2023-08-30

今年度第2回、『シリーズ人間学を学ぶ』

8月下旬、今年度第2回、『市民講座:シリーズ人間学を学ぶ』を開催しました。少し紹介します。

講演者は、(株)MSI 金子昌弘社長。演題は、「企業は人なり 人の差が企業の差 人間力を高めよう」。

『山形新聞』では、金曜日に企業の社長さんのインタビュー記事が掲載されます。私は、毎週その記事を楽しみに一読。金子さんの記事を読んで「人間力」を重要視されていることに関心を持ちました。

そして、社長さんに面会。多面的な情報及び意見を交換し、講演を依頼して快諾。

金子さんが最も影響を受けた人物とその教え。まずは、京セラ創業者の稲盛和夫さん、『動機善なりや 私心なかりしか』など多数の教えを受けたとのこと。

また、イエローハット創業者で掃除哲学提唱・実践者鍵山秀三郎さんからは、『凡事徹底:当たり前のことを人には真似できないほど一所懸命にやる』。社員の皆さんも「山形掃除に学ぶ会」で精力的に活動。

さらに、経営コンサルタントの一倉定さんから『会社は社長の器以上に大きくならない』。

そして、座右の銘は、「率先垂範」、「凡事徹底」。

「率先垂範」、「凡事徹底」、学びました。実践したいと思います。

下述は【講演概要】。

「弊社は山形市に本社を置き、県内はもとより東北・全国で事業活動をしている IT 会社です。企業のコーポレートメッセージは、“人とシステムと未来を創る MSI”と定め、人間性・人間力にフォーカスして経営をしております」。

「IT 会社というと、ディジタルな考え方を重視し、論理的・合理性を追求し、自由な風土の中で個を大切にしている会社が多い中、弊社はアナログな考え方を重視し、“皆で事を成す”をモットーに、全体主義・連帯感・協調性を追求している会社です」。

「「日本一変わっている IT 会社」の実施している研修や人間性・人間力を高めるために行っていることをお話させていただきます」。

金子さんは、40歳でMSIを設立。そして、それを発展されるには、多大なるご苦労があったことと推察します。

「日本一変わっている IT 会社」のMSI、下請けは一切なく、全て元請け。MSI、今後、益々進化し、発展すると感じます。

MSIは、「お客様に満足していただき、社員が豊かで幸せな生活を送れる会社を作り、地域社会に必要とされる会社になる。目指すは、「小さくともキラリと光る」山形のソリューションカンパニー」とのこと。

「社是」は、謙虚・誠実・一所懸命。

MSIが求める人材は、社員の人間力・人間性を追求し続ける当社社風に心から共感し「あたりまえのことをアタリマエに」共に実践していこうという覚悟を持った人。

「あ:明るく元気な挨拶と返事ができる人」。「た:謙虚+誠実+素直+穏やかな心と感謝心=平らな気持ちを意識し続ける人」。「り:自分なりの理想・ビジョン・信念を持った人」。「ま:前向きで積極的でチャレンジ精神豊かな人」。「え:笑顔絶やさぬ人」。

「アタリマエ」、人間力の必須項目が全て含まれていると感じます。

今回の講演では、MSIの「企業理念」、「経営理念」、「社是」、「MSIが求める人材」等に関して多面的に学び、改めて人間性や人間力の重要性を再認識しました。

さらに率先垂範されて社員の皆さんが喜んで働ける環境や社風を作る金子さんの凄さを感じます。

市民講座に参加された方々も、貴重なひと時と講演を多面的に学ばれ、今回の講演は、『人間学講座』の趣旨である「参加者が自らの人生を考える一助」になったことと思います。

「企業は人なり、人の差が企業の差、人間力を高めよう」。人間力、学びました。講演中、姿勢が良く、常に笑顔を絶やさない金子さん。爽やかな出会い、縁に感謝です。

『成功は苦辛(くしん)の日に』(安岡正篤 一日一言)

