2020-08-31

仰げば尊し わが師の恩

毎朝、高速バスで「庄内あさひ」から山形まで2時間の通勤、9年目です。9年目で初めてバス停に「クマ出没注意」の張り紙を見ました。

「クマ出没注意」で思い出すのは、山形大学農学部教員のエース、K教授。4年前、50歳の若さでガンにより旅立った、山形大学のホープ。本当に残念でした。

K教授の専門は、森林生態学です。「ブナの実の豊凶と熊出没との関係」との氏の講演を聴きました。「ブナの実の凶作年は、熊が里に出没し、豊作年は出没する可能性が低い」ことを示し、これは、95%以上の高い確率で当たるとのことでした。

K教授とは、研究に関しても色々な話をしました。氏は、大学院修士課程修了後、北海道立林業試験場に就職し、その上司が、菊沢先生。先生は、日本の森林生態学の第一人者で、林業試験場から京大教授に転出された研究者です。

先生は、とても辛辣で厳しい指導者とのことでした。大学院のわが師、伊藤先生も辛辣で厳しい指導者。K教授と「わが師論」が盛り上がりました。若い時期に厳しい指導者との出会いは重要と思います。

私は、大学院入学後に、伊藤先生に「生物群集の研究がやりたい」と話しました。即座に「群集をやるような奴はバカだ。5年で結果など出ない、止めろ」と、一喝されましたが、群集の研究をやりました。

研究室の納涼会が、修士2年の7月にありました。お酒が入って元気な先生から、「お前は、修士で止めて就職しろ。博士課程に行っても研究がまとまるとは思えない。また、博士号を取得しても、お前が就けるような職はない」と、「心優しい」指導も受けました。

「有り難うございます。就職します」と応えれば、良好な師弟関係で先生との縁が切れたかもしれません。「私は、先生に自分の人生を決めてもらおうとは思いません」。これは、とっさに私の口から出た言葉でした。私の人生を今、振り返っても、大学院6年間は、本当に大変な時代、修業時代でした。

先生からは、色々と学びました。特に、「生涯学び続ける生き方、学者精神」。「何事にも積極的に挑戦する、チャレンジ精神」。「不撓不屈の反骨精神」。この三つの精神は、今までも、今も、これからも私の心に残る「昭和の快男児」からの学びで、次世代の若い人にも伝えたいと思います。

4年前、先生を偲ぶ会の会長挨拶に、私は、先生が好きな「旅の夜風」をアカペラで歌いました。「花も嵐も 踏み越えて 行くが男の 生きる道 泣いてくれるな ほろほろ鳥よ 月の比叡を 一人行く」。「月の比叡を 一人行く」は、先生の生き方に思います。「クマ出没注意」から「わが師」を思い出しました。

『仕事を道楽に』(平澤 興:一日一言)

「私の京大の先生に、足立文太郎先生という方がおられた。血管に関する研究では文字通り世界一の学者です。この先生なんかは、全く仕事を楽しみにしておられた。

飲ん兵衛で酒はこの上なくお好きだが、酔うてくるほどにいよいよ、学問の話。それが説教じゃない。楽しんで話をしておられるから、聞く方も、落語を聞くように楽しい。聞くときは楽しいが、さて、後になってみるとジーンと体にくるのですね。

だから道楽をしておる先生の弟子というものは有り難いもんですね。楽しい話を聞きながら、身が引き締まるんです。それはもう、本当に有り難いことだと思う」。

伊藤先生も「仕事を道楽に」された先生でした。飲ん兵衛で、よく一緒にお酒を飲み、「ジーンと体に来る話」もよく聞きました。

「仰げば とうとし、わが師の恩。教えの庭にも、はや 幾年。思えば いと疾(と)し、この年月。今こそ 別れめ、いざさらば」。「仰げば尊し わが師の恩」今、身にしみます。

2020-08-29

楽しき挑戦

朝4時に起き、法華経を唱え、畑仕事をしての出勤が日課だったという「土光敏夫」さん。78歳で経団連会長、84歳で臨調会長の土光さんからは、生き方や考え方を数多く学びました。

土光語録の一部を紹介します。「一日一日全力をあげる。その積み重ねが人生だ」。「失敗は過程における道ゆきであり経験である。だから失敗には価値がある」。「火種が強ければ青草でも燃え上がる」。「動かない水は腐る」。「暮らしは低く、思いは高く」。「個人は質素に、社会は豊かに」。「自分のことは、自分でせよ」。

朝4時過ぎに起き、安岡先生や平澤先生の書を読み、畑仕事を楽しんでいます。私のライフワークは、「自然のバランスの解明」でした。我が家の1haの農地で果樹や畑作物の多様性を高め、「自然のバランス(?)」を観察する「楽しき挑戦」。果樹は、20種弱、野菜は30種弱が、元気に共存しています。毎朝の「楽しき挑戦」に、ふと、土光さんを思い出しました。


午後3時から事務長と情報及び意見交換の Tea Break。放送大学は、年2回卒業式と入学式があります。今10月入学者の願書受け付け中です。新規入学希望者は、前年度の同時期と比較し増加していますが、9月に卒業や終了する学生さんが、10月にリピーターとして入学する割合は減少です。

