2024-02-28

研究の思い出(16):日米共同研究(3)、交流編

ユタ州立大学教授の「心友」とは、30年以上も家族を含めた交流をしています。本日は、一部再掲も含め「気が合う」ことに触れ、「心友」との交流の一端を少し紹介します。日米共同研究(3)、最終編、交流。

私と「心友」が知り合うきっかけの一つは、2人とも英国ノーリッジの「親方」の研究室に留学したこと。その研究室には、世界各国の研究者が訪問し、「親方」と共同研究を実施。

「親方」は、2000年に『Insect Predator-Prey Dynamics』との専門書を出版。その序文に「世界の7人の同僚との共同研究を通じ刺激を受け、それは研究の進展に大変役だった」。

「それらの研究者は、B. Agarwala, T. Evans(心友), J-L. Hemptinne, I. Hodek, P. Kindlmann, Z. Ruzicka, H. Yasuda(私)である」と記す。

この7人衆は、「親方」グループを形成し、国際会議等で一緒になると「親方」を中心に食事会やエクスカーション(視察旅行)を楽しむ仲。

写真は、ケンブリッジ大学を訪問した時の、「親方」とインドの研究者及び留学したノーリッジ、イーストアングリア大学。


ポルトガルで国際シンポが開催されたときも「親方」グループでエクスカーションに行く事になった。私は何となく独りでボヤーッとしたくなり、それには参加しないことにした。

「心友」が私の処に来て、「ヒロ(私のこと)、明日のエクスカーションどうする?」と聞く。「行かずに、海辺を散歩してボヤーッと一日過ごす」と応える。「ヒロが行かないなら、私も行かず、ヒロと海辺を散歩する」と言う。

「気が合う」。その日は、2人で冗談を言い合いながらゲラゲラ笑って海辺を散歩。楽しく思い出に残る一日。「心友」とは、一緒にいて面白く、楽しい仲。「気が合う」。

「気が合う」、何が主因かとフト考えることがある。結論としては、よく分からない。

私と「心友」の共通項は、1)適度にお酒を愛する。2)ユーモアを楽しむ。3)好奇心が旺盛。4)割とノンビリしている。5)気配り。6)山登り等を好む。7)研究のテーマが類似し、研究を楽しむ...。

共通項は示せても、主因は、不明。8)一緒にいて楽しい、話して楽しい。9)気楽につき合える等は重要かもしれない。10)色々な話をしてお互い相互に学べることも必要に思う。

インターネットで「気が合う」を調べたら、「気が合うと思う人の10の特徴や理由」が記されていた。

1.育ってきた環境が似ており、価値観が合う。2.初対面から直感的に好印象を抱く。

3.普段の行動だけでなく、趣味嗜好が似通っている。4.無駄な気を遣わず、一緒に居て落ち着く。

5.金銭感覚がお互いに似ている。6.笑いのツボが同じで、話していて楽しい。

7.二人っきりで無言になっても気まずくない。8.会うと自然と笑顔になれる人。

9.見てるだけで、考えが理解できる。10.仕事に対する姿勢もお互いに似ている。

「10の特徴や理由」を読み、「これアタットル」と思う。

「心友」は、何回も山形大に来てくれ、学会での特別講演や共同研究を実施。そして、我が家やお寿司屋で日本食の夕食や日本酒を楽しむ。一度は奥さんと一緒に我が家に滞在。

さらに息子さんと娘さんも我が家を訪問。息子さんはALT(外国語指導助手)として秋田県の中学校で英語教師。家族も含めた交流。日本人でも家族を含めて交流している友人は僅か。

奥さんも含めた我が家での夕食時、色々な話に花が咲く。新渡戸稲造博士の話をすると「Oh! Uncle Inazo(それは、稲造大叔父のことだね)」と言って、博士を知っていたのには驚き。

