2021-01-30

「苦難にまさる教師なし」、人間学を学ぶ

「人間は苦悩によって練られてゆくのでありまして、肉体的にも精神的にも人間が、成長してゆくために苦悩は欠くことのできない条件であります(安岡正篤)」。

山形学習センター「『致知』を読み、楽しく人間学を学ぶ会」、第3回を昨日、開催。今回の教材は、『致知』の 2020年12月号 『特集 苦難にまさる教師なし』

これは、『致知』掲載記事を読み、1)記事から学び、2)参加者が記事への意見交換を通じ相互に学ぶ「学びのサロン」。職業や年齢に関係ない学び、亡形や忘年の交わりは、人間学の学びに重要です。

まず、『巻頭の言葉』は、アサヒビール社友、福地茂雄氏の「美しい日本の象徴、富士山を眺めて想う」。

「日本の象徴ともいえる富士山は、日本人の「こころ」を表しているのかもしれません」と日本人に愛され続けてきた富士、日本人の「こころ」を表す富士を紹介。

「大きな山は計り知れないもの、我々の存在を越える」。「銭湯の絵は、富士山と桜が最も多く、富士山は日本人に最も愛されている」などの意見交換。出席者6名中、富士山登山経験者2名。

次は、藤尾編集長の『特集 苦難にまさる教師なし』のリード文。特集のタイトルに関する『古今東西の先知先哲の言葉』を紹介。

「いかなる教育も、逆境から学べるものには適(かな)わない(英国の宰相、デイズレーリ)」。

「逆境は神の恩寵的試練なり(森 信三)」。

「成長するということは苦難が喜びであると思えるようになることです。苦難を超える。それが喜びです(平澤 興)」。

「逆境はつねにいつでも自分の敵ではない。ときには恩師となって人生に尊いものを教えてくれることがある。・・・不幸、病気、逆境は大成する人格を育てる落ち葉である(常岡一郎)」。

特集記事の最初は、ノーベル賞受賞者、大村智先生のインタビュー記事『この苦難をどう乗り越えるか』。

まず、高僧・松原泰道先生から「よき人生は日々の丹精にある」という言葉を贈られたと紹介。そして、「こういう苦難の時にこそ、噛み締めなければならない言葉だと思います」との感想。

さらに、「苦難という経験は大切にすべきですね。苦難は人間を謙虚にする。謙虚になるところからすべては始まると思います」と述べる。

「ウイズ・コロナの時代に求められるマインド」として、「人類は、傲慢すぎた。これからの時代は、困難になるほど、助け合う、譲り合う、励まし合うことが必要」と指摘。

「足るを知る者は富む。小さな事にも満足。何事にも丹精を込める」と紹介。

「研究を通して、世の中の人を救いたい」では、「退路を断ち、寝ても覚めても考える」。「困難な道を乗り越えるのは、使命感」と述べる。

その後『苦難にまさる教師なし』に関する出席者の意見交換。

「現役の時はそうは思わなかったが、退職し年齢とともに苦難はない方がよいと思うようになった。苦難はストレスの原因になる」。

「苦難に対する打たれ強い弱いは個人差がある。ストレスの対処法について教えることも必要に思う」。

「苦難のただ中にいる本人には、苦難の実態を客観的に把握しにくい。その状況を脱出すると、経験した苦難の程度などが分かるようになると思う」。

「これまで読んだ本に、「経験を積んだだけでは、人格者にはなれない。そうなりたいと思い描くことが重要」と記されていた。人生の目標を持つことが重要だと思う」。

「常に笑顔を維持できる人は、苦難などを克服している人に思う。お釈迦様のように皆に見送られて旅立つのが目標。人生はお釈迦様の教えの「苦、集、滅、道」である。コロナ禍の苦難をどう乗り越えるのか」。

「大村先生の「朝は、希望に起き。昼は努力に生き。夜は感動に眠る」との言葉が印象的であった」。

「苦難もよいが、その大きさや程度も重要でやりすぎるとだめ。大村先生の「人間は傲慢」との指摘、同感」。

「人生はどう論じようとも、結局苦しい闘争である。だが、苦しめば苦しむほど、あなたの人格は深くなり、そして、人格の深まりとともに、あなたはより深く人生の秘密を読みとるようになる(鈴木大拙)」。

吹雪の中、「人間学の学びの会」、出席者の皆さんに感謝。今回も多面的な学びと刺激をいただきました。昨日の霞城セントラル10階から観た吹雪の山形市街の一葉

『海舟のように』(安岡正篤 一日一言)

「暑いからと言って冷房、寒いからと言って暖房、食い過ぎたと言っては消化剤、こういう調子でやっておると、人間の身体は鍛えられることがない」。

「生命というものは、生命のつくる肉体というものは、やはり鍛えていじめなければ、徒長した麦と同様ふらふらと伸びてしまって、それこそ他愛もないものになってしまう」。

「肉体的にも精神的にも、左様にして文明はいつも滅びる。だからわれわれも先ず海舟の様に鍛えなければいけない。貧乏しても、感激を生ずるだけのエネルギー・精神力を持たなければいけない」。

「困難ここに到って神経衰弱を生じるようではどうにもなりません」。

勝海舟は、机に伏せて寝て、あまり布団で寝たことがなく、お米を炊く薪がなく、床板を薪にしたとのこと。「感激を生ずるだけのエネルギー・精神力を持つ」、重要に思います。

2021-01-28

いま、農学が社会から求められていること

山形学習センター「学びのサロン」、私担当第4回目を1月22日(金)に開催。テキストは岩波ジュニア新書『農学が世界を救う』。今回は「第2章 いま、農学が社会から求められていること」、担当はSさん。


11頁の資料とパワポを作成し、気合いの入った「サロン」。資料は、「2章」のまとめだけでなく、関連資料や書籍及びこれまで関係された方も含んだ多面的な紹介。本日は、「サロン」について少しツブヤキます。

Sさんは「1970年代、家の大掃除では畳を起こし、床に新聞を敷いてDDTを撒布、そして、畳をもとにもどした。今は、使用禁止のDDTを身近で使っていた」と紹介。島根の我が家もそうでした。

第2章の執筆は、元東大農学部長で、農業経済学が専門の生源寺先生。深みと味のある先生です。

この章は、「1.食料問題とどう向き合うか」で始まり4つの話題を紹介。まず、「(1)世界の栄養不足人口」では、健康な生活に必要な栄養を摂取していない人の数を栄養不足人口と呼ぶことを記す。

そして、その人口は世界の11%、約8億人、9人に1人が栄養不足に直面。特に、アフリカと南アジアで多く、東アジアでは、中国の約1億5000万人が最高。

次の「(2)食料の国際協力と農学」では、農業技術と人材育成として「緑の革命」に触れ、「(3)緑の革命」の第一幕(1944年)、メキシコなどの小麦栽培と第二幕(1960年)、フィリピンのイネ栽培を紹介。

