2022-01-31

年輪を重ね穏やかに年を重ねる、岡林さん

「今の現地点で思う自由とは、空に浮かんでいる凧。糸を切ればもっと自由になれるが、凧は落ちるしかない。地上に糸で繋がれているから飛べる。自由とはそうゆうものであろう」。

「若い頃は、その糸を切ろうとしていた。そうするともっと飛べる、もっと自由になれると思っていた。しかし、糸を切ると凧はドッと落ちる」。

これは、学園紛争と反体制運動の中で「フォークの神様」として若者から熱狂的に支持された岡林信康さんが、今から13年前63歳の時、「自由とは何ですか」と聞かれたときの応え。

岡林さんに関心を持ったのは、馴染みある「山谷ブルース」と「年輪を重ね穏やかに年を重ねる」、その姿。それは、格好よい後期高齢者の姿です。今日は、岡林さんについて少し紹介します。

岡林さんは、1946年滋賀県近江八幡市に生まれ、今年76歳の後期高齢者。最近、時々、youtubeでコンサートやインタビューを見ますが、とってもいい顔です。こんな感じに年を取れたらいいと感じる一人。

コンサートでの話の間合いと一言がとても素晴らしい。観客は、このウイットに富んだ会話に大爆笑。頭のよい人だと感じます。

マニアックな私、早速、『岡林信康を語る』と『伝説信康』を購入し、ザクッと斜めに読みました。

お父さんがキリスト教会の牧師の家庭で育ち、同志社大神学部中退。牧師の息子のレッテルがとても重かったとのこと。それが大学時代の苦悶の要因の一つ。

大学生の頃、東京山谷のドヤ街で肉体労働に従事し、その体験がデビュー曲「山谷ブルース」を生む。

何時までもついて回る「フォークの神様」というレッテルと、自分自身の本来の姿との間で悩みながら音楽活動を一時中断。都会の文明生活を離れ田舎の農村で農業をしながら5年間の生活。

そして、復活。フォークからロック、演歌、さらには日本民謡的な祭りを取り入れた「エンヤトット」。この「エンヤトット」を30年近くかけて完成。

63歳の時のインタビューでは「歌うことが楽しいものになった。余裕ができてきた。新たなエンヤトットを作った達成感。エンヤトットを聞かせたい、分かって欲しいとの感情がなくなり、楽になって優しくなった」。

生きる上での「余裕」、重要に思います。

色々な芸能人との人間模様を経験し、苦悩しながらも生き方の軸をシッカリ保って生きている人に思います。生き方の軸、その重要性を感じます。

また、常に挑戦する姿勢も「年輪を重ね穏やかに年を重ねる」や、今のいい顔に影響してるように思います。人生最後まで挑戦、必要に思います。

♫うちがなんぼはよ 起きても ♪お父ちゃんは もう くつトントンたたいてはる♪

♪あんまりうちのこと かもてくれはらへん ♩うちのお母ちゃん どこへ行ってしもたのん♪

♩うちの服を はよう持って来てんか ♪前は学校へ そっと会いに来てくれたのに

♪もうおじいちゃんが 死んださかいに ♩だれもお母ちゃん 怒らはらへんで♪

♪はよう持って来てんか スカートが欲しいさかいに ♪チューリップのアップリケ ついたスカート持って来て♪

♪お父ちゃんも時々 こうてくれはるけど ♪うち やっぱり お母ちゃんにこうてほしい

♪うち やっぱり お母ちゃんにこうてほしい♪

『チューリップのアップリケ』という歌です。昭和を感じ、昭和の生活を懐かしく思い出します。

宇崎竜童さんが「岡林さんは、不思議です。才能があるのに普通の人。才能があると普通でなくなる」と話していたのが印象的でした。

「私は、アマチュアでプロの歌手ではありません」と岡林さん。

 年輪を重ね穏やかに年を重ねたいですね、岡林さんに感謝。

『佳境に入る』(安岡正篤 一日一言)

