2020-12-31

日本の技術を世界に知らしめた人、盛田さん

「米国企業の買収は、今に始まったことではない。これまでも多くの国の企業が買収してきた。何故今、日本人が米国企業を買収することに米国は大騒ぎをするのか。私には全く理解出来ない」。

これは、1980年代後半、ソニーがハリウッドの映画会社を買収した時、ソニー元会長、盛田昭夫氏が大騒ぎをする米国に向けて発したインタビュー。一昨日の人間ドック、テレビで流れていました。

盛田さんは、井深大氏とソニーの前身、東京通信工業(株)の創設者。盛田さん25歳の時。「大きくなることを望むのではなく、大企業のできないことをやり、技術力で祖国復興に役立てよう」が創設理念。

テレビで盛田さんを観て懐かしく思いました。かつて盛田さんについて色々と学び、それらの本を再読。今年最後のブログ、盛田さんの紹介です。読んだ本の情報を断片的に記します。


「米誌『タイム』が選んだ20世紀に最も影響力があった世界の経済人でただ一人選ばれたのは、盛田昭夫ソニー前会長だった」。

「盛田は井深とともに創業したソニーを世界のソニーに育て上げただけでなく、日本という国名とその技術を世界に知らしめた人物でもある」。

「「自信のあるような顔をしろ」、「ブランドは企業の生命」、「よい製品は安くなくていい」、「違う人間とこそ対話しろ」、「研究費に予算はない」、盛田語録の一部」(盛田昭夫語録、一部抜粋)

盛田さんは、「米国で売れるものは世界で売れる」と考え、1957年37歳の時にニューヨーク事務所を開設。一軒一軒訪ね、片言の英語でトランジスタラジオを売り込む。「道を拓く」、大変な時期だったと思います。

「正直に言って、盛田氏の英会話力は、決していわゆる「抜群」なものではない」。

「しかし、そうしたジャパニーズ・スタイルの英語を自由にあやつりながら、盛田氏はアメリカ人聴衆を前にズケズケと言いたいことを言い、痛烈な苦言を呈する」。

「しかも、アメリカ人を怒らせるどころか抱腹絶倒させながら、である。率直さとユーモアのセンスを縦横に駆使して、盛田氏は完璧に自分のメッセージをアメリカ人に伝え、かつアピールする」(Made in Japan、下村満子ら著、あとがき一部抜粋)。これ凄いことです。  

1985年、ハワイでの会議で、アメリカ特別通商交渉代表ウィリアム・ブロック氏は、「通信機器の分野での日米貿易不均衡はあまりにひどすぎる」。

「日本のメーカーは、アメリカのメーカーが日本市場で売っている11倍もの製品をアメリカに送り込んでいる!なぜ日本はアメリカの製品を買わないのか」と迫った。

たまたま同席していたソニーの盛田昭夫は、こう反論した。

「それほどアメリカのメーカーが質の高い製品を作っているのなら、なぜアメリカのユーザーはそれを買わないのか?なぜわれわれ日本に製品を発注するのか?」 

「日本のユーザーがアメリカの製品を買わないと文句を言う前に、アメリカの企業になぜアメリカ製品を買わないのか理由をただしてみてはいかがですか?」

「盛田昭夫のように海外で明確に自己主張した日本人も珍しい」。

「これは自らの信条を大切にし、自分が正しいと思ったことは、国内外に関わりなく、また相手の地位や立場に関わりなく、筋を通す、という自尊の精神の現れだろう」。

「この精神は、ソニーの発展の原動力。1955年に完成した最初のトランジスタラジオを持って、盛田はニューヨークに乗り込み、アメリカ市場への売り込みを図った」。

「相手企業は、「SONY」のロゴを削ったら購入するという。しかし、盛田はその申し出を拒否する。「SONY」の名を削ってまで売り込むようなことはしたくない」。

「盛田は付け加えて言う、あなたの企業にはブランドがあるかもしれないが、50年前はそうではなかったのですよ。私たちも50年後にはブランドを築き上げて見せます」。自尊の精神、重要に思います。

盛田さんは、60歳でスキーを、65歳でテニスを、70歳でスキューバダイビングを始める。海外の多数の著名人が盛田さんの知り合いや友人。例えば、ロックフェラー、指揮者のカラヤンやバーンシュタイン、歌手のマイケルジャクソン、レーガン大統領やブッシュ大統領等々。

常に世界が注目していた日本人の一人、盛田さん。凄い人です。

『道を拓くもの』(平澤 興 一日一言)

「若人よ、諸君が覚悟をして燃える時、諸君には自らもわからぬような無限の可能性が展開されるのだ」。

「この可能性の展開は、いわゆる頭のよしあしの問題ではなく、実に諸君の火と燃える意志と何ものにも負けない不屈の努力にある。情熱、実行、努力、これこそが諸君を生かし、諸君を伸ばす力である」。

「諸君はその目的に向かって全情熱を傾けることだ。不屈の意志のあるところ、道は拓ける」。

盛田さんも「火と燃える意志と何ものにも負けない不屈の努力」で、米国での「道を拓かれた」と思います。「火と燃える意志と何ものにも負けない不屈の努力」、重要に思います。

2020-12-29

師走、放送大学の紹介に「師」が走る

12月は師走、ある説明では、「誰もが年の瀬は、気忙しく慌ただしくなる時期。どっしり構えて読経をする師僧までも走り回らなければと思わせる程の多忙な月。それゆえ12月を師走という」とのこと。

