2022-05-30

男子厨房に入る、「男の料理」の楽しみ

「男子厨房に入らず」。どこかで聞いた言葉です。昨年12月から「男子厨房に入っています」。これまでの半年間で約20種類の料理を作りました。本日は、「男の料理」とその楽しみを少し紹介します。

「我が社」、土日に面接授業があり、ほとんど出勤。定休日は月曜日。毎月曜日は家族に「男の料理」の希望を聞き、それに応えています。

料理を作る参考書は『男の料理術』の本ですが、インターネットを活用し、料理の作り方も学んでいます。便利な世の中です。

「男の料理」、私が名前も味も知らないイタリア料理、ラザニアにも家族の希望に応えて挑戦。さらに、ハンバーグ、ふわとろオムライス、茶碗蒸し、五目おこわ、八宝菜、メバルの煮つけ、サクサク天ぷら等々。

色々な料理に楽しく挑戦しています。

現在では、料理の作り方がネットで動画配信されていますので、これは本で学ぶより便利で参考になります。動画で料理作りを見てレシピを印刷すれば、大体の料理は作れそうな気がします。

一方、これらを参考にしたレシピは、2人分が基本。我が家では6人分か8人分を作ることが多く、食材や調味料の分量が問題。今のところ2人分の量を3倍か4倍にして対応しています。

これまで半年間の経験で水を加える料理では、水の量が要注意であることを学習。前述のようにレシピでは、2人分が基本なので、3倍か4倍の水を加える必要があります。

これが曲者。水が多すぎることがある。これは教訓です。水分量は、3倍か4倍を一気に注がず、少なめの水を注いで様子を見るのがコツ。失敗して学ぶのは、専門の実験と似ています。

男の料理を作り始めてから居酒屋や割烹等での料理を見る目が少し変わりました。「料理人の目」で見ています。学びです。参考になります。

『男の料理』を作っていると、子供の頃の我が家の夕食作りが蘇ります。共働きの両親は、安いトリスウイスキーでロックを作り、一つのコップでチビリちびり遣り楽しそうに夕食を作っていました。

私の『男の料理』、両親の遺伝子を引き継ぎ、ウイスキーのロックを遣りながら作ります。

「男の料理を作る」のが目的なのか、「チビリちびり遣る」のが目的か定かではありません。両方を楽しんでいます。第二の人生、休日には『男の料理』を楽しく作る。楽しみが一つ増えました。人生二度なし、楽しみ重要に思います。

『笑いと成長』(平澤 興 一日一言)

「ある人が申しました。どこまで笑って暮らせるかということで、その人の人間としての成長がわかると」。

「ある人は80のところでもう怒ってしまう、ある人は70のところでへこたれてしまう、ある人は95くらいのところまでは我慢できる等々です」。

「どこまで我慢できるか、どこまで心の平和を保つことができるかというような高さが、その度盛りが、人間の成長度を示す」。

「どこまで我慢できるか、どこまで心の平和を保つことができるか」、簡単なようでそうでもないと思います。『笑いと成長』、胆に銘じます。

2022-05-28

山形SC「学びのサロン」、2022年度が開始

大学では、学生が他の学生や教員とゼミを通じた自主的な学びが可能です。私の研究室での学生諸君の成長を振り返ると、ゼミを通じて成長していました。大学でのゼミ、不可欠に思います。

今年度も5月から、山形学習センター(山形SC)の「学びのサロン(ゼミ)」が始まりました。

今年度は、客員教員を2名増員し、6名から8名。それにより昨年度は7サロンが、今年度は9サロンに増加。本日は、この「サロン」を少し紹介します。

9のサロン、「生活の中の科学を考えてみよう」、「生活を支える福祉用具・住環境整備」、「変体仮名で読む『伊勢物語』」、「歴史学で読み解く感染症」、「感情の発達心理学」、「英語でLet’s talk トピックス」。

さらに、「脳卒中のリハビリテーションと介護」、「看護を追求した理論家から学ぶ」、「「農」の価値を学ぶ:『農は過去と未来をつなぐ』、を読む」と多彩なタイトルで構成されています。

