2022-08-31

巨星墜つ、盛和塾稲盛和夫塾長ご逝去

♪兎追いしかの山 小鮒釣りしかの川♪ 夢は今もめぐりて 忘れがたき故郷♪

これは、稲盛塾長が大好きな『故郷』。盛和塾稲盛和夫塾長が、8月24日老衰のためご逝去。本日は、塾長について少し記します。

塾長は、27歳の時、8名で京セラを設立され、52歳で第二電電(KDDI)、さらに78歳で日本航空(JAL)を再生されました。

また、1983年51歳の時に、若手中小企業の経営者の経営塾、「盛和塾」を作られ、塾長として生き方や経営を指南。盛和塾は国内に56、海外に48あり、塾生数は約15,000人。

さらに、1984年52歳の時に、稲盛財団を設立し、「京都賞」を創設。毎年、人類社会の進歩発展に功績のあった方々を顕彰。

約15年前に「盛和塾庄内」が結成され、私も塾生として盛和塾に参加させてもらい、塾長や塾生から多面的に学びました。

盛和塾は、ほとんど全ての塾生が、若手経営者。毎月の例会は元気がみなぎり、それに出席するだけで元気をもらっていました。この盛和塾は、塾長の強い希望により、3年前の2019年12月末に解散。

『稲盛語録』の一部を紹介します。

「世のため、人のために生きる」。「動機善なりや、私心なかりしや」。「人生・仕事の結果=考え方×熱意×能力」。「ど真剣に生きる」。

「人生の目的とは、心の純化、浄化に努め、心を立派にしていくこと」。「心を高める努力と反省をくり返す」。

「日本の再生に必要なのは、「燃える闘魂」と「徳」、さらには「高付加価値」の獲得を目指した経済のあり方である。まず、困難な目標を自ら高く掲げ、その実現に果敢に向かう激しい闘志、「燃える闘魂」を持つ」。

「また、我々日本民族は古来、人間の「徳」を大切にしてきた民族だ。燃える闘魂を持ち、高品質の製品・サービスを提供し、「徳」をベースにした国作りで日本の再生は可能である」。

塾長は、安岡正篤先生や中村天風先生を初め、多くの方から学ばれたそうです。

全国各地で塾長講演会があり講演会後は、稲盛塾長と塾生の懇親会。何時も、懇親会の最後の締めは、塾長も含んだ参加者全員が、肩を組んで塾長の好きな『故郷』の大合唱。

♪如何に在ます父母 恙なしや友がき♪ 雨に風につけても 思い出ずる故郷♪

稲盛塾長からは、数多く学びました。『稲盛語録』は尽きません。

「人生の成功不成功のみならず、経営の成功不成功を決めるものも人の心です。私は、京セラ創業直後から人の心が経営を決めることに気づき、それ以来心をベースとした経営を実行」。

「心をきれいにすることは大事だが、不況や困難に立ち向かうには勇気が必要。絶対に目標を達成するという気概が必要。経営は意志である」。

「リーダーは目標に向かってなりふり構わず、闘争心、ガッツ、執念を持って立ち向かってゆかねばならない」。

「災難や苦難に遭ったら、嘆かず、腐らず、恨まず、愚痴をこぼさず、ひたすら前向きに明るく努力を続けていく」。

「これから将来、よいことが起きるためにこの苦難があるのだと耐え、与えられた苦難に感謝する」。

「よいことが起きれば、驕らず、偉ぶらず、謙虚さを失わず、自分がこんなよい機会に恵まれていいのだろうか、自分にはもったいないことだと感謝する。これが素晴らしい人生を生きるための絶対の条件です」。

また、塾長は、2014年に母校である鹿児島玉龍高校を訪問し、「未来を生きる君たちへ『君の思いは必ず実現する』」の特別講演。この講演は、9つの内容から構成。

「1)すべては自分の「思い」がつくり出している、2)「思い」が人類を進歩させてきた、3)利己心と利他心、4)心は自分で手入れしなければならない、5)心に抱いた「思い」を信念にまで高める」。

