2023-12-30

山形大「戦友」教員との夕食会、「教育改革」

前職山形大、最後の8年半は、教育及び国際交流を主たる業務とし、学部や大学院の教育改革にも従事。

先日は、この教育改革等でお世話になった「戦友」教員との楽しい夕食会。約10年前を懐かしく思い出す。少し紹介します。

夕食会、まずは小鉢に7種類のお通し。ビールをグイッとやりながら小鉢をいただく、旨い。5年ぶりの再会、近況報告でビールが進む。私が執行部当時と今では、かなり執行部の雰囲気が違うとか。

具体的な違いを「肴(さかな)」にビールが進む。

さらにお造りが運ばれ、日本酒の熱燗を注文。熱燗をグイッとやりお造りを食す。教育について少し語る。

「学長は、国家観があり、それをもとに若人の教育に関するビジョンを示すことも必要に思う。私がお世話になった学長は、「ソフトパワー大国を目指そう、それには徳育が重要」だと方向性を示した」、と私。

「大学は、原点に返り人を育てることが基本に思う」と「戦友」。熱燗が進む。

そして、焼酎のお湯割りに変え、焼き魚と特製のきのこ汁をいただく。

私が、大学本部の教育担当理事・副学長の時代は、大学改革が重要視されていた時。基盤教育・学部教育・大学院教育の見直しと必要に応じた改革。それに向け知恵を出し、助けてくれたのが「戦友」。

当時の色々な事が思い出された。

その一つが大学の3つの方針の策定とそれを踏まえた教育改革。

3つの方針は、卒業認定・学位授与の方針(ディプロマ・ポリシー)、教育課程編成・実施の方針(カリキュラム・ポリシー)、入学者受入れの方針(アドミッション・ポリシー)。

2017年(平成29年度)より、すべての大学等が、この3つの方針を一貫性あるものとして策定し、公表することが義務付けられた。

まず、大学全体の3方針を策定し、それをもとに各学部の3方針、さらに学科やコースの3方針を策定。そして、大学には、この3方針に対応する教育の実施が求められた。

国立大学が大きく変わったのが今から19年前、2004年(平成16年)国立大学の独立行政法人への移行。

「国立大学が、自由な運営により、優れた教育や特色ある研究に各大学が工夫を凝らし、より個性豊かな魅力のある大学になるために、国の組織から独立した「国立大学法人」にする」。

この理由で全ての国立大学は、大学法人となる。「法人にすることで、文科省の意向にあまり影響されずに大学も変革でき、多面的な自由度が上がる」と言われたが、そうでもない。

法人化後、各大学は、6年毎に中期目標・中期計画を策定して大学を経営。毎年、大学評価・学位授与機構による各年度の目標及び計画に対する実績評価。

中期目標策定の6年後には、6年間の教育・研究・社会貢献・管理運営等の評価。そして、大学への経費の一部が評価に応じて配分。

「戦友」と杯を交わしながら、私が関わった教育改革を思い出し、山形大の現状と今後について情報及び意見交換の一時。熱燗が進んだ師走の夜。「戦友」に感謝。

『老いを忘れる』(安岡正篤 一日一言)

「真の人物は気概があると共に、どこかゆとりがあって、楽しむ所がなければならぬ。それで初めて老いを忘れることが出来る。また実際に何時までも老いないで暮らすことが出来るのである」。

『老いを忘れる』、「真の人物は気概があると共に、どこかゆとりがあって、楽しむ所がなければならぬ」。肝に銘じたい教えです。

2023-12-28

研究の思い出(13):英国留学とその生活

今から約25年前、英国で家族4人、約10ヶ月間の海外生活。色々な事があり、それらは、貴重な経験と思い出です。本日は、英国での思い出や感想の幾つかを少し紹介します。

