には 色目をつかわず」 

「ゆったり ゆたかに 光を浴びているほうがいい」

「健康で 風に吹かれながら 生きていることのなつかしさに ふと 胸が熱くなる そんな日があってもいい」

「そして なぜ胸が熱くなるのか 黙っていても 二人にはわかるのであってほしい」

『祝婚歌』、ホノボノとした温もりを感じます。知り合いに感謝です。

写真は、昨日の晴天の月山道。「冬来たりなば、春遠からじ」。北国の長い冬も間もなく終わり、新緑の春がやって来ます。楽しみです。


『一言・人を誤る』(安岡正篤 一日一言)

「人間の本当の正しさは、ちょっとした日常の挨拶や振舞にあらわれ、何でもない行動に、案外人間内容やその背景を知ることができるものです」。

「これに反して、大層偉そうな大げさなことを言うものは当(あて)になりません」。

「こんな人程、家の中や友達とのつきあいになると、とんでもない愚劣なことを平気でやるものであります」。

「昔からよく言うように「一言・事を破る。一言・人を誤る」で、ついうっかり言った言葉、ちょっとやった行為がその人の人間を決定します」。

「二人が睦まじくいるためには」、ついうっかり言う言葉、一言に気をつけることも重要に思います。『一言・人を誤る』、心に留めたいと思います。

2021-02-11

『ザ・リーダー、京セラ稲盛和夫名誉会長』

 「人生の目的は、魂を磨くことだと思います」。

「死にゆくとき、生まれたときより少しでも美しい魂に、やさしい思いやりに満ちた心を持った魂に変わっていかなければ、この現世に生きた価値はない」。

「つまり、人生とは魂を磨き、心を磨く道場なのではないでしょうか」。

「心を磨こうと思っても、実際にはなかなかうまくいかないのが人間です。善き思いを抱こうと思っても、「自分に取り都合がいいかどうか」ということで、つい行動してしまうのが人間です」。

「そうした悪しき思いが出てきたときに、悪しき思いを抑えていくことが重要です。そのように、日々反省することが、心を磨くためには不可欠だと考えています」。と稲盛名誉会長は、話す。

先日、何気なく見ていたYoutubeに、「ザ・リーダー、京セラ創業者稲盛和夫名誉会長」が乱入。盛和塾でお世話になった稲盛塾長を懐かしく思い出しました。

稲盛さんは、1954年27歳で京セラを設立。1984年57歳で第二電電を設立し、それが2000年にKDDIとなる。そして、2010年にはJAL会長に就任。

JAL会長就任にあたっては、78歳の高齢であり、航空業界は全くの異業種なので、友人や知人、家族も含め誰もが大反対。「晩節を汚す」と心配の声ばかりだったそうです。

とても悩んだ末に「世のため人のために役立つことが、人間として最高の行為である」とのご自身の人生観と下述の3つの理由から、最終的に引き受けたとのこと。

「一つは、JALは日本を代表する企業であり、その倒産による二次破綻が生じれば、日本経済に多大な影響を及ぼし、日本国民も自信を失ってしまうのではないか」。

「二つには、JALに残された社員達の雇用を守るということ」。

「三つには、国民のため、すなわち利用者の便宜をはかるため」。

「航空機の運用は、安全が第一です」と言う利益概念のないJAL幹部職員に「勿論、安全は重要だ。しかし、安全を確保するには、企業が利益を上げ、その利益で安全確保業務が行える」ことを力説。

そして、「企業とは何か」を幹部職員に叩き込む。

さらに、「親方日の丸」で、倒産した事実の認識を欠く幹部に、倒産の事実を徹底して示し、京セラフィロソフィーを通じた意識改革でJAL再生

幹部職員との会議に出された「立派なお弁当」に「倒産した会社の社員が食べるような弁当ではないだろう」と激怒。

そして、JAL幹部には、再生後も「謙虚にして驕らず、さらに努力を」の言葉をモットーとして業務に従事することを伝え、2年8ヶ月でJAL会長を退任。この期間は、ホテル住まいでおにぎりを食し、無報酬。