事務長の分析では、「今コロナ禍で、学びや旅行等を含めた外出に制約がある。そのような状況下で、インターネット等で学べる放送大学は、注目されているのではないか」。「ウムウム、なるほど」。

「ぢゃ、リピーターが減少しているのは何故?」。「今年度の学生さんは、コロナ禍で面接授業やサークル活動の中止、さらに学習センターを閉所した時期もあり、学習センターで多面的に学べる機会の激減が影響しているのではないか」。「ウムウム、なるほど」。

山形学習センターでは、10月から「学びのサロン(教員と学生の皆さんとのゼミ)」、「所長と学生の皆さんとの意見及び情報交換会」、「読書会」等を企画しています。大学の良さは、教員と学生の皆さんの交わりです。10月から学生の皆さんと一緒に多面的に楽しく学びたいと思います。

Tea Break後一仕事をして、夕方のバスに乗り、一路、鶴岡に向かいました。高速道のバス停、「庄内あさひ」に下車。自家用車で高速道を法定速度内で飛ばし、鶴岡市内のテニススクールで「楽しき挑戦」夜の部です。

このクラスは、30代や40代の方が主で、レベルが高い。私のテニス歴は、30年以上ですが、我流です。今、若いメンバーに打ち負けていますが、クラスが終了する10月までには、対等なパワーテニスを目指しています。これは夜の「楽しき挑戦」です。色々な事に「挑戦」することは楽しく、元気の源です。

6月からテニススクールに入り、夜90分間テニスのレッスン。90分間、ほとんど休みなしで、忠犬ポチのようにボールを追っています。無心になれる90分、最高です。

日常生活で無心になれる時は、ほとんどありません。鶴岡市玉川寺2泊3日の参座会に出席し、座禅を組みましたが、なかなか「無の心」は遠いところでした。心を休めるには、無心になり、取り越し苦労(これから起こることの心配)や持ち越し苦労(起こったことの心配)をしないことが重要とのことです。

テニスでの無心の90分、体を鍛え、心を休めるためにも必要に思います。心身ともに健康、重要です。

『挑戦する』(平澤 興:一日一言)

「自己に与えられた無限の可能性に挑戦することこそ、最大の人間的な生き方であろう」。

人生二度なし、「無限の可能性に挑戦」、色々挑戦したいと思います。人生、これからです。

首相が辞任を表明されました。首相としての激務を本当によく果たされたと思います。ゆっくり持病を治されるのを期待します。お疲れ様でした。首相に感謝です。

2020-08-27

西郷南洲翁と至誠

ある書に「西郷南洲翁は、日本人が最も好きな日本人である」と記されていました。南洲翁が日本人に好かれる魅力は、何だろうと考えました。

南洲翁と庄内は、浅からぬ縁があります。その一つに、庄内藩が南洲翁の大慈悲により戊辰戦争で徹底抗戦を免れたことがあります。

その縁で、庄内藩主が、明治の初めに庄内藩士を鹿児島に派遣し、彼らは、南洲翁から色々と学びました。庄内藩士が、その学びを記したのが「南洲翁遺訓(なんしゅうおういくん)」です。遺訓は41条と追加の2条から構成されています。


遺訓25 「人を相手にせず、天を相手にせよ。天を相手にして、己れを尽して人を咎(とが)めず、我が誠の足らざるを尋ぬ可し」。

凄い箴言です。

私が住む松ヶ岡の多くの家には、南洲翁の肖像画が掲げられています。勿論、我が家も掲げています。これは、南洲翁の恩を忘れないことも一つの理由に思います。

南洲翁は、松ヶ岡開墾士に「気節凌霜天地知」の箴言を揮毫されました。

松ヶ岡の各家には、大正15年12月に記され、五箇条から成る「松ヶ岡開墾場綱領」があります。

「気節凌霜天地知」の箴言は、松ヶ岡開墾場綱領にも記され、これは、明治の初めに3000人の武士が松ヶ岡を開墾した、その事業の精神となった言葉です。

「気節凌霜天地知の箴(しん=いましめの言葉)は我が松ヶ岡の精神なり、之を服膺(ふくよう=心にとどめて忘れず行うこと)して節義廉恥(節度を守って正義を重んじ、恥を知る心)を振起す(奮い立つ)べし」とあります。

就職活動をしている我が家の三女から、1ヶ月前に「父さんの座右の銘は、何ですか」と聞かれました。「座右の銘と言うようなものはないけど、「誠実」と言う言葉が好きだな」と応えました。

『最も伸びる人』(平澤 興:一日一言)
「私は人間が真に事をするにはただ秀才、鈍才というような能力だけはでなくて、むしろそれよりも大事なものがあるのではないかと思います。

それは人柄です。その人柄のうちでも、なにが一番大事かというと、どうも誠実ということかと思います。「誠実ということだけではいかんよ。そう簡単ではないよ」といわれる方もいますが、大局的に長い目でみますと、やはり、誠実な人柄が最も伸びるんではないかと思います」。