放送大学の紹介等に、「弘法大師」が山形県下の教育機関を訪問。「師走、師僧が走り回る」。

放送大学は今、2021年度1学期の学生募集中です。募集期間は、11月下旬から3月上旬。放送大学は、私立大学。学生数の増減は、経営にも直結。広報活動は重要です。

山形県下の高等教育機関が、今から16年前にコンソーシアム(共同事業体)を作り、単位互換制度を設立しました。現在、13機関が加盟しています。

加盟大学での単位互換は、授業料不徴収。唯一の例外が、放送大学。他大学の学生が、放送大学の単位互換をするには、1科目11,000円の授業料が必要です。

一方、放送大学は、設置目的の一つに「他大学との単位互換の推進により、わが国の大学教育の改善に資する」を掲げています。

師走、山形県内の大学を訪問し、学長と単位互換等に関して多面的な意見及び情報交換をしています。

その結果、単科大学及びそれに類似する大学は、放送大学との単位互換による教養教育の充実に関心があることが分かりました。

山形県内の大学が、授業料不徴収で放送大学の単位互換が出来ないかと思案中です。

また、教育長や中学校の校長先生と教育に関する多面的な情報及び意見交換も行っています。教育は国の礎。色々と教えて貰っています。学びの日々です。

放送大学は、小中学校の教員向けキャリアアップや色々な教育プログラムも作成しています。これらのプログラムを小中学校の校長先生に紹介しています。



例えば、現職のまま「免許状」取得に必要な単位を放送大学で修得できます。そして、自分が持つ教員免許以外の他教科の免許状や専修免許状、特別支援学校教諭の免許状等が取得可能です。

ある教育長は、「小中学校の校長先生の集まり、校長会で放送大学を紹介したい」と話してくれました。「師走、放送大学の紹介に「師」が走る」。訪問しての放送大学の紹介、楽しく良い縁をもらっています。

写真は、放送大学がある24階建ての霞城セントラル。山形学習センターは、その10階です。

『縁尋機妙 多逢聖因 』(安岡正篤 一日一言)

「良い縁がさらに良い縁を尋ねて発展してゆく様は誠に妙(たえ)なるものがある。いい人に交わっていると良い結果に恵まれる」。

「人間はできるだけいい機会、いい場所、いい人、いい書物に会うことを考えなければならない」。

「縁」、重要に思います。

2020-12-27

クリスマス、嬉しいサンタ

子供の頃、クリスマスの日は、薄暗い早朝に目が覚め、サンタが運んできた枕元のプレゼントを見るのが何よりの楽しみでした。

その頃から60年過ぎた今でも、我が家でクリスマスの朝一番に目を覚ますのは、私です。それは、サンタがクリスマスプレゼントを私の机の上に置くからです。

今年のプレゼントは、「なるきのこDX(デラックス)」、「HOYAクリスタルペアーグラス」、「正月飾り」、「顔面老廃物除去ジェリー」、「燻製バタピー&柿の種:ちょっぴり大人のおつまみ」。



さらに、「渋沢栄一書籍一式」と「高品質マットレス」、今年もタップリ頂きました。5人の子供達、我が家のサンタに感謝です。

私は明日から書斎で「なるきのこDX」を栽培し、春には家族に生椎茸をご馳走する予定。さらに年末年始は、ペアグラスのウイスキーを「大人のおつまみ」で頂き、渋沢先生を学びます。充実した日々。

さらに「高品質マットレス」での熟睡は、心身の健康と充実、間違いなし。嬉しい限りです

クリスマスになると毎年、英国留学中の夜を思い出します。私と家内及び2歳と4歳の長女と次女で英国ノーリッジ、大聖堂でのクリスマスミサに出席しました。今から23年前の12月24日夜。

ステンドグラスの大聖堂に多くの人が集まり、聖歌隊の合唱や賛美歌の斉唱及び神父さんのお話等々、厳かなミサ。その中で2歳の次女が、英国人の注目を集め、ホノボノとした温かい雰囲気を醸し出しました。

家内と娘達は、毎日曜日にはノーリッジの教会で日曜礼拝。この繋がりがありイブのミサに出席。教会関係者に大変お世話になりました。その後も楽しく交流が続いています。

古い物を大事にし、質素に慎ましく過ごす英国人。派手さはありませんが、好感が持てました。冬は午後3時には暗くなり寒い日々。ユーモアに温かさがある英国での生活、楽しかった日々、懐かしく心に残っています。

サンタのプレゼントから23年前の英国での生活を思い出しました。

『家庭の力』(安岡正篤:活学一日一言)

「家庭というものは全く人間生活の基礎であり民族興亡の拠所でありますから、これを出来るだけ正しく、美しく、力強くしてゆかねばなりません」。

「その為には、なるべく家族水入らずの気安さ、小ぢんまりとした手入れのとどく住宅、決して贅沢でない衣食、静かで、考える余裕のある生活、濫(みだ)りにならぬ社交が必要であります」。

「家庭を失いますと、人は群衆の中にさまよわねばなりません。群衆の世界は、非人間的世界です。人は群衆の中で却(かえ)って孤独に襲われ、癒(いや)されることのない疲労を得るのです」。

「これに反して良い家庭ほど人を落着かせ、人を救うものはありません。人間は、妻子を持ち、友を知り、多くの人と交わり、ある程度の年齢に達して、ようやく本当の意味での学問・求道ということがわかり始めます」。