また、1984年には、私財を投じて稲盛財団を設立し、理事長に就任。同時に国際賞「京都賞」を創設し、毎年11月に人類社会の進歩発展に功績のあった方々を顕彰。数多くの社会貢献事業も実施。

『稲盛語録』。「人生は「運命」という縦糸と「因果の法則」という横糸により織りなされている。善きことを思い、善きことを行えば、人生は好転する」。

「災難を神が与えた試練として受け止めて、前向きにひたすら明るく努力をすることが重要」。

「成功しても謙虚な人だけが幸運を長続きさせることができる」。「時代がどのように変わろうとも、一所懸命に努力するのが一番」。

「利他の心を持つ」。「人間性が大事。人間性は顔に出る」。

「人格を高めていこう、自分の心、魂を立派なものにしていこうと、繰り返し、繰り返し努力をしている、その行為そのものが尊いのです」。

「経営者は、世間一般の道徳に反することなく、人間として何が正しいのかという判断基準で物事を判断していかなければならない」。

青少年時代は、災難や苦難続きだったとのこと。これらのことも稲盛さんの人間形成に大きな影響を及ぼしたことでしょう。若いときの苦労は、重要かもしれません。

今回のブログは、『人は何のために生きるのか』と『ザ・リーダー』などを参考に記しました。

『目標を持つ』(平澤 興 一日一言)

「苦労しても目標を持っている間は、人間が光っている」。

稲盛さんは、「ザ・リーダー」のインタビューで「色々と成功して、これでよいと思ったことがあります」との質問に「一度も思ったことはない。今もない」と断言。

常に目標を持って生きておられるのだろうな、と思います。凄い人です。

2021-02-09

放送大学、講演会とパソコン教室のご案内

放送大学、全国に50の学習センターがあります。各学習センターでは、土日の面接授業やサークル活動だけでなく、講演会や色々な講習会も行っています。


写真は、放送大学山形学習センター(山形SC)がある霞城セントラル。山形駅西口から徒歩3分、「セントラル」の10階に山形SCはあります。


山形SCには、6名の客員教員がいます。この客員教員の先生などを中心に毎年、講演会を開催しています。今年度は、コロナ禍で講演会を開催しませんでした。

本日は、2月に山形SCで開催する講演会とパソコン教室を紹介します。

この講演会は、今年度、初めてで最後になります。演者は、客員教授の藤田先生。演題は、「近世後期庄内歌壇と和歌注釈について」です。


日時は、令和3年2月21日(日)午後2時から3時30分。興味のある方は、是非、参加ください。コロナ感染症の現状から、定員は16名。申し込みは、山形SCにお願いします(電話 023-646-8836)。 

また、パソコンに触れたことのない方を中心に『パソコン教室』を開催します。講師は、客員教授の近藤先生。日時は、令和3年2月20日(土)と2月27日(土)の2回、同じ内容です。

今回のこの「教室」は、諸事情から山形SC在学生の方に限定です。今後は、一般の方も参加可能な企画も考えたいと思います。ご期待ください。

放送大学は今、2021年度1学期の学生を募集しています。「いつでも、どこでも、だれでも」学べる放送大学、約300科目の授業を準備して皆さんをお待ちしています。出願〆切は、第1回が2月28日(日)、第2回が3月16日(火)。


放送大学は、教養学部のみの単科大学。是非、放送大学の授業で多面的な教養を身につけ、二度ない人生を楽しんでください。まずは、入学料7,000円、授業料1科目11,000円、在学期間6ヶ月の科目履修生に挑戦。満足と充実のひと時を過ごせます。