南洲翁が、日本人に好まれる理由の一つに「誠実」があるのかもしれません。

南洲翁の人柄、まさに誠実そのものに思います。時代がいくら変わろうとも、「誠実な人柄」、重要に思います。

2020-08-25

台湾を愛し、台湾の人に愛された日本人

「台湾を愛し、台湾の人に愛された日本人」、八田与一技師に会いたくて、私は、昨年12月中旬、冬の庄内から羽田経由で南国、台北に飛びました。そして、台北から新幹線で台南に向かい八田技師がいる嘉南の烏山頭(うざんとう)ダムと珊瑚潭(さんごたん)を訪問しました。

八田技師は、台湾の中学校の教科書に載り、多くの台湾の方は八田技師とその偉業をよく知っています。

八田技師は、34歳の1920年から1930年の10年間、嘉南の原生林を開墾し、東京ドーム120個分の保水量があり、コンクリートを使わない烏山頭ダムを作りました。

さらに、嘉南平原に全長1万6000キロ(東京・ロス往復の距離)の灌漑水路を作り、それにより嘉南平原では、安定した米作りが可能となりました。そして、60万人の人々が、その恩恵を受けたとのことです。

かつて、日本には凄い日本人が多くいて、世界の人々から尊敬されていたことは、同じ日本人として誇りに思います。

今でも5月8日の命日には、嘉南地区の方々がお墓の前に集まり慰霊祭が行われています。烏山頭ダムがある珊瑚潭の小高い丘に八田技師の銅像があり、その後ろにご夫妻の小さなお墓があります。お墓にお参りしたら、何故か涙が止めどもなく溢れました。年のせいですね。私は、銅像のミニチュアを購入し、机の上に置き、毎日、八田技師と一緒にいます。



古川勝三著「台湾を愛した日本人 土木技師八田与一の生涯」との書があります。古川さんは、1980年から3年間、高雄日本人学校に勤務されました。その「あとがき」によると、ある日、台湾の方から「あなたは日本人だから、日本精神を持っていますよね」と聞かれたそうです。

そして、「日本精神?それはどういうことですか」と聞き返すと、「日本精神はね、『嘘をつかない』、『不正なお金は受け取らない』、『失敗をしても他人のせいにしない』、『与えられた仕事に最善を尽くす』、この四つです。日本は良い教育をしてくれました。今日の台湾の発展は、この日本精神のおかげです」と言われたとのことです。

私が山形大学で国際交流業務に従事していたとき、ベトナム国家農業大学を訪問したことがあります。その時、女子学生から「山形大学に留学したい」と言われました。そして、「山形大学で何を学ぶのですか」と聞いたら、「まず、Japanese Spirit (日本精神)を学びたい」と応えました。

「日本精神って何ですか」と聞くと、上述の台湾の方の「日本精神」と同じような事を話しました。私たち日本人も「日本精神」を再認識する必要があると感じます。

一昨日、山形SC所長室で客員教員の一人、理学部のK先生と四方山話をしました。その時、ふと八田技師を思い出し、K先生に八田技師の話を紹介しました。

『夢と情熱』(平澤 興:一日一言)
「残念ながら私は、生涯を通じて自信というものはついに持つことのできなかった人間であります。

しかし夢をみながら、それにひたむきな情熱を注いで進むということはできました。

それが今日までの私の生涯です。もっとも自信を持てばそれに越したことはないかもしれませんが、しかし自信はなくとも燃える情熱と実行さえあれば必ず事は成るのであります」。

「自信はなくとも燃える情熱と実行さえあれば必ず事は成る」、私もそう思います。しかし、これは簡単ではありません。

八田技師にお会いして「夢と情熱」の重要性を痛感しました。

写真は、鶴岡市の中心部にあり、戊辰戦争で庄内藩を救った西郷南洲翁、「敬天愛人」の石碑です。南洲翁も「燃える情熱と実行力」を備えた人に思います。

2020-08-23

庄内での出会い:S銀行のM先生

米どころの庄内、庄内平野は今、イネの出穂が始まり、これから実りの秋に向けてイネが色づく時期です。鶴岡に赴任して、まず感じたのは、お米の美味しさでした。瑞穂の国、良いですね。


庄内には、歴史的な建物が多くあります。その一つに、1805年に創設され、武士の子弟の教育がなされた庄内藩校、致道館があります。

人生を今、振り返ると、長く関わりがあっても記憶に残らない人、数回しか会わなかったのに思い出に残る人がいます。何が記憶や思い出を決めるのでしょうか。

庄内に住んで29年、色々な出会いがありました。S銀行元相談役のM先生。庄内で出会った気品と魅力を感じる数少ない一人でした。先生からは、何回か夕食に誘っていただき、マンツーマンで多面的に学び楽しい一時を過ごしました。先生は、話や意見が大所高所からの発想が多く、とても思い出に残る方でした。

「S銀行は、なぜ顧客に選ばれるのか?」との本があります。そこに、先生のS銀行経営理念が紹介されています。

「若い人たちが自由闊達である職場。創意工夫を大切にし、絶えず仕事の質を高めていく風土。お客様の夢や希望に共感し、それが叶えられるように努力する気風。そんなロマンのある銀行にしよう」。

先生は、「昨日より、今日。今日より、明日。さらに日々進歩するように心がけています。人生は、一生青春。人生は、サミエル・ウルマンの「青春」だと思います」と熱く語られ、「支えとなった二つの詩」として「青春」と「吉野弘さんの祝婚歌」を紹介されました。