英国での10ヶ月の生活、「家庭の力」を感じました。家族を持ち家庭を作る、今までも、今も、これからも重要に思います。

「家族水入らずの気安さ、小ぢんまりとした住宅、贅沢でない衣食、静かで、考える余裕のある生活」、必要に思います。

2020-12-25

放送大学とその進化

放送大学の本部は、千葉県千葉市にあり、全国各都道府県には、学習センターがあります。放送大学の学生の皆さんは、全国にある50の各学習センターに所属して、日々学んでいます。

放送大学は、理事長を初め常勤の理事5名の役員、27名の評議員、さらには90名の専任教員及び50名の学習センター所長などで構成されています。

大学の教学に関する案件は、毎月、開催される教授会で審議。それ以外に、本部の理事長や学長等の執行部と各学習センター所長等との会議が1年に2回開催されます。

12月10日は、本年度2回目の全国センター所長会議がウェブ会議で開催されました。本来なら、千葉市の本部に集合しての会議ですが、今年度はコロナにより2回ともウェブ会議。

今年4月に赴任した新米所長の私には、会議で学ぶことも多く、会議への参加は必要です。また、各学習センターの所長及び学長を初めとした大学執行部の皆さんとの情報交換も重要に感じます。

来年度は、千葉市の本部で放送大学関係者の皆さんにお会いし、情報交換するのが楽しみです。これは、理事長及び学長を含めた執行部、さらには各学習センター所長の皆さんも同じに思います。

放送大学の授業は、約300科目あり、これらの授業は、3年かけて作成されます。そして、その授業は、4年間で終了します。担当講師が教科書を執筆し、その教科書に基づいた授業が特徴です。

このような特徴から、授業は分かりやすく、復習するのも容易です。また、私のような集中力が低下した定年退職者が学ぶには、45分間の授業時間は、丁度よい長さです。

今年、10月から『文学、芸術、武道にみる日本文化』を受講しています。来年度以降は、『英語で学ぶ大統領演説』、『歴史と人間』、『運動と健康』等に挑戦したいと思います。楽しみです。

放送大学の番組や授業のやり方もドンドン進化し、時代に合った授業に改革されつつあります。また、放送大学は今後、「生涯学習」の伝統の継承や発展とともに「リカレント教育」の推進にも向かうと思います。

リカレント教育とは、「社会人が、より深い専門性や、新たな知識及び技術を身に付け、より高度な職業人になり、新たなキャリア形成に活かせる教育」です。

放送大学のこれからの進化に期待して下さい。写真は、山形学習センターから見た大雪の山形市内の一葉。

『教育の必要性』(平澤 興 一日一言)

「人間が人間になるためには、広い意味の教育は絶対に必要であり、人間は、教育によって初めて動物から人間になるのだといえよう」。

「教育とは、ややもするとただ人から教えてもらうことだと誤解されやすいが、実はそれだけでなく、むしろ、より重要なことは、ある年齢に達したら、自ら積極的に考えて、自らが自らを教えることである」。

「教育とは、自ら積極的に考えて、自らが自らを教えることである」、重要に思います。二度ない人生での「生涯学習」、必要に思います。

2020-12-23

『論語と算盤』、渋沢栄一に学ぶ

『現今の教育は、修学の順序といい、教育の仕方といい、至極緻密であるが、成業の人を視ると、鉢植えの樹木のように、枝振りは好いが小規模で、ただ小利にのみ走るという弊が見える』。

これは、生涯に約500の企業経営と約600の社会事業に携わった渋沢栄一の『論語と算盤』の一部抜粋(『』)。

平成20年9月に発会し、鶴岡市内現職教員の人間修養を意図した研修講座「敬愛塾」。昨年から「致知」を素材とした研修会に少し「衣替え」。それにより、参加者の職業の多様性も増加。

今年度第4回敬愛塾「我づくり」研修会が、12月19日午前10時から2時間、開催。


「私たちは、修養を通じて己を一層高め、もって一灯を点(とも)して、国家の一隅を照らし、各々の分に随ってそれぞれの家を斉(ととの)え、郷土を興し、祖国の繁栄に寄与するよう努めます」(敬愛塾綱領)。

研修の初めに「敬愛塾」の「綱領」を全員で唱和します。

研修会は、月刊誌『致知』の「巻頭の言葉」、「藤尾編集長のリード文」、「特集記事」の3つから学ぶスタイルです。

今回の資料は、『致知11月号』、『特集 根を養う』で、特集号の記事は、「渋沢栄一『論語と算盤』に学ぶ大転換期の生き方」。10名の方々と記事から学び、出席者の方の意見から学びました。

特集号の記事は、東洋思想研究家の田口佳史氏とコモンズ投信会長で渋沢栄一の玄孫(やしゃご)渋澤健氏の対談。記事の一部抜粋を紹介します。

「いま渋沢栄一に学ぶことは、大転換期の生き方である。渋沢は、日本を何とかいい国にしたい。そのため実業界の人になり商工業の発達を図る」。

「『論語と算盤』の趣旨は、修養を通して自分の人生を豊かにし、商売も繁盛させるにはどうしたらよいかを示すことである。そして、人格と人生と商売、この三本がイコールでつながる図式を提示した」。