さらに話を続けると博士の奥さん、メアリーさんと「心友」の先祖は親戚で、氏の親戚では「Uncle Inazazo」で皆、博士を知っているとか。世間は狭い。

「心友」との思い出は数多く、それらは尽きることはない。楽しい友と人生の時間を共有する、最高。「気が合う」友人、有り難い。「心友」に感謝。

『勝縁を結ぶ』(安岡正篤 一日一言)

「平生からおよそ善い物・善い人・善い教・善い書物、何でも善いもの・勝れているもの・尊いものには、できるだけ縁を結んでおくことです。これを勝縁といい、善縁といいます」。

「とにかく、折角善い人に会い、善い書を見、善い話の席につらなりながら、キョトンとしたり、欠伸をしたり、そっぽを向いたりしている人間はだめであります。うつけ者です」。

「大体そういう人間なら、諸君は決して事を共にしてはいけない。そういう人間を友にしてはいけない」。

「むしろ何でもないようなことでも、耳を傾けたり、眼を光らせたりする人であったら、何か見どころのある人間なのです」。

「もちろん形骸は眠っておるようでも魂が輝いておる人もおりまして、凡眼ではなかなか見わけがつきません」。

最近、この『勝縁を結ぶ』の重要性を痛感しています。

2024-02-26

「三寒四温」の今、松ヶ岡の農作業

先々週は、最高気温が20度近い春の陽気。先週は一転、真冬の降雪。三寒四温を感じる2月。しかし、春は、着実に近づいているように感じます。

本日は、我が家周辺で観られる松ヶ岡と私の農作業及び『趣味の農業』の楽しみ等を、一部再掲も含め少し記します。

『くだものの里』、松ヶ岡。年明け1月から柿の選定など農作業開始。寒い中での仕事、大変です。

松ヶ岡の主要な果物は、柿と桃。柿の出荷までには、多くの作業があります。秋の収穫後の施肥、冬の剪定。葉が展開し、小さな実がなる初夏からは、葉や実を摘む摘葉と摘果。これは大きくて、色づきの良い柿を生産するためのきめ細やかな作業の一つ。

さらに、秋の柿が実る頃に雹(ひょう)の被害を避けるため、果樹園の柿の木全体に大きな網をかける「網かけ」。このように、農家の方は手塩にかけて柿を育てます。

しかし、台風や暴風により柿の実が擦れて傷が付くと、商品としての価値が落ち、生食用としての出荷は見合されます。多少の傷があっても味には全く影響はない。

生産と流通のひと工夫も必要に思います。例えば、消費者が栽培の実態を理解し、消費者と農家が、年始めに農産物の購入契約をする「契約栽培」なども一つかもしれません。

天候は、毎年変化が激しく、最近は、ゲリラ豪雨も含め異常気象が続いています。これは、農作物へも多大な影響を及ぼす。

作物を育てるには、苦労が多い昨今です。春祭りで豊作を祈り、秋祭りで収穫を祝う。神に五穀豊穣を祈る気持ち、分かります。


我が家の裏にある約1haの農地で果樹や野菜を栽培する『趣味の農業』。春から秋の休日及び出勤前の早朝は、農作業を楽しむ。

子供の頃、農作業は好きではありませんでした。しかし、歳を重ねた今、『趣味の農業』がとても楽しみ。

『趣味の農業』の良さは、自由度の高いことも一つ。自分のペースで作業ができ、自分の育てたい作物を育てる。さらに、作物の生育から元気をもらえ、作物を中心にした多様な生き物の生物間の関連も学ぶ。

また、身体を動かし、いい汗を流せるのも魅力。いい汗を流し、畑の横の椅子で一服。冷たいお茶を一口のみ、ボーッと畑の作物を眺める。至福のひと時。

写真は、雪の下から出没した越冬野菜。

松ヶ岡では今、選定作業が進んでいます。そして、全ての農家は3月中には果樹の剪定が終了。山形大勤務中は、2月から4月中旬まで割とドタバタし、剪定は何時も4月下旬からのゴールデンウイーク。今年は、3月から剪定作業を楽しめそう。

