2021-12-30

越後長岡への旅、「河井継之助を訪ねて」

「私はこの『峠』において、侍とはなにかということを考えてみたかった。それを考えることが目的で書いた」。

「その典型を越後長岡藩の非門閥家老河井継之助に求めたことは、書き終えてからも間違っていなかったとひそかに自負している」。

これは司馬遼太郎さんの著書『峠』の「あとがき」、一部抜粋です。

約50年前の学生時代に『峠』を読み、「河井継之助」を知りました。それ以来、「河井継之助」は、心に残っている日本人の一人です。

先日、新潟の平澤興先生を訪問し、その後、レンタカーで越後長岡に「河井継之助」を訪ねました。数年前にも家族で「河井継之助」を訪問し、今回は2回目です。

「河井継之助記念館」を訪問し、映画『峠、最後のサムライ』が作成されたことを知りました。本来なら今年7月上映予定でしたがコロナ禍により2022年に一般公開。

継之助役は、役所広司さん、妻の「おすが」は、松たか子さん。楽しみです。

「男子の生涯の苦渋というものは、その志の高さをいかにまもりぬくかというところにあり、それをまもりぬく工夫は格別なことではなく、日常茶飯事の自己規律にある」。

「箸のあげおろしにも自分の仕方がなければならぬ」。

「物の言い方、人とのつきあい方、息の吸い方、酒の飲み方、あそび方、ふざけ方、すべてがその志をまもるがための工夫によってつらぬかれておらねばならぬ、というのが、継之助の考え方であった」と司馬さんは「継之助」を記しています。私の好きな一文です。

正月休みには、『峠』を再読し、「侍」とは何かについて考え、「志の高さをまもりぬく」とは何かを考えたいと思います。

皆さん佳いお年をお迎えください。

『人間の価値』(安岡正篤 一日一言)

「ずるいことをやったり、人を押しのけたりして、地位や財産をつくるのも人間の能力、知能のひとつであります」。

「それを使って色々なことができる。できるけれども、そんなことができても、これは人間としては少しも偉いことではない」。

「社会的には偉いかも知れぬが、人間としては恥ずべきことであります。何を為すか、何をしたかということと、彼はどういう人間か、如何にあるか、ということは別である」。

『人間の価値』、なるほどと思います。

2021-12-28

木の枝はなぜ美しい、「恩師の思い出」

数日前の月山道は素晴らしい雪景色。前夜降った雪が、葉を落とした広葉樹の枝につもり、それが快晴の青空に美しく映えていました。

毎年、葉を落としたブナ等の広葉樹を見ると商船高専の1年生の時ドイツ語を習った先生の「木の枝はなぜ美しい」を思い出します。

「今の私は日々のいとなみに追われ、疲れ、あえぎながら、多くは慌ただしく見て過ぎるだけの草木の姿に強く心をひかれる。ことに冬空に思い思いの線を描いている裸の枝々の美しさに」。

「なぜあの通りの枝ぶりになっているのか、ならなければならなかったのか?私はその答えを五年前の冬の夕方フッと発見した」。

「運命と環境と戦い、また随順することで木は内なる生命を伸ばしてゆく、そしてその仕方には個性がある」。

「ざくろにはざくろの枝振り、松には松、柳には柳の・・・だが、どの枝もみな、長い時をかけて少しずつ、少しずつ、一生懸命に伸びてきた生命が全身で描いた線なのだ」。

「一心に幸福を求めて伸びる木の生命の強いリズムを持ったメロデイの流れが、そのままそこに凝っているのだ」。

「だから私たちは、環境や運命と取り組んで自己を実現してゆこうとしている、私たち自身の生命の願いをそこに聞く思いがして、感動するのだ」。

「自分と同じ生きものが立派に生きてきている姿を見、共通の大きな一つの生命を生き生きと感じることは、私たちに生きることへの励ましと親愛の喜びを与えてくれる」。

「このささやかな発見は私を幸福にしていた。その事実がまた私を幸福にした」。

先生の「木の枝はなぜ美しい」、一部抜粋です。

先生とは、私が1年生で島根に帰省する時、列車で30分同席したことがあります。色々な話をしました。

その30分の会話が、50年経った今でも鮮明に記憶に残っています。当時、16歳の私が、60歳の先生に人としての瑞々(みずみず)しさと素晴らしさを感じ、一瞬で尊敬の念を抱きました。

