2024-08-29

「最上支援推進委員会」での講話等

山形県は、村山、置賜、庄内、最上の4地区に分けられ、最上地区には、「放送大学最上学習室支援推進委員会」があります。毎年、7月か8月に山形学習センター(山形SC)所長は、「講話」と「前年度の活動報告及び今年度の活動計画」の紹介を依頼される。

本日は、昨日鶴岡から車で1時間かけて出席した新庄市での「委員会」やその時の講和等を少し紹介します。

当委員会は、2010年に設置され、委員の皆さんを中心に山形SCとの連携強化や諸事業の支援及び住民の皆さんへの啓蒙活動が主な支援事業。

昨日は、最上地区11市町村の教育長職務代行者等教育関係者が参集。昨年は、「協議」で山形SCと「委員会」との共催で市民講座開催を提案し採択。実り多い市民講座を実施。

昨日の「令和6年度活動計画」の紹介では、山形SCの特色と特徴的な活動について触れる。特に、山形SCでは現地で学ぶ体験型の面接授業を重要視し、その具体的な授業について述べる。

今年度は、山形SCの体験型授業のポスターを作成したので、それにも触れる。また、今週末の「人間学の公開講座」も紹介。2つとも関心があったようだ。

「講話」は『松ヶ岡と安岡正篤先生―東洋哲学の泰斗、安岡先生に生き方を学ぶ―』。下述の3項目について紹介。私は東洋哲学の泰斗、安岡先生を紹介できるほど学んでいない。先生のごく一端に触れた。

『1.安岡先生の生い立ちなどの簡単な紹介』。『2.松ヶ岡と安岡先生:1)安岡先生が松ヶ岡を訪問された理由、2)今後の教育:東北農家研修所10周年記念講演(昭和30年)』。

『3.安岡先生から学んだ教えの一部を紹介:1)学問する意義と楽しみ、2)人間学の条件、3)人徳を磨く秘訣、4)人物の条件、5)自然に還れ、根本に還れ、精神に還れ』。

『2)今後の教育:東北農家研修所10周年記念講演(昭和30年)』では、6項目を紹介。

まずは、「1)素養・陰徳・冥理」。そして、「2)人間18年・徳性の培養。人間としての人格をなす三要素は、1)徳性、2)知性・知能、3)技術・技能」。

「徳性とは、明るい、清い心、素直さ、正直、許す、勇気、義侠心、勤勉、不撓不屈等。徳性は、3・4歳で始まり、7・8・13・14歳で一番旺盛。17・18歳でほぼ完成。徳性を養って立派な人格、人間をつくる教育が必要」。

本質をついた指摘に思う。「徳性」を如何に形成するか、重要に感じる。

「人格を作りその後に、日進月歩の知識や技能を習得する。人間と人間が接触する宿泊塾、道場を通じた人格形成が必要。一番辛い欠乏は、人格の欠乏、人材の欠乏、精神の欠乏、徳性の欠乏」。

人格を形成し、その後に知識や技能の習得。この順序も極めて重要に思う。「一番辛い欠乏」も同感。

次に、「3)若朽・若衰。人間は老衰、老朽する前に若朽・若衰する。絶えず人間的に成長しなければ、若くして衰える」。

さらに、「4)単調とマンネリズム。人間精神が単調でマンネリ化すると感動のない人間になり機能が衰える。特に、農村での生活では、要注意」。

そして、「5)博学と素交。人間の頭は、使わないと不用、無能になる。徳性もそうであり、磨くことが必要。異分野、異なる世代の友人と多面的に学ぶ。良友を持ち切磋琢磨。精神の書物、心の書物、道の書物から学ぶ」。

「このような活動を通じ、自分の内容が豊富になり、人格の潜在エネルギーが生ずる。潜在エネルギーにより、自分の生命、人格が溌剌。何かやるときの力となる」。

「精神の書物、心の書物、道の書物から学ぶ」、潜在エネルギーの確保と維持、重要に思う。

最後は、「6)民族エネルギーの蓄積」。 

安岡先生の著書を再読し、日頃忘れていた重要事項を再認識。先生に感謝。また、このような機会を与えてくれた「委員会」にも感謝です。

『元気』(安岡正篤 一日一言)

