2022-09-29

山形SC2022年度1学期、学位授与式

人生を振り返ると、人生の大きな節目の一つが、大学卒業に思います。

9月25日(日)、放送大学山形学習センター(山形SC)で学位授与式があり、13名の方がご卒業されました。本日は、学位授与式の「式辞」を少し紹介します。


「式辞」では、三つのことをお話しました。まず、卒業は、新たな挑戦に向かっての出発である。次に、二度ない人生で教養を身に着ける重要性。最後に、生涯、学び続ける習慣の必要性です。

「卒業は、新たな挑戦に向かっての出発に思います。米国では、卒業のことを、Commencementと言うそうです。これは、出発とのことです。私も卒業は、新たな挑戦に向かっての出発に思います」。

「現代経営学の開祖にして未来学者とも呼ばれたピーター・ドラッガーは、「21世紀に重要視される唯一の能力は、新しいことを学ぶ能力である。それ以外は、全て時間とともに廃れていく」と述べています。「言い換えると「これからの時代、新たな事への挑戦が人生を分ける」とも言えます。本質を突いた箴言に思います。是非、卒業を機会にさらなる挑戦、新たな出発を期待しています」。

二つ目は、二度ない人生で教養を身に着けることの重要性を述べました。「教養学部一学部の放送大学の特徴は、卒業までに多面的な教養を学び、それを身につけ卒業することです」。

「これから人生百年時代に向かい、教養はとても重要で、それは、二度ない人生を豊かにします」。

「お茶の水女子大学名誉教授で数学者の藤原正彦さんは、著書『国家と教養』の中で「教養」とは、「直感力」と「大局観」を与える力であり、教養が果たす人生の多大な効果を指摘しています」。

「他大学にない、多様で深い教養を身につけ放送大学を卒業することに、誇りと自信を持って下さい」。

「東洋哲学の泰斗、安岡正篤先生は、学問し、教養を身に着ける意義を『荀子』の箴言から紹介しています」。

「夫(そ)れ学は、通の為に非ざるなり。窮して苦しまず、憂えて意(こころ)衰えず、禍福終始を知って惑わざるが為なり」。

「学問するのは、立身出世等のためではなく、どんな心配ごとがあってもへこたれず、何が禍いで何が幸福かを知り、人生の複雑な問題に直面しても、惑わないためである」。

「学問は知識を修得するだけでなく、人間を作ることであるとの教えです。学問をし、教養を身につけ人間を作る。重要に思います」。

最後に、生涯、学び続ける習慣の必要性に触れました。「幕末の儒学者、昌平黌の総長、佐藤一斎先生の著書に『言志四録』があります。これは、西郷隆盛先生の座右の書です」。

「その中に、「三学戒」という箴言があります。二度ない人生には、生涯学びの習慣を持つことが、必要であると言うのが核心です。私もそう思います」。

「少(わか)くにして学べば、壮にしてなすあり。壮にして学べば、老いて衰えず。老いて学べば死して朽ちず」。

「放送大学の学生の皆さんは、すでに学びの習慣を持っています。是非、それを継続して下さい。継続は力です」。

放送大学では、1年に2回、9月と3月に学位授与式があります。毎回、卒業生の皆さんに敬意を表し、学位授与式が開催できることを有り難く思います。卒業される皆さんから元気をもらっています。感謝です。

『苦悩は成長の条件』(安岡正篤 一日一言)