渡英前は、留学期間の半分は研究に没頭し、残りの半分は、英国人との付き合いや英国の歴史を知り、大英帝国の設立とイギリス人気質を多面的に学びたいと思う。

ノーリッジに到着し「親方」に会い、翌日、「親方」と研究討論。研究成果を示さないと全てが始まらないことを肌で痛感。後者の目的は消滅し、研究のみの生活に切り替える。

渡英して3ヶ月を過ぎると実験も軌道に乗り生活のリズムも出来、英国での生活を楽しむ余裕ができました。Rover社の中古車を購入し、休日は、海辺の保養地に家族でドライブ。

日本との違いも幾つか発見。ノーリッジ周辺の交差点に信号機はなく、あるのは「ラウンドアバウト」。交差点は環状道路となり、4方向から環状道路に車で入りグルッと回り行きたい方向の道路に出る。

この「ラウンドアバウト」、慣れると簡単で便利ですが、最初は出入りに少し戸惑う。

我が家のRover、見た目は立派。肝腎のエンジンが今一。寒いとかかり難いし、結構エンストを起こす。中古車屋は、帰国時に車を引き取ると約束。しかし、いざとなると引き取らず。貴重な体験。

英国滞在中に友人でシェフィールド大教員の家を訪問し、四方山話に花を咲かせる。彼の家は、150年前に作られた家で、タンスなどの家具は100年前の物だと紹介。

古くて良き物を購入して使い、それを子供達に引き継ぐのを楽しむ。そのような文化を大切にしているようでした。

また、英国には階級社会が存在。ネット情報によると、それは王室と世襲貴族の「上流階級」(全体の1%)及び、経済的に実力を得た人達の「中流階級」(40%)。そして、それ以外の労働者の「下級階級」(55%強)。

大学教員は、何となく中流階級で技官などは、下流階級のような雰囲気。このような階級社会(?)が、英国に存続しているのは少し驚きでした。

折角、英語の発祥地英国で生活するので英会話等も学習。週一度90分の個人レッスンと6月から3ヶ月間、英語を非母国語とする修士及び博士課程の留学生向け英語集中講座に出席。色々な国籍の約20名のクラス。

毎回宿題が出され、この対応が結構大変。元気な中東の学生から宿題の解答を見せてと頼まれ教えると、真っ先に手を挙げ私が教えた答えを発表。色々な学生がいることを学びました。

また、担当教員が話すジョークで多くの学生が笑うのに、私にはジョークが分からず頬が引きつることも体験。さらに授業の一環で大教室の講義に出席し、講義を学ぶ体験学習もあり。この講義も理解不能。

私の英会話能力の進歩は、少しでしたが、4歳の長女の能力は伸びました。英国では4歳からFirst School の小学校に通学。我が長女も4歳の10月から約5ヶ月通い、聞く話す能力は私以上。子供は、英語が上達するのは早い。しかし、忘れるのも早い。

滞在中に「学位授与式(Degree Ceremony)」があり出席。とてもシンプルで重厚な式。「親方」が名誉教授の称号を授与。この名誉教授は、研究室が使え給料も支払われる。日本とは全然違います。

英国では、大学教授は特別の職のよう。「親方」は、電話での対応で時々「This is Professor Dixon」と言って会話。これも日本とは違います。

英国は、緯度が高く夏は夜10時くらいまで明るい反面、冬は午後2時過ぎになると薄暗く寒くなります。

また、大学は学部毎に評価され、最高が5つ星。UEAの生物学部は、オックスフォード大やケンブリッジ大の生物学部と同じく最高評価の5つ星。生物学部建物の入り口に「よくやった生物学部」のビラが貼られる。

本日は、取り留めもなく「英国留学とその生活」の一部を記しました。懐かしい約10ヶ月の思い出。「親方」初め関係者及び家族に感謝です。

『元気』(安岡正篤 一日一言)

「われわれは「気」を養うということが、一番根本の大事だ。いわば生のエネルギーを養うということ、言い換えれば「元気」ということが一番である。元気がないというのは問題にならぬ」。

