2024-05-14

5月第2日曜日、母の日 Mother’s Day

我がブログ、2020年7月28日から開始し、足かけ5年。これまで4回母の日について記す機会あり。しかし、今まで688回のブログで「母の日」の記述はなし。本日は、初めて「母の日」について少し記します。

母の日は5月第2日曜日。ネットによると「約100年前の米国・ウェストヴァージニアで、ある女性が亡き母を追悼するため、1908年5月10日に教会で白いカーネーションを配ったのが始まり」とか。

日本で初めての母の日イベントは明治末期頃。1915年(大正4年)には教会でお祝いの行事が催されるようになり、徐々に民間に広まったとのこと。

4世代同居の我が家、義母、我が家内、娘の3人の母が同居。義母は、大東亜戦争を経験し、我が家内は昭和の元気な時代を過ごす。そして娘は平成の一桁と生活した時代は異なる。

しかし、母親として子育ての基本、「子を思う母の気持ち」は、今までも、今も、これからも変わらないと思う。そして、子供が母親に対する思いも時代による変化はないと感じる。

母親は、子供に取り必要な存在で、母親に取っても子供は重要な存在。

フト我が母を思い出す。母は、10年前に88歳で他界。戦争真っ只中が青春時代。気の毒で大変な時代。旧満州で育ち、日本に引き揚げ。黒竜江省で生活していたとのこと。生前に一緒に訪問したく思ったが、叶わぬ夢。

保健婦として仕事し、帰宅すれば夜遅くまで家事。そして、朝早くから家事をして出勤。仕事が趣味の母。日曜日午後2時から「松竹新喜劇」の藤山寛美を涙を流して鑑賞し、それを見ながらの昼寝を思い出す。

私は小学6年生の時、朝7時から夕方5時まで故郷の邑智郡一周サイクリング。商船高専2年の春、島根・広島・四国一周サイクリング。さらに商船高専3年の春、島根から青森までのサイクリングを行った。

いずれも「行ってきなさい」と気持ちよく送ってくれた。さらに商船高専、大学、大学院での学びに関しても「やりたいことを遣りなさい」と背中を押してくれた母。子供を一途に信頼して育ててくれたように思う。

両親が共稼ぎで物質的には恵まれてはいなかったが、温かい家庭と楽しい子供時代。それを支えてくれたのが母に思う。「親孝行、したいときには親はなし」。

鹿児島県知覧にある特別攻撃隊知覧平和記念館での館長講演をフト思い出す。特攻隊員は、父親より母親への思いが強いことを紹介。何となく分かる気がする。

我が家での母の日昼食会。三女が、特別料理を作り、長女が、お花をプレゼント。質素だが楽しい母の日昼食会。



「母の日」、よいなと感じる。母に感謝。

『日本の母へ』(平澤興 一日一言)

「母よ 尊い母よ 日本の子らに 美しく逞しい魂を」 

「世界の子らに 誇らしく清らかな心を 偉大な母よ」

「これは全家研(全日本家庭教育研究会)のスタートにあたって、私が日本の母に呼びかけた母への祈りである」。

「しかし、同時にこれは、母自身のこどもに対する祈りでもあろうと思うのです」。

『日本の母へ』、心に残る教え。

2024-05-12

中学校クラス会企画:男女共同参画の重要性

今年、私の同級生は古希を迎えます。昨年3月から古希の中学校クラス会開催に向けて準備中。本日は、今年8月中旬に開催予定のクラス会について少し紹介します。

昨年3月古希のクラス会開催をフト思いつく。一人で企画するのは大変なので、同級生に共同世話人を打診。快諾してくれクラス会の準備を開始。さらに2人が世話人に加わり4名で企画。

私、これまでに色々な企画をしたが女性と一緒の企画は極めて少ない。今回、女性2名の同級生が世話人に参加し、大変助かるのを痛感。行動力が凄い。

私は、島根の山間部の小さな小中学校を卒業。小学校1年生から中学校3年生まで1クラスで、9年間ほぼ同じメンバー、約39名。物故者4名でクラス会参加対象者は今、35名。

