2024-03-31

学会出席:小集会の講演と学生指導の回想

日本応用動物昆虫学会最後の小集会と懇親会が大変盛況の下に終わった。もうこれで学会企画も終了と思うと、少し寂しい気もする。しかし、「出処進退」の「退」、引き際も重要に思う。

本日は、小集会の講演とそれを聞いて思い出した大学教員時代の学生指導等に関して少し記したい。

今回の小集会『縁尋機妙・昆虫生態学の牽引者から学ぶ』は、3回シリーズの最終回。この企画の趣旨は、下述の3点。

(1)これまで昆虫生態学を牽引して来られた方から、ご自身の研究や、研究の面白さ及び苦労話、今後の研究の方向性等、昆虫生態学を学ぶ後輩が役に立つと思われることをご紹介いただく。

(2)さらに、「牽引者」の仲間の方から「牽引者」の方との関わりや学び及び、ご自身の研究等を紹介。

(3)「縁尋機妙」とは、「良い縁がさらに良い縁を尋ねて発展していく様は誠に妙なるものがある」と言うこと。この小集会が、参加者の皆さんにとり「縁尋機妙」になれば嬉しく思う。

講演者は牽引者である元指導教員と2名の元博士課程の学生さん。その中の一人は、『行政施策と経営を導く昆虫生態学』との演題で講演。博士号取得後、大学教員として活躍し、その後、起業して今、社長。

下述は、その講演要旨の一部抜粋。とても興味ある講演だった。

「私は昆虫生態学で学位と職を得ましたが、それは中断してしまい、大型哺乳類を管理する行政施策に携わったり、会社を経営するようになった」。

「その時、私には虫の研究ぐらいしか取り柄はなかったが、それが施策立案や経営に取り組む力になった。いま、昆虫生態学は施策立案や中小企業経営のための学問かとさえ思える」。

「何が力なのかだが、まず、独創的で面白い研究を目指すことが指導教員と指導学生の価値観だった。独創性とある意味での「面白さ」は、実社会での課題解決には不可欠」。

「また、独立系スタートアップ企業には必要な芯。これを自分の中に準備できたことは大きいと思う」。

「次に、教科書に書いてあることが当てにならない、人に聞くより自分で考え実行しないといけない、そんな虫の研究に自分の責任で取り組み完結することは、経営者の養成に向いていたと思う」。

「そして、昆虫の適応戦略は施策と経営のヒント。仲間達の研究の苦労と事例を知り、議論し合ったことで、私の引き出しが増えた」。

「若い時期に虫の研究に没頭したことが、ビジネスの世界で貢献するための基礎になっていたようだ。このような視点から、昆虫生態学の教えが活きた局面を紹介し、また違った虫の研究の価値を伝えたい」。

この講演要旨を読み発表を聞いて「なるほど」と考えるところ大だった。私は、前職では農学部長や理事・副学長に従事し、組織改革や教育改革も担当した。

研究は、前例のない研究に挑戦するチャレンジ精神も必要に思う。この挑戦は「諸改革」にも必要で、生態学の研究を通じて学んだことが大変役立った。

さらに講演では、元指導教員の研究助言にも触れていた。元指導教員は、時として「それは君が考える問題だろう」と助言したという。これは、とても貴重な助言に思う。

研究の壁や問題に直面したとき、まずは自分で考える。この習慣は重要に感じる。ふと私の指導学生への指導を思い出した。教えるのではなく、学生自らが考え学ぶことの重要性を再認識した。

今回の小集会も学びと刺激がある集会だった。講演者や参加者してくれた皆さんに感謝。


『明師良友』(安岡正篤 一日一言)

「人間はとかく労を避けて逸に就きやすいように、学問も独りでは往々そうゆう邪路に陥りやすい。そのためにも欲しいものは明師良友である」。

「明師良友は得がたくとも、古人を友とし(尚友)、古典を繙(ひもと)くことによって、或(ある)いは、より以上の感化を蒙(こうむ)ることができる」。

『明師良友』、重要に思う。

2024-03-29

学会出席:最後の小集会企画と色々な楽しみ

昨日から仙台出張。本日の日本応用動物昆虫学会小集会が最後の学会集会企画。今日は、小集会企画と学会での色々な楽しみ等を少し記します。

本日、午後6時30分から90分の小集会。その後、懇親会。これまで30年以上、ほぼ毎年、学会でシンポや自由集会及び小集会を企画。その後の懇親会で優秀な研究者と知り合ったのは貴重な財産。