「しょぼしょぼして、よたよたして、一向に反応がないなんていうのは、論ずる価値がない。とかく人間は有形無形を論ぜず、元気というものがなければならない」。

「元気というものは、つまり生気である。生のエネルギー、生々(いきいき)しておるということである」。

『元気』、重要に思います。鶴岡の冬、元気に楽しみたいと思います。 

2023-12-26

日本と欧米の研究者の興味深い「反応の違い」

いよいよ年末、師走も終わりに近づいています。街中は、クリスマスや正月の飾り物で賑やかです。

そのような喧噪を離れ、柿畑等の農地に囲まれた我が家、その書斎でボヤッとしていたら、約40年前の日本と欧米の研究者の興味深い「反応の違い」を思い出しました。少し紹介します。

博士課程2年時、3年間の野外データをまとめ、その結果等を海外の著名人約20名と日本の著名人約20名に送りました。

海外の著名人からは、Nature や Science 等著名雑誌の別刷と丁寧な手紙。一方、日本の研究者からの返信は皆無。

この「反応の違い」に驚き、何故このような違い生じたのか興味を持ちました。しかし、結論から話すと、この違いの要因は特定できていません。下述の3つの仮説が浮かびました。

1.忙しさ仮説:欧米の研究者に比較し、日本の研究者は忙しすぎて返事を書く時間がない。この仮説は、却下。欧米のトップの研究者は、日本人研究者の数倍は多忙でしょう。

2.知人・非知人仮説:日本人研究者は、私の研究と名前は多少知っている知人。一方、欧米の研究者は、私の名前も研究も知らない非知人。知人・非知人の違いはありますが、それが「反応の差」に繋がる理由は不明。

3.研究関心仮説:私の専門は群集生態学。手紙を送った日本人研究者で私の専門と類似した専門の研究者はなし。一方、手紙を送った欧米の研究者の専門は群集生態学。私の研究への関心の有無が行動の差になったのかと思う。

もし、この仮説が妥当としても、論文として公表していない野外調査の取りまとめと拙い英文手紙に反応して親切な手紙と別刷りの送付は、驚きで不思議。欧米のトップ研究者のこの反応、嬉しい限りでした。

返信があった一人が群集生態学の大御所、UCLAのダイアモンド教授。カナダの国際会議後、教授の研究室を訪問したいと手紙を出すと、「会いましょう」との返事がすぐに来ました。

教授は、ニューギニアで鳥類群集の素晴らしい研究をされ、Ecology and Evolution of Communities や Community Ecology の編執筆者。

UCLA近くのホテルに宿泊し、教授と面会。教授は、ホテルまで迎えに来てくれ、ロスの高級レストランに一緒に直行。そして、美味しいフルコースの海鮮料理を注文。

教授とは、専門の生態学の話や、これまでの人生について多面的な話をし、とても楽しく貴重な一時を過ごす。

翌朝、教授の研究室を訪問。その時初めてUCLA医学部生理学教室教授であることを知る。生態学が専門だと思っていたのでびっくり。

写真は、教授とUCLA。教授からは、サインの入った著書を贈られる。



教授は、専門書以外にも注目される書を刊行され「銃・病原菌・鉄(Guns, Germs, and Steel: The Fates of Human Societies)」は、ピュリッツァー賞を受賞し、ミリオンセラー、115万部以上の販売。

かつて産経新聞に大きく「文春新書」広告、「コロナ後の世界:世界を代表する6人の知性が示す「未来」とは?」の真っ先に「ジャレッド・ダイアモンド教授」の名前を発見。

34年前のダイアモンド教授との面会を思い出す。

教授が、全く業績もない無名の日本人大学院生に会い、高級レストランに招待してくれたことは今でも「謎」。不思議な有り難い「縁」。

教授からは、余裕とユトリ、知的好奇心、鋭い洞察力を感じました。教授に感謝です。

本日は、日本と欧米の研究者の興味深い「反応の違い」を少し紹介しました。

『燃える心』(平澤 興:一日一言)

