2023-01-30

市民講座、「生活の中の蛍光物質」を学ぶ

先週の28日(土)は、市民講座、「生活の中の蛍光物質 ~偽造防止からノーベル賞受賞の緑色蛍光タンパクまで~」を放送大学客員教授近藤先生のご尽力で開講しました。本日は、その市民講座を少し紹介します。

まずは、生活の中の蛍光物質の紹介。こんなにたくさんの蛍光物質が、生活の中にあるとは知りませんでした。例えば、入浴剤、栄養ドリンク等々。

さらに、蛍光物質は、日本だけでなく、アメリカ、中国、ヨーロッパ等の紙幣に入れ偽造防止になっているとのこと。初めて知りました。

これらのいくつかは、実演を交えて紹介され、記憶に鮮明に残っています。紫外線ライトを当てると蛍光物質が光ります。実演の重要性を痛感。

さらに、下村先生等のノーベル賞受賞に関連した緑色蛍光タンパク(Green fluorescent protein、GFP)や、ノーベル賞受賞者についても紹介。

下村先生は、オワンクラゲの蛍光性をもつタンパク質を1960年代に発見・分離精製され、この発見で2008年にノーベル化学賞を受賞。

共同受賞者は、2名の米国研究者で、Martin Lee Chalfieコロンビア大学教授とRoger Yonchien Tsienカリフォルニア大学サンディエゴ校教授。

Chalfie教授は、1994年に遺伝子マーカーへの利用、Tsien教授は、様々なGFPの類似体を作成されたとのこと。

また、オワンクラゲのような生物発光するホタルイカやうみほたる等の生物についても紹介。

講演中や講演後にもたくさんの質問が出され、その中にはかなり専門性の高そうな質問もありました。参加者の知的レベルの高さも感じた80分。

アッと言う間の80分、近藤先生に感謝です。

「♪生きるとは学ぶこと、♫学ぶのは楽しみ♪」

「♪生きるとは知ること、♫知ることは喜び♪」。

これは、放送大学歌の一部抜粋。本当にそう思います。

写真は、クラゲ種数が世界一、クラゲで有名な加茂水族館のクラゲ展示の巨大水槽です。

『求めるとぶつかる』(安岡正篤 一日一言)

「書物でも、何か真剣に研究を始めて本屋へ入ると、それに関連する文献は必ず目に入る。不思議に、それこそ本に霊があるかのように、待ってましたといわんばかりに、ふいっと目に入る」。

「これは本屋漁(あさ)りする人は皆経験することだ。ところが、こちらが何の問題意識もなしに、つまり空々漠々で本屋へ行っても、くだらない駄本しか目につかない」。

「それと同じように、人間も真剣に求めていると必ず求める人物にぶつかるものです。生きた人物にもぶつかるし、故人にもぶつかる」。

『求めるとぶつかる』、心に留めたい箴言です。

2023-01-28

「分かること」、平澤先生からの学び

京都大学第16代総長、脳神経解剖学が専門の平澤興先生は、27歳の時、チュリッヒ脳研究所のモナコフ先生の研究室に留学。本日は、平澤先生がモナコフ先生から学ばれた「分かること」を少し紹介します。

その結論は、「分かることと分かったような気になることの違い」です。この教え、心に強く残っています。

ある日、平澤先生が脳の標本をスケッチしているとモナコフ先生が来て「平澤君、君は標本を見ているつもりだけど、本当に見てはおらんね。見ておるつもりと本当に見ることは違うことだ」と一言。

「本当に分かったということと、分かったつもりということは違うことだと。たいていの人は見たつもり、分かったつもりで自分では分かった、見たといっておる。そういう粗末な見方をしてはいけない」。

「私はその時は非常にがっかりもしましたし、憤慨もしました。「なんだ、人を馬鹿にしたような。いかに大家といえども『平澤君、君は標本を見ておるつもりかもしらんが、本当には見ておらんね』とは。私は確かに見ておる」と思いました」。

「確かに私はそれまで分かったつもりで見ておりましたが、標本そのものを本当に見てはおらんかったわけであります。本を見て本にあるものを標本に合わせて、分かったものだけをやっていたのであります」。