私の「サロン」は、岩波ジュニア新書『農は過去と未来をつなぐ』(宇根豊著)を輪読し、環境稲作を提唱してきた著者が、「農」が本来持っている価値を1つ1つ拾い上げて行くのを理解します。

著者は、個性的な人でその個性は、本書の「はじめに」の記述に現れています。少し記します。

「この本では、今まで軽視されてきた、農の中心部分を心をこめて、確信をもって語る」。

「これまでの農業に対する常識をかなり否定する」。

「「農産物をたくさん生産するのがいい農業だ」という見方は、とても一面的である。「所得が多い方がいい、労働時間が少ないほうがいい」という見方も相当にゆがんでいる」。

「このような常識の間違いを説明し、ゆがんだ常識を正しながら、豊かな解釈ができ、楽しい語り方ができることを示す」。

今回は、私が「はじめに」と「第1章 私の田んぼの四季と仕事」を簡単に紹介しました。

私は、無肥料・無農薬・無除草剤の「自然共生水田」でイネを2007年頃から10年以上栽培した実験や現地試験を行いましたので、それも少し紹介。

そして、参加者で多面的な意見交換。意見の一部を紹介します。

「人間の本性として土をいじるということがあるのではないか」。「小さい庭の管理をしているが、草刈りが大変である」。「アイガモを使った田んぼで作られたお米を購入しているがとても美味しい」。

「子供が小さい時に水辺の生き物がたくさんいる田んぼに連れて行ったが、子供達は大変喜んでいた。生き物を観察することは重要に思う」。

「日本の農業は、機械化の農業でお金ばかりかかり僅かな田んぼでは経営がなりたたない」。

「昔はそうではなかったが、今では田んぼにイノシシが出て、田んぼを駆け回ったり、田んぼを掘ったりして、イネが倒され被害が大きい」。

「昔は、イネを収穫して天日干しにし、水分が多めの美味しいお米を食した。今は、お米の水分含量が14%前後に決められていて、昔のお米とは違う」。

参加者の意見から色々と学びました。皆さんに感謝です。

『陶冶(とうや)する』(安岡正篤 一日一言)

「最高の教育を受けた人間も、その後の自己陶冶を缺(か)いては、立派な人間には成り得ない。ごく劣悪な教育も、自己陶冶によっては、なお改善され得るものである。いかにも人間は陶冶次第です」。

「「陶」というのは、焼き物を造る、「冶」というのは、冶金の冶で、金属を精錬することであります」。

土を粘(ね)り、焼いて、陶器を造る。鉄を鍛えて鉄器を造るようなもので、人間もやはり、焼きを入れ、鍛えるということをやらなければ、ものになりません。いくつになってもそうであります」。

『陶冶する』、「いくつになっても焼きを入れ、鍛える」、重要に思います。

2022-05-26

小さな幸せ、『子供達との居酒屋放浪記』

『たのしみは 妻子(めこ)むつまじくうちつどひ 頭(かしら)ならべて 物をくふ時』

福井生まれの幕末の歌人、橘 曙覧(あけみ)の『獨樂吟(どくらくぎん)』。「たのしみは」で始まる歌集です。ホノボノとした「たのしみ」が伝わって来ます。私の好きな歌集の一つ。