「年とともに人間の佳境に入るのが本当である」。

『佳境に入る』、年とともに佳境に入りたいです。

2022-01-29

「たのしみは」温泉と足ツボ、「足る」を知る

「たのしみは 雪ふるよさり酒の糟 あぶりて食(くひ)て 火にあたる時」。これは幕末の歌人、橘 曙 覧(たちばな あけみ)の「たのしみは」で始まる一連の歌を集めた獨樂吟(どくらくぎん)からの歌。

楽しみは人それぞれ、人により類似もあれば相違もあります。

県下の至る所に温泉があるここ山形県。私の楽しみの一つは、2週間に一度近くの温泉に入り、その後の足ツボマッサージ。この足ツボは優れものです。

マッサージ師さんによると、足裏はツボの宝庫とのこと。ツボを押すことで臓器の疲労や肩、首、腰、腕等の疲れが分かり、足ツボで回復に向かいます。

ツボを押されても痛さがない時は疲労が少ない時。押されて痛いときは疲労蓄積の時。

ツボで健康状態や疲労の程度が分かります。そして、足ツボ後は、とても気持ちが良いサッパリ感。温泉と足ツボのパックで心身共に爽やかになり、リフレッシュには最高。今までも、今も、これからも2週間に一度の足ツボは、私の生活に不可欠です。

足ツボを受けながら、東洋思想の泰斗、安岡先生が中学生の時からの疑問、「「足る」が、何故「足」で、何故「手」でないのか」が、フト浮かびました。

先生は、長年「足る」が何故「足」であるのか、あらゆる漢学の書物を調べたが不明だったとのこと。

そのことを専門違いの人の集まりで紹介したら医学者が卓を叩いて感心した。「それは面白い、いや実に文字というものは偉いものだ。昔の人は偉いなあ」と言って非常に感心した。

「手と足を生理学的・病理学的・解剖学的に研究すると、それは問題なく足の方が大事です。足によって全身の問題は解決することができます」。

「足は心臓から出た血液が、そこへ降りてくることはできる。しかし、それを順調に上に上げるためには、あらゆる努力を払っている」。

「足の機能が完全になれば、ほとんど言うことはない。健康である、すなわち「足る」である。手など問題ではない」。

「病気などすると、まず足が駄目になる。フラフラする。足腰が定まらないということが、一番精神的にも肉体的にもいけない」。

「そこで足をできるだけ丈夫にする、足の機能を旺盛にする、完全にすることが、我々の終身の健康の必須条件である。だから「たる」という意味に足を用いたのである」。

なるほどと思います。足ツボで健康状態が把握できるのも「足る」に関連しているように思います。「足る」を知る、学びになりました。

「たのしみは とぼしきまゝに人集め 酒飲め物を食へといふ時」、何となくホノボノとした人情の温かみを感じます。

人生二度なし。第二の人生、足ツボも含め色々と「たのしみ」を増やしたいと思います。足と足ツボに感謝です。

『最高の生き方』(平澤 興 一日一言)

「今が楽しい。今がありがたい。今が喜びである。それが習慣となり、天性となるような生き方こそ最高です」。

『最高の生き方』、いいですね。

2022-01-27

40年ぶりの初詣の『おみくじ』、「大吉」

初詣等で『おみくじ』を引かれる方も多いと思います。本日は、その『おみくじ』の話を少し紹介します。

奈良県生駒市にある生駒山に宝山寺というお寺があります。約40年前に縁があり、宝山寺で『おみくじ』を引きました。当時は、大学院入試を控えた時でした。

宝山寺の『おみくじ』は、二段階で入手できる仕組。まず、『おみくじ箱』、これは六角柱の木の筒です。上部に小さな穴があり、筒を逆さまにすると『おみくじ』棒が出ます。

これは、小さな竹の棒で先端に番号が記してあります。その番号を巫女さんに告げ『おみくじ』をもらいます。

さあ、挑戦。まず、『おみくじ』棒を出し、その番号を巫女さんに告げると、何と「凶」。おみくじに「凶」があるのを初めて知りました。

縁起がよさそうにないので、二回目に挑戦。また、「凶」。巫女さんは、「こんなことは、今までにありません。珍しいです。二度の「凶」というのは、運が良いことです」、と慰め(?)の言葉。

