2023-07-31

第二の故郷松ヶ岡、朝の本陣草刈り作業

明治の初めに約3000人の武士が約300haの荒野を開墾してできた松ヶ岡。そのシンボルの一つが「本陣」。昨日の日曜日、朝6時から7時まで本陣周辺の草刈り。いい汗流しました。

本日は、松ヶ岡の奉仕作業等を少し記します。

この「本陣」は、松ヶ岡を訪問する多くの人が訪れる場所。何時も草刈りされて綺麗に維持されています。それは、松ヶ岡の皆さんの一年に5回程度の草刈りがあるからです。

私の第二の故郷、松ヶ岡には武士の末裔、約60世帯が生活。1年にいくつかの奉仕作業があります。

写真は、私の担当部著の草刈り前(上)と草刈り後(下)


まずは、4月7日開墾記念日。松ヶ岡の中学生以上の男性全員による「春準備」。まだ薄暗い朝5時から本陣やその周辺の庭木の雪囲い撤去。初夏は河川清掃で、小川の両岸の草刈り。

初冬の11月中旬、みぞれが舞う寒い時期、午前中は、本陣茅葺(かやぶき)屋根の修復に使う「萱刈」。午後は、本陣の「冬準備」として本陣やその周辺の庭木の雪囲い設置。この日は一日奉仕作業。

これら以外に前述の年5回程度の本陣草刈り。この奉仕作業は、約60戸を三班に分けて実施。

昨日の草刈りでは、世話役さんの「毎日猛暑が続き身体がバテテいるので、怪我や事故のないよう安全第一でやりましょう」の挨拶で作業開始。その後、暗黙の了解で、各自の担当部署に散ります。

毎回、この作業を通じ松ヶ岡の方々と貴重な情報交換。20代の若い方から80歳近くのご年配、ご婦人もあり、皆さんから元気を貰います。朝1時間の奉仕作業、良い汗を流し、楽しい会話、良いひと時です。

私は、松ヶ岡に移住するまで草刈り機による草刈り経験なしでしたが、移住して16年「習うより慣れろ」。草刈り歴16年で、少しは綺麗に草を刈れるようになりました。何事でも美しさは重要に思います。

朝の草刈りでさっぱりした本陣周辺。綺麗になると気持ちが良いです。

『なんとなく一緒にいたい人』(安岡正篤 一日一言)

「結局もう一度われわれの祖先の人達がやって来たような学問・修行の道を復活することが、今日の世界を救う一番の近道になるでありましょう。但しこれはなかなか難しい事であります」。

「そこでわれわれとしては、先ずそういう先哲に学ぶことが肝腎であります」。

「この間も必要があって、伊藤仁斎に関する書物を読んだのでありますが、徂徠門下であの口の悪い太宰春台が仁斎を評して「仁斎は学問にて練りつめて、徳を成したる人なり」と言っております」。

「又名前は忘れましたが、「なんとなく一緒に居りたき人なり」といったような評をしておる人もあります」。

「本当に練りつめて、徳を積めば、人格と雖も一つの芸術であります。そういう人とは、なんとなく一緒におりたい。だから決して寂しくない」。

「これを「徳は孤ならず、必ず隣有り」というのであります。儒だの禅だのなんだのと言うけれども、そういうことは枝葉末節のこと、本当に道に入れば、みな同じことであります」。

『なんとなく一緒にいたい人』、心に留めます。

2023-07-29

石の上にも3年(?)、「山桜庵」開設3周年

『山形SC所長の山桜庵』が、本日で4年目に突入、石の上にも3年(?)。本日は『山桜庵』について一部再掲も含め少し記します。

ブログを立ち上げてくれ今、米国で活躍している元指導学生で今友人から7月27日に「祝三周年山桜庵」との贈り物高級ウヰスキー2本と豪華チーズ詰め合わせが届く。感謝とともにチビリ、チビリとウヰスキーから元気をもらっています。