本日は、「小さな幸せ、『子供達との居酒屋放浪記』」について少し記したいと思います。

我が家の5人の子供達、中三の次男以外は全て成人。子供達が大学生、私が出張で彼らが生活している地域を通過する時等、居酒屋で夕食を一緒に楽しみました。

そのひと時、何となく小さな幸せを感じ、良かったです。その後、彼らが大学を卒業した今でも『子供達との居酒屋放浪記』は、続いています。

『子供達との居酒屋放浪記』、何故、小さな幸せ、「たのしみ」を感じるのだろう?その理由を少し考えました。

気を遣わずに飲食を楽しめる。四方山話に花が咲く。何となく親父を慕ってくれる。親子である。

親子であることの影響って何だろう?彼らが赤ん坊の頃から一緒に生活し、彼らの成長を目の当たりにして、一緒に悩み楽しんだ時間の共有も大きいかと感じます。

親子で血が通っていることも大きいでしょう。親と子の本能的な繫がり。本能的な繫がり、具体的に何かはよくわかりません。

気楽に四方山話をして、美味しい料理を食し、味わい深い「お水」をいただく。お互い気を遣わずに多面的に楽しめる時間の共有。それが、何となくよいのかもしれません。

『たのしみは まれに魚煮て兒等(こら)皆が うましうましと いひて食ふ時』。

この曙覧の歌が本質を記しているようにも思います。

『子供達との居酒屋放浪記』、小さな幸せを感じる理由、分かったようでよく分からない。

理由はよく分かりませんが、これからも「小さな幸せ」に多く出会い、二度ない人生を「たのしみたい」と思います。

『父親の役割』(安岡正篤 一日一言)

「人間はやはり、良心・霊性・魂にひびかなければ、何事も真の解決は出来ないのであります」。

「然(しか)もそういう純な心は、もう二つ三つの幼児の頃から、子供は本能的に鋭敏に受け取ることが出来る」。

「だから子供は言説で教えるよりも、情的に感じ取らせることの方が大事なのです。親父は千言万言を費やして説教するよりも、黙って子供に見せることであります」。

『父親の役割』、「黙って子供に見せることであります」。なるほどと思います。

2022-05-24

出来なかった事が出来る嬉しさ、テニス編

人はこの世に生を享けて成長するとともに出来なかった事が出来るようになる少年及び青年期を経て、出来たことが出来なくなる老年期を迎え、この世を去ります。

本日は、出来なかった事が出来る嬉しさ、『テニス編』を少し紹介します。

「出来なかった事が出来るようになり、出来たことが出来なくなる」、これは、私の人生を振り返ってもあてはまります。

例えば、鉄棒。小学生の頃、出来なかった逆上がりが出来、中学生では、前回りや後ろ回り、さらには蹴上がりが出来るようになりました。しかし、シニアの今、鉄棒にぶら下がるだけ、「全く何も出来ません」。

一方、怪我や病気により出来ていたことが出来なくなり、それが回復して再度、出来ることもあります。

昨年10月中旬に頸椎を損傷し、それ以降は右腕が上がりません。一因は、テニスでの張り切り過ぎかと思いますが、詳細は不明。ネットでは、加齢による可能性もあるとか。

毎日、独自のリハビリを15分間続けて7ヶ月後の今、ある程度上がるようになりました。しかし、右腕で少し重い物を持つのは無理。

このように右腕は完治していませんが、3月中旬から5月中旬までのテニススクール、ランクを落として参加。右腕さえ動けば簡単に打てるボールも思うように打てません。

「くやしい思い」。下手だと思われていますが、これも今の実力。このレッスンは8回で終了。先週8回目、少し打てとても嬉しくなりました。ダブルス6戦3勝3敗。これからギアを上げます。

テニスをまだまだ、上手になりたいし、まだまだ、テニスを楽しみ、良い汗を流したいと思っています。

私の好きなスイス出身のワウリンカ選手。元世界ランク3位、現在37歳。怪我をしてその後、ランクが急降下し、今は361位。片手バックハンドが、力強くて美しい。私が見本としている一人。

「2度の手術後、この歳なら現役を引退しても不思議ではない。でも、僕はまだやる気に満ち溢れて素晴らしいテニスができると信じている。数ヵ月後には大きな結果を残せると思う」とのコメント。

このワウリンカ選手が、最近開催されたイタリア国際大会で1年3ヵ月ぶりに白星。そして、3回戦進出。嬉しくなりました。ワウリンカ選手も1年以上勝ちがなく「くやしい思い」をしたと思います。

我が郷里、島根の有名人、錦織圭選手。元世界ランク4位。今年1月から怪我治療で試合の出場はなし。現在84位。8月頃から復帰予定とのこと。楽しみです。

何事に関しても「くやしい思い」は、進化に繋がる可能性が大だと思います。この思い重要です。6月中旬から新たなレッスンが開始。8割の「チカラ」でテニスを楽しみ、「くやしい思い」を少なくします。