それ以来、『おみくじ』は、引きません。

今年の初詣は知り合いの神社に家族で参拝。宮司さんが、家族全員に「おみくじを引いて下さい」と勧めました。

聖徳太子の「和を以て貴しとなす」を肝に銘じている私。私だけ引かないのも気が引け、40年振りに引きました。

「忠、孝、崇祖(すうそ:祖先や親を大切にし感謝すること)、敬神の念しばらくも忘るべからず」。

「運勢 大吉「時を得、龍天に昇が如し」。身を正しく持ち勉強する時は、幸を得べし。されど事に邪心を持ちては、功ならざるなり」。

「時を得、龍天に昇が如し」、いいですね。

「願望:叶身をつつしむべし。待人:来る。失物:早ければ出づ。旅行:早きに限る。争事:控目にせよ勝べし。商業:利多し。病気:かるし、すなほなれ。学問:一心に勉強すべし吉」

「「願望:叶身をつつしむべし」とは、「限度をわきまえて自重すれば、願いは叶うでしょう」とのこと。いいですね。

40年ぶりの『おみくじ』、佳い初詣でした。今年も佳い年になりそうです。「限度をわきまえて自重します」。

私の生涯、もう『おみくじ』を引くことはないでしょう。この『おみくじ』、今年いっぱい大切にします。知り合いの宮司さんと『おみくじ』に感謝。

約40年前の大学院入試、合格しました。「二度の「凶」というのは、運が良いことです」との巫女さんの慰め(?)、当たりました。

『人生をものにする』(平澤 興 一日一言)

「何よりも大切なことは、あくまでも自己との約束を守り、一度やろうと決心したことは必ずやり通し、決して自己を欺かぬことである」。

「これさえできるようになれば、もう人生は自分のものである」。

『人生をものにする』、なるほどと感じます。

2022-01-25

大学院の恩師を「偲ぶ会」、偉大さ再発見

私達は、この世に生を享け、一度きりの人生で、多くの出会いがあります。そして、楽しいこと、辛いこと、嬉しいこと、悲しいこと等を経験し、老いて死を迎えます。

人生で色々と関わり合いのあった方々とのお別れは、何時も寂しく悲しいものです。1月22日(土)、大学院でお世話になった恩師を「偲ぶ会」がZOOMで開催。恩師は、一昨年の12月下旬、96歳で天寿を全うされました。

私が大学院生当時、恩師は教授で農薬学や昆虫生理学が専門。私の専門は、生態学で主指導教員は助教授の先生。

当日は、マレーシア、ガーナ、タイ及び日本各地で活躍している元学生や元教職員が参加しての「偲ぶ会」。懐かしいメンバーに会う貴重な機会でした。本日は、「偲ぶ会」について少し紹介します。

参加者は、亡くなられた恩師とのエピソードを紹介するよう企画者から「指示」があり、恩師とのエピソードを3つ準備。時間の都合で2つ紹介。準備した3つを簡単に記します。

1.高級ウイスキー無駄になる事件:思いやりのある恩師

博士課程3年の時、学術振興会(学振)特別研究員の一次書類審査に受かり、東京の学振で面接審査。10名の審査員、そのうち2名から意地悪そうな質問を受け、熱く議論(?)。

翌朝一番、恩師の研究室に呼ばれ、「安田君、昨日の学振の面接試験では、暴れたそうだな。でもな、面接試験で喧嘩してはいかんよ。腹が立っても我慢せにゃいかん」とご指導を頂きました。

そして、私が部屋を出る時、恩師はニコニコして、「高級ウイスキーが一本無駄になったな」と独り言。何のことか未だに分かりませんが、学生に優しく思いやりのある恩師でした。

その後の面接では、恩師の教えを堅く守り、何時もニコニコ顔です。

2.白衣を着ての実験事件:率先垂範の恩師

研究室では、教員も学生と同じく年度初めに「研究計画」を発表し、研究の進捗を「研究報告会」で紹介。恩師は、報告会の2週間前には、何時も白衣を着て実験室に現れ実験。

「安田君は、実験結果がたくさんあって羨ましい」と話されました。恩師は、農学部長及び学長代行の超忙しい時期でありながら多くのことを率先垂範。その態度に見習うべき点が多々ありました。