ブログ『山桜庵』は、放送大学の学生さんや私の知り合い等を対象に、1)放送大学及び山形SCの動きや企画等を発信しての情報共有、2)私の周辺の出来事や私が考えていることの紹介、3)東洋思想の泰斗、安岡正篤先生及び、京都大学16代総長で医学者、平澤興先生の箴言等を紹介することを目的に2020年7月28日開設。

アクセス数等の統計量として、3年間でのアクセス数26,418件、24件/日。この1年間の国別アクセス数では、日本約7000件、以下米国430件、ロシア57件を含め10ヶ国からアクセス。

最近3日間では、昨日28件、2日前87件、3日前40件、平均52/日。毎年アクセス数が増加傾向(気のせいかも?)。何人の方々が、ブログを読んでいるのか定かではないですが、上述の情報量と2日に一度の更新から過大推定で50名から70名かと推測。

松下電器産業に入社し、松下幸之助社長から「生き方」を学ばれた上甲晃さんは、30年一日も休まず、1400字程度のデイリーメッセージを発信しているとか。

上甲さんイワク「漫然と生きているだけでは、メッセージに書くネタがないので、人の話を聞いても電車に乗っても、朝起きて夜寝るまで、普段の生活が全てネタ探し。おかげで真剣に生きられるようになった」。

「真剣に生きられるようになった」は別にして、上甲さんの話、少し分かる気もします。

「ブログ書き」、色々と勉強と刺激になり、私は下述のような「ブログ書き「心得」(?)」も念頭に書いています。

「文章は、簡潔で分かりやすく、話題は、読者が関心を持つようなもの」も心がける。これ簡単ではありません。

書き出しの「つかみ」と最後の「しめ」も重要と思い、色々と考えます。これも簡単ではありません。

「つかみ」と「しめ」が、それなりに書け、安岡先生又は平澤先生の「箴言」が、本文と上手く関連づけば少し嬉しくなります。そして1回の文字数は、A4用紙1枚に収まるよう1800字以内。

ブログでは、できるだけ個別の話題から一般化できるような話に展開したいと考えていますが、これも難しい。

そして、堅い話ばかりでは肩も凝りますから、たまには「クニオ」や我が家の「住人」も少し登場し、柔らかな話も交えバランス(?)を保ちたいとも思っています。

目で語る「クニオ」は、読者に人気だと知りました。

また、ブログ作成のため色々と調べます。これは学びです。今まで写真撮影の経験は、ほとんどなしでしたが今、スマホは常に携帯し、何時でも撮影。「ブログ書き」で日常生活が少し変わりました。

「頬が緩む」ユーモアも入れたいのですが、これもなかなか難しい。

読者の皆さんのアクセスを励みに、もう1年、「ブログ書き」を続ける予定です。

「ブログ書き」、私の人生で新たな挑戦。ブログを立ち上げてくれた、「友人」に感謝です。読者の皆さん、今後もよろしくお願いします。

『ユーモア』(平澤 興 一日一言)

「ユーモアは、人生を明るくし、広くし、かつ多彩なものにする。たしかにユーモアはひからびた世の中に何かしっとりしたものを与え、生きる喜びを与えてくれる」。

「世の中には、ユーモアにさえ不真面目なものを感じるような人もないではないようだが、ユーモアは我々に働くエネルギーを与えこそすれ、少しも不真面目なものではなく、きしむ世の中の油のようなものである」。

「ユーモアは心のゆとりなくしては出るものではなく、またかりに心のゆとりがあっても、よいユーモアは、鍛えられた人生の深さがなくては出るものではない」。

『ユーモア』、好きです。ユーモアのある「ブログ」にしたいのですが、「鍛えられた人生の深さがない」ので、ユーモアが出せない、と思います。

2023-07-27

『グローバル時代の英語』、単位試験終了

放送大学は、2学期制で学期末に単位認定試験があります。今年度1学期『グローバル時代の英語』を受講し、その単位認定試験を受験。本日は、それについて少し記します。

昨年度も英語の講義を受講し、試験では「苦い経験(?)」。今回はその反省を活かして、昨年度の試験問題を入手し、半日間試験勉強。そして、試験最終日の朝4時30分から受験。試験勉強の成果があったように思います。