「人間は苦悩によって練られてゆくのでありまして、肉体的にも精神的にも人間が成長してゆくために苦悩は欠くことのできない条件であります」。

「そこで苦悩に敗れたらおしまいですから、過失や失敗のために取り乱さないように心がける必要がある」。

「自分の過失を知るということは、自己教育の最も重要な方法の一つであるとともに、人を教育する者の常に注意すべきことであります」。

「物心は相まって自己を完成する。人格も亦、境遇と相作用して進歩するものである。随(したが)って困難な境遇は常に人格の試練を意味し、又能く人格の価値を表明する」。

『苦悩は成長の条件』、心に響く箴言です。

2022-09-27

庭木の上にカマキリ発見、その「小話紹介」

先日、庭師の「やっさん」をやっていたら庭木の上にカマキリを発見。本日は、カマキリに関する小話を少し紹介します。

「カマキリみたいな女」と言う表現があります。ネットで調べると、「男を食い物にする女のこと」とか。

「カマキリの雌は、交尾したら雌の上に載っている雄を食い殺して産卵に必要な栄養を蓄える習性がある種類のものが多く存在する」と言うのが理由の一つ。

しかし、カマキリを研究した専門家によると「カマキリの雌が雄を交尾中に捕食するのは、小さなケージの中ならともかく、自然状態では雄の存在が雌に気づかれにくいので、めったに起こらない」とのこと。

「雌に食われずに生き延びて複数の雌と交尾する雄も結構多い。もし、カマキリは交尾の時かならず共食いをすると考える人がいるとすれば、それは誤解というものだ」と述べています。

一般に信じられていることと実際は異なることもある例の一つに思います。

話は変わりますが、昆虫と気象との関係についても、昔から色々と言われています。例えば、「カメムシの発生が多いと大雪になる」。私も聞いたことがあります。

かつてある昆虫の学会に出席した時、『「カマキリが高い場所に産卵したら、その年は積雪が多い」との話は、真っ赤な嘘』との講演を聴きました。

工学系の方が、カマキリの産卵の高さと降雪量の関係等を博士論文にし、その一つの結論は、「カマキリが、高い所に産卵すると降雪量が多い」というもの。新聞等のマスコミにも取り上げられたとのことでした。

何となく面白そうな話です。

昆虫学が専門の元教授が3年かけて実験や調査を実施し、「この結論は、真っ赤な嘘」との結論を導き出しました。

発表後の質疑応答では、「「カマキリが、高い所に産卵すると降雪量が多い」との報道がされたが、「それは真っ赤な嘘」とマスコミに投げかけますか」、との質問がありました。

発表された先生は、「私はプロですので、そんなことはしません」との回答。

「カマキリが、高い所に産卵すると降雪量が多い」との話は、マスコミ受けするように思いますが、「それは、真っ赤な嘘」との研究結果は、マスコミには受けが低いかもしれません。

庭木の上にカマキリ発見、カマキリに関する小話をフト思い出しました。我が家のカマキリ、今年の産卵の高さが気になります。

『余裕』(安岡正篤 一日一言)

「「千万人と雖(いえど)も吾往(われゆ)かん」と言った孟子が同時に別面において、「豈綽々(あにしゃくしゃく)余裕有らざらんや」と言って余裕というものを論じておりますが、こういう乱世になればなるほど、われわれは余裕というものを持たなければならない」。

「余裕があって初めて本当に物を考えることも出来る、本当に行動を起こすことも出来るわけです。殊に善人は神経が細いから、尚更本当の意味の余裕が必要であります」。

『余裕』、重要です。日々の生活で『余裕』を持ちたいと思います。

2022-09-24

初めての国際会議出席と米国での一人旅

先日、知り合いから国際シンポジウム、基調講演の依頼。これまで色々な国際会議や国際シンポに出席し、それらがフト浮かびました。本日は、初めて出席した国際会議と米国での一人旅を少し紹介します。

写真は、シアトルからアラスカ、フェアーバンクスへ向かう飛行機から眺めた北米最高峰のマッキンリー。

最初に国際会議に出席したのは、1988年博士号を取得後、日本学術振興会特別研究員として信州大学農学部で研究に従事した年の10月、今から30年以上前。

国際会議は、カナダのバンクーバー(Vanc)、ブリティッシュコロンビア大学(UBC)で開催。

成田からシアトルに飛び、そこからVanc行きに乗り継ぎカナダ入国。人生初めての海外出張。シアトルからの乗り継ぎ時間が短く、上手くVanc便への乗り継ぎが可能か心配でした。