「青春とは人生の或る期間を言うのではなく心の様相を言うのだ。優れた創造力、逞しき意志、炎ゆる情熱、怯懦(きょうだ)を却ける勇猛心、安易を振り捨てる冒険心、こう言う様相を青春と言うのだ。

年を重ねただけで人は老いない。理想を失う時に初めて老いがくる。人は信念と共に若く疑惑と共に老ゆる。人は自信と共に若く恐怖と共に老ゆる。希望ある限り若く失望と共に老い朽ちる。

大地より、神より、人より、美と喜悦、勇気と壮大、そして偉力の霊感を受ける限り、人の若さは失われない」。

先生の志の高さと旺盛な気力が若さの維持に通じ、エネルギーの源になっていたと感じます。

『気力旺盛』(安岡正篤:活学一日一言)

「気力が旺盛であるということが個人的にも民族的にも最も大事なことで、気力を弱くしてしまったら、教養が多少あろうが、頭脳・知性が優れていようが、技能が発達していようが問題でない。気力というものが一番大事で根本的なものである。

日本民族もこの気力を失わなければ、気力が旺盛になれば、いろいろの欠陥は少しも苦にする必要はない。反対にどんな長所があっても、例えば知性だ、技能だ、その他教養があるといっても、気力が旺盛でなければ個人も国家も発展しない」。

気力を充実させて過ごしたいと思います。

2020-08-21

勝縁を結ぶ

結縁(けちえん)。聖徳太子が、縁の重要性を説かれた言葉です。私の人生を振り返ると、「色々な方から良い縁をいただき、今の自分があります。縁の重要性を感じます」。

私は、今から約50年前、商船高等専門学校3年生の春休み、3月上旬から4月上旬まで30日かけて島根から青森までサイクリングしました。丁度、鶴岡を通過する時、真っ青な空に雪を抱いた鳥海山が現れ、こんな場所に住めたら最高だと思いました。その20年後から、鶴岡で生活しています。これも「結縁」かと思います。



「放送大学、知っています。NHKがやっている大学ですよね」。7月下旬から8月上旬にかけて山形県内、庄内、置賜、最上地域の高等教育機関、市長、教育長、国際交流関係機関等を訪問し、放送大学を紹介しました。上述の会話は、私が訪問者のある方へ「放送大学を知っていますか」と質問した問いに対する応えです。

恥ずかしながら、私も今年4月まで、放送大学の名前は知っていましたが、内容に関しては、余り理解していませんでした。放送大学との「結縁」、いただいた縁により今、放送大学で働き、放送大学について多面的に学んでいます。「放送大学は、NHKがやっている大学ではありません」。

放送大学は、入学試験がなく、誰でも、何処でも、何時でも学べる「開かれた大学」です。そして、正規の通信制大学として学士、修士、博士の学位が取得できます。卒業までの授業料等経費が、約70万円、国立大学の1/3と安いのも特徴です。

学部は、教養学部1学部の単科大学ですが、大学院「文化科学研究科」には、修士と博士後期課程があります。1983年にTVとラジオ放送で授業が開始され、2015年からは、インターネットの「オンライン授業」で全ての講義が受講できます。

教育プログラムも日々進化し、ノーベル賞受賞者の特別番組を含む「生涯学習支援番組」や、興味ある分野を体系的に学べ、エキスパートとしての認証状が取得できる「科目群履修認証制度」等もあります。入学資格は、「学びたい」という気持ち。手前味噌ですが、放送大学は、人生百年時代の生涯教育に、相応しい教育機関です。是非、一度、HP(https://www.ouj.ac.jp/)を訪問してみてください。


『勝縁を結ぶ』(安岡正篤 一日一言)

「平生からおよそ善い物・善い人・真理・善い教・善い書物、何でも善いもの・勝れているもの・尊いものには、できるだけ縁を結んでおくことです。

これを勝縁といい、善縁といいます。

とにかく、折角善い人に会い、善い書を見、善い話の席につらなりながら、キョトンとしたり、欠伸(あくび)をしたり、そっぽを向いたりしている 人間はだめであります。うつけ者です。

大体そう言う人間なら、諸君は決して事を共にしてはいけない。そういう人間を友にしてはいけない。

むしろ何でもないようなことでも、耳を傾けたり、眼を光らせる人であったら、何か見どころのある人間なのです。

もちろん形骸は眠っておるようでも魂が輝いておる人もおりまして、凡眼ではなかなか見わけがつきません」。

「縁」、特に「勝縁を結ぶ」ことは、二度ない人生で重要に思います。

2020-08-19

理想を持つ

今から60年近く前、小学校の宿題として「各家の家訓」を調べる課題が出されました。早速、家に帰って父や母等に聞いた覚えがあります。

私が28年間お世話になった、山形大学農学部動物生態学研究室では、下述する「動物生態学研究室五訓」を定めました。そして、毎週金曜日の朝7時30分から1時間半のミーティングを行い、一週間を振り返り、「五訓」に関する振り返りを一つ述べてもらいました。