「2.経済成長とどう向き合うか」では、「(1)経済成長と食生活の変化」に触れ、1955年と2015年の比較として、コメの消費が半減し(1人1年間、110キロが55キロへ)、果樹、畜産物、油脂類の増加を示す。

「(2)経済成長と産業構造の変化」では、1次産業から2次(製造業)及び3次産業(サービス業)への変化や、地方の雇用機会が拡大し、大半の農村では、通勤範囲に働く場所があることに触れる。

また、「(3)経済成長と農学の変化」では、獣医学部は、大動物からペットへ、コメは量から質へ、労働節約的な農業として機械化が進んだことを示す。

そして、「3.環境問題とどう向き合うか」の「(1)経済成長と資源環境問題」では、経済成長は資源の有限性や環境の劣化により壁に突き当たる、ローマクラブの『成長の限界』を紹介。

さらに、将来の世代がそのニーズを満たす可能性を損なうことなく、現在の世代のニーズを満たすような開発である「持続可能な開発」の重要性を指摘。

環境汚染の開放系への影響や温暖化による適地の変化を紹介したのが、「(2)環境の変化と農林水産業」。

「(3)環境保全型農業と制度改革」では、環境負荷の小さい環境保全型農業の重要性と、その促進策として、1)保全農業への動機づけや、2)増産への価格支持政策の抑制を強調する。

環境への負荷を軽減して生産物の増産を目指す「環境と生産の二兎を追う」ことを紹介し、モンスーンアジアの湿潤気候による雑草の繁茂と病害虫の多発に触れた「(4)二兎を追うモンスーンアジア」に続く。

そして、新品種、新たな栽培方法、病害虫防除の新技術、環境負荷の小さな生産資材の開発などを通じた農学の真価発揮の必要性を指摘する。

最後の「4.農業・農村とどう向き合うか」における「(1)農業・農村は生きたフィールド」では、1)日本の農業の特徴の一つとして非農家でも生産現場に簡単にアクセスすることが可能な農村と都市が近いことを示す。

そして、2)農村に非農家の世帯が多いことや、多様な課題が現場から提出され、これらは新たな研究テーマとなることを指摘する。

「(2)農業の新たな潮流」では、1)農学は、農業・農村に育まれた学問であり、そこへの貢献が重要な使命である。

そして、2)第1次産業の農業に第2次、3次産業が加わった6次産業化が注目され、非農家出身者の就農が拡大し、中高年の就農者の増加や、若者及び女性の就農者の増加などが示されて第2章は終わる。

今回の「サロン」では、「今、農学が社会から求められていること」の一端、4点を学びました。Sさんの紹介が終わると、拍手喝采。素晴らしい発表、Sさんに感謝です。

その後の意見交換では、「昔ながらの地域に新参者が入り、そこで農業を中心にした生活を維持するのは難しいのではないか。そのためには、地域が新たな人を受け入れる土壌を持つことが重要」。

「「農業は、食料生産を通じて安定した国民生活を支えている」と記されているが、自給率の低い日本の農業が、この記述に当てはまるのか疑問である」。

「また、この記述にあるように農業は、国民生活に重要な産業であることを国民が認識し、農家の人も誇りを持つことが必要と思う」。

「「最近の農業では中高年の就農者の増加や、若者及び女性の就農者が増加」と記されているが、離農者数も示す必要がある」等々の意見。色々と考えるところ大、勉強になりました。参加者のみなさんに感謝です。

良い天気の冬の山形市街、霞城セントラル10階からの一葉。

『挑戦する』(平澤 興 一日一言)

「自己に与えられた無限の可能性に挑戦することこそ、最大の人間的な生き方であろう」。

「挑戦する」、好きな言葉です。「学びのサロン」への参加も「挑戦」です。これからも色々と挑戦したいと思います。

2021-01-26

羽黒山スキーと「昔の思い出」

「お父さん、明日、スキーに行かない?」。中学1年の次男が、珍しく私を誘いました。「よっしゃ、久しぶりに行くか」とエンジンを吹かす。「エッ、本当?」、「ウン、行こう」。一昨日は半日、10年ぶりのスキーを楽しみました


我が家の5人の子供、男の子は2人。2人とも小学校の時から水泳はスイミングスクール、スキーはスポ少、さらに野球はスポ少や部活で経験し、それなりに楽しめます。

私も水泳、野球、スキーを楽しむヒト。「昔の思い出、番外」。私が子供の頃、夏休みは全国で13番目に長い別名「中国太郎」の「江の川」で毎日、午後から半日、水泳や魚取り。

江の川のカッパ(?)と泳ぎを競い、裏も表も真っ黒。急流の江の川、水泳は命がけで覚える。さらに大島商船では、1週間水泳のみの水泳日課。泳ぎを鍛えられ水泳には多少の自信あり。

また、野球は物心がついた保育園児の頃から楽しむ。小学生の少年野球では、4番サード。それ以降、大学や大学院での研究室対抗のソフトボールでは、常にスラッガーの4番バッター。野球も僅かに自信あり。

野球や水泳は今でも、2人の息子達と互角にやれそうに思います。思うだけです。しかし、スキーは、「雪国育ちで羽黒スポ少仕込み、さらにスキー大会経験者の息子達にレベルを2ランク以上は離されています。

今日は、30年前に鶴岡に来てスキーを始めた頃の「昔の思い出」をツブヤキましょう。

鶴岡市にある農学部に赴任して2年目頃、家内から「羽黒山スキー場に行こう」と誘われる。「OK。子供の頃、田舎でスキーをよくやったもんだ。楽勝、楽勝」と快諾。明日のスキーを楽しみにワクワクして熟睡。

翌日、ウキウキしてレンタルスキーを借用。リフトに乗るためスキーを履き、歩き出す。これが歩けない。こんなにスキーが滑るとは想定外。何とかリフト乗り場に辿り着き、リフトに乗る。不安が少し脳裏をよぎる。

頂上のリフト降り場、さてどうしてリフトから降りるのだろうとドキドキして思案。前の人がリフトから楽に降りたので、楽に降りられると思う。これがそうでない。降りた途端に「ドスン」と尻餅。

何とか起き上がり、滑り始め。これが凄いスピード。「オーイ、停まれ!!」。どうしたら停まるのか、頭が高速度回転。「転ぶことだ」と閃く。ドーンと転んでストップ。イヤー参りました。

体育だけは小学校から中学校卒業まで常に「5」。運動神経は、特に優れてはいませんが、山や川で育った野生児のガキ大将。運動は何でも好きで、それなりにこなしました。

「このままでは、滑れるようになれんわい」と思い、羽黒スキー教室の扉をタタク。インストラクターに「スキーのイロハ」を教えて貰う。

子供の頃の田舎スキーと羽黒山ゲレンデスキーの幾つかの違いに気づく。

まず、田舎のスキーは、「孟宗竹」を二つに割って作った手製。田舎のスキーゲレンデは、我が家の裏の春日神社。100メートルの石段。直滑降のみ。

石段のゲレンデを滑り終われば、後は平らな雪面。スキーは自然に停止。ターンの技術も停まるテクニックも不要。ただ真っ直ぐに転ばずに滑るのみ。

羽黒ゲレンデでは、この違いの大きさと重要性が身にしみる。田舎で身につけたスキー技術(?)は、羽黒山スキー場では全く役立たず。スキー「楽勝、楽勝」でないことを実感。

