2024-06-29

『岩波ジュニスタ』出版決定通知が届く

昨日、岩波書店ジュニア新書担当者から「本日、社全体の編集会議で無事に『ジュニスタ』の企画が決まりました」との嬉しいメール。本日は、『ジュニスタ』とその出版について少し記します。

『ジュニスタ』は、2021年3月に創刊が開始された中学生を対象にした学習入門シリーズ。正式名称は、『岩波ジュニアスタートブックス』

「自分の可能性を広げていくための「学び」に役立つシリーズ」とのことで、これまでに約20冊が出版され、以下のような特長があります。

1.「自分で考える力」を養うための視点を提示し、自由な発想、豊かな思考力を磨くシリーズです。

2.「〇か×か」という二者択一ではない、「正解のない問い」の答えをいっしょに考えます。

3.新しい世界を知りたい、ものの見方や考え方を変えてみたい、興味や関心を広げたい……、そんな中学生のより深い学びや探究への扉をひらきます。

4.人間関係に悩んでいる、勉強がおもしろくない、将来の夢が見つからない……、中学生が直面する様々な悩みに寄り添います。

5.信頼できる著者による執筆。授業や探究学習の参考図書として、安心して活用していただけるシリーズです。

私は、これまで12冊の著書を執筆しましたが全て共著。その中で5冊は、編集にも携わりましたが、単著は初めて。

この企画は、今まで2冊お世話になった岩波ジュニア新書編集者から昨年12月に執筆の依頼があり、気合を入れて企画書の作成に取り組む。


しかし、長年付き合った担当者が執筆依頼後2週間で他の部署に異動し、新たな担当者と交代。その担当者とZoomで4回打ち合わせ後、ジュニア新書編集者会議、社全体の編集会議で企画が採択。

本のタイトルは、『挑戦する田んぼー持続可能な米作りを目指して』。今年9月末までには執筆を終える予定で執筆開始。放送大学山形学習センター長兼特任教授の私、「特任教授」の任務に多少貢献出来そうです。

この3ヶ月、田んぼの生物相の観察や関係者へのインタビュー等、想定外の「古希」の一年を楽しめそうです。岩波の担当者に感謝。

『縁尋機妙、多逢聖因』(安岡正篤:一日 一言)

「良い縁がさらに良い縁を尋ねて発展していく様(さま)は、誠に妙(たえ)なるものがある。これを「縁尋機妙(えんじんきみょう)」という」。

「また、いい人に交わっていると良い結果に恵まれる。これを「多逢聖因(たほうしょういん)」という。人間はできるだけいい機会、いい場所、いい人、いい書物に会うことを考えなければならない」。

『縁尋機妙 多逢聖因』、本当だと思います。今までも、今も、これからも縁を大事にしたいと思います。

2024-06-27

爽やかな若夫婦との楽しい夕食会

本日は、「爽やかな若夫婦との楽しい夕食会」について少し記します。

山形大本部で教育及び国際交流関係業務に従事していたとき、小白川キャンパスの学生さんと月一度の読書会を行っていました。安岡正篤先生の著書を中心にした読書会。

そのメンバーの一人が結婚して、先日、奥さんと二人で鶴岡に来てくれ、我が家族と楽しい夕食の宴

彼は、山形大人文社会科学部で哲学を専攻。東京で仕事をしながら、山梨で耕作放棄地を購入し、自ら開墾して小屋を建て、そこで農業を楽しみながら生活。自分で小屋を建てての生活、凄いと思います。

奥さんも凄い人。これまで大変な人生を歩みながら、とても明るくて朗らか。普通の人には真似が出来ない事に思う。

「爽やかな若夫婦」とても楽しく爽やかな一時を楽しみました。結婚祝いの一つに吉野弘さんの『二人が睦まじくいるためには(祝婚歌)』をプレゼント。学生さん等から結婚式の祝辞を頼まれると毎回『祝婚歌』の一部を紹介します。

この本の「あとがき」を記す詩人の茨木のり子さんよると、結婚式の祝辞で『祝婚歌』の一部を紹介すると新郎新婦の理解度は高くないが、結婚歴の長いご夫婦は簡単に納得されるとか。これ納得です。

