2020-10-30

読書尚友、古の聖賢に学ぶ

「読書を通して古の聖賢を師とする」、これが「読書尚友」。吉田松陰の「士規七則」に記されているそうです。

「読書尚友は、人が歴史に通ぜず古の聖賢を師としなければ、つまらない人間になってしまう。読書を通じて古の聖賢を師とするのが君子のなすべきことだ、という教えである」。致知編集長の藤尾秀昭氏は、「特集 読書尚友」のリード文で、「読書尚友」を紹介しています。

この特集記事に、今年、98歳、九州大学名誉教授の井口潔氏と「博多の歴女」こと「ことほぎ代表」の白駒妃登美氏の「読書こそが人間教育の原点」の対談があります。そこでは、「素読を中心とする日本の伝統教育がいかに理に適ったものなのか、また読書は人格形成にどのような影響を与えるのか」が語り合われています。

素読は、とても重要に思います。日本初のノーベル賞受賞者、湯川秀樹博士のテレビ番組を観ました。湯川先生は、「今の自分を作っているのは、子供の頃の四書五経の素読です。素読は、とても良かった」と、話されていました。

放送大学で10月から有志で始めた「致知を読み、楽しく人間学を学ぶ会」、第1回目の資料を準備しました。それが、「特集 読書尚友」の記事等です。しかし、メンバーの多くは、熱烈な致知の愛読者で、資料の準備は不用でした。

我が家では5人の子供のうち上4人は、それぞれ小学4年生から中学3年生までの6年間、鶴岡市の致道博物館内、御隠殿での「少年少女古典素読教室」に参加しました。

この教室では、6月1日から7月下旬まで毎週土曜日、朝9時から40分間、正座して論語の素読です。さらに、夏休みの7月下旬には一週間、朝5時40分から40分間の論語素読。これは50年前から続いているとのことです。

毎回、私は子供達を連れて参加しました。朝早く、正座して大きな声で論語を素読すると、とても気持ちよく、体調が良くなるのを感じます。素読後は、何時も爽やかな気分で帰宅しました。

素読では、論語の意味の説明はありません。ただ大声で論語を読むだけです。論語の素読、リズムがとても良く、気持ちが良いです。

論語の素読に参加したことで、フトした時に論語を思い出します。論語は、私の日常生活に良い影響を与えています。素読教室に感謝です。

『三日書を読まざれば』(安岡正篤 一日一言)

「「黄山谷(こうざんこく)に次のような名高い語があります。「士大夫三日書を読まざれば則(すなわち)理義胸中に交わらず。便(すなわち)覚ゆ、面目・憎むべく語言・味なきを」。書は聖賢の書。理義は義理も同じで、理は事物の法則、義は行為を決定する道徳的法則であります」。

「大丈夫たるものは三日聖賢の書を読まないと、本当の人間的意味における哲理・哲学が身体に血となり肉となって循環しないから、面相が下品になって嫌になる、物を言っても言動が卑しくなったような気がする、というのであります」。

「本当の学問というものは、血となって身体中を循環し、人体・人格をつくる。したがって、それを怠れば自ら面相・言動も卑しくなってくる。それが本当の学問であり、東洋哲学の醍醐味もまた、そうゆうところにあるわけであります」。

「本当の学問を怠れば自ら面相・言動も卑しくなってくる」、実感します。聖賢の書を読む、重要に思います。

毎日、朝起きると安岡先生と平澤先生の「一日一言」を、それぞれ4頁読みます。この2つの書は常に私の鞄の中にあり、勤務先や家の机の上に置いています。それぞれの一日一言、一年365の箴言、何回読んでも、新たな発見があります。奥深さを感じます。

2020-10-28

面接授業、始まりました

「大阪で生まれて育ち、3年前山形大に赴任し、初めての東北、山形での生活。講義には、リズムと間があり、大阪人相手のリズムは、山形の人には馴染まない。また、間も違うと感じます」とは、今年度初めての山形SC面接授業担当者、D先生。「日常生活史」や「古文書学」が専門。

リズムと間は、話だけでなく文章にも通じるように思います。さらに、これは、日常生活の色々な場面でも重要と感じます。

10月の2学期から始まった面接授業で、毎週、色々な先生と話をするのは楽しみです。D先生から休憩時間等に「特別講義」として色々と教授して貰いました。新発見の連続。

例えば、大阪では、郵便配達員が各家の郵便物をポストに入れ込むが、山形では郵便物がポストの入り口から出ている。これは、大阪では考えられない。ポストから出ていると郵便物を持っていく人がいる。900百万人も人がいれば、色々な人がいます、とのこと。なるほど、と思いました。

喪中はがきは、何故薄い字で書くのか。食事後の割りばしは、何故折るのか等々。日常生活での習慣がどのように起こり、継続されていくかを含めた「日常生活史」、アッという間に「特別講義」の時間が過ぎました。

D先生の面接授業、昨年度は定員20名を超過した希望者でしたが、今年度の希望者は定員の約半数。昨年度は、他の面接授業でも定員を上回る受講希望者がありましたが、今年度はありません。コロナの影響に思います。教室での感染防止対策は、十分なこと等も含めたさらなる情報発信も必要に感じました。

放送大学の授業形態は今、3つあります。1983年に設立され当初は、放送と面接の授業のみ。2015年から、インターネットでの「オンライン授業」も開始され、全ての放送授業は「オンライン授業」でも聴講が可能です。パソコンがあれば、何処でも何時でも勉強できます。写真は、千葉の放送大学本部と特色ある放送番組、生涯学習支援番組です。


私は、10月から「文学・芸術・武道にみる日本文化」を受講中です。これは、「オンライン授業」でも開講され、1回45分、15回の授業が何時でも何回でも聴講でき、とても便利です。また、講義も大変工夫されていて興味を惹くような授業です。

面接授業では、1コマ90分の授業が、土日の2日間、午前と午後に2コマずつ、合計8コマ開講されます。2日間の講義は、教員も大変ですが、学生の皆さんも大変に思います。しかし、向学心旺盛な皆さんは、本当によく勉強されています。