出来たことが、加齢により出来なくなるのは不可避です。老化とどう付き合うか。今回の右腕の教訓は、「老年期には、色々な事を8割の力で楽しこと」と、最近思うようになりました。

出来なかった事が出来る嬉しさ、『テニス』、楽しみます。

『道を開くもの』(平澤 興 一日一言)

「若者よ、諸君が覚悟をして燃える時、諸君には自らもわからぬような無限の可能性が展開されるのだ」。

「この可能性の展開は、いわゆる頭のよしあしの問題ではなく、実に諸君の火と燃える意志と何ものにも負けない不屈の努力にある」。

「情熱、実行、努力―これこそが諸君を生かし、諸君を伸ばす力である。諸君はその目的に向かって全情熱を傾けることだ。不屈の意志あるところ、道は開ける」。

『道を開くもの』、「情熱、実行、努力」、重要に思います。

2022-05-22

「人生について思索する」

本日は、山形学習センター機関誌『ゆうがく』5月号に掲載される『巻頭言』を紹介します。

「人生二度なし。これ人生における最大最深の真理なり」と、国民教育者であり、哲学者の森信三氏は述べています。

古代中国に端を発する自然哲学の思想に「五行説」があります。この五行の色と四季を合わせて、青春、朱夏、白秋、玄冬の言葉が生まれたそうです。

これを人生に例えると青年期は「青春」、30代から40代は「朱夏」、50代から60代は「白秋」、晩年期は「玄冬」。65歳から始まった我が第二の人生、これから「玄冬」です。

最近、「今までの人生とは何であり、これからの人生をどう生きるか」とフト考えることがあります。

10代半ばからの「青春」には、「生きるとは何か」を思索しました。この時期、シュバイツァー博士の「生命の畏敬、生きることに価値がある」を学びました。

「朱夏」から「白秋」への28年間の大学教員時代、前半は教育・研究に専念、後半は学部や大学の管理運営に従事した日々。仕事に時間の大半を費やし、「人生について」考えることが少ない時期でした。

「玄冬」に向かう今、時間的な余裕が「人生とは何か」という本質的な命題を思索させます。

27歳で京セラを創業し、78歳からの3年間でJALを再生した稲盛和夫氏は、「人生の目的は、世のため人のために生き、愛と誠と調和に満ちた美しい心を作り、魂を磨き人格を高め、人間性を豊かにすることである」と教えています。

また、渋沢栄一氏は、「天意夕陽を重んじ、人間晩晴を尊ぶ」を晩年に好んで揮毫したそうです。

これは、「太陽は一日中働き、沈む瞬間に鮮やかな光を放つ。夕陽があんなに美しいのは、天がそういう生き方を賞賛しているからである。人間もまた夕陽のように、晩年になればなるほど晴れ渡り、残照で周囲を照らすような生き方がよい」との教え。

「天意夕陽を重んじ、人間晩晴を尊ぶ」を目指し、「世のため人のために生き、魂を磨き人格を高め、人間性を豊かにする」ことを胸に、これからの人生を楽しみたいと思います。

皆さんも忙しい日々、ちょっと立ち止まり今までの人生を振り返り、これからの人生について思索してみては如何でしょう。「人生二度なし」です。

『元気』(安岡正篤 一日一言)

「われわれは「気」を養うということが、一番根本の大事だ。いわば生のエネルギーを養うということ、いい換えれば「元気」ということが一番である」。

「元気がないというのは問題にならぬ。しょぼしょぼして、よたよたして、一向に反応がないなんていうのは、論ずる価値がない」。

「とかく人間は有形無形を論ぜず、元気というものがなければならない。元気というものは、つまり生気である。生のエネルギー、生々しておるということである」。

『元気』、重要に思います。

2022-05-20

放送大学、『通信指導』が始まりました

放送大学は、2学期制で学期末に単位認定試験があります。そして、学期の中間には『通信指導』があり、これを受けないと単位認定試験の受験資格がありません。

2020年10月に放送大学の学生になり毎学期1科目を受講し、今学期は『英語で「道」を語る』、を受講中。『通信指導』が始まりました。本日は、一部再掲も含め『通信指導』について少し紹介します。