私も『祝婚歌』読み直し、改めて吉野さんの「結婚生活」の本質を突いた詩に感動を新たにしました。


二人が睦まじくいるためには 愚かでいるほうがいい 立派すぎないほうがいい

立派すぎることは 長持ちしないことだと 気づいているほうがいい

完璧をめざさないほうがいい 完璧なんて不自然なことだと 

うそぶいているほうがいい

二人のうちどちらかが ふざけているほうがいい ずっこけているほうがいい

互いに非難することがあっても 非難できる資格が 

自分にあったかどうか あとで 疑わしくなるほうがいい

正しいことを言うときは 少しひかえめにするほうがいい

正しいことを言うときは 相手を傷つけやすいものだと 

気づいているほうがいい

立派でありたいとか 正しくありたいとかいう

無理な緊張には 色目をつかわず 

ゆったり ゆたかに 光を浴びているほうがいい

健康で 風に吹かれながら 生きていることのなつかしさに 

ふと 胸が熱くなる そんな日があってもいい

そして なぜ胸が熱くなるのか 黙っていても 二人にはわかるのであってほしい

彼から「忠犬クニオ」も含め我が家族皆にプレゼント、有り難い。感謝です。



「爽やかな若夫婦」、二人で良い家庭をつくり、良い家族をつくることと思います。

平澤先生の「人柄」の教えが浮かびました。お二人ともとても良い人柄、それが爽やかさを醸し出しているようです。二人に感謝です。

『人柄』(平澤 興 一日一言)

「人柄ってよくいいますが、やっぱり、人生は人柄によって決まるんじゃないですか」。

「まあ、なるべく人を生かすような生き方が一番いいでしょうね。完全な人間なんていないんですから、人に完全を求めるのではなくて、人の長所を上手に使える人、その人は必ず、成功します」。

「それはしかし、長所と短所を本当にわかっている人でなきゃならない。これがやっぱり、経験でしょうね。経験と愛情でしょうね」。

『人柄』、重要に思います。

2024-06-25

2024年度山形SC、第2回「学びのサロン」

本日は、第2回目、私の「学びのサロン」を少し紹介します。

今年度、私の「サロン」は、岩波ジュニア新書『野生動物と共存できるか:保全生態学入門(2006)』(高槻成紀著)の輪読です。

今回は、「2章 絶滅はなぜおきるのだろう」。第2章は、4つの見出しで構成される。

まずは、『1.絶滅の例』と題して、英国と北アメリカで絶滅した動物の例等が紹介される。

「英国人は、自然保護にも熱心だが、英国は世界に先駆けた自然破壊の国でもある。原生林を開拓し、ヒグマやオオカミも絶滅した」ことに触れる。

そして、北アメリカの例として、「大発生していたリョコウバトは絶滅し、バイソンも絶滅危惧であり、これは、これらの動物の食料化に起因する」ことを述べる。

食することで種の絶滅が生じる、理解しやすい理由に思う。

次に、『2.絶滅の意味』に移り、「森林が今のペースで消失すると1年に27,000種が絶滅する。野生動物は長い時代を生き抜いてきた歴史的存在であり、それがこの150年、猛スピードで絶滅している」と記す。

森林が如何に種を維持し、保持しているのかが分かる。一般の人には、あまり知られていない事実に思う。

さらに、『3.絶滅の背景にあるもの』では、7項目の絶滅の背景を紹介する。

まず、「1)生息地がかぎられる」では、「分布や生息地が限られている生物では、何らかの理由でそこに生息できなきなれば絶滅する」ことを述べる。

次に、「2)スペシャリスト」では、「ササしか食べないパンダやアリしか食わないアリクイでは、種特異的な餌がなくなれば絶滅する」ことに触れる。

そして、「3)人間による利用」では、「人の食料など役立つ動物だと絶滅の危険があり、その例として、バイソン、リョコウバト、ドードー等」を紹介する。

「4)ドードー」は、「モーリシャス島のトリで簡単に捕獲して食料となるために、1681年に絶滅した」。

さらに、「5)スポーツ狩猟」では、「人は狩猟に対して本質的な好みを持ち、スポーツ狩猟は人の好みから発展し、これにより個体数が激減した動物もいる」と記す。

また、「6)生息地の破壊」として、「生息地が消滅すれば動物は住めないことを紹介し、その例として、英国のヒグマやオオカミは、森林の消滅で絶滅した」ことを述べる。

「7)人口問題」では「人口が増加すれば食料である動植物が必要となる。そして、人が住むと森林が伐採され、動植物が殺される」と指摘する。

この7項目も、とても『3.絶滅の背景にあるもの』として説得力のある項目と思う。

最後の『4.絶滅させないための努力』では、「20世紀後半は激しい環境破壊の時代であった。その反省から自然保護の動きが発生。それが、大きなうねりになったのは1970年代以降である」ことが紹介される。