面接授業の開始により、教員や学生の皆さんに山形SCで会え、やっと何時もの放送大学に戻りつつあります。山形SCに活気が出ました。嬉しいです。

「♪生きるとは学ぶこと、♫学ぶのは楽しみ♪」「♪生きるとは知ること、♫知ることは喜び♪」。これは、放送大学歌の一部抜粋です。二度ない人生、学びや知ることを通じ、人生を楽しみ、喜んで生きたいと思います。

『自分が自分に与える教育』(平澤 興:一日一言)

「人から受ける教育というのは親や先生から教わったり、本や社会から習ったりすることで、普通教育というと、とかくこれだけしか考えない人も少なくないようでありますが、しかし、ただ知っておるだけでは、まだ知識でありまして、本当に自分のものになったとはいえないのであります」。

「自分が自分に与える教育とは、習ったものをもとにして自らの工夫でいかように自らを導き、いかように人生を生きぬくかという覚悟と実行でありまして、これこそが本当に身についた教育であり、これは外からの教育より遙かに大きいと思うのであります」。

「自分が自分に与える教育」、重要に思います。

2020-10-26

紅葉の秋、月山登山

 ここ松ヶ岡からは、毎日、鳥海山と月山が眺められます。「忠犬クニオ」とは、毎朝、この2つの山を見ながら散歩です。10月21日(水)、気持ちの良い真っ青な秋晴れ、今日は週休日。一週間前に、家内が紅葉を愛でる月山(1984m)登山を提案し、今日は、その登山日。

久しぶりに登山靴とリュック、さらにウエアを出し、前日に登山準備を完了。おやつも用意し、何時も持参するウイスキーは、日帰りで断念。残念です。

久しぶりのワクワク感、小学生の遠足前日が蘇ります。これまでの月山登山は、羽黒方面からでしたが、本日は、逆の志津から登山。こちらは夏スキーのゲレンデがあり、リフトで途中まで上がる想定で出発しました。

自宅から1時間で登山口の駐車場着。リフト乗り場に行ったら3日前の18日(日)を最後に、リフトは、来春まで冬眠、ウウウ。登山口からの登山です。これは登山を楽しめとの神のお導きと判断。

紅葉は、かなり散り、葉のない広葉樹の枝が美しい。登山中に年配のご夫婦と出会いました。言葉のイントネーションから九州の人だと思い、「九州からですか」と訊いたら宮崎とのこと。


そのご夫妻、今日は月山に登り、今夜は、米沢の温泉に宿泊。ブナ林が綺麗で、こんな山が近くにあり羨ましい、の一言。勤め上げた定年後に夫婦でノンビリ旅、良いです。宮崎のご夫妻とホノボノ会話を楽しみました。

登山者はほとんどいないと思いましたが、ご年配や若い人とパラパラと出会い、登山を楽しむ人がいることに嬉しくなりました。

山登りは、下界のことを全て忘れ、山の木々と出会え、新鮮になります。気分転換には最高。往復約7キロの登山でお腹ペコペコ。山で食したおにぎりの美味しいこと。

来年からは、春と秋の2回は登り、70歳まで月山登山を続けようと思いました。若い頃のようには登れませんが、マイペースで自然を愛でながらの登山、気持ちよいです。

島根の山間で育った私は、子供の頃、春のお花見と秋の山の幸が実る頃には、必ず友達と山登りをして遊びました。秋の山登りの目的は、明確です。春の山登りの理由を帰宅後にフト考えました。

当時の山間部では炭焼きもあり、里山が維持されていました。山登りでは、里、里山、そして奥山と登ります。里山は、手入れされた雑木林が、とても美しい。

広葉樹が芽吹く春の里山の美しさに惹かれ、春の山に誘われたように思います。久しぶりの月山登山、子供の頃の山登りを思いだしました。毎年の月山への挑戦も決意。秋晴れの登山、よい一日でした。


『ユーモア』(平澤 興:一日一言)

「ユーモアは人生を明るくし、広くし、かつ多彩なものにする。たしかにユーモアは、ひからびた世の中に何かしっとりしたものを与え、生きる喜びを与えてくれる」。

「世の中には、ユーモアにさえふまじめなものを感じるような人もないではないようだが、ユーモアはわれわれに働くエネルギーを与えこそすれ、少しもふまじめなものではなく、きしむ世の中の油のようなものである」。

「ユーモアは心のゆとりなくしては出るものではなく、またかりに心のゆとりがあっても、良いユーモアは鍛えられた人生の深さがなくては出るものではない」。

最近、「ユーモア」との遭遇がないことを思い出しました。「ユーモア」、必要です。「良いユーモアは鍛えられた人生の深さがなくては出るものではない」、なるほど・・・。

2020-10-24

山形SC「学びのサロン」、開始です

「世界のいじめ研究の最前線」、「リハビリテーションとパラ・スポーツ」、「変体仮名で読む『百人一首』」、「生活の中の化学を考えてみよう」、「ドイツ文学の名作を味わう」、「Let’s get together for saying good-bye to William」、「農学とその挑戦について学ぶ」。これは、山形学習センター(山形SC)7つの「学びのサロン」の名前です。

大学では、学友とゼミ等を通じた相互の学びも重要に思います。教員と学生の皆さんが自由な雰囲気で相互に学ぶことを目的に、多彩な皆さんが年齢や職業を忘れた学びや語りの場、山形SC「学びのサロン」が、10月から始まりました。関係の先生や学生の皆さんに感謝です。

私の「サロン」は、編執筆し、2017年に刊行された岩波ジュニア新書「農学は世界を救う」がテキスト。その第1回目を10月16日に開催しました。5名の方に参加いただき、まずは自己紹介。

参加者は、「広く深く学ぶ方」、「「学ぶことを忘れない」との恩師の言葉を心に留めている方」、「経済等の実学に関心の方」、「自給率の低い日本の農業に危機感を持つ方」等々、多彩な方々です。これから来年3月まで5回の「サロン」、楽しく学び、元気になります。

私の「サロン」は、テキスト各章の担当者を決めて、担当者が担当章の紹介を予定しています。しかし、あまりテキストの内容に拘らず、それは一つの問題提起とし、多面的な切口で自由な雰囲気の「サロン」を提案しました。