シアトル空港では入国審査があり、Vanc乗り継ぎターミナルへは電車。広い空港だと驚きました。

何とか出国審査を終えてVanc便に搭乗した時は、離陸の少し前。機内でホッと一息。

シアトルで乗り継ぐと英語の機内放送が早くてほとんど聞き取れず、まいりました。

1週間の国際会議では、宿泊費が一番安いUBCの学生寮に宿泊。他国の研究者と6人部屋での共同生活。初めての経験でしたが色々と楽しみました。

そして、国際会議1日目、基調講演は、昆虫生理学の研究者。開口一番「私の講演は、多くの人が興味を持つ発表で、居眠りをする人はないことを確信する」と言って講演を開始。

私の専門は昆虫生態学、専門は異なりましたが、講演は音楽が入り、スライドに工夫があり、皆が楽しく笑うユーモアもありで、本当に興味深い講演。講演、勉強になりました。

会議では、私の口頭発表後、多くの研究者がやって来て熱い研究討論。また、学生寮の同室の研究者とも多面的な情報交換を満喫。アッと言う間の1週間。

会議終了後は、ロサンゼルスに飛び、カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)のJ.ダイアモンド教授と面会。教授は、私の専門の群集生態学の世界的権威。

事前に「訪問したい」との手紙を出すと「会いましょう」との返信。UCLAの近くの高級レストランに招待され美味しい海鮮フルコースをご馳走になりました。

教授とは、研究の話だけでなく人生についても多面的な意見交換を楽しみ、思い出に残る貴重なひと時。教授に感謝です。

そして、ロスから東海岸のバーモンド州リッチモンドに飛び、そこで日系企業を立ち上げた友人を訪問。5年ぶりの再会を楽しみ痛飲。

今回の国際会議出席前、新田次郎さんの『アラスカ物語』を楽しく一読。是非、アラスカ、フェアーバンクスのフランク安田に会う事を決定。

『アラスカ物語』、「明治元年、宮城県石巻町に生まれた安田恭輔は15歳で両親を失う。外国航路の見習い船員となり、やがてアラスカのポイントバローに留まった彼はエスキモーの女性と結婚してアラスカ社会に融けこんでいく」。

「食糧不足や疫病の流行で滅亡に瀕したエスキモーの一族を救出して、アラスカのモーゼと仰がれ、90歳で生涯を閉じるまで日本に帰ることのなかったフランク安田の波瀾の生涯を描いた感動の長編」。

リッチモンドからシアトルに戻り、そこからフェアーバンクスへの旅程。シアトルで米国の友人と会い、シアトルを堪能し、フェアーバンクスに直行。

「旅程表」では、シアトルから直行便でフェアーバンクスと記述。飛行機が着陸したら疑うことなくフェアーバンクスと思い入国審査に向かいました。

しかし、ちょっと注意して看板等をみたら様子が変。フェアーバンクスではなさそう。早速、近くの人に聞いたアンカレッジ、ウウウ。

イヤー、この時は驚きました。慌てて降りた飛行機に向かい猛ダッシュ。何とか離陸前に搭乗し、ホッと一息。「旅程表」を鵜呑みにすべきではないことを学びました。

フェアーバンクスに到着し、空港から民宿に電話して予約を取り、タクシーで宿へ。翌日は、フランク安田の資料等が展示してあるアラスカ大学フェアーバンクス校を訪問。「安田」に会いました。そして、フェアーバンクスを楽しみ、シアトル経由で成田着。

フェアーバンクスの夜、居酒屋で地元の人と話したら、昨夜は綺麗なオーロラが見えたとのこと。オーロラは、冬の風物詩と思っていて見逃しました。残念。


今から30年以上前の北米1ヶ月の一人旅。色々なハプニングはありましたが、楽しい旅。異国の旅では空港での友人の出迎えがとても嬉しかった。

機会があれば、また海外一人旅を楽しみたいと思います。「初めての国際会議出席と米国の旅」の思い出を少し紹介しました。

『経験が人生を深くする』(平澤 興 一日一言)