そして、「1)ジャイアントパンダ」に触れ、「漢方薬の材料や毛皮を取ること、膨大な人口を支えるための農業開発で生息地激が個体数の激減に繋がった。そのため1980年代にパンダ保護の活動開始」を記す。

「2)タヒ(モウコノウマ)」では、「第二次世界大戦までモンゴルにかなり多くのタヒが生息していたが、その後、激減。オランダから16頭のタヒが里帰りし今、170頭に増加。1万haのステップで保護中」に触れる。

「3)アホウドリ」では、「アホウドリの羽毛は高値で販売され、乱獲。1949年に絶滅宣言。1951年鳥島で10羽のアホウドリを発見。京都大の長谷川さんの尽力で増加中である」ことが紹介される。

絶滅を避けるには、当該種の個体群動態を踏まえ、必要に応じた保護が不可欠。

今年度は、私を含め6名の参加者のゼミ。第2回も全員出席で、1名は埼玉県からの学生さん。第2章の紹介後、多面的な意見交換。あっと言う間の90分、参加者の意見から色々と学ぶ。感謝。

『陶冶(とうや)する』(安岡正篤 一日一言)

「最高の教育を受けた人間も、その後の自己陶冶を缺(か)いては、立派な人間には成り得ない。ごく劣悪な教育も、自己陶冶によっては、なお改善され得るものである。いかにも人間は陶冶次第です」。

「「陶」というのは、焼き物を造る、「冶」というのは、冶金の冶で、金属を精錬することであります」。

土を粘(ね)り、焼いて、陶器を造る。鉄を鍛えて鉄器を造るようなもので、人間もやはり、焼きを入れ、鍛えるということをやらなければ、ものになりません。いくつになってもそうであります」。

『陶冶する』、「いくつになっても焼きを入れ、鍛える」、肝に銘じます。

2024-06-23

舟木一夫さんのコンサートに昭和を思う

本日は、「舟木一夫さんのコンサートに昭和を思う」を少し記します。

6月19日夕方の山形駅東口、後期高齢者のご婦人が黒山のようにバス停に並ぶ。仙台方面の乗客かと思いきや皆、鶴岡・酒田方面。補助席を使っても2名が乗車不可。これ13年間のバス通勤で初めてのこと。

バス会社の人に「本日、コンサートですかね?」と聞くと、「舟木一夫のコンサートがありました」との応え。「そうですか、舟木さんのコンサートですか」と、一人納得。

バスは、80歳前後のご婦人の貸切り。終わったばかりのコンサートの余韻でバスの中が熱く盛り上がる。

隣の席では、「昨日は、郡山のコンサートに行き、これから舟木さん仙台と秋田に来るらしいので、仙台に行こうと思う」。追っかけ後期高齢者Aさん。

「昔、母から舟木さん主演の「絶唱」の映画を見てきな、とお金をもらったけど、もったいなくて行かなかった。今思えば行っとけばよかったと思う」。追っかけ後期高齢者Bさん。

「舟木さん、若いよね。声がよく出てたもん」。舟木さんで話が弾む。

舟木さん、1963年19歳の時、「高校三年生」で歌手デビュー。私と10歳違いの昭和19年生まれ。今年80歳。HPを見ると毎月全国各地で複数のコンサート、凄い。「追っかけ」のご婦人、大半が戦中生まれのよう。

昭和20年代は、戦後の貧しい時期。そして、昭和30年代、40年代、中卒は「金の卵」と言われ貴重な労働力。私の中学校からも「金の卵」の先輩が、京阪神や中京方面に就職。

後期高齢者のご婦人達の青春時代、白黒テレビでの歌謡曲や映画を観るのが娯楽に思う。そんな時代の青春スターの一人が舟木さん。私も子供の頃、歌番組に学生服で「高校三年生」を歌う舟木さんをよく観ました。