今回の試験は、13問の問題。5行から7行の長文読解5問。長文を読み、その内容と違う内容を4つの記述から1つ選択。この長文読解は割と得意。

苦手なのは、単語の意味を問う問題。例えば、「embarrass」を動詞とした英短文が記され、それと同じ意味で「embarrass」を使っている英文を4つの英短文から1つ選択。私は、ある英単語の意味は、1つ程度しか頭にないので、この種の問題は苦手。

今回受講した『グローバル時代の英語』、15章あり、毎回、「Today’s Vocabulary」として6つの単語とそれを使った英短文が紹介。

15章、それぞれで6つの単語、合計90単語。今回の試験勉強として、それらの意味を辞書で調べ、それをメモして覚えました。試験には、この単語が出題され、気持ちよく問題に対応。

英文の専門書や論文は読めてもTED talk に使われる単語は、馴染みのない単語もあります。それなりに試験勉強をしないと対応できないことを学びました。

「TED」とは、「Technology Entertainment Designの略称で、ニューヨークに本部を置き、様々な分野の専門家による講演会を主催しているNPO団体」とのこと。

このTED talkは、色々な分野の方の英語講演。今回15回の講義中5回はTED talk。分かりにくい講演もありますが、割と理解しやすい話もあり英語講演を楽しく学びました。

今回の試験を通じ私の英語のレベルでは、放送大学の英語授業の試験は、それなりの試験勉強が必要であることを再認識。後は、結果を待つのみ。

『グローバル時代の英語』は、ラジオ番組でしたが、番組や教科書が良く練られてとても刺激的な学びでした。約45年ぶりの試験勉強と緊張感のある試験も良い思い出です。放送大学の英語教育に感謝。

これまで毎学期1科目を受講し、6科目を学習。今、2023年度2学期の受講科目を楽しく検討中。刺激のある学び、良いです。

『自分を教育する』(平澤 興 一日一言)

「本当の人間のリーダーは、自分以外にあるのではなく、最後は自分自身が考えて行動するのだから、負けてはならぬ、これくらいで負けてはならん、これくらいで妥協してはならん、と自分自身に教育するのです」。

「例えば「6時に起きる覚悟をしたが、今日は5分や10分後でよかろう」ということではいけない。6時に起きると決めたらば絶対に6時に起きる」。

「決して何よりも自分をごまかさない、という自らに対する厳しい鞭であります」。

「この自分に対する教育、そのことがしっかりできなければ、結局本当のことはできないと思います」。

「自分に克つというようなことも、自分が自分に与える教育の一つでだと思います」。

『自分を教育する』、重要なことに思います。

2023-07-25

研究の思い出(6):研究者の楽園(中)

本日は、研究者の楽園「理研」(中)。理研での研究の中心、オオカ発見と、その後の研究を「臨場感(?)」を含ませながら少し紹介します。

「オオカを求めて三千里の旅」、7月に御蔵島の竹やぶに古タイヤを7個設置し、2ヶ月後の9月御蔵島を再訪。


旅館で荷物を置き、ドキドキしながら調査地に駆け出す。竹やぶを滑るようにずり落ち、設置した古タイヤの中を確認。

懐中電灯を片手に真っ黒いタイヤの中を照らすとたくさんの蚊の幼虫が水の中で踊っています。透き通った水の中での生物群集に胸を躍らせながらも目を皿のようにしてオオカを探索。

しかし、オオカはいません。最初の3個のタイヤにはヤブカの幼虫はいたが、オオカの幼虫はいない。

落胆しながら4番目のタイヤを覗き込むと、これまでのタイヤと様子が違う。たくさんいたヤブカの幼虫がいない。

不思議に思いながら注意深くタイヤの中の落ち葉を一枚一枚割り箸でつまみ出すと、底の方で体長2センチもある黒い大きな物体がジーッとこちらを見ている。

一瞬頭の中が真っ白。その場で拳を強く握りしめました。

結局、その時の調査ではオオカの4齢幼虫を4匹採集。その後、1991年10月まで8回の野外調査で、竹の切り株からは全くオオカを発見できず、古タイヤの設置でオオカの研究が可能となった。