「生きるとは、情熱を持って燃えることだと思います。燃える心を忘れているような生き方は、気の毒な生き方ではないでしょうか」

ダイアモンド教授は、とても物静かな方。しかし、静かさの中に「燃える心」を感じました。「燃える心」、重要に思います。


2023-12-24

学会活動の思い出、最後の研究集会

研究者は、研究結果の公表や研究者交流として色々な学会に所属します。本日は、私が所属した学会で企画した研究集会等について少し紹介します。

今年度3月下旬にある学会で友人と最後の小集会、「「縁尋機妙・昆虫生態学の牽引者から学ぶ」(3)大崎さんと愉快な仲間達」を実施します。概要を記します。

「この小集会は、これまで昆虫生態学を牽引して来られ、現在も新たな研究の成果を発表されている方からご自身の研究の流れと、その時々でのテーマの決定、研究の苦労話や面白さ、今後の研究の方向性等、昆虫生態学を学ぶ後輩が役に立つと思われることの紹介を主目的としています」。

「さらに、「牽引者」の教え子の方から「牽引者」の方との関わりや学び、さらにはご自身の研究やお仕事等を紹介してもらいます」。

「第3回は、「大崎さんと愉快な仲間達」と題して、大崎さんとそのお仲間の坂田さん、大秦さんから楽しくワクワクするお話を紹介いただきます」。

「「縁尋機妙(えんじんきみょう)」と言う言葉があります。これは、「よい縁がさらによい縁を尋ねて発展していく様は誠に妙なるものがある」との意味です」。

「この小集会は今回が最後ですが、これが日本の昆虫生態学の発展の一助になり、参加者のみなさんにとり「縁尋機妙」になれば嬉しく思います。多くの方々の参加を心よりお待ちしています」。

大学院で博士号を取得し、その後、30年以上関連学会でシンポジウムや自由集会及び小集会等の研究集会を企画し、多面的に学びました。このような企画を中心に、発表者等が執筆した学術書籍も出版。

まず、最初の企画は、今から約30年前、日本生態学会、「自由集会:生物群集を考える」。私が30歳半ばのポスドク(博士号取得研究員)として理化学研究所の基礎科学特別研究員の時でした。

私も含み若い研究者3名で10年間毎年企画。講演会と「生物群集を考えるニュースレター」を毎年1回発行。これは総説(オピニオン原稿)とそれへの意見(コメント)、さらには講演会案内。

この企画は、自由集会、懇親会、ニュースレターの三部作。手前味噌ですが、従来の学会では、このような三部作の企画はなく、多くの生態学者から評価された企画でした。


この自由集会を通じ優秀な研究者と知り合いになり多くを学んだ思い出深い10年間。10年目には、『群集生態学の現在』の書籍も出版。

最後の自由集会の懇親会では「自由集会止めないで続けてください」と、多くの研究者からの要望。嬉しかったです。

次が、日本応用動物昆虫学会(応動昆)で「節足動物群集と総合的害虫管理」の小集会を5年間。これは毎回、海外の著名な研究者の招待講演も含みました。これも5年目に『生物間相互作用と害虫管理』として出版。海外の招待講演者の講演からも楽しく多面的に学びました。

その後、応動昆で「温故知新・昆虫生態学の大先輩から学ぶ」を5回。これは岩波ジュニア新書『博士の愛したジミな昆虫』として出版。

応動昆の小集会は、私より10歳及び、20歳若い研究者と3人での企画。優秀な若手の研究者から多面的に学び刺激を受けました。

そして、最後の研究集会として来年3月に「縁尋機妙・昆虫生態学の牽引者から学ぶ」第3回目の小集会を企画。

このような企画とその後の懇親会で多くの優秀な研究者と知り合いになったのは貴重な財産。一緒に企画してくれた共同企画者や講演者等関係各位、聴衆の皆さんに感謝です。

「学会活動の思い出、最後の研究集会」を少し紹介しました。来年3月末の仙台での学会、楽しみます。

学会での企画を振り返り、色々と挑戦することの楽しさを再認識。出会い、「縁」、重要に思います。

『覚悟と実行』(平澤 興 一日一言)