1回目のトライアル、ゲレンデの上から下まで「倒(こ)けつ転(まろ)びつ 」、何とか降りる。「こりゃあかん」と痛感。スキーを楽しむには、誰かに基本を学ばなければ無理と直感。

それからというもの、初めてのシーズン、土日は毎日スキー。出来るだけスキー教室で基本を習い、さらに凝り性の私は、スキーの本を購入して独学。シーズンの終わりには何とか楽しめるレベルに到達。

「よし、来シーズンから5年間で2級バッチを目指そう」と、「夢」を描きスキーに力を入れる強い決意。

しかし、次のシーズンから4年生や大学院学生が多くなり、12月、1月、2月は、卒業論文や修士論文の指導でスキーに行く時間なし。

この指導が終わる3月上旬、「さあ、これからはスキーだ」と思うや、3月下旬の学会発表の準備と練習。1月「行く」、2月「逃げる」、3月「去る」で、アッという間に桜の4月。

スキー場は終わり。「スキー2級のバッチの夢」、儚(はかな)く散る。

新しいことを始める時は、集中して繰り返し練習し、一気にあるレベルまで到達する必要性を思い出す。

10年ぶりのスキー、初めはガチガチ。何回か滑ると少しずつ感覚が戻る。ブランクの長さを感じ「継続は力なり」の重要性を再認識。凝り性に「火」が付き、毎週末、スキー場に通う可能性も今は、否定できません。「昔の思い出」も蘇りました。

天気も良く、久しぶりのスキーと完全休養。良い一日。ふっと、次男を見ると、気持ちよさそうにスイスイ滑る。私も10年ぶりに楽しんだので、スキーに誘ってくれた次男に感謝。

寒い中、暖かい室内のテニスもよいですが、寒い中、広いゲレンデのスキーも気持ちよいと改めて思いました。冬は、野外でのウインタースポーツ、いいですね。一昨日の美しい鳥海山の一葉

『清新溌剌(せいしんはつらつ)』(安岡正篤 一日一言)

「人間の徳性の中で根本のものは、活々している、清新溌剌ということだ。いかなる場合にも、特に逆境・有事の時ほど活々していることが必要である」。

「その人に接すると自分までも気が爽やかになるという、これが人物の大事な要素だ。そしてかくのごとき人であれば必ず役立つ」。

リフトに乗りボンヤリ青空を見ていたら、ふと「清新溌剌」を思い出しました。「清新溌剌」、好きな箴言です。

2021-01-24

放送大学と単位認定試験

「放送大学は楽しい。私の人生を限りなく豊かにし、知的好奇心を満たしてくれた。人文社会から自然科学分野まで、放送・面接授業を履修し、視野を広げることができた」。

「この数年は、東北各地の学習センターに足を運び、地域の特色を生かした授業から多くのことを学んでいる」。これは北海道学習センターの60代、男性学生の声、在籍17年。

放送大学の学生の皆さんは、全国の学習センターで色々な講義を受講することが可能です。自分の所属センター以外の処で学べるのも放送大学の特色。

放送大学は、通信制の大学で、教養学部のみの単科大学。生活と福祉コースなどを含め6コースあり、62科目124単位を修得すると学士の学位が授与されます。卒業までの学費は、約70万円と、国立大学の1/3。全科履修生として入学すると10年間は在籍可能。


基礎科目、導入科目、専門科目、総合科目と積み上げ式のカリキュラム。約300科目あります。

2学期制で、それぞれの学期の中間に通信指導と終わり頃に単位認定試験。2020年度2学期単位認定試験を1月13日から21日まで実施。

例年、試験は霞城セントラル10階山形学習センターで実施しますが、コロナ禍の今年は、在宅受験です。

私も「文学・芸術・武道にみる日本文化」の試験を受け、回答を郵送しました。8問はマークシートでの回答、残り2問は原稿用紙に記す記述式。

このような試験を受けるのも、原稿用紙へ鉛筆で解答を書くのも大学院入試以来40年ぶり。色々と勉強になりました。

マークシートに記す択一式問題は、私には難しい問題。目を皿のようにして教科書を読みなおし挑戦。授業を聴くだけでなく試験があると、気合が入るので学びが深まると再認識。

60点以下は不可。不可の教科は、一度だけ再試験が可能。再試験は、望みませんが、幾つかの問題は、はっきりと正解を選ぶことが出来ず、2月中旬の結果待ちです。

15回の授業は、全てオンラインのネットで受講でき、鶴岡から山形へのバス往復中にも受講しました。45分の授業15回で2単位。15回の講義内容は、縄文時代から現代まで、幅広く中身の濃い授業でした。

1.日本文化の基層(縄文・弥生・古墳時代)、2.日本文化の基盤形成(飛鳥時代)、3.古代の古典の成立(奈良時代)、4.国風化への転換(平安時代)、5.王朝文化の展開(平安中期)

6.武士の台頭の中での王朝古典主義(院政期)、7.中世の始まりと『平家物語』(鎌倉時代)、8.連歌と能楽―芸道論の成立(室町時代)、9.連歌師と茶の湯―芸道の展開(戦国・統一期)

10.武芸鍛錬の道―近世の武道(江戸初期)、11.俳諧―近代の文化(江戸中期)、12.浄瑠璃と歌舞伎―近世の芸能(江戸中・後期)、13.伝統文化の熟成と幕府の終焉(江戸後期・幕末)

14.近代化と伝統の再編―文学・芸術・武道(明治・大正・昭和初期)、15.戦後改革からグローバル化へ(昭和後期・現代)

授業は、室内での講義だけでなく野外ロケやインタビューなどもあり、工夫が凝らしてあります。『俳諧』、松尾芭蕉の「奥の細道」では、講師が芭蕉の着ていた装束で鶴岡から月山・湯殿山を登り、芭蕉が作った俳句や感想を紹介。

さらに『武芸鍛錬の道』では、柳生心陰流当主による形の演武もあり興味深い学び。

これから2021年度1学期の科目登録が始まり今、来年度の受講科目の選定を楽しんでいます。

「♪生きるとは学ぶこと、♫学ぶのは楽しみ♪」「♪生きるとは知ること、♫知ることは喜び♪」。これは、放送大学歌の一部抜粋です。二度ない人生、学びや知ることを通じ、人生を楽しみ、喜んで生きたいと思います。