舟木さんには、数多くのヒット曲があります。私は、西沢爽さん作詞、遠藤実さん作曲の「仲間たち」が好きです。

♪歌をうたって いたあいつ 下駄を鳴らして いたあいつ♪ 

♪思い出すのは 故郷の道を♪

♪みんな一緒に はなれずに ゆこうといった 仲間たち♪

私は、昭和30年代、40年代に小学校、中学校で学び、クラスメイトはみんな「仲間」。「仲間」意識が強かったと思う。これと言った産業もない田舎の我が故郷、皆で助け合って生きていた。みんな「仲間」。

♪帽子まるめて いるあいつ リンゴ噛って いるあいつ♪ 

♪記念写真は とぼけていても♪

♪肩をならべた ツメエリにゃ 夢をだいてた 仲間たち♪

昭和を感じる歌詞。中学生の時、就職組は、島根県の郷土芸能として放課後に「安来節」と「どじょう掬い」の学びがあり。

♪手紙よこせと いうあいつ あばよあばよと いうあいつ♪ 

♪口じゃ元気に どなったくせに♪

♪ぼくが故郷を たつ朝は 涙ぐんでた 仲間たち♪

高度経済成長時代の昭和、「金の卵」達が集団就職列車に乗り都会に向かい、都会で働く。そして、高度経済成長を支える。昭和は、一つの大きな時代に思う。

昭和を思い出させてくれた舟木さんと後期高齢者のご婦人に感謝です。

『老いを忘れる』(安岡正篤 一日一言)

「真の人物は気概があると共に、どこかゆとりがあって、楽しむ所がなければならぬ。それで初めて老いを忘れることが出来る。また実際に何時までも老いないで暮らすことが出来るのである」。

『老いを忘れる』、肝に銘じたい教えです。

2024-06-21

山形交響楽団定期演奏会、「ブラームス」

山形交響楽団第318回定期演奏会、指揮は、常任指揮者の阪哲朗さん。メインは、ブラームスの「バイオリンとチェロのための二重協奏曲イ短調作品102」。これがもの凄く良かった。少し記します(「#山響」)。

「演奏会プログラム」には、「バイオリンとチェロのための二重協奏曲」の紹介として下述の記述。

「この曲は、2人のきわめて優秀な独奏者と有能な指揮者による管弦楽によって演奏されなければ真価が発揮し得ない難曲」。

「しかし、その3者が融け合ったときは、他の協奏曲では聴くことができない壮麗な響きと、2つの独奏から生まれる情緒、躍動の深い感動は、この曲でしか味わえない多彩さをもって聴き手を魅了する」。

私、クラッシック音楽とは縁遠い生活で、クラッシック音楽は、よく知りません。しかし、50名近い交響楽団メンバーが、一心不乱で演奏する、その熱量は体に響き、心に響き、感動。

多彩な楽器が、調和を保って一つの交響曲を醸しだす。その素晴らしさ、いいですね。

かつて紹介しましたが、私の元ライフワーク、「生物群集の多様性と調和の維持機構の解明」を思い出します。生物群集は、多様な生物より構成され、その群集は調和を保っているように思います。

交響楽団の演奏を聴くたびに、多彩な楽器が調和を保って醸し出す音楽の素晴らしさに感動。交響楽団の個々の演奏者の力量も凄いですが、指揮者の阪さんの指揮も素晴らしい。指使いが繊細。

「その3者が融け合ったときは、他の協奏曲では聴くことができない壮麗な響きと、2つの独奏から生まれる情緒、躍動の深い感動は、この曲でしか味わえない多彩さをもって聴き手を魅了する」。

いやー、素晴らしい。「聴き手を魅了する」でした。

毎回、山響定期演奏会に行くのが楽しみ。常任指揮者の阪さんと山形交響楽団の皆さんに感謝。有り難う。

9月8日第319回定期演奏会のメインは、「チャイコフスキーの交響曲第6番ロ短調「悲愴」作品74」、指揮者は、阪さん。9月も楽しみです。

『運鈍根』(平澤 興 一日一言)