幼虫を持ち帰り室内飼育系の立ち上げ。これが簡単でない。次世代を残すには、オスとメスが交尾し、産卵が必要。そのためにはオスとメスのほぼ同時期出現が好都合。

難しい問題が多々あります。まず、採集した幼虫の発育が揃い比較的同時期に成虫になり、それが雄と雌の両性である。

そして、室内で交尾して産卵し、孵化。しかし、オオカは室内では交尾せず、人工交尾が必要。この人工交尾、簡単ではありません。(上)で記した某大学で2回、人工交尾の実習。

9月に採集したオオカ4齢幼虫は、12月に成虫になるが発育が不揃いで人工交尾は不可。翌春4月の調査、オオカはいない。

5月の調査では10個体の幼虫を採集し、雄3個体と雌1個体が羽化。人工交尾を行い、数十個の産卵。毎日卵を観察。しかし、卵期間の3日を過ぎても孵化せず。人工交尾の時間の短さが敗因。一から出直し。

6月の調査では、5個体の幼虫を採集し、雄3個体と雌1個体が羽化。背水の陣。入念に人工交尾。2分の交尾時間。まず問題なし。産卵数71、上々。産卵後1日と2日目の卵に変化なし。

3日目が勝負。1時間毎に卵を観察。何回目かの観察の時、いくつかの卵が黒ずんでいるのを発見。もう確信。頬がほころぶ。1ミリの卵がパッと割れ、中から透き通ったヒラメの形の幼虫が孵化。言葉に尽くせない感動。嬉しかった。

理研に来て1年3カ月が経過。さあ、これから実験の開始。

御蔵島で2年間8回、合計56個のタイヤの蚊の幼虫群集を調査。その結果、捕食性の蚊の幼虫は、オオカとトラフカクイカの2種。その餌種は5種。

写真は、採集された蚊の幼虫。こげ茶色の大きな幼虫がトワダオオカ4齢幼虫。シャーレの上部で餌を捕食しているのがトラフカクイカの幼虫。

そして、オオカとの共存のし易さに種間差があり、オオカの有無で餌種の個体数が変化しているのを発見。ヤブカの仲間は、オオカがいると数が少なく、ハマダラナガスネカは、オオカがいても数は少なくない。

オオカとの共存程度に種間差があり、それを室内実験でも再現。そして、その要因を解明。

捕食者には、餌を探して捕獲する餌探索型と餌を待ち伏せし、餌が近くにくると捕食する待ち伏せ型の2つのタイプがあります。オオカは、待ち伏せ型で水面下45度の角度で静止。餌がすぐ近くに来ると一撃で捕獲。

それゆえ、餌がオオカの近くに来ないと捕獲は困難。ヤブカは、動きが活発でオオカの近くに頻繁に接近し捕獲される。一方、ナガスネカは、ほとんど動かず、たまにオオカが近くに来て捕獲の一撃を与えてもサッと回避。この行動の差が、オオカとの共存の種間差に重要と思われた。

蚊の幼虫群集構造決定の要因として、捕食者に接近する頻度とオオカからの捕獲回避成功度が重要で、この種間差が捕食され易さの原因。このような行動の違いが蚊の幼虫群集構造決定の要因と思われた。

本日は、オオカ発見と、その後の研究の一部を少し紹介。この続きは、(下)に記します。ここまでの蚊の研究、失敗続きでした。今、思い出すと全て懐かしい思い出です。

『失敗にくじけるな』(平澤 興 一日一言)

