2023-05-30

英語落ちこぼれの「英語とその学びの思い出」

今、放送大学の授業、『グローバル時代の英語』を受講中。本日が通信指導(中間試験に相当)の答案提出締め切り日。この一週間、毎日、バスの中で「英語」を学びました。

主任講師が、5回目の授業で「英語の学びは、自分にとり何であるのか」と自問。それを聞いて、「私にとり英語の学びは何であったのか」と自問。本日は、「英語とその学びの思い出」について少し記します。

英語の学び初めは、皆さんと同じに中学校1年生。英語を学べることにワクワクした記憶あり。

しかし、2年生になり英語の先生は、生徒が宿題をやらないとの理由で授業をボイコット。先生は教室で、『日本文学全集』を読み、授業が終わると職員室に戻る。

この先生は、3年生の時に転勤しましたが、3年生の初めには2年生の教科書が半分も手付かず。英語落ちこぼれの始まり。

商船高専では、1年生の時に英語。しかし、専門科目の勉強が主で、英語は積極的に勉強せず。落ちこぼれ、その2。

商船高専の在学期間は、5年半で9月末卒業。卒業後は、大学で農学を学ぶことを決心。3月の大学入試まで5ヶ月間の受験期間で英語の力が付くとは思えず、英語は諦め。落ちこぼれ、その3。

運良く大学に入学。そして、必修科目として英語が出現。40名のクラスメイトは普通高出身で受験英語を叩き込まれている。ここでも落ちこぼれ。

大学院の受験を考え、英語とドイツ語が必須で辞書持ち込みなしを知る。大学4年生から文法書及び長文読解の参考書をそれぞれ1冊購入し英語を必死に学ぶ。大学院浪人も経験し、何とか希望の大学院に合格。

その研究室では、海外から研究者が訪問すると「Welcome Seminar(歓迎セミナー)」を開催し、発表者は無料で懇親会に出席。大学院の学生の発表は、必須の雰囲気あり。

入学してすぐに「Welcome Seminar」を知り、英会話学校に入学。修士1年の時に訪問者が来て、多くの学生は発表。指導教員からは、「お前、発表しないの」と「冷たいまなざし」。針の筵の1年目。

2年目の秋には、英会話学校の成果を少し感じ、「お前、また発表しないの」と「冷たいまなざし」の指導教員に「発表します」と告げたら、びっくりした教員「え、おお前大丈夫なの」の一言。

発表の構成を練り、練習していざ本番。ジョークも交え少し話せたと自己満足。初めての無料懇親会に出席。「冷たいまなざし」の指導教員が、「こいつ英語が話せるな」、とビックリした顔。ウフフでした。

しかし、英会話学校では、話す・聞くが主で、英語を書く訓練はなし。

修士2年間の研究の一部を英語の短報にまとめ、指導教員に校閲依頼。一日後、「お前の英語は酷い、高校生以下だ。高校の英語を徹底的に勉強しろ」と助言。

高校の英語を勉強しても英語が書けるとは思えず、私の研究分野で英語が母国語の優秀な研究者の英語論文の記述をメモし、それを覚えました。そして、それを使って英語の論文書き。

大学院1年から約25年間、鶴岡のNOVAが閉鎖されるまで英会話学校に通いました。

また、1997年に家族と一緒に約10ヶ月英国留学。研究しながら「Writing English in Science」との英語クラスに出席し3ヵ月鍛えられました。

先生がジョークを言い、学生がゲラゲラ笑う。私には何が可笑しいのか分からず頬が引きつり寂しい思い。

英語クラス修了時にIELTS(英語試験)を受験。これは、1(最低)から9(最高)の段階評価。大学留学の場合は、5.5以上の得点が必要。私は、お情けで6.0を頂戴。

山形大農学部に赴任後は、毎金曜日に学生さんと英語のミーティング。さらに欧米の研究者が私の研究室に滞在しての共同研究や多くの留学生の指導で、私も学生さんも英語が公用語のような環境。