「渋澤は人生の師、尾高藍香から「字面を追うだけで古典を読んだ気になってはダメ、自分の意見として語れるように読め」と学ぶ」。

「何が人生の成否を分けるのか。『1)人の行為の善悪は、その志と所作(しょさ)と相俟って較量(こうりょう)せねばなるまい。所作が大事である』。

『2)根幹となるべき志が立ったなら、その枝葉となるべき小さな立志について日々工夫が必要である。3)勤勉に忠実に誠意を籠めてその一事を完全に成し遂げる』」。

『現代の人の多くは、成功とか失敗のみ眼中に置いて、大切な天地間の道理を見てない』。

『人は、人の務めを完うすることを心がけ自己の責務を果たし行うことを心がける』。

『論語と算盤』、生き方の教えが沢山詰まっています。凝り性の私は、早速、渋沢栄一関連の書籍を色々と購入し、少しずつ学んでいます。



「渋沢から人生百年時代の生き方を学ぶ。20歳までは基礎作り、20歳から60歳までの40年は予備の人生に過ぎない。60歳からが本番の人生で、60歳から亡くなる91歳まで民間外交を行う」。

渋沢栄一、『人生の本番は60歳から』とのこと。凄い人です。渋沢栄一を学ぶ機会を作っていただいた敬愛塾塾長及び、貴重な意見を交換した参加者の皆さんに感謝です。有志と相互に学ぶ、今までも、今も、これからも重要に思います。

『思考の三原則』(安岡正篤:一日一言)

「私は物事を、特に難しい問題を考えるときには、いつも三つの原則に依るように努めている」。

「第一は、目先に捉われないで、できるだけ長い目で見ること」。

「第二には物事の一面に捉われないで、できるだけ多面的に、できれば全面的に見ること」。

「第三に何事によらず枝葉末節に捉われず根本的に考える、いうことである」。

「目先だけで見たり、一面的に考えたり、枝葉末節からだけで見るのと、長期的、多面的、根本的に考えるというのとでは大変な違いがある」。

「物事によっては、その結論が全く正反対ということになることが少なくない。我々は難しい問題にぶつかる度にこの心がけを忘れてはならぬ」。

渋沢栄一も「思考の三原則」で難しい問題を考えたかもしれません。「思考の三原則」、肝に銘じたいと思います。

2020-12-21

旅順港に散った広瀬中佐

庄内地方、暴風雪。暴風雪の中、忠犬クニオと朝の散歩。毎年、暴風雪の中を歩くと旅順に散った広瀬武夫中佐を思い出します。

広瀬中佐は、1897年9月(明治30年)ロシアへ留学、中佐29歳。そして、首都ペテルブルグで約5年間生活されました。

そして、ロシア滞在5年後に帰国。帰国は、真冬の1月。ペテルブルグから旅順までの6000キロ、シベリア鉄道等を利用し帰国の途につかれました、明治35年1月16日のこと。

その帰路の途上、激寒の2月、16日かけ氷点下30度以下のシベリア、スレチェンスクからハバロフスクまでの2000キロを馬橇で単独走行。16日間の多くは、昼夜休みなしの走行。

昔の武人の身心の強さと鍛錬の凄さを感じます。

日露戦争時、自らの船を沈没させる旅順港閉塞作戦中、行方不明の部下杉野兵曹長を探しに船に戻り、旅順港で散華。

大東亜戦争時に陸軍少年飛行兵を志願し、出征した私の父は、秋祭りなどでお酒が入ると時々、『広瀬中佐』の歌を唄っていました。

「とどろく砲音(つつおと) とびくる弾丸、荒波あらうデッキの上に、闇をつらぬく中佐の叫び 「杉野はいずこ 杉野はいずや」」。

広瀬中佐、柔道五段、ロシア駐在中は、ロシアの貴婦人にもてたとのこと。明治生まれの日本男児の凄さと気概を感じます。

凄い人です。凄い。

『塾式教育の成果』(安岡正篤 一日一言)

「日本が今度の大戦争に敗れて、敵軍(即ち連合軍)の占領下に入って、GHQの支配を受けるようになった時のことです。マッカーサー将軍が、当時の吉田首相と会談の節にふとこういうことを言ったそうです」。

「自分は日露戦争当時の日本の将軍たちを知っている。またあの頃の日本の“軍”というものをよく研究した」。

「その経験から言うと、今度の戦争における日本の将軍たちは、当年(即ち明治)の将軍たちに比べると人間が違うように思われる」。

「失礼だが非常に落ちているように思われる。その原因は、或いは真因(本当の原因)は、何処にあるのだろうか」。

「こういう質問をしたそうであります。吉田さんがこれに対してどういう答えをされたのか、私は聞き漏らしました。吉田首相がこのことを、京都大学の和辻哲郎先生に、ある日ふと漏らしたそうであります」。

「すると和辻さんは言下に「それは結局、明治の将軍たちは、“塾式教育”を受けた。この頃の将軍たちは所謂、“学校出”である。これが一番大きな差異でしょう。違いでしょう」。こう答えたそうであります」。

「吉田さんは、非常に深く頷(うなず)いたそうであります」。

人は教育により育ち、教育により変わる。今までも、今も、これからも教育、重要に思います。

2020-12-19

学びのサロン:農学が世界を救う、第2回

客員教員6名にお願いし、今年10月から始まった「学びのサロン」。全てのサロンが、元気に楽しく稼働中。学生の皆さんは、通常の放送及び面接授業とは異なる学びを体験されたと思います。

私担当の「農学とその挑戦について学ぶ」、11月20日(金)、第2回目。担当は、気合いの入ったYさん。

「農学は世界を救う」(岩波ジュニア新書)の「第3章 食料科学の新たな役割を考える」が担当。担当章に入る前に「生態学」と「物質循環」の復習スライド2枚。気合、入っています。


第3章の執筆者は、茨城大学学長、太田先生。この章の目的は、「食べることが地球環境の将来に結びついていることの理解」です。

「1.食料科学って何だろう」は、食料生産が窒素や炭素等の元素の循環と関係すること、その循環の中での土壌微生物の役割。そして、栽培と土壌微生物の関係。食料科学は、飢餓克服の応用科学を紹介。

