2020-11-05

森 信三先生と修身教授録

「さて今日は、「気品」という問題につてお話したいと思うのですが、気品は、人間の値打ちのすべてを言い表すと言ってもよいでしょう」。

「気品は、ある意味では、全人格の結晶だと言うこともできましょう。気品というものは、その人から発する、いわば内面的な香りとでも言うべきもので、ここぞと、形の上にいって捉えることのできないものです」。

「おそらく気品というものほど、われわれ人間にとって得がたいものは、外にないかもしれません」。

「いかなる修養が人間の気品を高める上に役立つかと申しますと、いかなる修養も、気品を高める上に役立たないものはないでしょう」。

「しかし、そのうちでも特に根本的なものは何かというと、私の考えでは、内心のけがれを除くということかと思われます」。

「すなわち「慎独」、つまり独りを慎むということではないかと思うのです。・・・気品のある人間になるためには、慎独、すなわち、人間がただ一人いる場合にも、深く己れを慎むということです」。

これは、森信三先生の「修身教授録」、「第8講 気品」の記述、一部抜粋です。気品、心に残る言葉です。

「修身教授録」は、森先生が39歳、昭和11年から3年間、天王寺師範学校の一部生(現在の中学3年生)を対象にした講義録です。これは、第1部が40講、第2部が39講より構成されています。

前職の山形大、私が教育担当の理事副学長の時、あるサークル40名程度の学生諸君と3年間、毎月1回「修身教授録」の読書会を行いました。

学生諸君は、読書会の1週間前に課題の5つの講を読み感想文を私に提出後、読書会です。読書会では、各人が参加者に感想を紹介します。

学生諸君からは、「修身教授録」から人としての生き方を多面的に学び、実り多い勉強会でしたとの感想が届きました。私は、学生諸君から刺激と元気をもらい楽しい3年間でした。

各学部の卒業式後の「卒業を祝う会」で、読書会に参加した多くの卒業生から「先生、読書会での学び一生忘れません。これからも学び続けます」と挨拶され、とても嬉しかった。

また、森先生は、「真に志を抱く人は、昔から分陰を惜しんで書物を貪り読んだものであり、否、読まずにはおれなかったのであります」。「諸君は、差し当たってまず「一日読まざれば、一日衰える」と覚悟されるがよいでしょう」、と読書を奨めています(第9講 読書)。


先日、鶴岡での敬愛塾「我づくり」研修会、「致知を読み人間学を学ぶ」に久しぶりに出席。10名のメンバーで、熱い学びと意見交換の楽しいひと時を過ごしました。新たに2名の方が参加予定、楽しみです。

また、山形学習センターでも10月から6名で始めた「致知を読み楽しく人間学を学ぶ会」、新たに1名が参加予定。二度ない人生、有志との「人間学の学び」、元気と刺激をもらっています。「老いて学べば死して朽ちず」。メンバーに感謝です。若い人に優れた書を紹介するのは、今までも、今も、これからも重要に思います。

本棚から、森先生の「修身教授録」を見つけ、学生諸君との読書会を思い出し再読しました。優れた書を通じた読書会、書と参加者から学ぶ、楽しいひと時です。

写真は、森先生の「一日一語」と「一日一言」

『事上錬磨』(安岡正篤:一日一言)

「心身の学を修める上で忘れてはならないことは、事上錬磨ということであります。それはわれわれが、絶えず日常生活の中でいろいろな問題について自分の経験と知恵をみがいてゆかねばならぬことです。己を修めないで人を支配しよう、人を指導しようと思っても、それは無理というものです」。

修身、斉家、治国、平天下(天下を治めるには、まず自分の行いを正しくし、次に家庭をととのえ、国家を治め、そして天下を平和にすべきである)。己を修める重要に思います。