「先生の言われる通り、私が見たというのは、それまで分かったものだけを見ておる、分からんものは見ておらんし、分からんものはその何倍もあるのです」。

「その後、この研究室を出て、他の大学の研究室に移ろうかと、一週間ぐらつき大変煩悶した」。

「しかし、モナコフ先生の人間の偉さを信じていたので、「ここで落ち着こう、日本で考えてここに来たのだから、ここへ落ち着こう。それなら先生が満足される見方をしてみよう」と、一枚の標本を見るのに2ヶ月半かけた」。

「そして一枚の標本を2ヶ月半かけて描き上げた時、先生は、「平澤君、君は今度は見たね。標本を見るということはこういうことなんだ」とおっしゃった。

「これで本当だ。ここには本に書いてあるものもないものも、君自身の目で見たものが描いてある。これを“見た”という。前のは“見たつもり”だ」と言われた」。

「いかなる本を読んでも、本なんてあてにならん。あてにならんというのは馬鹿にして言っているのではありません。本は参考として読むものであって、どこを見ても分からんことだらけであります」。

「それを学校の秀才が本を読んで、さーっとやってだいぶ賢くなったような気がするのでありますが、そういう賢さは愚かさに負ける。愚かさよりもつまらん賢さであります。そういうのがだいたい多いのであります」。

「分かることと分かったような気になることの違い」、重要に思います。分かることは簡単でないと痛感。

平澤先生の『平澤興講話選集生きる力』、毎朝、繰り返し、少しずつ読んでいますが、学びの多い書。平澤先生に感謝です。

『四耐四不訣』(安岡正篤 一日一言)

「耐冷 耐苦 耐煩 耐閑 不激 不躁 不競 不随 もって大事を成すべし」。

「冷に耐え:人間は世間の冷たいことに耐えなければならない。苦に耐え:苦しみに耐えなければならない。煩に耐え:わずらわしいことにも耐えなければならない。閑に耐え:ひまに耐えなければならない」。

「激せず:大事をなさんとする者は興奮してはいけない。躁(さわ)がず:ばたばたしない。競わず:つまらぬ人間と競争をしてはいけない。随(したが)わず:人のあとからのろのろついて行くのは最もいけない」。

『四耐四不訣』、いい箴言です。ふっと思い出しました。肝に銘じたいと思います。

2023-01-26

来年度の授業、『グローバル時代の英語』

今年12月、熊本で開催の国際シンポで基調講演を依頼され、英語を学ぶために放送大学の2023年度1学期受講科目は、『グローバル時代の英語』に決定。「付け焼き刃」です。本日は、その授業について少し紹介します。

これまで、英語関係では、『英語で読む大統領演説』と『英語で「道」を語る』を履修。この2科目、とても興味深く、歯ごたえのある講義でした。


下図は、放送大学で開講されている語学の授業を示し、授業科目名の上に記された数字の大きい科目が難易度が高い。

上述の2科目は、テレビ番組。インターネットで「何時でも、何処でも」視聴可能でした。今回の『グローバル時代の英語』は、ラジオ番組。映像はありませんが、ネットで「何時でも、何処でも」聴講可能です。

まずは、『講義概要』を紹介しましょう。

「今や英語の使用人口は全世界で10億人を超えると言われているが、そのうち母語話者は3.8億人に満たない。従って今日では英語が使われる場面は、非母語話者同士の可能性が高いといえる」。

「今や英語の使用人口は10億人を超え、そのうち母語話者は3.8億人」、知りませんでした。

「非母語話者同士の可能性が高い」、これ当たっています。留学生の指導は、英語での対応です。留学生の英語は、米国人等の英語と比較すると分かりよい英語。これは母語話者と非母語話者の違いに思います。

「非母語話者間の共通語として英語を捉えると、それを使うために必要な力は規範的な英語の範囲を超える。この科目では「グローバル・コミュニケーション(GC)のための英語」をテーマに英語を学習する」。

「非母語話者間の共通語として英語を捉えると、それを使うために必要な力は規範的な英語の範囲を超える」、これも当たっています。「GCのための英語」、国際シンポの基調講演に役立ちそうです。