「世の中に運鈍根などという言葉がある。鈍とは私のいうのろさであり、根とはのろさを知る故に心の底から出る根である」。

「運とは鈍根のような誠実な生き方をする人に与えられる天の恵みということかと思われるが、面白いもので大成した人々には、確かに運鈍根型の人が多い」。

「大成した人々には、確かに運鈍根型の人が多い」、面白いです。

2024-06-19

「父の日」、子供達との楽しい思い出

先日、6月16日は、「父の日」。日本で「父の日」が普及し始めたのは1980年代とのこと。私が子供の頃は、「母の日」の記憶はありますが、「父の日」の記憶はなし。

本日は、我が家の「父の日」、「「父の日」、子供達との楽しい思い出」について一部再掲も含め、少し記します。親馬鹿ブログです。

大学教員時代の私は、家庭や家族を顧みず、土日も大学に出かけ、我が家は、母親と子供達の「母子家庭」。長男が小学生の時、友人が「お父さん、いるの?」と聞いたとか。

5人の子供達、入学式や卒業式の機会は数多くありましたが、ほとんど家内が出席。授業参観も同様。

子供達と濃密に過ごした思い出は、ほとんどありません。しかし、私が提案した家族行事も一つあり。

それは、4人の子供たちが小学生の頃(当時、年の離れた次男は、いない)、水曜日の夕方は家族で赤川グランドに行き、皆でグランドを3周するマラソン大会。

家族で歩いてグランドに行き、帰りは、夕陽を見て、四方山話をしながら帰宅。何故か私の記憶に鮮明に残る。


また、家内の提案で1ヶ月に一度の山登り。これも色々なことがあり、記憶に残る行事。この山登りで子供たち全員登山が好き。それは今でも続く。

毎年、夏行事の一つは、8月の家族での鳥海山(2236m)登山。次男が幼稚園年長組の時は、10時間かけて往復。これも懐かしい思い出。その次男は、子天狗のように山を駆け登り今、高校の山岳部部長。

さらに、「男同士の旅」と称して、私と長男及び次男で会津や、新潟及び佐渡へのドライブ。これらも楽しい思い出。この「男同士の旅」は、娘たちも参加を希望し、「私と子供たちの旅」に発展。懐かしい。

今年のプレゼントは、私が好む3種のお酒とバリカン及びTシャツ。そして、私の好きな石原裕次郎さんのCD。全て嬉しいプレゼントですが、クニオの切り絵の表紙、「子供達が寄せ書きしたカード」が最も嬉しいプレゼント。



「母子家庭」でありながら、子供達は何となく父親の背中(?)を見ているようです。

今年の子供達の寄せ書き、私へのキーワードは、「情熱、夢、楽しみの発見とその継続」。

親馬鹿な親父が文章にすると、「父は、今なお情熱を持って夢を描き、楽しみを見つけてそれを楽しく継続。これからも健康で人生を楽しんで欲しい」。

寄せ書きから成長している子供達を感じます。親父も成長せねばと思う。刺激と元気を与えてくれる子供達。有難い。

2024年6月16日、父の日。本日は、「「父の日」、子供達との楽しい思い出」を少し記しました。「父の日」、いいですね。子供達に感謝です。

『人間の成長・家庭の力』(安岡正篤 一日一言)

「人間は、妻子を持ち、友を知り、多くの人と交わり、ある程度の年齢に達して、ようやく本当の意味での学問・求道ということがわかり始めます」。

「家庭というものは全く人間生活の基礎であり民族興亡の依所でありますから、これを出来るだけ正しく、美しく、力強くしてゆかねばなりません」。

「その為には、なるべく家族水入らずの気安さ、子ぢんまりとした手入れのとどく住宅、決して贅沢ではない衣食、静かで、考える余裕のある生活、濫(みだり)にならぬ社交が必要であります」。

「家庭を失いますと、人は群衆の中にさまよわねばなりません。群衆の世界は、非人間的世界です。人は群衆の中で却って孤独に襲われ、癒やされることのない疲労を得るのです」。

「これに反して良い家庭ほど人を落ち着かせ、人を救うものはありません」。

今までも、今も、これからも『家庭の力』、重要に思います。

2024-06-17

テニス、楽しいプライベート・レッスン

週一の楽しみは、テニススクールでのテニス。先日のレッスンでは、参加者が私だけ。コーチと私のプライベート・レッスン。コーチを1時間貸し切りでした。充実した楽しいレッスン。少し記します。