今年3月まで国際交流も担当した山形大では、国際交流担当教授が、「学生大使プログラム」を創設しました。

これは、「山形大の海外サテライトのある大学に学生諸君を2週間派遣し、英語で日本語や日本文化及び山形を紹介」するプログラム。学生諸君の多面的な国際化にとても役立ち、山形大の国際交流の目玉の一つです。

ベトナム、ハノイにあるベトナム国家農業大学(VNUA)も学生大使派遣大学の一つです。山形大とVNUAのさらなる国際交流発展のため、私は、時々VNUAを訪問し、国際交流担当副学長との情報交換や現地の学生諸君と意見交換しました。驚いたのは、夜の国際的な「学びのサロン」です。

国際交流担当教授夫妻の宿舎にお邪魔した夜、一緒に楽しくグラスを傾けました。そこに三々五々、VNUAの学生さんや色々な国の留学生が来ました。そして、それぞれの学生さんの関心事の情報及び意見交換。

例えば、各国の農業の実態と諸課題が話題で、学生さんが自由闊達に意見を交換し、他国の実態を学ぶ夜もありました。これは、まさしく「学びのサロン」。とても刺激的で良い雰囲気。グラスのお酒が進み、「サロン」が熱気を帯びました。アカデミックな、楽しい一夜。思い出の一夜です。

このような「サロン」は、「サロンをやりましょう」と言ってできません。教授ご夫妻の人間的な魅力と包容力、さらには知的好奇心、知識量、経験及び国際性のなせる業。ご夫妻に感謝し、感動したのを覚えています。

自由な雰囲気で相互に多面的に学ぶ「学びのサロン」、最近は、少なくなっています。しかし、これは、今までも、今も、これからも、特に大学では、重要で必要に思います。山形SC「学びのサロン」もこんな雰囲気になれば嬉しく思います。

写真は、霞城セントラル10階、山形SCから観た山形市内の風景です。良い眺めです。


『自主的に学ぶ』(平澤 興:一日一言)

「大学は、ただ教えられることを習う受け身の勉強をするところではなく、もっと積極的に自らも考えながら自主的に勉強すべきところだ」。

商船高専から大学に入って最も感動したのは、「積極的に自らも考えながら自主的に勉強する」アカデミズム。大学にはアカデミズムがあり、それに触れたことです。私は、大学での授業より、友人や先生との自主ゼミがとても学びになりました。それは、大学での重要な学びに思います。

2020-10-22

赤とんぼとトンボの英名 Dragonfly

数多くの赤とんぼが、秋晴れの空を気持ちよさそうに飛んでいます。子供のころ手製の捕虫網で赤とんぼを追いかけたことを思い出します。「♪夕焼小焼の、赤とんぼ ♫負われて見たのは、いつの日か」。秋の夕暮れに赤とんぼ、よく似合います。

10年以上前から今年3月まで、山形大農学部農場の田んぼで友人たちと一緒に、無農薬・無肥料・無除草剤によるお米作りの研究をしました。特に、タニシやヤゴ等、田んぼの水辺の生き物が出す、糞などの養分を活用してイネを栽培し、その田んぼを「自然共生田んぼ」と呼びます。

大学農場以外にも、我が家の近くに三筆、三反歩の田んぼを借り、インドネシアの留学生の博士論文研究も含め7年間、お米を作りました。

農薬等を使う「慣行水田」を「自然共生田んぼ」に変えると、昆虫やクモ、オタマジャクシ、ハラアカイモリ、シマヘビ、ツバメ、サギ等、生き物の種類や数が増える、生物多様性の増加。その中にトンボもいます。赤とんぼ以外に腹部が細いイトトンボも含め多くの種が飛来しました。

赤とんぼ、アキアカネは、秋に田んぼに産まれた卵が春に孵化してヤゴとなり、6月頃に蛹が成虫に羽化します。「自然共生田んぼ」の管理は、早朝の田んぼ、水の見廻りから始まります。また、「自然共生田んぼ」では、除草剤を使わないので、6月から7月、毎週1回合計8回除草機で除草を行います。

朝6時前から除草機を押す除草中に、赤とんぼの蛹が羽化する場面に遭遇。30年以上も「自然共生田んぼ」でお米を作っている友人が、ある時、「何故トンボをDragonfly と呼ぶのか分かった」と教えてくれました。「Dragon」は竜で、「Fly 」は、飛ぶ昆虫。「Dragonfly」は、竜のように飛翔する昆虫。

「6月早朝、イネに付いた何百ものトンボの蛹が一斉に羽化し、それが大空に飛んで行く。その姿は、まさに大空を飛翔する竜であり、トンボの一斉羽化は、飛翔する竜の姿だ」。「「Dragonfly」、それは、トンボの一斉羽化を意味している」、と話しました。「なるほどな」と思います。

その友人は、7haの自然共生田んぼでお米を作り、田んぼには、タニシを初め沢山の水辺の生き物がいます。「ヤゴ一匹が1グラムの糞をすれば、100万匹のヤゴからは、1トンの肥料が出る。化学肥料は、不要だ」と話します。

「トンボを初め、生き物が田んぼに沢山いる、生物の多様性が高いことが重要で、それを維持することが必要だ」と熱く語ります。私もそう思います。生態学者以上に生態学者である友人、凄い人です。

ある時、除草機で除草中、農家の人が「安田さん、何故、そんなに楽しそうに除草をしている」と訊きました。草は、除草剤を使う「慣行水田」には、ほとんどありません。しかし、「自然共生田んぼ」には、とても色々な草が生育し、綺麗な花も数多く咲きます。それを観るだけで面白い。

さらに自然共生田んぼのイネは不揃いです。刈り取りが始まる時期に穂が出るイネもあり、田んぼの中でイネの生育はバラバラ。イネの生育が、何故、田んぼで不揃いか考えるのも面白い。

生き物は、本来、生育の違いが場所毎にあり不揃いです。「自然共生田んぼ」は、面白いことを色々と教えます。そして、分からないことが多い。それを考えるのは、面白くて、楽しい。そんな田んぼにいると楽しくなります。楽しいこと、重要に思います。

写真は、毎日、通勤する月山道の紅葉の一葉です。

『学べば学ぶほど』(平澤 興:一日一言)