「われわれは「気」を養うということが、一番根本の大事だ。いわば生のエネルギーを養うということ、いい換えれば「元気」ということが一番である」。

「元気がないというのは問題にならぬ。しょぼしょぼして、よたよたして、一向に反応がないなんていうのは、論ずる価値がない」。

「とかく人間は有形無形を論ぜず、元気というものがなければならない」。

「元気というものは、つまり生気である。生のエネルギー、生々しておるということである」。

『元気』、重要に思います。

2024-08-26

2024年度山形SC、第3回「学びのサロン」

本日は、先日行った第3回目、私の「学びのサロン」を少し紹介します。

今年度、私の「サロン」は、岩波ジュニア新書『野生動物と共存できるか:保全生態学入門(2006)』(高槻成紀著)の輪読です。

今回は、「3章 保全生態学が野生動物をまもる」。第3章は、4つの見出しで構成される。

まずは、『1.保全生態学への動き』。「保全生物学」は、野生動植物の減少を救う学問。保全生物学の中でも特に生態学に関する研究分野が「保全生態学」。

『2.生態学の考え方』。生態学は、生物と環境との関係を解明する点が一つの特徴。もう一つの特徴は、生態学が生物の現象のうち、個体以上の現象を研究対象とする点。

生態学は個体が周囲とどのような関係を持っているのかを調べる学問。例えば、ノウサギは、植物の量や質で数が増え、キツネやイヌワシなどの捕食者により数が減少。

生態学の説明に懐かしさを感じる。生態学は、同一種の生物の個体数変動等を明らかにする個体群生態学や、生物群集の調和の有無とその機構等を扱う群集生態学がある。さらに行動生態学や進化生態学等々、色々な分野を含んでいる。

『3.保全生態学の考え方』。ここでは、生態学の学術用語が紹介される。

まずは、1)キーストーン種。ある生態系の「礎」となるような重要な生物。例えば、金華山の生態系全体はシカにより大きな影響を受けている。このような生物のことをキーストーン種という。

次は、2)アンブレラ種。これは、傘のような生物。例えば、コウノトリを守ることにより、その傘の下に暮らす無数の小動物や植物が守られる。アンブレラ種とは、コウノトリのような生物をいう。

そして、3)フラッグシップ種。旗のように目立つ性質を持つ生物。例えば、パンダ。パンダは、人間に人気がある。

さらに、4)コリドー(回廊)。細長い廊下のような生息地。例えば、細長い森林等。

伐採は林縁をつくるが、同時に森林が孤立する問題を生む。小さな森林がポツンポツンとしか残っていない時、これを野生動物保護のためにいい形にできないか考えると、その小さな森林を繋ぐ考えが生じた。

大面積の森林を回復させるのは難しいが、狭い面積なら回復可能かもしれない。そして、そこをつたって動物が移動可能。これがコリドーの考え。

昔学んだ、生息地の分断化と棲息可能な種数の問題を思い出す。

最後は、『4.生物のつながり』。生物の保全には、その種とつながりあう他の生物との関係を理解することが重要。

まずは、1)ヘラオオジカ、オオカミ、森林。ヘラオオジカは広葉樹を好んで食し、オオカミに食される。それゆえ、オオカミが多い処では、ヘラジカが少なく植物は多くなる。

次に、2)サケ。サケは海で過ごし成魚となり川に戻る。海で生活したサケが川に上ることは、海の成分が川に運ばれること。そして、そのサケをクマやワシが食することで海の成分が山に蓄積。

保全の対象とする生物のみを守るのでは不十分で不適切な場合もある。生物のつながりやバランスを守ることが大切。

この「生物のつながりやバランスを守ることが大切」の一言は、重要に思う。

今年度は、私を含め8名の参加者のゼミ。第3回も全員出席で、1名は埼玉県からの学生さん。第3章の紹介後、多面的な意見交換。学生さんから『日本の森にオオカミを放せ』との本を紹介される。

