2024-08-12

「8月11日山の日」、山の思い出を回想

8月11日は、山の日。本日は、男の「山の思い出回想」を一部再掲も含め少し記します。戦後復興期の昭和20年代後半に島根の山間部で産まれた男は、物心ついた頃から遊び場は、山と川。

当時は、炭焼きも盛んで綺麗な里山が維持。特に、毎春の木の芽時は、おにぎりを持って近くの最も高い山への登山。登山、何が面白かったのか?よく分かりません。

幾つかの要因は考えられます。綺麗な里山、雑木林を歩くのは気持よい。山には色々な生き物や植物がある。山は、何となく神秘的。山の頂上から下界を見下ろす景色の美しさ。春の山の新芽が展開する美しさ、等々。

一方、秋の山行きの目的は明確です。クリやアケビ等の木の実を採る。さらに、祖父や父とのキノコ狩り。キノコ狩りで道に迷うの、分かります。キノコ群落に出合うと夢中で採集し、道など頭から消えます。

我が故郷、山の幸が豊富。日本全国の里で今、クマ、イノシシ、サル等の野生動物の出没が日常茶飯事。昭和20年代や30年代は、炭焼きによる里山の管理が行き届き、これらの野生動物は奥山で生活し、里への出没なし。

男は故郷を離れても山との関係を継続。商船高専4年時には、ワンダーフォーゲル部を創設し、仲間とテントを持っての山歩き。

さらに大学では、「熱帯農業研究会」に所属し、ここでもテントを持って仲間と登山。

男は、山が遊び場のような生活を体験して大人になる。その後、男は結婚し、家内から「子供が産まれたら月一度は、家族で山歩きをしよう」との提案を二つ返事で了承。

庄内では、春先のカタクリとギフチョウが織りなす早春の美しい高館山の山歩きから山行きが開始。そして、8月上旬の鳥海山(標高2,236 m)登山は我が家の恒例行事。

今高2の次男が幼稚園年長の時、約8時間かけての鳥海山往復登山も今では懐かしい思い出。子供達は、全員山登りが好きで、次女は、大学の何学部に入学したか知りませんが、卒業だけは「山岳部」。

大学4年時に北・中央・南アルプスを1ヶ月かけて縦走。縦走後に山岳部のブログを見ると稜線で台風に遭遇し、危ない経験も多々あったようです。

長男は、山岳部のある高校に入学希望。しかし、鶴岡市で妥当な高校がなく、高校での山岳部は諦める。

今高2の次男も「山命」。登山が大好きで、昨年の山の日は、雨の朝日連山2泊3日の単独縦走。危ない目にも遭ったようです。この危ない目との遭遇を通じ、自然の怖さ等を学ぶのも重要。

朝日連山は、大朝日岳(標高1,890m)を主峰に約101,700mクラスの山々が連なる新潟県と山形県境に位置する磐梯朝日国立公園に含まれる。

今高2の次男は、山岳部の部長で部活を楽しむ。

米国から友人たちが来ると鳥海山か月山登山は我が家の恒例行事。小さな子供達も一緒に登山。子供達が、疲れて歩けなくなったら私のザックの上に載せて下山。今では、小天狗のように山を駆け登る。

家族恒例の鳥海登山、8年くらい前に9合目の「胸突き八丁」で気分が悪くなり、登頂は諦め、単独下山。それ以降、鳥海山への登山はなし。

3年前から月山姥ヶ嶽(標高1670m)登山を楽しむ。登山、いいですね。山の思い出を少し回想しました。

『文明は人間を弱くする』(安岡正篤 一日一言)

「真の体力・健康というものはもっと矛盾に富んだ、もっと苛烈な、自然の暑さ・寒さ・飢餓、その他いろいろの不自由やら迫害と闘って、自然に鍛え上げるものでなくてはならない」。

「そういう意味から言うならば、文明の知識と技術の下に作り上げられた体力・生命力というものは弱いものである。あまりに泰平無事、平穏無事だとわれわれの健康というものは、すぐだらしなくなる」。

「やはり体、健康というものは鍛えなくてはだめである。精神的にもそうで、何も苦しみがないと精神はのびてしまう。つまらなくなります」。

『文明は人間を弱くする』。学びです。心に留めたい箴言。