「6)中村天風の教え「不屈不撓の一心」、7)京セラとKDDIの創業期を振り返って、8)JALを再建した社員の「思い」、9)一所懸命に努力すれば「思い」は必ず実現する」。

特別講演の一部抜粋を紹介します。

「人生の結果も、人間関係も、地域社会との関係も、全ては自分の「思い」が作り出す」。

「「自分だけ良ければいい」という利己的で邪な心をなるべく抑え、思いやりに溢れた美しい利他の心が自分の心の大部分を占めるように、心の庭を手入れしなければなりません」。

「心の中にフッと浮かんだ「思いつき」を「何としても成し遂げたい」という強烈な願望によって、信念にまで高められたものにしなければならないのです」。

「電気通信事業へ参入する時私は、「動機善なりや、私心なかりしや」と、半年間くらい自分自身に問い続けました」。

「人間誰しも純粋で美しい「思い」を心に強く抱き、一所懸命に努力しさえすれば必ず実現できるということを、神様は約束してくださっています」。

♪志をはたして いつの日にか帰らん♪ 山は青き故郷 水は清き故郷♪

『故郷』、良い歌です。巨星墜つ、塾長からの学びは尽きません。稲盛塾長のご冥福をお祈りします。塾長に感謝です。

『なによりも大切なこと』(平澤 興 一日一言)

「なによりも大切なことは、人を生かすことである。そして、その人に喜びと勇気と希望を与えることである」。

稲盛塾長、人を生かし、その人に喜びと勇気と希望を与えて会社を経営し、JALを再生されたのだろうと思います。『なによりも大切なこと』、本質をついた箴言です。

2022-08-29

山形SC「学びのサロン」、今年度第3回開催

今年度の私の「サロン(ゼミ)」は、岩波ジュニア新書『農は過去と未来をつなぐ』(宇根豊著)がテキスト。8月27日に第3回、「4章 自給するのは食べものだけじゃない」を学びました。少し紹介します。

この章は、「なぜ「自給」という言葉が使われるのか」、「自給と自給率の大きな違い」、「国の食料自給率の見直し」、「自給とは何か」、「仕事の自給と自然の自給」、「自給の再評価」、「自然観の自給」、「自給とは引き受ける精神」から構成。

辞書には、「自給とは、必要な物資を、他に求めるのでなく、自力で獲得してまかなうこと」と記述。

まず、本章では、「昔の日本人は、田畑も含め自然との関係が深かく自給は当たり前だった。自給を壊したのは「買った方が安い」との経済システムと分業から始まった農業の仕事を外部発注した」ことに触れる。

そして、「自給率の低下は、「分業」の進展に起因。「分業」の目的は、安く生産するためで、これは多かった百姓を減らし農業以外の産業に労働力を供給。そして分業は国内外におよぶ」ことを紹介する。

さらに、「日本政府は国内外の分業を認めつつ何故今、自給率を上げようというのか」と述べ、それは、「食料安全保障」と、これ以上自給率が下がれば、さらに日本の農家が潰れるからだ」と指摘。

「農業の自給とは、仕事の自給、自然の自給、食の自給、文化の自給、愛情や風景の自給と一体である。農業とは食料を生産する産業だとの気持ちが強すぎ、農業がもたらす農業以外の生産を忘れている」という。

また、「産業は金にならない物は生産と認めないが、これは間違いである。百姓仕事は、自然も風景も情愛も生産している」と強調する。

それから、「現代の食料自給は、農産物の自給であり、百姓仕事や百姓暮らしの自給は、間口が広く奥行きが深い。耕運機により家畜の餌の自給が低下し、化学肥料で堆肥の自給が低下した」ことに触れる。

さらには、「一方、1990年代から自給が再び輝き始める。例えば、市民菜園、Uターン、農業への新規参入。自給は、農産物の自給にとどまらず、農業のあり方の問題も含む」ことを紹介。

「自給を大切にすることは、私達と自然との関係を守ること。その関係を仲立ちし、結びつける役割を百姓は担う」。

「自然観は、身の回りの自然との付き合い。ご飯を食べることは、田んぼの自然を守ること。農産物の自給は自然の自給と直結し、これは農の本質。生産費保障の計算には、農が自然を支えるコストが入ってない」。