次に、『授業の目標及び内容』を記します。

「共通語としての英語を論じた文章の読解、関連するテーマの聴解や非母語話者が話す英語の聞き取り、非母語話者としての英語の発信方法などを学習し、非母語話者英語を理解する力と発信する力を高める」ことが授業の目標。授業内容は、下述のようです。

「第1回 グローバル言語としての英語に関わるTED talk から「GCのための英語」を学ぶ」。

「第2回 グローバル言語としての英語について述べた文章の精読を通して「GCのための英語」を学ぶ」。

「第3回 非母語話者による発話の聞き取りを通して「GCのための英語」を学ぶと共に、実際に使われている英語表現を用いて自分の意見を表現する方法を学ぶ」。

「第4回(1)、第5回(2)英語至上主義に関する TED talk から「GCのための英語」をさらに学ぶ」。

「第6回 普段余り耳にすることのない英語の話者による発話の聞き取りを通して「GCのための英語」を学ぶと共に、実際に使われている英語表現を用いて自分の意見を表現する方法を学ぶ」。

「第7回(1)、第8回(2)言語と文化の関わりについての TED talk から「GCのための英語」の理解を深める」。

「第9回 再び非母語話者による発話の聞き取りを通して、言語と文化の関わりについての理解を深めると共に、実際に使われた語彙や言い回しを使って自分の意見を表現する方法を学ぶ」。

「第10回(1)、第11回(2)シングリッシュ(シンガポール英語)について述べられた英文の読解を通して「GCのための英語」の理解をさらに深める」。

「第12回(1)、第13回(2)再び普段余り耳にしない英語の話者による発話の聞き取りを通して「GCのための英語」を学び、実際に使われている英語表現を用いて自分の意見を表現する方法を学ぶ」。

「第14回 世界市民についての TED talk から「GCのための英語」を把握する」。

「第15回 世界市民について述べた英語話者の発話の聞き取りを通して「GCのための英語」を学び、実際に使われている英語表現を用いて自分の意見を表現する方法を学ぶ」。

「TED」とは、「Technology Entertainment Designの略称で、ニューヨークに本部を置き、様々な分野の専門家による講演会を主催しているNPO団体」とのことです。

15回の授業、盛りだくさんで楽しく勉強できそう。今からワクワクしています。

これまでにTed講演を聴いたことがあります。興味深い講演が多く、今回の番組でもTED talk が取り上げられるとのことで楽しみです。

私の場合、英語は、勉強してもグングン上達はしませんが、学習を止めるとアッと言う間に、「聴けない、話せない、読めない、書けない」の「英語四重苦」に襲われます。

今年4月から12月までは、NHKの『ビジネス英語』と『グローバル時代の英語』の学びを継続し、毎日たっぷ英語をアビて「英語を聴ける耳」と「英語を話せる口」に進化させたいと思います。

今までも、今も、これからも「継続は力なり」、重要に思います。4月から心新たに『グローバル時代の英語』を楽しみ、12月の国際シンポに対応します。放送大学の英語教育に感謝。

『道を拓くもの』(平澤 興 一日一言)

「若人よ、諸君が覚悟をして燃える時、諸君には自らもわからぬような無限の可能性が展開されるのだ」。

「この可能性の展開は、いわゆる頭のよしあしの問題ではなく、実に諸君の火と燃える意志と何ものにも負けない不屈の努力にある。情熱、実行、努力、これこそが諸君を生かし、諸君を伸ばす力である」。

「諸君はその目的に向かって全情熱を傾けることだ。不屈の意志のあるところ、道は拓ける」。

『道を拓くもの』、「不屈の意志のあるところ、道は拓ける」、学びです。

2023-01-24

北国の真冬に泳ぎを楽しむ、「水泳の思い出」

先週の日曜日、真冬の庄内、珍しく雨。スキー「命」の中三次男に、「泳ぎに行くけど、一緒に行くかい?」と聞くと二つ返事。久しぶりに親子で水泳を満喫。本日は、「水泳の思い出」を少し記します。

