「今の現地点で思う自由とは、空に浮かんでいる凧。糸を切ればもっと自由になれるが、凧は落ちるしかない。地上に糸で繋がれているから飛べる。自由とはそうゆうものであろう」。
「若い頃は、その糸を切ろうとしていた。そうするともっと飛べる、もっと自由になれると思っていた。しかし、糸を切ると凧はドッと落ちる」。
これは、学園紛争と反体制運動の中で「フォークの神様」として若者から熱狂的に支持された岡林信康さんが、今から13年前63歳の時、「自由とは何ですか」と聞かれたときの応え。
岡林さんに関心を持ったのは、馴染みある「山谷ブルース」と「年輪を重ね穏やかに年を重ねる」、その姿。それは、格好よい後期高齢者の姿です。今日は、岡林さんについて少し紹介します。
岡林さんは、1946年滋賀県近江八幡市に生まれ、今年76歳の後期高齢者。最近、時々、youtubeでコンサートやインタビューを見ますが、とってもいい顔です。こんな感じに年を取れたらいいと感じる一人。
コンサートでの話の間合いと一言がとても素晴らしい。観客は、このウイットに富んだ会話に大爆笑。頭のよい人だと感じます。
マニアックな私、早速、『岡林信康を語る』と『伝説信康』を購入し、ザクッと斜めに読みました。
お父さんがキリスト教会の牧師の家庭で育ち、同志社大神学部中退。牧師の息子のレッテルがとても重かったとのこと。それが大学時代の苦悶の要因の一つ。
大学生の頃、東京山谷のドヤ街で肉体労働に従事し、その体験がデビュー曲「山谷ブルース」を生む。
何時までもついて回る「フォークの神様」というレッテルと、自分自身の本来の姿との間で悩みながら音楽活動を一時中断。都会の文明生活を離れ田舎の農村で農業をしながら5年間の生活。
そして、復活。フォークからロック、演歌、さらには日本民謡的な祭りを取り入れた「エンヤトット」。この「エンヤトット」を30年近くかけて完成。
63歳の時のインタビューでは「歌うことが楽しいものになった。余裕ができてきた。新たなエンヤトットを作った達成感。エンヤトットを聞かせたい、分かって欲しいとの感情がなくなり、楽になって優しくなった」。
生きる上での「余裕」、重要に思います。
色々な芸能人との人間模様を経験し、苦悩しながらも生き方の軸をシッカリ保って生きている人に思います。生き方の軸、その重要性を感じます。
また、常に挑戦する姿勢も「年輪を重ね穏やかに年を重ねる」や、今のいい顔に影響してるように思います。人生最後まで挑戦、必要に思います。
♫うちがなんぼはよ 起きても ♪お父ちゃんは もう くつトントンたたいてはる♪
♪あんまりうちのこと かもてくれはらへん ♩うちのお母ちゃん どこへ行ってしもたのん♪
♩うちの服を はよう持って来てんか ♪前は学校へ そっと会いに来てくれたのに
♪もうおじいちゃんが 死んださかいに ♩だれもお母ちゃん 怒らはらへんで♪
♪はよう持って来てんか スカートが欲しいさかいに ♪チューリップのアップリケ ついたスカート持って来て♪
♪お父ちゃんも時々 こうてくれはるけど ♪うち やっぱり お母ちゃんにこうてほしい
♪うち やっぱり お母ちゃんにこうてほしい♪
『チューリップのアップリケ』という歌です。昭和を感じ、昭和の生活を懐かしく思い出します。
宇崎竜童さんが「岡林さんは、不思議です。才能があるのに普通の人。才能があると普通でなくなる」と話していたのが印象的でした。
「私は、アマチュアでプロの歌手ではありません」と岡林さん。
年輪を重ね穏やかに年を重ねたいですね、岡林さんに感謝。
『佳境に入る』(安岡正篤 一日一言)
「年とともに人間の佳境に入るのが本当である」。
『佳境に入る』、年とともに佳境に入りたいです。