一、気概を忘れない

困難な仕事に直面したときは、「わしがやらねば、だれがやる」の執念や気概を忘れない。

二、利他の心を持つ

自己中心的にならず、世のため人のために生きる、人のために良き行いをするという心を持ち続ける。

三、人間性を磨く

論語などの古典を読んで思索し、自分の心を磨き、人間性を高め素晴らしい人格を身につける。

四、知的好奇心を維持する

自ら積極的に色々な事象や現象を探求する。

五、心身ともに健康である

規則正しい生活と適度な運動を心がける。

「独裁者」による研究室運営、学生の皆さん、よく付き合ってくれました。感謝です。

放送大学では、4本の青い帯と3本の白い帯が右斜め上に上昇しているシンボルマークがあり、これは徽章(きしょう)にもされています。

このマークの意味は、

1.知識を吸収し、集約し、人格形成され、外に向かって上昇していくことを表す。

2.多数の人々が教育を受ける機会を表す。

3.白は知識の吸収を、ブルーは人格の形成を表す。

「知識を吸収し、人格を形成する」、重要に思います。この徽章を上着の襟に付け、日々、「知識を吸収し、人格を形成する」ことを理想にしています。

『理想を持つ』(安岡正篤 一日一言)

「あらゆる面において生命力の旺盛な少年時代・青年時代には、必ずこれから先、ああしてこうしてと色々な考えを持つ。これを「理想」という。

その理想が、その人間に照らしてあまり実現性がないという場合に、これは「空想」ということになる。

その人間に実力があれば空想に非ずして、理想になる。

だから理想を持つということは、これは人間生命の必然の作用であって、その理想をいかに空想に堕(だ)さしめざるかということが人間修行の一番大事な点である」。

理想を持ち、人間修行で理想を実現する。人間修行に励みたいと思います。

2020-08-17

大学とアカデミズム

放送大学山形学習センター(山形SC)は、山形駅西口徒歩5分、24階建て霞城セントラル10階にあります。西口の連絡通路天井から、放送大学紹介の看板が下がっています。放送大学の入学は、年に2回、4月と10月、今10月入学者の願書受け付け中です。



8月15日(土)朝、放送大学山形学習センター事務室の電話が鳴っています。本日から、2学期の履修登録が始まり、それに関する問い合わせです。1学期は、「緊急事態宣言」の発出などで、学習センターは、閉所した時期もあり、面接授業は中止。その結果、学生の皆さんと会う機会が制限されていました。

「After Corona からWith Corona へ」、私たちの活動がコロナにより停止されるのではなく、コロナ感染の可能性があるなかで、「新しい生活様式」を守りながら生活し、活動する。2学期の山形SCは、学習の制約はありますが、少しずつ通常の状態に戻したいと思います。

10月からは、私と学生の有志の皆さんで月刊誌「致知」の読書会を開催する予定です。すでに希望者もあり、三密を避けながら「人間学」を学びたいと思います。

「致知」は、今年、発刊41年目の「人間学」を学ぶ月刊誌です。「致知」によると「人間学を学ぶことは人間力を高めることに繋がる。仕事をするうえで、人間力は非常に重要である。人間力をいかに高めるかを、各界各分野で一道を切り開いてこられた方々の体験やそこで得られた英知から学ぶ」と記してあります。

私は、高等専門学校から大学に入学し、大学でのアカデミズムに驚き「大学って良いな」と思いました。大学での授業は熱心ではありませんでしたが、友人達と自主ゼミや読書会を週に3回程度行い、大学でのアカデミズムを楽しみました。

『二つの教育』(平澤 興:一日一言)

「英国の十八世紀の史家ギボン博士は、「あらゆる人間は、二つの教育を持っている。その一つは他人から受ける教育であり、他の一つは、これよりももっと大切なもので、自らが自らに与える教育である」

と言っていますが、これは確かにその通りであります。

人から受ける教育というのは親や先生から教わったり、本や社会から習ったりすることで、普通教育というと、とかくこれだけしか考えない人も少なくないようでありますが、しかし、ただ知っておるだけでは、まだ知識でありまして、本当に自分のものになったとはいえないのであります。

自分が自分に与える教育とは、習ったものをもとにして自らの工夫でいかように自らを導き、いかように人生を生きぬくかという覚悟と実行でありまして、これこそが本当に身についた教育であり、これは外からの教育より遙かに大きいと思うのであります」。

10月からの「致知」を通じた学び、大学でのアカデミズムを感じるのが今、とても楽しみです。

2020-08-15

終戦記念日

本日は、終戦記念日です。鹿児島県の南に知覧という街があります。知覧には、大東亜戦争末期に陸軍特別攻撃隊が発進した基地がありました。

私は、縁あって知覧にある「知覧特攻平和会館」を二度訪問し、そこに展示してある特攻隊員の方々の遺品や遺書を観ました。遺書を読むたびに涙が止まらなかったことを思い出します。

大東亜戦争が終わるまで日本の優秀な少年達は、陸軍少年飛行兵や海軍飛行予科練習生を志願し、それらの志願兵は、神風特別攻撃隊員として知覧から数多く出撃し、散華されました。

私の父は、17歳で陸軍少年飛行兵を志願し、陸軍伍長として札幌で終戦を迎えました。私が子供の頃、時々、父から戦時中の話を聞いたことがあります。祖母は生前、まさか父が生きて還ってくるとは思わず、父が家に帰ってきたときは、本当に驚いたと話していました。亡き父を思い出す、終戦記念日です。

