2023-06-29

今年の我が家の「父の日」とその思い出

先日、6月18日は、「父の日」。日本で「父の日」が普及し始めたのは1980年代とのこと。私が子供の頃は、「母の日」の記憶はありますが、「父の日」の記憶は定かでありません。

本日は、我が家の「父の日」について少し記します。親馬鹿ブログです。

「父の日」には、子供達が寄せ書きしたカードを贈ってくれます。

大学教員時代の私は、家庭や家族を顧みず、土日も大学に出かけ、我が家は、母親と子供達の「母子家庭」。長男が小学生の時、友人が「お父さん、いるの?」と聞いたとか。

5人の子供達、入学式や卒業式の機会は数多くありましたが、ほとんど家内が出席。授業参観も同様でした。

子供達と濃密に過ごした思い出は、ほとんどありませんが、何となく父親の背中(?)を見ていたようです。

今年のプレゼントは、手作りの水筒、山桜と私の出身地「山陰」の名で鳥取県生産、「特別ウヰスキー、山陰」。さらに福袋一杯の「おつまみ」等々。


水筒には、私の関連物品、テニスラケット、ボディビルのバーベル、男の料理のエプロン、散歩の友「忠犬、クニオ」、今年の栽培野菜等々が賑やかに貼り付いています。

今年の子供達の寄せ書き、私へのキーワードは、「情熱、夢、楽しみの発見とその継続、賑やかな家庭」。

親馬鹿な親父が文章にすると、「父は、今なお情熱を持って夢を描き、楽しみを見つけてそれを継続。そして、賑やかな家庭を作る」。

子供達の寄せ書きから成長している子供達を感じます。親父も成長せねばと思います。刺激と元気を与えてくれる子供達。

「2023年6月18日、「父の日」の思い出」。「父の日」、いいですね。子供達に感謝です。

『人間の成長・家庭の力』(安岡正篤 一日一言)

「人間は、妻子を持ち、友を知り、多くの人と交わり、ある程度の年齢に達して、ようやく本当の意味での学問・求道ということがわかり始めます」。

「家庭というものは全く人間生活の基礎であり民族興亡の依所でありますから、これを出来るだけ正しく、美しく、力強くしてゆかねばなりません」。

「その為には、なるべく家族水入らずの気安さ、子ぢんまりとした手入れのとどく住宅、決して贅沢ではない衣食、静かで、考える余裕のある生活、濫(みだり)にならぬ社交が必要であります」。

「家庭を失いますと、人は群衆の中にさまよわねばなりません。群衆の世界は、非人間的世界です。人は群衆の中で却って孤独に襲われ、癒やされることのない疲労を得るのです」。

「これに反して良い家庭ほど人を落ち着かせ、人を救うものはありません」。

今までも、今も、これからも『家庭の力』、重要に思います。

2023-06-27

連休、趣味の農作業と庭師:隠居を考える

放送大学学習センター、土日は面接授業で出勤が多く、その分、1ヶ月に一度は3連休あり。6月25、26、27日は3連休。趣味の農業と庭木の剪定、庭仕事を楽しみ「ご隠居さん」を考えました。少し紹介します。


5月から早朝農業開始。今は、まず、ブリーベリーやキュウリ及びトマトを収穫し、時間に余裕があれば、畑の草取り。アッという間に畑に草が繁茂。草が小さい時に「草をタタク」のが秘訣。


写真は、30本のブルーベリーがある我が家のブルーベリー園。

我が家、畑以外に広大な果樹園があり、その草刈りは2日仕事。この度の3連休の2日間は、果樹園の除草。綺麗になると気持ちが良いです。

今回の3連休、もう一つの大仕事は、庭木や垣根の剪定。庭木や垣根が伸び放題。気になっていました。



写真は、剪定後の垣根。

5キロの剪定用「バリカン」で剪定。「バリカン」で刈り込みますが、15分刈ると手の疲労で休憩。50キロのベンチプレスはやれても、5キロの「バリカン」、15分が限度。さらにボディビルで筋肉を鍛える予定。