剪定は、農家の方から基本を教授。その後は、「感覚」で枝を切っています。我が家の果樹で多いのはスモモ。毎日「クニオ」との散歩、桃の木の剪定された形を脳裏に焼き付けるように観察。

それをイメージしてスモモの枝を切ります。「習うより、慣れろ(?)」で数をこなす。

最近は、時々、樹木の形が何となく上手く出来たと感じることもあり。少し、嬉しくなります。


第二の人生、『趣味の農業』に軸足を置いた生活も楽しみです。

「たのしみは  朝おきいでゝ昨日まで  無(なか)りし花の咲ける見る時」

「たのしみは  庭にうゑたる春秋の  花のさかりにあへる時々」

これは、幕末の歌人、橘 曙覧の『独楽吟』。曙覧に共感します。素朴な楽しみ良いです。

『生きた学問』(平澤 興 一日一言)

「よく普段から本を読んでおるが、ただ本だけで人生を知らない人もあります。そういう人間は駄目です」。

「また、たいして本を読むわけではないが、大変よく考える人で、例えば、お百姓さんや魚屋さん、大工さん、その人達はたいして本を読んでいないかもしれませんが、お会いして感心をする人があります」。

「うちに出入りしている大工さんなども、難しい学問をしたとは思えないですが、私などは頭の下がるようなことを年に何度か経験します」。

「これなどは本当に生きた学問をしていて、難しい言葉を知ることだけが学問ではありません」。

『生きた学問』、重要に思います。

2024-02-24

糸やの娘は目で殺し、忠犬クニオは目で話す

本日は、我が家の「癒し犬」、「目で話す」忠犬クニオについて一部再掲も含めて少し記します。

「京都三条糸屋の娘 姉は16妹は14 諸国大名は弓矢で殺す 糸屋の娘は目で殺す」。これ何となくイメージがわいて好きです。「目は口ほどに物を言う」、当たっています。

毎朝、散歩する我が家の「忠犬クニオ」こと「クク」。生後2ヶ月で我が家の家族になり今、7歳。ククは、ラブラドールレトリバーのメス、「目で話す」犬です。

ククは、表情がとても豊かで、目で色々と話をします。まさか、家の中でこんな大きな犬を飼うとは、我が人生、想定外。

「上り坂、下り坂、マサカ」です。大家族の我が家、家族の増加により楽しみは増えましたが、私の自由度は減少の一途です。

ククは、何時も台所のソファーやベットで「グーグー」と大きなイビキをかいて寝る「ネトボケ犬」です。しかし、家族が食卓で食事を始めると、不思議にサッと目を覚まし、コソコソコソっと家族の椅子のすぐ近くにお座りをします。

そして、大きな顔を家人のモモの上にピタリと置き、上目遣いで「私にも、何か食べ物頂戴」と目で話します。

色々な表情のククを紹介します。ククの表情を見るだけで面白く、見飽きません。我が家の人気者です。



お座り、お手、伏せ、探してこい、股くぐり、鍋を持ってこい。手の拳銃で「バーン」とやるとゴロリと死んだふり等々は、お手の物。

ラブラドールレトリバーは、盲導犬にも使われ、頭が良く大人しい犬とのこと。我が家のククは、躾が今一つで、人が大好き。人が来るとワンワン吠え人に抱きつきます。とても盲導犬は無理。

犬が、こんなに表情豊かだとは思いませんでした。動物等の生き物との暮らし、生活に潤いを感じます。癒やし系のクク。朝から元気を与えてくれるククに感謝です。長生きして欲しいと思います。

「目の力」、不思議です。目元涼しく、爽やかに生活したいものです。

『目利き』(安岡正篤 一日一言)

「人間は目というものが大事です。心眼というて、人間の精神活動、精神作用というものは最も目に反映する。医学的にもそうであって、人間の生理機能、体内のあらゆる機能は、最も鋭敏に目に表れてくる」。