写真は、私が子供の頃、真っ黒になって遊んだ江の川。

世話人の女性は、ほぼ全ての同級生に電話し、近況の情報を交換して、クラス会出欠調査を実施。地元にいる他の女性の世話人は、地元で生活している同級生を訪問し、近況報告をして出欠調査。

これは凄いこと。まず、私や他の男性世話人では、このような対応は難しい。また、女性ならではの具体的で貴重な提案もあり。これらは男性では思いつかない。

遅ればせながら「男女共同参画」の重要性と必要性を痛感。有り難い。

このような協力があり、先日「クラス会案内」の手紙を無事投函。クラス会準備が一歩前進し、嬉しい限り。その一部を紹介。

「お元気のことと思います。突然の手紙、驚かれたことと推察します。この手紙は、川越中学校クラス会のご案内です」。

「私達が川越中学校を卒業し、50年以上が経過しました。そして、私達の多くは今年、「人生七十古来稀なり」の「古希」を迎えます。時々、ふと昔のことを思い出しますが、それは何時も同級生と楽しく過ごした川越小中学校での生活や故郷の思い出です」。

「前回のクラス会は、約10年前60歳、還暦の時でした。それ以降、淋しいことですが、数人の友人が鬼籍に入りました。また、同級生と再会する機会も減少し、これからも減少すると思います」。

「さらに、今後、私達の仲間も鬼籍に入る人は増え、加齢による自由度も低下します。このような現状と近未来を考え、「古希」の記念も含めて今、「別添」のような「昭和45年度川越中学校卒業生クラス会」を企画しました」。

「クラス会の趣旨は、”楽しいひと時を共有し、80歳に向かい、さらに元気になる”ことです。キーワードは、「昔を思い出す」、「楽しむ」、「元気を出す」です!」。

「小学校時代に友と遊び学んだ「学び舎」はなくなりましたが今、小学校跡地に新しく「川越生涯センター」が造られました。今回のクラス会は、この「センター」で行います」。

「古希を迎える私たちに相応しい場所だと思います。60年以上前に楽しく遊んだ小学校跡地で昔を懐かしく思い出し、小学生や中学生の頃に帰って昔の日々を楽しく語り合いたいと思います」。

「クラス会出席後は、出席前より元気になるのが目標です。皆で元気になりましょう!」。

「お忙しいとは思いますが、万障繰り合わせの上、多くの方がご出席されるのを楽しみにしています。川越でお会いしましょう!待っています!」。

これまでのクラス会参加者は、最大で15名。今回は、20名以上参加を数値目標に掲げ、女性軍世話人の大活躍で軽く目標を達成予定。卒業後50年ぶりに会う同級生も多い。今年8月、今までにない熱い8月。

持つべきは、良き友なり。共同世話人や参加してくれる同級生に感謝。

『いつも明るい顔で』(平澤 興 一日一言)

「実際のところ、嬉しいときに嬉しい顔をしておるのは、これはもう誰にでもできるのでありますが、色々嬉しくないことがあります」。

「そういう場合にでも決して慌てず騒がず、他の人が見ると全く平和な日と同じように見えるような顔、そういう顔を実際に私の周囲でも知っております」。

「これは平凡ではありますが、ある意味では人間の修練の最後の段階かもしれません」。

「したがってそれは、ぼけてそういう顔は駄目なのであります。同時に安らかな顔ではありますが、絶えず求めている、絶えず人間としての向上を目指さないところには、そういう明るい顔は出ないのであります」。

「退屈をするような人間にはやはり退屈の表情しか出ないわけであります」。

『いつも明るい顔で』、いいですね。心に留めたい教えです。

2024-05-10

松ヶ岡、朝のクニオの散歩と論語の学び

クニオとの松ヶ岡周回コースの散歩、何時も楽しみにしているのが「菅原兵治記念館」前の「箴言コーナー」。ここには、論語や言志四録等からの箴言が一ヶ月に一度程度更新されて紹介。今月の箴言等を紹介します。