3.博士論文は、合か否だ事件:男気のある恩師

3年間の博士課程を終え、4年目の10月に博士論文を作成。学振の特別研究員に内定し、その年度の3月までに博士号を取得すれば、4月から信州大学で研究生活を開始する予定。

主指導教員に博士論文を提出した数日後「このような60点の論文に博士はやれない。1年かけて書き直せ」と言われ途方に暮れました。

生態学は門外漢の恩師が、「博士論文に60点も80点もない、合か否だ。俺が主査をやる」と主指導教員へ話し、救われました。男気のある恩師。私の恩人、感謝です。

「偲ぶ会」では、亡くなられた恩師の偉大さを再発見。恩師は学生のことを思い、学生に手紙や電話、さらには直接学生に会いに行かれたことも。

これらは不特定多数の元学生に行われました。本当に凄い人に思います。

私も長文の手紙や資料、さらには電話、そして、鶴岡市や山形市で学会の全国大会を企画した時、「安田君が、大会会長なので来たよ」と、杖を突いて遠路、名古屋から来て頂きました。

私は教員生活を30年近く経験しましたが、恩師のようにはやれませんでした。どうすればあのような人になれるのか興味があります。

また、「偲ぶ会」では、懐かしい顔や初めてお会いする大先輩が、数多くの思い出話も紹介。参加者の人生の一端を知り、感慨深く感じ、刺激と学びを頂きました。

ある先輩が、恩師は常に「教えることは、教わることだと話された」ことを紹介。心に残る「教え」です。

ほとんどの方々とは、これからお会いすることもなく「一期一会」。「偲ぶ会」、貴重な出会いのひと時。企画者の皆さんや参加者の方々に感謝です。

『愛の鞭』(平澤 興 一日一言)

「上手にほめるということは、決して子供を甘やかすことではなく、忘れてならぬのは、正しい愛の鞭である」。

「厳しさと優しさの併用は大変難しい。ここで何としても大事なことは、自分自身に鋭い反省と鞭を当てて自らを作り上げてきた経験の有無である」。

「教育とは、いたずらに相手に求めることではなく、何よりもまず、自らに鞭を当てて、誠の愛で相手に接することである」。

『愛の鞭』、「教育とは、何よりもまず、自らに鞭を当てて、誠の愛で相手に接することである」。恩師の生き方に思います。

2022-01-23

若くして逝った歌手、「村下孝蔵さん」

休みの夕方、琥珀色のウイスキーを傾け、時々ボーっとyoutubeで「歌」を聞くことがあります。割と静かで情緒ある「歌」を聞くのが好きです。ノンビリできます。「歌」っていいですね。

子供達が小さい時、我が家では毎朝、朝食時に情緒豊かな日本の唱歌を流していたこともありました。唱歌も好きです。

本日は、若くして逝った歌手、村下孝蔵さんを少し紹介します。

今から約30年前、山形大農学部に助手として赴任し、早速、助手会に入会。30歳前後の元気の良いメンバーが多く「大学を考える」勉強会やスキー合宿などで色々と楽しみました。

時々、助手会のメンバーでカラオケスナックに行き、みんなでカラオケも満喫。メンバーに大学の合唱クラブに所属していた友人がいて、村下孝蔵さんの「踊り子」を聴かせてくれました。