ヨーロッパでは、オオカミを放し、自然の調和が保たれるようになったとか。とても興味深い話。私も読んでみようと思う。

また、金華山島では、シカやサルが大発生し、植物を食い尽くす被害が出ているとのこと。このような島でシカ等の捕食者のオオカミを放して、食う物と食われる物の数の変動を見るのも興味を感じる。

あっと言う間の90分、参加者の意見から色々と学ぶ。感謝です。

『陶冶(とうや)する』(安岡正篤 一日一言)

「最高の教育を受けた人間も、その後の自己陶冶を缺(か)いては、立派な人間には成り得ない。ごく劣悪な教育も、自己陶冶によっては、なお改善され得るものである。いかにも人間は陶冶次第です」。

「「陶」というのは、焼き物を造る、「冶」というのは、冶金の冶で、金属を精錬することであります」。

土を粘(ね)り、焼いて、陶器を造る。鉄を鍛えて鉄器を造るようなもので、人間もやはり、焼きを入れ、鍛えるということをやらなければ、ものになりません。いくつになってもそうであります」。

『陶冶する』、「いくつになっても焼きを入れ、鍛える」、肝に銘じます。

2024-08-24

「公開講演会『人間学を学ぶ』」のご案内

山形学習センターでは、2021年度から毎年3回程度、多面的に活躍されている多彩な方を講師とし、「公開講演会『人間学を学ぶ』」を開催しています。

本日は、831()に開催する、本年度第1回目の『公開講演会』を少し紹介します。

日時:令和 6 年8月31() 13:3015:00(土)

場所:放送大学山形学習センター 講義室

講演者:㈱エル・サン代表取締役会長 早坂 剛 氏

演題:「山形・庄内を消滅都市から元気な地域へ」 

事前申し込み:講演会は、対面とZoomのハイブリッドで実施。電話023-646-8836か、メール ymg-sc@ouj.ac.jp でお申し込み下さい。

放送大学の学生以外の方も聴講できますので、ふるってご参加ください。

【講演概要】を以下に記します。

昭和 46 (1971) 32 歳で起業し、今までの 53年間の足跡を振り返る。令和 6 (2024) 85 歳の夢男さん。コロナ禍が収束しこれからの庄内の夢。

早坂会長には、最近3回お会いする機会があり、2人だけで地域の発展に関する多面的な意見及び情報交換をしました。85歳とは思えない情熱の塊のような方です。

2017年に松ヶ岡にワイナリーのためのブドウを植え今、ピノ・コリーナの名称で松ヶ岡でワイナリーとレストランを経営されています。人としての魅力のある凄い方です。

是非多くの方が、早坂会長の魅力の一端とその生き方を学ばれることを期待しています。

この『市民講座:シリーズ人間学を学ぶ』の開催趣旨を紹介します。

「人生を如何に生きるか」との命題は、二度ない人生を生きる私たちにとり重要な問題の一つです。

しかし、私たちの多くは、日々の忙しい生活に追われ、ゆっくりと人生について考える時間が少ないのかもしれません。

そのような中『市民講座:シリーズ人間学を学ぶ』の趣旨は、講演者が歩んできた人生等を紹介し、その多面的な学びを通じ、参加者の皆さんが自らの人生を考える一助にすることです。

ここでは「人間学」を「人生をより良く生きるための人としてのあり方に関する多面的な学び」と広義の意味で捉えたいと思います。

幕末の儒学者佐藤一斎先生は、『言志四録、三学戒』の中で「少(わか)くして学べば壮にしてなすあり。壮にして学べば、老いて衰えず。老いて学べば、死して朽ちず」と生涯の学びの重要性を指摘しています。