「長い目で見ると、人生を決するものは、ただその時々の勝負ではなく、生涯をつらぬく覚悟とその実行である」。

「口先だけでなく、真に人生に一つの夢をもち、この夢の実現に燃える情熱を注ぎ、日々の実行を重ねれば、必ずそこに道はある」。

『覚悟と実行』、重要に思います。

2023-12-22

研究の思い出(12):研究者交流、英国編(2)

本日は、ノーリッジのイーストアングリア大学(UEA)留学時に知り合ったチェコ、インド、米国の研究者との交流等について少し紹介します。研究者交流、英国編(2)。

英国での研究も3ヵ月が過ぎた7月、「親方」から、チェコの研究者が共同研究のため3ヵ月滞在するとの連絡あり。

チェコの研究者と3ヶ月間、研究室で同居生活。彼は、理論生態学が専門の数学屋。

写真は、チェコの首都プラハの街並み。

チェコの研究者に会い、私が知っているチェコ人として、東京オリンピック体操の金メダリスト、チャフラフスカ、テニスの世界トッププレイヤー、レンドル、作曲家のドボルザークと「新世界」の話をしたら意気投合。

大学内にあるパブ(居酒屋)に行きギネスビールで乾杯し、チェコと日本の情報及び意見交換。

共同研究の話も盛り上がり、日本を訪問し、私と共同研究をしたいとの意向。私が帰国後、日本学術振興会(学振)の外国人招聘研究員制度に応募を約束。

帰国後、その制度に応募すると採択。翌年、鶴岡に来て共同研究を開始。

それ以降、彼は2年に一度くらいの頻度で鶴岡に来て共同研究を継続。共著論文は、4編。私も学振の短期派遣研究員として家内と3人の娘を連れてチェコを訪問し、彼のサウスボヘミア大学で共同研究を実施。

そして、彼は自分のアパートを1ヶ月空けてくれ、我が家族は、彼のアパートで生活。チェコ滞在中は、彼が夕方アパートにやって来て、その後は、パブで多面的な情報交換。

彼は若いころ数学の国際オリンピックで二度銅メダルを獲得し、英語、ドイツ語、ロシア語、フランス語が堪能で「化け物」のような男。

同い年で、お互いお酒を愛する処が類似し、ウマが合いました。また、彼はサウスボオヘミヤ大学の副学長も経験し、大学運営の観点からも多面的で有益な情報及び意見交換を実施。

彼は、研究に集中すると全ての事が頭から離れ、食事も忘れて仕事に没頭する人。その集中力の凄さは異常で驚きです。世の中には、こんな人もいるのかとビックリ。

写真は、2000年にチェコの「心友」が経営する牧場を訪問した一葉。「心友」とその娘さん及び当時5歳の私の次女。

チェコの「心友」が帰国後、「親方」からインドの研究者が滞在するとの連絡。インド政府の国費留学試験を合格した「ツワモノ」。彼も物凄く優秀でハードワーカー。そして、帰国後、トリプラ大学の学部長に就任。

彼はお酒を嗜まないので一緒にパブに行くことはなし。夕方は研究室で紅茶を飲み、インドと日本に関する情報及び意見交換を楽しみました。

そして、日本での共同研究を希望したので、「日本学術振興会」の長期招聘研究員に申請。何と採択。鶴岡に10ヶ月滞在しての共同研究。彼は研究を楽しみ数多くの実験や調査を実施。共著論文は9編。