いい歌だなと思い、その時初めて「村下孝蔵」の名前を知りました。村下さんは、シンガーソングライター、自分で全て作詞作曲。

最近、時々、youtuber となり村下さんの「語り」や「コンサート」及び「トーク番組」を見ることがあります。もちろん、歌も聴きます。

村下さん、46歳の時、コンサートのリハーサル中に気分が悪くなり、病院に行き脳内出血と診断。その4日後に亡くなられたとのこと。

私より1歳年上。ご存命だと今年69歳。46年の生涯。短い生涯です。若い死です。

彼の素朴な語りに好感を持ち「語り」や歌を聞いています。中学1年生でエレキギターが欲しく、それを買ってもらえず自ら作成したとのこと。

何よりも好きなのがギター。「初恋」や「踊り子」等の歌が売れ出してからは毎年、少なくとも1本はギターを購入。

エレキギターも含めて、ギターの演奏はプロです。あの「エレキの神様」ベンチャーズとの共演もあり、驚きました。

歌手になる前は、ピアノのセールスマン。その後、ピアノの調律師。作詞作曲は、中学校時代から行っていたとのこと。

ヒット曲の「初恋」は、自分の経験をもとに作詞したとか。素朴さと誠実さを感じる人、いいです。ホノボノとした温かさを感じ、ホットします。彼のような人柄の歌手は、他には少ないと感じます。

ボーッと聞いていると、「琥珀色」のお湯割りが進みます。一人書斎でボーッとする時間、私には重要。これからもたまには村下さんの歌を聴きたいと思います。村下さんに感謝。

『偉大さとは』(平澤 興 一日一言)

「偉大さとは、日本とか外国とかを問わないで、本当に自分に誠実に、社会に誠実に、世の中のためにどんな小さいことでも結構であります」。

「あるいは自分の仕事を通じて、世の中に喜びをもって奉仕をしうるような人、誠実な人、あたたかい人、それは別に世の中で有名にならなくても、そういう人こそが本当に誠実なのではないかと思います」。

『偉大さとは』、その一つは誠実。なるほどと思います。

2022-01-21

天風会「行修会」、「心の救い試練の四季」

昨年4月から「天風会」に復帰、毎月一度の「行修会」から色々と学んでいます。12月中旬の日曜日、午前9時から3時間「天風会仙台の会」オンライン行修会に参加。本日は、その一部を少し紹介します。

中村天風先生は、1919年43歳の時、独自の心身統一法を編み出し、「天風会」を創設。「人間は、誰でも、この世の進化と向上を実現するために生まれてきた。積極的な精神が人生を変え、運命を変える」。天風先生の教えの一つです。

今回の講師は鶴岡市出身で名古屋大学理学部の元教授。昨年3月まで5年間、この先生の下、鶴岡市で開催されていた「天風哲学研究会」に参加し、天風哲学を学習。Zoomでの再会を懐かしく思いました。

今回の講習会、講義題目は、「心の救い、試練の四季」。この講習会は、3時間講義を聞く形式ではなく、「安らかで何事にも動じない「心の作り方」」である「安定打座(あんじょうだざ)」や色々な体操等も含まれます。

この「天風哲学」、多くの著名人も学んでいます。その一人が広岡元西武監督。監督は、「天風哲学」に関する著書「中村天風、悲運に心悩ますな」も刊行。

その帯には、「どんな逆境にあっても、心を積極的にして生きれば、人生は好転する。天風の教えが私の野球人生を変えた。怒らず、恐れず、悲しまず。不確実な時代を生き抜くための53のヒント」と記述。.

私は、毎朝、バスの中で天風先生著「運命を拓く」を1章ずつ学んでいます。天風哲学は、哲学を学ぶだけではなく、「行修」として日常生活に活用するのが、他の哲学と異なる処に思います。

今回の教えの一つは、心の働きである実在意識と潜在意識及び、潜在意識の重要性とその強化法。潜在意識を強くし、色々な試練である「試練の四季」を乗り越える「心の救い」を身につける。

「心の働きには二つの面がある。目を覚まして生活しているときの実在意識と心の中にある自分が信じる信念である潜在意識」。

「実在意識のあり方が潜在意識に移る。実在意識が積極的だと潜在意識も積極的になる。潜在意識が人生をつくり、悟りを作り、人格を作る。そして、対象とする問題が大きいほど潜在意識は機能する」。

「潜在意識である信念を如何に強くするか。夜寝る前に鏡に向かい「お前、信念強くなる」、朝起きた時、鏡に向かい「お前、信念強い」と「鏡の暗示法」を毎日実行する」。「鏡の暗示法」、単純ですが、毎日の実行が重要。