北国庄内の今、スキー等のウインタースポーツの季節。約30年前、鶴岡に赴任し、10年間は、子供達と一緒に家族でスキーを楽しみました。

2人の息子は、スポ少の競技スキーでメキメキ上達。私のスキー「進化」は遅速。なんとなくスキー場への足、遠ざかりました。

その後、年を重ね、重装備のスキーに比べ、パンツ一つで楽しめる水泳を重視。よく考えると、今まで一番長く付き合っているスポーツは、水泳でした。

泳ぎ始めは、今から60年以上前、昭和30年代の小学生の時。「中国太郎」の異名を持つ日本で13番目に長い「江の川」での泳ぎでした。

当時、プールはなく、夏休みの午後は、水泳パンツで江の川に行くのが小学生の日課。川幅80mの「向こう岸」に泳いで渡るのが「泳げる印」。プールと違い川は流れがあり、底が見えない深さもあります。

さらに「向こう岸」は、断崖絶壁で恐ろしい水深。そして、岩がゴロゴロした岩場。「向こう岸」に渡るのは、「命がけ」です。さらに、一端「向こう岸」に渡ると、こちらに帰って来る必要があります。

小学校4年生の時、一大決心をして「向こう岸」に渡りました。渡って一瞬、満足感に浸りましたが、こちらに帰ってくるのが一大事。満足感がアッと言う間に不安感に激変。

帰り、まずは、平泳ぎ。しかし、強い流れに流され一向に岸に向かわず、流されるだけ。少し焦りました。一大決心をしてクロールに変更。全力で泳ぎ続け、力尽き、ブクブクと沈んだと思ったら浅い処。「命拾い」、助かりました。

今でも鮮明に覚えている命がけで「泳げる印」を取った瞬間、「命がけ」での挑戦でした。時には挑戦、必要に思います。

中学を卒業して商船高専に入学。1年生の1学期末は、1週間の水泳日課。授業はなく、1週間水泳のみ。ノドかな生活でした。水泳日課に入る前にプールで50mクロールと100m平泳ぎのタイムを取り、泳ぎのレベルを5段階に区分。

そして、区分に従った色の帽子を被り海での水泳。日課の最後は全員で1時間の遠泳。この遠泳が不可だと、翌年も水泳日課。江の川のカッパの私は、水泳部員の次のランク、上から2番目で、白の布地に黒線一本の帽子でした。

商船高専は、瀬戸内海に面した場所にあり、夏は、友人と瀬戸内海で海水浴。よく泳ぎました。大学及び大学院でもプールで水泳を継続。

さらに理化学研究所での博士取得研究員時代は、水泳部に所属。1500m平泳ぎは、30分丁度。これが早いのか遅いのかよく分からない記録ですが、ヘトヘトになりました。

山形大農学部、鶴岡に赴任してからも、季節を通じて市民プールで水泳を満喫。5人の子供達は全て水泳教室に通い、個人メドレーが可能です。

私は、今でも週に2回1000mの水泳を継続中ですが、次男は小学校以来水泳から3年間疎遠。次男と一緒に泳いだ先週の日曜日、25mプールで平泳ぎを競争したら頭一つは勝てると思いました。

次男の泳ぎをチラッと見たら、結構、いい泳ぎ。これでは頭一つ離せそうになく、勝負は諦めました。

私が1000m泳いだので、「帰るか。どのくらい泳いだ?」と聞くと「1300m」とのこと。勝負をしなくて正解でした。

スポーツをする年配の方から「スポーツは、健康のためにやっている」と聞きます。

私がスポーツをやっているのは、「健康のためよりも、体が運動を欲していることに起因。今のところ運動のない人生は考えられません」。

このような生活が、何時まで可能か定かではありませんが、体が動く限り運動を続ける予定です。

一昨年受講した放送大学の『健康長寿のためのスポトロジー』。講師の一人は、ソウルオリンピック100m背泳ぎ金メダリストの鈴木大地先生。

先生は、「陸上での競技に比べ水泳を含めたアクアエクソサイスは、膝等に負担が少なく安全で効率の高い運動として期待できる」と推奨していました。

これから70歳、80歳に向け、水泳、テニス、ボディビルのトライアスロン(?)を楽しむ予定です。健康で楽しみがある人生、いいです。

本日は、北国の真冬に泳ぎを楽しむ、「水泳の思い出」を少し紹介しました。

『気力旺盛』(安岡正篤  一日一言)