「世の中には、説明のできないような不思議がたくさんあります。すべてが科学で解決できるなどということは、間の抜けた科学者の言うことであります」。

「真に科学を、学問を研究した人は、わからないことがだんだん増えてくることをしみじみ思うものです。学問をして賢くなると思うような学問の仕方は、本当の学問の仕方ではありません」。

「学問をすればするほど、一つわかれば、十ぐらい分からんのが出てきますから、ほかの人よりは深く知っても、自分として主観的に分からんことのほうが、だんだん増えてくるのであります」。

「学問をすればするほど、世の中にあたりまえなんてことはなくなり、全てが不思議になるのであります」。

「学問を研究した人は、わからないことがだんだん増えてくることをしみじみ思う」。分からないことが増えてくる、本当に思います。それを考えることは、楽しいことです。

2020-10-20

「致知」を読み、楽しく人間学を学ぶ

「いつの時代でも仕事にも人生にも真剣に取り組んでいる人はいる。そういう人たちの心の糧になる雑誌を創ろう」―それが、月刊誌「致知」(https://www.chichi.co.jp/)の創刊理念です。

「過去にも未来にもたった一つしかない、この尊い命をどう生きるか、それを学ぶのが人間学です。歴史や古典、先達の教えに心を磨き、自らの人格を高め、それを道標に、自分にしか生きられない一回限りの人生を豊かに生き抜く。そういう人たちの生き方に学ぶ」―それが、「致知」の編集方針です。

「有名な人、無名な人を問わず、どんな世界でも各界で一所懸命に生きている真実の人たちがいる。そういう真実の人を見つけ出し、その方たちの体験やそこで得られた英知に学ぼう」―それが『致知』です。

山形学習センター(山形SC)は、今年度から「人間学の学びのセンター」も目指しています。そのために、人間学の学びも企画します。その一つが、「「致知」を読み、楽しく人間学を学ぶ」です。10月15日に山形SCに5名の有志が集まり、第1回を始めました

まず、5名の有志の自己紹介、「山寺案内人」、「大人のための絵本の企画者」、「合唱団の団員」、「同窓会の会長」等々、ボランティアも含め多面的な活動の方ばかり。第二の人生に楽しく挑戦の姿を聞き、圧倒され、元気を貰いました。

人生100歳時代の今、如何に元気で楽しく健康に生きるか、これは重要なテーマです。時間の経過とともに誰でも年輪を重ねますが、楽しく新たな事に挑戦するのは、誰もができることではないでしょう。

人生は色々で、他人の人生に口をはさむ事ではないですが、ご年配で活き活きと輝いて生活されている人に会うと嬉しくなり元気を貰えます。

新たな事への楽しい挑戦、それは、若さを維持する上に必要に感じます。常に学ぶ姿勢とその実践、それは、趣のある人間形成に重要に思います。「人間学を学ぶ」に参加の皆さんに感謝です。

山形SCの皆さんで「人間学を学ぶ」に参加希望の方は、山形SC窓口もしくは、電話で連絡ください。老若男女、多くの皆さんの参加をお待ちしています。

「人間学を学ぶ」の皆さんの自己紹介を聴き、色々と挑戦されているその人生に、サミエルウルマンの「青春」を思い出しました。一部抜粋をご紹介します。

「青春とは人生の或る期間を言うのではなく心の様相を言うのだ。逞(たく)ましき意志、優れた創造力、炎ゆる情熱、怯懦(きょうだ)を却(しり)ぞける勇猛心、安易を振り捨てる冒険心、こう言う様相を青春と言うのだ」。

「年を重ねるだけで人は老いない。理想を失う時に初めて老いがくる。歳月は皮膚のしわを増すが、情熱を失う時に精神はしぼむ。苦悶や狐疑や、不安、恐怖、失望、こう言うものこそ恰(あたか)も長年月の如く人を老いさせ、精気ある魂をも芥(あく)たに帰せしめてしまう」。

「驚異への愛慕心、空にきらめく星晨(せいしん)、その輝きにも似たる事物や思想に対する欽仰(きんぎょう)、事に処する剛毅な挑戟、小児の如く求め止まぬ探求心、人生への歓喜と興味。人は信念と共に若く疑惑と共に老ゆる。人は自信と共に若く恐怖と共に老ゆる。希望ある限り若く失望と共に老い朽ちる」。

「青春とは、心の様相である。人は信念と共に若く疑惑と共に老ゆる。希望ある限り若く失望と共に老い朽ちる」、心に留めたいと思います。

写真は、私が住んでいる松ヶ岡から見る初冠雪の鳥海山(2,236m)、良い風景です。

『人生は八十歳から』(平澤 興:一日一言)

「五十、六十、花が咲き、七十、八十、実が成って、九十、百歳、熟れ盛り。本当に人生を楽しむのは、八十歳からである。この歳になってがっくりする人と、新しい人生に燃える人が出てくる」。

八十歳以上生きて、新しい人生に燃えたいと思います。

2020-10-18

故郷の秋祭りと石見神楽

兎追ひし彼の山♪ 小鮒釣りし彼の川 夢は今も巡りて♬ 忘れ難き故郷

如何にいます父母♬ 恙無しや友がき 雨に風につけても♪ 思ひ出づる故郷

志を果して♪ いつの日にか帰らん 山は青き故郷♫ 水は清き故郷

京セラ会長で盛和塾の塾長、稲盛さんの好きな歌「故郷」。子供の頃に習った文部省唱歌、日本人の情緒の琴線に触れ良いです。「故郷」を聴くと、何時も生まれ育った島根の田舎を懐かしく思い出します。

         

それぞれの人に故郷があり、それぞれの人に故郷での思い出があります。時々、ふと子供の頃の故郷と、そこで遊んだ記憶が鮮明に浮かびます。島根の山間の田舎、物質は豊かでありませんでしたが、豊かな自然と、暖かい人情がありました。

そして、子供達は、豊かな自然とその中で生きる多様な生き物をよく知り、山の幸を食し、川で魚を捕り、遊びを工夫して楽しく日々を過ごしました。今から約60年前、昭和の時代です。