私が大学生の時とは異なり、学生さんは流暢な英語で留学生や海外の研究者と英会話。

ある日「冷たいまなざし」の元指導教員から私に英語論文原稿が届き、手紙には「安田兄、論文へのコメントと英語校閲をお願いします」と記述。

私にとり英語は、研究者としての必修技能であり、多くの海外の研究者と共同研究を楽しめた「道具」。

英語を使わざるを得ない環境になり、必死に学べば、それなりには修得できるように思います。

本日は、英語落ちこぼれの「英語とその学びの思い出」を少し紹介しました。

『努力を習慣に』(平澤 興 一日一言)

「何が大切だと言っても、人生のできるだけ早い日に、この自主的努力を習慣的に身につけるほど大切なことはあるまい」。

「人生の勝負は普通考えられているようにただ頭脳のみの勝負ではなく、むしろ自主的努力を貫徹する意志と力と実行力にあるように思われる」。

「しくじりながら、これに教えられて突進するようになれば、もはやいわゆる失敗などというものはなく、失敗そのものさえが建設への手助けとなる」。

『努力を習慣に』、重要に思います。

2023-05-28

2023年度山形SC、「学びのサロン」が始まる

大学では、学生が他の学生や教員とゼミを通じた自主的な学びが可能です。かつての職場、山形大の私の研究室、学生諸君の成長を振り返ると、ゼミを通じての成長が著しい。大学でのゼミ、不可欠に思います。

今年度も5月から、山形学習センター(山形SC)の「学びのサロン(ゼミ)」が始まりました。

私と8名の客員教員で9「サロン」を開講しています。本日は、第1回目が終わった私の「サロン」を少し紹介します。

私の「サロン」は、岩波ジュニア新書『日本の農業を考える』(大野和興著)を輪読し、「日本農業のいま」、「グローバル化の時代の農業」、「食の安全と環境問題」、「もうひとつの農業をつくる」等について多面的に学び、参加者で意見交換をします。

今回は、私が「第1章 日本農業のいま」を簡単に紹介。第1章は、2つの見出しで構成される。

まずは、「1.おとろえる生産基盤」。ここでは、「1)工業と農業の違いとして、農業の生産基盤は、①農業で働く人(労働力)、②土地、③土であり、農業にとって土はもっとも大切な生産基盤。これは農業と工業の違いである」と記す。

そして、「2)高齢化する農業の働き手」と続き、「日本の農業就業者はフランスや英国と比較し、逆の傾向で年齢が上がるほど増加している」ことに触れる。

さらに、「3)農地が捨てられる」では、「耕地の減少は、工場や宅地化の外部要因から、高齢化による耕地の放棄という農業内部の問題に変化している」ことを示す。

次の「4)おとろえる土」では、「1970年代頃からの日本の農地について、土のおとろえを土が固いことやミミズ等の減少」で指摘し、「土の膨軟さの減少の背景としては、機械化、化学化、連作、農薬等で土の破壊や土壌生物の減少がある」ことを述べる。

2番目の見出しは、「2.量と質からみる食料供給力」。初めの「1)どん底の食料自給率」では、「カロリーベースの自給率は40%で他国と比較して著しく低く、コメ95%、飼料のトウモロコシ0%、大豆5%、小麦11%」を紹介する。

そして、「2)高まる食への不安」では、「食品安全基本法(2003年)の制定は、狂牛病(2001年)、中国野菜の農薬汚染、表示違反等の食品犯罪」等が背景にあったことを示す。

最後は、「3)農業が環境を汚染する」で、「農業と環境についても厳しい目がある」として、「農薬でのタンチョウの死亡及び農薬や化学肥料の大量使用による水や土、野生動物への加害は、現代農業の問題である」ことに触れる。

今年度は、私を含め6名の参加者のゼミ。第1回は2名欠席、4名で実施。4名は、70歳前後で、育った時代が類似し、お互いの意見が理解しやすい。さらに3名は農業経験者。