「先賢が教えてくれている──愚はよく他の欠点を挙げるが、自己の欠点を知らない。話はうまいが、行いはつまらぬ」。

「若い時はうかうかして過ぎ、壮時(そうじ)にはせかせか動き廻り、老年には愚痴ばかりになり易い」。

「正に、敗事は多く得意の時に因(よ)り成功はつねに苦辛の日に在る。やはり平生能(よ)く道を聞くことだ」。

『成功は苦辛の日に』、肝に銘じたいと思います。

2023-08-28

我が家の果樹園側溝掃除に蛍観察を思い出す

数日前、全国各地の最高気温に関するニュースを見ました。札幌36.3度、鶴岡38度、那覇32度、札幌は観測史上最高温度を記録。晴天続きの鶴岡、猛暑です。

先日、猛暑がやってくる早朝に我が家の果樹園の側溝の掃除。1年に2回程度側溝の中の草を除去。これを行わないと側溝が草で覆われ、水の流れが悪くなります。

本日は、先日行った側溝の草の除去にかつての我が家の蛍観察を思い出したので少し記します。

この側溝、我が家の果樹園を横切って150メートルはあります。側溝の中には、厚さ5センチ程度の根を張ったパッチ状の草が繁茂。これをスコップで陸揚げ。暑い中、2時間の労働、2キロ体重減。

写真は、掃除前後の側溝


趣味の農業を楽しむには農業以外にも諸々の関連業務が付随。16年前に松ヶ岡に移住し、当時は側溝にコンクリート製U字溝はなく、土の水路には水草が生育。水路の除草もなし。それなりの風景が維持。

そして、6月には、その水路周辺から蛍が飛び、家族で蛍観察を楽しむ。ある日U字溝が埋められ、その年以降、蛍の出現はなし。環境が改変されると、そこで生活していた生物に負の影響を与える実例。

蛍の幼虫は、カワニナを餌とし、幼虫は陸に上がり地中で蛹化。そして、翌年成虫が羽化。U字溝の設置でカワニナが絶滅し、さらに蛍の幼虫の地中での蛹化が不可能となる。

その結果、我が家の果樹園での蛍観察会は終了。一瞬のできごとでした。


子供が小学生のころ、松ヶ岡子供会の行事として蛍観察会を実施。かつて昆虫生態学が専門の私、毎年、パワポで蛍の説明をし、その後、みんなで蛍観察。

今では、懐かしい思い出です。松ヶ岡では今でも蛍が飛んでいます。環境の改変が激しい今、生物との共存は簡単ではありません。我が家の果樹園側溝掃除にかつての蛍観察を思い出しました。

鶴岡、連日38度の猛暑、降雨なし。洗濯物はすぐに乾いて有り難いのですが、農作物や私達が干からびそうです。一雨来て、早く涼しくなって欲しいです。

『因果の法則』(安岡正篤 一日一言)

「人間には奇跡というものはありません。奇跡などというのは研究不足、勉強不足の者の言葉でありまして、原因・結果というものは常にはっきりしておるのです」。

「悪いことをしますと、いつかは悪い結果があらわれ、善いことをすれば善い結果があらわれる、というのは厳粛な自然の法則であります」。

「したがって人間は因果律というものを大事にしなければなりません」。

『因果の法則』、当たっています。大事にします。

2023-08-26

庄内の夏、赤川花火大会と我が家のBBQ

先週19日の土曜日、4年ぶりにコロナ禍前の赤川花火大会が復活。この日は長女と次女夫妻や孫及び次女の友人等12名、夕方から我が家の裏庭でバーベキュー(BBQ)と、その後の花火観覧。少し紹介します。

山岳部出身の次女夫妻企画で19日朝4時に次女夫妻、友人2名、次男の登山隊が我が家に集合。私は、4時半から湯殿山神社に向けアッシー。登山隊は湯殿山口から月山を登頂し、8合目の駐車場で待ち合わせ。