先生は、志賀直哉先生に師事し、小説家を志された時もあったようです。志賀先生に「悪くない。出版社を紹介しよう」といわれた小説もあったようです。

先生は、「何時もスケッチブックを鞄に入れ、素晴らしい風景に出会うと、何はさておき、その風景をスケッチします」、と話されていました。小説や随筆だけでなく、多くの絵画も残されています。

1年生最後の授業で癌が心配だと話され、その後の精密検査で問題なしの結果をとても喜んで紹介。しかし、1年後に癌で亡くなられ、とても驚き残念でした。

先生の没後20年、約450頁の「重野英夫作品集:木の枝はなぜ美しい」が出版されました。それを再読。教育も含め多くの事柄に深い洞察と思慮深さを感じます。驚愕です。人としての凄さと深さ、「本当の人」は、自分を語らないのかな、と思いました。

月山道のブナを含めた広葉樹、美しい木の枝が、今年も私に人生を語っています。今年の冬も先生の優しい笑顔を思い出しました。人との出会い、不思議に思います。先生に感謝です。

『一番尊いもの』(平澤 興 一日一言)

「私は人間に一番尊いのはなまの純粋さであり、濁りのない単純さであって人間にとって、これほど尊いものはなかろうかと思うのです。これはどの方面でも超一流の人にはあるようです」。

先生は、本当に純粋な方だったと思います。

2021-12-26

クリスマスイブ、今年のプレゼント

日本人は、正月には神社で初詣。お葬式は、お寺でお世話になり、12月下旬にはイエス・キリストの降誕祭のクリスマスを祝うと言われています。

我が家では、私が物心ついたときから、この「日本人のシキタリ」を守っています。日本人の「ココロ」の広さを感じます。日本人の適応力(?)の高さ凄いと思います。

雪国の庄内、今年はホワイトクリスマス。なかなか良いです。今年の我が家は、クリスマスの数日前から「ライトアップ」。これは、初めての企画。雪で真っ白の中でのライトアップ、幻想的(?)で良い感じ。

これでフィンランドから来るサンタも、我が家に立ち寄ると思います。安心、安心。

子供の頃からクリスマスイブは、ワクワクでした。それは、サンタからのプレゼントがあるからです。

私も高齢者、70歳に近づきつつあり、時々ふと、孔子の『七十にして心の欲する所に従えども矩(のり)を踰(こ)えず』が浮かびます。70歳に近づいても『矩(のり)を踰(こ)えず』は、まだまだです。

一方、70歳に近づいてもプレゼントの嬉しさは、変わりません。ワクワクです。

朝起きて、まず、私の書斎に行きプレゼントを確認。何だろうかと一つ一つ確認しながら開封。

今年のプレゼントは、ボリュームたっぷり。まずはお酒の部、ウイスキーの「シーバスリーガル」と地酒の「大山十水」。

次は、寝具セット、「掛け布団毛布」と「冬用枕カバー」及び敷布団の上に敷く「敷きパット」。

最後は小物、冬用スリッパ、入浴剤の「きき湯」、箸箱と箸セット。併せて8品。庄内の寒い冬を暖かく快適に過ごせます。サンタに感謝です。

プレゼントをいただくのは嬉しいのですが、プレゼントを考えるのは苦手。山形大在職中は、国際交流も担当し、海外出張の機会も多々ありました。帰国前にお土産を買う時、毎回、何を買うか悩みました。

そのような点からは、我が家に来たサンタの選択眼に驚いています。多様性の高い素晴らしいプレゼントでした。

『感激の生活』(安岡正篤 一日一言)

「吾々の一番悪いこと、不健康、早く老いることの原因は、肉体より精神にあります。精神に感激性のなくなることにあります」。

「物に感じなくなる、身辺の雑事、日常の俗務以外に感じなくなる、向上の大事に感激性を有(も)たなくなる、これが一番いけません」。

「無心無欲はそういう感激性の生活から来るもので、低俗な雑駁から解脱することに外(ほか)なりません」。

『感激の生活』、何歳になっても必要に思います。感激、重要です。

2021-12-24

敬愛塾「我づくり」研修会、『死中活あり』

「私たちは、修養を通して己を一層高め、もって一燈を点して、国家の一隅を照らし、各々の分に随って、それぞれの家を斉え、郷土を興し、祖国の繁栄に寄与するよう努めます」。