また、企画することで自分が学びたいことを優秀な研究者の講演から学べるのも楽しみの一つ。

今回の企画『縁尋機妙・昆虫生態学の牽引者から学ぶ』は、3回シリーズの最終回。この企画の趣旨は、下述の3点。

(1)これまで昆虫生態学を牽引して来られた方から、ご自身の研究や、研究の面白さ及び苦労話、今後の研究の方向性等、昆虫生態学を学ぶ後輩が役に立つと思われることをご紹介いただく。

(2)さらに、「牽引者」の仲間の方から「牽引者」の方との関わりや学び及び、ご自身の研究等を紹介。

(3)「縁尋機妙」とは、「良い縁がさらに良い縁を尋ねて発展していく様は誠に妙なるものがある」と言うこと。この小集会が、参加者の皆さんにとり「縁尋機妙」になれば嬉しく思う。

手前味噌ですが、最後の集会に相応しい講演者の講演。3名の講演者で、メインの講演者の演題は、『徒然なるがままに』。下述は、講演要旨の一部抜粋。

「大学院に入った時、指導教官に「良い研究をしなさい」と言われた。「良い研究とはどんな研究ですか」と問うと「面白いストーリー性のある研究だ」と応えられた」。

さらに「何を見るにも疑問を持ちなさい」とも言われた。「そのようにして研究を3つしたなら誉めてやる」と言って先生は微笑まれた」。

「後年、アメリカ・デュ−ク大学の先生に「誰も考えたことのない仮説を立てるか、誰も検証したことのない仮説を検証するような研究をすべきだ」と言われた」。

「振り返って見ると、曲がりなりにもそのような研究を3つしたと思う。いずれの研究も、ふとしたことに疑問を持ち、仮説を立てて検証を試みた」。

「出てきた結果は、その後に分かった結果と繋ぎ合わせてみると、興味深いストーリーが描けたと思う」。

とても楽しみな講演。そして、その後の懇親会も多くの老若男女の研究者が集い、盛況な懇親会になりそう。有り難い。

学会出席者名簿を見ると、私が知っている研究者の名前は極めて少数。すでに多くが定年となり、研究活動から離れたことが理由に思う。私の教え子達が講演発表する、嬉しい。会場で会えるのが楽しみ。

出席者名簿を見て、年を取っても学会に出席し、講演する長老研究者には驚く。一方、定年と共にスッパリ学会活動から離れ、学会には一切出席しない研究者もある。この2タイプの理由を一考。

理由の一つは、研究を趣味としているか否か。長老研究者の多くは、研究を趣味にしているように思われる。私は趣味が、農業、テニス、ボディビル等々で研究は趣味でない。

来年度、第二の人生が終われば、私の学会出席は終わり。学会での思い出が走馬灯のように駆け巡る。学生さん達と一緒に学会に出席し、彼らの発表後、居酒屋で行った反省会が一番思いで深い。楽しい日々、学生さんに感謝。

また、学会の楽しみは、大学院時代にお互い研究に切磋琢磨した研究室の仲間に会えることもある。すでにそのような仲間が、夕食の1次会、2次会のお店を決めて私を待ってくれる。有り難い。しばし多面的な情報及び意見交換が楽しめる。持つべきは、良き友。感謝。

『晩年』(安岡正篤 一日一言)

「冬になれば、「木落ち水尽き千崖(せんがい)枯れて、迥然(けいぜん)眞吾(しんご)が現れる」ように、人間も年寄るに随って、容色は衰え、矯飾は廃れて、その人の真実我が掩(おお)うところなく現れてくる」。