「だから最も進歩した眼科医は、目をみて、人間の体内のあらゆる状況を観察することができる。「目利き」というのは大事なことである」。

「人間の生理機能、体内のあらゆる機能は、最も鋭敏に目に表れてくる」、なるほどと思います。「目の力」、重要です。

2024-02-22

研究の思い出(15):日米共同研究(2)、生活編

本日は、約30年前の日米共同研究、40日間のユタ州立大学での生活を少し記します。

ユタ州立大学到着後、「心友」から、「宿舎は、新入生専用の寮はどうだい」と言われ、そりゃ面白そうだと思い、「了承」。40日間、その寮で新入生と一緒に生活。

ユタ州は、モルモン教の本山もあり、8割程度の州民がモルモン教とのこと。早速、寮では、「モルモン教信者」の学生さんの訪問を受けました。彼らは、夜な夜な寮内でモルモン教を布教。英会話の勉強でした。

ほとんどの学生が若い新入生。寮内は、元気と活気があり楽しい40日間の寮生活。学生時代に返る。

三度の食事は、大学生協。一緒に行った学生さん、最初の3日程は、生協の食事が美味しいと楽しんでいましたが、アメリカンサイズで量は多く、脂っぽい。すぐに日本食を懐かしむ。

ユタ州は、モルモン教徒が多く、ユタ州立大学があるローガンには、酒の販売所がほとんどない。パブは、街中に1軒。そこまで大学から車で30分程度とかなりの距離。ちょいと歩いて行くには遠すぎました。

40日間、アルコールを吞む機会が極めて少なく、我が人生で酔っぱらうことのない貴重で思い出深い40日間。健全な生活(?)でした。

お酒を呑む機会は、「心友」宅でのパーティと「心友」の車でパブ訪問時に限定。パブでは、アメリカンステーキを食す。草鞋のように大きなステーキ。それだけでお腹が一杯のアメリカンサイズ、味わいました。

我々がユタ州立大学に滞在したのは、2001年8月下旬から40日間。その時、世界を震撼させる事件が発生。丁度帰国する2週間前、ニューヨークでの同時多発テロ、Sept. 11th、9.11.です。

朝、研究室にいると修士学生が「ヒロ(名前がヒロノリなので、海外の友人は、私をヒロと呼ぶ)、今朝のニュースを見たかい」と質問。「いや」と応えると、「生協のTVを見なよ」と助言。見て驚きました。

TVでは、ジャンボジェットが、ニューヨークのツインタワービルに突っ込む映像を何回も繰り返す。映画のシーンのよう。さらにペンタゴン(アメリカ国防総省本庁舎)も含め、その他の地域でのテロ報道。

同伴した学生さんは、「これから、米国とアルカイーダが戦争になる。親が大至急帰国しなさいと言っている。帰国しましょう」と提案する。しかし、米国の出入国便は全て運休。

「どのような状況になるか、しばらく様子を見よう」と提案。テロが起こったニューヨークは、米国の東海岸。一方、我々が生活していたユタ州は、西の州、距離3200キロ。北海道と沖縄の距離。

家内に電話すると「YBC(山形放送)ニュースで「米国に出張中の山形大教員と学生2名の消息が不明」と言っていた。大至急、大学に連絡してください」とのこと、ウウウ。

同時多発テロ後、1週間程度で航空機の米国発着も通常運航になり、予定通り帰国。何時もながら、日本に到着すると嬉しくなります。

40日間の米国滞在、想定外の色々なこともあり、貴重な勉強。しかし、当初予定していた実験が、学生さんのお陰で全て終わったのは有難い事でした。学生さんや「心友」及びその家族に感謝です。

『文明は人間を弱くする』(安岡正篤:一日一言)

「真の体力・健康というものはもっと矛盾に富んだ、もっと苛烈な、自然の暑さ・寒さ・飢餓、その他いろいろの不自由やら迫害と闘って、自然に鍛え上げるものでなくてはならない」。

「そういう意味から言うならば、文明の知識と技術の下に作り上げられた体力・生命力というものは弱いものである。あまりに泰平無事、平穏無事だとわれわれの健康というものは、すぐだらしなくなる」。