放送大学では今、10代から100歳の方まで幅広い年代の方、約85,000人が学んでいます。

全ての授業は、インターネットで受講でき、1回45分の講義、15回で2単位です。授業科目などは、HP(https://www.ouj.ac.jp/)を訪問ください。必ず興味ある授業科目に出会えます。「生涯学習支援番組」も含め、多くの授業が試聴できます。


「♪生きるとは学ぶこと、♫学ぶのは楽しみ♪」「♪生きるとは知ること、♫知ることは喜び♪」。これは、放送大学歌の一部抜粋です。

人生百年時代の今、「生涯学習」の放送大学で学びを楽しんで下さい。


『真の教養』(安岡正篤一日一言)

『およそ真の教養とは、人類の有する偉大な著書に親しむことによって得るものです。そこで昔から優れた定評のある良い書物を少しずつ読むことであります』。

「人間としての教養の書、人としての哲学の書、修養の書というものを、注意して毎日たとえ3枚でも5枚でも、そうゆう書物を必ず読むようにする。いわゆる座右の書を持つということであります」。

第二の人生、ゆっくりノンビリと教養を学ぶのも、楽しみの一つと思います。

2021-02-07

若いお母さんの子育て奮闘記、幸せって何?

 「幸せって何だろう」、と思う。

先日、インターネットでニュースを見ていたら「若いお母さんの子育て奮闘記」が乱入。

その「ほのぼのとした幸せ」に感動。「百人いれば、百通りの幸せ」があるでしょう。しかし、多くの人が感じる「幸せ」もあるのかな、と思う。

子供の成長を通じた子育ては、多くの人が「幸せ」を感じる一つかもしれない。

「若いお母さんの子育て奮闘記」から「ほのぼのとした幸せ」を感じた。

取りとめもなく、まとまりのない話ですが、少しツブヤキたく思います。感動は、文章では伝わりにくい。

「33歳のお母さん、6人の子育て真っ最中」。上は小学校5年生、下は2歳の双子を含め6人。

お母さん、幸せそうに子供達と接して、子育てに専念。私も「幸せ」気分。若いお父さんは大工の職人さん。

写真は、秋の鳥海山


「若いお母さんの楽しい子育て奮闘記の一日」。

朝6時前に起き、朝食の準備をし、洗濯機3杯の洗濯。3人の小学生と幼稚園児の朝食後、4人を送り出す。その後、2歳の双子と食事をして、近くの公園で遊ぶ。

午後、子供達が帰宅後、一緒に買い物。買い物は、必要な安売り商品を事前にスマホに記す。それのみ購入し、衝動買いは、しない。

夕方、お母さんが台所で夕食を作る。台所の机で小学生3人は勉強。そして、勉強が終わるとお母さんが採点。その後、子供達は夕食。5年生のおねえちゃんが、小学生以外の3人を風呂に入れ、着替えさせる。

「就寝前の儀式」。お母さんは、6畳の寝室に正座。子供は寝る前に一人ずつ、お母さんの前に行く。お母さんは子供をしっかりと抱きしめる。その後、ハイタッチ。この「儀式」がいい。「幸せ」、満開。