「人生は、心ひとつの置きどころ」。これも天風先生の教えの一つ。

「人生は、心の持ちようである。同じことを経験しても積極的にもなれば消極的にもなる。積極的な心を持って生きることが重要だ」との教えです。

言うのは簡単ですが、習慣として常に実行するには「行修」が必要に思います。

毎月一度の「行修会」、学びになります。講師の先生に感謝です。

『やる気はあるか』(平澤 興 一日一言)

「天才とか鈍才とか言いますが、あまり変わりがありません。結局は、やろうという根性だと思うのであります」。

「これがなければ、たとえ優等生でも、その将来はあまり大したことはないと思うのであります」。

『やる気はあるか』、分かり易い教えです。本質をついています。肝に銘じたい箴言です。

2022-01-19

「♪雪の降る町を♪」発想の地、鶴岡

「♪雪の降る街を 雪の降る街を♫ 想い出だけが通りすぎてゆく♪雪の降る街を♪ 遠い国から 落ちてくる ♪この想い出を この想い出を♩ いつの日かつつまん 温かき幸せのほほえみ♪」

これは、「雪の降る町を」の歌詞です。この歌の作曲者がこの曲を作るに際し、知人宅のある鶴岡市で見た降雪風景が、このメロディを紡いだとのこと。

昨日の鶴岡は暴風雪でした。我が家から高速バスの停留所に行くまで3回ホワイトアウトで停車。

暴風雪が一瞬収まって視界が開けると、目の前の雪だまりに車が突っ込み運転不能の状態。ホワイトアウト怖いです。鶴岡の雪、「♪雪の降る町を♪」の情緒を醸し出す降雪より暴風雪の印象が大です。

私は島根の山間部で生まれ育ち、雪は馴染み深いものでした。暴風雪はほとんどなく、シンシンと雪が降り積もり、まさしく「♪雪の降る町を♪」を思い出す風景。

昭和30年代、夕方6時過ぎには何時もNHKの「みんなの歌」が放送され、冬は「♪雪の降る町を♪」をよく聞きました。この歌は、とても馴染みがあり懐かしい歌の一つです。本日は、子供の頃の雪遊びを少し紹介します。

子供の頃、雪が降るのが楽しみでした。何故だろうと、ふと考えます。一つは、景色が雪で真っ白になりとても綺麗であったこと。二つ目は、雪が積もると外で雪遊びができる楽しみがあったこと。「♪犬は喜び庭駆け回り猫は炬燵で丸くなる♪」。「♪子供は喜び庭駆け回り♪」です。


雪が積もると大きな「かまくら」を作り、その中にゴザを敷いて食べ物を運び、そこに子ども達が集まって生活。自分たちの生活空間を自ら作り、そこで色々な遊び道具を持ち込んでの遊び。楽しみました。

昭和の物がない時代、色々と考えて遊んだ記憶が浮かんで来ます。スキーもソリも全て自家製。スキーは、孟宗竹を切って作り、ロウを塗って滑りをよくする。

スキー場は、神社の石段。直滑降のみで遠くまで滑った子どもが一等賞。雪が降ったら一日中、雪の中で遊んでいました。

雪が積もるのを待ち望んだ子供の頃の体験が身体に染みつき、今でも雪が降ると嬉しくなります。しかし、雪が降り続くと毎日除雪。時々、除雪のない日があると、とても嬉しくなります。少し「大人」になりました。

「♪雪の降る街を 雪の降る街を ♪足音だけが 追いかけてゆく 雪の降る街を♪ ひとり心に 充ちてくる♪ この哀しみを この哀しみを いつの日かほぐさん♪ 緑なす春の日のそよ風♪」。

真冬日の降雪に「♪雪の降る町を♪」と昔、雪遊びをした子供の頃を思い出しました。懐かしいです。

『健康の三原則』(安岡正篤 一日 一言)

