2024-05-20

「敬愛塾」研修会、「特集 丹田常充実」を学ぶ

「敬愛塾」は、約20年前、鶴岡市の現職の小中学校教員が、自己研修することを主たる目的に設立。4年前から教員以外にも門戸を開き今、10名程度で2ヶ月に一回、『月刊誌、致知』の記事を資料に研修。

今年度第1回5月の研修会では、『致知5月号、特集 丹田常充実』の「対談 勝利を掴む指導者の条件 柔道全日本女子監督 増地克之 × バレーボール女子日本代表監督 眞鍋政義」を学ぶ。少し紹介します。

対談の趣旨は、「東京2020オリンピックで惜しくも10位に終わったバレーボール女子日本代表チームを復活させるべく、5年ぶりに代表監督に復帰した眞鍋政義氏」。

「同大会オリンピックにてメダルラッシュに沸いた柔道全日本女子を「準備力」をテーマに率いてきた増地克之氏」。

「今年開催されるパリオリンピックに向けて情熱を燃やすお二人に、世界の舞台で勝利を掴む人材・組織を育てる要諦、目指すべき指導者のあり方を語っていただいた」。

対談は、11項目の小見出しで構成されている。1.「 “準備力”を徹底し、全階級金メダルを目指す」。2.「日本バレー界のために5年ぶりの代表監督復帰」。3.「監督の鶴の一声でセッターのポジションに」。4.「運命に導かれ柔道の道を歩む」。

5.「苦しい体験は後の人生の糧になる」。「チームミーティングのやり方が重要。選手自身に考えさせ、行動させることで、選手が自覚し、勝つために何をすべきか考える議論が必要。辛く苦しいことでも一所懸命耐え抜けば、将来必ず自分の糧になる」。 

「苦しい体験は後の人生の糧になる」、同感です。苦しいときには、苦しさだけしか感じませんが、それを乗り越えると、自分の将来の糧になることを実感しています。

6.「普段の練習+αが本当の成長に繋がる」。「成長するためには、普段の練習だけで終わってはいけない。普段の練習+αの努力の積み重ねが自分の本当の身になり、自信になる」。

7.「指導者としての役割にやりがいを見出す」。「一人ひとり違うからきちんとコミュニケーションを図りながら細かく指導することが重要。向き合えば向き合うほど、選手たちも成長し、結果もついてくるから指導者の役割にやりがいを感じる」。 

「一人ひとり違うからきちんとコミュニケーションを図りながら細かく指導する」。これは本当に重要に思います。28年間大学で生活し、一人ひとりの個性を把握しての対応で学生さんは凄く成長することを実感。

8.「数字で平等に選手を評価する」。「女子チームを指導する上では、何よりも公平性を保つことが大事。数字を上手く活用し、一人ひとりを公平にきめ細かく指導」。

9.「世界で勝つには非常識を常識にせよ」。「オリンピックでメダルを獲るには、非常識を常識にする。監督や指導者は目標に向かってチーム全体のモチベーションを高めるモチベーターである」。

10. 「10年先を見据えて人材、組織を育てる」。「一年一年の勝負も大切だが、指導者は同時に十歩先を見据えた人材育成し、組織づくりを考えることが必要。監督が前に出るより、適材適所に人材を置き、全体を俯瞰しながら任せていく指導者が重要」。

「10年先を見据えて人材や組織を育てる」、これも心に響く教えです。「監督が前に出るより、適材適所に人材を置き、全体を俯瞰しながら任せていく指導者が重要」、この教えも肝に銘じたい教え。

11. 「最後に勝利を引き寄せるのは心の充実」。「色々な選手を見てきて実感しているのは、世界の舞台で勝ち続ける選手は、「心・技・体」が充実。そして、勝ち続ける選手は感謝の心が強い」。

「皆に愛される人間力の高い人材になろうと伝える。それには、胸を張って正しく堂々と生きる。世界の舞台で勝っていくためには、モチベーターである指導者に選手を鼓舞するパッションが必要」

「世界で活躍する指導者、選手は必ずプラス思考。「丹田常充実」の言葉のように、指導者、選手一人ひとりのメンタルがどれだけ充実し、前向きになっているかが、最後の最後に勝敗を分ける」。