「『菜根譚』にも「人を看るには只後半截(こうはんせつ)を看よ」という古語を、引いているが、誠に人の晩年は一生の総決算期で、その人の真価の定まる時である」。

これからの晩年、活き活きと楽しく生きたいと思う。

2024-03-27

令和5年度第2学期、山形SC学位記授与式

放送大学は、2学期制で9月下旬と3月下旬に学位記授与式があります。我が山形学習センター(山形SC)も3月24日に学位記授与式を行いました。本日は、再掲も含め学位記授与式等を少し紹介します。

令和5年度第2学期、山形SC学位記授与者は、学部18名、修士1名。学位記授与式の参加者は、8名。卒業生18名のうち1名は3コースを修了された「生涯学習奨励賞受賞者」。

毎学期1科目ずつ履修している私、それでも単位認定試験は大変。学位を授与された皆さんの努力に敬意を表すると共に頭が下がります。

式辞として三つのことをお話しました。その一部を紹介します。

まず、「卒業は、新たな挑戦に向けての出発である。次に、二度ない人生で教養を身に着ける重要性。最後に、生涯、学び続ける習慣の必要性です」。

「まず、卒業は、新たな挑戦への出発である、についてご紹介します。米国では、卒業のことを、コメンスメントと言います。これは「出発」を意味します。私も卒業は、新たな挑戦への出発に思います」。

「現代経営学の開祖で未来学者とも呼ばれたピーター・ドラッガーは、「21世紀に重要視される唯一の能力は、新しいことを学ぶ能力である。それ以外は、全て時間とともにすたれていく」と述べています」。

「言い換えると「これからの時代、新たな事への挑戦が人生を分ける」とも言えます。本質を突いた教えに思います」。

「私事で恐縮ですが、我が人生を振り返ると、大学卒業は、新たな人生への挑戦、出発でした。それは、大学院での研究生活の始まりです」。

「皆さんがご卒業を一つの節目とし、放送大学で培った幅広い教養を元に新たに挑戦されることを心から期待します。人生二度なしです」。

「二つ目は、「二度ない人生で教養を身に着ける重要性」をお話します。ご存じのように放送大学は、教養学部一学部の大学です」。

「他の大学と異なる点は、卒業までに多面的な教養を学び、それを身につけ卒業することです。これから人生百年時代に向かい、教養はとても重要で、それは、二度ない人生を豊かにします」。

「お茶の水女子大名誉教授で数学者の藤原正彦さんは、『国家と教養』との著書で「教養」とは、「直感力」と「大局観」を与える力だと述べています。私もそう思います」。

「卒業される皆さんは、他大学にない、多様で深い教養を身につけ放送大学を卒業されることに、誇りと自信を持って頂ければ嬉しく思います」。

「東洋哲学の泰斗、安岡正篤先生は、学問し、教養を身に着ける意義を中国の古典『荀子』から紹介されています」。

「夫れ学は通の為に非ざるなり。窮して苦しまず、憂えて心衰えず、禍福終始を知って惑わざるが為なり」。

「学問をするのは、どんな心配ごとがあってもへこたれず、何が禍いで何が幸福かを知り、人生の複雑な問題に直面しても、惑わないためである」。

「学問し教養を身につけることは「知識を習得する」だけでなく、「人物を作る」ことであるとの教えです。学問をし、教養を身につけて、人物を作る、重要に思います」。 

「最後に、「生涯、学び続ける習慣の必要性」をご紹介します。幕末の儒学者、昌平黌の総長、佐藤一斎先生の著書に『言志四録』があります。これは、西郷隆盛先生の座右の書です」。

「その中に、「三学戒」という教えがあります。「二度ない人生には、生涯学びの習慣を持つことが、必要である」と言うのが核心です。私もそう思います。ご紹介します」。

「少(わか)くにして学べば、壮にしてなすあり。壮にして学べば、老いて衰えず。老いて学べば死して朽ちず」との教えです」。

「すでに皆さんは、学びの習慣を持っておられます。是非、継続して下さい」。

新たな事への挑戦、知識の習得と人物を作る教養、生涯学びの習慣を持つ、この3つは二度ない人生を生きる上で重要に思う。これまで4年間、学位記授与式の祝辞で毎回この3つを紹介した。所長最後の来年度もこの3つを紹介する。