テニスで全くコツがつかめないのがバックのスライス。フォアのスライスは簡単に打てるのにバックは、どう打ったら良いのか全く不明。

コーチが、「今日は、バックのスライスの練習をやりましょう」と提案。「ラッキー」と心の中で思う。1時間のレッスンでバックのラケットの振り方を理解。

色々なテニス教材を読んで独学でバックを習得しようと努力。独学のバックとラケットの振りがだいぶ違う。それを理解しただけでも収穫です。

理解がすぐに実践には結びつきませんが、5本に1本くらい、それっぽいスライスを打つ。そうするとコーチが「今のスライスとても良いです。それです、それ」と、少し大げさに褒めてくれる。チョット嬉しい。

しかし、コーチの球出しは、常に一定ではなく、出された球に向かって移動してラケットを振るとなかなか毎回、良い感じにボールを打てない。

ゴルフは、動かないボールを動かずに打つ。野球は、動くボールを動かずに打つ。テニスは動くボールを動いて打つ。それぞれ簡単ではありませんが、テニスの奥深さと楽しさを感じます。

最近、ふとテニスでもリズムの重要性を痛感。リズムを持ってラリーをすると気持ちよいし、良い球が打てる気がします。リズムは生活や仕事だけでなく色々なところで重要であることを再認識。

まだまだテニス、進化し、上手くなり、格好良く打てるようになりたいと思います。コーチに感謝です。楽しみのある人生、良いと感じます。

『勝縁を結ぶ』(安岡正篤 一日一言)

「平生からおよそ善い物・善い人・善い教・善い書物、何でも善いもの・勝れているもの・尊いものには、できるだけ縁を結んでおくことです。これを勝縁といい、善縁といいます」。

「とにかく、折角善い人に会い、善い書を見、善い話の席につらなりながら、キョトンとしたり、欠伸をしたり、そっぽを向いたりしている人間はだめであります。うつけ者です」。

「大体そういう人間なら、諸君は決して事を共にしてはいけない。そういう人間を友にしてはいけない」。

「むしろ何でもないようなことでも、耳を傾けたり、眼を光らせたりする人であったら、何か見どころのある人間なのです」。

「もちろん形骸は眠っておるようでも魂が輝いておる人もおりまして、凡眼ではなかなか見わけがつきません」。

最近、この『勝縁を結ぶ』の重要性を痛感しています。

2024-06-15

「放送大学紹介の旅」、6月中旬庄内編

放送大学は今、2024年度2学期(10月入学)の学生募集中。出願期間は、9月10日まで。6、7月は、「放送大学紹介の旅」。県内の関係機関を訪問する予定です。

今週は、庄内の大学、市役所、小学校等を訪問し、関係者に放送大学を紹介。少し記します。

ある市役所を訪問し、総務課長さんに放送大学を紹介。まずは、訪問の趣旨を説明。「一つ目は、課長さんに簡単に放送大学を紹介すること。二つ目は、持参資料を職員の方々に回覧してもらうこと」。

持参した6つの資料を参考に放送大学の特徴やウリを紹介。「市役所でも職員研修は、実施している。研修の一環に放送大学の授業も活用が可能。早速、職員に回覧して紹介しましょう」とのこと。嬉しい対応。

続いて小学校を訪問。校長先生に教員向けの「キャリアアップ」と、今年度新たに作成された「教育課程に取り組むためのリスキリング講座」等の資料を説明。特に、後者の資料に大変関心を持ってもらいました。

校長先生は、「教員の免許更新がなくなり、放送大学を知る機会が減少したように思う」との感想。これは当たっています。「特別支援学校教諭免許状」にも関心があるようでした。


放送大学に勤務する機会がなければ、小中学校及び市役所等の訪問はなく、これらの訪問を通じ多面的に学ぶことも多く、有難く思います。

庄内地方30度超え、暑かった。面会していただいた関係各位に感謝です。

『教育という仕事』(平澤 興 一日一言)

「教育という仕事はあまり急いではなりません。割り切ってもできません。色々な困難がありますが、そこでへこたれず、あくまでも我が道を求めて進むことです」。

「逞しささえあれば、ぶつかって頭を打つこと、それ自体が進歩につながると思います」。

『教育という仕事』、「あまり急いではなりません。割り切ってもできません」、なるほどと思います。

2024-06-13

「国際交流」とベトナムの思い出

昨日、広報活動で山形大農学部を訪問。廊下でベトナムからの留学生にバッタリ遭遇。ベトナム、ハノイには山形大サテライトがあり何回か訪問。本日は、ベトナム及び「国際交流」について少し記します。