庭仕事や畑仕事をしながら「ご隠居さん」についてふと考えました。辞書の「隠居」の定義は、「官職・家業などから離れて、静かに暮らすこと。また、その人」。「静かに暮らす」が重要に感じます。

明治生まれの祖父のことを思い出します。大工の棟梁として第一の人生を終え、第二の人生は、お寺や神社の総代にも従事。祖父が、辞書を引きながら総代挨拶を作文していたのを思い出します。

総代の仕事は、挨拶だけでなく、お寺や神社の修理もありました。これは大工の棟梁経験者の祖父ならではの仕事。小中学生の頃は、長いハシゴを持って祖父の助手としてお寺や神社の屋根裏で修繕の仕事。

一方、祖父の日常の仕事は、4アールの畑仕事。朝から家の前の畑に行き、お昼には収穫野菜を持って帰宅。

その野菜を頂き昼食。祖父は、ニンニク焼酎をコップに一杯飲みながら嬉しそうに昼食。昼食後は2時間程度の昼寝。

そして、4時頃からお風呂を沸かし、一番風呂に入り、焼酎を一杯遣り夕食。

これって「ご隠居さん」の生活に思います。第二の人生、静かに自分のやりたいことをやり楽しく生きる。お寺や神社の総代等、ボランティア活動も楽しむ。これ「ご隠居さん」として重要かと思います。

我が第二の人生、今は「勤め人」なので「ご隠居さん」の生活とは少し距離があります。しかし、「勤め人」の生活が終わったら、自由な時間の多い「ご隠居さん」生活を楽しみたいと思います。

趣味の畑仕事や庭仕事を楽しみ、私に可能な「ボランティア活動」を楽しみます。

人生百年時代、第二、第三の人生を如何に生きるか、重要に思います。第三の人生、夢は「ご隠居さん」の生活です。

『老いを忘れる』(安岡正篤 一日一言)

「真の人物は気概があると共に、どこかゆとりがあって、楽しむ所がなければならぬ。それで、初めて老いを忘れることが出来る。また実際にいつまでも老いないで暮らすことができる」。

「気概、ゆとり、楽しむ」。『老いを忘れる』三要素。「三要素」を忘れずに、老いを忘れて暮らします。

2023-06-25

人間学を学ぶ、「妥協から創造は生まれない」

「人生を如何に生きるか」との命題は、私たちにとり重要な問題の一つです。私たちの多くは、忙しい生活に追われ、人生について考える時間が少ない状況で生活しています」。

「『シリーズ人間学を学ぶ』の趣旨は、講演者が歩んできた人生等を紹介し、その学びを通じ、参加者の皆さんが自らの人生を考える一助にすることです」。

「本講座では、多くの皆さんが、忙しい中で生活している今、ちょっと立ち止まり少しの間、生涯の学びの一つ「生きること」を一緒に思索できれば嬉しく思います」。

このような背景と趣旨で始めた『シリーズ人間学を学ぶ』、今年度第1回を昨日、開催。演題は、「人生をいかに生きるか ~妥協から創造は生まれない~」。

講演者が、「創造のために妥協せず生きた人生」を紹介。「80年の研究人生に感動」です。その一端を紹介します。

下述は講演概要です。

「創造とは「新しいものを造りだすこと」です。大学を卒業して以降、農業に関わる研究に取り組んできました。研究は創造的な情報を生み出す作業といえます」。

「これまで、身をもって学んだのは、「妥協から創造は生まれない」ということでした。「なぜ」、「どうして」、「どうする」と、詰めていくことを止めてしまえば、創造はできません」。

「しかし、すべてにおいて「妥協しない」ことをおし通すことはできません。では、研究だけは妥協せず、他のことでは妥協することでも、創造は可能なのでしょうか?」

講演者は、農学部農芸化学科を卒業後、国家公務員一種試験に合格。国立農業技術研究所土壌物理学研究室に配属。大学の専門とは、全く違う研究室。「生涯の師匠」に徹底的に数学等を鍛えられたとのこと。