「年上の学友が多いことは、他の大学ではできない経験です。人生の先輩から授業だけでは学べないこともたくさん学ぶことができました」。

「色々な人と接する機会が多くなったおかげで、人と明るく接することができるようになりました」。

「入学する前の自分が今の自分を見たら、「これが本当の自分なのか」と信じられない気持ちになると思います」。これは、青森学習センターの20代、男性学生の声、在籍10年。

老若男女の学びは、放送大学の特色です。放送大学は、学生の皆さんが、お互い相互に多面的な学びが可能な場でもあります。

『磨けば磨くほど』(平澤 興 一日一言)

「折角尊い人間に生まれたのである。何とか頑張れるほど頑張り、自らを生かして命の限り前進しようではないか。人間はまことに不思議な存在で、磨けば磨くほど光るのである」。

放送大学の学生の皆さんは、自らを磨いているように思います。生涯の学び重要です。

2021-01-22

「立ち上がれ日本人」、マハティール首相

「今の日本では、国民が自信を失っているようです。しかし日本を再びいい国にするために、ぜひ頑張っていただきたい」。

「皆さんには勤勉であるという日本人の素質が根づいているのだから、他国の言いなりになるのではなく、自分の考えで行動してほしい」。

「そして自信を取り戻し、日本人であることに誇りを持ってもらいたいと思うのです」。

これは、2002年11月、マレーシアを訪れた東京都立国際高校の修学旅行生に対してマハティール首相が行った講演、「日本人よ、誇りを持て」の一部抜粋です(マハティール著「立ち上がれ日本人」より)。

「あなたたちには日本人の勤勉な血が流れているのだから、誇りに思ってください」。茶髪の高校生たちは、マハティール首相の言葉に「感動した。こんなことを言ってくれる日本の政治家はいない」と感激。

握手して泣く子どもたちの姿に、日本もまだまだ捨てたものではない、と私ももらい泣きをしました(「立ち上がれ日本人」の訳者加藤暁子さんの「まえがき」、一部抜粋)。

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羽田から6時間南下すると常夏の国、現地気温35度、マレーシアのクアラルンプール空港に到着します。

4月20日午後11時30分のミッドナイトフライトANA885便でクアラルンプールを訪問し、23日の朝5時30分のミッドナイトフライトで羽田に帰国。

山形大学マレーシア同窓会設立総会などへの出席を主な業務とした出張でした。 

1981年首相に就任し、その後22年間首相を務めたマハティール首相。

「個人の利益より集団の利益を優先する日本の労働倫理に学び、過度の個人主義や道徳・倫理の荒廃をもたらす西洋的な価値観を修正すべきである」と、日本に学ぶ、「Look East Policy」を掲げる。

そして、1984年から日本の大学の工学系学部などを中心に留学生派遣事業を展開。これまでに約3700名の留学生が日本で学ぶ。

山形大学も1999年から68名の留学生を受入。今回の「同窓会」は、この国費留学生を中心に設立。

クアラルンプール到着後、マラヤ大学を訪問し、日本留学コースの授業参観や担当教員との意見交換。

日本留学コースでは、日本留学を控えた学生諸君が一生懸命に日本語を学ぶ姿に元気をもらいました。

また、熱心な教員のみなさんと日本留学に関する多面的な意見及び情報交換も勉強になりました。

さらに、その後、日本大使館を訪問し、大使などと意見及び情報交換。

今回のクアラルンプール出張、マハティール首相及びマレーシアを知る貴重な機会でした。

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上述の文章は、2017年4月21日にクアラルンプールを訪問した訪問記の一部抜粋です。過去のファイルからマレーシア訪問記を見つけ、懐かしく思い出しました。

4年前、山形大海外同窓会を設立するため留学生の多い国の国費留学生数を調査。特別に多いのがマレーシア。何故、多いのか調べたらマハティール首相の「Look East Policy」だと判明。

それから、マハティール首相について学びました。「アジアの哲人宰相マハティール」、凄い人です。信念の人。

「立ち上がれ日本人」の「目次」の一部を紹介します。

序章 日本人よ誇りを持て:・日本に学んだこと、・日本人よ自信を取り戻せ。

第1章 ルック・イースト:・アジアはいつも日本を仰いだ、・「日本株式会社」の素晴らしさ、・アジアは欧米にあらず、・今こそ強力なリーダーを。

第2章 教育こそ国の柱:・知識教育を怠るな、・宗教教育と道徳、・フリーターが国を滅ぼす、・若者よ愛国心を持て、・家族の役割。

第3章 中国に怯えるな:・中国は脅威か、・ASEANと日本の優位性、・巨象を軍備に走らせるな。

第4章 日本人こそイスラム世界を理解できる:・誤解されたイスラム教、・日本人よ、盲従するなかれ。

第5章 富める者の責任:・真のグローバリゼーションとは、・途上国の声に耳を傾けよ、・自らの足で立ち、闘うということ。

マハティール首相の国際高校生への講演は「ちっぽけな東南アジアの一国の民として、私は日本にいつまでも熱いまなざしを注ぎ続けるでしょう」。

「どうかいつまでもアジアの力となり、手を差し伸べてほしい。今こそ日本に、リーダーシップを発揮して欲しいのです」で終わります。「立ち上がれ日本人」、本当にそう思います。

『誠実の心』(平澤 興 一日一言)

「誠実の心は、己に対し、他人に対し、また仕事に対し、物に対して常に己の最善をつくし、良心を欺いたり、手をはぶいたりしないのであります」。

「しかし、言うは易くして、恐らくこれ程むずかしいことはありません。もしこれが文字通り実行できれば、もう人生のことはおおよそなったと言っても過言ではありません」。

「勤勉であるという日本人の素質」は、「誠実の心」に繋がるように思います。「誠実の心」、重要です。

2021-01-20

海をいのちの健男児、懐かしの練習船

「♪ 波の蒼さに 幼い夢に ♫ いつも描いた 練習船だ ♪ 若い命は 羅針盤(コンパス)まかせ ♬ 伊達にゃつけない 三つ釦♪」。これは「練習船の歌」。商船高専の時によく唄った歌です。

大島商船高専同窓会長で約50年の付き合いがある先輩から、練習船大島丸の新造が決まったとのメールが届きました。嬉しいニュースです。現大島丸は、300トンの小さな練習船。

このニュースで、約半世紀前の練習船と航海実習が浮かんで来ました。今日は、約50年前を思い出し、練習船での遠洋航海実習等の思い出を中心に少しツブヤキます。

約50年前に入学した大島商船高専は、船長になる航海科と機関長になる機関科の2学科で構成。

入学して4年半の座学を終えると航海科の学生は、帆船の日本丸や海王丸でハワイへの遠洋航海を含めた1年間の航海実習に出発。

一方、機関科は、デイーゼル船とタービン船での9ヶ月の航海実習と3ヶ月の造船所実習。この実習では、商船士官としての人間力と船の扱いの専門力を学びました。

機関科の私は、10月上旬に東京晴海埠頭で運輸省航海訓練所のデイーゼル船、青雲丸(5400トン)に乗船。全国に商船高専は5つあります。山口(大島商船)、広島(広島商船)、愛媛(弓削商船)、三重(鳥羽商船)、富山(富山商船)です。