「最後に勝利を引き寄せるのは心の充実」、これも心に留めたい貴重な教えです。

今回の研修会では、資料紹介後、出席者で色々な意見を交換し、学びと刺激をいただいた2時間。対談された増地さんと眞鍋さん及び出席者の皆さんに感謝です。

『教育の役割』(平澤 興 一日一言)

「教育とは火をつけることだ。教育とは火をつけて燃やすことだ。教えを受けるとは、燃やされることであり、火をつけられることです」。

「相手の心に火をつけることは、ただ一方的な命令やおしつけでできるものではなく、こちらも燃えて相手と一つになり、相手のかくれた可能性を見いだして、これを燃やすことである」。

『教育の役割』、「相手のかくれた可能性を見いだして、これを燃やすこと」、肝に銘じたい教えです。

2024-05-18

中学校の思い出、グループサウンズ演奏

今年8月中旬、10年ぶりの中学校クラス会。メインの一つが、「参加者が昔の四方山話や近況を紹介する「一人ひとりの語り」」。本日は、中学生活の思い出を少し記します。

私たちが中学生の頃は、グループサウンズ(GS)全盛時代。ディーゼル車で中学校がある駅まで一駅通いました。「ヤング720」とのTV番組があり、朝7時20分から毎回、GSの生演奏を放送。それを見て、列車に間に合うように走って駅まで行くのが日課。

3年生3学期に謝恩会があり、100名程度の全校生徒と10名程度の先生が集会所(体育館はなく)に集まって各学年の有志が「芸」を披露。

経緯の詳細は忘れましたが、私を含め3年生の私たち4名でGSの演奏をやることになる。ドラムスの友人の家で土日は練習。当日は、ワイルドワンズの「青い果実」を演奏。

学ランで坊主頭の4人組、それなりに演奏して、聴衆はかなり楽しんだように思う。我々の先輩も後輩もこのような企画はなし。気分良く終わりました。

謝恩会の演奏が終わり、ギターが上手な先生と廊下でバッタリ会う。先生が一言、「イヤー、ヘタだなー」。この言い方はないよな、と当時思う。今でも忘れずに記憶に残る一言。

中学時代のGSの曲をYoutubeで聞くことが時々あります。聞くたびに、先生の一言を思い出す。このような先生もいましたが、田舎の中学3年間、よく遊び、よく遊んだ楽しい3年間。

10年ぶりのクラス会、参加者の中学時代の思い出を聞くのが楽しみです。

『愛の鞭』(平澤 興 一日一言)

「上手にほめるということは、決して子供を甘やかすことではなく、忘れてならぬのは、正しい愛の鞭である」。

「厳しさと優しさの併用は大変難しい。ここで何としても大事なことは、自分自身に鋭い反省と鞭を当てて自らを作り上げてきた経験の有無である」。

「教育とは、いたずらに相手に求めることではなく、何よりもまず、自らに鞭を当てて、誠の愛で相手に接することである」。

『愛の鞭』、「教育とは、何よりもまず、自らに鞭を当てて、誠の愛で相手に接することである」。肝に銘じたいと思います。

2024-05-16

巻頭言、「君子は諸を己に求む」と數土さん

「君子は諸(これ)を己に求む。小人は諸を人に求む」。これは、數土さんが、『致知5月号』、「巻頭の言葉」で紹介する「『論語』衛霊公第十五」の教え。

「巻頭の言葉」は、まず、「日本のGDPがドイツに抜かれ、世界第4位に陥落。日本は1968年に西ドイツを抜き米国に次いで世界第2位に躍進。2010年に中国に抜かれるまでこの地位を長く保持していた」ことを紹介する。

そして、「日本は漠然と「失われた10年」、さらには「20年、30年」と繰り返すのみで、国政レベルの十分な解析、効果的な対策の立案、実践が不十分だった。国会等で論戦がなく結果的に無策だった」と批判する。

また、「マスメディア・政治評論家・学者が取り上げているのは政党派閥の裏金問題。特に見苦しいのは、当該政治家の説明能力の幼稚さ、責任感や倫理観の欠如。このような政治家には即刻退場を願う」と述べ、