最近の出来事の記憶は薄く、昔の出来事の記憶が鮮明であるのは、老化の兆候とのこと。最近のことは記憶に残りませんが、昔のことは本当に鮮やかに記憶に残っています。老化、真っ只中です。

秋には、山でクリやカキやアケビを取り、稲刈りの終わった田んぼで、真っ暗になるまで野球。さらに日本で13番目に長く「中国太郎」の異名を持つ「江の川」の河原に作った小屋でのキャンプ。「山は青き故郷 水は清き故郷」です。

そんな田舎の秋祭りは、子供達にとり楽しみの一つです。秋祭りには、待ちに待った「石見神楽」がやってきます。私の田舎では、春日神社で10月下旬の夜9時頃から朝方6時頃まで、夜通し神楽が舞われます。そして、秋祭りを堪能です。


秋祭りには、親戚が我が家にやってきて酒盛り、手拍子での歌合戦の始まりです。家族や親戚の繋がりが濃く、お互いに思いやりを感じた時代に思います。

石見神楽は、収穫期に自然や神へ五穀豊穣を感謝する神事。何時も最後の神楽は、「大蛇(おろち)」。日本神話におけるスサノオの八岐大蛇(ヤマタノオロチ)退治で、数頭の大蛇がスサノオと格闘を繰り広げる舞いです。


2年前の秋、長女、次女と一緒に「秋の故郷、しまね旅」に出かけ、約40年ぶりに石見神楽と故郷の秋祭りを堪能しました。

ふるさと、いいですね。ふるさとに帰ると、すぐに子供の頃に帰れます。「忘れがたき故郷」です。ふるさとでは、何時もいつも、子供の頃に登った山々や、川遊びをした「中国太郎」の「江の川」が温かく迎えてくれます。「山は青き故郷 水は清き故郷」です。庄内の秋に、我が故郷の秋祭り、石見神楽を思い出しました。

『青年よ大望を持て』(安岡正篤 一日一言)

札幌農学校の名師クラーク去るに臨んで子弟に与えたる一語、世に知らざる者なし。而(しこうし)て多く其の片鱗を伝えて、全きを知らず。

Boys, be ambitious. Be ambitious not for money or for selfish aggrandizement, not for that evanescent thing which men call fame. Be ambitious for the attainment of all that a man ought to be.

青年よ大望を持て。金銭や利己的誇負(こふ)の為ならず。世の人々の名誉と称するその実(じつ)虚しきことの為ならず。人として当(まさ)にしかあるべきあらゆることを達成せんとする大望を持つべしと。かくありてこそ語に暇庇(かし)なきなり。(瑕疵とはきず、欠点のこと)。

「志を果して いつの日にか帰らん」。「青年よ大望を持て」、心に留めたい箴言です。

2020-10-16

国際性、海外の友人との交流の楽しみ

山形学習センター(SC)は、今年度から「多文化交流のセンター」も目指しています。そのためには、外国の人からの多面的な学びも重要に思います。

山形SC、来年度からは英国人の先生の授業や、留学生による授業の補助もお願いする予定です。学生の皆さんは、是非、異国の方々から、異国の文化等も多面的に学んでください。

Dear Hiro(私の名前が、Hironori で、海外の友人は、私をHiro と呼びます),

I now have a grant on ladybirds and especially on Harmonia (HA). We are testing an interesting hypothesis, but it would be lengthy to describe the details here - the proposal is attached. I have an idea that also your data might help us.

I think I have them all, but would like to discuss some details of the monitoring and HA life histories (best in a sushi bar, while drinking sake)

This leads me to a question - do you think you might spare some time to meet me in Tsuruoka in August? I would not bother you too much, one - maximum two sessions lasting 1-2 hours would be sufficient, I guess. 

So what do you think of this proposal? Would it fit somehow into your schedule? 

My very best wishes to you, Junko and the rest of your large family

Pavel 

これは、2年前、チェコの友人パブロフ教授から私に届いたメールの一部抜粋です。その意訳は「鶴岡のお寿司屋で日本酒を呑みながら、共同研究の議論をしたい。8月に鶴岡に行きたいが、都合はどうだ」です。

氏とは20年以上の付き合い。親しい友人と過ごす時間は、人生を楽しくします。特に、それが異国の友人であれば、学びの幅が広く、奥行きが深くなることがあります。氏からは、何時も訪問予定の2ヶ月前、唐突に「訪問したい」とのメールが届きます。

これまで、2年毎に「鶴岡に行きたい」とのメールが来て、そのたびに鶴岡で共同研究をしました。氏は、お刺身やお寿司を日本酒で遣るのが好きで、何時も、まずは、お寿司屋さんで再会を祝します。

国際化の今、外国の友人達との双方向の交流から多面的に学ぶことは重要に思います。氏は、私の研究室に10回以上も訪れ、私と共著論文も多くあります。数理生態学者で、若いころ数学の国際オリンピックで二度銅メダルを獲得し、英語、ドイツ語、ロシア語、フランス語が堪能で「化け物」のような男です。

私が、23年前、英国に10ヶ月留学した時、氏と知り合い、お互いの国を相互に訪問し、共同研究を継続しています。同い年で、お互いお酒を愛する処が類似し、馬が合います。

海外の知識人と話すと好奇心の旺盛さに驚きます。かつて、米国の友人から「中国が約700年前に日本を2回攻めたが、1回目と2回目は、何が違うのか」と訊かれました。「元寇」です。

写真は、氏と出会ったロンドンの次に古い都市、ノーリッジイーストアングリア大学


留学していた英国の大学には、パブ(居酒屋)がありました。午後5時以降は、氏とそのパブで、ギネスビールを呑み研究やお互いの国の状況等、多面的な情報及び意見交換を楽しみました。氏は、研究に集中すると全ての事が頭から離れ、食事も忘れて仕事に集中する人で、その集中力の凄さは驚きです。

かつて、日本学術振興会短期派遣研究員として、私、家内、3人の娘の家族5人で、チェコに1ヶ月滞在し、氏と共同研究も行いました。氏は、16haの牧場を所有し、馬やポニー等、数多くの動物を飼育。趣味は乗馬で、私も生まれて初めて乗馬を楽しみました。