「気力が旺盛であるということが個人的にも民族的にも最も大事なことで、気力を弱くしてしまったら、教養が多少あろうが、頭脳・知性が優れていようが、技能が発達していようが問題でない」。

「気力というものが一番大事で根本的なものである。日本民族もこの気力を失わなければ、気力が旺盛になれば、いろいろの欠陥は少しも苦にする必要はない」。

「反対にどんな長所があっても、例えば知性だ、技能だ、その他教養があるといっても、気力が旺盛でなければ個人も国家も発展しない」。

『気力旺盛』、重要です。気力を充実させて日々過ごしたいと思います。

2023-01-22

放送大学、「Web単位認定試験」が開始

放送大学は、2学期制で、それぞれの学期に「単位認定試験」があります。2022年度2学期の「単位認定試験」が1月17日から1月25日まで実施されています。本日は、「単位認定試験」について少し紹介します。

学生さんは、コロナ以前の3年以上前までは、山形学習センター(山形SC)で「単位認定試験」を受験していました。

その後、新型コロナが、日本に侵入し、猛威をふるった3年前から、山形SCでの「単位認定試験」は、中止になりました。かつての山形SCでの「対面」受験は、試験準備や対応が大変だったと聞いています。

今年度から、「単位認定試験」は、Web試験に変更され、パソコンや自宅にネット環境があれば自宅受験、ない場合はSCのパソコンを使っての受験です。

今年度1学期、このWebでの単位認定試験は初めての試みでした。初めてのことで学生さんも大変、私達関係者も気を使うことが多い試験でした。しかし、試験は大きな問題もなく無事に終了。

このような試験は、全国でも初めての試みで、これはチャレンジングな試みに思います。コロナが試験制度を変革した一例かもしれません。放送大学、色々と「進化」し続けています。

「単位認定試験」は、「何も問題がなく、無事に終わって当たり前」なので、関係者は色々と気を使います。

今年度2学期の試験も大きな問題なく終了することを期待しています。

私も受験者です。それなりの勉強をして自宅受験を楽しむ予定です。

『因果の法則』(安岡正篤 一日一言)

「人間には奇跡というものはありません。奇跡などというのは研究不足、勉強不足の者の言葉でありまして、原因・結果というものは常にはっきりっしておるのです」。

「悪いことをしますと、いつかは悪い結果があらわれ、善いことをすれば善い結果があらわれる、というのは厳粛な自然の法則であります」。

「したがって人間は因果律というものを大事にしなければなりません」。

『因果の法則』、当たっています。大事にします。

2023-01-20

新渡戸の『武士道』に学ぶ、『致知』巻頭言

人間学を学ぶ月刊誌『致知』、書店での販売はなく、毎月郵送。届くのが楽しみな雑誌です。『致知』は毎号1~2頁は、「巻頭の言葉」。これは3名の執筆者がリレー形式で執筆。

JFEホールディングス名誉顧問の數土文夫さんもその一人。數土さんの「巻頭の言葉」は、毎回楽しみ。古典から味わい深い箴言等を紹介し、毎回、考えらされる「巻頭の言葉」。

數土さんが、2023年2月号に「廉恥心は少年の教育において養成されるべき最初の徳の一つであった(新渡戸稲造著『武士道』)」との表題で「巻頭の言葉」を記す。本日は、それを少し紹介します。

まずは、「新渡戸は、『武士道』の中で、「廉恥心は少年の教育において養成されるべき最初の徳の一つであった」と強調している」ことを紹介する。

「この一文は、極めて重要です。「笑われるぞ」、「対面を汚すぞ」、「恥ずかしくないか」等の言葉は、過ちを犯した少年を正す最後の切り札であり、人間の高潔さに対するいかなる侵害も恥とされると説いている」。