子供達は、「就寝前の儀式」が終わると、それぞれ布団に潜り込む。

そして、夫婦は、350ml缶の発泡酒で乾杯。それぞれ一缶ずつ吞みながら楽しく夕食。この晩酌は、欠かさないとか。6畳の部屋で親子8人が雑魚寝。

1カ月に一度、4人のママトモと一緒に一杯千円の出前ラーメンを食し、子育て談義でストレス発散。

時には、大工のお父さんが日曜大工。お父さんが、3人の小学生に手伝ってもらい、3つのランドセルかけを作る。作ってもらった子供もお父さんも「幸せ」そう。

子供が育ち話すようになると、また赤ちゃんが欲しくなる。お父さんと「もう3人は欲しいね」と話す。若くて元気、笑顔の爽やかなお母さん。

子育ては、大変な事も多いが、子育てが楽しいのだと思う。

1カ月の諸経費、家のローン9万、食費8万、その他約10万。締めて30万円弱。お母さんは、専業主婦。経済的な豊かさは高くはないが、生活の「幸せ度」は高そう。

「若いお母さんの楽しい子育て奮闘記」。「幸せ」いただきました。

写真は、冬の鳥海山

我が家は、5人の子供達。昔を振り返る。長女が産まれると分かった時は、本当に嬉しく、実際に産まれたら、しみじみと嬉しくなった。

その後、4人の子供達が家族に加わった。毎回、嬉しさは変わらなかった。

家族が増えると、物理的、精神的、経済的な自由度は低下する。

一方、家族が増えると、子供達に関連する多面的な学びや、社会との付き合いは広がる。

出張などの時、東京、新潟、鶴岡、山形で、それぞれの子供達と親子2人で夕食。上3人は女の子、そして大学生の長男と中1の次男。

子供達の近況報告を聞き、それをサカナに盃を傾ける。盃が進む。小市民的な「幸せ」を感じるひと時。

「たのしみは まれに魚煮て兒等(こら)皆が うましうましといひて食ふ時」

「たのしみは 三人の兒どもすくすくと 大きくなれる姿みる時」

これは、幕末の歌人、橘 曙覧(たちばな あけみ)の「独楽吟(どくらくぎん)」。何となく曙覧に共感する。

「楽しみ」は、「幸せ」に繋がると思う。

日々成長する子供達から元気と刺激をもらう。これは「楽しみ」に繋がる。時には、子供達の悩みを子供と共有し、一緒に悩む。

子供は、親を頼る。頼られることで、夫婦は親として、大人として成長する。これも「楽しみ」かもしれない。

しかし、ある時期を過ぎると「子離れ、親離れ」も必要に思う。そして、子供達と距離を保ちながら付き合うことも重要に感じる。これも長い目で見ると「楽しみ」に繋がるのかもしれない。

「幸せってなんだろう」。よくは分からない。健康で仕事や楽しみがある今、幸せを感じる。

人生、色々と経験した。ゆっくり考えると、今までも今も、幸せと思う。家族に感謝。

これからも色々と経験するだろうが、「ピンピンコロリ」まで、幸せに生き続けたいと思う。

「幸せ」について考えさせられた「若いお母さんの子育て奮闘記」。「若いお母さん」に感謝。

写真は、桜と松ヶ岡本陣

『最高の生き方』(平澤 興 一日一言)

「今が楽しい。今がありがたい。今が喜びである。それが習慣となり、天性となるような生き方こそ最高です」。

「生きる」ことの奥深さを感じる。第二の人生、『最高の生き方』にも挑戦したいと思う。

2021-02-05

モンゴルの星、ジャンチブ理事長

「人の世の幸不幸は、人と人とが逢うことからはじまる。よき出逢いを」。これは「相田みつを」の言葉

我がモンゴルの友人、ジャンチブ理事長が2017年に旭日小授章を受賞。上述の「言葉」は、理事長からの『受賞報告ハガキ』に記してありました。「よき出逢い」重要に思います。

 理事長とは、10年来の付き合い。ほぼ毎年一度は、山形で会って親交を深めていました。

昨年の大掃除で『受賞報告ハガキ』を発見し、懐かしく再読。「ハガキ」には、「お世話になった皆さんへのお礼と勲章は皆さんのものです」と記してありました。

本日は、2017年12月に山形大で特別講演をお願いし、私が、その講演の感想などを記した「記事」を再掲します。

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2017年12月22日、山形大小白川キャンパスで新モンゴル学園理事長ジャンチブさんの講演会、「山形の学びを通じたモンゴルでの教育再生」に出席しました。