各地域には、大東亜戦争に出征し、戦死された方々を慰霊する「忠魂碑」があります。私が住む松ヶ岡や、子供達がお世話になった広瀬小学校にも忠魂碑があり、その裏面には戦死された方々の名前が記してあります。



本日正午、黙祷を捧げたいと思います。

『思考の三原則』(安岡正篤:一日一言)

「私は物事を、特に難しい問題を考えるときには、いつも三つの原則に依るように努めている。

第一は、目先に捉われないで、できるだけ長い目で見ること、

第二には、物事の一面に捉われないで、できるだけ多面的に、できれば全面的に見ること、

第三に、何事によらず枝葉末節に捉われず根本的に考える、いうことである。

目先だけで見たり、一面的に考えたり、枝葉末節からだけで見るのと、長期的、多面的、根本的に考えるというのとでは大変な違いがある。

物事によっては、その結論が全く正反対ということになることが少なくない。我々は難しい問題にぶつかる度にこの心がけを忘れてはならぬ」。

「思考の三原則」、肝に銘じたいと思います。

私が住む松ヶ岡には、かつて東北農家研修所があり、安岡先生の一番弟子、菅原兵治先生が所長でした。そのため、安岡先生は、松ヶ岡にも時々、講演に来られました。東北農家研修所は今、東北振興研修所と名前を変えて存続しています。


2020-08-13

ブログ開設とスマホ購入

 お盆の季節です。私は、島根の田舎の山間で育ち、お盆は多くの親戚が我が家に集まりました。子供は、仏様の前に沢山の提灯を出して、祖先の霊を迎える準備をします。

そして、8月13、14、15日は、我が家から徒歩5分のお寺の境内に部落の多くの人が集まり、三重の輪になって賑やかに踊る盆踊り大会。

また、小学生の夏休みは、体の前も後ろも真っ黒になり、朝から夕方まで日本で12番目に長い江の川で泳ぎ、魚を捕って遊びました。物質的に豊かではありませんでしたが、元気で楽しい昭和の時代、お盆にフト昭和の思い出が蘇りました。

「ブラウザは、何を使っていますか」、「ブラウザって何?」。

これは、ブログ「山形SC所長の山桜庵」開設のために米国ミシガンとのコンピューターでの会議の一コマです。開設には、元修士指導学生で今、米国でコンピューター関連業務に従事し、活躍している友人H君に大変お世話になりました。

4月1日に山形学習センター所長となり、多くの学生の皆さんと出会えるのがとても楽しみでした。しかし、4月上旬の「緊急事態宣言」発出により、センターは閉所、学生の皆さんとの接触は困難となりました。何とか皆さんと繋がる方法を考え、一方通行ですが、ブログでの情報発信を思いつきました。

しかし、ブログの作り方が分からず、ブログ作成は座礁。そんな中で中学時代から自らコンピューターを組み立て、ソフトとハード両面に強いH君を思い出し、作成をお願いしました。

超多忙にも関わらず、依頼後1日でブログが完成。さらにブログは文字だけでは、読者の感心が薄く、理解が不十分との助言があり写真の掲載を考えました。写真を撮り、それを電子情報として取り込むにはスマホが良いとのことで、半月前にスマホを購入。

ブログの作成方法やスマホの使い方を教えてもらいながら、何とか7月28日に第1号が公開。2日毎の更新を目標に情報発信に挑戦します。よろしくお願いします。

ブログは今後、読みやすく、「風韻」が感じられるよう進化させたいと思います。皆さんは、その進化も楽しみながら、末永くお付き合い下さい。

『清新溌剌(せいしんはつらつ)』(安岡正篤:一日一言)

「人間の徳性の根本は、清新溌剌である。人間の徳性の中でも根本のものは、活々している、清新溌剌ということだ。いかなる場合にも、特に逆境・有事の時ほど活々していることが必要である。

その人に接すると自分までも気が爽やかになるという、これが人物の最も大きな要素だ。そしてかくのごとき人であれば必ず役に立つ」。

「その人に接すると自分までも気が爽やかになる」、とても重要に思います。『清新溌剌』、心に留めたい箴言です。

我が田舎の秋祭り、春日神社と夜通し行われる石見神楽を紹介します。



2020-08-11

山の日

8月10日は、「山の日」。家族で、月山(標高1984m)登山を予定しましたが、山の天候が今一つでしたので、羽黒山(標高414m)登山に変更しました。

山頂までの石段数約2500、途中に国宝の五重塔があり、石段の両側には杉の大木、気持ちの良い山です。

      

我が家では、5年前まで毎年、家族で鳥海山(標高2236m)登山を行っていました。次男は、幼稚園の年長の時16時間かけて頂上往復。

10年くらい前の鳥海山登山では、9合目あたりから雨が降り、外輪山に辿り着くと、もの凄い暴風雨とガスで視界3m。登頂後、帰りの道を見失い、暴風雨の中、家族で遭難するところでした。

山の天気の激変と自然の怖さが身にしみました。「山の日」、かつての「思い出の鳥海登山」が脳裏に浮かんだ日でした。

山形SCでは、私及び客員教員が学生の皆さんと「学びのサロン(ゼミ)」を10月から始める準備を進めています。6名の客員教員の方の専門は、有機化学、音声学・英語、古典文学、教育臨床心理学、作業療法学、ドイツ文学と多士済々です。