今月の箴言は、論語『学びて時に之を習う、亦説ばしからずや。朋遠方より来る有り、亦楽しからずや』。

「学んだことを時に復習するのはより理解が深まり楽しいことだ。友人が遠くから訪れてくれて学問について話し合うのは喜ばしいことだ」との教え。

学んだことを繰り返して学ぶ、重要に思います。また、遠方より友人が来て学問の話をするのは、とても嬉しく楽しいことです。論語が記された2600年前と今で本質的なことは変わらないと感じます。

最近は、朝から温度が高くなることもあり、毛皮を着ている散歩好きの「忠犬クニオ」、1時間の散歩は暑そうです。散歩から帰ると、まず水を飲み、ベビーバスでの「水浴び」。これは、大変気持ちよさそう。

評論家故伊藤肇氏は、著書『人間学』の中で「日本の経営者達が、最後の最後まで読み続ける本というと、『論語』が圧倒的である」と述べています。

そして、「「財界総理」と呼ばれた経団連会長の石坂泰三なども、夏、軽井沢へこもる時には、必ず『論語』を持って行ったし、よく、こんなことも言っていた」。

「50歳過ぎてから新しく読み直してみると味わいが深い。しかも平生の考え方、生き方にもぴたりと役に立つ。僕は齢80を超して初めて孔子とじっくり膝をまじえて話し合った」と紹介。

約2600年前に記された「論語」、今までも、今も、これからも、私達の生き方の指針として学ぶべき書に思います。

「松ヶ岡、朝の散歩と論語の学び」、いいです。継続します。

『三日書を読まざれば』(安岡正篤 一日一言)

「黄山谷(こうざんこく)に次のような名高い語があります。「士大夫三日書を読まざれば則(すなわち)理義胸中に交わらず。便(すなわち)覚ゆ、面目・憎むべく語言・味なきを」」。

「書は聖賢の書。理義は義理も同じで、理は事物の法則、義は行為を決定する道徳的法則であります」。

「大丈夫たるものは三日聖賢の書を読まないと、本当の人間的意味における哲理・哲学が身体に血となり肉となって循環しないから、面相が下品になって嫌になる、物を言っても言動が卑しくなったような気がする、というのであります」。

「本当の学問というものは、血となって身体中を循環し、人体・人格をつくる。したがって、それを怠れば自ら面相・言動も卑しくなってくる」。

「それが本当の学問であり、東洋哲学の醍醐味もまた、そうゆうところにあるわけであります」。

『三日書を読まざれば』、何となく分かる気がします。「聖賢の書」の学び、重要に思います。

2024-05-08

米処の庄内、田んぼの季節が始まる

朝の忠犬クニオとの散歩。庄内の田んぼが耕起され、水が入り、いよいよ田んぼの季節が始まります。



2012年から7年間、我が家の近くの田んぼを借りて行った野外実験を思い出しました。本日は、一部再掲も含め、その思い出等を少し紹介します。

この自然共生水田の研究は、私の友人が2006年 鶴岡市で「全国トンボサミット」を開催したのがきっかけ。その時の講演者、篤農家の方との貴重な出会いが研究の出発点。

この方は、酒田市で30年以上「無肥料・無農薬・無除草剤」でコメ作り。「コメ作りには、雑草や害虫も含めた生き物の多様性と調和が重要で、生き物と生き物のつながりが必要だ」と話される。

篤農家であり生態学者に思います。探究心が旺盛でお会いすると何時も多くの学びがあります。凄い人。

その方の田んぼを視察しましたが、ヤゴやタニシも含め多様な水辺の生き物が生息。「多様な生き物の役割や自然の調和機構の解明」がライフワークの私には、大変魅力的な研究対象。一気にのめり込みました。