次に、「2.化学でとらえる農作物生産」では、植物に必要な9種の必須栄養素と8種の微量元素に触れ、植物の成長量は、最も少ない栄養素で制限される「リービッヒの最小養分律」を紹介。

さらに、「3.窒素をめぐる化学の展開と食料生産」について述べ、マメ科植物と共生する根粒細菌等「4.窒素固定微生物の発見と利用」と続く。

そして、「5.化学の力で病害虫を防ぐ」、「6.生物の機能を発見して農薬の使用を減らす」、「7.土壌生物と生物生産の関係」、「8.無肥料栽培でも作物は育つか」、「9.根にすみつく微生物を利用する」。

「10.農業と地球温暖化」、「11.農地から発生するメタンと一酸化二窒素」、「12.水資源と作物生産」、「13.農業の多面性とバイオ燃料」、「14.再び、食料科学って何だろう」で終わる。

第3章は、「食料科学の新たな役割を考える」が簡潔によくまとまり分かりよいです。Yさんの発表が終わったら、期せずして大きな拍手喝采。パワポを使った素晴らしい発表でした。

発表後は、「楽しいサロン」。参加者が、3章から学んだことや疑問点、さらには日常感じている事柄の紹介等に移りました。

「植物に必要な栄要素にリンがある、リンは植物にどのような役割を果たすのか」、「日本の食料自給率は、40%以下と聞くが、ある資料では、山形県の食料自給率は、100%を超えている。この差は、何」等々。

あっという間に時間が過ぎ、次回、12月18日「農学って、どんな学問?」を確認し、お開き。とても刺激と楽しみの時間、参加者の皆さんに感謝です。

写真は、私が住む松ヶ岡からの鳥海山の一葉。

『三学戒』(安岡正篤:一日一言)

「少(わか)くして学べば、壮にして為すあり。壮にして学べば、老いて衰えず。老いて学べば、死して朽ちず。若い者の怠けて勉学せぬ者を見る程不快なものはない」。

「ろくな者にならぬことは言うまでもないが、まあまあよほどのろくでなしでなければ、それ相応の志くらいはあるものである」。

「壮年になると、もう学ばぬ、学ぼうとせぬ者が随分多い。生活に逐(お)われてだんだん志まで失ってしまうのである。そうすると案外老衰が早く来る。いわゆる若朽である」。

「能く学ぶ人は老来ますます妙である。ただし学は心性の学を肝腎とする。雑学では駄目である」。

「細井平洲も敬重した川越在の郷長老、奥貫友山の歌に「道を聞く夕に死すも可なりとの言葉にすがる老の日暮し』」と。

「心性の学」の学びの習慣、重要に思います。

2020-12-17

人生の四季、青春、朱夏、白秋、玄冬

古代中国に端を発する自然哲学の思想に「五行説」があるそうです。そして、五行の色と四季を合わせて、青春、朱夏、白秋、玄冬といった言葉が生まれたとのこと。

これを人生に例えると青年期は文字通り「青春」であり、30代から40代は「朱夏」、50代から60代は「白秋」、70代から80代は「玄冬」でしょうか。

我が第一の人生、28年間の大学教員は、「朱夏」から「白秋」。前半は研究に専念、後半は学部や大学の管理運営に従事した日々。

特に、後者では、今日起こった案件、明日対応すべき課題への対応等で、若かりし日々を振り返ることは、極めて稀でした。

大学教員を退職した第二の人生、「白秋」の今、時々昔のことをフト思い出します。これは、「朱夏」の現役に比べ時間的なユトリに起因する業か、単なる老化のなせる業か定かではありません。

外国航路の商船士官を夢見た田舎の中学生が、自ら1年間の受験計画を立てて臨んだ大島商船高専入試。「ゴウカク」の四文字の電報、今でも忘れません。

小学校入学から、これまでいくつかの学校で入学式の挨拶を聞きました。唯一の記憶が大島商船校長、鮫島直人先生の挨拶「初心忘るべからず」。夢に胸を膨らませての入学式、「初心忘るべからず」、効きました。

青春時代に悩んだ経験は、その後の人生で役立つかもしれません。如何に生きるかに悩んだ青春時代。3年生の初夏、大島商船を退学し、宗教活動を考えた時期がありました。

初夏の夕方、鮫島校長先生のお宅を訪問し、今後の人生について相談。先生は、これから夕食、作務衣(さむえ)姿でした。「まあ、安田君、一杯遣りましょう」とお酒を呑み、先生の青春時代を話されました。

「私も東京高等商船学校の時、生きることは何なのかに悩みました。そして、1年休学して福井の永平寺に行き、人生について考えました」。

熱燗をサシツ、ササレツしながら昔、先生が学生時代に悩まれたことをポツリ、ポツリと紹介。

「1年間永平寺で学び、人生とは、生きるとは、何なのか、如何なることか考えました」。

「そして、このような大きな命題は、少し考えたから分かる問題ではなく、生きながら考え続けることが重要だと気が付きました」。

それから、復学し、東京高等商船を卒業。鮫島先生は、「鮫島航法」を考案され、「世界の鮫島」として名をはせ、東京商船大学長候補者だったとのこと。

私は悩みの答えを見出した訳ではありませんが、鮫島先生も同じように悩まれ、「人生を過ごしながら考え続けるのがよいと思います」と助言され、心が軽やかになりました。

それから、大島商船退学は頭から去り、悩みながらも「青春時代」を過ごしました。約50年前のこと。先生とサシツ、ササレツのひと時が今、鮮明に記憶に残っています。鮫島校長先生に感謝。

