毎朝、高速バスで「庄内あさひ」から山形まで2時間の通勤、9年目です。9年目で初めてバス停に「クマ出没注意」の張り紙を見ました。
「クマ出没注意」で思い出すのは、山形大学農学部教員のエース、K教授。4年前、50歳の若さでガンにより旅立った、山形大学のホープ。本当に残念でした。
K教授の専門は、森林生態学です。「ブナの実の豊凶と熊出没との関係」との氏の講演を聴きました。「ブナの実の凶作年は、熊が里に出没し、豊作年は出没する可能性が低い」ことを示し、これは、95%以上の高い確率で当たるとのことでした。
K教授とは、研究に関しても色々な話をしました。氏は、大学院修士課程修了後、北海道立林業試験場に就職し、その上司が、菊沢先生。先生は、日本の森林生態学の第一人者で、林業試験場から京大教授に転出された研究者です。
先生は、とても辛辣で厳しい指導者とのことでした。大学院のわが師、伊藤先生も辛辣で厳しい指導者。K教授と「わが師論」が盛り上がりました。若い時期に厳しい指導者との出会いは重要と思います。
私は、大学院入学後に、伊藤先生に「生物群集の研究がやりたい」と話しました。即座に「群集をやるような奴はバカだ。5年で結果など出ない、止めろ」と、一喝されましたが、群集の研究をやりました。
研究室の納涼会が、修士2年の7月にありました。お酒が入って元気な先生から、「お前は、修士で止めて就職しろ。博士課程に行っても研究がまとまるとは思えない。また、博士号を取得しても、お前が就けるような職はない」と、「心優しい」指導も受けました。
「有り難うございます。就職します」と応えれば、良好な師弟関係で先生との縁が切れたかもしれません。「私は、先生に自分の人生を決めてもらおうとは思いません」。これは、とっさに私の口から出た言葉でした。私の人生を今、振り返っても、大学院6年間は、本当に大変な時代、修業時代でした。
先生からは、色々と学びました。特に、「生涯学び続ける生き方、学者精神」。「何事にも積極的に挑戦する、チャレンジ精神」。「不撓不屈の反骨精神」。この三つの精神は、今までも、今も、これからも私の心に残る「昭和の快男児」からの学びで、次世代の若い人にも伝えたいと思います。
4年前、先生を偲ぶ会の会長挨拶に、私は、先生が好きな「旅の夜風」をアカペラで歌いました。「花も嵐も 踏み越えて 行くが男の 生きる道 泣いてくれるな ほろほろ鳥よ 月の比叡を 一人行く」。「月の比叡を 一人行く」は、先生の生き方に思います。「クマ出没注意」から「わが師」を思い出しました。
『仕事を道楽に』(平澤 興:一日一言)
「私の京大の先生に、足立文太郎先生という方がおられた。血管に関する研究では文字通り世界一の学者です。この先生なんかは、全く仕事を楽しみにしておられた。
飲ん兵衛で酒はこの上なくお好きだが、酔うてくるほどにいよいよ、学問の話。それが説教じゃない。楽しんで話をしておられるから、聞く方も、落語を聞くように楽しい。聞くときは楽しいが、さて、後になってみるとジーンと体にくるのですね。
だから道楽をしておる先生の弟子というものは有り難いもんですね。楽しい話を聞きながら、身が引き締まるんです。それはもう、本当に有り難いことだと思う」。
伊藤先生も「仕事を道楽に」された先生でした。飲ん兵衛で、よく一緒にお酒を飲み、「ジーンと体に来る話」もよく聞きました。
「仰げば とうとし、わが師の恩。教えの庭にも、はや 幾年。思えば いと疾(と)し、この年月。今こそ 別れめ、いざさらば」。「仰げば尊し わが師の恩」今、身にしみます。