航海実習には、5つの商船高専から学生が参集。これらは、みな海辺の田舎にあり、卒業まで東京等の大都会に縁がない田舎育ちの学生ばかり。

青雲丸に乗船後、2週間は晴海埠頭の船内で講義。夕方に上陸許可。晴海から真っ直ぐ歩くと銀座です。

学生は、全員田舎者ですが、元気みなぎる20歳。夜な夜な銀座に「出撃」。お金の使い方を知らない元気だけが取り柄の若人。「撃沈」され出航前には、オケラの学生も出没。楽しい仲間達でした。

青雲丸で日本近海を2ヶ月航海し、船内での仕事を把握。そして、12月上旬オーストラリアのブリースベンに向け出港。青雲丸での運動会と太平洋上での救命ボート、帆走訓練


練習船での大きな業務は、当直。12時から4時、4時から8時、8時から12時と3交代制。4時間の当直、それが終わると8時間の休み。そして、再度の当直の繰り返し。

外国への遠洋航海では、お酒やタバコは免税品で安く購入。機関科の学生、4時間の当直は熱い機関室での仕事。メインエンジン、発電機、冷凍機、諸ポンプ類に異常がないかチェック。

当直が終われば、6人部屋の仲間とビールや洋酒で楽しい慰労会。数え切れない程の慰労会。

航海中は機関室での当直だけでなく、士官による講義もありました。一等航海士からは、「ノブレス・オブリージュ(noblesse oblige)、地位の高い人の義務」の重要性を学ぶ。航海実習が終われば卒業。そして、商船に乗船し、士官として社会へ巣立つ。「地位の高い人の義務」、必要です。

練習船では、人の上に立つ者の生き方も学びました。私は、中卒後4年半の全寮生活と、その後の練習船等による士官教育から多くを学び、今があります。

さらに、二等機関士からは「常に責任の所在をはっきりさせろ」、と指導。連帯責任はなく、責任者を明確にする。当直等の業務は、班単位。責任者は班長。責任の所在の重要性も学びました。

晴海からブリースベンまでは、2週間の航海。その間、周囲は碧い海のみ。単調な日常。酒浸りの生活だけでもなく、日中は海を見ながら運動で体を鍛え、図書室の書籍で読書も楽しみました。

また、航海は、穏やかな日ばかりではありません。低気圧の中の航海、暴風雨と大きなうねりに5400トンの青雲丸は木の葉のよう。甲板には大きな波が押し寄せ、甲板と海がほぼ一体。

多くの学生は船酔いでノックアウト。夜中の当直、士官が船酔いしない私と友人に「甲板のロープが流されていないかチェックしてきてくれ」と指示。

私と友人の2人で真っ暗な甲板に上がり、大揺れで真っ直ぐ歩けなく、大波が打ち寄せる甲板上でロープをチェック。一つ間違えば海の藻屑。貴重な経験でした。

練習船では「一本の腕で自分を守り、一本の腕で船を守れ」と教育。自然の恐ろしさを体験。船は閉鎖空間。一度出港したら乗組員以外の人との接触はなし。乗組員の和の重要性も再認識。

ブリースベンに近づき、少しずつ陸地が見え、それが段々近づいてくるのは、とても嬉しいこと。生まれて初めての外国。貴重な経験もしました。ブリースベンでの一葉です。


「海を生命(いのち)の健男児」、大島商船旧校歌、最後の楽節。1988年、航海科と機関科の2学科が商船学科、電子機械工学科、情報工学科の3学科に改組。

新校歌が作られ、「海を生命(いのち)の健男児」の歌詞はなくなりました。これも時代の流れ。僅かな寂しさ。16歳から21歳までの青春の一コマ。昨日のことのようです。人生の早さを感じます。

『歳をとる意味』(平澤 興 一日一言)

「ただ歳をとるということだけに意味があるのではなくて、歳をとるということは、それだけ人間的に内容が豊富になる、人間的に豊かになるという点が社会的には一番大事なことであります」。

練習船乗船の20歳頃から馬齢を重ねました。人間的にどれだけ豊になったのかと、フト思います。人生これからです。

2021-01-18

「分かる」と「分かったつもり」、平澤先生

「今が楽しい。今がありがたい。今が喜びである。それが習慣となり、天性となるような生き方こそ最高です」。これは、平澤興先生語録の一つです。

先生は、京都大学第16代総長、医学者で脳神経解剖学が専門。暮れの大掃除に平澤先生が幾人かの人と対談された記事のコピーを発見。本日は、平澤先生語録等を少しご紹介します。


先生は27歳の時1年間、スイスのチューリッヒ大学脳研究所モナコフ所長の処に留学。そこには百万の脳標本があった。世界で一番確かな本を側に置いて、特に重要な処だけ簡単に標本のスケッチを始めた。

そして2ヶ月後、そのスケッチを見た所長は、「平澤君、君は何も分かっておりませんね」と一言。

先生は、「いや全部分かっておりますけれども、ちょっと記憶し難いものだけを参考にスケッチしておるんです」と応えた。

所長は、「いや、平澤君、あなたには分かっておりません。分かると分かったつもりということは違うのです」と、一言。

そこで、平澤先生は、朝の8時から夕方5時まで、1枚のスケッチに3ヶ月かけ、目を皿のようにして標本を見てスケッチした。3ヶ月後に所長がニコニコして「平澤君、わかりましたね」と、一言。

そして、「平澤君、分かったということと、分かったつもりは違います。標本を見るときは、君がこれを世界で初めて見るんだという目で見なければならん」と助言。

さらに「本などというのは、どんな本といえども、それに頼ってはならん」といって褒めてくれた。これは、先生にとり生涯忘れ難い教訓になったとのこと(平澤興講話選集、「生き方の知恵」の一部抜粋)。


所長が述べているように「分かったと、分かったつもり」は、違います。しかし、日常生活では「分かったつもり」で対応することが多い気がします。「分かる」こと、重要に思います。

平澤先生は、京都大学退官後、幼児教育の意義及び重要性、そして母親の役割を痛感され家庭教育の普及運動に尽力。

全日本家庭教育研究会(全家研)のシンボル的存在として、全国のお母さん方に教育について講演されました。

その講演集が、「平澤興講話選集 生きる力」。そして、初めて参加する全家研大会に向け「母よ 尊い母よ 日本の子らに 美しく逞しい魂を 世界の子らに 誇らしく清らかな心を 偉大な母よ」と、揮毫されたとのことです。

「人間の一生を見ておると、一見どうにも腑におちぬようなことが色々ある。だれもが嘱望したような者がいっこうに伸びなかったり、反対にそれほどとは思われなかった者が、ぐんぐん伸びたりする」。

