2024-06-09

SC機関紙、安岡教学に学ぶ:学問の本義

山形学習センター(山形SC)の『機関紙:ゆうがく』は今、年に2回発行。その1頁に「所長の『ワクワクの小窓』」を設け、「人間学:安岡教学に学ぶ」を記しています。本日は、それを紹介します。

『ワクワク情報の小窓』は、山形SCが目指す3つのセンターのうち「人間学の学びのセンター」に関連する情報を中心に紹介。今回は、「人間学:安岡教学に学ぶ(7)学問の本義」ついて記しました。

「我々は何の為に学を欲してやまぬか。知識才能を啓発する為であるか。之に対して純真な自我は答える。否、我々は論理的機械でも無ければ世渡道具でも無い。知識や才能は枝葉に過ぎぬと」。

「それでは功名富貴の為であるか。如何なる愚者も心中に呟(つぶや)く、否如何考えてもそれではないと」。

それで何の為に学ぶか。復び純真な自我は答える。何の為でもない。学ばなけれならないから学ぶのだ。学ばずには居られないから学ぶのだ」。

「この我が造化の明徳が弥が上にも光明に雄偉に崇高になければならないのは絶対的な命だ。是の如き命を我は本分(性)とするのだ。この本分に率うのが道、この道を開拓するのが学問の本義だと」。

これは、安岡正篤先生著、『郷研清話』に記された教え。

先生は、「学ばなけれならないから学ぶのだ。学ばずには居られないから学ぶのだ」と、「学び」の動機を説明する。

本質を突いた味わい深い教えに思う。そして、座右の書を持ち、それを読み続けることを勧める。先生の著書を読むと忙しい日常を忘れ、しばしの間、心が安らぎ落ち着く。

そして、生き方を思索するひと時を味わえる。先生の教えは、私にとり二度ない人生を生き切る貴重な羅針盤。先生に感謝です。

『憂いが人物をつくる』(安岡正篤 一日一言)

「人間は憂えなければ人物が出来ない。何の心配もなく平々凡々幸福に暮らしたのでは、優という文字の真義からくる“優秀”とはいい難い」。

「憂患を体験し、悩み抜いてきて初めて、人物も余裕も出来てくる」。

『憂いが人物をつくる』、味わい深い教えに思います。