これは「敬愛塾」の「綱領」です。「敬愛塾」は、約20年前、現職の小中学校教員が、自己研修することを主たる目的に設立されました。

3年前から教員以外にも門戸を開き今、15名程度で2ヶ月に一回、『月刊誌、致知』の記事を資料に研修。

今年度はコロナ禍で研修会を控えていました。12月18日、今年度第2回目の研修会を実施。資料は、『致知2021年12月号、死中活あり』。少し紹介します。

資料は、何時も『巻頭の言葉』、『藤尾編集長の特集リード文』、『特集記事』の3部作。

今回の『巻頭の言葉』は、アサヒビール社友福地茂雄氏の『十年樹木、百年樹人』。

「十年樹木、百年樹人」とは、「樹木を育てるには十年、人を育てるのは百年を要する」との意味。

「いま求められる人財は、自分の専門分野のみに精通した、切れ味の良い「カミソリ型」ではなく、人間力の備わった、切り口は鋭くなくとも大木をなぎ倒す力を持つ「ナタ型」ではないでしょうか」と指摘。

そして、「教育では、知識を教える知育ばかりでなく、人格を養う徳育が大切です」と『巻頭の言葉』が終わる。同感です。

『特集記事』は、サイゼリア会長 正垣泰彦氏のインタビュー「最悪の時こそ最高である」。

正垣さんは、大学4年の時、千葉県市川市に洋食店を開業し、そこから幾度もの危機を乗り越え今、国内外に1500店舗を超え、年間来客数は2億人を上回るイタリアンレストラン「サイゼリア」の社長。

来年で開業55年の節目。インタビューの一部抜粋を小見出しごとに少し紹介します。

「失敗や挫折、艱難辛苦の時こそ自分を変えるチャンス、より成長させるチャンス」。

「そうやって捉えると、いいことも悪いことも人生で起こることはすべて最高、これ以上のものはないと思える。そういう心構えで努力すれば必ず花が咲きます」とメインメッセージを述べる。

「1.満足した瞬間から衰退が始まる」:資産と人財を蓄積することを目標とする。人生とはうまくいかないもので失敗が前提。失敗の最後は成功に漕ぎつく。常にこれ以上のものはないと思い創意工夫する。

「2.乗り越えられない困難は来ない」:困難な原因、失敗の原因は自分にある。乗り越えられない困難は来ない。自分を変えることで目の前の困難は乗り越えられる。

「3.火事に遭ったあの店は、おまえにとって最高の場所」:全て今が最高と思うこと。誰かの役に立つことを優先して考えると結果はよくなる。お客が来るようひたむきな努力が必要。

「4.いかにして行列店へと生まれ変わったのか」:お客が来ない原因を自分に求める。周りにあるものを全部活かす、死中活あり。

「5.すべて自分の責任と捉えた母の姿を見て育つ」:自分の目の前に起こる出来事はよいことも悪いことも全部、自分のためにある。

「6.「人のため、正しく、仲良く」基本理念に込めた思い」:「人のため」とは、お客に喜んでもらう。客数の増加が喜びの指標。「正しく」とは、正しい考えで仕事をする。皆がより幸せになることを考える。

「仲良く」とは、仲間の強みや得意分野に目を向け、スタッフを公正に評価し、心を一つにして頑張る。

人間の生きる目的は、人の役立つためと反省するため。

「7.フランチャイズを一切やらない理由」:フランチャイズは、楽をして金を儲けようとし、理想を現実化できない。

「8.仕事とは心を磨く修業の場」:本当の幸せは、人のために役立つこと、人と一緒に喜びあえること。

会社や仕事とは心を磨く修業の場。これを社員に教えることが経営者の役目。「人のため、正しく、仲良く」の基本理念を事あるごとに社員に伝える。

リーダーシップとは、部下や周囲の人から助けてもらうこと。この人のために頑張りたいと思われる状態。自分の身に起こる全ての出来事を常に最高と思い生きる。最悪の時こそ最高である。

正垣さんは、何気ない言葉で話されていますが、一言ひとことが生きる上での本質をついた言葉です。

生きる目的、仕事の意義、リーダーシップ等を明示し、社員に落とし込むその姿に組織のトップの生き方を感じ、多くを学びました。「この母にしてこの子あり」です。

敬愛塾の皆さんは、人生経験豊富な方達ばかり。毎回、刺激と学びになります。今回もとても楽しく、味わい深い学びの2時間でした。

正垣さんと参加者の皆さんに感謝です。

『因果の法則』(安岡正篤 一日一言)