また、「研究道」を井尻正二氏の『科学論』に学ぶ。

私も学生時代に井尻氏の『科学論』を初め氏の多くの著書から学び、懐かしく思い出しました。

「土の熱的性質」を課題に研究され、山形大を定年退官される年に「課題」を解明した論文がヨーロッパのトップジャーナルに受理。

講演者とは縁があり、私が山形大を退官する前10年以上、「無肥料・無農薬」の自然共生水田でコメ作りの共同研究を実施した仲。研究への情熱と執念のある、今では数少ない研究者に思います。

また、数多くの優秀な学生を育て、教育者としても優れた方。

「創造のために妥協せず生きた人生」の一端を知り、「80年の研究人生に感動」。講演は、「未来は、この瞬間の決断と行動が決める」の箴言を紹介して終わる。人間学、学びました。感謝です。

『成功は苦辛(くしん)の日に』(安岡正篤 一日一言)

「先賢が教えてくれている──愚はよく他の欠点を挙げるが、自己の欠点を知らない。話はうまいが、行いはつまらぬ」。

「若い時はうかうかして過ぎ、壮時(そうじ)にはせかせか動き廻り、老年には愚痴ばかりになり易い」。

「正に、敗事は多く得意の時に因(よ)り成功はつねに苦辛の日に在る。やはり平生能(よ)く道を聞くことだ」。

『成功は苦辛の日に』、肝に銘じたいと思います。

2023-06-23

「中村天風哲学」と大谷翔平選手

先日、本屋さんのスポーツ雑誌コーナーに中村天風先生の『運命を拓く』の山積を発見。

何となく違和感。妙だと思い、表紙の赤い帯を見ると「WBC日本優勝で「天風哲学」が一躍話題に!」、「売れ筋ランキング書籍総合第1位」の記述。???

WBCで大活躍の大谷選手は、「天風哲学」を学び、それを自身の生き方に活かしているようでした。インターネットを見ると『大谷翔平を育てた中村天風の言葉』との書名の本も発見。

本日は、再掲も含め大谷選手も学んでいる「天風哲学」について少し記します。

「人生は、心一つの置きどころ」、これは天風先生の教えの一つです。

「人間の心で行う思い方、考え方が、人生の一切を良くもし、悪くもする、というのが人生支配の根本原則である」。

「思い方や考え方が積極的であれば、積極的なものが出来、消極的なら消極的なものが出来る。何事においても、そのときの心の状態が、成功を生み、また失敗に追いやる」。

先生は、1876年(明治9年)に生まれ、43歳の1919年(大正8年)、独自の心身統一法を編み出し「天風会」を創設。

ヒマラヤ山中で8年間ヨガ哲学を修行し、「人間は誰でも、この世の進化と向上とを実現するために生まれてきたのだ。積極的な精神が人生を変え、運命を変える」との真理を導き出す。

この「天風会」には、日本海海戦の東郷平八郎元帥や山本五十六元帥、さらには元西武ライオンズの広岡達郎監督等々、多くの著名人も門下生。

私も10年前に庄内に創設された「天風哲学研究会」に5年間お世話になり、「天風哲学」を学習。この「研究会」は、5年前に「天風会仙台の会」へと発展的に解散。

「天風哲学」は、哲学を理解するのも重要ですが、それを日々の生活に活かすことが必要。

「哲学」を日々の生活に活かす一例として「心の倉庫の掃除法(感応性能の強化)」に関する下述の日常の行修があります。

(1)布団に入り寝る前にこれまでの人生で楽しかったこと、面白かったこと、嬉かったこと等を考える。

(2)鏡を使った信念強化法として、布団に入る直前に鏡に映る自分の眉間を見て信念を込めて「お前、信念強くなる」と言う。そして、朝起きると鏡に映った自分の顔を見て「お前、信念強い」と言う。