「日本人はこの廉恥心を1945年、戦争に敗れるまで、伝統的に幼少期から徹底して教育してきた」。

私が小学生の頃、昭和30年代、子供同士の遊びの中に「卑怯な事をするな」との言葉が生きていました。

「2003年、台湾元総統の李登輝氏は、敬愛する新渡戸稲造の『武士道』の精神を日本人にいま一度喚起せんと『「武士道」解題』を発刊した」。

「そして、日本の伝統的精神、文化に対する並々ならぬ理解と、日本の現状への失望、それでも止まぬ好意と激励が示され、日本国民への強烈なメッセージとなっている」。

「一国の元トップが他国民へ向けてこうした書籍を発行することは極めて異例である。その書の中で、日本人は「廉恥心」を失った。日本人は「名誉」を口にしなくなった。日本人は「徳」を口にしなくなったと指摘」。

「さらに続けて、「世界に誇るべき『日本国憲法』は、その冒頭で、『国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思う』と高らかに宣言している」。

「にも拘わらず、最近の日本はあまりにも『不名誉』な地位に立たされすぎているのではないか」と李登輝氏は、述べる。

今までも、今も、これからも「廉恥心」、「名誉」、「徳」、生きる上での重要なキーワードに思います。

「『「武士道」解題』が発刊された2003年頃の日本は、それより10数年前のIMD国際競争力ランキングで3年連続1位から転落し続け、20位以下に低迷して回復の予兆すら見えない頃だった」。

「そして、世情も不安定で、少年少女の非行・犯罪や、企業・企業経営者の不祥事が頻発し、政治への不信が募り、「Japan as number one」と謳われた頃の輝きは完全に喪失」。

「巻頭の言葉」は、「廉恥心・名誉・徳は、本来は幼少年時に学んでおくべきものであり、これらと無縁で国家の再生も、独立自尊も決して成立しない」と述べて終わる。

幼少期に生き方の基本を学ぶのは重要に思います。明治から戦前まで、日本の小学生は修身を学びました。「身を修める」学び、修身の学び必要に思います。

『敬と恥』(安岡正篤 一日一言)

「人の人たるゆえんは、実に「道徳」を持っておるということです。そしてそれは「敬」するという心と「恥」ずるという心になって現れる」。

「いくら発達した動物でも、敬するとか、恥ずるとかいう心はない。これは人間にいたって初めて神が与えたものなのです」。

「敬する心は、人間が限りなく発達を望んで、未完成なものにあきたらず、より完全で偉大なるものにあこがれるところから生まれてくる。これは人間独特の心理であります」。

「そして敬する心が起こると、必ずそこに恥ずるという心が生まれてくる」。

「敬する心と恥ずる心とは相対関係のものでありますから、したがって敬を知る人は必ずよく恥を知る人であり、恥を知る人は必ずよく敬を知る人である、ということができるわけであります」。

『敬と恥』、生きる上での重要な指針に思います。

2023-01-18

2月開催市民講座、『やまがた夜話』の予告

山形学習センター(山形SC)では、3つの異なるタイプの市民講座を開講しています。一つ目は、「人間学講座」、二つ目は、「市民教養講座、昼の部」、三つ目は、「市民教養講座、夜の部(夜話)」です。

この市民講座は、市民の皆さんに多面的な学びの場を提供するとともに、市民の方々に放送大学の授業や山形SCの特色を紹介し、放送大学に関心を持っていただくことを目的としています。

本日は、2月に3回シリーズで開催予定の「放送大学山形学習センター教養講座(やまがた夜話)」についてお知らせします。

まず、第一弾は2月7日(火)、荒木志伸先生(放送大学客員准教授、山形大学学術研究院准教授) の『東北地方の石の文化財-山寺立石寺、出羽三山、松島の調査から-』です。

講演の概要は、「山形県には著名な霊場が集中しています。それぞれの空間内には多くの石碑が残っており、山寺立石寺だけでも約1000基があります。これらは、いつ、だれが、何のために建立したのでしょうか」。