「自給の精神とは、選択を拒み、引き受けることで成り立つ。自給とは、人間と自然との関係が切れていないことを指す。それには仕事の自給が不可欠である」こと等を指摘し、本章は終わる。

この章は、分かりにくい記述もあったが、「自給するのは食べものだけじゃない」が、何となく伝わって来ました。また、「自給」について色々と考えさせられました。

担当者の紹介後、本章に記されたことも含め、出席者で多面的な情報及び意見交換。この「サロン」は、参加者の多様な意見も学べ、刺激と学びのひとときです。参加者に感謝。

『陶冶(とうや)する』(安岡正篤 一日一言)

「最高の教育を受けた人間も、その後の自己陶冶を缺(か)いては、立派な人間には成り得ない。ごく劣悪な教育も、自己陶冶によっては、なお改善され得るものである。いかにも人間は陶冶次第です」。

「「陶」というのは、焼き物を造る、「冶」というのは、冶金の冶で、金属を精錬することであります」。

「土を粘(ね)り、焼いて、陶器を造る。鉄を鍛えて鉄器を造るようなもので、人間もやはり、焼きを入れ、鍛えるということをやらなければ、ものになりません。いくつになってもそうであります」。

『陶冶する』、「いくつになっても焼きを入れ、鍛える」、重要に思います。

2022-08-27

赤湯の偉人、結城豊太郎先生

先日、山形県南陽市赤湯にある「結城豊太郎記念館」を再訪しました。本日は、私が尊敬する赤湯の偉人、結城豊太郎先生を少し紹介します。


結城先生は、1877年(明治10年)南陽市赤湯で生まれ、東京帝国大学法科大学卒業後日本銀行に入行。その後、1937年(昭和12年)大蔵大臣、さらに日中戦争及び大東亜戦争時に第15代日銀総裁。

秋田博氏は、『銀行ノ生命ハ信用ニ在リ:結城豊太郎の生涯』を1996年に刊行。その一部抜粋を記します。

秋田氏は、下述のように「あとがき」に記しています。

「本書は、結城豊太郎という人物の評伝や伝記をまとめようとしたものではない。結城豊太郎という最も明治人らしい憂国の士が、大正、昭和の動乱期を金融・財政家として、いったいどういう心構えで行動し、国家の危急に処したか、それが知りたかったのである」。

「なぜ今、結城豊太郎か。理由は三つある。一つは、国家存立の基盤は人材の養成、なかんずく青少年の人格づくりにあるとして、自ら私財を投じてそれを実践したこと」。

「二つ目は、ファッショ勢力抬頭のなか、日本興業銀行総裁として井上準之助の金解禁政策を断固として支持、商工中金の設立に尽力するなど、わが国中小企業向け政策金融の先駆けとなったこと」。

「そして三つ目に、日本銀行総裁として日中戦争から太平洋戦争末期に至るまでの期間中、産業と金融・財政の危局を指導した点を挙げたい」。

「国家存立の基盤は人材の養成、なかんずく青少年の人格づくりにある」。これは、教育の本質で、国づくりの根本に思います。

また、本書は「プロローグ:昭和動乱を疾駆した二人、結城豊太郎と安岡正篤」で始まる。

「プロローグ」では、「大正末期に結城豊太郎(44歳)と安岡正篤(23歳)が出会い、二人は互いに深く認め合う知己となっていく」と記されている。

そして、「二人を結ぶ共通の価値観は、「人材育成が国家存立の基であり、百年の計は人を樹(う)うるにあり」ということだった」と述べる。

「人材育成が国家存立の基であり、百年の計は人を樹(う)うるにあり」。人材育成の重要性、痛感します。

また、結城先生は、郷里の青年有志を対象とした「臨雲講座」を開設し、安岡先生に講師を依頼された。そして、安岡先生は、講義の中で結城先生について次のように語る。

「結城先生は、実業家だが、実に堂々たる国士だった。国家の事、民族の事を心配して無私だった。全く己・私というものを持たなかった。常に己を修め、人を治めることを考えておられた」。