「やはり体、健康というものは鍛えなくてはだめである。精神的にもそうで、何も苦しみがないと精神はのびてします。つまらなくなります」。

『文明は人間を弱くする』、心に留めたい箴言です。

2024-02-20

研究の思い出(14):日米共同研究(1)、研究編

本日は、一部再掲も含め、我が米国の「心友」との日米共同研究について少し記します。

初めて「心友」に会ったのは、今から約30年前の1996年、ベルギーでの国際シンポジウム。そのシンポは、野菜等の害虫、アブラムシ天敵研究者の会議。参加者リストにユタ州立大学教授の氏の名前を発見。

私は動物の糞を餌とする甲虫、糞虫群集の研究が博士論文。大学院時代に昆虫群集の優れた研究者の論文を読破。氏は、草地のバッタ群集で優れた論文を公表。

この国際シンポには、氏との生物群集の議論にワクワクして出席。早速、シンポの休憩時間に氏と生物群集研究の話。熱く盛り上がり、一気に意気投合。「縁」です。

国際シンポでは、お互いアブラムシの天敵、テントウムシの研究を発表。当時、アジア原産のナナホシやナミテントウが米国に侵入し、この侵入種が米国在来種を減少させる。しかし、その機構は不明。

早速、この課題を研究する日米共同研究の実施を氏に打診。二つ返事で了解。日本学術振興会(学振)が日米共同研究事業を公募。私と氏は、日米の学振にそれぞれ研究を申請し、運よく採択。

そして、4年間の共同研究を開始。氏と私、それぞれの学生さんが、山形大とユタ州立大を相互に訪問し共同研究を実施。

写真は、ユタ州立大学があるローガンのパブでの夕食会の一葉。

最初の渡米は、2001年8月中旬から40日間。2名の女子学生とユタ州立大学を訪問。訪問翌日に氏の研究室で米国の学生5名を含め研究討論。これを予測し、米国への出発前、学生さんと成田空港で米国で実施する研究の打合せ。

この日米共同研究討論、熱のこもった議論。米国の学生は、この手の議論はお手のモノ。日本語での議論だと問題は少ないが、英語での議論は少し厄介。我が学生さんは英語が達者ではなく、私も達者ではない。

このような議論、「YesとNo」をはっきり言い、その理由をきっちり述べることが必要。私、基本的には「無口で、口下手」ですが、海外では、自己主張するバージョンに切り替えます。これ重要に思います。

ユタ州立大学では、朝5時から夜10時まで実験に没頭。実験は、単純。侵入種2種と在来種2種の6つの組み合わせと、若齢同士と老齢同士の2つの組み合わせ及び、餌密度が低密と高密の2つ。そして各処理区30反復で相互作用を解明。

問題は、総実験数。合計1320。この実験、色々とありました。単純な実験ですが、実験のためには、餌のアブラムシとテントウムシ幼虫を常に確保する必要あり。

そして、この飼育と餌密度20匹の高密度区、5匹の低密度区を維持し続けるため、この2種の餌を毎日数えてセット、これが大変。

実験途中で、学生さんから、「この実験は、帰国までには終わりません。無理です」と言われる。確かに、その時まで私も含めて3人での実験及びその準備時間を振り返ると、全ての実験を残りの滞在期間中に終えるのは厳しい状況。

時間がかかるのは、アブラムシを数えて処理区に付加する部分。1320個のシャーレに毎日、20匹と5匹のアブラムシを付加。豊臣秀吉が、城造りに職人を競争させ効率を上げ短期間で城を作ったことを思い出す。

そこで、10分間で作成するアブラムシセット数を競争。これ正解。セット作成速度が速くなり、かつ数をこなすことで熟練し、効率が著しく向上。40日の滞在期間の帰国3日前に全ての実験が終了。