第1章の紹介後、多面的な意見交換。その一部を紹介します。

「趣味の農業は楽しいが、専業で農業をするのは厳しい。脱サラして農業に取り組むと大変に思う」。

「複雑な人間関係の中でストレスを感じて生活する会社勤め等と比較すると、作物の生育を楽しみながら生活できる農業は魅力的である」。

「日本の食糧自給率は40%と低いのに残飯などが多く、かつての「もったいない」の考え等を思い出して生活する必要性がある」。

「77億の人口の約1割、9億人が飢餓に直面している現実を考えると、食に関する日本人の考え方を一考すべきではないか」。

さらに、市場に野菜を出荷された経験のある方は、キュウリは真っ直ぐでないと取り扱われないこと等を紹介し、「日本人の価値観の異常性」を指摘。

あっと言う間の90分、参加者の意見から色々と学びました。皆さんに感謝です。

『陶冶(とうや)する』(安岡正篤 一日一言)

「最高の教育を受けた人間も、その後の自己陶冶を缺(か)いては、立派な人間には成り得ない。ごく劣悪な教育も、自己陶冶によっては、なお改善され得るものである。いかにも人間は陶冶次第です」。

「「陶」というのは、焼き物を造る、「冶」というのは、冶金の冶で、金属を精錬することであります」。

土を粘(ね)り、焼いて、陶器を造る。鉄を鍛えて鉄器を造るようなもので、人間もやはり、焼きを入れ、鍛えるということをやらなければ、ものになりません。いくつになってもそうであります」。

『陶冶する』、「いくつになっても焼きを入れ、鍛える」、重要に思います。

2023-05-26

山形SC「ゆうがくの会」総会に出席して

放送大学山形学習センター(山形SC)には、「会員相互の親睦と交流を通して、会員の学習成果の向上を図る」ことを目的に「ゆうがくの会」が設立されています。これは、学生さんの親睦会です。先日、その総会に出席。少し紹介します。

総会は、コロナで4年ぶり。60名の会員のうち20名以上が出席。ご年配の方も多く和気藹々とした総会でした。

総会では、前年度と今年度の収支決算や事業計画の報告や案の紹介とその審議。いずれの議案も特に、問題なく承認。

今年度2月に「ミニ講演会」が予定。議長の会長さんから、「このミニ講演会は所長さんからの講演をお願いします」と依頼。全く想定外でしたが、「NOと言えない日本人の私」、快諾しました。

通信制の放送大学は、山形大学等の通学生の大学と比較し、学生さんが大学に来る頻度が著しく少なく、学生さん同士の親睦や交流を図る機会が少ないのが現状です。

「ゆうがくの会」を通じ、学生さんが相互に交流や親睦を図り、学生生活を充実されることを期待しています。

役員の方々や出席された会員の方に感謝です。

『三学戒』(安岡正篤 一日一言)

「少(わかく)にして学べば、則ち壮にして為すこと有り。壮にして学べば、則ち老いて衰えず。老いて学べば、則ち死して朽ちず(佐藤一斎 言志晩録)」。

「若い者の怠けて勉学せぬ者を見る程不快なものはない。ろくな者にならぬことは言うまでもないが、まあまあよほどのろくでなしでもなければ、それ相応の志くらいはあるものである」。

「壮年になると、もう学ばぬ、学ぼうとせぬ者が随分多い。生活に逐(お)われてだんだん志まで失ってしまうのである。そうすると案外老衰が早く来る。いわゆる若朽である」。

「よく学ぶ者は老来ますます妙である。ただし学は心性の学を肝腎とする。雑学では駄目である」。

「細井平洲も敬重した川越在の郷長老、奥貫友山の歌に「道を聞く夕に死すとも可なりとの言葉にすがる老いの日暮し」と」。

放送大学の学生さんと接し、知的好奇心が旺盛でよく学ばれると感心し、刺激と元気をもらっています。「学び」、何時までも重要に思います。「学びの習慣」、必要に思います。『三学戒』、肝に銘じます。

