2023-03-01

「学びのサロン」、今年度最終回を開催

今年度の私の「サロン(ゼミ)」は、岩波ジュニア新書『農は過去と未来をつなぐ』(宇根豊著)がテキスト。2月下旬に第6回、最後の「サロン」、「8章 風景をとらえてみよう」を学びました。少し紹介します。

ここでは、8項目の小見出しで最終章が記されていました。

まず、「夕焼けの見方」。「百姓は、夕焼けを見て明日の晴れを予想し、田んぼの段取りをする」。 

そして、「田んぼをみて、苗の育ちが気にかかるので、苗のようすを見る。イネのために何かする仕事がないか考える。そして、やっと、イネが育っている田んぼ全体の心地よさに移る」と記す。

次に、「風景化のはじまり」に移る。「風景とは百姓仕事が行き届いてこそ、毎年変わらずに美しく存在する。百姓仕事の変化で風景も変化し、今は「破壊・荒廃」が進む。村の風景は、百姓仕事の表現である」と述べる。

これ、言えています。お百姓さんは、農作物を作るだけでなく、田畑やその周辺の環境も作っています。

さらに、「風景は農業生産物だ」では、「自然や多面的機能は、百姓仕事により生産される。自然を守るのは、百姓仕事を守ること。風景を守るためには、風景も農業生産物だと百姓も消費者も自覚する」ことを強調。

これも重要な点に思います。

次は、「なぜ百姓は風景を眺めるのか」。「百姓は、百姓仕事の一服にあたり風景を眺める。風景の中に静かに身を置きたい」と記す。

私は趣味の農業でスモモ等の果物や野菜を作っていますが、百姓仕事の一服に風景をボンヤリ眺めるのが大好きです。折りたたみ式の椅子を畑に持ってきて、目的もなく風景を眺めます。気持ちが良い一時です。

次は、「百姓の美意識 」を紹介。「百姓は、変化に対する嫌悪感があるため、風景が壊れてきたら誰よりも早く気付く」ことに触れる。

これも当たっています。お百姓さんには、見慣れた何時もの風景がしっかりと頭に残っています。

さらに、「どうやって風景を守ればいいか」に移ります。「棚田保全運動が切り開いた世界は、百姓仕事の美しさの発見。田を作り続ける心情が棚田を支えている。百姓仕事とは、田を作り続ける事である」と述べる。

また、「最後は風景にあらわれる」では、「1980年代までは、果樹園に竹林がはびこっていなかった。現在は、どこでも竹林だらけ。山や果樹園が荒れている象徴である」ことを紹介する。

そして、最後は、「ありふれた「ただの風景」がいちばん」。ここでは、「百姓にとって何の変哲もない見慣れた風景が一番。ただの風景を守るには、百姓仕事を大切にする農業であり続ける」ことを強調する。

それには、「農業にこれ以上「生産性の向上」を要求しない。さらに、風景を支えているただの仕事への支援をする」ことを述べて、8章は終わる。

今回で『農は過去と未来をつなぐ』の「サロン」は終わりましたが、宇根さんの「農業」に対する考えや実践、色々と学び考える事の多い書でした。

また、参加者の皆さんと多面的な意見交換を通じ、学びと刺激を受けた一年。皆さんに感謝です。

『陶冶(とうや)する』(安岡正篤 一日一言)

「最高の教育を受けた人間も、その後の自己陶冶を缺(か)いては、立派な人間には成り得ない。ごく劣悪な教育も、自己陶冶によっては、なお改善され得るものである。いかにも人間は陶冶次第です」。

「「陶」というのは、焼き物を造る、「冶」というのは、冶金の冶で、金属を精錬することであります」。

「土を粘(ね)り、焼いて、陶器を造る。鉄を鍛えて鉄器を造るようなもので、人間もやはり、焼きを入れ、鍛えるということをやらなければ、ものになりません。いくつになってもそうであります」。

『陶冶する』、「いくつになっても焼きを入れ、鍛える」、重要に思います。