「結城先生は、あれは頭はいいが未だ肚(はら)ができていない、ということをよく言われた。どんな困難、迷惑、悩み、惑いにも善処していける実行力、これを肚という」。

「実行力を備えるには信念がいる。信念を持つためには見識を持たなければならない。詰込みの知識ではだめ。見識というのは難しい問題をこうと決める判断力である」。

「見識と信念に基づく決断力、断行力、これが人間に一番大切な本質的な価値です。肚ができているということです」。

「肚ができている」、心に留めたい言葉です。

今回の「結城豊太郎記念館」再訪で気づいたのですが、二階の展示に「結城先生の尊敬する六人」が紹介されていました。

高橋是清、井上準之助、渋沢栄一等と並び、結城先生より20歳以上も若い安岡先生も六人の一人として紹介。

また、結城先生と安岡先生は大東亜戦争の終戦前後の戦争終結にご一緒で苦労されたとのことです。

今回、「結城豊太郎記念館」を再訪し、結城先生から元気と刺激をいただきました。偉人の生き方に学ぶ、重要に思います。結城先生に感謝です。

『知識・見識・胆識』(安岡正篤 一日一言)

「いつも申しますように、識にもいろいろあって、単なる大脳皮質の作用に過ぎぬ薄っぺらな識は「知識」と言って、これは本を読むだけでも、学校へのらりくらり行っておるだけでも、出来る」。

「しかしこの人生、人間生活とはどういうものであるか、或はどういう風に生くべきであるか、というような思慮・分別・判断というようなものは、単なる知識では出て来ない。そういう識を「見識」という」。

「しかし如何に見識があっても、実行力、断行力がなければ何にもならない。その見識を具体化させる識のことを「胆識」と申します」。

「けれども見識というものは、本当に学問、先哲・先賢の学問をしないと、出て来ない。更にそれを実際生活の場に於いて練らなければ、胆識になりません」。

「今、名士と言われる人達は、みな知識人なのだけれども、どうも見識を持った人が少ない。また見識を持った人は時折りあるが、胆識の士に至ってはまことに寥々(りょうりょう)たるものです」。

「これが現代日本の大きな悩みの一つであります」。

『知識・見識・胆識』、心に響きます。

2022-08-25

昆虫飼育の楽しさと難しさ、「幻のオオカ」

「山椒は小粒でピリリと辛い」。娘が「山椒」の苗を購入し、私が苗を我が農園に移植。移植後3年経過した今、「山椒」の実がなり、「山椒は小粒でピリリと辛い」の実がなったことを家族に報告。

報告後、「山椒」は、実を食するためでなく、アゲハチョウを飼育するためだと分かりました。「山椒」の葉で飼育したアゲハの幼虫が今、蛹になり羽化しています。本日は、昆虫の飼育について少し紹介します。



今から32年前、理化学研究所で基礎科学特別研究員として研究に従事しました。その時の研究対象が、捕食性オオカと蚊の幼虫群集。オオカ幼虫は、他の蚊の幼虫を捕食し、成虫は花粉が餌です。

このオオカは、「幻のオオカ」と言われ、野外で発見するのは極めて難しい昆虫。

試行錯誤の結果、「三宅島の南の御蔵島で1978年頃にオオカが発見され、そこにはいるかもしれない」と聞いた話を思い出し、藁をも掴む思いで御蔵島に向かいました。

東京から飛行機で一時間南下すると三宅島です。三宅島の向いにあるお椀を伏せたような形をした周囲17キロの小さな島が御蔵島

御蔵島では、かつてオオカが発見された場所を中心に、林や竹の切り株の水たまりをくまなく探しました。しかし、オオカには出会えません。翌日は全島調査をしましたが、見つかりませんでした。