「いかなる経験もただ人真似では駄目なんだ。その場所、その相手によって考えながら生きていかねばならん。そういう経験は同時に人生を深くすると思います」。

『経験が人生を深くする』、なるほどと思います。

2022-09-22

「昆虫の大発生と相変異」を思い出す

先日、忠犬クニオと朝の散歩中、路上に多くのヨトウムシ幼虫が歩行しているのを発見。50cm四方に4から5匹。そして、いずれの幼虫も黒い体色。

「ヨトウムシ」は、「夜盗虫」とも書き、幼虫は夜出現して作物等を食害。それが朝、大量出現。「大発生の兆候か」と思いました。

本日は、路上で発見したヨトウムシ幼虫から思い出した、「昆虫の大発生と相変異」を少し紹介します。

昆虫の大発生で最もよく知られているのは、アフリカで大発生するサバクトビバッタです。

このサバクトビバッタやヨトウムシの仲間は、大発生すると体色や行動、生態等が異なる「相変異」と呼ばれる現象が生じます。

「相変異」の定義は、「同一種の個体の形態・色彩・生理・行動等の諸特徴にわたる著しい変化が、個体群密度に応じて引き起こされる現象」。

この「相変異」は、個体数が少ないときは定住生活に適した「孤独相」、個体数が多くなったときは移住に適した「群生相」。そして、その間の「転移相」の3つの相に分けられます。

孤独相と群生相は形態や体色が異なるだけでなく、行動や繁殖習性においても顕著な違いがあります。

バッタの群生相では、集合性があり、幼虫は行列をつくって行進するマーチング行動を行い、成虫は群れをなして飛翔。また孤独相が小卵多産であるに対して群生相は大卵多産。

日本でも1986年に鹿児島の南にある馬毛島でトノサマバッタが大発生したことがあります。この大発生は、バッタが糸状菌(カビの一種)に罹患して終息。

路上のヨトウムシから「昆虫の大発生と相変異」を思い出しました。ヨトウムシが大発生しないことを祈ります。

『元気』(安岡正篤 一日一言)

「われわれは「気」を養うということが、一番根本の大事だ。いわば生のエネルギーを養うということ、いい換えれば「元気」ということが一番である」。

「元気がないというのは問題にならぬ。しょぼしょぼして、よたよたして、一向に反応がないなんていうのは、論ずる価値がない」。

「とかく人間は有形無形を論ぜず、元気というものがなければならない」。

「元気というものは、つまり生気である。生のエネルギー、生々しておるということである」。

『元気』、重要です。元気の源の一つは、心身共に健康であることに思います。

2022-09-20

通勤バスでの思わぬ出来事、「英会話」

「庄内あさひ」のバス停で乗車する通勤バスは、山形駅直通ではなく、途中の「月山口」バス停経由です。一昨日、バスの中でウトウトしていたら、「月山口」で若い外国の女性が乗車し、バスの中が少しざわつきました。

本日は、朝の通勤バスでの思わぬ出来事、若いドイツ人女性との「英会話」を少し紹介します。

運転手さんが、「乗客の皆さんの中で英語が話せる方はおられませんか」と車内放送。私は、英語がよくは話せませんが、「救援隊」に名乗り出ました。

その女性と話をすると、東京から山形駅に着き「志津方面」から月山登山を予定。山形駅から「月山口」バス停に到着し、そこから9時15分発の西川町営バスで「月山登山口」行きの乗車希望。

ネットで調べると鶴岡から山形駅に向かう私の通勤バスは、8時45分に「月山口」に到着。

その後、30分待つと「月山登山口」行き町営バスが到着するのですが、間違って「山形駅行」に乗車。

その女性は、「ガッサン、ガッサン」と言っていたので、乗車する時も運転手に「ガッサン、ガッサン」と「月山登山口」へのバスかと確認したと思われます。

バスは、高速道を走行中でしたので、途中で停車できず、彼女は、月山登山を諦めて山形駅に戻る予定に変更しました。

ネットで西川町から「月山登山口」へのバス時刻をチェック。高速バスの西川バス停で下車すると「月山登山口」に行けることが判明。

早速、彼女にその情報を伝えるととても嬉しそうに感謝されました。そして、西川バス停で下車。「信頼なる筋の話」だと、彼女は、「月山登山口」からリフトで月山登山に向かったようでした。良かったです。