早速、学生諸君や友人と共同研究を開始。研究は3段階で進行。まず、1)自然共生水田と慣行水田の水田生態系の相違を解明(2009-2011)。

そして、2)自然共生水田の経過年数が湛水及びイネの生物群集に及ぼす影響の解明 (2012 – 2014)。

最後が、3)タニシが湛水生物及びイネの生育とイネの生物群集に及ぼす影響の解明 (2013 - 2015)。

これらの研究は、8名の学生諸君との共同研究で、4編の修士論文と4編の博士論文となりました。

3番目、タニシの影響の研究が、我が家の近くの水田を借用しての実験。3年間の実験の前後を含めて7年間、三筆、三反歩の自然共生水田との付き合い。

田植えと稲刈り以外の田んぼの除草、畦の草刈り、朝夕の水管理等、田んぼの管理も実施。色々な発見があり興味深い7年間。田んぼを楽しみ田んぼから多面的に学ぶ。

農薬等を使う「慣行水田」を無肥料・無農薬・無除草剤の「自然共生水田」に変えると、昆虫やクモ、オタマジャクシ、ハラアカイモリ、シマヘビ、ツバメ、サギ等、生き物の種数が増え、生物多様性が増加。

「慣行水田」では、肥料や農薬等の化学資材の投入で、特定の生物の個体数が増加し、水田の多様性は減少。

一方、「自然共生水田」では、湛水及び地上の生物多様性が増加し、それが生物の調和を保つ機構の一つのようでした。今後は、その調和維持機構の解明が宿題。

「自然共生田んぼ」では、除草剤を使わないので、6月から7月、毎週1回合計8回除草機での除草が必要。暑い日中の除草で熱射病に罹ったことも、今では懐かしい思い出。

ある朝、田んぼの水が全くないのを発見。原因を探求。排水口にネズミ等が掘った大きな穴を発見し、驚く。その穴から水が流出。色々と予期せぬ事が起こります。

田んぼの畦は100mあり、その草刈りが大変だったこと、田んぼの多様な生き物観察の面白さ等々、懐かしく思い出します。

色々と学び考え楽しんだ7年間。学生諸君や共同研究者の皆さんに感謝。

『学べば学ぶほど』(平澤 興 一日一言)

「世の中には、説明のできないような不思議がたくさんあります。全てが科学で解明できるなどということは、間の抜けた科学者の言うことであります」。

「真に科学を、学問を研究した人は、分からないことがだんだん増えてくるということをしみじみ思うものです。学問をして賢くなると思うような学問の仕方は、本当の学問の仕方ではありません」。

「学問をすればするほど、一つ分かれば、十位分からんのが出てきますから、他の人よりは深く知っても、自分として主観的には分からんことの方が、だんだん増えてくるのであります」。

「学問をすればするほど、世の中に当たり前なんてことはなくなり、全てが不思議になるのであります」。

確かに研究すればするほど、分からないところも増えてきます。『学べば学ぶほど』、同感です。

2024-05-06

GW後半:趣味の農業、果樹園除草とBBQ

ゴールデンウイーク(GW)、後半も天気に恵まれ行楽日和。行楽に行かれた方、家でのんびり過ごされた方、様々と思います。

毎年我が家のGWは、野菜苗の移植及び管理、果樹園の除草、果樹の剪定枝の焼却。そして、最後はバーベキュー(BBQ)での締め。我が家の庭で家族一緒にBBQをするのは、私の小さな夢の一つ。家族もBBQは、大好き。

まずは、先日移植したキュウリの苗の棚作り。今年は、近年になく上手く出来て喜んでいます。次に、ナスやキュウリやトマトがお水を欲すると水やり。

20年前からお世話になっている自然共生水田の師匠によると、作物が水を欲すると葉を巻くので、その時に散水するとか。

GWの大仕事が果樹園と畑の除草。面積が広いので除草が大変。我が家の裏に農地が展開していますが、果樹園と畑で約0.8ha。大型除草機を用いても果樹園の除草に丸2日はかかります。ゴルフ場の除草と異なり、果樹園の周辺にはコンクリートの側溝が埋め込んであったり大きな石が地中にある。刈る前にそれらをチェックしてから除草。

また、腰まである草や密植している草は、除草機の前部を浮かせて刈刃にかかる負荷を軽減させないと、すぐに除草機は停止し、エンジンは止まる。さらに、ぬかるみや傾斜がある。