『英語で「道」を語る』の「授業科目案内」には、以下のような【講義概要】と【授業の目標】が記されています。

【講義概要】「道」という概念を鍵として、日本で実践されている様々な「道」の在り方や、その背後にある思想や価値観を、英語でどのように表現できるのかを学ぶ。

【授業の目標】「道」を中心とする日本の文化・思想・価値観等を英語で説明できる表現方法を学ぶ。

受講前は、『英語で「道」を語る』を楽勝で理解出来ると思っていました。この授業、テキストは全て英文で茶道、華道、武道、仏道等の「道」に関する記述がされています。

テキストの英語構文は、難しくはありません。しかし、単語が私の元専門の生態学とはかけ離れ、そう楽勝でもありません。楽勝でないことは、良い事です。知らない単語は、刺激と勉強です。

今受けている『通信指導』は、Web通信受験が可能。授業は15回、Lesson 15まであり、今回の『通信指導』は、約半分のLesson 7までを受講していないと回答は難しい。

この『通信指導』は、設問が10の試験形式。各設問は、4つの記述から正解を1つ選ぶ択一式問題。これ結構、頭を使います。脳への刺激、頂きます。

そして、解答を送信すると直ぐに正解と解答の解説が返信され便利です。

「♪生きるとは学ぶこと、♫学ぶのは楽しみ♪」、「♪生きるとは知ること、♫知ることは喜び♪」。これは、放送大学歌の一部抜粋。

人生100年時代の今、学びや知ることを通じ、人生を楽しみ、喜んで生きたいと思います。

『まっしぐらに生きる』(平澤 興 一日一言)

「人それぞれに燃え方は違っても、そのどれが良いとか悪いとかいうことではなく、大切なことは、せっかく人間として生まれてきた以上は燃えて夢を持ちながら、それに向かってまっしぐらに生きるということであります」。

「人生において退屈する程つまらなく、気の毒な状態はないでしょう」。

放送大学の学生の皆さんと接していると「夢を持ちながら、それに向かってまっしぐらに生きる」を感じます。何歳になっても「夢を持って生きる」こと、重要に思います。

2022-05-18

インドネシアからの留学生の思い出

先日、午前中の農作業後、お昼休みに書斎から庭木を見てボーっとしていたら、ふとインドネシアからの留学生のことを思い出しました。本日は、再掲も含め少し紹介します。

私の10代後半の夢は、熱帯での生活でした。初めての熱帯、インドネシアの首都ジャカルタ、スカルノ・ハッタ国際空港に着陸した時、南国の何とも言えない「よい香り」に感動。南国、いいです。

インドネシアへは、10回以上出張し、2つの国際共同研究を実施。そして、5名の留学生と博士論文の研究を通じ彼らから多面的に学んだ、刺激の日々。全員優秀でよく研究し、我が研究室を支えてくれました。

毎年、正月3日には、我が家で彼らと食事会。お雑煮やおせち料理を一緒に食し、私の子供達も含め百人一首での坊主めくりやトランプを楽しみました。みんな陽気で元気な仲間、お正月の楽しい恒例行事。

ジャカルタから東に1時間飛行すると、インドネシアの古都、ジョグジャカルタに到着。そこには、インドネシア約3000の大学、ランキングトップのガジャマダ大学があり、5名の留学生は、この大学の卒業生。

山形大で博士号を取得した学生諸君は、何時も3月末に母国に凱旋帰国し、3月は、毎年、別れの季節。

その中でも特に、鶴岡で6年生活した頑張り屋の女子留学生の送別会は忘れられません。送別会では、研究室の学生諸君が一人ずつ彼女との思い出を語り、その後、教員、最後は送別される彼女の挨拶。

