2020-11-27

発憤興起の人、広岡達朗元西武監督

「悶々として眠れない夜を過ごすうちに、悲しみはしだいに怒りに変わってきた。私は、ベッドに倒れこむと、声をあげて泣いた。正直いって、私はそのとき、川上さんを殺したいと思った」。

「その怒りは、やがて闘志に転化した。私の胸になにかが点火した。「よし、このアメリカで勉強し、川上さんを超える野球を必ず身につけてみせる」」(広岡達朗著:「意識改革のすすめ」、一部抜粋)。

「発憤興起の人、広岡達朗氏」。上述の文は、巨人軍を退団し、乳飲み子、幼稚園児、小学校1年生の3人の幼子を残して、野球留学のため単身渡米。そして、広岡さんの米国での活動が、川上さんにより妨害された直後の思い。

先日、「広岡達朗氏と鶴瓶の対談」ユーチューブが、唐突にスマホに乱入。面白そうだったので、チョイと見たら、これが「学びのチューブ」。広岡さんの苦悩の半生記、勉強になりました。

書斎の本棚を見ると1986年第1刷発行、講談社文庫版、「意識革命のすすめ」を発見。

文庫の裏表紙に「勝つために何を為すべきか。セパ両リーグにまたがる日本一、西武ライオンズ監督4年の任期中リーグ優勝3回、連続日本一を達成した智将広岡達郎の実践的勝利学」。

「根性、精神主義ではなく、合理的、科学的な本人の意識革命を通じて、戦う組織集団が形成される。ビジネスマン必読の兵法書」と記述。「本人の意識革命」、重要に思います。

早速、再読し、「第1章 プロフェッショナルとはなにか」の6頁まで読み、2回涙腺が緩みました。広岡さん、智将であるとともに「情」の人。機微に聡い。

早稲田大学卒業後、巨人軍に13年間在籍。川上哲治選手、さらには川上監督との固執や冷遇、執拗で陰湿な「イジメ」に合う。そして、「川上野球」を超える野球を目指し、それを成し遂げる。

広岡さん、信念の人、不屈の人、発憤の人、凄い人です。

凝り性の私は、広岡さんの書をネットで買い漁り、読み耽りました。



「広岡イズム」の帯写真、広岡さん85歳の顔。いい顔です。郵送されてきた本に「初心生涯 広岡達朗」との直筆サインを発見。感激、不思議な縁です。

広岡語録の一部を紹介します。「言葉で教えるよりも、「なぜか」と考えさせ、体得させるほうが、身についた教育ができる。無言の指導で考えて覚えることが重要」。

「「ゴロの捕球を正確に指導する場合」、なぜそうするのか、そのためにどうすればいいかを説きつつ、基本を繰り返す。対話しながら基本を繰り返す」。

「基本を繰り返し、選手が納得し、自分にプラスになると理解して、初めてその技術が選手の身につく。指導とは根気と見つけたり」。

「その動作が習慣として身につくまでは、本当に分かったとはいえない。訓練の必要性をいかに理解させるのかが必要」。

「選手の能力、性格、生い立ち等々、全て把握して初めて適正な指導や的確な用兵が可能である。まず己を知ることから始める」。

「野球監督の理想は何か。第一が、監督は正直であること。第二は、監督が自ら乗り出すのは、最後の最後、ここぞというときだけ」。

「第三は、選手に、この監督は本当に野球を知っていると思われ、尊敬されること。第四に、自分は何をなすべきかという、それぞれの役目を理解できる選手に育て上げること」。

広岡さんは、川上さんへの発憤興起のお陰で今の自分があると記していました。

万年Bクラスのヤクルトを監督2年目で日本一、西武監督4年でリーグ優勝3回、日本一2回。日本一は、広岡さんが3回、広岡野球の継承者、森監督が6回、工藤監督が5回達成。

「広岡流意識革命」、凄い。技術革命は必要、意識革命は重要。川上さんを超える野球です。

今年のプロ野球日本シリーズの開幕前、広岡さんが、「今年も日本シリーズは、西武で決まりです。何故なら、私が西武監督、工藤公康を教えたからです」と、自信満々に明言した新聞記事を読みました。

その通りになりました。根本は、意識革命。これは、簡単ではありません。広岡さん、凄い。この凄さの背景には、「発憤興起の人、広岡さん」があります。発憤できるか、できないか。二度ない人生で重要に思います。

『大努力』(安岡正篤 一日一言)

「修養のしかたによっては、人間にはいかなる能力があるかわからぬほど貴い。研究すればするほど、人間の美質は発見せられ能力が発揮せられるのである」。

「学校の成績は平均点が30点でも40点でも、それで己は駄目だと考えてはいけない。大いに有為有能の人材となる大理想を持ち大努力をせねばならぬ」。

「大努力をなすには、当然自ら苦しまねばならぬ。苦しんで開拓したものでなければ本物ではない。人並みの努力をしたのでは秀れた者にはなれない」。

「秀れた者となるためには、人の数倍の努力と苦労をしなければならない。人の寝るところは半分にし、人の食うところは半分くらいにしても、努力するところは人の10倍も20倍もやるだけの元気がなければならぬ」。

「20歳前後や30歳前後は、いくら力(つと)めても疲労などするものではない。心身ともに旺盛な時である」。

「まかり間違って病気になったり死んだりすれば、その時は天命と諦めるのである。学徒が学問のために死ぬのは本望ではないか」。

大努力の人、広岡さん。「有為有能の人材となる大理想を持ち、大努力をせねばならぬ」、肝に銘じたいと思います。