アッシー運転手の私、我が家と月山8合目まで往復2時間。久しぶりの「アッシー」な日。

そして、午前中、BBQ係の「やっさん」、肉屋でタップリ肉を仕込み飲み物を準備してBBQの宴のセッテイング。人数が多いと冷たい飲み物で喉を潤し、焼きたての肉を頬張るBBQは、最高。野外の開放感が良い。

BBQ係の「やっさん」、大まかな段取りと必需品を指示。その後は、椅子に座って冷たい飲み物を「グイッ」とやり、肉が焼けるのを楽しく待つ。

若人が肉をドンドン焼き、「やっさん」は美味しく食す。何となく「小市民的(?)」な至福の一時。参加者とポツリポツリと情報及び意見交換を楽しむ。「やっさん」、「グイッ、グイッ」とピッチがあがる。

娘達とその配偶者及び友人が一堂に会するBBQ、「縁」を感じます。一通り肉を食すると周囲が薄暗くなり、赤川花火大会の開催。何時もの観覧席に向け、全員車で移動。

花火観覧用の冷たい飲み物を右手にしっかり握りしめ庄内の夏の風物詩を約2時間観覧。


昔の花火と違い、色々な花火があり工夫と独創性が感じられた花火大会。右手の冷たい飲み物が進みます。


最後は、昔ながらの大輪の花火が連続して打ち合上げられ、花火大会は終了。



毎年、花火が終わると夏が過ぎ去って行き、何となく物悲しさを感じます。

子供の頃、故郷の一番大きな街で夏祭り。その一環として花火大会があり、家族で観覧。そして、出店で金魚すくいや水に浮かんだヨーヨー釣りを楽しみました。ふと子供の頃の夏の風物詩を思い出す。

日本の夏、花火大会、良いですね。来年の花火大会を楽しみに、これからの1年も健康で楽しく過ごしたいと思います。赤川花火大会実行委員会の皆さんに感謝です。来年もよろしくお願いします。

『いつも明るい顔で』(平澤 興 一日一言)

「実際のところ、嬉しいときに嬉しい顔をしておるのは、これはもう誰にでもできるのでありますが、色々嬉しくないことがあります」。

「そういう場合にでも決して慌てず騒がず、他の人が見ると全く平和な日と同じように見えるような顔、そういう顔を実際に私の周囲でも知っております」。

「これは平凡ではありますが、ある意味では人間の修練の最後の段階かもしれません」。

「したがってそれは、ぼけてそういう顔は駄目なのであります。同時に安らかな顔ではありますが、絶えず求めている、絶えず人間としての向上を目指さないところには、そういう明るい顔は出ないのであります」。

「退屈をするような人間にはやはり退屈の表情しか出ないわけであります」。

『いつも明るい顔で』、肝に銘じたいと思います。

2023-08-24

研究の思い出(9):山形大(2)、テントウムシ

山形大赴任後は「世界に冠たる研究室を目指す」との大きな夢を描き、捕食者群集の共存機構等の解明を目指し、「ど真剣に頑張る」一大決心。

赴任した春に捕食性テントウムシと出合い、その後、アブラムシ捕食性昆虫との10年以上の付き合いの開始。本日は、まず研究開始時に2名の修士学生が行った研究を中心に、その一部を紹介します。

今から31年前の1992年4月、山形大学に赴任。その後、農学部圃場に行き、研究材料となる虫を探索。

圃場にはムクゲがあり、そこでアブラムシとその捕食性テントウムシの幼虫を発見。「これは、研究材料になるな」と直感し、テントウムシについて文献調査。

テントウムシの生活は、知られているが、産卵場所の決定や餌をめぐる同種及び他種との関係は、未知。

テントウムシが発育するには、餌が必要。テントウムシは、アブラムシの多いところに産卵するか。この産卵の仕方は、テントウムシの種類で違うか。

卵から孵った幼虫は、餌をめぐり競争するか。この競争には、強い種と弱い種がいるか。テントウムシとそれ以外の捕食性昆虫の餌をめぐる競争の強さはどうか。

多種の捕食者が共存する仕組みは何か、等々と素朴な疑問が浮かびました。このような疑問を明らかにするため、その後10年以上、学生諸君と一緒にワクワクしながら研究に従事。