大島商船、よく遊び、悩んだ青春時代。良師、良友、良先輩、良後輩。多くの良い漢(おとこ)に出会い、楽しく良いひと時を過ごした、よい時代のよい学校でした。

これから「玄冬」、昔のことを思い出しながらも、それに浸るだけでなく、夢を描き新たな人生に向け挑戦したいと思います。

写真は、大島商船の練習船、大島丸

『50、60「花ざかり」』(平澤 興 一日一言)

「年をとると、偉そうにいうようになるが、本当に偉い人は、偉そうにはいわぬ。大体偉そうにいう人は、成長が止まっている」。

「例えば、50、60は「はなたれ小僧」などと見下げたようないい方をするよりも、50、60「花ざかり」、70、80で「実がなって」、90、百歳は「熟れざかり」などというような気持ちになることが本当です」。

「本当に人生を楽しむのは80歳からである。この歳になってがっくりする人と新しい人生に燃える人が出てくる」。

生きている限り挑戦の日々を過ごし、80歳からも新しい人生に燃えたいと思います。「50、60「花ざかり」」、胸に留めたい箴言です。

2020-12-15

「雪の降るまちを」発想の地、鶴岡

♪雪の降る街を 雪の降る街を♩想い出だけが 通りすぎてゆく♫雪の降る街を

♫遠い国から落ちてくる この想い出を この想い出を♪いつの日かつつまん 

♪温かき幸せの微笑み

「雪の降るまちを」、発想の地、ここ鶴岡。作曲者の中田喜直さんが、この曲を作る際、山形県鶴岡市の知人宅で見た降雪風景が、このメロディを紡いだとのこと。初出は1951年NHKラジオ放送。

この冬一番の冬将軍が、雪国にやって来て今、この冬初めての積雪。昨年は、暖冬でほとんど積雪がなく異常な冬。この雪、少し嬉しく感じます。

小学生の頃、「雪の降るまちを」が冬、NHKの「みんなの歌」で流れていました。我が故郷、島根の山間部も雪深い地域、冬になるとこの歌を思い出します。子供の頃、冬は元気に外で雪遊びでした。

雪国には、雪が似合います。雪が降ると、朝一番の仕事は雪かき。一晩で積雪60センチの日もあり、朝から雪かき、よい運動で爽やかな汗。そして、一日が始まります。この冬初めての雪かき。


♪雪やこんこ 霰(あられ)やこんこ 降つても降つても ♪まだ降りやまぬ

♪犬は喜び 庭駈かけまわり ♪猫は火燵こたつで 丸くなる

我が家の寝とぼけ犬のクニオも雪が大好きです。今朝の散歩前も、今年初めての雪に興奮し、私の周りを駆け回りました。

雪が積もると散歩の後、クニオに「長靴投げ」をします。長靴を投げ、それを持ってくる「長靴投げ」、クニオの大好きな遊び。この冬初めての「長靴投げ」、元気に雪の中を駆け回っています。



クニオが黒長靴をくわえて振り回す「長靴投げ」、カラス除け効果を発揮。ご多分に漏れず我が家周辺もカラスで賑わい、かつては、我が家の屋根にもカラスが常に数羽いました。

「長靴投げ」を始めてからは、カラスが全く寄りつかない。カラスは、黒長靴をカラスと思い、それをくわえて振り回すクニオを「カラスキラー(カラスの殺し屋)」と思っています。

カラスが寄りつかなくなったのは、嬉しいことです。クニオに感謝。

週間天気予報、本日は暴風雪。明日は大雪、その後は、全て雪。雪国に本格的な冬到来です。今年は、久しぶりにウインタースポーツ、スキーを楽しもうかと思います。

『元気』(安岡正篤 一日一言)

「われわれは「気」を養うということが、一番根本の大事だ。いわば生のエネルギーを養うということ、いい換えれば「元気」ということが一番である。元気がないというのは問題にならぬ」。

「しょぼしょぼして、よたよたして、一向に反応がないなんていうのは、論ずる価値がない。とかく人間は有形無形を論ぜず、元気というものがなければならない」。

「元気というものは、つまり生気である。生のエネルギー、生々(いきいき)しておるということである」。

「気」を養う、「元気」、重要に思います。「雪の降るまちを」の鶴岡の冬、元気に楽しみたいと思います。

2020-12-13

面接授業、楽しく聴講しました

「放送大学は楽しい。私の人生を限りなく豊かにし、知的好奇心を満たしてくれた。人文社会から自然科学分野まで、放送・面接授業を履修し、視野を広げることができた」。

「この数年は東北各地の学習センターに足を運び、地域の特色を生かした授業から多くのことを学んでいる」。これは、北海道学習センター60代、在籍17年男性の「声」です。

放送大学の学生になると、全国50の学習センターで学ぶことも可能で、所属センター以外のセンターでの学びを楽しむ方もいます。

放送大学の授業は、放送授業、面接授業、オンライン授業の3つがあります。放送授業は、インターネット配信され、何処でも、誰でも、何時でも聴講可能です。


2学期、10月から面接授業も開始され、土日の面接授業には、教員や学生の皆さんと触れ合うことができ、刺激をもらっています。嬉しく思います。

先週の面接授業は実験系でした。半日受講し、大変興味深く心理学実験を学びました。心理学実験、土日2日間の面接授業は、大きく3つの実験より構成され、それぞれの実験が終わるとレポート書き。