「心友」が、「帰国3日前に全ての実験が終わったけど、40日で終了する同じ実験を日本でやってきたのか」と聞く。「NO」と一言。「神のお助けです」。

写真は、ユタ州立大学生物学部学部長宅でのバーベキューパーティーに、「心友」夫妻及び氏の指導学生と参加した一葉。

この研究も含め日米共同研究の成果は、国際雑誌8編の共著論文及び、日米の学会シンポジウム、それぞれ招待講演として発表。楽しく実り多い40日間。色々と学びました。

私と一緒に米国で共同研究してくれた学生さん及び、「心友」に感謝です。有り難う。

『相棒』(安岡正篤 一日一言)

「物事を研究する秘訣は、相棒を見つけることだ。相棒は人間でも書物でもよい。自分が真剣になりさえすれば必ず見つかる」。

米国の「心友」は、私にとり最高の相棒。相棒のお陰で研究は進み、人生も豊かになりました。『相棒』、重要です。

2024-02-18

2024年度「学びのサロン」教材決定

大学では、学生が他の学生や教員とゼミを通じた自主的な学びが可能です。前職、山形大の私の研究室、学生諸君の成長を振り返ると、ゼミを通じての成長が著しい。大学でのゼミ、不可欠に思います。

私が山形学習センターに赴任した2020年度から客員教員のご協力で「学びのサロン」(ゼミ)を始めました。来年度で5年目、本日は、来年度の私の「学びのサロン」等について少し記します。

過去4年間は、岩波ジュニア新書を教材に毎回担当者と担当章を決めて、担当者が当該章のレジュメ作成や、パワポにより紹介。その後、多面的な意見交換。

これまでの教材は、『農学が世界を救う』『博士の愛したジミな昆虫』『農は過去と未来をつなぐ』『日本の農業を考える』


私の守備範囲は、「農」にかんすることか、「生態学」関連のこと。教材を何にするか少し思案。

最近は、クマ、イノシシ、シカ、サル等の野生動物が私達に与える影響も大を思い出す。そんな中、岩波ジュニア新書『野生動物と共存できるか』を発見。

来年度は、高槻成紀著『野生動物と共存できるか―保全生態学入門』を教材に決定。

「新書」カバーの裏に記された本書の簡単な紹介には、「ラッコが駆除された。漁業に被害を与えるという理由だったが、それで増えると思った漁獲高が減った。何故だろう?」

「怖いクマや爆発的に増えるシカと、ほんとうに共存できるのだろうか。いま、新しい学問・保全生態学がさまざまなチャレンジを試みている。私達が野生動物とどう関わればいいかを考える手引きとなる1冊」。

本書の構成は、「1章 いま野生動物にこんな問題が」、「2章 絶滅はなぜおきるのだろう」、「3章 保全生態学が野生動物をまもる」。

そして、「4章 保全生態学のじっさい―私たちの研究から」、「5章 野生動物問題の解決に向けて」、「6章 野生動物をどう考えればいいか」。

来年度も「学びのサロン」で、老若男女の学生の皆さんと良い出会いと楽しい学びを今、ワクワクしながら待っています。

『美しい人生』(平澤 興 一日一言)

「美しい人生、理想の人生とは、今日を最も美しく人のために生きる事である。地位も金もそんなものは大したしたものではない」。

「人間はひと時の旅人として、この限られた時を、美しい心で少しでも人のために生き得れば、充実した人生であり、生きがいのある人生だと思う」。

『美しい人生』、心に残る学びです。

2024-02-16

学習SC所長の業務:面接授業の企画立案

山形学習センター(山形SC)所長の任期も後1年と少々、来年度末で任期満了。本日は、所長業務の中から「面接授業」に関する業務の一端を少し紹介します。

所長の業務は、1)センター運営の総括に関すること、2)教育業務全般に関すること、3)面接授業の企画立案及び担当講師の確保に関することの3つ。

放送大学には、全国50の学習センターがあります。授業は、1)テレビやラジオを通じた放送授業、2)オンライン授業、3)面接授業の3つの形式。学習センターの特色を出せるのが面接授業。