最初の学生は、1993年の修士学生。ナミテントウとナナホシテントウを対象にアブラムシの発生とこれらのテントウムシの産卵及びその後の発育を調べる生命表を野外のムクゲで作成。

生命表は、昆虫等が卵から成虫までの発育段階にどのような死亡要因で数が減少するかを記す表。

毎日、ムクゲのアブラムシと2種のテントウムシの卵や幼虫、蛹等の死亡要因と生存数を記します。根気と忍耐力のいる仕事。

2年間の野外調査の結果、アブラムシの減少により、ナミがナナを捕食することを観察。テントウムシは、アブラムシだけを餌にすると考えていただけに、これは驚きの発見。

ナミによるナナの捕食は、ナミが4齢幼虫で餌が減少した時に多発。しかし、野外でナミがナナを捕食するのを観察することは希。

そこで、図のような装置のムクゲに、アブラムシとナナ及びナミの単独区と混合区を設置し、2種の発育と死亡要因を解明。

その結果、野外観察と同じようにナミが4齢幼虫になり餌が減少するとナナへの捕食やナミ同士の共食いが発生。しかし、ナナがナミを捕食することはなし。

この研究は、1995年の修士学生によりナナ及びナミと、それより少し小さいヒメカメノコテントウを加えた3種を対象に、ムクゲからの移出も含んだ種間相互作用の研究に発展。

生息場所が不適になると新天地を求めて移動することは、生物の重要な生存戦略。実験の結果、3種のテントウムシのムクゲからの移出の種間差を発見。

ナナはアブラムシがなくなるまでに8割がムクゲから移出。一方、ナミとヒメは、餌がなくなっても移出は1割以下で、9割以上はムクゲに滞在。

ナミは、アブラムシが減少後、4齢になると他種を捕食。この実験では、ナナは餌がなくなる前に移出し、ナミによるナナの捕食は、ほとんど発生せず。

一方、滞在期間の長いヒメは6割の幼虫がナミに捕食。この結果は、1995年のケージ実験の結果とは相違。実験設定は、野外の状況を反映する必要があることを2人の実験結果から学びました。 

テントウムシの研究を始めて3年目に「アブラムシ捕食者の国際シンポジウム」がベルギーで開催されるのを知る。指導学生と話し合い、3種のテントウムシの種間関係の研究をシンポの口頭発表に登録。

ベルギー出発前、「もしシンポで最優秀講演者賞があれば受賞するかもよ」と話す。動物的な勘(?)が働く。シンポは、1996年9月に開催。指導学生が発表後、数多くの質問。多くの研究者が発表に関心を持つ。

そして、発表後シンポの会長が、私の処に来て興奮しながら「この研究が何故素晴らしいのか」を説明。大変嬉しく、至福の時。

シンポ最終日に最優秀講演者賞の発表。会長の英国人教授が、舞台中央から左右に歩きながらシンポの感想を述べ、一瞬中央で立ち止まり正面を見つめて最優秀講演者の名前を発表。

「最優秀講演者賞は、山形大学、サトル・サトウに決定」。この発表が終わるやいなや、「Congratulation! (おめでとう)」と拍手の嵐。多くの研究者から祝福の握手を求められ、言葉には表わせない感動。これは生涯忘れられない思い出。

オックスフォード大やケンブリッジ大等多くの欧米の優れた発表の中での唯一の受賞。「世界に冠たる研究室を目指す」との夢に一歩近づいた瞬間。指導学生に感謝です。

『道を拓くもの』(平澤 興 一日一言)