「どの方面を問わず、偉大な仕事は、たとえば表面に出る成功の何倍も何十倍もの失敗という山脈の中にそびえる一つの峰である」。

「われわれにとって恐ろしいのは失敗そのものではなく、その失敗によってくじけることである」。

「伸びる人にとって失敗は不幸どころか、むしろ幸福への再出発なのである」。

『失敗にくじけるな』、肝に銘じたいと思います。

2023-07-23

研究の思い出(5):研究者の楽園(上)

信州大での特別研究員生活が2年目に入った頃、この制度での研究期間は2年間なので、次年度以降の生活について考え始めました。

いくつかの大学教員の公募に応募。最後の2名に残ったと「風の噂」は届きましたが、「採用通知」はなし。

そんな時、大学教員の義父から「科技庁基礎科学特別研究員制度」が始まるとの情報を入手。この制度では、採択研究員は、物理学、化学、生物学、工学の4分野が対象で、総数で25名。理化学研究所(理研)で研究に従事。ダメもとで応募した基礎特研に採択。

本日は、基礎特研として過ごした「研究者の楽園、理研」での研究生活の一部を3回シリーズ(上)、(中)、(下)と分け、その(上)を少し紹介します。

写真は、理研での年末恒例の餅つき。

この制度は、「科学技術のさらなる発展のために、創造的及び基礎的な研究の推進を期待される、発想の自由な若手研究者に活躍の場を提供する」ことが目的。

4分野の平均採用倍率は3倍、生物学は5倍の狭き門。理研では、約50の研究室があり、主任研究員を中心に研究室が運営。私の専門の生態学を扱う研究室はなく、多少関連する分野として「昆虫の生理及び農薬学」の研究室。応募前にその研究室の主任研究員と面談。

「採用されたら我が研究室で自由に研究して下さい」と、とても好意的な対応。嬉しくなりました。

この「研究員制度」は、書類審査と面接試験の2段階選抜。書類審査に合格。面接が最重要と判断し、「大きな夢」を描き、それを語る構成で、いざ「出陣」。

面接試験の審査委員長は、工学が専門の理化学研究所副理事長。「大きな夢」が審査委員長に気に入ってもらい「合格」。大変驚き、とても嬉しかったのを昨日の事のように覚えています。

この制度では、自由な研究課題で3年間研究に従事し、月額50万の給料と年額150万の研究費。この制度による採否は、研究生活継続の「天国と地獄」。

後日、審査委員長が配属研究室の主任研究員に「安田さんは、理研にいないタイプなのでとても期待しています。よろしくお願いします」とおっしゃったと聞き、さらに嬉しく気合が入りました。

研究は、捕食性オオカを含む蚊の幼虫群集を対象に、捕食・競争・環境変動が生物群集の多種共存と安定性に及ぼす影響を解明するモデル実験。この蚊のシステムは、理研に採用されたら某大学から入手する内諾を得ていました。

理研に採用され、某大学にルンルンで電話して提供をお願いしたら「安田さん、誠に申し訳ありません。上司が急に「蚊のシステムの提供は、止めてくれ」と言ってきました。誠に心苦しいのですが状況をご理解して下さい」。

「ハアッ?!」、「ガガガ~ン」。目が点。人生、「上り坂、下り坂、マサカ」の3つの坂。まさに「マサカ」。オオカは、「幻のオオカ」と言われ、まず野外でオオカを発見し、捕獲するのは極めて困難な昆虫。