「ここで省みることは、彼らを選ぶ権限は、我々にあったこと。責任は当該政治家だけにあるのではなく、根本的には今、彼らを糾弾している我々にこそある」と指摘する。

そして、孔子は弟子に「君子は諸を己に求む。小人は諸を人に求む」を紹介し、

「上に立つ立派な人物は、周りに起きた諸々の過誤や失敗に対して謙虚に反省し、自ら責任を取る。しかし、未熟で卑怯な者は、自らの過誤や失敗をも他人のせいにし反省しない。小人(卑怯者)になるな」と教える。

一方で、「2023年に輸出、ガバナンス、文化、人材、観光、移住と投資の6つの分野でそれぞれの国家の評判・評価を指数化し、ランク付けした「国家ブランド指数」で日本は、ドイツを抜きトップに立った」と紹介。

「孔子はまた、「信無くんば立たず」とも説いている。国の内外に共通して理解されている言葉であり、標題にも重なる大切な教えとして、心に刻んでおきたいものです」と述べ、「巻頭の言葉」は、終わる。

數土さんの「巻頭の言葉」は、毎回、聖賢の書を紹介し、それと時事の要点を関連させて今の問題点を分かり易く述べる。現代を生きる羅針盤のような「教え」で、学ぶのが楽しみである。

これまでもブログで「數土語録」を紹介した。その一部を再掲する。

「簡単明瞭だけでは不十分。読み手に対し訴える力がなければ意味がない。そのためには自分自身の言葉で語り、自分の実際の体験や実績に基づいて書くしかない。さらに、リーダーなら夢も語る必要がある」。

「必ずしも数多くの修羅場を経験できないので「疑似体験」として「十八史略や史記等の書を読み歴史を学ぶ」ことは重要である」。

數土さんは、資本金約1,500億、従業員約65,000人のJFEホールディングス元社長で現名誉顧問。社長を退任後は、73歳から3年間、震災後の東京電力会長として東京電力改革を断行。

数多くの修羅場を経験され「学び」の重要性を体得された「教え」は心に響きます。數土さんに感謝です。

『三学戒』(安岡正篤 一日一言)

「少(わかく)にして学べば、則ち壮にして為すこと有り。壮にして学べば、則ち老いて衰えず。老いて学べば、則ち死して朽ちず(佐藤一斎 言志晩録)」。

「若い者の怠けて勉学せぬ者を見る程不快なものはない。ろくな者にならぬことは言うまでもないが、まあまあよほどのろくでなしでもなければ、それ相応の志くらいはあるものである」。

「壮年になると、もう学ばぬ、学ぼうとせぬ者が随分多い。生活に逐(お)われてだんだん志まで失ってしまうのである。そうすると案外老衰が早く来る。いわゆる若朽である」。

「よく学ぶ者は老来ますます妙である。ただし学は心性の学を肝腎とする。雑学では駄目である」。

「細井平洲も敬重した川越在の郷長老、奥貫友山の歌に「道を聞く夕に死すとも可なりとの言葉にすがる老いの日暮し」と」。

『三学戒』、学びの習慣、必要に思います。『三学戒』、肝に銘じたい教えです。

2024-05-14

5月第2日曜日、母の日 Mother’s Day

我がブログ、2020年7月28日から開始し、足かけ5年。これまで4回母の日について記す機会あり。しかし、今まで688回のブログで「母の日」の記述はなし。本日は、初めて「母の日」について少し記します。

母の日は5月第2日曜日。ネットによると「約100年前の米国・ウェストヴァージニアで、ある女性が亡き母を追悼するため、1908年5月10日に教会で白いカーネーションを配ったのが始まり」とか。

日本で初めての母の日イベントは明治末期頃。1915年(大正4年)には教会でお祝いの行事が催されるようになり、徐々に民間に広まったとのこと。

4世代同居の我が家、義母、我が家内、娘の3人の母が同居。義母は、大東亜戦争を経験し、我が家内は昭和の元気な時代を過ごす。そして娘は平成の一桁と生活した時代は異なる。

しかし、母親として子育ての基本、「子を思う母の気持ち」は、今までも、今も、これからも変わらないと思う。そして、子供が母親に対する思いも時代による変化はないと感じる。

母親は、子供に取り必要な存在で、母親に取っても子供は重要な存在。

フト我が母を思い出す。母は、10年前に88歳で他界。戦争真っ只中が青春時代。気の毒で大変な時代。旧満州で育ち、日本に引き揚げ。黒竜江省で生活していたとのこと。生前に一緒に訪問したく思ったが、叶わぬ夢。

