「うらやまし 春をみやこの旅の空 立ちも添はばや 霞なりせば」
これは江戸時代後期、庄内に初めて歌壇を形づくった女流歌人、杉山廉の「都へ行く人に」の歌です。「みやこ」は、「見る」と「都」の掛詞とのこと。
2月21日(日)午後、山形学習センター客員教授、藤田先生の特別講演「近世後期庄内歌壇と和歌注釈について」が山形学習センターで開催。それに出席しました。杉山廉などに関し、13名の皆さんとの学び。和歌は、中学以来。約半世紀ぶりの学びでした。
日本人の情緒の奥深さと味わい深さを再認識した、非日常の貴重なひと時。楽しかったです。
杉山廉は、幼いころ庄内藩士の父が江戸勤務となり、家族と一緒に江戸で生活。その時、江戸の歌人から歌道を学ぶ。
その後、鶴岡に帰る。17歳で武士の妻となり1男1女の母。廉は、源氏物語などの文学にいそしみ、それを理解しない夫に離縁される。
「ことの葉の 道をもさらに しらいとの いひとくほどを 人やわくらむ」これは「友どちあつまりて、源氏物語をよみ侍(はべ)りて」の歌。「しら」は、「白」と「知る」の掛詞。「源氏物語」を同士と楽しんだことでしょう。
その後、廉は、鶴岡で和歌の道に励み、多くの歌人を育てたそうです。人生いろいろ。
講師の藤田先生のご専門は、日本古典文学。平安和歌を中心に研究され、特に、私家(しか)集の本文研究が中心とのことでした。
また、山形大に赴任されてからは、未研究の和歌資料を発掘して研究。例えば、江戸時代の書籍が、鶴岡や米沢などに沢山あり、それらを発掘して、地元の文化の継承にもご尽力。発掘の秘話も披露。
「江戸時代後期頃から、鶴岡では多くの歌人が活躍を始める。それは、杉山廉を中心とした歌人たち。和歌も多く残っているが、この庄内歌壇の大きな特徴は、和歌の注釈作業にも着手している点である」との説明。
鶴岡市立図書館前に「杉山廉の歌碑」があることを知り、早速訪問して撮影しました。
「あすもまた 狩り行くみねと しら雲の 月に妻恋ふ 小牡鹿(さおしか)の声」
これは廉の師匠の一人、久米景山が、「狩りの事をつかさどり、ひと日狩りくらし、由良の山里に宿りけるに、夜ふけて鹿の音を聞てよめる歌」とのこと。「しら」は、「白」と「知る」の掛詞。
和歌も含めた文学、なんとなく心豊かな気になります。大事にしたいと思います。
藤田先生との縁で庄内の歌人と和歌を学び、歌碑を知りました。とても貴重な学び。藤田先生に感謝です。
『縁尋機妙、多逢聖因』(安岡正篤 一日一言)
「良い縁がさらに良い縁を尋ねて発展してゆく様は誠に妙(たえ)なるものがある―これを縁尋機妙(えんじんきみょう)という」。
「いい人に交わっていると良い結果に恵まれる―これを多逢聖因(たほうしょういん)という」。
「人間はできるだけいい機会、いい場所、いい人、いい書物に会うことを考えなければならない」。
「縁尋機妙、多逢聖因」、重要です。大事にしたいと思います。