「しかし、よく落ち着いて考えると、やはり伸びるべき者が伸びており、伸びるべからざる者は伸びていないのである」。

「伸びている人には、確かに何か共通のよさがある。我慢強い人、平気で損のできる人、いつでも善意で事に処している人、自分の立場よりもむしろ人の立場を深く考えるような人」。

「こういう気持ちだから、表情も明るく、晴れ晴れとした態度で人に接している」。なるほどなあー、と感慨に耽っています。

「なによりも大切なことは、人を生かすことである。そして、その人に喜びと勇気と希望を与えることである」。これは、凄いことです。簡単なことではありません。肝に銘じたいと思います。

『わからんとわかる』(平澤 興 一日一言)

「真にわからんということがわかることは、わかったつもりの人よりもわからん方が本当の意味ではむしろ程度が高く、意味があることです」。

「勉強すればする程ものの見方が深くなり、わからぬ部分とわかった部分がはっきりしてき、しかもわからん部分の方がわかった部分よりも遙かに広いことを感じ、次第に謙虚にならざるを得ないのです」。

「勉強すればする程ものの見方が深くなり、次第に謙虚にならざるを得ない」。一言ひと言が心に強く響きます。

2021-01-16

「農学ってどんな学問?」、学びのサロン

私は、外国航路の商船士官養成の商船高専から大学に入り、学生同士または、教員と学生の自主ゼミに異文化を感じ、驚きました。

商船高専では、自主ゼミはなく、数多くの専門科目が、時間割にビッシリ配置され、それを学ぶのが精一杯。大学に入学し自主ゼミを体験し、とても新鮮で、さすが大学、自ら学ぶ処と感動しました。

山形学習センターの学生の皆さんにも、ゼミを通じ自らの学びを楽しんで欲しいと始めた「学びのサロン」。私担当サロンは、「農学とその挑戦について学ぶ」。第3回目を昨年師走に開催しました。

担当者は、Tさん「農学は世界を救う」(岩波ジュニア新書)の第1章 農学って、どんな学問?」


第1章の執筆者は、元東大農学部長で全国農学系学部長会議元会長の生源寺先生。専門は農業経済学。研究調査に数回、山形を訪問したとのこと。飛行機が苦手で、何処に行くのも列車、とても味のある先生です。

まず「1.まるで小さな大学」では、農学がカバーしている範囲は極めて大きく、生物学、化学、物理学等の自然科学や経済学、社会学の人文社会科学が含まれることを紹介。

農学は、有限の資源を前提に人間の安定した生存と心地よい生活に貢献し、食料を中心に衣食住の問題に関わる科学であることに触れる。

食品加工や林産加工も農学の領域で、農学的なものづくりは、植物や動物の生育環境を調節し、間接的に動植物の成長を促すことを示す「2.ものづくりと農学」。

思い通りにならない生命体を環境の調節で育てる難しさ、面白さ、達成感を紹介。

さらに「3.環境科学としての農学」では、日本の近代農学は明治初頭に始まり150年の蓄積がある。過去30年の最も顕著な農学の変化は、1)生命科学の発展と、2)環境科学の新展開であることを紹介。

農学的な環境は、人間活動、とりわけ第一次産業との関りで自然環境の真実に肉薄するのが特色であることを述べる。

農学としての経済学は、経済学の有効域を強く意識している経済学で、農学は、経済学の理論が役に立たない問題が存在することを学び取る学問であることを強調した「4.経済学の有効域」で終わる。

意見交換では、「農業は、日本の多面的な文化の創造に貢献した。お祭りや民謡、地域の共同作業等も農業と密接に関わっている。そのような特徴も農学の一端として紹介して欲しかった」。

「農業は、環境への負荷が強いと記してあるが、工業の方が環境破壊は大きいのではないか」、との質問。

「アフリカの砂漠化は、家畜の過放牧が原因。アマゾンの開発による熱帯林の伐採や熱帯のプランテーションによる農地化は、熱帯の多様性減少要因。このように農業は、環境破壊に繋がっている」との意見。

「農家の人がプライドを持って農業に従事できるような農政が必要。今後は、農業経営が益々必要になり、農家が農業のみで生活できることが重要」等々、多くの意見交換をしました。

「学びのサロン」、参加者のこれまでの学びや生活の背景及び考え方の違いで、見方や捉え方が異なり、とても刺激と学びになるひと時です。仲間との学び有意義です。

若者のみが学生の「大学」と意見の質が違うと感じました。参加者に感謝です。

著者の生源寺先生や参加者の意見から学ぶ90分。放送大学での「学びのサロン」、老若男女が相集い、質の高い学び逢い、重要に思います。

霞城セントラル10階の山形学習センターから見る雪の山形市内の風景。何となく風情を感じます。



『教育の必要性』(平澤 興 一日一言)

「人間が人間となるためには、広い意味の教育は絶対に必要であり、人間は、教育によって初めて動物から人間になるのだといえよう」。

「教育とは、ややもするとただ人から教えてもらうことだと誤解されやすいが、より重要なことは、ある年齢に達したら、自ら積極的に考えて、自らが自らを教えることである」。

「自ら積極的に考えて、自らが自らを教えることである」。重要な箴言です。手前味噌ですが「学びのサロン」、放送大学の通常の授業と異なるのが面白い処と思います。

2021-01-14

自分との約束を守る、シュバイツアー博士

21歳の学生時代「30歳からは苦しんでいる人のために尽くそう」と自分に誓ったシュバイツアー博士。30歳になるとアフリカに行き現地人の医療に尽くすため医者になる勉強を始める。

ストラスブール大学哲学講師を務めながら医学部学生として6年間の学び、さらに38歳で博士号を取得。その後、90歳で亡くなるまで50年間、現地人のために尽くす(平澤興著、生きる力、一部抜粋)。凄いことです。

平澤興講話選集「自分との約束を守る」にシュバイツアー博士の記述を発見。大学生の時に読んだ、博士の著書を思い出しました。本日は、博士の著書とその購入の話を「ツブヤキ」ます。

今から45年前、大学1年時、「生きるとは何であり、人生とは何なのか」を思索。色々と読んだ本に博士の著書があり、その中で「生命の畏敬」を知りました。

博士は、アフリカの原生林の中で生きることについて思索し、「生きようとする生命、それ自体が尊いことである」と気がついた。「生きること自体が尊い」。「そうか、なるほどなー」、と感慨にふけりました。

それから、さらに博士の著書を読みたくなり神田の古本屋で「シュバイツアー著作集」全19巻を知りました。当時、全巻で数万円。貧乏学生が購入するのは不可能。

そこで、2年生の春休み「著作集」購入のため山奥の「自然の家」建設現場でアルバイトし、軍資金を貯めることを決断。

これは、人里離れた山中で建物の建設作業。多くの色々な職人が、現場で働きプレハブの飯場で生活。2ヶ月のバイト期間は、山ごもり。3食付きで、お金を使う所なし。お金が貯まる割の良いバイトでした。

