本日は、山形学習センターの6月発行機関誌『ゆうがく』86号に掲載予定の「巻頭言」、「安岡先生に学ぶ、「学問の意義と楽しみ」」を紹介します。毎回、「巻頭言」の執筆には頭を悩まします。
「人間は逆境・難境に遭遇すると、如何に学問が大切であるかという事がわかります。真の学問をやっておれば、しみじみ問題を考えることができる」。
「考えることができれば、自ずからそこに光も差す、期待もわく、又楽しみも生じてくるものです。だから人間はやはり学問をしなければいけません」。
「と言っても形式的な、功利的な、世俗の学問では駄目でありまして、老荘や禅で言うところの絶学の学、良知の学、正学を学ばなければいけない」。
「またそういうところにわれわれの学道、講学の一つの妙味があるわけです」と、東洋哲学の泰斗、安岡正篤先生は、学問とその意義を述べています。
新学期が始まりました。大学に入学する目的の一つは、多面的な学びに思います。70年の我が人生を今振り返ると、学びの中では、「人間力」(自立した一人の人間として力強く生きるための人としての力)と「専門力」の学びが重要と感じます。
社会人になり仕事に従事すると「専門力」の学びは、不可欠ですが、多忙な日々に「人間力」の学びを継続するのは、難しいことです。
しかし、この「人間力」の学びは、二度ない人生を生きる上で重要であり、複雑な人間関係が錯綜する社会を生き抜くには必要に思います。
さらに、先生は、「心を打たれ、身に沁みるような古人の書を、我を忘れて読みふけるとき、生きていてよかったという喜びを感じる」。
「そんな書物に出合うと、時間だの空間だのという制約を離れて、真に救われる。ああ、確かにそうだ、と所謂解脱に導かれる」。
「そういう愛読書を持つことが、またそういう思索体験を持つことが、人間としていちばん幸福であって、それを持つと持たぬとでは、人生の幸福は懸絶してくる」と、学問の楽しみを紹介しています。
私達は、一生で経験することに限りがあります。それを補うためにも、書物からの学びは、不可欠でしょう。
「心を打たれ、身に沁みるような古人の書を、我を忘れて読みふける」体験を通じ、学問の楽しみを味わいたいと思います。
また、それは、人間力を培う上で必要かもしれません。学生の皆さんが新学期に「古人の書」を味読され「人間力」について学ばれることをお勧めします。
『道を拓くもの』(平澤 興 一日一言)
「若人よ、諸君が覚悟をして燃える時、諸君には自らもわからぬような無限の可能性が展開されるのだ」。
「この可能性の展開は、いわゆる頭のよしあしの問題ではなく、実に諸君の火と燃える意志と何ものにも負けない不屈の努力にある。情熱、実行、努力、これこそが諸君を生かし、諸君を伸ばす力である」。
「諸君はその目的に向かって全情熱を傾けることだ。不屈の意志のあるところ、道は拓ける」。
『道を拓くもの』、「不屈の意志のあるところ、道は拓ける」。肝に銘じたいと思います。