保健婦として仕事し、帰宅すれば夜遅くまで家事。そして、朝早くから家事をして出勤。仕事が趣味の母。日曜日午後2時から「松竹新喜劇」の藤山寛美を涙を流して鑑賞し、それを見ながらの昼寝を思い出す。

私は小学6年生の時、朝7時から夕方5時まで故郷の邑智郡一周サイクリング。商船高専2年の春、島根・広島・四国一周サイクリング。さらに商船高専3年の春、島根から青森までのサイクリングを行った。

いずれも「行ってきなさい」と気持ちよく送ってくれた。さらに商船高専、大学、大学院での学びに関しても「やりたいことを遣りなさい」と背中を押してくれた母。子供を一途に信頼して育ててくれたように思う。

両親が共稼ぎで物質的には恵まれてはいなかったが、温かい家庭と楽しい子供時代。それを支えてくれたのが母に思う。「親孝行、したいときには親はなし」。

鹿児島県知覧にある特別攻撃隊知覧平和記念館での館長講演をフト思い出す。特攻隊員は、父親より母親への思いが強いことを紹介。何となく分かる気がする。

我が家での母の日昼食会。三女が、特別料理を作り、長女が、お花をプレゼント。質素だが楽しい母の日昼食会。



「母の日」、よいなと感じる。母に感謝。

『日本の母へ』(平澤興 一日一言)

「母よ 尊い母よ 日本の子らに 美しく逞しい魂を」 

「世界の子らに 誇らしく清らかな心を 偉大な母よ」

「これは全家研(全日本家庭教育研究会)のスタートにあたって、私が日本の母に呼びかけた母への祈りである」。

「しかし、同時にこれは、母自身のこどもに対する祈りでもあろうと思うのです」。

『日本の母へ』、心に残る教え。

2024-05-12

中学校クラス会企画:男女共同参画の重要性

今年、私の同級生は古希を迎えます。昨年3月から古希の中学校クラス会開催に向けて準備中。本日は、今年8月中旬に開催予定のクラス会について少し紹介します。

昨年3月古希のクラス会開催をフト思いつく。一人で企画するのは大変なので、同級生に共同世話人を打診。快諾してくれクラス会の準備を開始。さらに2人が世話人に加わり4名で企画。

私、これまでに色々な企画をしたが女性と一緒の企画は極めて少ない。今回、女性2名の同級生が世話人に参加し、大変助かるのを痛感。行動力が凄い。

私は、島根の山間部の小さな小中学校を卒業。小学校1年生から中学校3年生まで1クラスで、9年間ほぼ同じメンバー、約39名。物故者4名でクラス会参加対象者は今、35名。

写真は、私が子供の頃、真っ黒になって遊んだ江の川。

世話人の女性は、ほぼ全ての同級生に電話し、近況の情報を交換して、クラス会出欠調査を実施。地元にいる他の女性の世話人は、地元で生活している同級生を訪問し、近況報告をして出欠調査。

これは凄いこと。まず、私や他の男性世話人では、このような対応は難しい。また、女性ならではの具体的で貴重な提案もあり。これらは男性では思いつかない。

遅ればせながら「男女共同参画」の重要性と必要性を痛感。有り難い。

このような協力があり、先日「クラス会案内」の手紙を無事投函。クラス会準備が一歩前進し、嬉しい限り。その一部を紹介。

「お元気のことと思います。突然の手紙、驚かれたことと推察します。この手紙は、川越中学校クラス会のご案内です」。

「私達が川越中学校を卒業し、50年以上が経過しました。そして、私達の多くは今年、「人生七十古来稀なり」の「古希」を迎えます。時々、ふと昔のことを思い出しますが、それは何時も同級生と楽しく過ごした川越小中学校での生活や故郷の思い出です」。

「前回のクラス会は、約10年前60歳、還暦の時でした。それ以降、淋しいことですが、数人の友人が鬼籍に入りました。また、同級生と再会する機会も減少し、これからも減少すると思います」。

「さらに、今後、私達の仲間も鬼籍に入る人は増え、加齢による自由度も低下します。このような現状と近未来を考え、「古希」の記念も含めて今、「別添」のような「昭和45年度川越中学校卒業生クラス会」を企画しました」。