2023-05-24

同窓会誌「巻頭言」、「之を楽しむ者に如かず」

山形学習センター機関紙や放送大学山形同窓会報に「巻頭言」を書くことがあります。本日は、『人生を如何に生きるか、「之を楽しむ者に如かず」』の見出しで後者に記した「巻頭言」を紹介します。

「之を知る者は、之を好む者に如かず。之を好む者は、之を楽しむ者に如かず」。これは、孔子の有名な箴言です。

「学問もただ頭で知るという程度では、わがものにならない。已(や)めず措(お)かず努力をすることによって「知る」から「好む」に、やがて「楽しむ」の境地に入るものである。そして心の豊かさとなり、血となり肉となるものです」というのが大意(庄内論語より)。

学問の奥深さと味わい深い生き方を示唆する重要な箴言に思います。

学問を頭で知るだけでなく、「学問が心の豊かさとなり、血となり肉となる」、そのために努力をする。日々の生活での「活学」、必要に感じます。二度ない人生を如何に生きるか。心豊かに生きたいと思います。

古代中国に端を発する自然哲学の思想に「五行説」があります。この五行の色と四季を合わせて、青春、朱夏、白秋、玄冬の言葉が生まれたそうです。

これを人生に例えると青年期は「青春」、30代から40代は「朱夏」、50代から60代は「白秋」、晩年期は「玄冬」。

10代半ばからの「青春」には、「生きるとは何か」を思索しました。この時期、シュバイツァー博士の「生命の畏敬、生きることに価値がある」を学びました。

「朱夏」から「白秋」への28年間の大学教員時代、前半は教育・研究に専念し、後半は学部や大学の管理運営に従事した日々。仕事に時間の大半を費やし、「人生について考える」ことが少ない時期でした。

「青春」、「朱夏」、「白秋」と日々悩みながらも「夢」を描き、その実現に向けて苦しい時や辛い時もありましたが、今振り返るとそれらは懐かしく楽しい思い出となっています。

65歳から始まった我が第二の人生、これから「玄冬」に向かう今、時間的な余裕から「今までの人生を振り返り、これからの生き方」をフト考えることがあります。

「人生とは何か」という本質的な命題が脳裏をよぎる時もあります。そして、「これからの人生を如何に生きるか」との問いが浮かぶこともあります。

大学生時代にある先生から、「君は、夢を食べて生きるバクのような人間だな」といわれたことがありました。このような性格は、「玄冬」に向かう今でも変わらないようです。

「人生とは何か」とボンヤリと思索しながら、小さな「夢」を描き、それに「挑戦」するのも不器用な私の一つの生き方かとも思います。

「本当に人生を楽しむのは八十歳からである。この歳になってがっくりする人と新しい人生に燃える人が出てくる」と京都大学16代総長の平澤興先生は述べています。

80歳からの「新しい人生に燃える」ためにも心身ともに健康で70代の小さな「夢」に向かって今、生き切りたいと思います。

「已(や)めず措(お)かず努力をすることによって「知る」から「好む」に、やがて「楽しむ」の境地に入る」。心に残る箴言です。

同窓会会員の皆さんも忙しい日々、ちょっと立ち止まり今までの人生を振り返り、「これからの人生を如何に生きるか」を思索されるのも一つかもしれません。

人生二度なし、「之を好む者は、之を楽しむ者に如かず」です。

『自主的に学ぶ』(平澤 興 一日一言)

「大学は、ただ教えられることを習う受け身の勉強をするところではなく、もっと積極的に自らも考えながら自主的に勉強すべきところだ」。

「自らも考えながら自主的に学ぶ」。これからも色々と考えながら自主的に学び続けたいと思います。「♪生きるとは学ぶこと、♫学ぶのは楽しみ♪」。放送大の学歌の一部です。