このオオカ幼虫は、他の蚊の幼虫を捕食。一方、成虫は吸血性ではなく訪花性で花の蜜等が餌。成虫は金属色でとても美しい体長約2センチの大きな蚊です。

想定外の「オオカを求めて三千里の旅」の始まり。副理事長の期待に応えたいが、研究材料がない。ウウウ。

このオオカの幼虫は、ブナ等の枝が折れた洞、樹洞に生息。愛車の「ナナハン」に乗り、埼玉県和光市の理研から奥多摩のブナ林へ「オオカ探索の旅」を開始。

3回の野外調査を通じ、この方法でのオオカの発見は困難だと判断。全く途方にくれました。

そんな中でフト1978年に三宅島の南、御蔵島でオオカ発見を報告した論文を思い出す。藁をもつかむ思いで御蔵島行きを決断。そして、7月に御蔵島を訪問。

東京から飛行機で1時間南下すると三宅島。三宅島の向いにあるお椀を伏せた周囲17キロの小さな島が御蔵島。三宅島から小さな連絡船で1時間、御蔵島に到着。

オオカが発見された竹やぶに行き、竹の切り株の水たまりを全て調査。オオカ、いません。翌日は、周囲17キロの御蔵島、足を棒にしての全島調査。オオカ、いません。

オオカが発見された竹やぶから2キロ離れた場所に島唯一の自動車修理工場を発見。オオカは、水を入れた古タイヤを設置すると産卵するのを思い出す。

修理工場の人にお願いし、古タイヤ7個を入手。工場から竹やぶまで往復4キロを4往復。タイヤ7個を設置。

4月に理研で研究に従事し、研究費と高額な給料を頂きながら研究材料がなく「針の筵」での半年の研究生活。7月に御蔵島の竹やぶに設置した古タイヤ調査のため、9月に羽田から三宅島経由で御蔵島を再訪。

そして、荷物を旅館に置くや、竹やぶに向け疾走。この続きは、研究の思い出:研究者の楽園(中)で紹介します。

『神秘の因縁』(安岡正篤 一日一言)

「精神を集中し、寸陰を積んでこれを錬磨すると、非常な感覚力を生ずるものだ。平生研究問題を持たぬ人では、なにも見つからないが、平生なにかに集中していると、意外な「発見」をする」。

「そこに神秘な因縁すら感知するものだ。こういうところに人生や、事業、学問の秘訣がある」。

『神秘の因縁』、これまでの人生で「意外な「発見」」、ありました。「神秘な因縁の感知と人生や、事業、学問の秘訣」、深い学びです。

2023-07-21

山形市と台南市との交流、「八田技師の回想」

「夏の東北絆まつり」の一つ「山形花笠」の準備が、山形駅コンコース等で進んでいます。


毎年、「台南市とのちょうちんを通しての交流」の「ちょうちん」がコンコースに展示。それを見ると「台湾の人に愛された日本人、八田與一技師」を思い出します。本日は、一部再掲も含めて少し紹介します。


私は、2019年12月中旬、八田與一技師に会いたくて、冬の庄内から羽田経由で南国、台北に飛びました。

そして、台北から新幹線で台南に向かい八田技師がいる嘉南の烏山頭(うざんとう)ダムと珊瑚潭(さんごたん)を訪問。

八田さんが主導して建設した烏山頭ダムと灌漑水路の偉業は、台湾の中学校の教科書に載り、多くの台湾の方は氏とその偉業をよく知っています。

氏は、34歳の1920年から1930年の10年間、嘉南の原生林を開墾し、東京ドーム120個分の保水量があり、コンクリートを使わない烏山頭ダム造りを主導。

さらに、嘉南平原に全長1万6000キロ(東京・ロス往復の距離)の灌漑水路を作り、それにより嘉南平原では、安定した米作りが可能となる。そして、60万人の人々が、その恩恵を受けたとのことです。

かつて、我が国には凄い日本人が多くいて、世界の人々から尊敬されたことは、同じ日本人として誇りに思います。

今でも5月8日の命日には、嘉南地区の方々がお墓の前に集まり慰霊祭。烏山頭ダムがある珊瑚潭の小高い丘に八田さんの銅像があり、その後ろにご夫妻の小さなお墓があります。

お墓にお参りしたら、何故か涙が止めどもなく溢れました。年のせいですね。私は、八田さんのミニチュア銅像を購入し、机の上に置き、毎日、氏と一緒にいます。

古川勝三著『台湾を愛した日本人 土木技師八田與一の生涯』との書があります。古川さんは、1980年から3年間、高雄日本人学校に勤務。

その「あとがき」によると、ある日、台湾の方から「あなたは日本人だから、日本精神を持っていますよね」と聞かれたそうです。

そして、「日本精神?それはどういうことですか」と聞き返すと、「日本精神はね、『嘘をつかない』、『不正なお金は受け取らない』、『失敗をしても他人のせいにしない』、『与えられた仕事に最善を尽くす』、この四つです」。