学位記授与式は30分と短時間でしたが、佳い顔の皆さんに出会え、幸せな気分になりました。皆さんに感謝です。おめでとうございます。

『失敗にくじけるな』(平澤 興 一日一言)

「どの方面を問わず、偉大な仕事は、たとえば表面に出る成功の何倍も何十倍もの失敗という山脈の中にそびえる一つの峰である」。

「われわれにとって恐ろしいのは失敗そのものではなく、その失敗によってくじけることである」。

「伸びる人にとって失敗は不幸どころか、むしろ幸福への再出発なのである」。

『失敗にくじけるな』、重要な教えに思う。

2024-03-25

『特集 立志立国』を学ぶ:社長のリード文

「敬愛塾」は、約20年前、鶴岡市の現職の小中学校教員が、自己研修することを主たる目的に設立。4年前から教員以外にも門戸を開き今、10名程度で2ヶ月に一回、『月刊誌、致知』の記事を資料に研修。今回は、『致知2月号 特集 立志立国』を取り上げる。

本日は、一昨日開催した本年度最後の研修会を少し紹介します。この研修会では、「巻頭の言葉」、「社長のリード文」、「対談記事等」の3部作が教材。本日は、その(1)、致知藤尾社長のリード文に触れます。

リード文は、「2025年、日本は再び甦る兆しを見せるであろう。2050年になったら、列強は日本の底力を認めざるを得なくなるであろう」との哲学者森信三師の言葉で始まる。

そして、「米国の有名な企業家イーロン・マスク氏は、「出生率が死亡率を上回るような変化がなければ、日本はいずれ消滅する。世界にとって大きな損失だが」と続く。

さらに、「日本をどちらの国にするのか。その鍵を握るのは日本人である。私達は何としても日本を森信三師の言うような国にすべく立志し、それぞれが分に応じて真剣に努力しなければならない」と述べる。

日本が大好きな私も「日本が蘇って欲しいし、日本が底力を示せる国になって欲しい。そのために努力したい」と思う。

続いてリード文は、昨年11月に北海道で再発足した「北海道社内木鶏経営者会」に触れる。木鶏会とは、『致知』を教材に人間学を学ぶ会。特に、学内木鶏会実施2校の高校野球部生徒3名の感想文を紹介。

「講演を聞き、日本をこれから変えていく自分たちがもっと人間的に成長していかなければ日本は変わらないと思いました。またこのような機会で人間力について学べたのはとても良い時間であったし、光栄なことだと思いました」。

「今日の講演を聞き、どんなにすばらしい物を持っていても、それに気づかなければ持っていなのと同じなのだと気づきました。私は学生でこんなにも早い段階からすばらしいお話を聞き、より人間学について学びたいと思いました」。

「講演を聞いて自分にはもったいない程の話が聞けたと思いました。この話は自分を含め全国の高校生、いずれは全国の人々に聞いていただきたいと思います。・・・どんな環境、人間関係であろうと価値を見出して必ず成功する人間になろうと決意しました」。

そして、「木鶏会に打ち込む彼らの姿を見て、本当に人間は陶冶次第だと思った。一様に礼儀正しく凜とした彼らの姿に触れ、改めて若い世代に人間学を伝承し、普及することの大事さに思いを馳せた」と述べる。

「本当に人間は陶冶次第だと思った」、同感です。人間学の学びの重要性を再認識。

さらに、「2050年、今の高校生は40代になる。10代20代で人間学を真剣に学んだ人達が社会を背負う時代になれば、列強が日本の底力を認めざるを得ない時代が来る可能性は十分にある。そういう時代が来ることを念じて、若い世代に人間学を伝承・普及していくことに全力を尽くしたい」と続く。

また、「人生劈頭(へきとう)一箇の事あり、立志是なり。幕末の儒者、春日潜庵の言葉である。劈頭は真っ先のこと。人生の出発点において一番大事なことは志を立てることだ、と潜庵はいう」と潜庵の言葉を紹介する。