「クラス会の趣旨は、”楽しいひと時を共有し、80歳に向かい、さらに元気になる”ことです。キーワードは、「昔を思い出す」、「楽しむ」、「元気を出す」です!」。

「小学校時代に友と遊び学んだ「学び舎」はなくなりましたが今、小学校跡地に新しく「川越生涯センター」が造られました。今回のクラス会は、この「センター」で行います」。

「古希を迎える私たちに相応しい場所だと思います。60年以上前に楽しく遊んだ小学校跡地で昔を懐かしく思い出し、小学生や中学生の頃に帰って昔の日々を楽しく語り合いたいと思います」。

「クラス会出席後は、出席前より元気になるのが目標です。皆で元気になりましょう!」。

「お忙しいとは思いますが、万障繰り合わせの上、多くの方がご出席されるのを楽しみにしています。川越でお会いしましょう!待っています!」。

これまでのクラス会参加者は、最大で15名。今回は、20名以上参加を数値目標に掲げ、女性軍世話人の大活躍で軽く目標を達成予定。卒業後50年ぶりに会う同級生も多い。今年8月、今までにない熱い8月。

持つべきは、良き友なり。共同世話人や参加してくれる同級生に感謝。

『いつも明るい顔で』(平澤 興 一日一言)

「実際のところ、嬉しいときに嬉しい顔をしておるのは、これはもう誰にでもできるのでありますが、色々嬉しくないことがあります」。

「そういう場合にでも決して慌てず騒がず、他の人が見ると全く平和な日と同じように見えるような顔、そういう顔を実際に私の周囲でも知っております」。

「これは平凡ではありますが、ある意味では人間の修練の最後の段階かもしれません」。

「したがってそれは、ぼけてそういう顔は駄目なのであります。同時に安らかな顔ではありますが、絶えず求めている、絶えず人間としての向上を目指さないところには、そういう明るい顔は出ないのであります」。

「退屈をするような人間にはやはり退屈の表情しか出ないわけであります」。

『いつも明るい顔で』、いいですね。心に留めたい教えです。

2024-05-10

松ヶ岡、朝のクニオの散歩と論語の学び

クニオとの松ヶ岡周回コースの散歩、何時も楽しみにしているのが「菅原兵治記念館」前の「箴言コーナー」。ここには、論語や言志四録等からの箴言が一ヶ月に一度程度更新されて紹介。今月の箴言等を紹介します。


今月の箴言は、論語『学びて時に之を習う、亦説ばしからずや。朋遠方より来る有り、亦楽しからずや』。

「学んだことを時に復習するのはより理解が深まり楽しいことだ。友人が遠くから訪れてくれて学問について話し合うのは喜ばしいことだ」との教え。

学んだことを繰り返して学ぶ、重要に思います。また、遠方より友人が来て学問の話をするのは、とても嬉しく楽しいことです。論語が記された2600年前と今で本質的なことは変わらないと感じます。

最近は、朝から温度が高くなることもあり、毛皮を着ている散歩好きの「忠犬クニオ」、1時間の散歩は暑そうです。散歩から帰ると、まず水を飲み、ベビーバスでの「水浴び」。これは、大変気持ちよさそう。

評論家故伊藤肇氏は、著書『人間学』の中で「日本の経営者達が、最後の最後まで読み続ける本というと、『論語』が圧倒的である」と述べています。

そして、「「財界総理」と呼ばれた経団連会長の石坂泰三なども、夏、軽井沢へこもる時には、必ず『論語』を持って行ったし、よく、こんなことも言っていた」。

「50歳過ぎてから新しく読み直してみると味わいが深い。しかも平生の考え方、生き方にもぴたりと役に立つ。僕は齢80を超して初めて孔子とじっくり膝をまじえて話し合った」と紹介。

約2600年前に記された「論語」、今までも、今も、これからも、私達の生き方の指針として学ぶべき書に思います。

「松ヶ岡、朝の散歩と論語の学び」、いいです。継続します。

『三日書を読まざれば』(安岡正篤 一日一言)

「黄山谷(こうざんこく)に次のような名高い語があります。「士大夫三日書を読まざれば則(すなわち)理義胸中に交わらず。便(すなわち)覚ゆ、面目・憎むべく語言・味なきを」」。