「人間には奇跡というものはありません。奇跡などというのは研究不足、勉強不足の者の言葉でありまして、原因・結果というものは常にはっきりっしておるのです」。

「悪いことをしますと、いつかは悪い結果があらわれ、善いことをすれば善い結果があらわれる、というのは厳粛な自然の法則であります」。

「したがって人間は因果律というものを大事にしなければなりません」。

『因果の法則』、当たっています。大事にします。

2021-12-22

北国に冬到来、♪犬は喜び庭かけまわる♪

雪国の庄内、本格的な冬到来です。今年一番の寒波がやって来ました。全国的な寒波です。今年初めて除雪機を稼働させ「出初め式」。駐車場の雪が、アッと言う間に吹き飛びました。除雪機、有り難いです。

積雪に喜んだのは、猫背でストーブ好きの「忠犬クニオ」。家の中では、全く猫のようにストーブの前で昼寝をするクニオ。しかし、イヌ、今年初めての積雪に「♪犬は喜び庭かけまわる♪」です。

雪が降ると散歩の時間を短くし、長靴を投げてそれを拾って来る「長靴投げ」トレーニングをします。

台所のストーブの前でイビキをかきよく寝るクニオ。最近、特に運動不足です。先日も朝の散歩で小太りのお爺さんに出会い、そのお爺さんが「この犬は太っているのう」と一言。クニオは、人間の言葉を多少理解出来ます。クニオ曰く「小太りのあなたに言われたくはありません」。

小太りのクニオ、「長靴投げ」を三回もやると息を弾ませ雪の上で気持ちよさそうにごろ寝です。この冬は、「長靴投げ」でしっかりクニオを鍛える予定です。

この「長靴投げ」の副作用でカラスが我が家に来なくなりました。カラスは賢いので、黒い長靴をカラスだと思い込み、クニオがその長靴に食いつき引っ張り回すのを見て恐れをなし、近寄らないと考えています。

クニオの「長靴投げ」の効果に思います。家族の癒しに役に立つクニオ、カラスよけにもなっているようです。クニオに感謝。

『文明は人間を弱くする』(安岡正篤 一日一言)

「真の体力・健康というものはもっと矛盾に富んだ、もっと苛烈な、自然の暑さ・寒さ・飢餓、その他いろいろの不自由やら迫害と闘って、自然に鍛え上げるものでなくてはならない」。

「そういう意味から言うならば、文明の知識と技術の下に作り上げられた体力・生命力というものは弱いものである。あまりに泰平無事、平穏無事だとわれわれの健康というものは、すぐだらしなくなる」。

「やはり体、健康というものは鍛えなくてはだめである。精神的にもそうで、何も苦しみがないと精神はのびてしまう。つまらなくなります」。

『文明は人間を弱くする』、心に留めたい箴言です。『文明はクニオを弱くする』、忠犬クニオにも伝えたいと思います。

2021-12-20

新潟への旅、「平澤興先生を訪ねて」

「なによりも大切なことは、人を生かすことである。そして、その人に喜びと勇気と希望を与えることである」。これは、私が「人間学」を学んでいる平澤興先生の箴言の一つ。胸にズンと響きます。

先生は、1900年(明治33年)に新潟市味方(あじかた)で生まれ、88歳で逝去。専門は、脳神経細胞学。京都帝国大学医学部卒業、新潟医科大学教授、京都大学教授を経て京都大学第16代総長。

総長を退任後、特に力を尽くされたことの一つが家庭教育の普及運動。人間の基本的な性格は幼児期に形成されるとの考えから幼児教育の意義、そして母親の役割の重要性を痛感される。

それゆえ、教育者としての余生を「全日本家庭教育研究会(全家研)」の運動に捧げられた。

先生は、「1.親は、くらしを誠実に。2.子どもには、楽しい勉強を。3.勉強は、よい習慣づくり。4.環境づくりは、人づくり。5.人づくりは、人生づくり」と平易な言葉で自らの心情を述べています。