「若人よ、諸君が覚悟をして燃える時、諸君には自らもわからぬような無限の可能性が展開されるのだ」。

「この可能性の展開は、いわゆる頭のよしあしの問題ではなく、実に諸君の火と燃える意志と何ものにも負けない不屈の努力にある。情熱、実行、努力、これこそが諸君を生かし、諸君を伸ばす力である」。

「諸君はその目的に向かって全情熱を傾けることだ。不屈の意志のあるところ、道は拓ける」。

『道を拓くもの』、心に留めたいと思います。

2023-08-22

『第2回市民講座:人間学を学ぶ』のご案内

多面的に活躍されている多彩な方を講師とし、山形学習センターで2021年度から毎年『市民講座:シリーズ人間学を学ぶ』を開講しています。

本日は、8月26日(土)本年度第2回目の『市民講座』を少し紹介します。

『市民講座:シリーズ人間学を学ぶ』 第2回 「企業は人なり 人の差が企業の差 人間力を高めよう」

日時 2023年8月26日(土)13時30分~15時

場所 放送大学山形学習センター 講義室

講演者 株式会社 エム・エス・アイ代表取締役社長 金子 昌弘 氏

事前申し込み:電話023-646-8836、メール ymg-sc@ouj.ac.jp

放送大学の学生以外の方も聴講できますので、ふるってご参加ください。

【講演概要】を以下に記します。

「弊社は山形市に本社を置き、県内はもとより東北・全国で事業活動をしている IT 会社です。企業のコーポレートメッセージは、“人とシステムと未来を創る MSI”と定め、人間性・人間力にフォーカスして経営をしております」。

「IT 会社というと、ディジタルな考え方を重視し、論理的・合理性を追求し、自由な風土の中で個を大切にしている会社が多い中、弊社はアナログな考え方を重視し、“皆で事を成す”をモットーに、全体主義・連帯感・協調性を追求している会社です」。

「「日本一変わっている IT 会社」の実施している研修や人間性・人間力を高めるために行っていることをお話させていただきます」。

『山形新聞』では、金曜日に企業の社長さんのインタビュー記事が掲載されます。私は、毎週その記事を楽しみに一読。金子社長さんの記事を読んで「人間力」を重要視されていることに関心を持ちました。

そして、社長さんに面会。多面的な情報及び意見を交換し、講演を依頼して快諾。多くの方が金子社長さんの生き方や会社の経営及び社員の育成方法等を学ばれることを期待しています。

この『市民講座:シリーズ人間学を学ぶ』の開催趣旨を紹介します。

「人生を如何に生きるか」との命題は、二度ない人生を生きる私たちにとり重要な問題の一つです。

しかし、私たちの多くは、日々の忙しい生活に追われ、ゆっくりと人生について考える時間が少ないのかもしれません。

そのような中『市民講座:シリーズ人間学を学ぶ』の趣旨は、講演者が歩んできた人生等を紹介し、その多面的な学びを通じ、参加者の皆さんが自らの人生を考える一助にすることです。

ここでは「人間学」を「人生をより良く生きるための人としてのあり方に関する多面的な学び」と広義の意味で捉えたいと思います。

幕末の儒学者佐藤一斎先生は、『言志四録、三学戒』の中で「少(わか)くして学べば壮にしてなすあり。壮にして学べば、老いて衰えず。老いて学べば、死して朽ちず」と生涯の学びの重要性を指摘しています。

本講座では、多くの皆さんが、忙しい中で生活している今、ちょっと立ち止まり、少しの間、生涯の学びの一つ「生きること」を一緒に思索できれば嬉しく思います。

ご講演いただく金子社長さんに感謝です。

『求めるとぶつかる』(安岡正篤 一日一言)

「書物でも、何か真剣に研究を始めて本屋へ入ると、それに関連する文献は必ず目に入る。不思議に、それこそ本に霊があるかのように、待ってましたといわんばかりに、ふいっと目に入る」。