「日本は良い教育をしてくれました。今日の台湾の発展は、この日本精神のおかげです」と言われたとのことです。

台湾のレストランでの夕食中、上品なご年配の台湾女性が流暢な日本語で話しかけてきました。戦前に東京女子大を卒業し、日本の良さとそこでの教育が忘れられないと懐かしんでいました。

何となく嬉しくなりました。台南市の烏山頭ダムを再訪し、八田技師に会いたいですね。

「台南市とのちょうちんを通しての交流」、約4年前に訪問した台南の八田さんを思い出しました。凄い人です。

『夢と情熱』(平澤 興:一日一言)

「残念ながら私は、生涯を通じて自信というものはついに持つことのできなかった人間であります。しかし夢をみながら、それにひたむきな情熱を注いで進むということはできました」。

「それが今日までの私の生涯です。もっとも自信を持てばそれに越したことはないかもしれませんが、しかし自信はなくとも燃える情熱と実行さえあれば必ず事は成るのであります」。

「自信はなくとも燃える情熱と実行さえあれば必ず事は成る」、私もそう思います。しかし、これは簡単ではありません。八田技師にお会いして『夢と情熱』の重要性を痛感しました。

2023-07-19

我が家で高校野球部の若人、「宿泊合宿」

本日は、我が家で高校野球部の若人の「宿泊合宿」について少し記します。

4日前、山形から鶴岡への帰宅のバスの中で高一の次男から、「今日、野球部の友達が泊まりに来ますが、よろしいでしょうか」とのメール。

私「よいです。何人ですか」。息子「4人来ます」。私「おおう、そりゃ、賑やかでよいですね。粗相のないようにしっかり接待してください」。息子「接待係は、クニオ君です」。

クニオは、我が家のラブラドール。時間があれば、グーグー寝ます。猫背で狸寝入りが得意の癒し系の忠犬。ラブラドールは、盲導犬として有名。しかし、クニオは、「偽ラブ」なのか躾なのか、癒しだけ。

息子が通う高校が、14日の全国高校野球山形大会3回戦で第一シード校に「惜敗(?)」。野球部同級生でチョイと一服の我が家での「宿泊合宿」かと想像?ウエルカム、歓迎です。

突然の若人の「宿泊合宿」でしたが、皆元気に楽しく夜遅くまで歓談していたとか。とても元気な若人とのひと時、元気をもらいました。

接待係の忠犬クニオも尻尾を振って愛嬌を振りまき「良い仕事」をし、若人から大変好かれていました。

今は亡き父からの学びに「人が訪ねて来るような家庭を築き、来てくれたらまた訪問したいと思われるような家庭を築くことも重要だ」があります。

この父の生き方で、共稼ぎの母は夜遅くまで滞在している来客への対応が大変でした。

昭和30年代は、娯楽も多くはなく、お酒を酌み交わし、四方山話に花を咲かせるのも楽しみであったように思います。

次男の友人達の「宿泊合宿」に亡き父の教えを思い出しました。友人達は楽しんでくれたようで安心しました。

『道を拓くもの』(平澤 興 一日一言)

「若人よ、諸君が覚悟をして燃える時、諸君には自らもわからぬような無限の可能性が展開されるのだ」。

「この可能性の展開は、いわゆる頭のよしあしの問題ではなく、実に諸君の火と燃える意志と何ものにも負けない不屈の努力にある。情熱、実行、努力、これこそが諸君を生かし、諸君を伸ばす力である」。

「諸君はその目的に向かって全情熱を傾けることだ。不屈の意志のあるところ、道は拓ける」。

『道を拓くもの』、「不屈の意志のあるところ、道は拓ける」、学びです。