さらに、(3)消極的な言葉を使わない:助けてくれ、どうにもならん、悲しい、恨めしい、腹が立つ、恐ろしい、おっかない等の言葉は使わない。

また、(4)心の積極的な人と接する等があります。

毎日、これを心に留めて実行することが重要。私も(1)と(2)は毎日実行し、(3)の「消極的な言葉を使わない」ように心掛けています。

また、(4)「心の積極的な人と接する」も年頭に置いていますが、社会生活では多様な人と接する必要があり、常に「心の積極的な人と接する」ことは難しく感じます。

毎日、通勤バスの中で『運命を拓く』を一章ずつ味読。何回読んでも学びがあります。

「WBC日本優勝で「天風哲学」が一躍話題に!」の本の帯から「天風哲学」を思い出し、そのごく一部を紹介しました。天風先生に感謝です。

『心一つで』(平澤 興 一日一言)

「心一つで、見るもの聞くものが美しくなり、心の曇りの被害者が、誰よりもまず自分だということを思うと、自分の幸福のためにも、また、周囲の幸福のためにも、何とか自分の心の鏡はいつも美しくしておきたいものである」。

『心一つで』、「心の鏡」は、美しくしておきたいと思います。

2023-06-21

山響演奏会にチェコ訪問と「心友」を思い出す

今年3月末に山形交響楽団の個人鑑賞会員に登録し、1年に8回の演奏会鑑賞。6月中旬開催の第3回演奏会を楽しみました。少し紹介します。

今回の演奏会、指揮者はチェコの人で、ホルン奏者。そして、メインの楽曲は、ドボルザークの「スラブ舞曲集第1集作品46」。

チェコには「心友」がいて、23年前に学術振興会派遣研究員として首都プラハから約80キロ南下したチェスケ・ブディェヨヴィツェに家内と3人の娘で滞在。サウスボヘミア大学で1ヶ月共同研究を実施。

写真は、チェコの友人の牧場で馬に乗る私の娘とチェコの友人及びその娘さん。

その友人とは、私が26年前に英国留学した時に知り合い、それ以来の付き合いです。ほぼ2年に一度は、来日し鶴岡で共同研究。

英国留学時、研究室のボスから来月チェコから研究者がやって来て1ヶ月滞在するとの情報提供。

写真は、英国留学先、イーストアングリア大学

そして、最初にチェコの友人に会った時、私が知っているチェコ人、ドボルザークと「新世界」、東京オリンピック金メダリスト、チャフラフスカ、チェコ出身のプロテニス選手、レンドルの話をしました。

それだけで意気投合し、早速、大学のパブに直行。そこでは、英国ビールを呑み四方山話に花を咲かせ、お互いお酒を愛することを確認。それ以降、彼の英国滞在中、午後5時からは大学のパブの常連。

チェコでの研究期間終了の数日前に首都プラハのプラハ城やカレル橋を訪問。プラハ城では、カルテットがチェコの楽曲を演奏し、何となくヨーロッパを感じました。日本では、見慣れない風景に思います。

写真は、プラハ中心部の街並み。

山形交響楽団第310回定期演奏会、チェコの指揮者からチェコ訪問とチェコの「心友」を思い出しました。

定期演奏会は定期的な新たな楽しみ。これまでの人生で交響楽団の演奏会を定期的に楽しむことは皆無。まだ、3回目ですが、交響曲を聴くと、私の専門の群集生態学を思い出します。

交響楽団の一人一人が、一生懸命に熱く多様な楽器を操り個性を出しながらも全体として調和が保たれている。熱さと調和が心地よく伝わります。

生物群集も、群集の多様な構成種が生き方の個性を出しながら群集全体としては調和が保たれている。

組織や社会及び色々な所で調和は重要に思います。

次回の演奏会は、9月上旬、モーツァルトのピアノ協奏曲K.467と交響曲「ジュピター」K.551等。とても楽しみです。

第二の人生、山形交響楽団の定期演奏会鑑賞、楽しんでいます。今回の演奏会の指揮者や演奏者の方々に感謝です。

『最高の生き方』(平澤 興 一日一言)