続いて、「人生だけではない。立国劈頭一箇の事あり、立志是なりである。明治初期、自分が一日怠けたら日本の進歩が一日遅れる、と勉学に励んだ青年が数多くいたという。明治の日本が世界に冠たる国家になったのは、そういう国民の立志があったからである。国民一人ひとりのありようが、いま問われているのである」と述べる。

最後に孟子の言葉「人恒(つね)の言あり、皆曰く、天下国家と。天下の本は国にあり。国の本は家にあり。家の本は身にあり」に触れる。

「人はよく「天下国家」と口にするが、天下の本は国にあり、国の本は家にあり、家の本は自分自身にあるのだということである。天下国家を立派にしたいなら、まず自分の身を修めねばならないということである」と述べてリード文は終わる。

『立志立国』、重要に思う。『大学』の「修身斉家治国平天下」を思い出す。「まず自分の身を修めねばならない」、心に留めたい教えに思う。学びと刺激の研修会、参加者の皆さんに感謝。

『求めるとぶつかる』(安岡正篤 一日一言)

「書物でも、何か真剣に研究を始めて本屋へ入ると、それに関連する文献は必ず目に入る。不思議に、それこそ本に霊があるかのように、待ってましたといわんばかりに、ふいっと目に入る」。

「これは本屋漁(あさ)りする人は皆経験することだ。ところが、こちらが何の問題意識もなしに、つまり空々漠々で本屋へ行っても、くだらない駄本しか目につかない」。

「それと同じように、人間も真剣に求めていると必ず求める人物にぶつかるものです。生きた人物にもぶつかるし、故人にもぶつかる」。

『求めるとぶつかる』、心に留めたい教えです。 

2024-03-23

やまがた夜話、第3回『睡眠を考える』

本日は、2月下旬から3回シリーズで始まった「やまがた夜話」、最終回第3回目を少し紹介します。

演題は、『睡眠を考える~より良い睡眠を得るために~』。最後の「やまがた夜話」も多くの聴衆、有難い。

講演の概要は、「現代生活はシフトワークや長時間通勤・受験勉強・インターネットやゲームをしての夜型生活など、睡眠不足や睡眠障害の危険で一杯です」。                                   

「そこで今回、睡眠を考える~より良い睡眠を得るために~と題して、睡眠と現代社会、より良い睡眠を得るためにをキーワードとして、皆さんと睡眠について考えていきたい」。

講演は、3つの話より構成。

まずは、「「睡眠」と「現代社会」」として、睡眠の3つの役割を紹介。それは、1.記憶の整理、2.修復・成長、3.疲労回復の3つ。

「睡眠には、記憶の整理のほか、脳や身体の疲れをとり、身体の成長を促し、傷ついた細胞を修復するという大切な役割がある」とのこと。

睡眠の役割についてあまり考えたことはありませんでした。何となく夜に寝ていましたが、今回の講演で睡眠が、私たちの日常生活に果たす3つの役割を知りました。

さらに、良い睡眠の3つの条件は、十分な睡眠時間、リズム・タイミング、安定した眠りの3つ。

現在推奨の睡眠時間は、8時間が理想とされているが、日本人の平均睡眠時間は、約7時間40分。これは、他国の睡眠時間に比べると短いとのこと。

続いて、「「睡眠不足(寝不足)に伴う「こころ」と「からだ」への影響」。睡眠不足により、「だるさ、いらいら、落ち込み、集中力の低下」等々が生じ、心と体に悪影響を及ぼす。これは、よく分かります。

最後は、「より良い睡眠を得るために」について、「健康づくりのための睡眠指針2014」(厚生労働省)等を紹介。

例えば、『睡眠12箇条』。「第1条 よい睡眠で、体も心も健康に。第2条 適度な運動、しっかり朝食、眠りと目覚めのメリハリを。第3条 よい睡眠は、生活習慣病予防につながります」。

「第4条 睡眠による休養感は、心の健康に重要です。第5条 年齢や季節に応じて、昼間の眠気で困らない程度の睡眠を。第6条 よい睡眠のためには、環境づくりも重要です」。