「これは本屋漁(あさ)りする人は皆経験することだ。ところが、こちらが何の問題意識もなしに、つまり空々漠々で本屋へ行っても、くだらない駄本しか目につかない」。

「それと同じように、人間も真剣に求めていると必ず求める人物にぶつかるものです。生きた人物にもぶつかるし、故人にもぶつかる」。

『求めるとぶつかる』、心に留めたい箴言です。

2023-08-20

アシナガバチと『ハンムラビ法典』

先日の早朝、「庭師」として庭木の剪定を楽しみました。そして、60年ぶりにアシナガバチに「ブスリ」とやられる。本日は、アシナガバチの思い出と『ハンムラビ法典』を少し紹介します。

サツキをエンジン付きバリカンで剪定中、サツキからアシナガバチが6匹出現。かまわずに「バリバリバリ」と剪定を続けたら1匹が腹部を私の左手めがけて突進。一気に「ブスリ」。「イテテテテ」。

子供の頃にアシナガバチに刺された経験があり、本能的に刺された部分の毒を口で吸い取る。

『ハンムラビ法典』、「目には目を、歯には歯を」が頭に浮かぶ。元昆虫生態学者の我が家には、立派な捕虫網がある。6匹のアシナガバチを一網打尽に捕獲しヒネリつぶすは朝飯前。網での虫捕獲に自信あり。

家内に「捕虫網を持ってきて」と依頼。家内が、「どうしたの?」と聞くので、「『ハンムラビ法典』を紹介し、「目には目をだ。ハチを一網打尽にしてヒネリつぶす」」と宣言。

「アシナガバチは、イモムシ等の害虫の天敵だからほっておいたら」と呑気なことを言う。「あんたは刺されたことがないから、そんなことがいえるんだ」と指摘。すると「最近、鼻の頭を刺された」と言う。

「そうか」と、少し冷静さを取り戻した元昆虫生態学者。男は、簡単に取り乱すわけに行かない。

一呼吸置き「そうだな、侵入害虫のアメリカシロヒトリの二世代目、6齢期の重要な死亡要因はアシナガバチだ」と昔、講義したアメリカシロヒトリの生命表を思い出し、家内に説明する。

ハチに刺されても平気な家内の手前もあり、平静さを繕い、「まあ、今回は許すか」とハチと手打ち。

そして、元昆虫生態学者、子供の頃のアシナガバチとの戦いを思い出す。小学生の頃、家の軒下にアシナガバチが営巣。ハチの子は、栄養があるとかで、巣を取ってはウジ虫のようなハチの子を丸吞み。

勿論、何時も簡単に巣が取れるわけではなく、巣には必ず親蜂が複数滞在。長い棒で巣をタタキ落とそうとすると必ずアシナガバチが来襲。宮本武蔵のように木の棒で来襲したハチをタタキ落とすが、武蔵のように全て上手くタタキ落とせず、時々、頭を刺されて頭がボコボコ。

60年ぶりにハチに刺され、昔を思い出す。今は、ハチの巣を取る子供もいないと思う。

かつての子供達は痛い目に遭いながら、体験を通じ色々と学んだ。学校で学んだ勉強のことは記憶にないが、野外での体験は年をとっても記憶から去ることはない。体験、重要に思います。

インターネットで『ハンムラビ法典』を調べると「復讐してヨシ」ではなく、「復讐はしすぎるな」という抑止の意図だったとか。

そこで「目には目を、歯には歯を」という一説の真意は、「こちらがやられたこと以上の過剰な復讐をしてはならない」と、過剰な報復合戦を防ぐ目的で条文化されたのではないか?という学説が有力。

つまり「やり返せ!」と煽るのではなく、むしろ「やられて悔しい人は、同じ程度の復讐をする程度でとどめなさい」という、抑止の意図でつくられたらしい。

この度、アシナガバチと手打ちをしたので復讐はありません。ハチのヒト刺しで『ハンムラビ法典』、学びました。

『余裕』(安岡正篤 一日一言)

「「千万人と雖も吾往かん」と言った孟子が同時に別面において、「豈綽々余裕有らざらんや」と言って余裕というものを論じておりますが、こういう乱世になればなるほど、われわれは余裕というものを持たなければならない」。