朝の通勤バスでの思わぬ出来事。「英会話」を楽しみました。

実は、一週間前に知り合いから「2023年12月上旬に国際シンポジウムを開催するので45分の英語基調講演をお願いしたい」とのメールが届いた処でした。

快諾のメールを返信し、ここ何年も英会話とは疎遠でしたので、早速『杉田敏の現代ビジネス英語』を購入。「見出し」は、「ハイレベルの英語で語り合う新たな価値観」。

そして、一週間前から帰りのバスで1時間程度、英会話の学習を始めました。これから1年2ヶ月、バスの中での英語学習を楽しみます。

朝の通勤バスでの思わぬ出来事。「英会話」、貴重な経験でした。ドイツ人女性に感謝です。

『よい習慣をつくる』(平澤 興 一日一言)

「習慣になるまでは、たえず自分をいましめて自分を矯正、直さねばならんのであります。一日や二日や三日やって習慣にはならんのであります」。

「何年かやって、何年やってでも習慣のある部分はちょっと気を許すと元の木阿弥になりますが、たえず毎日がよい習慣をつくるその場だと思います」。

『よい習慣をつくる』、とても重要に思います。

2022-09-18

「我づくり」研修会、『これでいいのか』

「我づくり」研修会、敬愛塾。この「敬愛塾」は、約20年前、現職の小中学校教員の自己研修を主目的に創立されました。

3年前から教員以外にも門戸を開き今、15名で2ヶ月に一回、「人間学」の月刊誌『致知』の記事を資料に研修をしています。問題意識の類似する同志の学び、重要に思います。

敬愛塾では、研修の前に参加者全員が起立し『敬愛塾綱領』を唱和します。

「私たちは、修養を通して己を一層高め、もって一燈を点して、国家の一隅を照らし、各々の分に随って、それぞれの家を斉え、郷土を興し、祖国の繁栄に寄与するよう努めます」。

今年度第3回目の研修会が9月中旬に開催。資料は、『致知2022年7月号、これでいいのか』の掲載記事。

本日は、研修資料の一つ、『致知』出版社藤尾社長のリード文「特集 これでいいのか」を少し紹介します。

まず、社長のリード文は、蘇老泉の『管仲論』、「功(こう)の成るは、成るの日に成るに非ず。けだし必ず由(よ)って起こる所あり」で始まる。

この意味は、「事が成功するのは、その日に突然成功するのではない。必ずそれに先立ってその成功をもたらす原因があるのだ」とのこと。

さらに「禍(わざわい)の作(おこ)るは、作る日に作らず。また必ず由って兆す所あり」。「禍が起こるのもまた、その日になって急に起こるのではなく、必ず禍が起こる予兆があって起こるのだ」との意味。

そして、「リーダーの役割は禍が起こる前にその由って兆す所を消し、福の種を事前に蒔いておくことだ」と述べる。

このような資質のあるリーダーがいれば、組織は発展し、国は繁栄するように思います。リーダーの資質、重要です。

また、「日本は今、幕末明治以上の内憂外患の時にある」という。

「日本の内憂は、人心が病み、衰弱していることに尽きるのではないか。人心を潤し、高めていくことこそ喫緊の課題である」と指摘する。

「『管仲論』にある蘇老泉の教え、「一国は一人(いちにん)を以て興り、一人を以て亡ぶ」 に触れ、「そこにどういう人がいるかで国は興りもするし亡びもする。これは国家興亡の不変の原理である。リーダーの資質、人徳が常に問われる所以である」と述べる。

リーダーの資質により国家や組織の興亡が決まる、不変の真理に思います。

さらに、安岡正篤師の教え、「徳慧(とくけい)の学問、即ち広い意味において道徳的学問、人格学、これを総合して『人間学』というならば、この人間学が盛んにならなければ、本当の文化は起こらない。民族も国家も栄えない」を紹介する。

そして、「「これでいいのか」は、「このままではいけない」ということである。各界識者たちの言(げん)に日本の蘇(よみがえ)りの道を探りたい」と述べてリード文は終わる。