「今が楽しい。今がありがたい。今が喜びである。それが習慣となり、天性となるような生き方こそ最高です」。

『最高の生き方』、いいですね。

2023-06-19

研究の思い出 (3):博論「糞虫群集の調和」

本日は、糞虫群集の「自然の調和」を明らかにした、私の博士論文の一部を紹介します。

生物群集が、安定なのか不安定なのか、安定ならその機構は何か。このような研究に関心があり、その対象に動物の糞を餌とする甲虫、糞虫を材料に研究を始めたのが、今から41年前の1982年春。

糞虫は、成虫や幼虫が、動物の糞を餌にして生活する昆虫。1年目の調査で愛知県北設楽郡の放牧地では15種の糞虫の生息を確認。この糞虫群集が安定か不安定かの解明を研究目的に研究を開始。

私の調査地には、生活の仕方の違いから、糞の中に産卵する体長5ミリ程度の小型種と、体長1センチ以上で糞直下の地中に穴を掘り、幼虫の餌として糞塊を作り産卵する大型種が生息。

1年目の調査では、15種の糞虫が採集され大型と小型ともに数の多い種は、2種でそれ以外は数の少ない種。

「糞虫の数の変化は、年ごとに大きいのか小さいのか、数の変化の仕組みは何なのか 」、これを明らかする研究方法を考え続けました。しかし、良い方法が浮かばず、暗中模索のまま2年目の研究生活。

15種の糞虫の中で最も個体数が多い大型種にカドマルエンマコガネがいました。このカドマルを中心に何とか群集の研究が出来ないか四苦八苦。

指導教員から「糞虫にマークした研究者はいない。マークが出来たら良い研究になるだろう」との助言。6年間の大学院生活で唯一の助言。大先生の助言、マークは重要だろうと思いましたが、良い方法はなし。

カドマルにマークするには、捕獲する必要あり。そのため、洗面器を地中に埋め金網を載せ、そこに牛糞を置いて糞虫を捕獲。多くの糞虫を捕獲し、何千ものカドマルが採集でき大喜び。

これを全て冷蔵庫に入れ 後日、マークする予定でした。数日後、冷蔵庫を開け、カドマルが全て死んでいるのを発見し、ビックリしとても落胆。方法が全く分からないのに対象の優占種を取り除いたのです。

研究方法が分からないまま3年目。先生の「群集の研究は止めておけ」との助言が脳裏をかすめましたが、今さら止めるわけに行きません。

春先から初夏になり週1回の調査で妙なことを発見。過去2年間個体数の多いカドマルの数が少なく、数が少ないツノコガネが多くなりました。

この2種は種間競争の関係にあるかもしれないと感じ、早速、2種の繁殖様式、繁殖時期、餌の利用様式等を比較し、この2種の種間競争を確信。これは、涙が出るほど嬉しかった。

この2種の数の決定機構に注目し実験を組み立てました。4年目から何をすべきか分かり、ワクワクしながら実験。

2年目に冷蔵庫で死んだカドマルは、生物群集での優占種の取り除き実験。これは、種間競争に強い優占種を除去し、それが競争劣位の種へ及ぼす影響を検証する手法。

野外で種間競争を明らかにする常套手段。このことは、その後、知り不勉強を猛省。

しかし、取り除き実験を知っていたとしても、「カドマルはツノに対して種間競争の優位種なので、それを取り除くことにより劣位種のツノの個体数が増加する」との作業仮説を立て、それを検証できたかは不明。

調査した5年間で糞虫の種毎の個体数の順位に変化は少なく、糞虫群集は安定し、調和が維持。

この調和を維持する機構としてカドマルでは、成虫の産卵場所での種内競争が重要。

そして、個体数が多いと産卵場所での種内競争が厳しく産卵数が少なくなり、個体数が少ないと産卵場所での競争が弱く産卵数が多くなる。このような種内競争により個体数が安定。

また、個体数の少ないツノでは、カドマルとの産卵場所での種間競争により、産卵数が少なく、それが個体数の少ない要因の一つ。


カドマルとツノ以外にも2種の大型種の個体数決定機構を解明。しかし、それは15種の糞虫のたった4種。自然の調和を明らかにする研究の難しさを実感。

本日は、41年前に始めた糞虫の研究を思い出し、紹介しました。月日の経つ早さを感じます。

『気力旺盛』(安岡正篤  一日一言)