彼とは、年に一度の夕食会を楽しむ仲。夕食会の時、彼が、「私の好きな本は、新渡戸稲造先生の『武士道:The Soul of Japan』です」と言ったのには驚き、嬉しくなる。これを聞いて、夕食会が盛り上がる。

2020年3月までお世話になった山形大、最後の8年半、国際交流も担当。

ベトナム等7つの新興国に山形大サテライトを立ち上げ、そこへ学生を派遣し、現地学生に日本語等を教授する「学生大使派遣事業」を開始。

ベトナムのサテライトはハノイに設置し、サテライトの中では最も多く訪問した場所。思い出も数多くあります。

11年前、ベトナム、ハノイの国家農業大学のサテライトで女子学生に会った時、「Japanese Spirit(日本精神)を学ぶために山形大に留学したい」と言われました。その一言が鮮明に記憶に残っています。

「Japanese Spiritって何ですか」と問うと、「誠実、勤勉、正直、親切、まじめ、優しさ、礼儀正しさ」等が返ってきました。その後、彼女とは、色々な話をして盛り上がる。

彼女は、山形大農学研究科修士課程に入学し、修士号を取得して今、東京で働いているとのこと。

山形大サテライトを海外に設け、国際交流担当教授や「学生大使」を派遣し、山形大の知名度が上がり留学生数が増加したように思う。

また、山形大の学生さんにとり「学生大使派遣事業」は、現地で多面的に学ぶ意味でも実りの多い事業に感じる。

派遣前後に研修会を開催しますが、毎回、「派遣前の今の顔と2週間の派遣期間を終えて帰国後の顔は違っている」と話していました。

写真は、ベトナム・ハノイ市街地及び日本語クラスメンバー。

わずか2週間の海外生活の経験ですが、チケット購入から日本語授業の開講準備等全て自分で対応しなければならず、そのような経験が、若人を変身させるようです。

ある学生は、派遣後、日々英語で授業のことを考えていたので、英語を話す夢を見たとか。

また、ラトビアを希望した学生は、飛行機が遅れフィンランドでの乗り継ぎ便が出発し、フィンランド泊。

航空会社のカウンターで事情を説明し、翌日の飛行機で無事ラトビアに到着。このような予期せぬ経験も若人が育つ一因。

かつて、山形大顧問会議で「国際人と国際性」との題で簡単に山形大の国際交流を紹介。その時、山形大顧問で免疫学の世界的権威、滞米35年、米国免疫学会長も務められた故石坂公成先生の一言を鮮明に記憶。

「安田さん、国際性とは spiritual なものです」。今でも、先生が「spiritual」をどのような意味で使われたか、理解していませんが、それが時々頭に浮かびます。

「国際交流」を考えると、石坂先生の一言「spiritual」を思い出します。先生の著書『我々の歩いて来た道』、「あとがき」、一部抜粋を紹介します。

「私は大学を出てから引退するまでの47年間のうち、35年は米国に住んでいたわけである」。

「日本の社会に帰ってきて感ずることは、多くの日本人は、自分と肝胆相照らす人は、日本在住の日本人の中でしか得られないと思っていることである」。

「私の経験からは、これは間違いである。心を通わせることのできる人、100%信用して一緒に仕事ができる人たちは、人種を問わず、どこにでもいるものだということが分かっていただけたら幸いである」。

私も多くはありませんが、海外の「心友」がいて、石坂先生のご意見、納得。本日は、「国際交流」とその思い出を少し記しました。コロナ禍以降、海外に行く機会がありませんが、今年は行きたいと思います。

『国際性を身につける』(平澤 興 一日一言)

「国際人であるとか、世界人であるとかいうことは、ややもすると誤解されるように中性的の人間になることではなく、むしろそれぞれの特長を十分に活かしながら、国際的意識を持って行動することであります」。

「International は特長ある Nations があり、その上に立ってこそ初めて望ましい国際性が生まれるのであって、自らの個性をすててわけの分からぬようなものまねだけでは真の意味での国際性は生まれません」。

「国際性を身につけるには、まず「汝自身を知れ」ということになりましょう。我々は正しい意味で日本人としての特性を持ち得てこそ初めて、尊敬される国際人たり得ると思うのであります」。

『国際性を身につける』。「汝自身を知れ」、そう思います。