2024-06-11

フランク安田とアラスカ・フェアーバンクス

先日娘から「父さん、フランク安田に会いにアラスカに行ったんだっけ?」とメールが入る。「アラスカに行って、フランクに会いました」と返信。ふとアラスカを思い出しました。本日は、再掲も含め「フランク安田とアラスカ・フェアーバンクス」を記します。

「フランク安田は、それを見まいとした。眼を氷原の上に落としてひたすら歩き続けようとした」。

「だがそうすることはすこぶる危険なことであった。方向を失ったときは死であり、彼の死は同時にペアー号の死でもあった」。

これは、新田次郎著『アラスカ物語』「第一章 北極光(オーロラ)」、第一段落の抜粋です。今から45年前の学生時代に、「アラスカ物語」を読み、「フランク安田」に会いたくなりました。

そして、1989年7月、カナダのバンクーバーでの国際会議出席後、「フランク」に会うためアラスカのフェアーバンクスを訪問。

「明治元年、宮城県石巻町に生まれた安田恭輔は、15歳で両親を失う。外国航路の船員となり、アラスカに留まった彼は、エスキモーの女性と結婚し食糧不足等で滅亡に瀕したエスキモーの一族を救出する。そして、アラスカのモーゼと仰がれ、90歳で生涯を閉じた」。

フランク安田の波乱の生涯探訪、アラスカ・フェアーバンクスへの旅。

旅行会社から渡された旅程表には、バンクーバー出発日時とフェアーバンクス到着日時が記されていました。バンクーバー離陸後、北米最高峰マッキンリー(6194m)にさしかかり、飛行機は、その上空を一周旋回。粋なパイロットに感謝。

しばらく飛行して「まもなく着陸する」との機内放送。いよいよフェアーバンクスかと感慨にふけり、手荷物を準備し機外に出る順番待ち。

機外に出て、さあ入国審査で入国だとワクワクしながら通路を歩くと、何か妙だと第六感がピクピクと反応。周囲をよく見渡すと、フェアーバンクスではなくアンカレッジ、ウウウ。

こりゃ大変だと慌てて機内に逆戻りし、旅程表をチェック。しかし、旅程表には、アンカレッジが記されてなくフェアーバンクスの記載のみ。危ない処でした。先入観、要注意、その1。

写真は、フェアーバンクスでのクルージングの一葉。


フェアーバンクス空港から民宿を予約し、一路市街地へ。まずは、フェアーバンクスの雰囲気を楽しみながら、民宿で就寝前の濃いウイスキーを「グビッ」と一杯やり熟睡。

次の日は、アラスカ大学フェアーバンクス校に行き、「フランク安田記念館」を訪問。「フランク」に会え、関連資料などを閲覧し、満足度100%。写真は、フェアーバンクスの民宿と「安田記念館」の一葉。


その夜は、民宿近くのパブに行き、アラスカの地酒で「フランク」に会えたことを思い出しながら祝杯。そして、お客さんとフェアーバンクス談義。

お客さんの話だと昨夜は、オーロラが見えたとのこと。オーロラは冬の風物詩と思っていただけに見逃しました。先入観、要注意、その2。

本日は、懐かしいアラスカへの旅を少し紹介しました。フランク安田、明治生まれの気骨ある日本男児を感じます。

『気力旺盛』(安岡正篤:一日一言)

「気力が旺盛であるということが個人的にも民族的にも最も大事なことで、気力を弱くしてしまったら、教養が多少あろうが、頭脳・知性が優れていようが、技能が発達していようが問題でない。気力というものが一番大事で根本的なものである。

日本民族もこの気力を失わなければ、気力が旺盛になれば、いろいろの欠陥は少しも苦にする必要はない。反対にどんな長所があっても、例えば知性だ、技能だ、その他教養があるといっても、気力が旺盛でなければ個人も国家も発展しない」。

『気力旺盛』、いいですね。