のっけから涙モード。名前に似ず心優しい3年生の女子学生、ヒグマ君が、「年を取ると涙もろくなります」と、涙をこぼしながら思い出を話す。

「馬鹿者、ヒグマ。若いヒグマがのっけから涙を流してどうする」、と言いつつも、こちらも涙腺が緩くなるのを感じ、何となく危ない雰囲気。 

8年前のある日、彼女が私の部屋に研究討論に来て、それが終わり帰る時に一瞬立ち止まり、「先生、研究とは関係ない質問をしていいですか」と聞きました。

「いいよ、何だい」。「先生は、何時もエネルギッシュで、先生と話すと何時も元気をもらえます。何故、先生は何時もエネルギッシュなのですか、どうしたらそうなれるのですか」。

全く予期せぬ質問。「私は自分がエネルギッシュだとは思わないし、私も悩む時があれば、落ち込む時もある。その質問には上手く応えられない」。

「でも、私が学んでいる人の生き方は、参考になるかも知れない」と、稲盛和夫塾長や中村天風先生及び安岡正篤先生から学んだ考え方や生き方等を少し紹介。

「生きる目的により人の生き方、人生が変わる。志を高く持ち、世のため人のために役立つことを行い、常に喜びを心に描く。そして、感謝の気持ちを忘れず、物事を楽観的に考える。人生は、心一つの置き処」。

「そうすると宇宙霊(神)と一体になり元気が出る、と言われている。私もそう思う」。彼女は、少し分かったような感じで帰りました。 

彼女の送別会。私が話す番となり、まず、「米国では、卒業を Commencement(出発)と言う。日本での6年間の経験を活かして、二度ない人生を楽しみ、色々と新たなことに挑戦する人生を歩んで下さい。今日から新たな人生に向けての出発です」、と微笑みながら余裕を持ち順調な出だし。

彼女への餞(はなむけ)に3つの話を準備し、それを紹介しようと一呼吸。これが間違い。

一呼吸の間に、13年前、共同研究のためインドネシアに行き、彼女と初めて会った時、「私の処で博士号を取得したい」と、彼女が言った日から13年の日々が走馬燈のように浮かびました。

思いもかけず急に涙が溢れ出し、言葉がでません。平常心、まだまだ修業が足らず、未熟者を痛感。

最後に彼女が、鶴岡での研究生活や学生諸君との思い出を語り、私との研究生活等を紹介。

「先生は、一度も私に一生懸命勉強せよとか、一生懸命研究せよとか言わなかった。何時も研究生活や日本での生活をしっかり楽しんで下さいと言ってくれました」と話し、前述の私への質問と私の応えを紹介。

勿論、彼女も話しながら大泣き。教員は、学生諸君に教える事より、学生諸君から学ぶ事の方が多い。また教職は学生諸君から多くの感動をもらえる有り難い職に思います。

このようなひと時は、まさしく教師冥利につきます。6年間、冬は猛吹雪の鶴岡での生活に耐え、暑い夏は、毎日50ccのバイクで酒田の水田調査に通った頑張り屋の彼女。色々と学びました。感謝です。

写真は、スカルノ・ハッタ国際空港の搭乗前の一葉。南国、いいですね。

『教育の役割』(平澤 興 一日一言)

「教育とは、火をつけることだ。教育とは、火をつけて燃やすことだ。教えを受けるとは、燃やされることであり、火をつけられることです」。

「相手の心に火をつけることは、ただ一方的な命令やおしつけでできるものではなく、こちらも燃えて相手と一つになり、相手のかくれた可能性を見いだして、これを燃やすことである」。

「相手のかくれた可能性を見いだして、これを燃やすことである」、これは教育だけでなく子育てを含め、人を育てることに通じると思います。『教育の役割』、簡単なようでそうではありません。

2022-05-16

『市民講座:シリーズ人間学を学ぶ』ご案内

多面的に活躍されている多彩な方を講師とし、山形学習センターで昨年11月から2ヶ月に1回程度、5回シリーズ、『市民講座:シリーズ人間学を学ぶ』を開講しています。

本日は、5月28日(土)『第3回市民講座』のご案内と講演者のご紹介をします。

『市民講座:シリーズ人間学を学ぶ』 

第3回 「最大の危機こそ最良のチャンス ~人、しごと、マインドで今と未来を生きる~」

日時 2022年5月28日(土)14時~15時30分

場所 放送大学山形学習センター 講義室

講演者 山形大学特任教授 大場好弘 氏(前山形大学副学長)