私は、福島県白川出身、出稼ぎ大工さんの助手。コンクリート造りの建物の天井板を貼り付ける仕事。仕事が終われば、夕食とお酒。

飯場生活「♪今日の仕事はつらかった♫あとは焼酎あおるだけ♬どうせどうせ山谷のドヤ住まい♪ほかにやることありゃしねえ」を口ずさむ。これは、今から50年前、岡林信康のデビュー曲「山谷ブルース」。

男だけの飯場、入れ墨のオニイさんもいて、時々、オニイさん達が荒れる。初めての飯場、夜な夜なスリルがある生活。世の中、色々な人がいることを学習。

目つきのキツイ、背中にスミの入ったオニイさんと一緒の狭い共同浴場。緊張感のあるひと時。貴重な経験でした。酒が入らなければ、皆良い人です。酒は、人を変えることを学びました。思い出の飯場生活。

2ヶ月のバイト、シュバイツアー著作集を買うお金が貯まり、早速、神田の古本屋で購入。私の貴重な財産です。

後日談。2ヶ月のバイトが終わり、私の「大工の親方」から「是非、白川に遊びに来てよ」と誘われ白川訪問。親方は大工と農家の兼業。そして、親方には2人の美人の娘さんがいました。

娘さんに酌をしてもらい福島の地酒と田舎料理を堪能。素朴で誠実な親方と美人の娘さん達、シュバイツアー博士による縁。白川の楽しい一夜でした。

シュバイツアー博士から飯場生活、白川での楽しいひと時を思い出しました。

21歳の時の「自分との約束を守る」シュバイツアー博士。凄い人です。

今年の庄内、よく雪が積もります。朝1時間30分の除雪が日課、朝飯前の一仕事です。大雪の我が家の一葉。

『自分への約束を果たす』(平澤 興 一日一言)

「私が私の一生で最も力を注いだのは、何としても自分との約束だけは守るということでした」。

「みずからとの約束を守り、己を欺かなければ、人生は必ずなるようになると信じて疑いませぬ」。

「自分への約束を果たす」、簡単ではありません。肝に銘じます。

2021-01-12

「テンゾー」ピンピンコロリ、終活ギア入れ

大家族の我が家、昨年末、さらに家族が増えました。昨年の暮れ、ハムスターの「はみゅ」が、我が家に「来訪」。「はみゅ」は、元気者で小さな小屋の中の滑り台や廻りグルマを使って小屋が狭し、と駆け回っています。

片手に乗る小さな「はみゅ」、とても好奇心旺盛。頻繁に小さな小屋から出て「大海」の我が家の台所兼居間へ旅立とうとします。

「大海」には、何でも食べる忠犬「クニオ」の大きな口が待っています。「クニオ」も好奇心旺盛で、この新参者を好奇の目で見ています。

かつて、ウサギの「ユウタ」を我が家の裏、果樹園に放したら「暴犬クニオ」がハンターと化し「ユウタ」を追っかけ、「ユウタ」が骨折しました。

そんなことを知らない「はみゅ」は、「クニオ」が待ち構えている「大海」に出たがります。「はみゅ」が、小屋から旅立たないように見張りが必要です。

我が家では、7人のヒトと忠犬「クニオ」、心優しく静かなウサギの「ユウタ」、頑固者インコの「テンゾー」、そして、新参者元気者の「はみゅ」が共同生活しています。

我が家のヒトは、みんな生き物好きで、台所兼居間が生き物クン達の住み場。賑やかな場所です。

「はみゅ」が来た昨年の暮れ、頑固者で一切ヒトの言葉を覚えなかったインコの「テンゾー」が天国に旅立ちました。

前日は、とても元気、大声で独り言を言い、餌の粟を美味しそうに食した「テンゾー」。突然の死に家族一同、驚くと共に悲しみの「喪に服」しています。「ピンピンコロリ」です。

犬の「クニオ」もウサギの「ユウタ」もハムスターの「はみゅ」も、基本的には鳴き声は出しません。時々、我が家に訪問者があると「クニオ」が吠えるだけです。

そんな中、インコの「テンゾー」の独り言は、我が家での「テンゾー」の存在感を示し、家族に元気を与え話題を提供する貴重な存在でした。

元気に独り言を言う「テンゾー」が亡くなり、我が家が静かになり、寂しくなりました。「家族の一員」との別れは悲しいことを再認識。

「ピンピンコロリ」の「テンゾー」の亡くなり方を見て、私も第二の人生を楽しみながら、「ピンピンコロリ」の終活に向けギアを入れようと思いました。

「ピンピンコロリ」で逝くためには、これからどのような生活をすべきか。人間ドックの経験から体重が落ちると全ての数値が向上し、健康に向かいそうなので、まずは体重減。

そのため、食事やお酒の節制は必要、肉は減らし玄米菜食に移行。また、テニスや忠犬「クニオ」の散歩を含めた運動の継続は重要。

さらに、農業を含めた日々の楽しみの増加も必要。そして、他者との関係を含む仕事を通じた適度のストレスとその対応による心身の活性化及び頭の体操も重要。

第二の人生と「ピンピンコロリ」に向けた終活、今から楽しくギアを入れたいと思います。

『健康の三原則』(安岡正篤 一日一言)

「第一に心中常に喜神を含むこと。(神とは深く根本的に指して言った心のことで、どんなに苦しいことに逢っても心のどこか奥の方に喜びをもつということ)」。

「第二に心中絶えず感謝の念を含むこと」。

「第三に常に陰徳を志すこと(絶えず人知れず善い事をしていこうと志すこと)」。

「健康の三原則」を実行し、「ピンピンコロリ」を目指して、第二の人生、夢を描き楽しみながら終活にギア入れです。

2021-01-10

大学院時代のボス、天寿を全うされる

「裏を見せ 表を見せて 散る紅葉」良寛和尚の辞世の句とのこと。

人は、この世に生を受け、そして、老いて天寿を全うする。これは、人の定め。人生には、多くの出会いがあり、多くの別れがあります。

今から約40年前、大学院時代に大変お世話になったボスが、昨年末96歳の天寿を全うされました。ご冥福を心からお祈りします。ボスとの思い出が、走馬灯のように浮かびます。

今日は、ボスとの思い出を「ツブヤキ」ます。私が大学院6年間お世話になった研究室は、昆虫薬理・生理学と昆虫生態学の2つの分野で構成。ボスは、昆虫薬理・生理学の教授でした。