「『人間学』が盛んにならなければ、本当の文化は起こらない。民族も国家も栄えない」。本質を突いた教えに思います。『人間学』、学び続けたいと思います。

『因果の法則』(安岡正篤 一日一言)

「人間には奇跡というものはありません。奇跡などというのは研究不足、勉強不足の者の言葉でありまして、原因・結果というものは常にはっきりしておるのです」。

「悪いことをしますと、いつかは悪い結果があらわれ、善いことをすれば善い結果があらわれる、というのは厳粛な自然の法則であります」。

「したがって人間は因果律というものを大事にしなければなりません」。

『因果の法則』、当たっています。大事にします。

2022-09-16

忠犬クニオとの散歩、『言志後録』を学ぶ

一昨日、忠犬クニオとの朝の松ヶ岡一周散歩コース、1時間。その途中にある「菅原兵治記念館」の「箴言の掲示板」。今月は、『言志後録』の箴言が紹介されていました。

「春風を以て人に接し、秋霜を以て自ら粛(つつし)む」、『言志後録33条』。「春風のなごやかさをもって人に応接し、秋霜のするどさをもって自らを規正する」。心に響く箴言です。

本日は、『言志四録』について少し紹介します。一部再掲です。

『言志後録』は、佐藤一斎先生が記された『言志四録』の一つ。これは、幕末、昌平黌の儒者、一斎先生が42歳から82歳までに記された四巻の箴言集。

『言志録、246条』、『言志後録、255条』、『言志晩録、292条』、『言志耋(てつ)録340条』より構成された1,133の箴言集。

前職の山形大で教育・国際交流担当の時には、月曜日の朝11時からの「教育・学生支援部 朝の会」で、『言志四録』から箴言を一つ紹介していました。『言志四録』、懐かしいです。

一斎先生、美濃の巌邑藩(いわむらはん)の藩士として1772年に誕生。1841年60歳の時、昌平黌の儒官(総長)になり、数千人の門人を育成。明治が始まる9年前、1859年に88歳で逝去。

有名な門人には、佐久間象山、横井小楠、安積艮斎、中村正直等。さらに、象山先生の門下からは、勝海舟、坂本龍馬、吉田松陰、小林虎三郎等の志士が輩出。

そして、松陰先生の門下からは、高杉晋作、久坂玄瑞、木戸孝允、伊藤博文、山県有朋等が輩出され明治維新を形成。

先生は、幕末から明治の日本形成に大きな影響を及ぼした人と言っても過言ではないでしょう。

また、西郷隆盛(南洲)が、この『言志四録』を愛誦し、その中から、会心の101条を抄録し、金科玉条として座右の箴(いましめ)としたとのこと。

『言志晩録60』は『三学戒』。「少(わかく)にして学べば、則ち壮にして為すことあり 壮にして学べば、則ち老いて衰えず 老いて学べば、則ち死して朽ちず」。

意味は、「少年の時学んでおけば、壮年になってそれが役に立ち、何事か為すことができる。壮年の時学んでおけば、老年になっても気力の衰えることがない」。

「老年になっても学んでいれば、見識も高くなり、より多く社会に貢献できるから死んでもその名の朽ちることはない」とのこと。

生き方の本質が、片言隻句(短い言葉)に凝縮。『言志四録』、味わい深い書です。明治・大正時代には、多くの日本人が学んだ書とのこと。一斎先生に感謝です。

今回のブログは、『言志四録(一)』(佐藤一斎著、川上正光全訳注、講談社学術文庫)を参考にしました。

『六然(りくぜん)』(安岡 正篤 一日一言)

「自處超然(じしょちょうぜん):人間は自分の問題となると、物にとらわれて執着したり、拘泥するものである。事に臨んで自分に関する問題から解脱し、抜け出せるように勉めることだ」。