「第7条 若年世代は夜更かし避けて、体内時計のリズムを保つ。第8条 勤労世代の疲労回復・能率アップに、毎日十分な睡眠を。第9条 熟年世代は朝晩メリハリ、昼間に適度な運動でよい睡眠」。

「第10条 眠くなってから寝床に入り、起きる時刻は遅らせない。第11条 いつもと違う睡眠には、要注意。第12条 眠れない、その苦しみを抱えずに、専門家に相談を」。 

健康を維持する秘訣として「快眠、快食、快便」があげられます。これはとても的を射ていると思います。よく寝て朝、すっきり起きる。「快眠」、重要に思います。

今回の睡眠に関する講演会、睡眠の重要性を再認識する上でも大変貴重で有益でした。講師の先生や参加した皆さんに感謝です。

『いまを大切に』(平澤 興 一日一言)

「今日一日の実行こそが人生のすべてです。それ以上のことはできない」。

『いまを大切に』、そう思います。重要です。

2024-03-21

研究の思い出(17):日・ネシア共同研究(1)

本日は、研究の思い出(17)、インドネシア(ネシア)の大学との4年間の共同研究等を紹介します。この国際共同研究は、科学研究費助成事業基盤A(4年間、5000万円)の支援を受けて実施。

本日は、3回シリーズの第1回、基盤A採択までを記します。

今から約20年前、農学部の異分野の仲間とそれぞれの分野の研究を紹介する、異分野連携ゼミを実施。土壌学、植物生理学、園芸学、生物有機化学、分子細胞生化学、応用昆虫学、群集生態学の異分野の仲間。

ゼミを実施し、土壌微生物が植物・植食者・捕食者群集に及ぼす影響を解明する研究を思いつく。文献調査では、このような研究は、皆無であることを知る。2002年、私が40歳代半ばのこと。

早速、メンバーで共同研究の実施を協議し、ネシアのジャワ島とカリマンタン島及び、鶴岡で同じ野外実験を実施し、3つの地域での結果を比較する研究を2003年に科研基盤Aに申請。

申請課題は、『熱帯の土壌微生物が植物・植食者・捕食者群集の多様性創出とその維持に及ぼす影響

学部長から「安田さん、基盤Aに申請したんだって。あなたのような実績も実力もない研究者が基盤Aに採択されるのは無理。まあ、審査員と思われる人に年賀状でも出して、挨拶に行くことだね。はっはっはっ」との助言。

科研費の採択ってそんなもんかと思う。学部長は、農学部50年の歴史で唯一、基盤Aに一度採択された。一度採択されたら強気(?)になれるわなー、と思う。親切な助言に感謝。

しかし、結果公表2ヶ月前、ニシキヘビがニコニコ笑いながら歩く夢を見る。「ヘビは、お金を持ってくると言われている。採択されたかも?」と思う。私は、時々このような予知夢を見て、それが当たる。

今回の予知夢も当たる。「何と、基盤Aに採択」。驚きの学部長「あなた、基盤Aに採択されたんだって、凄いね」とのお言葉。「あの、実績も実力もない研究者ですが」と、心の中で思う。

我々の研究が採択された翌年から、土壌生物・植物・植食者の三者系の研究が注目を浴びScience, TREE, Ecology等のトップジャーナルで特集が組まれる。異分野連携ゼミの有り難さを感じる。


すでにインドネシアの大学と共同研究している同僚を中心に相手大学とメールで研究計画の詳細や調査地の確保等を依頼する。それは、ジャワ島のガジャマダ大学とカリマンタン島のランブンマンクラート大学。

熱帯での研究は、私の長年の夢。ワクワクしながらジャワ島のジャカルタ・スカルノハッタ国際空港に到着。ガジャマダ大学は中央ジャワの古都ジョグジャカルタにあり、ジャカルタからガルーダ航空で約1時間。小さな空港。

迎えに来てくれたネシアの友人と大学に向かう。そして、インドネシア側リーダーと打合せ。いよいよ憧れの熱帯での調査の開始。ワクワクです。優秀な仲間、有り難い。感謝です。

『元気』(安岡正篤 一日一言)