「一、心中常に喜神を含むこと(神とは深く根本的に指して言った心のことで、どんなに苦しいことに逢っても心のどこか奥の方に喜びを持つということ)」。

「二、心中絶えず感謝の念を含むこと」。

「三、常に陰徳を志すこと(絶えず人知れず良いことをしていこうと志すこと)」。

『健康の三原則』、分かりやすい教えに思います。肝に銘じます。

2022-01-17

放送大学、単位認定試験への「猛勉強」

放送大学は、2学期制で、それぞれの学期に「単位認定試験」があります。2021年度2学期の「単位認定試験」が2月14日から2月21日に実施されています。

私、2学期は『健康長寿のためのスポートロジー』を受講し今、単位認定試験への「猛勉強」を楽しんでいます。

安岡先生は、「『菜根譚』にも「人を看るには、ただ後半生を看よ」」との古語を引かれ、人生の「後半生」の重要性を指摘。今回の受講目的は「ピンピンコロリ」で「終わる」ために「後半生」の過ごし方を学ぶことです。

放送大学の放送授業では、1回の授業は45分、15回で2単位。「単位認定試験」の受験資格は、各学期の「通信指導」を受けることです。「通信指導」は、「中間試験」です。

「スポートロジー」、馴染みのない用語に思います。この用語も含め、まずは、「講義の概要」を紹介します。

「スポートロジーは、スポーツと健康の関わりを科学的に解明する新しい学問分野として新たに創設」。

「科学的根拠に基づく習慣的な運動によって、生活習慣病の予防や治療、要介護につながる高齢者の転倒・骨折予防、認知症やうつ病の予防などを行おうという新しい学問」。

「医学とスポーツ健康科学と連携して、個人個人の体質に応じた肥満予防のためのスポーツ療法など、スポーツと医学が手を結び合って、一般市民の健康増進のための様々な対策を打ち出す体系立った学問の教育を目指す」。

さらに、「授業の目標」を記しましょう。

「スポーツは、心身の健康の保持増進にも重要な役割を果たすものであり、健康で活力に満ちた長寿社会の実現に不可欠であることを学ぶ」。

「分子生物学・運動生理学など、基礎医学の最新知見から、スポーツや運動が、寿命の延長など、健康長寿に効果があることを学ぶ」。

次に、15回の授業名を紹介します。

「第1回健康長寿のためのスポートロジー、第2回現代社会と運動不足、第3回運動が全身に与える影響-水中運動の効果-、第4回肥満のメカニズムと運動、第5回運動とメタボリックシンドローム」

「第6回運動と糖尿病、第7回運動と心血管疾患(1)、第8回運動と心血管疾患(2)、第9回運動と運動器疾患(1)-ロコモティブシンドローム-、第10回運動と運動器疾患(2)-骨粗鬆症と変形性膝関節症-」

「第11回運動と骨格筋、第12回認知機能と脳、第13回加齢による脳の変化、認知症とその予防、第14回運動とがん、第15回子どもの体力・運動能力の現状とその課題」。

15回の講義を学習し、最先端の知識も学びましたが、「ピンピンコロリ」で「終わる」ためには、脂質を控えて炭水化物や野菜を多く摂る食事、運動を継続することが重要だと理解しました。

受講してこれから「進化する生活」は、運動に関しては、週一のテニスと毎日1時間の忠犬クニオとの散歩を継続。さらに週一で1時間の水泳を開始しようと決意しました。

食事に関しては、日本人に適した食事の摂取、肉は控えめにお米と野菜を中心にした食事に変更。

「進化する生活」でピンピンコロリを目指したいと思います。「後半生」、重要です。「学び」、必要に感じました。

『余裕』(安岡正篤 一日一言)

「「千万人と雖も吾往かん」と言った孟子が同時に別面において、「豈綽々余裕有らざらんや」と言って余裕というものを論じておりますが、こういう乱世になればなるほど、われわれは余裕というものを持たなければならない」。

「余裕があって初めて本当に物を考えることも出来る、本当に行動を起こすことも出来るわけです。殊に善人は神経が細いから、尚更本当の意味の余裕が必要であります」。

『余裕』を持って元気に過ごしたいと思います。