2023-05-22

テニスの楽しみ、「楽しみって何だろう」

私の故郷、島根県出身の数少ない有名人の一人がプロテニスプレイヤーの錦織圭選手。元世界ランキング4位、怪我で約2年間の長期離脱。彼も33歳。6月上旬から復帰の予定とか。嬉しいニュース。「錦織、ガンバレ!」

本日は、テニスの楽しみ、「楽しみって何だろう」について少し記したいと思います。

私たちの楽しみは、人それぞれ。絵を描く、楽器の演奏、踊る等、芸術を楽しむ人もいれば、諸々のスポーツを楽しむ人。さらに、美味しい料理を食し、友人との会話を楽しむ。旅に出て多面的な学びを楽しむ等々。

また、酒を嗜む人は、新鮮な魚介類に地酒があれば至福の時を楽しめる。

「たのしみは とぼしきまゝに人集め 酒飲め物を食へと いふ時」

『獨 樂 吟』、橘 曙 覧

さて、テニス。私、約40年硬式テニスをやっていますが、3年前までほぼ我流。3年前からの第二の人生、テニススクールでコーチから打ち方等を色々と教授。これは、とても有難い。

スクールのある日は、朝からワクワク。それはテニスが楽しいから。テニスの楽しさとは何だろう。

テニススクールでは、まずは、コーチがボール出しをしてストロークを打ち始める。これは、楽しみの一つ。打ちやすいボールなので、気持ちよく打てる。この「気持ちよい」というのは、楽しみに通じる。

楽しみの二。我流のテニスで、身についてない技術が、コーチの指導で身につく。例えば、ストロークやサーブでトップスピンやスライスのボールを打つ。出来なかった事が出来る楽しみ。この「進化」は、大きな楽しみ。

類似したレベルのメンバーとの練習や試合。ラリーが続き、ボールを思うように制御するのも楽しみ。

何も考えずに無心になり、ボールを打ち、ひたすら動き回って汗をかく。爽快感、楽しみです。

こんな90分が過ごせるスクール。それゆえ、スクールのある日はワクワクするのだと思います。スクールのコーチに感謝。


また、昨年9月から始めたボディビル。今、30キロを持ってのスクワットや40キロのベンチプレス等々での筋力鍛錬。この基礎トレーニングもテニスの練習に好適に機能。

さらに早朝農業やクニオとの散歩。これらは、基礎体力の維持に欠かせません。高齢者には、毎日の小まめな運動の継続が、運動能力の維持に必要に思います。

美味しい地酒をグイッとやり、新鮮な魚介類を食するのも至福ですが、高校の部活のように90分クタクタになって爽やかな汗をかくのも至福。テニスの楽しみ、当分は継続です。健康の有難さを感じます。

「たのしみは 空暖(あたた)かにうち晴れし 春秋の日に 出でありく時」

『最高の生き方』(平澤 興 一日一言)

「今が楽しい。今がありがたい。今が喜びである。それが習慣となり、天性となるような生き方こそ最高です」。

『最高の生き方』、いいですね。 

2023-05-20

米どころ庄内平野、田植えが始まる

五穀豊穣を祈願した松ヶ岡産業稲荷神社の春祭りも終わり、米どころ庄内平野の田植えが始まりました。瑞穂の国日本、いいです。本日は、再掲も含め約10年間実施した田んぼの研究等の一端を紹介します。

10年以上前から2020年3月まで、山形大農学部農場の田んぼで友人たちと一緒に、無農薬・無肥料・無除草剤によるお米作りの研究をしました。

特に、タニシやヤゴ等、田んぼの水辺の生き物が出す糞等や藻類を除草機で地中に埋め込み、活用してイネを栽培するのが独創的な点。

その田んぼでは、化学肥料等の化学資材を使わずにタニシ等の生物の役割を活用してお米作りをするので「自然共生田んぼ」と呼びます。そして、このような生き物の役割を活用する方法を生態系サービスの活用といいます。