オオカは古タイヤを設置するとタイヤの中に産卵することを思い出し、自動車修理工場からタイヤを譲り受け、7個のタイヤを竹薮に設置。

2ヶ月後の9月に二度目の御蔵島訪問。幸運にも4匹のオオカ幼虫をタイヤの中から採集。この幼虫から室内で飼育できるシステムを確立する必要があります。

まずは、成虫にして交尾をさせて採卵。交尾には雄雌が必要です。初めて採集したオオカは雄が3匹、雌が1匹。室内のケージに入れても交尾しないので人工交尾。

このためオオカの雌を麻酔して、雄の腹部に雌の腹部を接触し、交尾させます。交尾後、水の入ったフィルム容器に雌を入れフタをすると産卵。

このように記すと誰でも簡単に採卵できそうですが、そうではありません。人工交尾するためには雌雄のほぼ同時羽化が必須。これにはある程度の数のオオカ幼虫が必要です。

そして、次が人工交尾。これも簡単ではありません。最初に採集した4匹の幼虫は、羽化がそろわず人工交尾はできませんでした。

10月の三度目の御蔵島訪問では、8匹の幼虫を採集。この幼虫集団は、羽化がそろい、人工交尾をさせ、採卵。しかし、交尾が不十分で卵が未孵化。

11月に四度目の訪問で採集した個体から室内飼育が可能となりました。オオカは、長径が2ミリのラグビーボールの形をした白い卵を産みます。

産卵後3日すると白い卵が薄い灰色になり、その卵から体長1ミリの透き通ったヒラメのような幼虫が出現。幼虫が出現したときの感動を、今でも鮮明に覚えています。

オオカの飼育には、他にも必要なことがあります。オオカ幼虫は他の蚊の幼虫が餌で、その餌の蚊が必要です。

餌の蚊は、吸血性で、吸血源も必要。そのためハツカネズミを飼育し、それを吸血源に餌の蚊を飼育し、オオカの飼育が始まります。

御蔵島の竹藪に設置した古タイヤでオオカを発見した時の嬉しさや、苦労して産卵させ、その卵からオオカ幼虫が出現したときの感動は今でも鮮明に覚えています。

「山椒は小粒でピリリと辛い」のアゲハの飼育から、「昆虫飼育の楽しさと難しさ」を懐かしく思い出しました。

『最高の生き方』(平澤 興 一日一言)

「今が楽しい。今がありがたい。今が喜びである。それが習慣となり、天性となるような生き方こそが最高です」。

『最高の生き方』、単純な教えですが、心に残る教えです。『最高の生き方』、心がけたいです。

2022-08-23

『人間学を学ぶ』、学びの多い講演に感動

『市民講座:シリーズ人間学を学ぶ』、第5回、最終回が終了。『仕事もプライベートも輝いて生きる~ポジティブ思考のすすめ~』、「学びの多い講演に感動」しました。その一端を少し紹介します。

講演者が39歳の時、仕事と私生活で悩み苦しんでいた時に出会った社内研修での講師の言葉が、「今日という日は残りの人生の中で一番若い日である」、「過去と他人は変えられないが、未来と自分は変えられる」。

人生を生きる上での本質を示した重要な教えに思います。

講演の主題は、「ポジティブ思考・視点を意識したことで、その後の人生が豊かに輝かせてくれたことを自らの体験と重ね合わせ講演する」。

講演では、講演者の運命を変えた「ポジティブ思考」と併せて持ちたい「Breakthrough思考」を紹介。

「ポジティブ思考」とは、「物事を良いほうに考える」とか「嫌なものは見ない」という事ではない。「辛く、苦しい状況の中でも希望や解決策の光を探そうとする思考とその光を信じて進んで行くという強い精神の事」。

「Breakthrough思考」とは、目の前の壁そのものに価値を見い出し試練として受け止めることで成長し、困難な状況を突破していく思考法。

「ポジティブ思考」と「Breakthrough思考」、日常生活で活用すべき重要な「思考」に感じます。

そして、「持続可能で多面的な幸せ」であり、「身体的、精神的、社会的に、良好な状態になること」を意味する概念の「Well-being」に触れる。

「Well-beingを支える5つの要素」は、1)明るい感情:嬉しい、ワクワク、楽しい、感動、感謝、希望・・。2)物事への積極的な関わり:夢中になる、フロー状態・・。