「調査成果や松島等の他地域との比較を含め、石の文化財からみた地域の歴史について、わかりやすく読み解いてみたいと思います」。

第二弾は2月14日(火)、放送大学山形SC客員教授及び山形大学学術研究院教授(理学部担当)の近藤慎一先生で、テーマは、『温泉の化学』。先生のご専門は、有機化学・分子認識化学。

講演の概要は、「ご承知のように、山形県は多くの温泉に恵まれています。泉質も多様性に富んでいて、山形市内だけでも様々な温泉に入ることができます」。

「今回は温泉について、その成分などを化学的な側面から見ていきたいと思います。温泉分析書を読めるようになります」。

シリーズ最後の第三弾は2月28日(火)、私が『自然の調和の解明と活用及びSDGs-無肥料・無農薬のお米作り等-』のタイトルで話題を提供します。

講演の概要は、「ここでは、SDGs(持続可能な開発目標)とは何か、今何故 SDGs か、その取組と具体例について簡単に触れます」。

「そして、SDGs と深く関わる自然の調和を解明する生態学及び、動物の糞を餌とする糞虫群集研究や、無肥料・無農薬の水田でイネを栽培した研究を紹介し、自然の調和の解明とその活用の重要性について述べたいと思います」。

会場は、放送大学山形SC【講義室】で、会場定員は、16名(無料)です。時間は、午後6時30分から7時30分の「夜話」です。

今回の講座は、「ZOOM(リモート会議)」と「対面方式」の併用で開催します。参加は事前申し込みが必要で、「参加申込書」に必要事項を記入の上Fax、郵送、メール(ZOOM参加の方はメール:ymg-sc@ouj.ac.jpで)でお申し込みください。申込締切日は、それぞれの夜話の前週土曜日までです。

講演の前に10分程度で放送大学及び、山形SCの特色等を紹介します。

山形SCやZOOMで多くの皆さんとお会いできるのを楽しみにしています。

『三学戒』(安岡正篤 一日一言)

「少(わかく)にして学べば、則ち壮にして為すこと有り。壮にして学べば、則ち老いて衰えず。老いて学べば、則ち死して朽ちず(佐藤一斎 言志晩録)」。

「若い者の怠けて勉学せぬ者を見る程不快なものはない。ろくな者にならぬことは言うまでもないが、まあまあよほどのろくでなしでもなければ、それ相応の志くらいはあるものである」。

「壮年になると、もう学ばぬ、学ぼうとせぬ者が随分多い。生活に逐(お)われてだんだん志まで失ってしまうのである。そうすると案外老衰が早く来る。いわゆる若朽である」。

「よく学ぶ者は老来ますます妙である。ただし学は心性の学を肝腎とする。雑学では駄目である」。

「細井平洲も敬重した川越在の郷長老、奥貫友山の歌に「道を聞く夕に死すとも可なりとの言葉にすがる老いの日暮し」と」。

「学び」、何時までも重要に思います。「学びの習慣」、必要に思います。『三学戒』、肝に銘じます。

2023-01-16

正月三が日、『大学』の読み始め

安岡正篤先生の『年頭自警』の一つに、「年頭新たに一佳書を読み始むべし」があります。私の三が日は、安岡先生著の『人間学講話、人物を創る:『大学』『小学』』に挑戦。本日は、『大学』の一端を少し紹介します。

先生は、「人間が素養を積むためには、経書を読まなければならない」と指摘されています。経書とは、人生に最も原理的な指導力のある書で、『大学』や『小学』も経書の一つ。

そして、明治時代までは『大学』や『小学』は、読まない人がいないぐらいによく読まれたとのこと。

先生の『大学』紹介は、「序章 自己を修め人を治める学」、「第一章 「道」に則れば人間無限の可能性(三綱領)」、「第二章 致知格物・治国平天下の因果律(八条目)」、「第三章 三綱領・八条目の典拠」で構成。

『大学』は、人を治める学、政治哲学を説く学問であり、『小学』は日常実践の学問、如何に自己を修めるかという道徳教育の学問であるとのこと。

『大学』では、「明明徳」、「親民」、「止於至善」を三綱領といい、これを実現するために、「格物」、「致知」、「誠意」、「正心」、「修身」、「斉家」、「治国」、「平天下」の八つを挙げて、これを八条目という。