チェコに滞在中、「プラハの春」やソ連のチェコ侵攻、秘密警察下での生活等、チェコの歴史や生活の実態を現地で氏から学びました。研究者冥利に尽きる海外の友人との共同研究、持つべきは、良き友です。写真は、プラハ市街地の一葉。

『国際性を身につける』(平澤 興:一日一言)

「International は、特長ある Nations があり、その上に立ってこそはじめて望ましい国際性が生まれるのであり、自らの個性を捨てて分けの分からぬようなものだけでは真の意味での国際性は生まれません。

国際性を身につけるには、まず「汝自身を知れ」ということになりましょう。我々は正しい意味で日本人としての特性を持ち得てこそはじめて、尊敬される国際人たり得ると思うのであります」。

「日本人としての特性を持ち得てこそ尊敬される国際人なる」、本当にそう思います。

2020-10-14

居酒屋放浪、至福のひと時

「私は、男は、いやもちろん女もそうだけれど、時々一人になる時を持つことは大切と思う。会社も友人も家族も、すべてのしがらみから離れ、一人でぼんやりする。何か考えても良いが、考えなくても良い」。

「男が一人になって何をするかといえば、それは酒を呑むのが一番ふさわしい。居酒屋の片隅で、何も考えず一人、盃を傾けぼんやりする。人嫌いで山に登るのとは違い、あくまで市井の、他人のうず巻く町の中にあって孤独を愉しむのである」。

「男が会社の帰りに一杯やるのは、会社の集団的時間の熱気をそのまま家庭へ持ち帰らないための、クールダウンであり、また次に家庭という集団へ入るための、束の間の自己解放なのだ」。

これは、太田和彦さんの「超・居酒屋入門」の一部抜粋です。太田さんは、「居酒屋放浪記 立志編・疾風編・望郷編」の著者でもあります。「居酒屋放浪記」は、太田さんが全国の居酒屋を訪れ、美味しい郷土料理や地酒を楽しみ、その「ウンチク」を記した書です。

日が暮れるのが早くなり、かつ寒くなり、山形駅前の赤ちょうちんが恋しい季節到来です。ふと、太田さんの「居酒屋放浪記」を思い出しました。

今から10年以上前の農学部勤務時代、私は時々、「クールダウン」も兼ねて、「一人でぼんやり」するために居酒屋経由で帰宅したこともあります。

また、学会や諸々の出張では、旅先で居酒屋放浪を愉しむのも好きでした。訪問地の地酒と郷土料理を味わいながら、一人ぼんやりするのは、お酒を愛する者にとり至福のひと時、楽しみです。

先日、鶴岡の至福の場「庄内ざっこ」で、ぼんやりしながら久しぶりにマスターと、ポツリ、ポツリと四方山話。そして、庄内の新鮮な魚貝類を堪能しました。お酒は、すっきりとした地酒の大山

「庄内ざっこ」とは、20年以上の付き合いで、マスターと女将さんの人柄、お店の落ち着いた雰囲気、美味しくて新鮮な魚貝類、趣のある器、多様性の高いお酒の種類等々、とても気に入っています。鶴岡には居酒屋やお寿司屋は、沢山ありますが、とても気に入っているお店は、ごく僅かです。

マスターに「ブログを始めたので、マスターの写真をブログで紹介してもよいですか」と聞いたら「いいですよ」とのことでした。今は、複数の息子さんご夫婦と一緒に「ざっこ」を経営。お店に入ったら、検温と消毒の「関所」があり、カウンターの椅子が減り間隔が広くなっていました。良いお店です。

太田さんの「居酒屋放浪記」を本棚で見つけ、ふらっと居酒屋放浪の旅に出たくなりました。一人で旅に出て、見知らぬ旅先の居酒屋で、一人ぼんやりする至福のひと時を過ごすのもよいものです。たまに日常の全てを忘れ、ぼんやり一人を楽しむことも必要に思います。

『六然(りくぜん)』(安岡正篤 一日一言)

「自處超然(じしょちょうぜん:自ら 処すること超然):人間は自分の問題となると、物にとらわれて執着したり、拘泥するものである。事に臨んで自分に関する問題から解脱し、抜け出せるように勉めることだ。

處人藹然(しょじんあいぜん:人に処すること藹然):人に対しては好意に満ち、温かい気分を持って対するのである。藹は草木の青々とした雰囲気をあらわす文字である。

有事斬然(ざんぜん):何か問題があるとき、うろうろしたり、うじうじせず、活気に満ちきびきびしている。

無事澄然(ちょうぜん):何もない時は、氷のように澄み切っている。

得意澹然(たんぜん):得意の時は威張ったり驕ったりし易いものであるが、人間はその時あっさりしていることが肝腎である。まだまだ足りないという謙虚さを抱くことだ。

失意泰然(たいぜん):失意の時は、ばたばたせずにゆったりと落ち着いている」。 

『六然』は、勝海舟の座右の銘とのこと。何回読んでも、身に沁みます。

2020-10-12

祖国と国旗

9月下旬の敬老の日と春分の日、2日連続の祝日でした。我が家では、祝日には国旗を掲げて祝日を祝います。写真の国旗は、鶴岡に来てすぐに購入した、30年の年季物です。

敬老の日の朝、国旗を掲揚し、寝とぼけ犬のクニオと何時もの散歩に出かけました。1時間の集落内の散歩でしたが、国旗を掲げている家は、目に付きませんでした。

私が育った昭和、島根の田舎の祝日には、ほとんどの家で国旗を掲げていました。我が母校、大島商船高専の寮、3年生週番学生の仕事の一つは、毎朝6時の国旗掲揚と午後6時の降納です。何時から、我が国では、国旗を掲揚する家が少なくなり、なぜそうなったのか、素朴な疑問です。

3月末まで在職した山形大では、国際交流も担当しました。山形大での海外出張も含めると、これまでに約30ヶ国を訪問し、大学間交流事業の促進業務や10ヶ国の研究者と国際共同研究を実施しました。

何時も海外出張では、空港で搭乗すると海外での応対に向けギアを一段上げます。そして、我が国の国旗、日の丸が何となく背中にあるのを感じます。また、10ヶ月の長い出張でも1週間の短い出張でも、帰国前日、明日、日本に還れると思うと、とても嬉しくなります。祖国があり、それが日本であることは、とても有り難く思います。