「序論、材料と方法、結果、論議」の順に記述し、3つのレポートを仕上げます。実験の前には、論文の書き方や統計方法なども学習。とても濃い授業に感じました。

3つの実験の一つ「アンカリング効果(anchoring effect)」を学ぶ実験。これは、「何らかの値を推定する前に比較対象としての値が提示されると、推測値がその値に近くなる現象」とのことです。

例えば、2つのグループに「明智光秀の身長」を問います。「初期値大条件」のグループには、「光秀の身長は、190センチより高いと思いますか、低いと思いますか」。

「初期値小条件」には、「光秀の身長は、140センチより高いと思いますか、低いと思いますか」。前者の平均は、167.7cm、後者は、155.8cmと前者が後者より有意に高い。これは、1974年に「Science」に掲載。

「アンカリング効果」、面白いと思いました。

前職では、主として大学1年生が学ぶ「基盤教育科目」を時々授業参観。そして、とても興味深く面白く学びました。教養科目は、人生の年輪を重ねてから学ぶのも一つに思います。

「♪生きるとは学ぶこと、♫学ぶのは楽しみ♪」「♪生きるとは知ること、♫知ることは喜び♪」。これは、放送大学歌の一部抜粋。本当にそう思います。

放送大学は、ご年配の方が数多く学んでおられますが、年配になってから学ぶこと、重要で楽しみに思います。佐藤一斎先生の「言志録」の「三学戒」、「壮にして学べば、老いて衰えず。老いて学べば、死して朽ちず」を思い出しました。

写真は、霞城セントラル10階の山形学習センターから山形市内の眺望

『生きた学問』(平澤 興 一日一言)

「よく普段から本を読んでおるが、ただ本だけで人生を知らないというような人もあります。そういう人は駄目であります」。

「また、そうたいして本を読むわけではないが、大変よく考える人で、たとえばお百姓さんだとか魚屋さんだとか大工さんだとか、その人たちはそうたいして本を読んでいるわけではないかもしれません」。

「けれども、お会いして非常に感心をする人があります。うちに出入りしておる大工さんなども、難しい学問をしたとは思えないのであります」。

「しかし、私などは全く頭が下がるようなことを年に何度か経験するのであります。これなどは本当に生きた学問をしておるのであって、難しい言葉を知ることだけが学問ではないのであります」。

「生きた学問」、「活学」、重要に思います。

2020-12-11

巨星墜つ、有馬朗人先生の思い出

有馬朗人先生が、12月7日に亡くなられた。享年90歳。

元東大総長、文科大臣、理化学研究所理事長等々、数多くの要職に就かれ、我が国の科学技術の発展に多大なる貢献をされ、その強力な牽引者でした。

先生は、2007年から9年間、山形大経営協議会委員として、大所高所から山形大の経営、教育、研究に助言をされ、尽力いただきました。

私が、最初に先生にお会いしたのは、12年前、農学部長の時の学長選考会議。先生は議長。ユーモアがあり、要所、要所でご自分の意見を紹介され、委員の全てが意見を述べる会議を運営。さすがです。

写真は、有馬先生が理事長をされた理化学研究所の一葉。

その後、私が理事・副学長を拝命した9年前の2011年から5年間、2ヶ月に一度、経営協議会でご意見を聞く機会がありました。

経営協議会は、午後1時から開催。協議会前は、協議会委員と山形大執行部メンバーで昼食会。昼食会では、先生の多面的な体験談を聞くのが楽しみでした。

先生のお話は、日本の科学技術の発展史を聞くようで興味深く、とても勉強になり刺激的でした。話し方も大変上手で分かりやすく、毎回、お話に引き込まれた処です。

日本の基礎科学の現状を憂慮され、機会がある毎に基礎科学の充実・発展施策を文科大臣等に提言。日本の将来を本当に心配されていました。「巨星墜つ」を痛感します。誠に残念です。

また先生は、何時も万歩計を持参され80歳を過ぎても毎日1万歩の歩行。そして、胸のポケットに入る小さな手帳に、小さな字でその日の予定等がビッシリと記されていました。

さらに先生の俳句は、玄人肌でNHKの俳句教室の講師としてもご活躍。お亡くなりになるまで、静岡文化芸術大学の理事長等の公職も継続され、多方面でご活躍及びご尽力されました。

これまで色々とご教授いただいたことに感謝し、ご冥福を心からお祈り申し上げます。

『老いを忘れる』(安岡正篤 一日一言)

「真の人物は気概があると共に、どこかゆとりがあって、楽しむ所がなければならぬ。それで初めて老いを忘れることができる。また、実際にいつまでも老いないで暮らすことができる」。

有馬先生、80歳過を過ぎても若々しさと瑞々しさに溢れる先生でした。何時までも、いつまでも老いを感じない先生。先生との出会い、貴重な縁に感謝です。

2020-12-09

糸やの娘は目で殺し、ウチのククは目で話す

「京都三条糸屋の娘 姉は16妹は14 諸国大名は弓矢で殺す 糸屋の娘は目で殺す」。「目は口ほどに物を言う」、当たっています。

毎朝、散歩する我が家の「ネトボケ犬のクニオ」こと「クク」。4歳メス、ラブラドールレトリバー、「目で話す」犬です。

ククは、表情がとても豊かで、目で色々と話をします。まさか、家の中でこんな大きな犬を飼うとは、我が人生、想定外。

「上り坂、下り坂、マサカ」です。大家族の我が家、家族の増加により楽しみは増えましたが、私の自由度は減少の一途です。

ククは、何時も台所のソファーで「グーグー」と大きなイビキをかいて寝る「ネトボケ犬」です。しかし、家族が食卓で食事を始めると、不思議にサッと目を覚まし、コソコソコソっと家族の椅子のすぐ近くにお座りをします。