本講演会では、多くの皆さんが、忙しい中で生活している今、ちょっと立ち止まり、少しの間、生涯の学びの一つ「生きること」を一緒に思索できれば嬉しく思います。

ご講演いただく早坂会長に感謝です。

『求めるとぶつかる』(安岡正篤 一日一言)

「書物でも、何か真剣に研究を始めて本屋へ入ると、それに関連する文献は必ず目に入る。不思議に、それこそ本に霊があるかのように、待ってましたといわんばかりに、ふいっと目に入る」。

「これは本屋漁(あさ)りする人は皆経験することだ。ところが、こちらが何の問題意識もなしに、つまり空々漠々で本屋へ行っても、くだらない駄本しか目につかない」。

「それと同じように、人間も真剣に求めていると必ず求める人物にぶつかるものです。生きた人物にもぶつかるし、故人にもぶつかる」。

『求めるとぶつかる』、心に留めたい教えです。

2024-08-22

お盆、男同士の旅:(1)商船高専クラス会

我が家は、娘3人、息子2人の5人の子供達がいます。10年くらい前から2人の息子と私の「男同士の旅」を実施。本日は、「お盆、男同士の旅:(1)商船高専クラス会」を少し記します。写真は、我が母校、大島商船高専の正門と校舎。

「男同士の旅」は、これまで会津若松と猪苗代湖訪問及び新潟と佐渡探訪の2回。2泊3日の車の旅。今回は、4泊5日と通常の倍の旅程。

今回の旅、主目的は、10年ぶり島根の実家での墓参り。まず、初日は、鶴岡から仙台へ高速バス。そして、仙台から広島空港に飛び、空港レンタカーで商船高専の友人達が待つ、山口県萩市に向かう。

初日14日夕は、友人宅で商船高専の同期会、バーベキュー(BBQ)。15日は、萩及び島根を観光し、16日は、10年ぶりの中学校クラス会。17日は広島の呉及び江田島を訪問。18日朝10時広島から仙台へ飛び、仙台から鶴岡と結構「密」なスケジュール。

今回は、お墓参りを主としながらも商船高専及び中学校のクラス会への出席も大変楽しみな旅。写真は、我が故郷の「三江線鹿賀駅」。三江線、大変お世話になりましたが、今は廃線。

萩では商船高専同窓生が私を含め9名参集。佐賀からの友人もあり。BBQを食し、お酒が進み話が盛り上がる。私以外は全員が卒業後外国航路での士官を経験。商船乗船時の体験にも花が咲く。

さらに外国航路の船会社を辞めた仲間の話で盛り上がる。40歳で国立大学医学部に入学した友人、寿司屋を経営している仲間等、異色の友人も少なくない。

商船高専は、全国に5校あり、中学生で受験し、入学すると5年半の修業年限で卒業。私が属した機関科は、4年半の座学後、9ヶ月の練習船実習と3ヶ月の造船所実習。

参集した同期生は、全員が同じ練習船に乗船し、「同じ釜の飯」を食した仲間だったことが判明。

写真は、大島商船高専の練習船「大島丸(300トン)」。

我々が乗船した練習船「青雲丸(5400トン)」は、日本の周りを2周程度航海し、練習生は船内業務を習得。その後、オーストラリアのブリースベンに向かう。そして、ニューギニアのポートモレスビーに寄港し、東京に戻る。

同期会、約50年前の青春時代の話に花が咲く。乗船後すぐに一等航海士の講義があり、船舶士官としての心得の一端「ノブレス・オブリージュ(noblesse oblige)」を教えられる。

これは、19世紀にフランスで生まれた言葉で、「noblesse(貴族)」と「obliger(義務を負わせる)」を合成した言葉。社会的地位の保持には責任が伴うことをさす。

身分の高い者はそれに応じて果たさねばならぬ社会的責任と義務があるという、欧米社会に浸透する基本的な道徳観。自己の利益を優先することのないような行動を促す、社会の心理的規範となる。

写真は、ブリースベンへの航海中、甲板での運動会の一葉。

商船高専を卒業し、三等航海士や三等機関士として商船に乗船すると部下である部員と一緒の当直がある。「ノブレス・オブリージュ(noblesse oblige)」、重要な教えの一つに思う。