これは、理事長訪日との情報が入り、我が国際交流課のスタッフにお願いして、実現したもの。

3年前に理事長が山形に来られ、マンツーマンで「理事長の人生」を聞きました。凄い人生、とても感動し涙がこぼれました。

それ以来、是非、若い人に、「理事長の人生の一端」を聞いて欲しく、今回の講演会になりました。

理事長は、1995年に奥さんと4人の娘さんで来日。私費留学生として、山形大教育学研究科修士課程に入学。

朝5時から7時まで新聞配達。その後、講義などに出席。午後5時から8時まで運送会社で荷物の運搬業務。夜8時から12時までは居酒屋でのアルバイト。睡眠時間は、毎日4時間、この就労で1ヶ月15万円の収入。

奥さんもレストランの皿洗いなどの仕事で睡眠5時間の生活。修士2年目からはロータリー米山奨学金の月15万円を授与。

 奨学金授与審査の面接試験で将来の夢を聞かれ、「モンゴルで学校を作り、人を育てて、国を再生する」と答えたとのこと。

この約束を守るため、何回も挫折しそうになりながら、「初志貫徹」し、2000年に「新モンゴル高校」を設立。

 娘さんが通われた山形西高をモデルに日本の高校の制度をモンゴルに導入して、知育・徳育・体育の調和ある生徒を育成し今、モンゴルでトップの進学校。

生徒には、高い志の大きな夢を描かせ、その夢に挑戦させる。そして、一人ひとりの生徒をフォローする。新モンゴル高校卒業生の3割は海外留学、その7割以上は日本留学。

講演会後の懇親会で、「夜中の12時過ぎに仕事を終え、2間のアパートの玄関に辿り着き、ドアを開ける前に涙が止まらなかったことが、何回かありました。一通り涙を流し、笑顔に変えて家に入りました」、と紹介。

「涙が溢れ出た理由は忘れましたが、辛いことがあったと思います」、とのこと。

初めての海外生活と過酷な就労、困難なことが多かったと思います。涙なくしては聞けませんでした。

 現在、この新モンゴル高校は、モンゴルの高校のモデルとなっています。ジャンチブさんは今、新モンゴル高校から、小学校、中学校、高等専門学校、工科大学を併設した「新・モンゴル学園」理事長。

今後は、教育によりモンゴル再生に向けて尽力するとのことでした。

札幌農学校を離れて米国に帰国する時、クラーク博士は、教え子達に、「Boys be ambitious、青年よ大志を抱け」 の言葉を残された。

「大志とは、お金のためではなく、私欲のためでもない。また、名声という虚しいものでもない。人は如何にあるべきか、その道を全うするために大志を抱け」と。

ジャンチブさんの講演を聴き、クラーク博士と上述の言葉を思い出しました。

感動と元気をいただいたひと時。ジャンチブさんに感謝です。

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写真は、著書『太陽に見せられ育つ夢』。

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『大努力』(安岡正篤 一日一言)

「修養のしかたによっては、人間にはいかなる能力があるかわからぬほど貴い。研究すればするほど、人間の美質は発見せられ、能力が発揮せられるのである」。

「学校の成績は平均点が30点でも40点でも、それで己は駄目だと考えてはいけない。大いに有為有能の人材となる大理想を持ち、大努力をせねばならぬ」。

「大努力をなすには、当然自ら苦しまねばならぬ。苦しんで開拓したものでなければ本物ではない。人並みの努力をしたのでは、秀れた者にはなれない」。

「秀れた者となるためには、人の数倍の努力と苦労をしなければならない」。

「人の寝るところは半分にし、人の食うところは半分くらいにしても、努力するところは人の10倍も20倍もやるだけの元気がなければならぬ」。

「20歳前後や30歳前後は、いくら力(つと)めても疲労などするものではない。心身ともに旺盛な時である」。

「まかり間違って病気になったり死んだりすれば、その時は天命と諦めるのである。学徒が学問のために死ぬのは本望ではないか」。

ジャンチブさんの講演を聴いて、安岡先生の「大努力」と松陰先生の「夢なき者に成功なし」の言葉を思い出しました。何時も「ニコニコ」、微笑みを絶やさないジャンチブさん、凄い人です。モンゴルの星。