大学農場以外にも、我が家の近くに1反歩の田んぼを3つ借り、インドネシアの留学生の博士論文研究も含め7年間、お米を作りました。

農薬等を使う「慣行水田」を「自然共生田んぼ」に変えると、昆虫やクモ、オタマジャクシ、ハラアカイモリ、シマヘビ、ツバメ、サギ等、生き物の種類や数が増え、生物多様性が増加。

しかし、「自然共生田んぼ」は、除草剤を使わないので、何もしなければ田んぼは、草ボウボウ。それを防ぐためにも除草機を使った除草は必須。5月中旬から7月上旬まで毎週一回、合計8回の除草を実施。

3反歩の田んぼの機械除草は、一日仕事。一度、熱射病になり水風呂に飛び込んだこともあり。結構な重労働。除草機が直進せずに少し曲がると苗を倒し、除草後の苗起こしが必要。簡単ではありません。

しかし、朝6時位の爽やかな時間帯では、冷たい水の田んぼに入り、多様な生き物を観ながらの除草作業は気持ち良いです。

ある時、除草機で除草中、農家の人が田んぼに訪れ「安田さん、何故、そんなに楽しそうに除草をしているの」と聞かれました。

自然共生田んぼには、とても色々な草が生育し、綺麗な花も数多く咲きます。それを観るだけで楽しい。

さらに自然共生田んぼのイネは不揃いです。刈り取りが始まる時期に穂が出るイネもあり、田んぼの中でイネの生育はバラバラ。イネの生育が、何故、田んぼで不揃いか考えるのも面白い。自然現象には理由あり。

生き物は、生育の違いが場所毎にあり不揃いです。自然共生田んぼは、面白いことや楽しいことを色々と教えます。そして、分からないことが多い。それを考えるのは、面白くて、楽しい。

そんな田んぼにいると楽しくなります。楽しいこと、重要に思います。自然共生田んぼとイネは、私に知的好奇心と元気を与えてくれました。懐かしいお米作りの思い出です。

『学べば学ぶほど』(平澤 興:一日一言)

「世の中には、説明のできないような不思議がたくさんあります。すべてが科学で解決できるなどということは、間の抜けた科学者の言うことであります」。

「真に科学を、学問を研究した人は、わからないことがだんだん増えてくることをしみじみ思うものです。学問をして賢くなると思うような学問の仕方は、本当の学問の仕方ではありません」。

「学問をすればするほど、一つわかれば、十ぐらい分からんのが出てきますから、ほかの人よりは深く知っても、自分として主観的に分からんことのほうが、だんだん増えてくるのであります」。

「学問をすればするほど、世の中にあたりまえなんてことはなくなり、全てが不思議になるのであります」。

「学問を研究した人は、わからないことがだんだん増えてくることをしみじみ思う」。分からないことが増えてくる、本当に思います。それを考えることは、楽しいことです。

2023-05-18

四季のある日本の良さ、月山の新緑から英気

鶴岡から山形への通勤の月山道、最も高い場所は、標高700m。今、新緑と残雪がとても綺麗です。新緑から英気をもらっています。少し記します。

鶴岡の庄内あさひバス停から30分、山形市に向けて走行すると標高700m。新緑の緑がまぶしく、その中の残雪が美しい風景を織りなし、それを観るだけで幸せな気分。

この新緑の季節は、四季の中でも一番好きな季節。英気がもらえ、この一年のやる気が漲るような気がします。


我が家の周辺は、田んぼと果樹園に囲まれています。5月中旬の田んぼに水が入るとカエルが鳴き出し、田んぼに水が入ったことが分かります。カエルが鳴き出すと何時も『おぼろ月夜』の歌を思い出す。