我が練習船「青雲丸」では、ブリースベンに向かう太平洋上でカッターボートを降ろしての実習も体験。うねりの大きな太平洋上では、うねりとうねりの中にボートが入り、大きな波が頭上にある。貴重な体験。

船内生活は、4時間の機関室での当直と8時間の自由時間の繰り返し。当直では、主機関のエンジンや補助機関の発電機、冷凍機などの調子をチェックする。

4時間の当直が終わり、熱い機関室から居室に帰るとまずはビールで涼を取り、その後は、酒盛りが始まる。遠洋航海では、酒やたばこは免税なので安くたくさん購入。しばしの睡眠後、再び当直。

変化の少ない単調な日々だが、生まれて初めての異国、オーストラリアのブリースベンを見たときは感動。飛行機による着陸と違い、船では、遥か彼方に陸が見え、それが少しずつ近づき大きくなるのは嬉しい。

写真は、ブリースベンでの一葉。

ワクワクしながら着岸を楽しむ。初めての異国上陸、異国も楽しむ。約50年前の体験だが昨日のように鮮明に記憶している。

青春を共にした仲間、何時になっても良いですね。仲間に感謝です。

『因果の法則』(安岡正篤 一日一言)

「人間には奇跡というものはありません。奇跡などというのは研究不足、勉強不足の者の言葉でありまして、原因・結果というものは常にはっきりしておるのです」。

「悪いことをしますと、いつかは悪い結果があらわれ、善いことをすれば善い結果があらわれる、というのは厳粛な自然の法則であります」。

「したがって人間は因果律というものを大事にしなければなりません」。

『因果の法則』、当たっています。大事にします。

2024-08-20

市民講座、「新型コロナウイルス感染症」

山形大森兼 啓太先生を講師とした市民講座が8月24日山形駅西口霞城セントラル3階 「山形市保健所視聴覚室」で開催されます。本日は、その市民講座について少し紹介します。

演題は、「新型コロナウイルス感染症のこれまでとこれから」。下述は、概要。

新型コロナウイルス感染症は、2020 年初めに流行がはじまり、翌年から 2022 年にかけて世界中で大きな流行となりました。様々な対策が検討され、実行されました。

2023 年には流行がようやく小さくなり、今に至っています。

もともと、コロナウイルスはカゼの原因ウイルスの一つであり、今回流行した新型コロナウイルス(SARS-CoV-2 と名付けられました)もおそらくカゼの原因ウイルスとして人間社会に定着すると考えられます。

この 4 年間を振り返り、このウイルスや感染症に関して何がわかって何がわからないのか、今後どうなるのか、どう向き合うのが良いのか、などについて、皆様の理解が深まり、考える機会になれば幸いです。

令和6年度 放送大学山形学習センター公開講演会

日時:令和 6 年 8 月 24日 (土) 14:00~15:30

定員:100 名 (無料)

会場:霞城セントラル3階 山形市保健所視聴覚室

□主催 放送大学山形学習センター

□後援 山形市

講師:山形大学医学部附属病院 検査部 部長・病院教授感染制御部 部長 森兼 啓太 先生

多くの方が、講演を聴きに来られるのを楽しみにしています。

『憂いが人物をつくる』(安岡正篤 一日一言)

「人間は憂えなければ人物が出来ない。何の心配もなく平々凡々幸福に暮らしたのでは、優という文字の真義からくる“優秀”とはいい難い」。

「憂患を体験し、悩み抜いてきて初めて、人物も余裕も出来てくる」。

『憂いが人物をつくる』、考えさせられる教えです。

2024-08-18

夏の甲子園、島根代表大社高校ベスト8

故郷、島根のお盆、お昼は高校野球観戦が定番。今年の島根県代表の大社高校は、昨日、早稲田実業を破り93年ぶりのベスト8。本日は、高校野球について一部再掲も含め少し記します。