山形SC面接授業は、「地域に学ぶ」及び「現場に学ぶ」の「体験型授業」が特色の一つ。地域及び現場から学ぶ授業を少しずつ増加し今、面接授業の約3割が、「体験型授業」。

これまでの「体験型授業」として、「日本近代建築の歴史とその魅力」、「山形の郷土料理―今昔研究」、「福祉機器・福祉用具の基礎と応用」、山形美術館での学び「地域と美術館」、「はじめての看護技術」。

さらに、クラゲの種数が世界で最も多い、鶴岡市の加茂水族館での「クラゲを中心にした学び」等を実施。


今年度の特筆すべき「体験型授業」は、酒田の日本酒の蔵元を訪問しての学び「山形の酒造りと文化」及び、在来作物を作っている農家を訪問し、農家の方からお話を聞く「在来作物の魅力と活用」。

また、来年度は、新たに3Dプリンターを使って一連の製作工程の体験である「3Dメイカー未来塾」や、山形交響楽団の協力による学び等も予定しています。

体験型授業をお願いする場合は、教員予定者に面会して放送大学や山形学習センターの面接授業の方針等を説明します。これまで加茂水族館館長、山形美術館館長、山形交響楽団常任理事の方々にお会いし交渉。

これらの面会を通じた情報及び意見交換は、学びと刺激の楽しい日々と貴重な体験でした。

今年度新たに開講した「体験型授業」の一つが、「山形の酒造りと文化」。この授業、30名の定員に対して全国各地から定員の2倍、約60名が受講希望。一部再掲も含め少し紹介します。

【授業内容と目的】は、「アルコール飲料の製造方法や管理方法等の基礎知識について学んだ上で、山形県の日本酒造りの独自の取り組みについて勉強します」。

そして、「高いレベルの山形の日本酒の歴史や風土についても習得した上で、授業内容に直接関係するフィールドや酒造りの現場に入り見学し、自らの経験をもとに日本文化への理解を深めることが授業の目的」。

今回は、鶴岡と酒田の酒元を訪問。前者は、酒蔵資料館があり、酒蔵や酒造りを多面的に学ぶことが可能。

一方、後者は、一般の人を酒蔵に入れることがなく、担当教員と社長さんのお付き合いから特別に酒蔵訪問が可能となりました。

酒田の酒元に到着すると約10名ずつ3班に分かれ酒造りの現場を紹介。杜氏の社長自ら案内していただき、酒造りにかける情熱の一端を学び感動しました。

社長が酒造りの要点を現場で説明され、酒造りの行程とその大変さを学ぶ。日本酒は、ゆっくりじっくり味わいながら楽しむ必要を痛感。

HPには、「昨今の吟醸ブームに関係なく、究極の酒造りを目指してきました」。「純米酒、純米吟醸酒の製造研究に力を入れ、商品ごとに特徴のある味や香りを持ち、消費者のニーズに合った酒をつくっています」。

「また、清酒の熟成について、社長自ら取り組み、熟成の方法の違いや、清酒のタイプ別、熟成年数別等、色々な熟成酒を研究しています」と記されています。

酒の成分分析などは必要計器により計測されますが、最後は杜氏さんがお酒を口に含み、判断されるそうです。人の五感、重要に思います。

受講生の皆さんと現地で多面的な意見交換をしましたが、興味の質と量への熱量の凄さを感じました。

「体験型授業」の面接授業、重要に思います。

『笑いと成長』(平澤 興 一日一言)

「ある人が申しました。どこまで笑って暮らせるかということで、その人の人間としての成長がわかると」。

「ある人は80のところでもう怒ってしまう、ある人は70のところでへこたれてしまう、ある人は95くらいのところまでは我慢できる等々です」。

「どこまで我慢できるか、どこまで心の平和を保つことができるかというような高さが、その度盛りが、人間の成長度を示す」。

「どこまで我慢できるか、どこまで心の平和を保つことができるか」、簡単なようでそうでもないと思います。『笑いと成長』、胆に銘じます。