2024-05-24

2024年度山形SC、「学びのサロン」が始まる

大学では、学生が他の学生や教員とゼミを通じた自主的な学びが可能です。かつての職場、山形大の私の研究室、学生諸君の成長を振り返ると、ゼミを通じての成長が著しい。大学でのゼミ、重要に思います。

今年度も5月から、山形学習センター(山形SC)の「学びのサロン(ゼミ)」が始まりました。

私と8名の客員教員で9「サロン」を開講しています。本日は、第1回目が終わった私の「サロン」を少し紹介します。

今年の私の「サロン」は、岩波ジュニア新書『野生動物と共存できるか:保全生態学入門(2006)』(高槻成紀著)の輪読です。

「サロンで」は、まず、「「いま野生生物にこんな問題が」、「絶滅はなぜおきるのだろう」、「保全生態学が野生動物を守る」、「保全生態学のじっさいー私たちの研究から」、「野生動物問題の解決に向けて」、「野生動物をどう考えればいいか」等について多面的に学び、参加者で意見交換をする」」。

そして、「野生動物と人間がこれからもともにこの地球の上で生きていくためには、何を知り、何をしなければいけないかを考える」ことが目的。

今回は、私が「第1章 いま野生動物にこんな問題が」を簡単に紹介。第1章は、5つの見出しで構成される。

まず、『1)生物が消えていくーメダカ』。「1999年にメダカが絶滅危惧種に指定される。用水路がU字管になり、これによる「魚だまり」の欠如がメダカ消滅の一因」と記される。

次に、『2)人の空間に出没するーツキノワグマとサル』。ここでは、「(1)「増えた」ツキノワグマ」の小見出で、「クマが増えたのではなく、山の果実が不作で人を恐れないクマが人里に接近してクマ問題が発生した」ことに触れる。

「世界的にクマは7種いて個体数は減少し、保護が必要な動物の代表的グループ。九州では、絶滅。四国では個体数減少。北陸や東北は相当数のクマが生息しているが、人が奥山に入ることでクマと遭遇する」ことが紹介。

そして、「(2)クマ問題」。「クマは、人間にとり危険な動物だが、人がクマを残す気がなければ日本からクマは絶滅する可能性がある」と述べる。

さらに、「(3)サルによる被害問題」。「この30年サルは、奥山から里山に移動し、農作物を食べるサルは栄養がよく産子数が増加する」ことが紹介される。

そして、『3)爆発的に増えて生態系をこわすーシカ』に続く。ここでは、「(1)シカの特徴」が記され、「シカは確実に個体数が増加。木や草の葉を食べ繁殖力が旺盛で、シカは群れを作り生活する」ことが述べられる。

また、「食料が多く捕食や狩猟が少ないと急激に増加する。そして、森林を伐採すると餌が増加し今、捕食者や狩猟は少ない」ことに触れる。

「(2)シカによる被害」では、「シカが増えすぎると山全体に影響を及ぼす。人間に及ぼす影響は、シカが一番大きい」ことが紹介される。

その次の『4)外来動物が生態系を変えるーヤギ、マングース』では、「(1)小笠原のヤギ」に触れ、「これらのヤギは、江戸時代に導入され、島が無人島になりヤギが増え放題となり、島の植物が荒らされ海まで影響が及んでいる」ことが述べられる。

また、「(2)マングース」では、「奄美大島のマングースはハブ捕獲目的で導入されたが、在来種のヤンバルクイナ等を捕食し、在来種に多大な影響を与えている」ことに触れる。

最後は、『5)複雑な生きもののつながりーラッコと漁業被害』。「ラッコは、北の海に生息し、貝、ウニ、カニを捕食するので、ラッコを駆除したら漁獲高が増加することが期待された。しかし、現実は、減少した」ことを示す。

「この現象としては、ラッコが減少し、その餌のウニが増加した。ウニはコンブが餌で、ウニが増加することで、コンブが減少し、コンブを隠れ家に使う魚が減少した」と記す。

さらに、「シャチの影響については、シャチがラッコを捕食し、ウニが増加。そして、コンブが減少し、魚が減少する」ことが紹介される。

今年度は、私を含め6名の参加者のゼミ。第1回は全員出席で、1名は埼玉県から出席。第1章の紹介後、多面的な意見交換。「生態系ではバランスの維持が重要ですね」との意見が印象に残る。

今、クマ、サル、シカ等が人に影響を及ぼしている。これらの個体数が増加したことが問題と思われるが、それぞれの動物が人間に及ぼす影響は動物により異なる事を学ぶ。

あっと言う間の90分、参加者の意見から色々と学ぶ。皆さんに感謝。

『陶冶(とうや)する』(安岡正篤 一日一言)

「最高の教育を受けた人間も、その後の自己陶冶を缺(か)いては、立派な人間には成り得ない。ごく劣悪な教育も、自己陶冶によっては、なお改善され得るものである。いかにも人間は陶冶次第です」。

「「陶」というのは、焼き物を造る、「冶」というのは、冶金の冶で、金属を精錬することであります」。

土を粘(ね)り、焼いて、陶器を造る。鉄を鍛えて鉄器を造るようなもので、人間もやはり、焼きを入れ、鍛えるということをやらなければ、ものになりません。いくつになってもそうであります」。

『陶冶する』、「いくつになっても焼きを入れ、鍛える」、肝に銘じます。