「書は聖賢の書。理義は義理も同じで、理は事物の法則、義は行為を決定する道徳的法則であります」。

「大丈夫たるものは三日聖賢の書を読まないと、本当の人間的意味における哲理・哲学が身体に血となり肉となって循環しないから、面相が下品になって嫌になる、物を言っても言動が卑しくなったような気がする、というのであります」。

「本当の学問というものは、血となって身体中を循環し、人体・人格をつくる。したがって、それを怠れば自ら面相・言動も卑しくなってくる」。

「それが本当の学問であり、東洋哲学の醍醐味もまた、そうゆうところにあるわけであります」。

『三日書を読まざれば』、何となく分かる気がします。「聖賢の書」の学び、重要に思います。

2024-05-08

米処の庄内、田んぼの季節が始まる

朝の忠犬クニオとの散歩。庄内の田んぼが耕起され、水が入り、いよいよ田んぼの季節が始まります。



2012年から7年間、我が家の近くの田んぼを借りて行った野外実験を思い出しました。本日は、一部再掲も含め、その思い出等を少し紹介します。

この自然共生水田の研究は、私の友人が2006年 鶴岡市で「全国トンボサミット」を開催したのがきっかけ。その時の講演者、篤農家の方との貴重な出会いが研究の出発点。

この方は、酒田市で30年以上「無肥料・無農薬・無除草剤」でコメ作り。「コメ作りには、雑草や害虫も含めた生き物の多様性と調和が重要で、生き物と生き物のつながりが必要だ」と話される。

篤農家であり生態学者に思います。探究心が旺盛でお会いすると何時も多くの学びがあります。凄い人。

その方の田んぼを視察しましたが、ヤゴやタニシも含め多様な水辺の生き物が生息。「多様な生き物の役割や自然の調和機構の解明」がライフワークの私には、大変魅力的な研究対象。一気にのめり込みました。

早速、学生諸君や友人と共同研究を開始。研究は3段階で進行。まず、1)自然共生水田と慣行水田の水田生態系の相違を解明(2009-2011)。

そして、2)自然共生水田の経過年数が湛水及びイネの生物群集に及ぼす影響の解明 (2012 – 2014)。

最後が、3)タニシが湛水生物及びイネの生育とイネの生物群集に及ぼす影響の解明 (2013 - 2015)。

これらの研究は、8名の学生諸君との共同研究で、4編の修士論文と4編の博士論文となりました。

3番目、タニシの影響の研究が、我が家の近くの水田を借用しての実験。3年間の実験の前後を含めて7年間、三筆、三反歩の自然共生水田との付き合い。

田植えと稲刈り以外の田んぼの除草、畦の草刈り、朝夕の水管理等、田んぼの管理も実施。色々な発見があり興味深い7年間。田んぼを楽しみ田んぼから多面的に学ぶ。

農薬等を使う「慣行水田」を無肥料・無農薬・無除草剤の「自然共生水田」に変えると、昆虫やクモ、オタマジャクシ、ハラアカイモリ、シマヘビ、ツバメ、サギ等、生き物の種数が増え、生物多様性が増加。

「慣行水田」では、肥料や農薬等の化学資材の投入で、特定の生物の個体数が増加し、水田の多様性は減少。

一方、「自然共生水田」では、湛水及び地上の生物多様性が増加し、それが生物の調和を保つ機構の一つのようでした。今後は、その調和維持機構の解明が宿題。

「自然共生田んぼ」では、除草剤を使わないので、6月から7月、毎週1回合計8回除草機での除草が必要。暑い日中の除草で熱射病に罹ったことも、今では懐かしい思い出。

ある朝、田んぼの水が全くないのを発見。原因を探求。排水口にネズミ等が掘った大きな穴を発見し、驚く。その穴から水が流出。色々と予期せぬ事が起こります。

田んぼの畦は100mあり、その草刈りが大変だったこと、田んぼの多様な生き物観察の面白さ等々、懐かしく思い出します。

色々と学び考え楽しんだ7年間。学生諸君や共同研究者の皆さんに感謝。

『学べば学ぶほど』(平澤 興 一日一言)

「世の中には、説明のできないような不思議がたくさんあります。全てが科学で解明できるなどということは、間の抜けた科学者の言うことであります」。

「真に科学を、学問を研究した人は、分からないことがだんだん増えてくるということをしみじみ思うものです。学問をして賢くなると思うような学問の仕方は、本当の学問の仕方ではありません」。