そして、日本全国を訪問し、各地のお母さん達に講演。その講演集が、『平澤興講話選集全5巻、生きる力』。凄い人、信念の人です。

先日、「平澤興先生を訪ねて」、先生の生誕地、新潟市味方を訪問しました。本日は、訪問した平澤興記念館や先生の箴言を少し紹介します。

先生の大学生活の基本方針は「大学では、講義を聴き、講義で紹介される原書を読み、講義と原書で十分考え自分自身のノートを作る」と記述。

しかし、入学後直ぐに講義に出てそれを整理すると原書を読む時間はない。原書を読もうとすると講義に出る時間はない。自分の基本方針が到底実行不可能なことを知る。

「自分が自分に約束したことが出来ないようでは、人間の名に値するのか」との煩悶から、大学を止め、人間も止めようと考える。そして、大学1年の12月早々に味方に帰省。そして、吹雪の雪原をさまよう。そこに先生が私淑していたベートーベンがドイツ語で呼びかける。

それは耳の病気で絶望的になろうとする25歳のベートーベンが叫ぶ、自己に対する戒めと励ましの言葉。そのベートーベンの言葉により先生は、人間を止めるのをとどまれた。

先生の郷里、味方を訪問し、先生がさまよわれたと思われる地域を眺め、感慨に耽りました。

平澤興記念館では、先生に関する記念品などが展示してあり、ぼんやりと眺め在りし日の先生を偲びました。先生は、「努力、努力、努力」の人です。

掛け軸と色紙を購入し、我が家の玄関には掛け軸、書斎には色紙をかけて毎日眺めています。

色紙は、「進むべき道は一筋世のために がまんがんばり 今日もあしたも」。掛け軸は、「今日もよし あすもまたよしあさっても よしよしよしとくらす一日」。よい教えです。


平澤先生の箴言を少し紹介します。

「今が楽しい、今が有り難い、今が喜びである。それが習慣となり、天性となるような生き方こそ最高である」。

「いかように、可能性を引き出すかということについては、これは、本人に、興味を持たせること、面白いと思わせることが第一だろうと思います」。

「教育とは火をつけることだ。教育とは火をつけて燃やすことだ。教えを受けるとは、燃やされることであり、火をつけられることです」。

「相手の心に火をつけることは、ただ一方的な命令やおしつけでできるものではなく、こちらも燃えて相手と一つになり、相手のかくれた可能性を見いだして、これを燃やすことである」。

「生きよう今日も喜んで。生きるとは燃えることなり。人生はニコニコ顔の命がけ」。

先生からは、毎日、少しずつ学んでいます。間口が広く奥行きの深い、素晴らしい先生。先生に感謝。

『いまを大切に』(平澤 興 一日一言)

「今日一日の実行こそが人生のすべてです。それ以上のことはできない」。

『いまを大切に』、重要に思います。

2021-12-18

「縁尋機妙」:人間学の学び、講演者との縁

「縁尋機妙(えんじんきみょう)」、良い縁がさらに良い縁を尋ねて発展してゆく様は誠に妙(たえ)なるものがあるとの教え。

11月から2ヶ月に1回程度、5回シリーズで開講している「市民講座:シリーズ人間学を学ぶ」。私の知り合いなどに講演を依頼。知り合いから知り合いへの「縁尋機妙」を感じます。その一端を紹介します。

先日、山形大で5年間お世話になった元教授の方に「人間学を学ぶ」の趣旨を説明し、講演のお願いをしました。

「このような企画は、本当に必要です。喜んでやらせて頂きます。これまでの自分の人生を振り返る意味でも有難いです」と、二つ返事で快諾。有難い、感謝です。

私が山形大で教育を担当していた時、この先生には、文科省事業の立ち上げと実施でお世話になりました。

授業の一環として、参加学生をベトナムの連携大学に連れて行き、学生が自ら立案した現地活動の教育プログラムを実施。学生諸君は、ベトナムで現地の大学生との交流も含め多くを学びました。

この先生は70歳半ばを迎えた今も、色々な関係者からお声がかかり、山形県内はもとより県外の企業と大学教員のマッチングや、講演及び講義に東奔西走されています。

このように色々な方からお声がかかるのは、何故かと考えました。先生は、フットワークが軽く動きが速い事も重要な要因です。

また、常に読書し、生涯学びの習慣があるのもその理由の一つに思います。このような生き方が、「縁尋機妙」を生じさせる一因かと考えます。心身共に若い。

ふとウルマンの「青春」の詩を思い出しました。

青春とは人生の或る期間を言うのではなく心の様相を言うのだ。優れた創造力、逞しき意志、炎ゆる情熱、怯懦(きょうだ)を却(しりぞ)ける勇猛心、安易を振り捨てる冒険心、こう言う様相を青春と言うのだ。