是非、インドに来てくれと誘われましたが、まだ実現していません。時間を作りインドに行けばよかったと、ふと思います。新たな世界を経験し、新たな出会いの可能性もあり。

「親方」がハードワーカーなので、訪問者もよく実験し論文を書く。チェコの「心友」の凄さにも驚きましたが、インドの「心友」の頭の良さにも驚愕。

三人目は、米国の「心友」。彼とは「親方」の研究室で研究期間の重複はなし。私が訪問する数年前に「親方」の研究室で研究を実施。時々「親方」との話で話題になりました。

彼が、1996年ベルギーでの国際シンポに出席することを知り彼の研究について下調べ。彼は、私と同じく生物群集を研究し優れた研究論文を発表。米国の生態学の著名な国際雑誌の編集委員も経験。

ベルギーでの国際シンポ、休憩時間に彼を見つけ少し研究の話をしたら意気投合。アジアから北米に侵入し、北米在来のテントウムシが激減。その機構を解明する日米共同研究の実施を約束。

ベルギーから帰国後、4年間の日米共同研究を学振に申請、「心友」は米国国立科学財団(NFS)に申請。ともに採択。相互の学生も含め4年間の相互交流研究を実施。これらの研究は、8編の共著論文として公表。

さらに、私の下で修士号を取得した学生が彼のところに留学し、5年で博士号取得。彼とは、家族を含めての長い付き合い。楽しい日々。

写真は、日米共同研究で渡米し、「心友」の大学の学部長主催BBQパーティー。「心友」と奥さん及びインドからの留学生。

また、「親方」は、5回程度鶴岡に来て共同研究を実施。共著論文5編。私の元修士学生が、「親方」の博士学生となり英国で博士号を取得。私の留学以外にも「親方」に色々とお世話になりました。

これらの「心友」は、私が鶴岡で2005年に国際シンポを企画した時、真っ先に駆けつけて協力。

若い時に自分の関連する分野の著名な研究者を訪問しての共同研究は、研究の刺激と学びだけでなく、研究に関する情報網の形成に大変有益だと思います。本日は、海外の「心友」との共同研究等の懐かしい日々を少し紹介。「光陰矢のごとし」を感じます。

『夢と情熱』(平澤 興:一日一言)

「残念ながら私は、生涯を通じて自信というものはついに持つことのできなかった人間であります。しかし夢をみながら、それにひたむきな情熱を注いで進むということはできました」。

「それが今日までの私の生涯です。もっとも自信を持てばそれに越したことはないかもしれませんが、しかし自信はなくとも燃える情熱と実行さえあれば必ず事は成るのであります」。

「自信はなくとも燃える情熱と実行さえあれば必ず事は成る」、心に留めたい教えです。

2023-12-20

研究の思い出(11):国際共同研究、英国編(1)

今から約25年前、私と家内、2歳と4歳の娘で英国ノーリッジのイーストアングリア大学(UEA)に留学。約10ヶ月英国人の「親方」と共同研究を実施。本日は、国際共同研究、英国編(1)を少し紹介します。

今回は、英国編3部作の第一部です。特に、「親方」と一緒に行った共同研究等を中心に紹介。

日本では、研究者の支援組織として「日本学術振興会」があります。そこでは毎年、滞在期間が10ヶ月の長期派遣研究員と1カ月程度の短期派遣研究員を募集。この「長期」に応募し、採択され英国留学。とても嬉しかった。

「親方」は、昆虫生態学では世界的に著名な研究者。当時私は、40歳過ぎでしたが海外留学は初体験。

成田からロンドン・ヒースロー空港まで直行便。初めてロンドンに着いた時は、建物や家並がどっしりとして、さすがかつての大英帝国と思いました。ロンドンで一泊し、ノーリッジに特急で1時間半。

「親方」が駅に迎えに来てくれ、ノーリッジの街並みを眺めてUEAのフラット(外国人用宿舎)に直行。「親方」と、明日の朝10時から研究室で研究の打合せを行うことを約束し、フラットで身辺整理。

海外を訪問する時、東西方向の移動だと時差ボケが生じ、2、3日は、日中ボーっとすることがあります。英国に到着翌日の「親方」との研究討論、時差ボケでしたが、そんなことを言う状況にない。