「われわれは「気」を養うということが、一番根本の大事だ。いわば生のエネルギーを養うということ、いい換えれば「元気」ということが一番である。元気がないというのは問題にならぬ」。

「しょぼしょぼして、よたよたして、一向に反応がないなんていうのは、論ずる価値がない。とかく人間は有形無形を論ぜず、元気というものがなければならない」。

「元気というものは、つまり生気である。生のエネルギー、生々(いきいき)しておるということである」。

『元気』、いいですね。

2024-03-19

山響シベリウスにフィンランドの友人を回想

今年度、最後の山形交響楽団第315回定期演奏会が、3月10日に山形テルサホールで開催。少し記します。

今回の演奏会、何時ものように3部作。まず『サッリネン:交響曲第2番作品29~ソロ・パーカッションとオーケストラのための交響的対話~』。続いて、『ニールセン:フルート協奏曲FS119』。

そして、最後のメインが『シベリウス:交響曲第1番ホ短調作品39』。

『ソロ・パーカッション』、初めて聞きましたが聴き応えあり。約20のパーカッションの独奏。演奏者は13歳より打楽器を始めたとか。

今回の演奏会、指揮者は、フィンランド人のオッコ・カム氏、78歳。派手さはないが、円熟味のある指揮。素晴らしい。シベリウス・アカデミーでヴァイオリンを学び、独学で指揮法を修め、カラヤン国際指揮者コンクールで優勝。凄い。

演奏会前の15分は、いつものように山形交響楽協会事務局長と指揮者のトーク。今回はオッコ・カム氏。指揮者の温厚な人柄を感じたひと時。

今回のプログラム、『シベリウス:交響曲第1番ホ短調作品39』の記述によると「フィンランドの若きシベリウスの情熱がこの曲に反映されていて、民族的、ロマン的な雰囲気に満ち、標題のない交響曲だが、その内容はかなり交響詩的な作品と言える」。

「シベリウスの音楽を語るときには、当時のロシアとフィンランドの関係を知らねばならない。フィンランドは、1809年対ロシア戦の敗北により帝政ロシアの支配下に置かれる」。

「当初は、かなりの自由と権限が認められていたが、19世紀の終わり頃から、支配強化が行われた。このような状況のもと、完成された交響曲に当時のフィンランド人の感情が込められていないはずがない」。

「フィンランドの聴衆はこの曲に、ロシアの圧政に対する抗議の精神を見た」。

東欧諸国を訪問するとロシアの影響を感じます。これまでチェコやラトビアを訪問しましたが、ロシアの影響下で厳しい生活があったことを知りました。

今回の指揮者及びシベリウスは、ともにフィンランド人。今から約25年前にフィンランドの研究者と奥さん及び2人の娘さんが年末年始に我が家を訪問し、楽しいひと時を過ごした日々を思い出す。

その研究者は、京都大の研究者と共同研究を実施し、日本各地のヤナギの植食性昆虫の調査の一環として夏に鶴岡を訪問。赤川沿いのヤナギを紹介し、調査の補助を行う。

そして、その年の暮れから正月三が日を我が家で過ごし、初詣や正月料理及び正月の遊びを楽しむ。日本の正月を紹介し、フィンランドの新年を紹介してもらう。フィンランドに関する新たな知見を得ることができ、楽しい新年。お屠蘇や日本酒で新年を祝す。

氏は、体格が良く、丸太投げのチャンピオン。アメリカ人プロレスラー、スタンハンセンのような体格。

お屠蘇も入り、和気藹々の新年。お腹も膨れほろ酔い気分で「日本対フィンランド新春腕相撲大会」をやることになる。我が軍は、私と家内、フィンランド軍は、氏と奥さんの2戦勝負。

氏の体格を見て一瞬厳しい勝負に思う。かつて腕相撲は、よくやり経験値は高い私。組み合うと全くお互いに動かない。全身に気を充満させ、気をグッと出し、一気に巻き込む。日本軍の一勝。

家内と氏の奥さんは、身重は圧倒的にフィンランド軍が優勢。しかし、腕周りの差はなさそう。お互いに譲らず持久戦。持久戦に強い日本軍、勝ちました。2戦2勝で良い気になっていましたが、今考えると、我が軍に花を持たせてくれたのかと思う。楽しい腕相撲大会。