しかし、除草で果樹園がサッパリすると気持ちが良い。

一方、畑の斜面や水路周辺の除草。これは肩掛け除草機で草を刈ります。1日仕事。


さらに、果樹の枝が徒長し、それを剪定した枝を焼却。これも1日仕事。枝を切るのは簡単だが、その枝を集めるのが一苦労。何十回ものスクワット(?)をして枝の収集。

枝の焼却もそう簡単ではない。最初の火付けが難しい。小さな枝を選び火をつける。火が付いたら小さな枝を剪定ハサミで切りながら焼却。そして少しずつ大きな枝を焼く。焼き場は凄く熱く、煙はモウモウ。アッという間に汗だく。

山盛りになった剪定枝が綺麗さっぱり焼却されると、これも気持ちよい。

今年は天気にも恵まれ暑い中での農作業。午前中の作業の後は少しお昼寝。そして、夕方の農作業に出陣。


GW毎日毎日の農作業、結構疲れますが、夕食時の冷たい飲み物がとても美味しい。

子供の日の5日は、我が家恒例のBBQパーティー。会場設営とお肉の買い出しは、私の仕事。お肉を焼くのは子供達の仕事。冷たい飲み物が美味しい。

忠犬クニオ」は、会場でBBQが始まるのを寝て待つ。「果報は寝て待てか?」

毎年、BBQの炭火で暖を取り薄暗くなった夜空を見ながら一人ボンヤリ「黄昏」れるのが好き。しかし、今年は、疲れて早上がり。高校2年の次男が、「父さん、今日は、「黄昏」しないの」と聞く。「チョット疲れて次回だな」と応える。次男は、毎度の私の行動を「読んでいる」。


今年のGWもアッと言う間に過ぎました。人生、こんなものかと思います(?)。

『親父の役割』(安岡正篤 一日一言)

「人間はやはり、良心・霊性・魂にひびかなければ、何事も真の解決は出来ないのであります」。

「然もそうゆう純な心はもう二つ三つの幼児の頃から、子供は本能的に鋭敏に受け取ることが出来る。だから子供は言説で教えるよりも、情的に感じ取らせることの方が大事なのです」。

「親父は千言万言を費やして説教するよりも、黙って子供に見せることであります」。

『親父の役割』、貴重な教えに思います。

2024-05-04

敬愛塾研修会『致知』の予習、「丹田常充実」

GWの後半、天気に恵まれ遅れている我が家の農作業が進む。と言っても草刈り果樹の枝切り。これらの合間に少し、「書」等を読む日々。マイペースでゆったりとした時間を楽しむ。有り難い。


『致知』を教材にした自己研修会の「敬愛塾」が5月中旬に開催され今、予習中。本日は、その教材の一つ『致知3月号』の藤尾社長のリード文「特集 丹田常充実」を少し紹介します。元気をもらったリード文。

「丹田とは臍(へそ)の下三寸(10センチ)あたりの下腹部を指す。ここに力を入れると健康と勇気を得るといわれる」。

「「丹田常充実」とは、生きていく上で丹田が常に充実し力に満たされていることが大事、ということを教えている言葉である」と、リード文は「丹田常充実」の説明で始まる。

そして、「「丹田常充実」とは文字通り、いつも丹田が充実しているということである。平たく言えば、いつも気合いが入っているということである」。

「人生は気合いである。気合いが入っていなければ何事もなし得ないのは自明の理。「丹田常充実」は、人が事を成す上での土台となるものである」と、日々の生活における「丹田常充実」の重要性を指摘する。