3)他者とのよい関係:質の良い人間関係、より良い他者との関係・・。4)人生の意義の自覚:人生の意義、目的・人生で大切なこと・・。5)達成感:プロセス含む達成、成果、自己効力感・・。

「Well-being」、日々の生活で心に留めたい教えと思います。

また、紹介された「マザーテレサの言葉」も心に残りました。

「思考に気をつけなさい、それはいつか言葉になるから。言葉に気をつけなさい、それはいつか行動になるから。行動に気をつけなさい、それはいつか習慣になるから」。

「習慣に気をつけなさい、それはいつか性格になるから。性格に気をつけなさい、それはいつか運命になるから」。

さらに、講演者が、何時も心掛けていることとして、「「有り難うございます」を1日10回以上言う。あこがれの人・目標とする人をさがす。ポジティブな言葉を意識して言葉にする」を紹介。

「苦しい時ほど笑う、「笑顔」は、希望を取り戻す、何よりの薬である。歩いた後に一輪の花を咲かせたい。咲いた花より、咲かせてくれた雨や土に感謝する・・」、で講演は終わる。

講演者が講演で目指すところは、「聞いた人が元気になる」。

「元気をいただきました」。元気と刺激を受けた1時間、「学びの多い講演に感動」。人間学、学びました。感謝です。

「人生を如何に生きるか」との命題は、私たちにとり重要な問題の一つです。しかし、私たちの多くは、忙しい生活に追われ、「人生を如何に生きるか」について考える時間が少ないのも事実に思います。

『市民講座:シリーズ人間学を学ぶ』の開催趣旨は、講演者が歩んできた人生等を紹介し、その学びを通じ、参加者の皆さんが自らの人生を考える一助にすることです。

本講座では、多くの皆さんが、忙しい中で生活している今、ちょっと立ち止まり、少しの間、生涯の学びの一つ「人生を如何に生きるか」を一緒に思索できれば嬉しく思います。

このような背景と趣旨で始めた5回「シリーズ人間学」、毎回、感動と刺激と元気をもらいました。講演者の皆さんに感謝です。

『成功は苦辛(くしん)の日に』(安岡正篤 一日一言)

「先賢が教えてくれている──愚はよく他の欠点を挙げるが、自己の欠点を知らない。話はうまいが、行いはつまらぬ」。

「若い時はうかうかして過ぎ、壮時(そうじ)にはせかせか動き廻り、老年には愚痴ばかりになり易い」。

「正に、敗事は多く得意の時に因(よ)り成功はつねに苦辛の日に在る。やはり平生能(よ)く道を聞くことだ」。

『成功は苦辛の日に』、肝に銘じたいと思います。

2022-08-21

3年ぶりの赤川花火大会、日本の夏

日本の夏の定番は、花火大会に思います。鶴岡では、赤川の河川敷で行われる赤川花火大会。昨夜、3年ぶりに赤川花火大会がありました。少し紹介します。

2020年の赤川花火大会は、コロナの影響で中止、2021年は30日間の分散開催。今年は、3年ぶりに何時もの花火大会が戻ってきました。嬉しいです。

今年のテーマは、「Smile & Peace」とのこと。早速、昨夜は家族で花火を観覧しました。昔の花火と違い、色々な花火があり工夫と独創性が感じられた花火大会でした。

また、今年の花火は、雨の中でした。鶴岡に約30年住んでいますが、雨の中の花火は初めて。そして、3年ぶりの大会は、例年より短く7時30分から8時30分までの1時間。

最後は、昔ながらの大花火が連続して打ち合上げられ、花火大会は終わります。毎年、花火が終わると夏が過ぎ去って行き、何となく物悲しさを感じます。

子供の頃は、故郷の一番大きな街で花火大会があり、家族で観覧。そして、出店で金魚すくいや水に浮かんだヨーヨー釣りを楽しみました。ふと子供の頃の夏の風物詩を思い出しました。

