2024-06-07

研究の思い出(19):留学生との楽しい研究

本日は、研究の思い出(19)、インドネシア(ネシア)での共同研究等、3回シリーズの第3回、最終回。「ネシアからの留学生の受け入れと楽しい研究生活」について一部再掲も含めて少し記します。

ネシアの首都ジャカルタから飛行機で東に1時間、インドネシアの古都、ジョグジャカルタに到着。ここには、インドネシア約3000の大学、ランキングトップのガジャマダ大学があります。

ガジャマダ大学の教員と4年間の共同研究中、私の研究室で博士号取得希望の多くの学生に会いました。その中から奨学金を獲得した5名を受け入れる。彼らは、博士号を取得し、4名は今、ネシアの大学の教員として大活躍。

この5名の留学生は、全てガジャマダ大学の卒業生。全員とても優秀でよく研究し、私と我が研究室を支えてくれました。感謝です。

彼らから国際及び国内シンポジウムに特別講演者として招待され、講演やネシアを楽しむ。

6年前にジョグジャカルタで山形大同窓会インドネシア支部の立ち上げる。その時は、彼らの多くが家族と同窓会に参加し、とても楽しいひと時。教員冥利につきます。

博士号を取得した学生諸君は、何時も3月末に母国に凱旋帰国。3月は、毎年、別れの季節でした。

鶴岡に6年滞在した女子学生さんの送別会を思い出します。研究室の学生諸君が一人ずつその学生さんの思い出を語り、その後、教員、最後はその学生さん。

のっけから涙モード。名前に似ず心優しい3年生の女子学生、ヒグマ君が、「年を取ると涙もろくなります」と、涙をこぼしながら思い出を語る。

「馬鹿者、ヒグマ。若いヒグマがのっけから涙を流してどうする」、と言いつつも、こちらも涙腺が緩くなるのを感じ、何となく危ない雰囲気。 

12年前のある日、その学生さんが私の部屋に研究討論に来て、それが終わり帰る時に一瞬立ち止まり、「先生、研究とは関係ない質問をしていいですか」と聞きました。

「いいよ、何だい」。「先生は、何時もエネルギッシュで、私に元気を与えてくれます。先生と話すと何時もエネルギーをもらえます。何故、先生は何時もエネルギッシュなのですか、どうしたらそうなれるのですか」。

全く予期せぬ質問。「私は自分がエネルギッシュだとは思わないし、私も悩む時があれば、落ち込む時もある。その質問には上手く応えられない」。

「でも、私が学んでいるわが師の生き方は、参考になるかも知れない」と、稲盛和夫塾長や中村天風先生及び安岡正篤先生から学んだ教えや考え方等を少し紹介。

「生きる目的により人の生き方、人生が変わる。志を高く持ち、世のため人のために役立つことを行い、常に喜びを心に描く。そして、感謝の気持ちを忘れず、物事を楽観的に考える。人生は、心一つの置きどころ」。

「そうすると宇宙霊(神仏)と一体になり元気が出る、と言われている。私もそう思う」。学生さんは、少し分かったような感じで帰りました。

 

彼女の送別会。私が話す番となり、まず、「米国では、卒業を Commencement(出発)と言う。日本での6年間の経験を活かして、二度ない人生を楽しみ、色々と新たなことに挑戦する人生を歩んで下さい」。

「今日から新たな人生に向けての出発です」、と微笑みながら余裕を持ち順調な出足。

彼女への餞(はなむけ)に3つの話を準備し、さて、それを紹介しようと一呼吸。これが間違い。

一呼吸の間に、17年前、共同研究のためネシアに行き、彼女と初めて会った時、「私の処で博士号を取得したい」と、彼女が言った日から過ぎた17年の日々が走馬燈のように浮かぶ。

思いもかけず急に涙が溢れ出し、言葉がでない。平常心、まだまだ修業が足らず、未熟者を痛感。

最後に彼女が、鶴岡での研究生活や学生諸君との思い出を語り、私との研究生活等を紹介。

「先生は、一度も私に一生懸命勉強せよとか、一生懸命研究せよとか言わなかった。何時も研究生活や日本での生活を楽しみなさいと言ってくれました」と話し、前述の私への質問と私の応えを紹介。

勿論、彼女も話しながら大泣き。教員は、学生諸君を教えるより、学生諸君から学ぶ事の方が多い。また教職は学生諸君から多くの感動をもらえる有り難い職に思う。

このようなひと時は、まさしく教師冥利につきます。ネシアの留学生とともに過ごした楽しい日々を思い出しました。これも「研究の思い出」。ネシアの留学生や研究室の学生諸君に感謝です。

写真は、スカルノ・ハッタ国際空港、搭乗前の一葉。

『教育の役割』(平澤 興 一日一言)

「教育とは、火をつけることだ。教育とは、火をつけて燃やすことだ。教えを受けるとは、燃やされることであり、火をつけられることです」。

「相手の心に火をつけることは、ただ一方的な命令やおしつけでできるものではなく、こちらも燃えて相手と一つになり、相手のかくれた可能性を見いだして、これを燃やすことである」。

「相手のかくれた可能性を見いだして、これを燃やすことである」、これは教育だけでなく子育てを含め、人を育てることに通じると思います。簡単ではありません。