年を重ねただけで人は老いない。理想を失う時に初めて老いがくる。歳月は皮膚のしわを増すが情熱を失う時に精神はしぼむ。・・・。

人は信念と共に若く、疑惑と共に老ゆる。人は自信と共に若く、恐怖と共に老ゆる。希望ある限り若く、失望と共に老い朽ちる。・・・。

「青春」、重要に思います。

先生に「シリーズ人間学を学ぶ」の講師候補者をお聞きしたら、資生堂の女性元役員を紹介されました。早速、その方に講演を依頼したら二つ返事で快諾。

「縁尋機妙」です。有難い。感謝です。

『勝縁を結ぶ』(安岡正篤 一日一言)

「平生からおよそ善い物・善い人・真理・善い教・善い書物、何でも善いもの・勝れているもの・尊いものには、できるだけ縁を結んでおくことです」。

「これを勝縁といい、善縁といいます。とにかく、折角善い人に会い、善い書を見、善い話の席につらなりながら、キョトンとしたり、欠伸(あくび)をしたり、そっぽを向いたりしている人間はだめであります」。

「うつけ者です。大体そういう人間なら、諸君は決して事を共にしてはいけない。そういう人間を友にしてはいけない」。

「むしろ何でもないようなことでも、耳を傾けたり、眼を光らせたりする人であったら、何か見どころのある人間なのです」。

「もちろん形骸は眠っておるようでも魂が輝いておる人もおりまして、凡眼ではなかなか見わけがつきません」。

『勝縁を結ぶ』、重要に思います。

2021-12-16

四季のある日本好きです、「冬支度完了」

山形大に在職中は、欧米及びアジア・アフリカの研究者と国際共同研究を楽しみました。その一つが、インドネシアの友人たちとの2つの共同研究。

この共同研究中の約10年間は、毎年、1回から2回、古都ジョクジャカルタを訪問していました。

12月の吹雪が吹きすさぶ真冬の庄内空港を離陸し、快晴の羽田空港に着陸。羽田空港のロッカーに冬着を預け、常夏のインドネシアのジャカルタに向かいます。

羽田から7時間半でジャカルタ、スカルノハッタ国際空港に着陸。南国特有の匂いが好きでした。常夏、年中暖かいのは贅沢だと感じます。

ジャカルタから飛行機で1時間、ジョグジャカルタに到着。そこで1週間程度の共同研究を実施し、帰国すると日本は真冬。肌に突き刺す寒風に目が覚めます。寒い日本、いいなと感じます。常夏のインドネシアも魅力的ですが、四季がある日本、いいです。

私達が冬支度をするのと同じく、樹木なども冬支度が必要です。雪国では、この冬支度を怠ると、樹木が雪の重みに耐えきれず折れます。特に果樹は、翌春の収穫に影響が出ます。

先日、師走にしては珍しく快晴で温かい日がありました。早速、ブルーベリー32本の冬支度。縄でブルーベリーを縛ります。半日仕事。来春の収穫が楽しみです。

その後、我が家の野菜を見たら、キャベツ、白菜、大根、小松菜、チンゲンサイなどが青々として収穫を待っていました。早速、収穫し、夕食の食材。大地の有難さを感じます。

娘が買った芽キャベツの苗を秋に移植。何時頃、何処から芽キャベツができるのか楽しみでした。出ました、出ました。横からボコボコと芽キャベツ。たくさん実り、楽しく収穫。

穏やかな日を迎えた数日後、今年一番の寒気、暴風雪を経験。今年も冬支度を完了し、樹木は、静かに越冬です。来年の収穫が楽しみです。

『元気』(安岡正篤 一日一言)

「われわれは「気」を養うということが、一番根本の大事だ。いわば生のエネルギーを養うということ、いい換えれば「元気」ということが一番である」。

「元気がないというのは問題にならぬ。しょぼしょぼして、よたよたして、一向に反応がないなんていうのは、論ずる価値がない。とかく人間は有形無形を論ぜず、元気というのがなければならない」。

「元気というものは、つまり生気である。生のエネルギー、生々(いきいき)しておるということである」。

『元気』、重要です。元気な人と会うとこちらも元気になります。不思議です。