日本の夏、花火大会、良いですね。来年の花火大会を楽しみに、これからの1年も健康で楽しく過ごしたいと思います。赤川花火大会実行委員会の皆さんに感謝です。

『いつも明るい顔で』(平澤 興 一日一言)

「実際のところ、嬉しいときに嬉しい顔をしておるのは、これはもう誰にでもできるのでありますが、色々嬉しくないことがあります」。

「そういう場合にでも決して慌てず騒がず、他の人が見ると全く平和な日と同じように見えるような顔、そういう顔を実際に私の周囲でも知っております」。

「これは平凡ではありますが、ある意味では人間の修練の最後の段階かもしれません」。

「したがってそれは、ぼけてそういう顔は駄目なのであります。同時に安らかな顔ではありますが、絶えず求めている、絶えず人間としての向上を目指さないところには、そういう明るい顔は出ないのであります」。

「退屈をするような人間にはやはり退屈の表情しか出ないわけであります」。

『いつも明るい顔で』、肝に銘じたいと思います。

2022-08-19

岩波 『農学は世界を救う』、第5刷決定

私が編執筆に関わった『農学が世界を救う』が、岩波ジュニア新書として5年前の2017年10月に出版されました。

本書は、その後、毎年、増刷され、これまで約11,000冊が売れ、今年9月第5刷決定。毎年の重版、嬉しいです。

岩波ジュニアの初版は7000部、その後の増刷は、1300部。専門書では2000部売れると「売れる本」というそうです。その5倍以上売れ、多くの方に読まれている『農学が世界を救う』。

本日は、岩波ジュニア新書の出版に関して少し紹介します。

本書は、3人で編集し、編者も含め5名で執筆しました。編者は、国立大学元農学部長。全国農学部長会議が1年に2回開催され、編者はその会議の役員でした。

全国会議が終わると役員会と情報交換会があり、「高校生の農学部進学希望者が少ないのは、広報活動に起因する。また、農学部初年次の学生が使う農学入門の教科書がない」等が指摘されました。

情報交換会が終わると「自称若手農学部長」5人で2次会。その席で、農学入門の教科書や高校生に農学を紹介する面白く魅力的な読み物を出版することを決定。

まずは、農学部初年次の教科書として『農学入門』を刊行する。これは、「自称若手農学部長」5名が編執筆者となり総勢20名で執筆し、2013年に刊行しました。

そして、これは教科書や参考書として活用され、2000部以上の販売で、改訂版が企画されました。

この『農学入門』の編者が中心になり、高校生向けの農学紹介の読み物として刊行したのが『農学が世界を救う』。

一方、これまで『農学が世界を救う』のような本が、出版されてなく、毎年、この本の一部は、複数の私立中学校の国語入試問題となっています。

岩波ジュニアは、これまで約1000冊が出版されました。そして、既刊1000冊の「売れ筋ランキング」上位100、トップ10%の書名が、1時間毎に更新され、インターネット上で公表されます。

『農学が世界を救う』は、出版されてしばらくは、ランキング1位。そして、今でもトップ5%、時々トップ1%に入る「売れ筋」です。

『農学が世界を救う』の出版を岩波ジュニア新書の編集者に話した処、「入れ食い」で出版が決定。「岩波ジュニア」での出版は、簡単だと思いました。

これに味を占め岩波ジュニア新書の第二弾も簡単に出版されると思い、友人に企画書を書いてもらい、出版の交渉をしましたが、そう簡単ではありませんでした。第一弾と第二弾では、編集者が交代。それが出版交渉に影響した可能性がありますが、勉強になりました。

『縁尋機妙、多逢聖因』(安岡正篤:一日 一言)

「良い縁がさらに良い縁を尋ねて発展していく様(さま)は、誠に妙(たえ)なるものがある。これを「縁尋機妙(えんじんきみょう)」という」。

「また、いい人に交わっていると良い結果に恵まれる。これを「多逢聖因(たほうしょういん)」という。人間はできるだけいい機会、いい場所、いい人、いい書物に会うことを考えなければならない」。

『縁尋機妙 多逢聖因』、本当だと思います。今までも、今も、これからも縁を大事にしたいと思います。