海外に出ると日本を感じ、その良さもそうでない処も感じます。私は、帰国後、電車の中で感じるのは、日本人の目がとても穏やかなことです。これは、穏やかな日本だから、穏やかな目になるのかとも思います。穏やかな目に遭うとホッとします。

20年前、日米共同研究で米国に行った時、2名の女子学生と一緒でした。米国への渡航前、彼女たちは、「日本の国歌、君が代は、明るさがなく元気が出るような歌ではないね。それに比べ米国の国歌は、明るくていいね」、との感想を述べていました。しかし、40日間の米国滞在で、日本の良さも感じたようです。

米国での滞在中、州立大学対抗のフットボールの試合を観戦しました。試合前には、約10m×20mの大きな星条旗を20人位の大学生が持ち、グランドを一周する儀式がありました。勿論、開会式では観客全員が起立し国歌斉唱。国旗や国歌が大事にされていると感じました。

さらにある日、米国の友人と野外調査に出かけたら、道路わきのほとんど全ての家で星条旗が掲げてあり驚きました。友人に「今日は、独立記念日か」と訊いたら、「9.11.の追悼日だ」との応えでした。驚いたのは、多くの家に米国の国旗、星条旗があることです。

写真は、米国での野外調査の一葉。

東京オリンピックの水泳選手木原美智子さんが、オリンピック前に代々木のプールで練習していた時、米国の国歌が流れたそうです。そうしたら、米国の選手が全員プールから上がり、胸に手を当て国歌を聴いていたと話していました。 

「祖国と国旗」、色々な事が浮かんできました。

『日本を愛す』(平澤 興:一日一言)

「国際的視野から見て、発言力を持つためには、国として、民族として強くならねばなりませぬ。しかし、誤解を防ぐために、特に断っておきますが、ここで国として強くなるということは、戦争に勝つためとか、弱い国をいじめるためとかいうことではなく、むしろ弱いものに手をさしのべ、弱いものを助けるためであります。

我々は、その苦い経験からも、世界の誰よりも戦争に反対し、積極的に世界平和の確立に努力せねばなりませぬ。

私が特にここで強い国にならねばならぬというのは、個人としても、国としても、自ら助くる者だけが真に自立し得るのであり、いかなる時代でも自らの足で立てぬような国は、一人前の発言力を持てぬからであります。当然のことながら、こうゆう意味で我々はもっと、積極的に日本の国を愛し、これを強くすることに熱意を持ちましょう」。

『日本を愛す』を一読して、福沢諭吉の「学問のすすめ」が浮かびました。

福沢諭吉は、明治五年、「学問のすすめ」の中で、「一身独立して、一国独立す」と述べています。そして、「第一に、独立の気力がない国民は、国を愛する精神も希薄である。第二に、自分に独立の自覚がない者は、外国人と交わっても自分の権利を主張できない。第三に、独立の気迫がない者は、他人の権力に頼って悪事をすることがある」と指摘しています。

一身独立、国を愛する、重要に思います。

2020-10-10

天風哲学と有意注意

スポーツの秋です。本日、10月10日は、1964年、今から56年前に東洋で最初のオリンピックが東京で開催された日です。かつて10月10日は、「体育の日」の祝日でした。東京オリンピック開催期間に田舎の小学校では、全生徒が講堂に集まり、「ニッポン」を応援しました。懐かしい、昭和の時代です。

重量挙げの三宅義信選手、体操の遠藤幸雄選手、バレーボールの東洋の魔女等々の活躍で、日本は金メダルを数多く獲得しました。当時、私は小学4年生。オリンピックの日本開催は、当時の子供達の生涯で、初めての最後だと言われていました。来年、二度目のオリンピックを観られるのは夢のようです。

スポーツの秋、テニスで今、爽やかな汗をかいています。ある日のテニスの試合。ストライクボールが返ってきて、「いただき」と思い、颯爽とボレー。ボールはネットにかかり失敗、ウウウ。週一回、夜7時45分から90分間のテニスレッスン。最後の20分は、何時もダブルスの試合です。写真は、愛読月刊誌

その日は、ポイントを簡単に取れるボールが何回か来て、「いただき」と思うと、単純なミス。注意力不足。ラケットでボールを捉えるまでボールをしっかり見ていない。「意識的に注意をする、有意注意の欠落。集中力の低下」が敗因の一つです。

その日一日を振り返ると朝5時から2時間、果樹園の草刈り。その後、2時間かけて山形市へ通勤、放送大学でひと仕事。夕方のバスに揺られ2時間、鶴岡の高速バス停着。自家用車で、高速道を法定速度でぶっ飛ばし、夜7時45分のテニスに直行。レッスン開始10分前にレッスン場、「プラスワン」に到着。体の疲労度と注意力は、負の相関にあるのを実感します。

コーチから、「安田さん、固い、固い、もっとリラックスして。軽いフットワーク」とアドバイス。テニスは、「燃える闘魂」も必要ですが、軽いフットワークも重要に思った処でした。仕事でも軽いフットワークが必要だと再認識。テニスレッスンから仕事のありようも学んだ気がしました。

稲盛塾長も学ばれた「天風哲学」、その創設者、中村天風先生は、「自分の心を統率するには、意志の力が重要である。意志の力を強くするには「有意注意」が必要であると教えています」。有意注意をするには、一つひとつのことに注意力を傾け、「ギアを上げて」行うのが重要との教えです。そのためには、意識的に注意する「有意注意」の訓練が必要とのことです。



鶴岡では、6年前に「天風哲学研究会」が創設され、創設時から「天風哲学」を5年間、学びました。これは、如何に平常心を保つかの訓練法でもあります。朝と夜は、天風哲学の行修をしています。「継続は力」を感じます。写真は、「天風哲学誦句集」です。     


テニスのレッスンから、「有意注意」の「天風哲学」が浮かんできました。この「天風哲学」は、日露戦争、日本海海戦の連合艦隊司令長官、東郷平八郎元帥や元ヤクルトスワローズ、クールなH監督、プロテニスプレーヤーM選手なども学んだと聞きました。凄い「哲学」に思います。