「気力が旺盛であるということが個人的にも民族的にも最も大事なことで、気力を弱くしてしまったら、教養が多少あろうが、頭脳・知性が優れていようが、技能が発達していようが問題でない」。

「気力というものが一番大事で根本的なものである。日本民族もこの気力を失わなければ、気力が旺盛になれば、いろいろの欠陥は少しも苦にする必要はない」。

「反対にどんな長所があっても、例えば知性だ、技能だ、その他教養があるといっても、気力が旺盛でなければ個人も国家も発展しない」。

『気力旺盛』、重要に思います。

2023-06-17

佐藤一斎先生と『言志四録』

本日は、一部再掲も含め佐藤一斎先生と『言志四録』について少し触れたいと思います。

放送大学は今、2023年度2学期入学者の出願期間中。最近は、職員の方と山形県内の小中学校や市役所を訪問し、放送大学を紹介しています。

先日ある小学校を訪問したら、校長先生が、「放送大学山形学習センターの所長が訪問とのことで、どんな人かHPの所長の挨拶を読みました。そこに、佐藤一斎先生の『言志四録』の「三学戒」が紹介」。

「昔、小学校に赴任したときに、校長先生から一斎先生の「春風を以て人に接し、秋霜を以て自ら粛(つつし)む」を教わったことを懐かしく思い出しました」と、語っていました。このお話し嬉しくなりました。

この箴言は、一斎先生の『言志後録』33条。「春風のような和やかさをもって人に接し、秋霜のような厳しさをもって自分自身をつつしむ」との意味です。

一斎先生は、幕末、昌平黌の儒者。『言志四録』として42歳から82歳までに『言志録、246条』、『言志後録、255条』、『言志晩録、292条』、『言志耋(てつ)録340条』の1,133の箴言を記述。

『言志後録』は、先生が57歳から67歳の時に執筆された語録。

一斎先生、美濃の巌邑藩(いわむらはん)の藩士として1772年に誕生。1841年60歳の時、昌平黌の儒官(総長)になり、数千人の門人を育成。明治が始まる9年前、1859年に88歳で逝去。

有名な門人には、佐久間象山、横井小楠、安積艮斎、中村正直等。さらに、象山先生の門下からは、勝海舟、坂本龍馬、吉田松陰、小林虎三郎等の志士が輩出。

そして、松陰先生の門下からは、高杉晋作、久坂玄瑞、木戸孝允、伊藤博文、山県有朋等が輩出され明治維新を形成。

先生は、幕末から明治の日本形成に大きな影響を及ぼした人と言っても過言ではないでしょう。

また、西郷隆盛が、この『言志四録』を愛誦し、その中から、会心の101条を抄録し、金科玉条として座右の箴(いましめ)としたとのこと。

『言志四録』には、生き方の本質が、片言隻句(短い言葉)として凝縮。『言志四録』、味わい深い書です。明治・大正時代には、多くの日本人が学んだ書とのこと。一斎先生に感謝です。

今回のブログは、『言志四録(一)、(二)』(佐藤一斎著、川上正光全訳注、講談社学術文庫)を参考にしました。

『三学戒』(安岡正篤 一日一言)

「少(わかく)にして学べば、則ち壮にして為すこと有り。壮にして学べば、則ち老いて衰えず。老いて学べば、則ち死して朽ちず(佐藤一斎 言志晩録)」。

「若い者の怠けて勉学せぬ者を見る程不快なものはない。ろくな者にならぬことは言うまでもないが、まあまあよほどのろくでなしでもなければ、それ相応の志くらいはあるものである」。

「壮年になると、もう学ばぬ、学ぼうとせぬ者が随分多い。生活に逐(お)われてだんだん志まで失ってしまうのである。そうすると案外老衰が早く来る。いわゆる若朽である」。