山形SCとして組織的にゼミを行うのは、初めてのように思います。学生の皆さんから意見をいただき、軌道修正しながら楽しい「サロン」にしたいと考えています。

私は、どのような主題で「サロン」を開催しようか今、考えています。現役の時は、生態学を専門としていましたので、「持続可能な開発目標(Sustainable Development Goals: SDGs)」も主題の候補です。

昨年9月、日本・ペルー学長会議がリマで開催され、私は学長の代理で会議に出席しました。その時の主題が「持続可能な開発目標(SDGs)」でした。


日本とペルーから各10大学の学長や副学長が出席して、主題に関する各大学の取り組み等を紹介しました。そして、今後、2国間の大学で主題に関する共同研究等を実施することを約して会議は終了しました。会議と閉会の挨拶中の写真を掲載しました。


『文明は人間を弱くする』(安岡正篤:一日一言)

「真の体力・健康というものはもっと矛盾に富んだ、もっと苛烈な、自然の暑さ・寒さ・飢餓、その他いろいろの不自由やら迫害と闘って、自然に鍛え上げるものでなくてはならない。

そういう意味から言うならば、文明の知識と技術の下に作り上げられた体力・生命力というものは弱いものである。あまりに泰平無事、平穏無事だとわれわれの健康というものは、すぐだらしなくなる。やはり体、健康というものは鍛えなくてはだめである。精神的にもそうで、何も苦しみがないと精神はのびてします。つまらなくなります」。

自然の厳しさの中で鍛えることも重要であり、それには、登山は良い例に思います。『文明は人間を弱くする』、心に留めたい箴言です。

2020-08-09

えがお

「ふりつもる み雪にたへていろかへぬ 松ぞををしき 人もかくあれ」

これは、昭和21年新年歌会始における昭和天皇による「松上雪」との御製です。天皇陛下は、昭和22年8月15日に松ヶ岡を訪問されました。この「御製」は、松ヶ岡開墾場記念館等の敷地の一隅にある「昭和天皇行幸記念碑」に記されています。朝の散歩で「御製」を読むたびに、「かくありたい」と思います。

我が家族が13年前からお世話になっている松ヶ岡は、来年、開墾150周年を迎えます。松ヶ岡のみなさんは、「徳義を本として産業を興して国家に報じ、以て天下に模範たらんとす」等、5項目が記してある「松ヶ岡開墾場綱領」の教えを守りながら生活しています。

開墾記念館には、開墾当時、刀を鍬に代えて開墾した若人の写真が展示されています。志があると顔つきが違うのを感じます。生活する上での志、重要に思います。

8月4日、最上での講演後、新庄市にあるT医院を訪問し、T先生にお会いしました。

T先生は、山形大学みどり樹「山大聖火リレー」(2009年)に、「地域医療の充実と子どもたちの健全な成長を願い、日々、往診に空手指導に奔走するドクター」として紹介されています。

私は、今年3月末まで6年間、山大で教育と国際交流を担当していました。T先生は、10年前に「山形大学エリアキャンパスもがみT奨学金」を創設され、最上地域出身の山大生4名に支援されています。

毎年、9月中旬に新庄市で「T奨学金授与式」が開催され、T先生の挨拶と、その後の懇談会でのT先生との情報及び意見交換が楽しみの一つでした。挨拶では、毎年、この一年間のご自分の進化をご紹介され、それはとても味のあるお話でした。

今回、T先生にお会いしたのは、先生にお会いしたかったのが一番ですが、放送大学を紹介するのも目的の一つでした。山形学習センターの職業別学生数では、会社員等が87名と一番多く、その次が、看護師等の84名です。T医院の看護師のみなさんで放送大学に関心のある方に入学をお願いしたところでした。

何時も爽やかなお顔のT先生の爽やさと「えがお」に接し、元気をたくさんもらえました。お忙しいところお時間をいただいたT先生に感謝です。

『えがお』(平澤 興:一日一言)

「顔は心の窓というが、えがおであいさつするには少なくとも三つのものが要(い)る。即ち美しい心と、正しい心と、強い心である。心がにごっていたりまちがっていたり、自分の気持ちに勝てないようでは、美しいえがおは持てない」。

日々の生活での「美しいえがお」、必要に思います。

2020-08-07

進化する放送大学
進化する山形学習センター

 「進化する放送大学、進化する山形学習センター」。これは、8月4日、新庄市で開催された「放送大学最上学習室支援推進委員会」での山形学習センター長「講話」の演題です。山形県は、村山、置賜、庄内、最上の4地区に分けられますが、最上地区だけ大学がないのも影響しているのか、2010年に当委員会が設置され、委員の皆さんを中心に放送大学への支援や住民の皆さんへの啓蒙活動が行われています。

当日は、最上地区11市町村から教育長等教育関係者18名が参集されました。講演では、「進化する放送大学」として、2015年から開始された「オンライン授業」や、「放送大学エキスパート」の名称で興味ある分野を体系的に学べ、履修認証状が取得できる「科目群履修認証制度」及び「生涯学習支援番組」等を紹介し、「放送大学の進化」の現状を説明しました。

