2020-11-11

木の枝はなぜ美しい、重野先生の思い出

葉を落とした広葉樹、冬の木々の美しい枝を見ると何時も重野先生と「木の枝はなぜ美しい」を思い出します。



「今の私は日々のいとなみに追われ、疲れ、あえぎながら、多くは慌ただしく見て過ぎるだけの草木の姿に強く心をひかれる。ことに冬空に思い思いの線を描いている裸の枝々の美しさに」。

「なぜあの通りの枝ぶりになっているのか、ならなければならなかったのか?私はその答えを五年前の冬の夕方フッと発見した」。

「運命と環境と戦い、また随順することで木は内なる生命を伸ばしてゆく、そしてその仕方には個性がある」。

「ざくろにはざくろの枝振り、松には松、柳には柳の・・・だが、どの枝もみな、長い時をかけて少しずつ、少しずつ、一生懸命に伸びてきた生命が全身で描いた線なのだ」。

「一心に幸福を求めて伸びる木の生命の強いリズムを持ったメロデイの流れが、そのままそこに凝っているのだ」。

「だから私たちは、環境や運命と取り組んで自己を実現してゆこうとしている、私たち自身の生命の願いをそこに聞く思いがして、感動するのだ」。

「自分と同じ生きものが立派に生きてきている姿を見、共通の大きな一つの生命を生き生きと感じることは、私たちに生きることへの励ましと親愛の喜びを与えてくれる」。

「このささやかな発見は私を幸福にしていた。その事実がまた私を幸福にした」。

先生の「木の枝はなぜ美しい」、一部抜粋です。

「『青丹(あをに)よし奈良の田舎』といったら、重野が『阿呆によし奈良の田舎』と変えて言った。失礼な奴だ。然し文章からいえば、『阿呆によし』ならば『奈良の都』とすべく、『奈良の田舎』ならば前を『青丹によし』とすべし。何れか一つずつに使わなければ意味がない」。

志賀直哉、随筆「青臭帖」。「重野」とは、重野先生。当時の志賀先生のお住まいは、奈良の田舎だったとのこと。

「志賀先生が、よく重野がとおっしゃっていた。それが旧制広島高等学校の大先輩、重野英夫さんだと分かったのは、かなり後だった」。作家の阿川弘之氏が重野先生遺稿集「重野英夫作品集」、「序に代へて」の一部抜粋。志賀先生とは志賀直哉先生。

重野先生は、60歳から2年間、大島商船高専のドイツ語の講師として赴任された。私は1年生の時にお世話になりました。透き通るような色白の肌、何時も微笑を含んだ笑顔が忘れられません。貴重な縁でした。

私が帰省した時に、一度、列車で同席する機会があり、先生が下車されるまでの30分、色々な話を楽しみました。先生は、16歳の私を大人として扱って下さって、話が弾みました。私が石見神楽を紹介したら、とても興味を持たれ、是非、一度、観たいとおっしゃいました。

また、「何時もスケッチブックを鞄に入れ、素晴らしい風景に出会うと、何はさておき、その風景をスケッチします」、と話されました。小説や随筆だけでなく、多くの絵画も残されています。




列車で同席した僅か30分の会話が、50年経った今でも鮮明に記憶に残っています。当時、16歳の私が、60歳の先生に人としての瑞々(みずみず)しさと素晴らしさを感じ、一瞬で尊敬の念を抱きました。

1年生最後の授業で癌が心配だと話され、その後の精密検査で問題なしの結果をとても喜んで紹介。しかし、1年後に癌で亡くなられ、とても驚き残念でした。

友人と2人でお墓参りに行き、その時、ご家族からいただいた冊子が、「重野英夫先生を偲んで」。この冊子で、「木の枝はなぜ美しい」を知りました。

先生は、東大独乙文学科を卒業後、作家を志し、志賀直哉先生に師事。志賀先生から高い評価を受け、発表するなら出版社を世話するといわれた小説もあったそうです。

しかし、家庭のご事情により作家は諦め、郷里岩国の高校で教員生活、先生32歳の時。ある高校の文芸部顧問もされ、徹夜で文芸部誌の原稿を推敲。

同僚の先生が、お体が丈夫でない先生に「たかが高校の文芸部誌の原稿書きに、そこまでエネルギーを費やさなくても」と助言。先生は、「文学は、そんなものではない」と、静かに諭されたとのこと。

何時も笑みを絶やさない優しい重野先生、厳しさの一面を見た気がしました。

先生の没後20年、約450頁の「重野英夫作品集:木の枝はなぜ美しい」が出版されました。それを再読。教育も含め多くの事柄に深い洞察と思慮深さを感じます。驚愕です。人としての凄さと深さ、「本当の人」は、自分を語らないのかな、と思いました。

月山道のブナを含めた広葉樹、美しい木の枝が、今年も私に人生を語っています。今年の冬も重野先生の優しい笑顔を思い出しました。人との出会い、不思議に思います。重野先生に感謝です。

『一番尊いもの』(平澤 興 一日一言)

「私は人間に一番尊いのはなまの純粋さであり、濁りのない単純さであって人間にとって、これほど尊いものはなかろうかと思うのです。これはどの方面でも超一流の人にはあるようです」。

重野先生、本当に純粋な方だったと思います。