島根県は、東側が出雲部、西側が石見部と2大別。石見と出雲では、言葉や人の性格も異なっているとのこと。

大社は、東部の出雲部に属します。全国的に知られているのは出雲大社。大社高校のHPによると、3年生の1/4は、国公立に進学し、ほとんどの学生が大学に入学する進学校の一つ。

島根は人口が少なく、それに依存して高校の数も多くありません。甲子園出場の常連、某私立高校は関西の高校から野球留学生が多く、ベンチ入り18名の全てが県外者の時もある。

そんな中での大社高校の出場を嬉しく思いました。

大社高校の皆さん、是非、ベスト4を目指して頑張ってください。

夏の甲子園、日本の夏、いいですね。

『四耐四不訣』(安岡正篤 一日 一言)

「冷に耐え、苦に耐え、煩(はん)に耐え、閑(かん)に耐え、 激(げき)せず、躁(さわ)がず、競(きそ)わず、随(した)がわず」 、もって大事を成すべし。

 「人間は世間の冷たいことに耐えなければならない。苦しみに耐えなければならない、わずらわしいことにも耐えなければならない、ひまに耐えなければならない」。

「大事をなさんとする者は興奮してはいけない、ばたばたしない、つまらぬ人間と競争をしてはいけない、人のあとからのろのろついて行くのは最もいけない」。

『四耐四不訣』、ふと思い出しました。「大事をなす」時の重要な教えに思います。


2024-08-15

終戦記念日

本日は、終戦記念日。一部再掲も含め大東亜戦争について少し記します。

鹿児島県の南に知覧という街があります。知覧には、大東亜戦争末期に陸軍特別攻撃隊の特攻機が発進した基地がありました。

私は、縁あって知覧にある「知覧特攻平和会館」を二度訪問し、そこに展示してある特攻隊員の方々の遺品や遺書を観ました。遺書を読むたびに涙が止まらなかったことを思い出します。

大東亜戦争が終わるまで日本の優秀な少年達は、陸軍少年飛行兵や海軍飛行予科練習生を志願し、それらの志願兵は、神風特別攻撃隊員として知覧から数多く出撃し、散華されました。

私の父は、17歳で陸軍少年飛行兵を志願し、陸軍伍長として札幌で終戦を迎える。私が子供の頃、時々、父から戦時中の話を聞いたことがあります。祖母は生前、まさか父が生きて還ってくるとは思わず、父が家に帰ってきたときは、本当に驚いたと話していました。亡き父を思い出す、終戦記念日です。

各地域には、大東亜戦争で出征し、戦死された方々を慰霊する「忠魂碑」があります。私が住む松ヶ岡や、子供達がお世話になった広瀬小学校にも忠魂碑があり、その裏面には戦死された方々の名前が記してあります。

本日正午、黙祷を捧げたいと思います。

『思考の三原則』(安岡正篤:一日一言)

「私は物事を、特に難しい問題を考えるときには、いつも三つの原則に依るように努めている。

第一は、目先に捉われないで、できるだけ長い目で見ること、

第二には、物事の一面に捉われないで、できるだけ多面的に、できれば全面的に見ること、

第三に、何事によらず枝葉末節に捉われず根本的に考える、いうことである。

目先だけで見たり、一面的に考えたり、枝葉末節からだけで見るのと、長期的、多面的、根本的に考えるというのとでは大変な違いがある。

物事によっては、その結論が全く正反対ということになることが少なくない。我々は難しい問題にぶつかる度にこの心がけを忘れてはならぬ」。

『思考の三原則』、肝に銘じたいと思います。

2024-08-12

「8月11日山の日」、山の思い出を回想

8月11日は、山の日。本日は、男の「山の思い出回想」を一部再掲も含め少し記します。戦後復興期の昭和20年代後半に島根の山間部で産まれた男は、物心ついた頃から遊び場は、山と川。