そして、大きな顔を家人のモモの上にピタリと置き、上目遣いで「私にも、何か食べ物頂戴」と目で話します。

色々な表情のククを紹介します。ククの表情を見るだけで面白く、見飽きません。我が家の人気者です。




お座り、お手、伏せ、探してこい、股くぐり、鍋を持ってこい、手の拳銃で「バーン」とやるとゴロリと死んだふり等々は、お手の物。

しかし、これだけでは「大道芸」の域には達しません。今年の長い冬は、「バック転」、「逆立ち歩き」、「猫なで声」等の秘技を教えたいと思います。春の「大道芸」が楽しみです。

ラブラドールレトリバーは、盲導犬にも使われ、頭が良く大人しい犬とのこと。我が家のククは、躾が今一つで、人が大好き。人が来るとワンワン吠え人に抱きつきます。とても盲導犬は無理。

犬が、こんなに表情豊かだとは思いませんでした。動物等の生き物との暮らし、生活に潤いを感じます。癒やし系の犬、クク。朝から元気を与えてくれるククに感謝です。

「目の力」、不思議です。目元涼しく、爽やかに生活したいものです。

『目利き』(安岡正篤 一日一言)

「人間は目というものが大事です。心眼というて、人間の精神活動、精神作用というものは最も目に反映する。医学的にもそうであって、人間の生理機能、体内のあらゆる機能は、最も鋭敏に目に表れてくる」。

「だから最も進歩した眼科医は、目をみて、人間の体内のあらゆる状況を観察することができる。「目利き」というのは大事なことである」。

「人間の生理機能、体内のあらゆる機能は、最も鋭敏に目に表れてくる」、なるほどと思います。「目の力」、重要ですね。

2020-12-07

夢の不思議、「予知夢」

予知夢とは、未来に起こることを夢で体験すること。夢は、どのくらい解明されているのでしょうか。夢、色々と不思議です。今回は、予知夢について少しツブヤキます。

「Yahoo」で「予知夢」を検索した処、「予知夢を見やすい人の特長」が紹介されていました。

1.子供や邪心のない人、2.右脳が発達した人、3.感受性と想像力が豊かな人、4.霊感が強い人、5.スピリチュアルに関心が高い人、だそうです。予知夢を見る「私の特長」は、上述のどれに該当するのか、自己判断難しいですね。

今日は、科学研究費(科研費)の採択結果を予知夢で知った話を紹介します。多くの研究者は、「科学研究費助成事業」の科研費を申請します。

この科学研究費助成事業は、基礎から応用までのあらゆる「学術研究」を格段に発展させることを目的とする「競争的研究資金」で、審査を経て、独創的・先駆的な研究に対する助成を行うものです。

これには、研究費の総額と研究期間等から基盤研究S(総額2億円)、基盤A(総額5000万円)、基盤B(総額2000万円)、基盤C(総額500万円)等があります。

この科研費に申請したときに予知夢を2回見ました。その1つを紹介します。

今から約20年前、山形大農学部の6名の研究者で異分野連携の勉強会を実施。土壌肥料学の友人が、アーバスキュラー菌根菌(AM菌)という糸状菌が植物の生育に及ぼす影響を紹介しました。

このAM菌は低リン酸土壌で植物のリン酸吸収等を促進。

「土壌微生物の多様性が、地上部生物の多様性を創出し、それが地上部の食植者や捕食者の多様性を増加する」との仮説を立て、鶴岡とインドネシアの2つの島で検証する野外実験が特徴の研究でした。


当時の学部長は、「基盤Aに申請したの?。あなたのような実績も実力もない研究者は、基盤Aに採択されません。審査員と思われる人に年賀状でも出し、挨拶に行くことだね。はっはっはっ」と、「心優しい」助言。

その学部長は、農学部50年の歴史で唯一、基盤Aに採択。氏が60歳過ぎでした。私が代表で申請した時、私は40歳代後半。

そして、採択結果公表2ヶ月前の2月、ニシキヘビがニコニコ笑いながら歩く夢を見ました。「ヘビは、お金を持ってくると言われている。採択されたかも?」。これは、「予知夢」で「採択」されました。

驚きの学部長「あなた、基盤Aに採択されたんだって、凄いね」。「あのー、実績も実力もないのですが、ウウウ」との一コマがありました。共同研究者に感謝です。

毎回、ワクワクしながらインドネシアを訪問したのを思い出します。ジャワ島とカリマンタン島での大規模野外実験、色々と困難なこともありましたが、刺激的で楽しい日々。貴重な出会いもありました。

夢は、余り解明されずに、未知の不思議なままでも良いですね。これからも良い「予知夢」を見たいと思います。朝のクニオとの散歩で「予知夢」によるインドネシア等での実験を思い出しました。

『まっしぐらに生きる』(平澤 興 一日一言)

「人それぞれに燃え方が違っても、そのどれが良いとか悪いとかいうことでなく、大切なことは、せっかく人間として生まれてきた以上は燃えて夢を持つことです」。

「そして、それに向かってまっしぐらに生きるということであります。人生において退屈する程つまらなく、気の毒な状態はないでしょう」。

山形大在職中は、色々な夢に燃えていたことを思い出します。夢の質は違いますが、それは今も続いています。「まっしぐらに生きる」、いいですね。