「よく学ぶ者は老来ますます妙である。ただし学は心性の学を肝腎とする。雑学では駄目である」。

「細井平洲も敬重した川越在の郷長老、奥貫友山の歌に「道を聞く夕に死すとも可なりとの言葉にすがる老いの日暮し」と」。

『三学戒』、肝に銘じたいと思います。

2023-06-15

新年度、人間力を培う「学び」を考える

本日は、山形学習センターの6月発行機関誌『ゆうがく』84号に新入学生の皆さんを中心に「巻頭言」を記しましたので、それを掲載します。

「学びて思はざれば則ち罔(くら)し。思ひて学ばざれば則ち殆(あやう)し」と孔子は、「学び」について記しています。「学んでは思い、思っては学ぶことにより進歩がある」が大意です。

約2500年前の箴言、簡潔で分かりやすい教えです。新年度に当たり、「学び」について考えてみたいと思います。

「学び」の目的は、人それぞれに異なりますが、この「学んでは考え、考えては学ぶ」ことは、とても重要で、日々の生活において活用したく思います。

新学期が始まりました。私自身、約50年前に大学に入学し、新たに始まる大学生活にワクワクしたのを覚えています。入学すると「一般教養」の授業があり、楽しい学びを期待しました。

しかし、大教室での講義に興味を惹く授業は少なく、結局、少人数のゼミをいくつか選択しました。その一つが、「哲学」。

このゼミは、デカルトの『方法序説』を輪読し、当番の学生が内容を紹介して出席者が意見を述べる形式でした。

このゼミでデカルトの「我思う、故に我在り」を知りました。読んでは考え、考えては読む、「学び」の刺激を受け、考えることを楽しみ、大学のアカデミズムを感じました。

こうした「本の読み方」について、昭和の碩学、安岡正篤師は、「本の読み方にも二通りあり、一つは同じ読むと言っても、本から終始受ける読み方です。これは読むのではなくて、読まれるのです」。

「一方、自分で考え、自分が主になって、今まで読んだものを再び読んでみる。今度は自分の方が本を読むのです。自分が主体となり、自分の心が書物の方を照らしてゆく」と述べています。

この言葉は、「学び」の重要性、考えることの必要性を示唆していると感じます。じっくり「自分が主体となり」聖賢の書を味読し、人間力(自立した一人の人間として力強く生きるための人としての力)について学び、考えたいと思います。

私達は、一生で経験することが限られます。それを補うためにも、書物からの学びは、人間力を培う上で必要に思います。

また、安岡師は「学び」の目的を「それ学は通の為にあらざるなり。窮して困(くる)しまず、憂へて意(こころ)衰えざるがためなり。禍福終始を知って惑わざるが為なり」(『荀子』)としています。

そして、「学問というものは決して出世や生活のための手段ではない。窮して悲鳴をあげたり、心配事のために直ぐぺしゃんこになるようでは学とは言えない。何が禍であり何が福であるか、如何に始まり如何に終わるか、ということを知って惑わざるが為である」と述べています。

私達は日々、色々な問題に直面し、考え、悩み、苦しむこともあり、色々な目的で「学び」ます。日々の生活には人間力と専門力が不可欠に思います。

そして、仕事には専門力が必要ですが、複雑な人間関係の中では人間力が重要でしょう。

『荀子』の箴言は、「学び」の本質を示し、人間力を培う「学び」に通じるもので、学生の皆さんが新学期を迎えるにあたり、是非味わってもらいたいと思います。

『道を拓くもの』(平澤 興 一日一言)

「若人よ、諸君が覚悟をして燃える時、諸君には自らもわからぬような無限の可能性が展開されるのだ」。

「この可能性の展開は、いわゆる頭のよしあしの問題ではなく、実に諸君の火と燃える意志と何ものにも負けない不屈の努力にある。情熱、実行、努力、これこそが諸君を生かし、諸君を伸ばす力である」。

「諸君はその目的に向かって全情熱を傾けることだ。不屈の意志のあるところ、道は拓ける」。

『道を拓くもの』、「不屈の意志のあるところ、道は拓ける」。肝に銘じたいと思います。