2024-08-03

致知読書会、特集 希望は失望に終わらず

放送大学山形学習センターでは、有志による2ヶ月に一度の月刊誌『致知』を通じた「人間学の学び」を実施。先日、今年度第2回を開催しました。少し紹介します。

今回の教材は、『致知』2024年6月号『特集 希望は失望に終わらず』。これは、井村屋グループ会長CEO 中島伸子さんのインタビュー記事、「人生のハンドルを握り扉を開けられるのは自分だけ」

まずは、インタビューの趣旨を記す。「明治29年の創業以来、128年の歴史を刻んできた井村屋グループ。数多くのロングセラーを手掛け、年間3億本を販売する看板商品「あずきバー」は昨年50周年を迎えた」。

「その背景には「人こそ宝」の創業精神が脈々と受け継がれてきた企業風土があるという。こう語るのは、アルバイト出身から同社初の女性社長に抜擢された中島伸子さんだ」。

「女性の社会進出が難儀だった時代の中で、幾度も試練やハンディキャップを克服、道なき道をひらいてきた」。

「波乱万丈な仕事と人生の歩みを辿ると共に、経営理念を浸透させ、社員を育成し、チームの心を一つにする秘訣に迫る」。

インタビュー記事は、10項目の小見出しより構成。

『1.ミッションは「おいしい!の笑顔をつくる」 』。今年の経営指針は、「先義後利、そして備えよ常に!」:社会のことを考えて義のある正しい道を優先して行う。すると利益は後からついてくる。

中島さん、毎年、経営指針を立てて、井村屋グループを経営。これは、簡単なことではないと思う。

「ミッションは「おいしい!の笑顔をつくる」。これを国内だけでなく世界に広める。社員自身が幸せを感じながら商品を作ればお客さんに幸せを届けられる。やりがいをもって働く」。

『2. いかに社員を育てチームの心を一つにするか』。理念等を一人ひとりの社員が自分の腑に落とす:朝礼での「井村屋マインド」の質疑応答。

朝礼を通じ、理念を一人ひとりの社員の腑に落とす。これも凄いことに思う。組織は、社員がベクトルを一つにしなければ発展しにくいと感じる。

「一人ひとりの成長を願い、明るく使命とやりがいをもって仕事をし、チームで心を一つにし、お客様に美味しいものを届ける。顧客満足と従業員満足を高め、企業としてさらなる成長を図る」。

『3.「特色経営」と「不易流行」の追求 』。「人こそ宝」の創業精神を受け継ぐ。「特色経営」と「不易流行」の追求。

『4.「あずきバーが年間三億本売れる秘訣」 』。自分で自分を褒め、慢心して学びをやめてしまう人は絶対に伸びない。「まだまだ足りない」、「もっと力をつけなきゃ」と自分自身の不足を謙虚かつ素直に直視できる人は学び続けるので伸びる。

読書会出席者の多くは、「あずきバー」のファン。私もそうです。年間3億本、50年間売れ続けるには、継続した創意工夫を感じる。「謙虚で素直な人は、学び続けるので伸びる」、同感。


『5.二十歳の直前に運命を大きく変えた事故 』。北陸トンネル列車火災事故に遭遇。

読書会参加者からは、このような死に直面した経験者は、そうでない人と比較すると、生き方に違いが生ずるのは理解できるとの感想。

『6.「自分だけの“プラス1”父の手紙を心の支えに」 』。父からの手紙の「自分だけの“プラス1”」を心の支えに。

『7.目を覚まされた三時間の説教』 。取引先の社長の説教:「経済のことを全く知らない人間に、僕らが大事な話をすると思うか。あんたの中に、女性だからっていう甘えがあるんじゃないか。そんなんで営業所長が務まるんか」。

この社長の説教に対して、自らを振り返り反省し時間を惜しんで多面的な学びを実践。これも凄いことと感じる。

『8.仕事の師・浅田剛夫から受けてきた薫陶』

『9.アルバイトから経営者へその源泉にあるもの』 。いま自分の立ち位置で一所懸命やる。その上で「プラス1」を考る。くよくよしたり悩みを抱えない。

「期待する人財像」:しなやかに強く、情熱と利他の心を持って前に進める人になろう!これまでの試練を乗り越えたのは、「開き直り精神」、しぶとさと打たれ強さを持っていたから。素晴らしい人に会う。

「人が好き」。この人の強みは何か。どうやってその強みを発揮してゆくか。

10.今期の経営メッセージと大切にしている二つの信条』。社員に伝える言葉:一人の百歩よりも百人の一歩。今年は、「プロの一人、チーム百人の掛け算」。

信条は、「夢はでっかく、根は深く、葉っぱ広し」。「自分の人生のハンドルは自分しか握れないし、扉の鍵を開けられるのは自分だけ」。

生きていることが自体が素晴らしい。ですから、自信と誇りを持って、希望を抱いて生き抜くことが大事。

中島さんの生き方に多くを学びました。中島さんと読書会出席者に感謝です。

『陶冶(とうや)する』(安岡正篤 一日一言)

「最高の教育を受けた人間も、その後の自己陶冶を缺(か)いては、立派な人間には成り得ない。ごく劣悪な教育も、自己陶冶によっては、なお改善され得るものである。いかにも人間は陶冶次第です」。

「「陶」というのは、焼き物を造る、「」というのは、冶金の冶で、金属を精錬することであります」。

土を粘(ね)り、焼いて、陶器を造る。鉄を鍛えて鉄器を造るようなもので、人間もやはり、焼きを入れ、鍛えるということをやらなければ、ものになりません。いくつになってもそうであります」。

『陶冶する』、「いくつになっても焼きを入れ、鍛える」、重要に思います。