ネット配信も予定しています(事前申し込み:電話023-646-8836、メール ymg-sc@ouj.ac.jp)。

放送大学の学生以外の方も聴講できますので、ふるってご参加ください。講演概要を以下に記します。

「人生には様々な困難が待ち受けていますが、それが飛躍のチャンスです。その機会をどのように捉えて、解決すべき課題を明確にして何をなすべきかを考え抜き、継続して実行していく事が大切です」。

「組織内部で解決できない場合は、外部に解を求めて他機関と連携して迅速に解決するべきです。信頼できる人を見つけ出し、正直に熱意をもって話し、共創体制を作る事が肝心です」。

「ビジョン、熱意、行動力が現状を変え、ゴールは事業によって人々を幸せにすること。同時に事業を継続するための組織形成も大切です。次世代を担う多様な人材を登用して柔軟な組織を作り上げる事です」。

「大学の研究拠点創りを題材に、あるべき姿は何かを考えます」。

大場先生は、元山形大工学部長で有機電子材料や超分子化学等の専門分野で優れた業績をあげ、文部科学大臣賞科学技術賞や山形県科学技術賞等を受賞されています。

さらに、工学部の最優秀教員にも選ばれ、熱い講義は有名。「ビジョン、熱意、行動力で現状を変える研究者」です。多くの皆さんが、大場先生の熱い講演を聴講されるのを楽しみにしています。

『市民講座:シリーズ人間学を学ぶ』の開催趣旨を紹介します。

「人生を如何に生きるか」との命題は、二度ない人生を生きる私たちにとり重要な問題の一つです。

しかし、私たちの多くは、日々の忙しい生活に追われ、ゆっくりと人生について考える時間が少ないのかもしれません。

そのような中『市民講座:シリーズ人間学を学ぶ』の趣旨は、講演者が歩んできた人生等を紹介し、その多面的な学びを通じ、参加者の皆さんが自らの人生を考える一助にすることです。

ここでは「人間学」を「人生をより良く生きるための人としてのあり方に関する多面的な学び」と広義の意味で捉えたいと思います。

幕末の儒学者佐藤一斎先生は、『言志四録、三学戒』の中で「少(わか)くして学べば壮にしてなすあり。壮にして学べば、老いて衰えず。老いて学べば、死して朽ちず」と生涯の学びの重要性を指摘しています。

本講座では、多くの皆さんが、忙しい中で生活している今、ちょっと立ち止まり、少しの間、生涯の学びの一つ「生きること」を一緒に思索できれば嬉しく思います。

『求めるとぶつかる』(安岡正篤 一日一言)

「書物でも、何か真剣に研究を始めて本屋へ入ると、それに関連する文献は必ず目に入る。不思議に、それこそ本に霊があるかのように、待ってましたといわんばかりに、ふいっと目に入る」。

「これは本屋漁(あさ)りする人は皆経験することだ。ところが、こちらが何の問題意識もなしに、つまり空々漠々で本屋へ行っても、くだらない駄本しか目につかない」。

「それと同じように、人間も真剣に求めていると必ず求める人物にぶつかるものです。生きた人物にもぶつかるし、故人にもぶつかる」。

『求めるとぶつかる』、心に留めたい箴言です。

2022-05-14

多くの人に愛された「いさ兄」、旅立つ

山形大農学部や本部国際交流課及び放送大学山形学習センター(山形SC)でお世話になった「いさ兄(にい)、旅立つ」の訃報が4月下旬に届き、焼香に行きました。73歳の若い旅立ち。残念です。

「いさ兄」とは色々な思い出がありました。本日は、「いさ兄」との思い出の一端を紹介し、「多くの人に愛された「いさ兄」」、人に愛される要因について考えたいと思います。

最初の「いさ兄」との縁は、「いさ兄」が副事務長で農学部に異動した時でした。農学部将来検討委員会ワーキングで、私が取りまとめ役、「いさ兄」は事務メンバーとして出席。