「学問をすればするほど、一つ分かれば、十位分からんのが出てきますから、他の人よりは深く知っても、自分として主観的には分からんことの方が、だんだん増えてくるのであります」。

「学問をすればするほど、世の中に当たり前なんてことはなくなり、全てが不思議になるのであります」。

確かに研究すればするほど、分からないところも増えてきます。『学べば学ぶほど』、同感です。

2024-05-06

GW後半:趣味の農業、果樹園除草とBBQ

ゴールデンウイーク(GW)、後半も天気に恵まれ行楽日和。行楽に行かれた方、家でのんびり過ごされた方、様々と思います。

毎年我が家のGWは、野菜苗の移植及び管理、果樹園の除草、果樹の剪定枝の焼却。そして、最後はバーベキュー(BBQ)での締め。我が家の庭で家族一緒にBBQをするのは、私の小さな夢の一つ。家族もBBQは、大好き。

まずは、先日移植したキュウリの苗の棚作り。今年は、近年になく上手く出来て喜んでいます。次に、ナスやキュウリやトマトがお水を欲すると水やり。

20年前からお世話になっている自然共生水田の師匠によると、作物が水を欲すると葉を巻くので、その時に散水するとか。

GWの大仕事が果樹園と畑の除草。面積が広いので除草が大変。我が家の裏に農地が展開していますが、果樹園と畑で約0.8ha。大型除草機を用いても果樹園の除草に丸2日はかかります。ゴルフ場の除草と異なり、果樹園の周辺にはコンクリートの側溝が埋め込んであったり大きな石が地中にある。刈る前にそれらをチェックしてから除草。

また、腰まである草や密植している草は、除草機の前部を浮かせて刈刃にかかる負荷を軽減させないと、すぐに除草機は停止し、エンジンは止まる。さらに、ぬかるみや傾斜がある。

しかし、除草で果樹園がサッパリすると気持ちが良い。

一方、畑の斜面や水路周辺の除草。これは肩掛け除草機で草を刈ります。1日仕事。


さらに、果樹の枝が徒長し、それを剪定した枝を焼却。これも1日仕事。枝を切るのは簡単だが、その枝を集めるのが一苦労。何十回ものスクワット(?)をして枝の収集。

枝の焼却もそう簡単ではない。最初の火付けが難しい。小さな枝を選び火をつける。火が付いたら小さな枝を剪定ハサミで切りながら焼却。そして少しずつ大きな枝を焼く。焼き場は凄く熱く、煙はモウモウ。アッという間に汗だく。

山盛りになった剪定枝が綺麗さっぱり焼却されると、これも気持ちよい。

今年は天気にも恵まれ暑い中での農作業。午前中の作業の後は少しお昼寝。そして、夕方の農作業に出陣。


GW毎日毎日の農作業、結構疲れますが、夕食時の冷たい飲み物がとても美味しい。

子供の日の5日は、我が家恒例のBBQパーティー。会場設営とお肉の買い出しは、私の仕事。お肉を焼くのは子供達の仕事。冷たい飲み物が美味しい。

忠犬クニオ」は、会場でBBQが始まるのを寝て待つ。「果報は寝て待てか?」

毎年、BBQの炭火で暖を取り薄暗くなった夜空を見ながら一人ボンヤリ「黄昏」れるのが好き。しかし、今年は、疲れて早上がり。高校2年の次男が、「父さん、今日は、「黄昏」しないの」と聞く。「チョット疲れて次回だな」と応える。次男は、毎度の私の行動を「読んでいる」。


今年のGWもアッと言う間に過ぎました。人生、こんなものかと思います(?)。

『親父の役割』(安岡正篤 一日一言)

「人間はやはり、良心・霊性・魂にひびかなければ、何事も真の解決は出来ないのであります」。

「然もそうゆう純な心はもう二つ三つの幼児の頃から、子供は本能的に鋭敏に受け取ることが出来る。だから子供は言説で教えるよりも、情的に感じ取らせることの方が大事なのです」。

「親父は千言万言を費やして説教するよりも、黙って子供に見せることであります」。

『親父の役割』、貴重な教えに思います。