2020-11-19

武士の開墾地松ヶ岡、萱刈と萱葺き本陣

我が家が鶴岡市松ヶ岡に移住して今年で13年目。毎年、11月中旬は、松ヶ岡最後の奉仕作業、萱刈。

写真は、萱刈前後の萱刈場の一葉。

萱刈は、何時も霙(みぞれ)が舞う寒い時期での作業でした。しかし、今年11月15日は、晴天に恵まれ爽やかな日の萱刈作業、松ヶ岡の皆さんと一緒によい汗を流しました。

写真は、軽トラ部隊と奉仕作業の松ヶ岡の皆さん

松ヶ岡は、明治の初めに約3000人の武士が約300haの荒野を開墾した地域。開墾後、約30戸の家族が住み、集落が始まり、今では約60戸が生活しています。

松ヶ岡の中心地に「本陣」があります。これは、庄内藩第3代酒井忠勝公が1622年庄内入部の際、鶴岡城整備のため建築。その後、1686年に鶴岡市藤島町に移し、藩主が江戸往復の休憩所として利用した建物。

この建物が、1872年松ヶ岡開墾創業に際して松ヶ岡に再移築され、「松ヶ岡本陣」となりました。この本陣は、萱葺(かやぶき)の建物で、毎年少しずつ、萱が葺(ふ)き替えられ、住民は萱刈をします。

松ヶ岡では、萱刈以外にも幾つかの奉仕作業があります。住民が集まり情報交換等をしながら皆で汗を流す共同作業、よいです。

松ヶ岡の各家には、大正15年12月に記され、五箇条から成る「松ヶ岡開墾場綱領」があります。

一、松ヶ岡開墾場は、徳義を本とし産業を興して国家に報じ以て天下に模範たらんとす。

一、気節凌霜天地知の箴は、我が松ヶ岡の精神なり 之を服膺して節義廉恥を振起すべし。

一、少長各其の事に任じ神に祈誓する心を以て其の職責を盡すべし。

一、己を正しくし長短相済し和衷協同徳に業に従うべし。

一、父祖勤労の功を思い勤倹力行創業の目的を貫徹すべし。

「松ヶ岡開墾場は、徳義を本とし産業を興して国家に報じ以て天下に模範たらんとす」、この一文を初めて読んだ時、感動し涙がでました。

世の中にこのような「綱領」を掲げて生活している人々があり、集落が存在することに大変驚きました。このような志、今までも、今も、これからも重要に思います。

「創業以来、松ヶ岡開墾場に移住したのは、自家農業を含む開墾事業に従事するため、これが大義名分であり不文律であった」。

「昭和50年代、経済事情が大きく変化し、松ヶ岡住民の松ヶ岡以外での就職が始まった。松ヶ岡理事会では、この不文律の無理が明白になったので、昭和59年この不文律を廃止した」。今から36年前。大義名分の維持、凄いことです。

よき伝統が色々と残っていた松ヶ岡。「不易流行」、時代が変わっても変えない事と時代に適応して変える事。いい伝統や文化は、次世代に残したいです。

『人間の条件』(安岡正篤:一日一言)

「これがなければ人間は人間でない、というのが本質であって、結局それは徳性というものである」。

「人が人を愛するとか、報いるとか、助けるとか、廉潔であるとか、勤勉であるとか、いうような徳があって初めて人間である」。

「又その徳性というものがあって、初めて知能も技能も生きるのであります」。

まずは、徳性、それから知能や技能。徳性、重要に思います。