♪里わの火影も 森の色も 田中の小路を たどる人も♪

♪蛙のなくねも かねの音も さながら霞める 朧月夜♪

『おぼろ月夜』、情緒豊かで好きな歌です。

庄内地方は今、孟宗汁の季節。庄内は、季節毎に美味しい料理があり、旬の食を頂きながら感じる四季。有り難い。

四季のある温帯地方の日本とは異なり、何時も暖かい熱帯で生活するのは、私が若いときの夢の一つ。

初めてインドネシアの首都ジャカルタ、スカルノ・ハッタ国際空港に着陸した時、南国の何とも言えない「よい香り」に感動しました。憧れの南国、いいなーと強く思った。

ジャワ島の中部にインドネシアの古都、ジョグジャカルタがあります。そこのガジャマダ大学の教員と2004年から4年間の国際共同研究を実施。毎年2回は、ジョグジャカルタを訪問。

猛吹雪の12月に庄内空港を離陸し、快晴の羽田空港に着陸。そこで冬着をコインロッカーに預け、夏装備で、先ずはジャカルタに向け離陸。何時もスカルノ・ハッタ国際空港は温かく迎えてくれました。

そこから東に1時間の飛行でジョグジャカルタ。ジョグジャカルタにあるガジャマダ大学は、山形大の協定校。インドネシア3000の大学ランキングのトップ。

当地で1週間程度の野外調査を実施し、真冬の庄内に帰国。暖かい熱帯も好きですが、寒さで身の引き締まる激寒の庄内も良いです。

はっきりとした四季は日本人の情緒形成に機能していると思います。

♪菜の花畠に 入り日薄れ 見わたす山の端 霞ふかし♪ 

♪春風そよふく 空を見れば 夕月かかりて におい淡し♪

「四季のある日本の良さ」、月山の新緑から今、英気や元気をもらっています。日本、良いですね。

『四耐四不訣』(安岡正篤 一日一言)

「耐冷 耐苦 耐煩 耐閑 不激 不躁 不競 不随 もって大事を成すべし」。

「冷に耐え:人間は世間の冷たいことに耐えなければならない。苦に耐え:苦しみに耐えなければならない。煩に耐え:わずらわしいことにも耐えなければならない。閑に耐え:ひまに耐えなければならない」。

「激せず:大事をなさんとする者は興奮してはいけない。躁(さわ)がず:ばたばたしない。競わず:つまらぬ人間と競争をしてはいけない。随(したが)わず:人のあとからのろのろついて行くのは最もいけない」。

『四耐四不訣』、いい箴言です。ふっと思い出しました。肝に銘じたいと思います。

2023-05-16

仲間と会食 (1) : 昔の案件を懐かしく回想

前職の山形大勤務では、時々教職員の仲間と楽しく会食し、情報や意見を交換しました。4年前の「大学卒業」後は、そのような機会は、少なくなりましたが、先日、かつての仲間と久しぶりに楽しい会食

話に花が咲き、昔を楽しく懐かく思い出しました。少し紹介します。

美味しい飲み物と料理で会食が盛り上がった時、かつての仲間の職員の一人、Sさんが、唐突に「あの委員会のことは忘れません」と口火を切りました。

そして、「大多数の委員がAとの意見でまとまり、もう結論が出ているのに、それを委員長が受け入れない。受け入れたら円満解決、一件落着。それを受け入れない委員長は、本当に馬鹿だと思った」と続ける。

これは約10年前の学生の案件を審議する委員会での出来事。約20名の委員で構成された委員会。

教育・学生支援担当理事・副学長の私が委員長。学生グループに関する案件が議題。

まずは、案件の説明とそれに関する意見交換。ほぼ全ての委員が、Aとの意見でまとまる。

私は、このA案が納得できず、それを承認できない。そして、納得できない理由を説明し、さらなる協議。しかし、私の意見を支持する委員はなし。

意見も出尽くし苦肉の策として「この案件に関しては、委員長の私が責任を持って対応するので、委員長に一任して欲しい」と提案。

ある委員から「また、同じ学生グループで類似した案件が生じたらどう責任を取るのか説明せよ」と質問。「責任を取る状況が生じないよう全力を尽くし対応する。責任をとる状況が生じた時にどう責任を取るか示す」と応えました。