「處人藹然(しょじんあいぜん):人に対しては好意に満ち、温かい気分を持って対するのである。藹は草木の青々とした雰囲気をあらわす文字である」。

「有事斬然(ざんぜん):何か問題があるとき、うろうろしたり、うじうじせず、活気に満ちきびきびしている」。

「無事澄然(ちょうぜん):何もない時は、氷のように澄み切っている」。

「得意澹然(たんぜん):得意の時は威張ったり驕ったりし易いものであるが、人間はその時あっさりしていることが肝腎である。まだまだ足りないという謙虚さを抱くことだ」。

「失意泰然(たいぜん):失意の時は、ばたばたせずにゆったりと落ち着いている」。 

『六然』は、勝海舟の座右の銘とのこと。生き方の本質が、片言隻句に凝縮された好きな箴言。心に留めたく思います。

2022-09-14

放送大学広報活動、「盛和塾元塾生訪問」

放送大学の職業別学生数で最も人数が多いのは会社員。約9万人の学生のうち23%、約2万人です。

2022年度10月入学に向けての広報活動が、9月上旬に終わりました。

今回は、京セラ元会長の故稲盛和夫さんが、創設された盛和塾の元塾生の会社等も訪問し、放送大学を紹介。本日は、盛和塾について少し紹介します。

盛和塾は、1983年に稲盛塾長が51歳の時、京都の若き経営者の方々から「いかに経営をすべきか教えてほしい」と依頼されたことを機に、25名で始まった会です。

その後、稲盛さんは若手中小企業の経営者に塾長として生き方や経営を指南。

盛和塾では、塾生が熱心に「心を高め、会社業績を伸ばして従業員を幸せにすることが経営者の使命である」とする稲盛経営哲学を学び続けました。

やがて評判を聞いた方や、「知り合いにもぜひ勧めたい」という塾生により全国各地に拡大。36年の活動を経て、2019年末の閉塾時には、国内56塾、海外48塾、塾生数は約15,000名。

盛和塾では主に、塾長が出席する塾長例会と、各支部が自主的に運営する自主例会がありました。

塾長例会では塾長講話や経営体験発表及び経営問答等の勉強会と懇親会。さらに盛和塾世界大会や塾長との国内及び海外ツアーも企画され、塾生は、塾長から多面的に学びました。

約15年前に「盛和塾庄内」が結成され、私も塾生として盛和塾に参加し、塾長や塾生から色々と学習。

盛和塾は、ほとんどの塾生が、若手経営者で、毎月の例会は元気がみなぎり、それに出席するだけで元気をもらえました。

この盛和塾は、塾長の強い希望により、3年前の2019年12月末に解散。

解散時、「何度も何度も考えた結果、この塾は一代限りで終わらせるのが一番良いと判断した。組織を残すと、いつか組織を悪用したり、組織の名前を汚したりする人間が出てくる」との結論。

塾長講演会等では、それが終わると塾長と塾生の懇親会があり、最後は何時も参加者全員が肩を組み円形となり塾長の好きな『故郷』の大合唱。

♪兎追いしかの山 小鮒釣りしかの川♪ 夢は今もめぐりて 忘れがたき故郷♪

♪如何に在ます父母 恙なしや友がき♪ 雨に風につけても 思い出ずる故郷♪

♪志をはたして いつの日にか帰らん♪ 山は青き故郷 水は清き故郷♪

盛和塾は解散となりましたが、これからも塾長の教えを学んで生きたいと思います。塾長初め多くの塾生にお世話になりました。皆さんに感謝です。

『なによりも大切なこと』(平澤 興 一日一言)