さらに「進化する山形学習センター(Study Center: SC)」として、今後3年間、山形SCの3つの行動計画、1)地域の文化や高等教育の中心として、多様な皆さんが集う「結縁(けちえん)のセンター」、2)日本と外国の方がともに学び交流する「多文化交流のセンター」、3)二度ない人生を如何に生きるかを学ぶ「人間学の学びのセンター」等を紹介しました。そして、「人間学の学びのセンター」として、月刊誌「致知」とそれを用いた読書会について説明しました。

講演後の意見交換では、「長年、当委員をやっているが、放送大学や山形学習センターの「進化」の現状を聞いたのは初めてで、大変興味深かく参考になる講演だった」、「是非、致知を読んでみたい」等の意見を含め多数の意見及び情報交換を行いました。とても楽しく実りある機会に感謝です。ご参集の方々や企画して頂いた関係各位に心からお礼申し上げます。

当日、委員長が、「開会」と「閉会」の挨拶をされましたが、とても良い挨拶に感動しました。私は、約15年前に農学部長になり挨拶の機会が急増し、丸谷才一さんの「挨拶はたいへんだ」を一読したことがあります。そのことをフト思い出しました。それ以来、色々な席で挨拶を聞く機会がありましたが、心に残る挨拶が聞けることは少なく、挨拶の難しさを感じます。

『挨拶の意味』(安岡正篤:一日一言)

「挨拶とはどういう意味かと申しますと、挨も拶も、直接の意味はぴったりとぶつかる、すれ合うということで、従って物を言うのに、相手のいたいところ、痒(かゆ)いところへぴたりと当たる、これが挨拶であります」。

「物を言うのに、相手のいたいところ、痒いところへぴたりと当たる」、簡単なようで、難しいように思います。私にとり、挨拶は、今までも、今も、これからも苦手な事の一つです。

写真は、「放送大学最上学習室支援推進委員会総会」の一葉です。


2020-08-05

庄内での良い出会い

7月28日(水)、山形県大雨。私が住んでいる庄内地方もとても激しい雨が朝から続いていました。この大雨の中、放送大学を紹介するために庄内地域の高等教育機関や市長及び国際交流機関を訪問しました。

「放送大学で学びたいと思う外国の方はいると思いますので、お声がけして集まってもらいます。10月にでも外国の方々に放送大学を紹介していただければ有り難いです」。「放送大学の授業履修を希望する学生には、支援を考えたいですね」。「是非、放送大学と一緒に共同で何か始められたら良いですね」等の意見をいただき、とても嬉しい情報及び意見交換でした。また、放送大学の説明を聞いて、放送大学で学びたいと言って下さった方もいて、大雨の中の訪問、良い出会いでした。感謝です。

今回の訪問では、訪問した方に、私も編執筆し、今年4月岩波ジュニア新書として出版された「博士が愛したジミな昆虫」を贈りました。私が担当した「おわりに」の一部を紹介します。

「また、かつては赤ちゃんの誕生やお年寄りが亡くなることを、家族と一緒に家のなかで経験しました。しかし現在では、そのような経験は少なくなりました。私たちの身近にいる昆虫の観察は、生き物の誕生や死を見つめ、命を考えるきっかけにもなります。

私は、本書で紹介した「幻のオオカ」の幼虫を三宅島のさらに南にある孤島・御蔵島で採集し、成虫まで飼育して人工交尾をさせ、採卵しました。そして、その卵から体長1㎜の透き通ったヒラメのような幼虫がふ化したときの感動を、今でも鮮明に覚えています。

このように昆虫は身近な生き物で、飼育を通じて生命への畏敬を感じられる対象でもあります。わが家では、子供たちが小学生のとき、家族でモンシロチョウの幼虫を飼育しました。そして家族全員で、蛹がチョウに羽化する感動の一瞬を観察しました。この感動は、子供たちにとっても、生涯忘れることのない思い出になっています。身近な昆虫は、このような感動も私たちに与えてくれます。これも、博士が「ジミな昆虫」を愛する理由です」。

「博士が愛したジミな昆虫」では、10名の昆虫博士が、自らが愛したジミな昆虫を対象に行った研究を紹介しています。本書では、研究のやり方や研究の楽しいワクワク感等を多面的に楽しめます。


『仕事の三要素』(平澤 興:一日一言)
「情熱と独創と実行がなければ仕事をしているとは言えない。情熱とは、仕事に対する興味と、希望と喜びをもって、全力的にぶつかることである」。

私は、今年3月末まで28年間、山形大学農学部で教育・研究に従事していました。「仕事の三要素」、心にしみる箴言です。これからも仕事を続ける限りこの箴言を心にとどめたいと思います。

平澤先生は、1900年(明治33年)生まれで、脳神経解剖学の世界的権威者、そして京都大学16代総長でした。ブログ「山桜庵」の上部に記した「生きよう今日も喜んで」は、平澤先生の言葉です。

今回の写真は、13年前に家族と移住した、鶴岡市羽黒町の「松ヶ岡」、蚕室群の一葉です。松ヶ岡は、明治初めに3000人の武士が300haの荒野を開墾して作られた集落で、住民の方々は、何れも武士の末裔です。古き良き伝統が残る数少ない地域に思います。