2023-03-03

第7代京都帝国大学総長、荒木寅三郎先生

朝起きての日課の一つは、安岡正篤先生の『活学選集』の一項目と平澤興先生の『講話選集 生きる力』の一講話を読むことです。

朝の清々しいひと時に両先生の書を読むと何となく爽やかになり心穏やかになります。不思議です。

本日は、先日、読みました平澤先生の講話、「冬来たりなば春遠からじー失敗をよき思い出にする努力」の中に記されていた、第7代京都帝国大学総長、荒木寅三郎先生について少し紹介します。荒木先生に感動です。

「冬来たりなば春遠からじ」。これは、英国の詩人パーシー・シェリーの『西風の賦』の一節とのこと。

「「今は言うならば、この厳冬の厳しさがあるが、人生というものはこの苦しさを通り抜けて初めて春になる」というふうに聞かせているようでもある」と平澤先生は述べる。

そして、「苦しさを通り抜けて初めて春を迎えた荒木先生」の紹介に移る。「荒木先生は、中学卒業後、医者の使い走りなどをしつつ勉強し、国家試験に合格して医師となり、開業」。

「その後、開業医を辞め全然経験のない大学の研究室に入り研究に没頭」。

開業医を辞め研究生活に入った理由は、先生がチフスと診断した患者が、先生の診断より「はり・あんま師」のいう事を信じて死んだからとのこと。

この経験により、先生はとてもがっかりし「自分はなんとつまらん人間だろう」と思い悶々と煩悶。その結果、東京帝国大学の医化学教室に入り研究。そして、岡山医科大学教授、京都大学教授となる。

さらに、京都帝国大学医学部長に就任。京都帝国大学は、先生のために規則を改正し、8年しかできない総長を12年間可能にした。

先生は、1915年(大正4年)第7代京都帝国大学総長に就任。その後、12年間総長。

当時の京都大学関係者は、先生を神様のように尊敬したとのこと。

そして、荒木先生は、平澤先生が京都帝国大学医学部に入学されたときの総長。入学式の荒木総長の訓示は、60年経過後でも平澤先生の脳裏に鮮明に残っているとのことでした。

荒木先生は、患者が医者の診断より「はり・あんま師」の助言を聞いて亡くなったことから発憤し、医化学の研究で素晴らしい業績を上げるとともに優秀な教え子を数多く輩出されたそうです。

本日は、平澤先生の『講話選集』から「冬来たりなば春遠からじー失敗をよき思い出にする努力」に記された荒木先生を少し紹介しました。

荒木先生、人間力と専門力を備えた凄い先生に思います。

人間力と専門力、改めてその重要性を再認識しました。

写真は、新潟市味方にある平澤興記念館の平澤先生の銅像の一葉。

『荒木総長の訓辞』(平澤 興:一日一言)

「大正9年(1920年)9月10日、それは私にとって生涯忘れえない、京都大学への入学式の日である」。

「忘れえないのは、大学の大きさでも、講堂のすばらしさでもなく、総長荒木寅三郎先生の熱と誠に満ちた新入生に対する訓示であった。総長の口から出る一語一語は、まさに燃えていた」。

「それは、別に大声をはりあげたり、節をつけたりするような演説ではなく、ただ静かに奉書の巻紙に書かれた原稿を読まれるだけのことでしかなかった」。

「しかし、それは世界的学者としての先生の実績と自信にあふれ、おのずから聴く者の襟を正さしめ、嵐のごとき感動を与えた」。

「先生は、学徒にとり最も重要なものとして、誠実、情熱、努力、謙虚などを挙げられ、これらについて、それぞれ自らの体験と史上の実例などをもってくわしく説明され、われわれは催眠術にでもかかったように、全身全霊でこれを受けとめた」。

「60年以上も前の入学式の荒木総長の訓辞が、なぜ私にこれほど強い感激と興奮を与えたかは私にもよくわからない」。

「おそらくこれは、この訓辞が口から出た単なる言葉ではなく、その後ろに先生ご自身の不動のご信念と、燃える実行とがあったからであろう」。

「不動の信念と、燃える実行」、凄い先生です。