その年に彼らがフィンランドに帰国後毎年、クリスマスカードが届き、近況を知らせてくれる。良い縁、楽しいお正月でした。

山響シベリウスの交響曲から懐かしいフィンランドの友人を思い出す。海外の友人からは、その国の歴史や文化、風土や料理等々が学べ、知識が広がる。有り難い。

『国際性を身につける』(平澤 興 一日一言)

「国際人であるとか、世界人であるとかいうことは、ややもすると誤解されるように中性的の人間になることではなく、むしろそれぞれの特長を十分に活かしながら、国際的意識を持って行動することであります」。

「International は特長ある Nations があり、その上に立ってこそ初めて望ましい国際性が生まれるのであって、自らの個性をすててわけの分からぬようなものまねだけでは真の意味での国際性は生まれません」。

「国際性を身につけるには、まず「汝自身を知れ」ということになりましょう。我々は正しい意味で日本人としての特性を持ち得てこそ初めて、尊敬される国際人たり得ると思うのであります」。

『国際性を身につける』。「汝自身を知れ」、そう思います。

2024-03-17

やまがた夜話、第2回『山形県の地名歌枕』

本日は、2月下旬から3回シリーズで始まった「やまがた夜話」、第2回目を少し紹介します。

第2話の演題は、『山形県の地名歌枕』。今回の「夜話」も大変人気で、定員40人が満席。嬉しい限り。

『講演概要』は、「最上川や阿古屋の松、有耶無耶の関等、山形県にちなむ歌枕を考える。さらに『枕草子』の「忘れずの山」は蔵王山でいいのか、多面的に把える」。

「今、歌枕という言葉の定義も揺らいでいる。地名歌枕は、一つの場所に特定しなければならないのに二カ所もある、どちらが正しいのかも含め考察する」。

さらに、講演では、和歌についても紹介。

「短歌や和歌は、自分の見たもの、感じたものを中心に詠む。しかし、実際には、題を与えられて、想像して詠むものがほとんど。和歌から、その景色を想像しても、実際の風景とは違う」。

「そうなんですか」、新たな学びです。

「一方で、歌枕の地を実際に訪れるという試みがなされ、地名歌枕の所在地を突き止めようという動きも平安時代からあった。歌枕とは、和歌の題材とされた日本の名所旧跡のことをさす」。

「地名歌枕は、名所歌枕と解してもいいが、和歌に用いられる地名であるだけでなく、一定の表現を伴うことが必要なことば」。

「例えば、「竜田山」と言えば紅葉、「飛鳥川」と言えば世の無常、というような規則を守ることになる」。

「世の中は何かつねなる飛鳥川 昨日の淵ぞ今日は瀬となる(古今集・読み人知らず)」。

このような規則、味を感じます。和歌、良いですね。

山形県内の歌枕(現代)には、阿古屋の松、千歳山、浮島、有耶無耶の関、月山、袖の浦、羽黒山、最上川等々があるとのこと。

講師の苦労話の一つ、「古書で調べある単語の意味を論文で紹介。その後、新たな古書に異なる意味が示されていた。最初に発表した意味は、間違だった」とのこと。自然科学では、経験しないことに思った。

国文学は、私の専門の生態学とは異なります。しかし、味わい深く面白さを感じます。

放送大学歌に「生きるとは学ぶこと、学ぶのは楽しみ」、「生きるとは知ること、知ることは喜び」との歌詞があります。その通りに思います。

講師の先生及び参加者の皆さんに感謝です。有り難うございました。

『笑いと成長』(平澤 興 一日一言)

「ある人が申しました。どこまで笑って暮らせるかということで、その人の人間としての成長がわかると」。

「ある人は80のところでもう怒ってしまう、ある人は70のところでへこたれてしまう、ある人は95くらいのところまでは我慢できる等々です」。

「どこまで我慢できるか、どこまで心の平和を保つことができるかというような高さが、その度盛りが、人間の成長度を示す」。

『笑いと成長』、味わい深い教えと思います。