「余裕があって初めて本当に物を考えることも出来る、本当に行動を起こすことも出来るわけです。殊に善人は神経が細いから、尚更本当の意味の余裕が必要であります」。

『余裕』、重要に思います。

2023-08-18

60代最後の誕生日、「人間晩晴を貴ぶ」を思う

8月に60代最後の誕生日を迎え、「人間晩晴を貴ぶ」が浮かぶ。本日は、誕生日等について少し記します。

誕生日を迎える毎に歳が一つ増える。これは全ての人に共通事項。我が人生を振り返ると10年毎に人生の変化がありました。

10代から成人式を迎える20歳。そして、20代。大人としての振舞の必要性を感じつつ、よく学びよく遊びよく呑んだ元気溌剌20代。

30代、結婚、就職、子供の誕生。公私とも生活の変化が大きく、生活の充実度は向上。40代、山形大での研究が軌道に乗り、ほぼ毎年欧米の友人達が鶴岡に滞在して楽しい共同研究。研究の充実度が向上。

50代、40代後半から50代は想定外の農学部及び大学執行部役員。50代前半は農学部長、50代半ばから大学の理事副学長の管理職。60歳半ばで大学管理職を終え、「大学も卒業」。その後、第二の人生の放送大学。

60代最後の誕生日、結婚し出産した長女や次女が孫と里帰りし、賑やかな誕生会。次女が、唐突に「60代最後の誕生日のメッセージは何ですか」と訊く。

一瞬考え、「「天意夕陽を重んじ、人間晩晴を貴ぶ」が浮かぶ。これからの人生かくありたい。今のところこれから何を具体的にやるかのイメージはないが」と応える。「渋沢栄一さんですね」と娘。

渋沢栄一氏は、晩年に「天意夕陽を重んじ、人間晩晴を尊ぶ」を好んで揮毫。

これは、「太陽は一日中働き、沈む瞬間に鮮やかな光を放つ。夕陽があんなに美しいのは、天がそういう生き方を賞賛しているからである」。

「人間もまた夕陽のように、晩年になればなるほど晴れ渡り、残照で周囲を照らすような生き方がよい」との教え。

私も含め多くの人は、60代と70代での人生、生活はおのずと異なると思う。60代では第一の人生が終わる。そして、70代では、体力は低下し、「あの世からのお迎え」が近づくのも事実。

父は73歳で他界。60代で他界した同級生や知人の便りも耳にし、70代では他界する友人も増加すると推測。日本人男性の平均年齢81歳。70代、何時お迎えが来ても不思議ではない。

まだ加齢による体力等の低下は感じないが、これは遅からず経験することに思う。

今は、テニス、ボディビル、趣味の農業を楽しむが、何時まで挑戦できるかも楽しみの一つ。

また、70代の職業選択の自由も低下。70代、色々と自由度は低下するが、挑戦は死ぬまで可能と思う。

「人間晩晴を貴ぶ」を心に描き人生を楽しみ、心穏やかに晩年を過ごす。そして、さらなる挑戦も継続。このような晩年を過ごしたいと思う。

60代最後の誕生日に我が人生を少し振り返りました。第三の人生、少しワクワクです。

『50、60「花ざかり」』(平澤 興 一日一言)

「年をとると、偉そうにいうようになるが、本当に偉い人は、偉そうにはいわぬ、大体偉そうにいう人は成長が止まっている」。

「例えば、50、60は「はなたれ小僧」などと見下げたようないい方をするよりも、50、60「花ざかり」、70、80で「実がなって」、90、100歳は「熟れ盛り」などというような気持ちになることが本当です」。

「本当に人生を楽しむのは80歳からである。この歳になってがっくりする人と新しい人生に燃える人が出てくる」。

80歳から人生を楽しむためにも、常に心と身体を少し鍛え、自由度を高く維持したいですね。まずは、70代を楽しむ。