A案を支持する多くの委員は納得いかない様子でしたが、「委員長がそこまで言うなら任せる以外にないとの諦めモード」。「委員長権限(?)」で「委員長一任」にさせてもらいました。これが多数決ならA案に決定だったでしょう。

私は、A案は教育担当の最高責任者として納得できず、責任を持てない案を承認できませんでした。「当該学生達の今、これからを考え、その判断が妥当か否か」も重視して最終決断を下そうと考えました。

そして、Sさんは、「こんな馬鹿な委員長はいません。結論が出ているのに何故それを採択しないのか。全く馬鹿としか思えません」と話しました。

そして、最後に「私は、こんな馬鹿な人に会ったことがありません。しかし、私はこの馬鹿な委員長に付いて行こうと決心した」と述べました。

この案件の審議は鮮明に記憶しています。しかし、Sさんが委員会に出席していたのも知らず、Sさんがこんなことを思っていたのは初めて知りました。

委員会が終わり、当該学生グループに集まってもらい、約70名の学生の前で委員会の結論を一言紹介し、2つの提案をしました。

一つは、グループの戒めとなるような「五訓」を作り名刺の大きさに印刷し、常に身につける。そして、ミーティング等の時には、全員で唱和する。二つ目は森信三著『修身教授録』の読書会を企画するので出席して欲しい。

私が話し終わり教室を退室後、我が部署の部長が、委員会での委員の意見や議論の流れ等を少し詳しく学生に説明。そうしたら、多くの学生が泣き出し、リーダーは土下座し号泣して、お礼を述べたとのこと。

会食で委員会の話しを紹介したSさんは、「委員長と一緒に仕事が出来た頃が一番楽しかった。今は、当時の委員長のような馬鹿な人がいない。自分の利益に固執する人が多いように感じる。寂しいです」と話しました。

会食のメンバーは、この案件を誰も知らず、この話題の紹介後、会食はさらに盛り上がりました。

Sさんのこの話は大変嬉しく、涙腺が緩み、杯が益々進みました。このような職員の方と一緒に仕事が出来た私は幸せ者。

学生さん達とは、その後3年間、毎月一度、『修身教授録』の感想文を提出してもらい、1時間の読書会を継続。私は、この読書会で学生さんから刺激を受け色々と学びました。学生さんに感謝。

卒業式の謝恩会に出席すると当該の学生さん達が、「先生、あの時は本当に有難うございました」とお礼を述べに来ました。委員会で「踏ん張って」良かったなと感慨深かったです。

かつての仲間との会食、昔の学生さんの案件の懐かしい思い出。まさか会食でこのような話が出るとは想定外。涙腺が緩みましたが楽しいひと時、痛飲しました。

その後、当該学生グループから類似した案件はなく、残念ながら「委員長の責任を示す場」はありませんでした。

当該の学生さんや会食参加の皆さんに感謝です。

『思考の三原則』(安岡正篤 一日一言)

「私は物事を、特に難しい問題を考えるときには、いつも三つの原則に依るように努めている」。

「第一は、目先に捉われないで、できるだけ長い目で見ること、第二には物事の一面に捉われないで、できるだけ多面的に、できれば全面的に見ること、第三に何事によらず枝葉末節に捉われず根本的に考える、いうことである」。

「目先だけで見たり、一面的に考えたり、枝葉末節からだけで見るのと、長期的、多面的、根本的に考えるというのとでは大変な違いがある」。

「物事によっては、その結論が全く正反対ということになることが少なくない。我々は難しい問題にぶつかる度にこの心がけを忘れてはならぬ」。

『思考の三原則』、とても重要です。肝に銘じたいと思います。