朝10時、「親方」と討論。早速、私がやりたいと思ったテントウムシの種間関係の研究を提案。

写真は、「親方」及びインドの大学から留学に来た研究者と訪問したケンブリッジ大学。

「親方」は、黙って聞く。そして「それは興味深い研究だ。しかし今回の安田の留学は、研究費が含まれていない。英国の大学も研究費が少なく大変だ。良かったらある仮説を検証する研究を一緒にやれたら嬉しい」。

「NOと言えない日本人」の私。「その仮説検証とは、どのような研究ですか」と私。「生物は、同一種でも雄と雌の体サイズが異なる種がいる。テントウムシでは、雄より雌が大きい」と「親方」。

「さらに雄でも体サイズは異なる。大きい雄もいれば小さい雄もいる。雌を巡る配偶者競争で、大きい雄が強いなら大きい雄が有利である」。

「もし、雌を巡る競争で大きい雄の優位さがなければ、小さい雄は餌の捕獲及び捕食に費やす時間が少なく、雌の探索や交尾に多くの時間を費やせる。これは小さい雄の「捕食・交尾仮説」と呼ばれている」。

「この雄の体サイズと捕食及び交尾との関係仮説を一緒に検証したい」と「親方」。「OK」と私。

その後、すぐに生物学部の機材倉庫に案内され担当者を紹介。必要な物は、ここでサインすれば入手可能と教えられる。

さらに、温室に行き技官を紹介。テントウムシ飼育に必要なアブラムシは、彼が対応することを知る。

「この立ち上げの早さ」、驚きでした。さらに仕事の分業が徹底しているのも驚き。日本の大学では、テントウムシを飼育する場合、まず餌のアブラムシが寄生するマメ等の植物を育て、そしてアブラムシを飼育。

全て、自分たちで実施。UEAでは、技官が対応し、研究者は研究に専念することが可能。

英国での仕事は、この仮説を検証し、英国の国際雑誌に論文が掲載されたこと。折角、英国で研究に専念できるので、私自ら実験を考案し新たな2つの課題にも挑戦。

1つは、「交尾回数と生涯産卵数が成虫寿命に及ぼす影響。交尾回数が多い雄や生涯産卵数の多い雌は、寿命が短いとの作業仮説を立て、それを検証」。2つ目は、「雄と雌の体サイズの違いが成虫寿命に及ぼす影響」。

前者は、論文作成のため文献探索中、1年前にショウジョウバエを使い類似した研究が世界で権威ある雑誌「Nature」に掲載されたのを発見。アイデアは良かったが、実験が1年遅れた。

今回のような室内実験は、初めての体験。人為的に餌量を操作し、体サイズの大小の個体を作り実験する方法に大変興味を持ちました。

さらに「親方」は、自然界で見られる法則性の発見やその法則を説明する仮説の提案を常に考える。この研究者としての姿勢も学びでした。

毎週月曜日の朝9時から「What is new?」で始まる研究生活も今では懐かしい思い出。これは「この1週間の実験で新たな発見は何か」との質問。そして1週間の結果に関する討論。色々と鍛えられました。

英国渡航後1ヶ月で生まれて初めて「ジンマシン」。英国滞在中は、「ジンマシン」の薬を毎日服用。帰国したら、「ジンマシン」は嘘のように消滅。英国生活、ストレスが大きかったのでしょう。

しかし、研究のみに専念できた約10ヶ月、とても楽しい留学。色々と刺激を与えてくれた「親方」に心から感謝です。

『笑いと成長』(平澤 興 一日一言)

「ある人が申しました。どこまで笑って暮らせるかということで、その人の人間としての成長がわかると」。

「ある人は80のところでもう怒ってしまう、ある人は70のところでへこたれてしまう、ある人は95くらいのところまでは我慢できる等々です」。

「どこまで我慢できるか、どこまで心の平和を保つことができるかというような高さが、その度盛りが、人間の成長度を示す」。

「どこまで我慢できるか、どこまで心の平和を保つことができるか」。『笑いと成長』、胆に銘じたいと思います。