まず、「三綱領の一」は、「大学の道は明徳を明らかにするに在(あ)り」。この一文、奥深く簡潔に分かりやすく説明するのは難しい。一つには、「我々の持っている能力を発揮する」とのこと。

次に、「「道」に至るための「八原則」」として、「止(し)することを知りて而(しか)る后(のち)能(よ)く定まる有り。定まって而る后能く静かなり。静かにして而る后能く安んず」。

「安んじて而る后能く慮(おもんぱか)る。慮りて而る后能く得。物に本末有り。事に終始有り。先後する所を知れば即ち道に近し」。

「止することを知りて而る后能く定まる有り」。ある境地に到達するに及んで、人間はだんだん安定してくる。進歩しなければ安定ということはない。

「定まって而る后能く静かなり」。あるところに到達し、安定して、初めて静かなることを得る。機械でもそう。安定度の高いほど静かな唸りをたてる。不安定な状態にあると落ち着かぬ、静かでない。

「静かにして而る后能く安んず」。静とは純一であること。よく統一され、錬成され、熟練されていること。人間でも出来てくるほど静かに落ち着いてくる。人間の精神作用が静かに純一になり、初めて安定する。

「安んじて而る后能く慮る」。安定して初めて全能力が発揮される、精神活動が自由に行われる。即ちよく慮る。

「慮りて而る后能く得。物に本末有り」。精神というものを十分に活動させて、初めてああだこうだと把握することができる。そして、だいたい存在する物には本末がある。

「事に終始有り。先後する所を知れば即ち道に近し」。すべての事には終始がある。終わりは始めの終わりであって、同時に次の始めである。終始というものは循環する。

「「道」に至るための「八原則」」、感覚的には理解出来、重要な教えに思います。

また、「致知格物・治国平天下の因果律(八条目)」は、「古の明徳を天下に明らかにせんと欲する者は、先ずその国を治む。その国を治めんと欲する者は、先ずその家を斉う」。

「その家を斉えんと欲する者は、先ずその身を修む。其の身を修めんとする者は、先ずその心を正す。その心を正さんと欲する者は、先ずその意を誠にす」。

「その意を誠にせんと欲する者は、先ず其の知を致す。知を致すは物を格(ただ)すに在(あ)り」。

「天下を正し治める」ということと、「致知格物」ということは一つである。大臣や総理がまずその心を正せば、自然と天下の人心は正しくなる。

「知を致(きわ)むるは物を格(ただ)すに在り」、即ち「正しい知、真知を持つということは、つまり事物の真実・真相に到達することにある」。「致知格物」の物は、物ではなく法である。

「知を致むるは法を格(ただ)すに在り」、つまり自然科学も道徳科学もすべて同じことで、法則というものがある。我々が本当に知を致むる、真知に到達するためには、法則・心理を正しく把握しなければならない。

「致知格物・治国平天下の因果律(八条目)」、味わい深い教えです。肝に銘じたいと思います。

『大学』に挑戦、始まったばかりで理解度は低いですが、継続して学ぶ予定。楽しみたいと思います。

『三日書を読まざれば』(安岡正篤 一日一言)

「黄山谷(こうざんこく)に次のような名高い語があります。「士大夫三日書を読まざれば則(すなわち)理義胸中に交わらず。便(すなわち)覚ゆ、面目・憎むべく語言・味なきを」」。

「書は聖賢の書。理義は義理も同じで、理は事物の法則、義は行為を 決定する道徳的法則であります」。

「大丈夫たるものは三日聖賢の書を読まないと、本当の人間的意味における哲理・哲学が身体に血となり肉となって循環しないから、面相が下品になって嫌になる、物を言っても言動が卑しくなったような気がする、というのであります」。

「本当の学問というものは、血となって身体中を循環し、人体・人格をつくる。したがって、それを怠れば自ら面相・言動も卑しくなってくる」。

「それが本当の学問であり、東洋哲学の醍醐味もまた、そうゆうところにあるわけであります」。

『三日書を読まざれば』、納得します。心に留めたいと思います。