本日は、令和2年度最後の日、3月31日。明日からは、令和3年度、新年度の始まり。学校では新入生が、会社等では新入社員が活躍する時期です。放送大学も新学期が始まり、新たな出会いが始まります。
本日は、新たな出会いの前のお別れ、3月28日の放送大学山形学習センター(山形SC)学位授与式について少しお話します。
放送大学は、2学期制で9月末と3月末に学位授与式があります。今回は、30名の卒業生と1名の大学院修了生。学位授与式の参加者は、15名と1学期の参加者3名の5倍。
卒業生には、この1年間で色々とお付き合いした方々もおられ、嬉しい日でした。卒業生の皆さんは、色々な困難を克服されて学び続け、晴れてご卒業。学位授与式の良さを改めて感じました。
卒業者30名の2名は、6コース全てを修了された名誉学生。2名は3コースを修了された生涯学習奨励賞受賞者。本当に頭が下がります。
式辞として三つのことをお話しました。その一部を紹介します。まず、卒業は、新たな挑戦に向かっての出発である。次に、二度ない人生で教養を身に着ける重要性。最後に、生涯、学び続ける習慣の必要性です。
米国では、卒業のことを、コメンスメントと言います。これは、「新たな生活の始まり」、「出発」を意味します。私も卒業は、新たな出発に思います。人生の節目は重要です。
「大学卒業」は、人生の中でも大きな節目、「新たな生活の始まり」として、重要な節目の一つに思います。
ご卒業を一つの節目とし、放送大学で培った幅広い教養を元に新たな人生に楽しく挑戦して下さい。人生二度なしです。
二つ目は、「二度ない人生で教養を身に着ける重要性」をお話しました。放送大学は、「教養学部」一学部の大学です。
他の大学と異なる点は、卒業までに多面的な教養を学び、それを身につけ卒業することです。これから人生百年時代に向かい、教養はとても重要で、それは、二度ない人生を豊かにします。
他大学にない、多様で深い教養を身につけ放送大学をご卒業されることに、誇りと自信を持って頂ければ嬉しく思います。
東洋哲学の泰斗、安岡正篤先生は、中国の思想家、荀子の箴言から、学問し、教養を身に着ける意義を簡潔に述べておられます。
「それ学は通の為に非ざるなり。窮して苦しまず、憂えて意(こころ)衰えず、禍福終始を知って惑わざるが為なり」。
学問するのは、どんな心配ごとがあってもへこたれず、何が禍いで何が幸福かを知り、人生の複雑な問題に直面しても、惑わないためである。
学問は「知識を習得する」だけでなく、「人物を作る」ことであるとの教えです。学問をし、人物を作る、重要に思います。
最後に、「生涯、学び続ける習慣の必要性」を紹介しました。幕末の儒学者、昌平黌の総長、佐藤一斎先生の著書に言志四録があります。これは、西郷南洲翁の座右の書です。
その中に、「三学戒」という箴言があります。「二度ない人生には、生涯学びの習慣を持つことが、必要である」と言うのが核心です。私もそう思います。
「少(わか)くにして学べば、壮にしてなすあり。壮にして学べば、老いて衰えず。老いて学べば死して朽ちず」との箴言です。すでに皆さんは、学びの習慣を持っておられます。是非、継続して下さい。
卒業される皆さん、おめでとうございます。学位授与式いいですね。
『知識、見識、胆識』(安岡正篤 一日一言)
「いつも申しますように、識にもいろいろあって、単なる大脳皮質の作用に過ぎぬ薄っぺらな識は「知識」と言って、これは本を読むだけでも、学校へのらりくらり行っておるだけでも、出来る」。
「しかし、この人生、人間生活とはどういうものであるか、或はどういう風に生くべきであるか、というような思慮・分別・判断というようなものは、単なる知識では出て来ない」。
「そういう識を「見識」という。しかし如何に見識があっても、実行力、断行力がなければ何にもならない」。
「その見識を具体化させる識のことを「胆識」と申します。けれども見識というものは、本当に学問、先哲・先賢の学問をしないと、出て来ない。更にそれを実際生活の場に於いて練らなければ、胆識になりません」。
「今、名士と言われる人達は、みな知識人なのだけれども、どうも見識を持った人が少ない」。
「まだ見識を持った人は時折りあるが、胆識の士に至ってはまことに寥々(りょうりょう)たるものです。これが現代日本の大きな悩みの一つであります」。
「胆識」、心に残ります。日々精進したいと思います。