当時は、炭焼きも盛んで綺麗な里山が維持。特に、毎春の木の芽時は、おにぎりを持って近くの最も高い山への登山。登山、何が面白かったのか?よく分かりません。

幾つかの要因は考えられます。綺麗な里山、雑木林を歩くのは気持よい。山には色々な生き物や植物がある。山は、何となく神秘的。山の頂上から下界を見下ろす景色の美しさ。春の山の新芽が展開する美しさ、等々。

一方、秋の山行きの目的は明確です。クリやアケビ等の木の実を採る。さらに、祖父や父とのキノコ狩り。キノコ狩りで道に迷うの、分かります。キノコ群落に出合うと夢中で採集し、道など頭から消えます。

我が故郷、山の幸が豊富。日本全国の里で今、クマ、イノシシ、サル等の野生動物の出没が日常茶飯事。昭和20年代や30年代は、炭焼きによる里山の管理が行き届き、これらの野生動物は奥山で生活し、里への出没なし。

男は故郷を離れても山との関係を継続。商船高専4年時には、ワンダーフォーゲル部を創設し、仲間とテントを持っての山歩き。

さらに大学では、「熱帯農業研究会」に所属し、ここでもテントを持って仲間と登山。

男は、山が遊び場のような生活を体験して大人になる。その後、男は結婚し、家内から「子供が産まれたら月一度は、家族で山歩きをしよう」との提案を二つ返事で了承。

庄内では、春先のカタクリとギフチョウが織りなす早春の美しい高館山の山歩きから山行きが開始。そして、8月上旬の鳥海山(標高2,236 m)登山は我が家の恒例行事。

今高2の次男が幼稚園年長の時、約8時間かけての鳥海山往復登山も今では懐かしい思い出。子供達は、全員山登りが好きで、次女は、大学の何学部に入学したか知りませんが、卒業だけは「山岳部」。

大学4年時に北・中央・南アルプスを1ヶ月かけて縦走。縦走後に山岳部のブログを見ると稜線で台風に遭遇し、危ない経験も多々あったようです。

長男は、山岳部のある高校に入学希望。しかし、鶴岡市で妥当な高校がなく、高校での山岳部は諦める。

今高2の次男も「山命」。登山が大好きで、昨年の山の日は、雨の朝日連山2泊3日の単独縦走。危ない目にも遭ったようです。この危ない目との遭遇を通じ、自然の怖さ等を学ぶのも重要。

朝日連山は、大朝日岳(標高1,890m)を主峰に約101,700mクラスの山々が連なる新潟県と山形県境に位置する磐梯朝日国立公園に含まれる。

今高2の次男は、山岳部の部長で部活を楽しむ。

米国から友人たちが来ると鳥海山か月山登山は我が家の恒例行事。小さな子供達も一緒に登山。子供達が、疲れて歩けなくなったら私のザックの上に載せて下山。今では、小天狗のように山を駆け登る。

家族恒例の鳥海登山、8年くらい前に9合目の「胸突き八丁」で気分が悪くなり、登頂は諦め、単独下山。それ以降、鳥海山への登山はなし。

3年前から月山姥ヶ嶽(標高1670m)登山を楽しむ。登山、いいですね。山の思い出を少し回想しました。

『文明は人間を弱くする』(安岡正篤 一日一言)

「真の体力・健康というものはもっと矛盾に富んだ、もっと苛烈な、自然の暑さ・寒さ・飢餓、その他いろいろの不自由やら迫害と闘って、自然に鍛え上げるものでなくてはならない」。

「そういう意味から言うならば、文明の知識と技術の下に作り上げられた体力・生命力というものは弱いものである。あまりに泰平無事、平穏無事だとわれわれの健康というものは、すぐだらしなくなる」。