「なによりも大切なことは、人を生かすことである。そして、その人に喜びと勇気と希望を与えることである」。

稲盛塾長、人を生かし、その人に喜びと勇気と希望を与えて会社を経営されたと思います。『なによりも大切なこと』、本質をついた箴言です。


2022-09-12

「一に国語、二に国語の数学者」、藤原先生

「一に国語、二に国語、三、四がなくて五に算数」。これは数学者でお茶の水女子大学名誉教授の藤原正彦先生の「教え」。

『致知7月号、特集 これでいいのか』。藤原先生のインタビュー記事は、『国語を忘れた民族は滅びる』。本日は、藤原先生のご意見を少し紹介します。

先生は、「長年、日本の国語教育のあり方に警鐘を鳴らし続けている」。

「読書力の低下で、文学や詩歌など美しい国語に触れない日本人が増え、同時に人間としての大切な情緒が失われつつある」。

「そうなった背景は何なのか、失われた日本語をこれからどのように取り戻していけばいいのか」について先生の意見を聞くのが、この記事の趣旨。

先生は、まず、「小学校では、一に国語、二に国語、三、四がなくて五に算数、あとは十以下です」と、国語の重要性を指摘。

そして、「小学校の国語において、比重は読みが20、書くが5、話すと聞きはそれぞれ1です」と、国語の読みの重要性を強調する。

小学校では、国語、その中でも読みに力点を置く、重要に思います。昔から言われている「読み書きソロバン」は、初等教育の基本に思います。

さらに、「初等教育の目的は、子供たちが自ら本に手を伸ばすように育てること、それだけです」と断言。

「幼児期から多くの優れた詩や小説に触れることによって、そういう人として持つべき卑怯を憎む心や惻隠の情(他人に同情する気持ち、人をあわれむ心)などの情緒が培われる」という。

読書を通じ、情緒を培う、必要に思います。

また、2023年度から高校の国語教育は、「文学国語」と「論理国語」に分離されることを紹介し、若者の文学離れに拍車がかかることを危惧。

「論理国語」の導入理由は、「OECD(経済協力開発機構)学習到達度テストの順位の低下に起因する」ことに触れ、「教育の目的は、企業戦士を作ることではなく、人間を作ることにある」と力説する。

また、「大正時代、小学校の国語の時間は、週に14時間から15時間であったのが、現在は、4時間から5時間に激減している」ことを紹介。

これらの指摘から「読書力の低下」は、学校教育での読書の質及び量の低下に起因していると思います。

そして、「初等・中等教育では、美しい詩や童話、小説を読んで涙を流せる感性を培うことが圧倒的に重要だ」と述べる。

また、「日本は他国ばかり見て、それに振り回される必要は全くない」と指摘。

同感です。自国の教育や文化及び伝統に自信を持ち、それらを学び知ることが重要に感じます。

先生は、「国語にこだわるのは、全ての人間にとって、国語が知的活動の基礎だからである」という。

「人間は何かを思考し、それを言葉で表見する。逆に言葉を使って考えを整理する。それには何より語彙が大切。語彙が少ないと思考が深まらない」とのこと。

「子供達にはとにかく漢字を叩き込んで、濫読でもいいのでたくさんの本を読ませて、感動の涙とともに人間としての豊かな情緒、道徳を育むことが大切」と述べる。

そして、「国語とは祖国そのものである。日本が他国に占領されても、国語さえ忘れなければ日本は滅ばない。日本の場合、国語に「もののあわれ」を初めとする人間の情緒とか伝統とかが全て込められ、これは世界にない日本の至宝」であることを強調。

「日本が抱える全ての問題は教育に集約される。しかし、読書力がないから教養が身につかず間違った情報に翻弄される」。

「これからの方策の一つとして、高校生までは、全国一律、強制的にスマホを禁止し、小中校の通知書に「読書」の欄を設ける」ことを提案。

最後に「日本人はかつて世界最高水準の教育を受けてきた歴史を知り自信を取り戻し、日本人の素晴らしい情緒を培ってきた国語を取り戻してこの国難を乗り越えるべきである」と指摘し、インタビューは終わる。

先生の指摘はとても重要で、読書を通じた情緒の形成、必要に思います。情緒教育は不可欠です。『国語を忘れた民族は滅びる』、大変勉強になりました。藤原先生に感謝です。

『真の教養』(安岡正篤 一日一言)

「およそ真の教養とは、人類の有する偉大な著書に親しむことによって得るものです。そこで昔から優れた定評のある良い書物を少しずつ読むことであります」。

「人間としての教養の書、人としての哲学の書、修養の書というものを、注意して毎日たとえ三枚でも五枚でも、そういう書物を必ず読むようにする。いわゆる座右の書を持つということであります」。

『真の教養』、重要に思います。毎日、座右の書を三枚でも五枚でも読みます。