そして、私の指導教員は、昆虫生態学の助教授。博士論文を指導教員に提出し「こんな60点の博士論文に博士号は出せない」と言われました。

その時「博士審査に60点も80点もない、合か否だ」と、救ってくれた男気のあるボス。今の私があるのは、ボスのお陰です。

研究室は、「民主的な運営」が行われ、学生や教員に関する重要な案件は、研究室会議で決定。これは、ボスの度量大のなせる業。

また、研究計画及び研究結果報告会や毎週の論文紹介ゼミは、学生だけでなく教員の発表も義務。これは、ボスの率先垂範のなせる業。

さらに、外国からの訪問者の講演会後に学生が英語で研究発表すると、その後の懇親会は無料で出席。これは、ボスの熱い教育のなせる業。

当時ボスは、農学部長兼学長代行で超多忙な日々。しかし、研究報告会の3週間前には必ず白衣を着て実験し、研究結果を報告。

「安田君、君は実験結果があっていいなあー」と話しながら、楽しそうに実験されていました。

私が博士課程進学時に日本学術振興会特別研究員制度が設立。

これは、我が国の優れた若手研究者に対して、自由な発想のもとに主体的に研究課題等を選びながら研究に専念する機会を与え、研究者の養成・確保を図る制度です。

博士課程2年時、この特別研究員に応募。1次書類審査に合格し、東京の日本学術振興会で2次面接審査がありました。

高速バスで6時間、面接会場に到着。ネクタイを締めようとしたが、上手く締まらず、ネクタイなし。ワイシャツを腕まくりして試験会場に出陣。

10名の審査員は、全員ネクタイと上着を着用。一瞬「ウウッ」と思いましたが、面接開始。10名の審査員の2人が、ヒジョーに高圧的で断定的な質問と意見の乱発。

心静かで穏やかな私も「カチン」ときて、激しい議論。後味のよくない面接試験。

面接試験が終わり、翌日の朝9時、ボスから呼び出し。ボスは開口一番、「安田君、あのなあ、面接試験で審査員と喧嘩してはイカンだよ。ケンカしてはイカン。上手くやらんとイカンなー」と優しい指導。

そして、「高級ウイスキーが1本消えた」と小声で独り言。勉強になりました。それ以降、「何かあると」、「ニンタイ、シンボウ、ガマン」と呪文を唱え、実行しています。

そして、面接試験や学会発表での質問には、まず笑顔を作り「貴重なご質問有難うございました」と一言「枕詞」を入れて応えます。ボスに感謝。

また、ボスは足が不自由にも関わらず、私が学会の全国大会会長として山形大鶴岡キャンパスや山形キャンパスで大会を主催した時には、必ず名古屋から出席。

そして、「安田君が、大会会長なのできたよ」と、何時も優しい言葉。

さらに、インドネシアで行った「土壌微生物が植物及び食植性・捕食性昆虫の多様性創出に及ぼす影響」の学会発表には最前列に座り、「安田君、面白いことをやっているなー」とコメント。

ボスとの思い出は、尽きません。本当にお世話になりました。感謝してもしきれません。ゆっくり天国で休んでください。

縁尋機妙、多逢聖因。縁の有難さを感じます。

『人は環境を作る』(安岡正篤 一日一言)

「環境が人を作るということに捉われてしまえば、人間は単なる物、単なる機械になってしまう」。

「人は環境を作るからして、そこに人間の人間たる所以(ゆえん)がある、自由がある」。

「即ち主体性、創造性がある。だから人物が偉大であればあるほど、立派な環境を作る。人間が出来ないと環境に支配される」。

ボスは、我々学生にとても自由で厳しい研究環境を作ってくれました。これは研究者の卵が育つのにとても重要で有り難いことです。偉大なボスです。感謝。

2021-01-08

今年の打ち始め、「70歳での完成」目指して

新年1月4日は、テニスの打ち始め。お世話になっているTコーチのレッスンで4人の仲間と気持ちよい汗をかきました。

夜7時45分から9時15分までの90分。無心になり、ひたすらボールを追い汗を流す楽しいひと時。正月から気分爽快です。

昨年6月から週1回のテニスレッスンを始めて7カ月。まだ、全盛時(?)には遠いですが、少しずつラケットが振れるようになりました。嬉しいです。

ダブルスの試合で、時々、ミスをして生徒に自信を与える優しいTコーチ。そのTコーチに「安田さん、上手い」と唸らせるのを楽しみに、今年も汗をかきます。

鶴岡、外は猛吹雪。テニス教室は駅前ビル3階の室内コート、室温は18.5℃。真冬でも半袖と短パンでしっかり汗をかく室内テニス、有難いです。

スポーツには、色々な球技があります。身近なものとして、ゴルフ、野球、テニス。この3種、それぞれ特徴があります。

動かないボールを動かずに打つゴルフ。動くボールを動かずに打つ野球。動くボールを動いて打つテニス。テニスは集中力と持久力がいる過激で楽しいスポーツです。

思う存分動いて、思う存分打てるテニス、70歳での完成を目指しています。そのため、毎朝「忠犬クニオ」との散歩で体力を保持し、食事とアルコールを節制して体調を維持。全ては、「70歳での完成」のため。

Tコーチのレッスン後に「テニスノート」にメモを記し、「月刊スマッシュ」でさらに独学。「忠犬クニオ」との散歩後は、ラケットの素振りとスクワット及び、筋トレ。

「70歳での完成」目指し、テニス中心のストイック(?)な生活の日々です。

テニスには、4大大会、通称グランドスラム大会があります。通常ですと、1月全豪、5月全仏、6月全英、8月全米と続きます。

今年はコロナ禍、全豪は2月に開催予定。現在39歳、237週(約4年半)連続して世界1位を維持し、数々の記録を塗り替えた、フェデラー選手。私の好きな選手の一人です。

彼が、今年最初のグランドスラム、全豪を欠場。残念です。彼は、「芝の帝王」、ウインブルドンでの勝利数は、歴代最高。今年の全豪は、同郷島根の有名人、錦織圭選手を応援します。

Tコーチのレッスン、基本練習の繰り返しと、最後の20分は、ダブルスの熱い試合。仕事、学業、スポーツ、何でもまずは基本が必要に思います。

テニスは、基本が身につくと打球が安定し、ミスが少ない。かつ、見た目が美しく格好がよい。スポーツ、格好のよさも重要です。

厳しい基本練習の思い出もあります。約30年前、私が30代、信州大農学部、真冬の野外の早朝練習。会計係長に激寒の信州伊那、12月から3月、薄暗い朝6時から7時まで-10℃の野外で基本を4ヶ月鍛えられました。

「発憤興起」元西武監督の広岡さんも「基本を繰り返し、その動作が習慣として身につくまでは、本当に分かったとはいえない」と指摘。全くそう思います。

「その動作が習慣として身につく」、簡単ではありません。「習慣として身につく」まで、基本練習の繰り返し。「習慣」は、何事にも重要に思います。

『自己との闘い』(平澤 興 一日一言)

「だれにでも、生まれながら、やればできるという可能性が与えられてはおるのだが、この可能性をひき出して能力にまで伸ばすには、それに必要なひきがねがある。それは努力である」。

「この努力は、わがままな自己との闘いになるが、この自己との闘いに克つことなくしては、とうてい人の名にふさわしい尊い人たることはできないであろう。さあ、がんばろう」。

「自己との闘いに克ち、人の名にふさわしい尊い人」になるため、努力して「テニス」の腕を磨きます(?!)。「70歳での完成」目指し、今年も「さあ、がんばります」。