何時もニコニコして、農学部改革について積極的に提案してくれました。

次の縁は、私が教育・国際交流担当として山形大本部に異動し、「いさ兄」が定年後3年間の山形SCでの勤務を終え、再雇用職員として国際交流室、室員の時。何時も室員から「いさ兄」と慕われていました。

国際交流業務は、初めてにも関わらず、何時もニコニコして積極的にアイデアを出してくれ、国際交流室の温かい雰囲気づくりにも貢献。

その時期、インドネシアの大学との国際交流への随伴を依頼。喜んで快諾。インドネシアの古都、ジョグジャカルタに到着後、私と同僚は、大学で共同研究の打合せ。

「いさ兄」は、夕方から一人でペチャ(自転車で引く人力車)に乗り、ワヤン・クリ(伝統的な影絵芝居)を観に行くとのこと。「いさ兄、気を付けて行って無事に帰ってよ」、とお願いし、我々は大学へ。

私と同僚は、打合せを終え、ホテルに帰り「反省会」。夜の10時になっても「いさ兄」が帰ってこない。

「いさ兄」は、インドネシア語も英語も不得意。心配になりましたが探しようがありません。

11時前にやっと「いさ兄」が帰ってきて、ホッとするともにお土産話に花が咲き、「反省会」が、さらに盛り上がりました。「知的好奇心旺盛な挑戦者、いさ兄」の一端を見ました。

写真は、「いさ兄」と一緒に訪問したジョグジャカルタの街。

私が、山形SCに赴任し、「いさ兄」が山形SCに勤めていた頃の広報活動を聞きました。「市役所等の担当課に資料を持参し、飛び込み説明です」とのこと。相変わらず熱い「いさ兄」。

「いさ兄」は、放送大学の学生で山形SC同窓会の役員でもありました。私が、役員会に出席した時、「いさ兄」が「山形SC広報活動の一つとして、同窓会の役員が中心となり、山形SCオープンキャンパスを開催しよう」と提案。

相変わらず熱い「いさ兄」。とても嬉しくなりました。

山形SC機関誌『ゆうがく』にも「卒業者体験発表」を寄稿。そこには、以下の記述がありました。

「安田先生から紹介された「少(わか)くして学べば壮にして為すあり。壮にして学べば老いて衰えず。老いて学べば死して朽ちず」の言葉を大事にし、家族の理解も得たので次のコースを学ぶことにしました」。ここでも「いさ兄」の挑戦者魂、発揮です。

香典返しに「お礼の言葉」として『教わったことを胸に、一歩ずつ歩んでまいります』との表題の一文がありました、その一部紹介します。

「父の口癖は「勉強しろ」でした。これは、私達姉弟がそれぞれの家庭を持ってからも事あるごとに言われ続けてきた言葉です」。

「そして、人生の手本を示すように自らも実践してきました。だからこそ、挑戦することに妥協しない人でした」。

「姉が知らない土地での生活を始める時も私がデンバーへ留学する時も、私が仕事で悩む時も、「まずはやってみろ」と私達の背中を押し続けてくれました」。

「「諦めずに続けろ」と何時も応援し、前向きな方向に導いてくれました」。

多くの人に愛された「いさ兄」、その一端を見たように思います。「勉強しろ」、「まずはやってみろ」、「諦めずに続けろ」。何時もニコニコして何事にも軽いフットワークで積極的に挑戦。このような性格は、多くの人に愛される所以(ゆえん)です。

「いさ兄」、色々と有難う。天国で少しゆっくりして下さい。「いさ兄」に感謝です。

『えがお』(平澤 興 一日一言)

「顔は心の窓というが、えがおで挨拶するには少なくとも三つのものが要(い)る。即ち美しい心と、正しい心と、強い心である」。

「心が濁っていたり間違っていたり、自分の気持ちに勝てないようでは、美しいえがおは持てない」。

「どんな場合にも、えがおで貫き通せるようになれば、それは信仰者の一つの姿を具体的に身につけたとも言われよう」。

『えがお』、重要です。いつも笑顔の「いさ兄」、いいですね。