日々の生活での「丹田常充実」、実践したいと思う。

また、「百歳の時に30年分の仕事の材料を買い込んでいたという彫刻家・平櫛田中氏に、こういう言葉があると聞いた」と、平櫛氏の言葉を紹介する。

「実践実践また実践、挑戦挑戦また挑戦、修練修練また修練」

「やってやれないことはない、やらずにできるわけがない」

「今やらずしていつできる、わしがやらねばだれがやる」

平櫛氏のこの言葉は、これまでにも学ぶ機会があった。しかし、何回学んでも凄い教えに思う。

さらに、「永平寺古跡館の書に、こういう言葉がある」と、永平寺の書に触れる。

「70才にてお迎えあるときは、今留守と言え」。

「80才にてお迎えあるときは、まだまだ早いと言え」。

「90才にてお迎えあるときは、そう急がずともよいと言え」。

「100才にてお迎えあるときは、時期を見てこちらからボツボツ行くと言え」。

「作者は不明だが、丹田常充実の気概で人生と戦ってきた人でなければ、こういう言葉は残せないだろう」。

このように言って我が人生を生き切れたらよいと思う。

「いつも気合いが入っている、いつもファイトがある。私たちも常に丹田を充実させ、我が人生に挑んでいきたい」と述べ、リード文は終わる。

「丹田常充実」、肝に銘じ、実践して生活したく思う。貴重な学びのリード文、藤尾社長に感謝。

『運を高める』(安岡正篤 一日一言)

「人間は深い精神生活を持たなければ、本当の意味の形相・色相は養われない。結局、運というものは相に現われ、相がよくなれば運もよくなる。しかし運をよくしようと思えば、結局、心を養わなければならない」。

「心を養うということは学問をすることで、したがって、本当の学問をすれば人相もよくなり、運もよくなる。すべてがよくなる」。

「運も相も結局は学問にほかならないのである。学問・修養すれば自ずからよくなる。そこで昔から本当の学者聖賢は、相や運の大事なことは知っておるけれども、敢えてそれを説かなかった」。

『運を高める』、深い学びの教えに思う。肝に銘じたい。

2024-05-02

我が第二の故郷松ヶ岡、楽しい春祭り

農業を主たる生業としていた地域、松ヶ岡では、春と秋にお祭りがあります。そして、春祭りでは、今年の豊作を祈願します。

本日は、一部再掲も含め松ヶ岡の春祭り等を少し記します。

お祭りでは、まず、本陣の前に幟(のぼり)を立て、祭事当番が、蚕業稲荷神社を清掃し、神社前に赤い小さな幟も立てます。さらに、神社への沿道には手作りの灯籠。お祭りの雰囲気がでます。

松ヶ岡では、常会や直会等は、年齢順に着席します。17年前に移住したときは、元気なご年配の方々も多く出席され、私の席は、末席に近い場所でした。


移住して17年、何時の間にか最上席に近く、序列7番目に昇格(?)。世代の入れ替わりと月日の早さを感じます。また、昨年までは畳の上での直会が、今年からは椅子に座っての直会。参加者も年を取り便利。

両隣の方と差しつ差されつでの直会。「かつては呑み友達も元気で、皆で元気に楽しく呑めたが、最近では敬老会でも呑み友達がいなくなり寂しい。皆年をとった」。

また、「子供はいるが鶴岡市以外で生活し、松ヶ岡に戻らない。子供から家や土地を処分して欲しいと言われている」とか。

かつて、松ヶ岡の長男は農業を継承し、全戸が農業に従事して生活していた時期もあったそうです。しかし、今では専業農家の方々も激減し、時代の移り変わりを実感します。

松ヶ岡の春祭りに子供の頃、島根の田舎の「春日神社」で行われた春と秋のお祭りを思い出しました。

祖父が、長い間、神社の総代を務め、毎年、隣町の宮司さんが我が家で着替え、お祭りが終われば我が家で直会。

私の故郷の秋祭りには、集落住民の楽しみの一つ石見神楽も奉納。夜9時から翌朝6時まで、夜通しでの神楽。楽しいお祭りでした。


お祭りいいですね。直会で松ヶ岡の方々と多面的な情報を交換し、元気な皆さんにお会いした楽しいひと時。直会、重要に思います。皆さんに感謝です。

『笑いと成長』(平澤 興 一日一言)

「ある人が申しました。どこまで笑って暮らせるかということで、その人の人間としての成長がわかると」。

「ある人は80のところでもう怒ってしまう、ある人は70のところでへこたれてしまう、ある人は95くらいのところまでは我慢できる等々です」。

「どこまで我慢できるか、どこまで心の平和を保つことができるかというような高さが、その度盛りが、人間の成長度を示す」。

「どこまで我慢できるか、どこまで心の平和を保つことができるか」、簡単なようでそうでもない。『笑いと成長』、胆に銘じます。