週一回のテニスのレッスン、いくら身体が疲れていてもラケットを握ったら、集中力のギアを一段上げて、「有意注意」の徹底、反省です。これは、仕事にも通じ、仕事でも注意力の「ギアの上げ下げ」は、重要に感じます。

『多岐亡羊』(安岡正篤:一日一言)

「多岐亡羊ということがある。これは羊を飼っておった人が羊を逃がした。そこで慌てて追いかけた。隣り近所の人も一緒になって追っかけてくれたが、あんまり枝道(えだみち)が多い。いわゆる多岐である」。

多岐が多くって、あっちへ行ったこっちへ行ったと言っているうちに、どこかに行っちまってわからなくなった。人間もそういうもので、あんまり仕事が多くなると、肝腎なものがどこに行ってしまったか、わからないようになる。人間というものの本質、人間の使命、人間の幸福、そういったものがわからなくなってしまうのである」。

何が「本質」なのかを考えて生活することは、重要に思います。

2020-10-08

放送大学大学院入試と大学院時代

「試験時間は、9時30分から11時30分までの2時間です。試験開始後40分間は、退室できません。・・・・・。それでは、試験を始めてください」。放送大学大学院修士課程第1次選考(筆記試験)が、10月3日(土)午前9時30分から山形学習センターで行われました。約15年ぶりの試験監督。

放送大学大学院修士課程は、文化科学研究科、文化科学専攻の1研究科1専攻です。その下に、生活健康科学(募集人員90名)、臨床心理学(30名)、人間発達科学(60名)、社会経営科学(100名)、人文学(90名)、情報学(70名)、自然環境科学(60名)の7プログラムを開設しています。

7プログラムで最終合格倍率が最も高いのは、臨床心理学の9.1倍、その次が、人間発達科学の2.1倍、平均倍率は、2.5倍です。また、博士課程は、募集人員15名で、最終合格倍率は、8.6倍の狭き門。

試験監督をしながら、38年前の大学院生活を思い出しました。大学院では、動物の糞を餌とする15種の甲虫、糞虫を対象に「自然のバランス」の解明を試みました。しかし、糞虫の数が安定しているのか、不安定なのか、もし安定しているならその機構は何か、それをどのように解明できるか等々。何をやったら良いのか、方法が分からず、暗中模索の日々でした。

大学院入学後、指導教員の伊藤先生と研究テーマについて議論。そして、「群集の研究をやるような奴は、馬鹿だ。5年で結果など出るわけがない。止めろ」と助言されました。暗中模索の時期には、この助言が脳裏に浮かびましたが、今さら後には引けません。

研究は全くの偶然から進展しました。5年間の博士課程の中で、前半の3年間は、暗中模索の辛い日々。しかし、4年目から何をやったら良いかが分かり、楽しく充実した生活に変わりました。諦めずに我慢して継続することは、重要に思いました。

そのような研究生活の中で伊藤先生から「心優しい」指導も受けました。カウンターパンチあり、軽いジャブあり、体に効いたボデイブローあり。カウンターパンチは、8月31日のブログ「仰げば尊し わが師の恩」で触れましたので、軽いジャブから紹介しましょう。

博士1年の時に英語で論文を書き、先生に校閲を依頼。開口一番、「お前の英語はヒドイ、高校生以下だ。今すぐ、高校の英語からやり直せ」との助言。私は、中卒後、商船高専に進学し、大学受験英語を勉強する機会がありませんでした。早速、高校の文法から学び始めましたが、先生からは毎回毎回、罵倒され続けました。これは、発憤の刺激になりました。

先生は大学を退官後、沖縄大学で群集の研究を始められ、ある日、先生から私に英語の原稿が送られて来ました。そして、「安田兄、原稿と英文の校閲をよろしくお願いします」との手紙が同封されていました。手紙は嬉しかったですが、凄い先生に思いました。

次は、体にグッと効いたボデイブローを紹介しましょう。野外で5年間データを取り、6年目に博士論文を仕上げました。その年の10月に学術振興会特別研究員に内定し、3月までに博士号が取得できれば、4月から信州大学での研究が決定でした。

10月に博士論文の原稿を先生に渡した1日後、先生から一言、「こんな60点の論文に博士はやれない。1年かけてじっくり書き直せ」。この時のショックは、今でも鮮明に覚えています。思わず拳を握り締めましたが、グッと堪えました。

幸い薬剤生理が専門の教授が、「博士論文に、60点も80点もない、合か否だ。俺が主査になる」と、博士審査会議で論文概要を説明され、無事に学位を取得しました。今、冷静に振り返ると山ほど取った5年間のデータをしっかり解析し、良い博士論文を残せ、と言うのが先生のお気持ちだったように思います。

「心優しい」指導は、指導を受けた時には分かりませんでしたが、人として年輪を重ねるにつれ理解できるようになりました。大学院6年間、今思い出しても厳しい修業時代でした。

写真は、大学院時代の要因実験準備と放牧地での野外調査の一葉です。


私の大学院時代は、良い先輩や友人がいたから、私は、研究が続けられました。先輩や友人に心から感謝です。伊藤先生は、色々な意味で凄い人でしたが、先生との縁があったから今の私があります。先生に感謝です。「縁」、重要に思います。

放送大学大学院の試験監督から、私の大学院時代を思い出しました。未解明の課題に挑戦するのは、とても刺激的ですが、それを明らかにするには、とても難しいことです。視野を広くしていると、難しい問題に直面しても展望が見えることがある、を実感しました。

『視野を広げる』(平澤 興:一日一言)

「諸君が将来、人間として栄養失調的なこざかしい人間になりたくないと思ったら、あまり専門というようなことにとらわれずに、諸君が学びたいと思うものや、読みたいと思うものは、思うがままに学び、思うがままに読むことです。殊(こと)にすぐれた古典は、是非大学、殊に教養部時代ぐらいに読むことです。

人生は専門にくらべてあまりに広く、あまりに深いのです。若い日にあまり専門にとらわれずに広い視野を持つことによって、将来専門家のくさみを脱して専門領域を歩けるとしたら、それほどすばらしいことはありませぬ」。

人生は広くて、深い。「視野を広げる」、本当に重要で必要に思います。