2024-08-05

出来る喜び、古希で進化の我がテニス

私たちは生まれてから色々と出来ないことが出来るようになります。そして、加齢とともに出来たことが出来なくなる。本日は、古希の私のテニス進化について少し記します。

硬式テニスを始めて40年以上経ちます。これまでは、ほぼ独学の見よう見真似。テニスの教本や雑誌を購読しての独学。これ限度があります。

3年前からテニス教室でお世話になっています。今は、ボールに回転をかけるテニスが全盛。ボールにスピンをかけ楽にネットを越して着地すると跳ね上がるボール、トップスピン。

さらにボールにスライスをかけて着地するとボールが滑るスライス。この2種類のボールを打つには、それなりの打ち方があり、またフォアとバックで打ち方が違う。

これまでもテニススクールでこの2種類の打ち方を指導してもらいましたが、各期は8回のレッスンで終了。その中で2回程度のトップスピンとスライスの練習。習得するまでに至りません。

一番コツがつかめていないのがバックのスライス。

上手く打てたか否かは、ボールが示してくれます。トップスピンが上手く打てるとボールは順回転してネットを越えると勢いよくコート内に落ちて跳ね上がります。

また、スライスボールは、打ったボールがほぼ直線的に相手コートに突き刺さり跳ね上がらずに滑ります。スライスが上手く打てないとポップフライのように上がり直線的に相手コートに突き刺さりません。

打ったボールを見れば上手く打てたか否かが一目瞭然。

先日のバックスライスの練習では、10本中9本は、思い通りの「スライス」。褒め上手なコーチが、「安田さん、バックのスライス良いですね」と一言。その気になっています。

「出来る喜び、古希で進化のテニス」。出来なかった事が出来るようになる、何歳になっても嬉しい。まだまだ「挑戦」し、出来なかった事が出来るようになりたいと思う。

テニス、まだまだ進化し、上手くなり、格好良く打てるようになりたいと思います。コーチに感謝。楽しみのある人生、いいなーと感じます。

『晩年』(安岡正篤 一日一言)

「冬になれば、「木落ち水尽き千崖(せんがい)枯れて、迥然(けいぜん)眞吾(しんご)が現れる」ように、人間も年寄るに随って、容色は衰え、矯飾は廃れて、その人の真実我が掩(おお)うところなく現れてくる」。

「『菜根譚』にも「人を看るには只後半截(こうはんせつ)を看よ」という古語を、引いているが、誠に人の晩年は一生の総決算期で、その人の真価の定まる時である」。

これからの晩年、活き活きと楽しく生きたいと思います。