「やはり体、健康というものは鍛えなくてはだめである。精神的にもそうで、何も苦しみがないと精神はのびてしまう。つまらなくなります」。

『文明は人間を弱くする』。学びです。心に留めたい箴言。

2024-08-09

山形SC所長推薦図書(5)森先生その2

本日は、山形学習センター(山形SC)、所長推薦図書紹介第5弾、(5)森 信三先生その2を一部再掲も含め少し記します。

森先生からは生き方について色々と学ぶ。先生の著書の一つ『父親のための人間学』からも多くを学びました。

最近、「人間学」について考える機会があり、「人間学」に関する書籍をいくつか読む。「人間学」の書名の本が、数多く出版されているのを発見。

その中の一冊が森信三先生著の『父親のための人間学』。私の年齢では、『爺さんのための人間学』が相応しいのかも知れません。

高校2年生の息子も含め5人の子供の父親として再読。新たな学び、多々発見。

森先生は、『家庭教育の心得21:母親のための人間学』や『10代のための人間学』も著され、いずれの著書も味わい深く、人間学の本質を突いてる。学びの書。

本日は、『父親のための人間学』から、「森語録」を少し紹介します。森先生のお話や提言は、とても分かりやすいのが特徴。問題は、それを実行できるかということ。

まずは、教育の原点として「躾の三原則」を紹介。

「1)朝の挨拶の必ずできる子にすること、2)呼ばれたら必ず「ハイ」と言える子にすること、3)ハキモノを脱いだら必ず揃え、立ったら必ず椅子を机にいれること」。

この「必ず」に下線が引いてある。この「躾けの三原則」ができたら、子育ては全く問題ないとのこと。私もそう思います。

この教えは、とても単純ですが、とても重要。まず、親の率先垂範が必要に思う。

「教育とは人生の生き方の種まきをすることなり」。なるほどと思う。

「人間は一生のうちに、少なくとも三度偉人の伝記を読むべき時期があると思う」。

「第一は、小学校の5、6年から中学・高校にかけての時期である。第二は、30代の前半から後半にかけての時期。第三は60歳あたりから晩年にかけての時期である」。

私、伝記、大好き。それは人間学を学べるからです。これから伝記を楽しく読み、さらに人間学を学びます。

「母親は、家長たる父親を立てずして家庭教育はありえない」。

「父親はいちいちこと細かに小言や叱りつけをすることは、賛成しがたく、これこそ父親軽視の種をまくようなものである」。

「家庭における父親の役割は、人生の見通しと社会的視野の広い立場に立った人生の生き方に基づき、家庭のあり方と子供の育て方の根幹と方向を明示すべき」。

これもとても重要な教え。夫婦の役割を相互に理解して対応することが重要に思う。

「父親の権威とは、人間的香気ともいえる人格と品位によって自ら発するものであります」。

「人間的香気」、善い言葉です。「人間的香気」を発したいが、これ簡単ではない。

そして、「あるべき父親像」として、5点を紹介する。

一.父親自身が確固たる人生観を持ち、柔軟にして強靱な信念の持ち主でなければならぬ。

一.父親はまず一事を通してわが子に忍耐力を育てる躾をすべきである。

一.父親は、平生は泰然として、あまり叱言をいうべきでない。

一.父親は、イザという時、凜乎たる決断と俊敏な行動を示すものでなければならぬ。

一.父親自身が自らの「生活規律」を持ち、これを厳守するものでなければなるまい。

「あるべき父親像」、この5点、どれも重要な教え。これからの人生、肝に銘じて生きたいと思う。

森先生、凄い人です。先生に感謝。

『多岐亡羊』(安岡正篤:一日一言)

「多岐亡羊ということがある。これは羊を飼っておった人が羊を逃がした。そこで慌てて追いかけた」。

「隣り近所の人も一緒になって追っかけてくれたが、あんまり枝道が多い。いわゆる多岐である。多岐が多くって、あっちへ行ったこっちへ行ったと言っているうちに、どこかに行っちまってわからなくなった」。

「人間もそういうもので、あんまり仕事が多くなると、肝腎なものがどこに行ってしまったかわからないようになる」。

「人間というものの本質、人間の使命、人間の幸福、そういったものがわからなくなってしまうのである」。

『多岐亡羊』、肝に銘じ、心して生活したいと思う。